観光事業を考えるとき、いつも感じることがあります。多くの観
光客に来ていただくこと、これが大切なわけですが、観光客が何を
求めて来てくださるのか。言い古された言葉ですが、観光客は「非
日常性」を求めているのではないでしょうか。
非日常性と言った場合、大きく分けて次のような分類になるので
しょうか。
・歴史や文化(古い物、歴史の舞台となった名所・旧跡)
・自然景観
・建造物(新しい物、または立派な物、もしくは物珍しい物・・・
例えば、国会議事堂や東京スカイツリー)
・遊ぶ・楽しむ(例えば、東京ディズニーランドなどのテーマパ
ーク、動物園、遊園地、歌舞伎、コンサート)
・学ぶ・教養を高める(美術館、博物館、講演会)
・体験(農作業体験、農家民泊)
もちろん幾つかの要素が混じっていることは当然です。そして、
そうした中にも「物語が大切」ということも事実でしょう。
京都や奈良などは歴史の表舞台であった時間が長いが故に、良き
につけあしきにつけ、物語がたくさんありますよね。東京は政治や
経済の中心で人口が多く、お金が集まってくるから立派な建造物な
どが多いわけですが。
こうした都市に勝るとも劣らぬ長野市の観光資源としては、素晴
らしい景観、清らかな空気、癒やしの地などでしょうか。実際には、
こうした非日常性とともに、アクセスの良さ、食べ物、宿泊施設、
おもてなしの気持ち、コストなど全ての要素が観光客に採点される
のでしょうね。長野市はどう評価されているのか、気になるところ
です。
長野市にも、善光寺縁起、鬼女紅葉(きじょもみじ)伝説、石堂
丸の物語、川中島合戦、山千寺の駒つなぎの桜、戸隠山の天岩戸伝
説、大座法師池のだいだらぼっちなど、いろいろな物語があるので
すが、もっとたくさん欲しいなあというのが私の願いです。
そんなとき、「矢嶋城興亡史」という本を矢嶋正一さんから頂き
ました。話の舞台は主に佐久地方で必ずしも長野市のことだけでは
ありませんが、知らないことが随分あり、もっとこの話が有名にな
ってもよいのではないかと感じました。
矢嶋さんは、私が城山小学校のPTA会長をやっているころ同小
学校の教頭で、その後、三輪小学校の校長として転出されました。
その後の細かい経歴は知りませんが、最後は小諸市の教育長をお務
めになった方です。城山小学校時代、豪快な方で、てっきり美術の
先生と思っていたのですが、この本を読み終わった後先生と電話で
話して、実は社会の先生だったということを初めて知りました。
「矢嶋城とは、長野県佐久市浅科地区矢嶋にある山城のことであ
る。今はほとんどが畑地で城郭のあった城址(じょうし)は草の中
に眠っている。」こんな書き出しで始まっています。
今から約850年前の源平合戦の時代、滋野一族の中で、「矢嶋
四郎行忠」が一大勢力を築いていました。
それを可能にしたのは、矢嶋ヶ原という一大牧場の存在です。平
坦な草原が広がる矢嶋ヶ原は馬の飼育に適した地勢で、多くの馬が
飼育され、脚力のある駿馬(しゅんめ)は軍馬として、また通信手
段の伝馬として、足が遅い馬も運搬用、また農耕馬として売買され、
その富は大変なものでした。当時の名馬は、現在の戦車みたいな存
在だったそうです。
矢嶋四郎は、この巨大な富を基に矢嶋城を築きました。
また、矢嶋四郎は、歴史上有名な、源頼朝・木曽義仲のいとこで
あったようです。
頼朝が鎌倉で挙兵して以後、平家と戦って勢力を広げていく過程
で、信濃の国にもいろいろな興亡がありました。しかし、何せ
850年から900年昔のことですから、証拠となるものが極めて
少ない。
いとことはいえ、かなり熾烈(しれつ)な勢力争いもあったよう
です。もしかしたら、鎌倉幕府ではなくて、信濃幕府が歴史に登場
