2011(平成23)年3月11日。後に、東日本大震災と名付
けられた東北地方太平洋沖地震および大津波による大規模地震災害
が東北地方を中心に発生しました。
早いもので、あれから2年が経過しようとしています。当時は被
害の大きさや範囲の広さなど、あまりの衝撃に言葉を失った方が多
かったのではないかと思います。当初、いわゆる文化人と呼ばれる
人々から、「自然がもたらすこうした大災害を前に、いかに文化が
無力であるかということを思い知らされた」というコメントがあり
ました。
しかし、震災による混乱が少しずつ収束し、避難所での生活が一
応の落ち着きを見せ始めたころ、芸能関係者や、多くの音楽家、演
出家などが被災地を慰問に訪れた様子をマスコミ報道などでご覧に
なった方も多いことと思います。そうした報道に接する中で印象に
残っているシーンがあります。それは、弦楽四重奏団が奏でる音楽
に涙している被災された皆さんの姿でした。身内を亡くされた方も
いらっしゃったでしょうし、津波によって家屋から家財まであらゆ
るものを流されてしまった方もいらっしゃったと思います。音楽に
癒やされつつも、音楽を聴きながら、頭をよぎるさまざまな思いに
涙されたのだと感じました。
そして、コンサート終了後のインタビューに、「明日から元気に
前を向いて生きていきます」と答えられた被災者の気丈な姿が、今
も鮮明に記憶に残っています。被災されたことにより気持ちが弱く
なり、心が折れる思いをされている多くの方々の心に再び灯をとも
し、生きることの勇気を与えたのは、音楽という文化の力であるこ
とを実感した一こまでした。
そしてまた、各地の伝統文化・行事は、被災して散り散りになっ
た方々をまとめ上げる大きな力にもなることを、多くの報道から垣
間見ることもできました。
こうした被災地での例は、文化そのものが持つパワーを感じさせ
てくれます。また、それぞれの地域が持つ歴史・風土の中で、人々
のたゆみない営みを通して育まれてきた地域の文化は、人々をつな
ぐ力、すなわち絆を育む力であるということを再認識させてくれま
した。
さて、長野市では2015(平成27)年春の竣工(しゅんこう)
に向け、新長野市民会館である(仮称)長野市民文化芸術会館の建
設を進めています。現在、会館運営のための「運営管理実施計画(
案)」を策定し、「育む」「楽しむ」「創る」「つなぐ」を基本コ
ンセプトに、この会館を拠点として、市民参加による文化芸術の展
開を図ろうとしています。
文化を軸とした都市の未来像を語ることは、長期的な視点に立っ
て地域としての大きな夢・価値観を共有することにもつながります。
例えば、(仮称)長野市民文化芸術会館を拠点として育った多く
の市民楽団などが、会館内にとどまらず、被災地での例のように、
時に病院や介護施設などのロビーでコンサートを開き、時に街角で
にぎやかな音楽を響かせるような展開があれば、都市として本当に
豊かで素晴らしいことだと思います。
文化芸術会館の建設を契機とした市民の皆さんによる文化芸術に
ついての真剣な議論と積極的な行動が、いずれ大きな花を咲かせ、
都市としての魅力・包容力の拡大につながるとともに、そうして培
われた文化芸術は、「都市の誇り」となっていくと信じています。