平成22年1月1日、長野市は信州新町・中条村と合併して、ま
た一回り大きな都市になります。
12月6日、信州新町の閉町式典が行われました。
信州新町町民体育館に大勢の町民の皆さんが集まり、信州新町の
長い歴史を記録したビデオ「美しいふるさと信州新町」の上映の後、
式典が開式。県知事、国会議員、県議会議員、長野市議会議員、周
辺町村長などが出席し、盛大な式典でした。異色だったのは、有島
生馬画伯の縁で交流のある北海道ニセコ町長さん、鹿児島県薩摩川
内市長さんが、出席されていたことでしょうか。
以下は、中村町長さんの式辞を要約したものです。
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信州新町はこの12月31日をもって町の長い歴史を閉じ、長野
市へ合併する。
顧みると、昭和29年4月1日、町村合併促進法に基づき、上水
内郡津和村と水内村2カ村の合併により久米路村が発足し、同年1
0月1日に町制を施行して新町と改称。翌昭和30年3月31日、
更科郡日原村と信級村2カ村と合併し、上水内郡信州新町となった。
その後、昭和31年9月30日に更級郡牧郷村の大部分を編入合併、
昭和34年4月1日、北安曇郡八坂村の左右地区を編入。これら幾
多の合併を経て今日に至った。
昭和30年代には、基幹産業であった農業の近代化を推し進めた。
とりわけ昭和36年度から実施された、パイロット農業構造改善事
業は、その後の事業と合わせ実に14年間という長い歳月と多額の
投資を行い、基幹産業である養蚕業を中心として、土地基盤整備、
施設の近代化による農業の生産性向上を図り、地域の経済的発展に
大きく寄与した。
工業面では、高度経済成長時代を迎えた昭和38年に工場招致条
例を施行し、積極的な工場招致を進めた。電気機器、精密機器、製
糸、紡績、木工、食料品、セメント二次製品など、多様な分野の工
場立地がなされ、町産業に占める工業の役割は飛躍的に進展。農業
中心の町経済から農商工、調和の取れた産業構造の町としても発展
してきた。
信州新町は芸術文化のまちづくりにも意を注いできた。古くから
町を愛する数多くの芸術家が訪れ、町民との交流を深め、それらの
縁によって当時としては先駆的な美術館条例を昭和35年に施行。
美術館、有島生馬記念館、化石博物館とともに一連の博物館施設は、
芸術文化を愛する町民の象徴として大切な財産となっている。
これらの町の発展・変遷は、先人の皆さま、諸先輩の皆さまの多
大なご尽力、そして町民の皆さまの地域を愛する熱意の賜物(たま
もの)であり、今更ながら敬意と感謝の念を禁じ得ない。
一方では、苦難な出来事もあった。中でも昭和51年の奈良尾地
区の地すべり、昭和58年の台風10号による新町地区を中心とし
た水害は、今でも記憶に鮮明に残る大災害だった。そのほかにも集
中豪雨による災害にたびたび見まわれてきた。これらの災害も、町
民や企業の皆さま、町消防団、多くの関係機関などのご協力、ご尽
力を頂きながら乗り越えてきた。
社会経済情勢や行政運営を取り巻く状況が激動する中にあって、
過去も合併によってこの地域の発展を目指したように、半世紀を過
ぎた今、合併に関する住民意向調査の結果と長野市の深いご理解に
より、信州新町は県都長野市へ合併することとなった。遠い将来を
見据えたとき、この合併が必ずや将来にわたるこの地域の発展のた
めの新たな出発点になるものと確信している。
合併しても信州新町という地域はこれからも永遠に続いていく。
この地域の自然、歴史、伝統文化、大切な多くの財産を守り生かし
ながら、町の発展を営々と築き上げてきた町民の経験と地域を愛す
る情熱をもって、今後は長野市信州新町地区として「~善光寺平に
結ばれる~人と地域がきらめくまち“ながの”」のまちづくりの一
翼を担いながら、さらなる地域の発展と大勢の長野市民に親しまれ
る地域となることを願う。
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式辞の後、町長さんから多くの町政関係者に表彰状・感謝状が手
渡されました。受け取った皆さんは、それぞれ感慨にふけっており、
その姿が印象的でした。
式典は、信州新町小学校6年生の皆さんが「故郷(ふるさと)」
を歌う中、町旗が降ろされて木箱に納められ、町長に手渡されて閉
式となりました。
12月19日には、中条村の閉村式が行われました。
会場は、中条中学校の体育館です。大勢の村民の皆さんのほか、
県知事、国会議員、県議会議員、長野市議会議員、周辺町村長など
も出席し、こちらも大変盛大でした。
中条村の式典でも、表彰状・感謝状の贈呈、村旗の降納などがあ
ったのですが、圧巻だったのは、中条村の保育園児、小学生、中学
生152人全員が舞台に上がって合唱を披露したことです。
曲は「故郷」ですが、それぞれの園歌・校歌が組み込まれ、立派
な組曲になっていました。指揮を執られた先生が作られたのでしょ
うか。とても素晴らしいもので、感心し、また感激しました。一緒
に行われた消防団の解団式も、今まで経験したことがなく、厳粛に、
そして今後は長野市消防団の分団として出発する決意も表明され、
感激しました。
以下は、久保田村長さんの式辞を要約したものです。
