少子化の影響で、中学卒業者が平成17年と比べて平成31年には8割程度になるとし、
圧倒的に多い県立高校の再編についての議論が始まりました。
県内の高校は、県立は89校、市立は1校、私立18校(うち通信制2校)ということ
で、これだけ生徒数が減少すると、経営的な問題も勿論ですが、子供たちを教育する環
境や、子供たちのためにも、今のままでは成り立たないことは、事実であろうと思いま
す。
昭和30年代から40年代の高校生の急増期、県立だけでは足りなくて、私立高校にその分
を補ってもらったことは事実であり、以来、県教委は、高校入学者について、県立と私
立の定員の比率を一定に保って、共存を図ってきました。
その後、都市部では私立高校の躍進もあり、県立高も特色を出すために、英語科を設置
したり、総合学科を作ったり・・・だんだんにバラエテイーに富んだ形になってきまし
た。
しかし、そういう高校の工夫・努力にもかかわらず、少子化の流れは全ての高校が、存
在することは、難しくなり、ここ数年来、県教委はいろいろな検討をしてきたことは事
実でしょう。
高校に限らず、小中学校であっても、学校は地域にとっては大切な存在であり、地域の
中核になっています。
特にその学校の卒業生にとっては、青春時代の思い出がつまった場所、心の拠り所、と
言っても良いかもしれません。
生徒が減っても何とか学校を残そうというのは、地域の方々にとっては、当たり前のこ
とだと思います。
しかし、現在学んでいる生徒諸君とすれば、どうでしょうか?
あまりにも少ない生徒数の学校は、学校が社会へ飛び立つための準備の場と考えると、
仲間同士が切磋琢磨する機会が少なくなり、一生の友達に会えるチャンスも少ないなど、
学校が持つべき基本的な役割が不足することになるのではないでしょうか。
ましてや大人になってから、同窓会の楽しみをどうやってもてるのでしょうか・・・。
昨年から、検討委員会が何回も開かれ、県教委はそれに基づき今年6月、再編案を示し
ました。
長野市に関係のあることとすれば、松代高と長野南高を統合して、松代高の校舎を使う
長野西高の通信制や長野商、長野工の定時制を坂城高へ移す 2点でしょうか。
県教委のお話しでは、この案はたたき台ということで、これから議論が始まるわけです
から、まだ結論的なことを申し上げるのは、遠慮させていただきますが、私なりに感じ
たことを申し上げてみたいと思います。
松代高・長野南、両校とも、定員割れを起こしているわけではなく、生徒の確保は出来
ている学校です。
そして特に長野南高は、県立高校としては市内で一番新しい学校で、現在長野市では住
民が増えている地域にある学校です。
この2校が再編する学校として適当かどうか大変疑問があります。
定時制高校を坂城高に移すというのは、定時制は働きながら学ぶ場と捉えた場合、人口
や働く場が多い長野市内から離れた場所に移すというのは、如何なものでしょうか?
