新年あけましておめでとうございます。皆さまには、元気で新年
をお迎えになったこととお喜び申し上げます。
今回は、長野市のスケート競技が、長野オリンピック開催から
13年経過する中で、ようやく文化として育ってきたことを、うれ
しいニュースとしてお話しします。
昨年末、ビッグハットでフィギュアスケートの全日本選手権大会
が開かれ、今季のチャンピオン争いと同時に、3月に東京で開催さ
れる世界選手権への出場権をめぐり、真剣勝負が行われました。大
変な盛り上がりになったことは、ご存じのとおりです。
その際、この大会に合わせてお越しになった長野県スケート連盟
の林泰章会長と、長野市や長野県、さらには、日本や世界のスピー
ドスケートの実情や将来について、じっくり懇談させていただくこ
とができました。林さんは、少し前に日本スケート連盟の副会長職
を定年規定により退任されたばかりですから、スケート界のことに
ついては、よくご存じなのです。
今回は、盛り上がったフィギュアスケートではなくて、スピード
スケートのことについて報告します。
開口一番、林さんがおっしゃったのは「市立長野高校の活躍にび
っくりだ・・・」でした。私はあまりよく知らなかったものですか
ら、後で調べてみたのですが、確かに市立長野高校は大活躍をして
います。
昨年12月14・15日に、エムウェーブで開催された長野県の
高校スケート競技会で、男子は総合2位(1位は佐久長聖高校)、
種目別では500メートル、1500メートル、2000メートル
リレーの3種目で優勝。女子は総合4位。加えて、日本スケート連
盟の「ジュニア強化選手B」に奥原綱希さん、宮澤里沙さんの2人
が指定されているとのことでした。
昔、「スピード長野」と言われた時代、スピードスケートは北海
道と長野県が常に覇を争う存在だったことは、多くの皆さんの記憶
にあると思います。
ただ、長野オリンピックが終わった翌年、すなわち平成11(1
999)年の1月、茅野市で開催された県の中学校選手権で、長野
市からの参加選手は“0”だったのです。
当時、私は、株式会社エムウェーブの副会長(会長は当時の塚田
市長)の立場にあり、スケートを盛んにするためには何が必要か、
一生懸命考えていた時期でした。しかし、この“0”という数字に
は、正直びっくりしましたし、参りました。オリンピックを開催し
た都市として、「これは何だ!」という思いでした。
調べてみると、“スピード長野”を支えていたのは、長野県全体
ではなくて、諏訪湖のある諏訪地方と「田んぼスケート」が盛んな
佐久地方が主で、そのほか松本周辺が多少といった程度。長野市に
は、競技を支えるスケート文化はほとんどなかったのです。ですか
ら、選手を育成する上で一番のベースになる中学校にも、スケート
部なんてなかったということでしょう。
そこで急きょ、エムウェーブの副会長として、私が長野市スケー
ト協会の会長職を買って出て、組織・役員の充実、資金集めを行い、
そして中学校の先生の中からスケートの指導ができる方にお願いし
て、スケートクラブの育成に努めていただきました。
しかし、文化がないというのは大変なことです。エムウェーブの
役員会などでは、長野市を「日本のスケートの拠点にしたい」など
と主張していましたが、すぐに実績を上げるようなことはできませ
んでした。それでも指導者の育成や雇用、エムウェーブスケートク
ラブの育成など、少しずつではありますが前進してきたように思い
ます。
皐月高校が市立長野高校に移行した際、当時の校長先生と相談し
て、スケート部を本格的につくることになりました。それから3年。
林さんをはじめとした皆さんの支援で素晴らしい指導者をお迎えす
ることもでき、少しずつではありますが、部員が増えてきました。
平成20年度(創部1年目)部員数男子3人、女子2人
平成21年度(創部2年目)部員数男子6人、女子4人
平成22年度(創部3年目)部員数男子7人、女子6人
数が全てではないと思いますが、部員が増えるに従って、成績も
徐々に上がり、前述の成績につながってきたようです。
小学生が主体ですが、エムウェーブスケートクラブも徐々に会員
数が増えて、平成19年度35人、20年度43人、21年度59
人、22年度は62人となり、盛んになってきています。
10年間、長野市で開催することになっている全国中学校スケー
ト大会も、今年で4年目。ようやく長野市出身の選手が出場できる
ようになってきたようです。
この大会を10年間も長野市で開催できることは、市内の中学生
スケーターにとって大きなメリットであり、長野市のスケートを強
くするための絶好のチャンスと考え、この機会を何としても活用し
たいと思っています。
そして、
(1)大会が開催されるとき、エムウェーブを観客でいっぱいにし
たい。
(2)強い選手を育成して、長野市へ行けば強い選手と対戦できる
という期待感を全国の中学生スケーターに持たせたい。
(3)優秀な中学生スケーターには、市立長野高校へ進学してスケ
ートを継続してもらいたい。
(4)高校球児の憧れが甲子園であるように、エムウェーブを中学
生スケーターの憧れの場にしたい。
そんなことも夢見ています。
実は、林さんとエムウェーブとは深いつながりがあります。
長野オリンピック開催よりかなり前の話になりますが、長野市に
造られるオリンピック施設の後利用を検討する「オリンピック施設
運営検討委員会」がつくられ、私もそのメンバーの一人でした。
当時、施設の後利用で一番大きな問題だったのが、大アリーナで
あるエムウェーブをどうすべきか、ということでした。委員会とし
ては、ホワイトリング、ビッグハット、エムウェーブ、アクアウイ
ングの4カ所もスケート場は要らない、特にエムウェーブは、大き
な施設だから、氷を使うものでなく、違う目的に転用すべきである
という意見にほぼまとまりかけていたのです。
そこへ、長野県スケート連盟の会長で、当時、岡谷市長だった林
さんが委員会に乗り込んでこられ、力説されたのです。
それは、「オリンピック遺産は、まさにエムウェーブである。他
の小さなリンク(30メートル×60メートルのリンク)は、東京
をはじめ“どこにでも”と言っていいくらいにある。岡谷にもある。
小さなリンクを長野に残しても何の特徴にもならないし、なくても
困らない。屋根付きのスピードスケート会場であるエムウェーブこ
そ、スケート場として残すことが必要な政策である」という趣旨だ
ったと記憶しています。
この演説により、エムウェーブはスピードスケートの会場として
残すべき、ということが、委員会での意見の主流の考え方になった
のです。私は、政治家の迫力ある弁舌にびっくりしたことを思い出
しています。
結果としてエムウェーブは、当時、国内唯一の400メートルダ
ブルトラックを持つ屋内リンクとして存続し、日本一、いや世界一
の存在に成長したと言って良いのではないでしょうか。
このような経過もあり、林さんは、エムウェーブの運営について
心配をしておられるのだと思います。林さんには、大会誘致や指導
者育成、加えて、このたびの「ながの夢応援基金」設立へのご協力
等々、大きな応援をしていただいており、私も感謝しています。
スピードスケートは、まだまだマイナーな競技です。これをメジ
ャーな競技に育て上げるためには並大抵の努力では難しいと思って
います。行政の支援、資金集め、選手集め、指導者の育成・・・そ
して、競技者としてスケートをしっかりやった後に勤める企業や組
織も必要です。オリンピックを目指して、みんなが協力し努力する
体制が欲しいのです。皆さん、ぜひご協力をお願いします。