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長野市長様、長野市議会議長様をはじめ市議会議員様各位、そし
て各市民の皆さまの大きな温かいご理解を頂き、中条村は平成22
年1月1日に長野市と合併する。
中条村は、昭和30年に町村合併促進法により、栄村と日里村が
合併して発足した。村発足当時は米作、養蚕、酪農など農業を中心
に多くの営みが行われ、行政も農業政策が中心に進められていた。
昭和40年代からは、村内の道路改良整備、上下水道の完備、村営
住宅の建設など生活基盤の整備が進み、文字通り高度経済成長の時
代であった。
教育面では、中学校の統合、小学校の統合をはじめ、公民館の建
設など、文化教育施設の充実、資料館の開設など目覚ましいものが
あった。産業面では、工場誘致、オリンピック道路への道の駅の建
設、やきもち家の建設、お菜とりツアー、虫倉山開山祭、むしくら
まつりなどのイベントの開催等々、先人の方々が築かれた功績は、
語り尽くせるものではない。
このような時期を経て、人々の暮らしは大きく変わり、現在では、
通勤、通学など生活のほとんどが長野市という家庭が多くなってい
る。そのような折に住民の総意は、長野市との合併を選択するとい
う大変大きな、そして大変重い決断を行った。
私は、議会の皆さん、村民の皆さんのご協力をいただきながら、
その先頭に立って邁進(まいしん)してきた。そして、来年1月1
日からは、県都長野市民として皆さんと一緒に新しい地域づくりに
取り組み、この地域を守り、発展させていかなければならない。こ
のことは、村民一同大きな喜びであり、遠い将来を見据えたとき、
必ずやこの合併がこの地域の発展のための新たな出発点となること
を確信している。
この中条地区のシンボルは、今までもこれからも虫倉山である。
360度の展望と里山でありながら登山気分を十分に味わえる自然
の良さに加えて、古くから伝わる山姥(やまんば)伝説により虫倉
神社とともに子育ての神様として信仰されている。
今後は、長野市の名所に加えていただき、中条を子育ての里とし
て愛していただければ、さらにこの地は元気になると思う。この地
域の自然、歴史、伝承文化、人のつながりの強さ、先人の地域を守
る伝統、これらをしっかりと守り、長野市中条地区として、「~善
光寺平に結ばれる~人と地域がきらめくまち“ながの”」の一翼を
担いながら、この中条地域の発展を心から願い、一日も早く長野市
民に溶け込むよう最大の努力をすることを約束する。
そして、合併が希望と夢に向かっての新たな第一歩であるという
気持ちを持ち、先人が築いてきた思い出をそれぞれの立場で一つ一
つ心に刻みながら力強く前進したい。
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式典では、中村町長さんも久保田村長さんも感極まった感じで、
若干涙ぐんでおられるように感じた場面もありましたが、両町村長
さんはじめ、住民の皆さんの心境をお察しすると、私もあらためて
厳粛な気持ちになりました。
両町村の式典では、出席された大勢の方々からの祝辞がありまし
た。
そのうち、県知事さんからの祝辞は、「このたびの合併は、これ
からの地方分権社会、そして少子高齢化社会に対応できる基礎自治
体を目指して、将来を見据え熟慮を重ねた上でのご英断であり、心
から敬意を表する。合併により町や村としての歴史は幕を閉じるが、
これまで培われてきた歴史、文化、自然はこれからもはぐくまれ続
ける。この地の特性を生かし、活力あふれる地域づくりが進むこと
を期待する。」という趣旨でした。
私も合併先の市長という立場からあいさつさせていただきました。
私がお伝えしたかったことは、合併はあくまで手段であり、重要
なのは、地域の皆さんが合併して良かったと思えるまちづくりを行
うことです。信州新町や中条村の皆さんが合併を選択されたその思
いを深く受け止め、これまで培ってきた歴史や文化を尊重し、有形
・無形の地域資源を生かし、「人と地域がきらめくまち“ながの”」
を目指して、住民福祉の向上、活力ある地域づくりに取り組んでい
きたいと思っています。
そして、合併協議を通して、信州新町や中条村から学ぶべきこと
がたくさんあることを知りました。合併後は、信州新町や中条の皆
さんが長野市民として何ができるかを考え、胸を張って、堂々と長
野市の一員として活躍してほしいと考えています。
以上のようなことは、平成17年の合併に際しても申し上げてき
たと記憶しています。
そのほか、合併によって、役所が遠くなるということを心配され
ている方もいるようですが、心の距離は皆さんの方から近づいてき
ていただきたいとも思っています。
地名も、頭に“長野市”が付くと、その分呼称が長くなりますの
で、公式文書以外は“長野市”を付けなくても良いと思っています。
例えば、松代は「信州松代」、戸隠は「信州戸隠」として、“長野
市”にこだわらずに情報発信していることも多いようです。
さあ、あと1週間で、新しい長野市がスタートします。両町村民
の皆さんの期待にも応えられるよう受け入れ態勢を整え、みんなが
合併して良かったと思えるまちづくりに最大限努力していきましょ
う。