通信制については、性格上どこにあっても大きな影響は無いかもしれませんが・・・・。
その外にも考える問題がありそうです。例えば、お隣の中条高(中条村)、犀峡高(信
州新町)は、小さな高校ですが、そこへ通う生徒の半分以上が、長野市からの生徒だと
いうことですし、北部高(飯綱町)も長野市からの生徒が多いと聞いています。
現段階、県教委から長野市の意見を求められていませんが、川中島地区、更北地区の市
民会議でも、心配した市民の方から質問が出ています。
現在は、長野市教委が、検討委員会の長野市から選出されている委員さんに、意見を入
れずに事実の数字だけをご説明に歩いている状況です。
本市が「高校改革宣言」を発表した、市立皐月高の問題とも関係がある話ですから、い
ずれ、県教委と市教委が話し合って、きちんとした意見を申し上げる機会があると思っ
ています。
2005年10月21日金曜日
県教育委員会の高校再編案について
2005年10月17日月曜日
中山間地の活性化(農林業の再生は可能か)
1月1日、長野市は4町村を合併し、面積738.51平方キロの一段と大きな都市なりま
した。そしてその大きな都市の約70%が、いわゆる中山間地と言われる地域です。
長野市は人口38万の中核市ですが、非常に特異な形の都市構造になったと言えるでしょ
う。
長野市にとって、この中山間地をどのように運営していくか、都市部とのバランスをど
のようにとっていくか、合併後の大きな課題です。
長野市の農業、林業は、中山間地だけでなく、平地においても産業としては成り立ち難
くなっていることは残念ながら、事実でしょう。毎年行っている「元気なまちづくり市
民会議」でも、生産物の価格が安い、後継者がいない、等々のお話しが多く、根本的な
対策、施策がなかなか出てこないのが、実情です。農家の規模が小さいこともあって、
一部の林檎、白桃等の果樹以外は、かなり厳しい状況だと思います。
勿論、行政はJAなど関係機関等と協力して、いろいろな手段を講じています。農業指導、
機械化の補助、農業共済事業・・・最近は地域奨励作物(小麦、大豆、そば)を指定し
て補助金を出し、地産地消のお手伝いをしたり、農産物の直売所を設置したり、国が用
意した一番凄い補助金としては、中山間地域等直接支払制度もあります。ただいずれも
農村再興の決め手にはなっていないと感じています。
もっとみんなで知恵を出そうということで、中山間地市民会議等を開催して、各地域の
取り組み事例を発表しあい、お互いに刺激し合う試みも行っています。発表会には、い
ろいろな取り組みを聞かせていただき、大変参考になりました。
長野の農業は、小規模運営が多く、グローバルな取引が行われている農産物(農業製品)
は、価格的な競争には、まず勝てない。付加価値が高い、非遺伝子組み替え、農薬を使
わない有機農業・・・非価格競争の世界で頑張る必要性を感じます。
あるいは「そば」「おやき」のように、粉の生産から食まで、名物としてのブランドを
確立するなどの一貫生産、あるいは例えば葡萄からワインを作る等の工業化、が必要か
もしれません。それには資本の投下が必要なことは当然です。
観光との結びつきで、クラインガルテンやサラダパークの試み、都市住民との交流にも、
取り組んでいます。いずれにしても王道は無い、いろいろな施策を、辛抱強く、一歩一
歩積み重ねていくより仕方がないのでしょう。
目標は、中山間地に生活の根拠が出来ること、そして農業が自立して産業に育つことで
しょうが・・・・・。
林業の方が農業より厳しいと言われています。それは、農業の方が行政の援助があるけ
れど、林業の方はほとんど無い、それは外材の輸入がすっかり定着しているからです。
地元産材木使用のキャンペーンを行っていますが、経済行為として成り立つ、即ち産業
として自立するのは、なかなか難しいと感じています。
昔から「山持ち」という言葉は、金持ちの代名詞でした。長野市にも沢山ある「財産区」
は、市町村合併に伴なって、村有林を自分たちの財産として守りたいと言う手段だった
のでしょう。ですからそんな所へ行政の補助金を入れることは、有り得ない話しでした。
しかしながら、山林での重要な商品である材木の値段は、外材に押されて、桁違いに安
くなり、商売にならなくなったこと、山の手入れをする人が減ってしまったこと、等々
で維持が難しくなっている財産区が多いことも事実です。