していたかもしれない・・・そんな可能性すらありそうな話です。
そういえば、長野市周辺には源頼朝や木曽義仲にまつわる言い伝
えが数多くあるように感じています。
頼朝山、善光寺の駒返り橋、鬼無里の木曽殿あぶき・・・本当に
ゆかりがあるかどうかは確かではありませんが、まんざらでたらめ
ではないのではと感じてはいます。
矢嶋四郎は、木曽義仲の中枢軍として京に遠征し、2カ月余り天
下を制した後、義経軍と戦って戦死しており、その日は1184年
1月23日。この年月日については、先生はかなり断定的に書いて
おられます。まさにヒーローの要素がありますよね。
子どものころ読んだ木曽義仲の歴史小説では、今井兼平が勇戦し
たこと、義仲の妻である巴(ともえ)御前が一緒に戦って、戦死し
た義仲の首を持って逃げたというストーリーだったような記憶があ
るのですが。小説家の誰かが、矢嶋四郎の素晴らしい歴史小説を書
いてくれたら・・・と思ってもいます。
本の最後では、矢嶋城の興亡を記した後、矢嶋四郎の弟が羽後矢
嶋(現在の秋田県)へ分封となった時代背景やその後の消息、そし
て先生ご自身がその羽後矢嶋へ訪問されたことも書いておられます。
ご自身の先祖の発祥・ルーツについて真実を知りたい、あるいは
記録を残したいという思いから多くの資料・考察を基に執筆された
大変な力作で、私なんかが紹介するのは失礼ですが、最初に書いた
ように、長野市にまつわる物語がたくさん欲しいとの思いから紹介
しました。
もう一つ、信州大学の笹本正治教授が書かれた「真田氏三代 真
田は日本一の兵(つわもの)」という本を頂戴しました。
こちらは、既に有名な話で、真田幸隆、昌幸、信之(初代松代藩
主)、信繁(幸村)という真田三代4人が織りなす血沸き肉躍る物
語です。笹本教授の書かれたものですから、歴史考証をきちんとや
っておられます。池波正太郎さんの小説「真田太平記」と読み比べ
てみると面白いですね。一番の違いは、真田太平記では、隠密が大
活躍する、適度なお色気がある、ということでしょうか。
話は変わりますが、今年は長野市が誇る幕末の偉人「佐久間象山」
の生誕200年の年です。それを記念して、象山最晩年に訪れた京
都での足跡をたどったパネル展「上洛(らく)時代 京都と象山」
が、7月10日から9月30日まで松代まち歩きセンターで開催さ
れています。
このパネル展では、幕命で京都に招かれた象山が、京都で尊皇攘
夷(じょうい)派の暗殺者の凶刃に倒れるまでの間に訪れた場所な
どの写真を時系列に並べてあり、象山が最後に京都に住んでいた家
跡に建てられた碑や、真田信之の菩提寺(ぼだいじ)・妙心寺大法
院にある象山の墓、木屋町にあった坂本龍馬の住居跡などの写真も
紹介しています。
昨日私も実際にパネル展を拝見させていただきました。会場に入
って最初に目に入ったのが象山直筆の手紙です。提供者で旧松代藩
御用商人八田家子孫の八田愼蔵さんから、手紙にまつわるお話をお
聞きすることができました。写真や資料も50点ほど展示されてお
り、主催者であるNPO法人「夢空間松代のまちと心を育てる会」
の方からもそれらについて丁寧に説明をしていただきました。八田
さんのお話、象山の手紙、写真が語り掛ける当時の出来事などを紡
いで物語化できたら面白いなあ・・・と思いました。
今回は、いつものメルマガとは、全く違うものになってしまいま
した。
そういえば、少し前ですが「流転の善光寺仏」という題名で映画
を作りましょうという話がありました。善光寺仏は、時の権力者で
ある武田家(信玄・勝頼)、織田家(信忠・信雄)、徳川家康、豊
臣秀吉と所持者が変転して、最後にまた信濃の善光寺に戻ってきた
という大変数奇な運命を持った仏様です。制作されればすごく壮大
な映画になりそうですよね。