しかし、現段階になって、山は都市部に対し、きれいな空気、きれいな水、人々の癒し
の場、さらに水害を未然に防ぐ保水の役目・・・・それらを提供してくれる山林の持つ
有用性が認識され、間伐を含めた山の手入れの必要性が叫ばれるようになってきました。
森林環境税も、目的税として有効という意見が増えているように感じています。
いくつかの地方公共団体でこの税を導入しています。現段階は、それしか山林の再生を
図る手段は無いのではないかとさえ感じています。
少し視点を変えて、生活の場として中山間地を捉えたとき、そこで成り立つ仕事につい
て考えてみました。中山間地での仕事の場として考えられることは何か、考えられる仕
事を拾ってみました(私の頭の中だけの考えです)。
山の管理作業、農作業、地域の溜池管理、農作業の指導、案内人(山のガイド)、雪掻
き、雪下ろし、一人暮らしの老人訪問、介護、消防団、福祉自動車・村内タクシーの運
転、買い物や生活の支援、食事作りや配達、地区内連絡係り、送迎、
育った人材にもよるが、地産地消の店を作る、特産品を作る等、新しい産業をおこすこ
とが理想。企業誘致も必要。意欲ある若者の定住策の実行、年次計画に基づく地区の祭
り、イベントの企画・実施。
ちょっと考えただけで、こんなに出てきます。これを有料で(即ち生活できるような組
み合わせは出来ないものか)。
地域の「真の自立」とは何か。地域住民と行政職員が協働により地区行政に参加し、役
割分担をし、支えあって地区を経営する姿。地域に産業、働く場があって自立して生活
できる環境・・・こんなことを夢見ています。
2005年10月14日金曜日
観光都市“長野”を目指して
長野市の発展を考える場合、人口が増えることが必要とおっしゃる方がかなり多いので
すが、現在の社会状況を考えると、合併以外に人口が増える要素はあまりないことは事
実でしょう。他県の例ですが、三重県のように、行政が大きな補助金を用意し、IT産業
の工場を誘致して何千人かの雇用を増やしたことは有名ですが、相手のある話ですから、
簡単に真似すれば良いとは言えません。
いろいろな方々の意見をお聞きしていますが、長野市はもっと「観光」に力を入れ、人
口増は難しいとすれば、交流人口を増やす努力をする、即ち「観光都市」「イベント都
市」として発展すべきであると言う提案をされる方が多いと感じています。その通りで
はありますが、しかし、日本中の全ての都市が、今そのことを狙っているわけで、競争
はかなり激しい、なまじの手段では勝ち抜くことは困難と思わざるをえません。
ただ、冷静に長野市と他都市と比較した場合、評論家的な発言ではありますが、観光都
市としての要素は充分に持っていると考えています。イベントだけとっても、東京、大
阪、京都等の大都市にはかなわないようですが、オリンピック以後、世界レベル・全国
レベルの大会や競技会等をこれだけ開催している地方都市は無いと思います。
オリンピック、パラリンピック、スペシャルオリンピックスを開催した世界唯一の都市
としての知名度を生かし、既存の資源をいかに上手に使うか、合併で得た素晴らしい資
源を活用できるか、市民の「おもてなしの心」が本物か、そして都市住民が癒しを求め
ている現代の風潮の中で・・・・長野市は「観光都市」「イベント都市」に挑戦する資
格は充分あると考え、当面の景気対策としても、元気なまちづくりの中心施策の一つと
しているものです。
観光、イベントを考える場合、まずなんと言っても善光寺です。年間600万人を超えるの
参詣者が訪れるという善光寺、平成15年のご開帳時には、たった56日で628万人の
参詣客を全国から迎えました。魅力を益々上げていくことが、重要です。お朝事、冬の
灯明まつり、ライトアップ・・・・そして周辺環境を整えて、ユネスコの世界遺産に登
録しようという運動がはじまっています。
松代。昨年の「エコール・ド・まつしろ2004」は市民の皆さんの参加を得て、素晴
らしい成果を上げました。それまで年間40万人前後の観光客だった松代に、一気に
86万人のお客さんがいらっしゃいました。そして2004年度の締めくくりに、一連
の活動が、日本広告大賞受賞という形で結実しました。本年に入っても観光客の出足は
好調と聞いています。今後ですが、松代にはまだ埋もれている多くの歴史・文化の魅力
スポットがありますし、歴史上の人物が輩出されています。これらをどう遊客・誘客に
繋げていくか、地域の方々の戦略に期待しています。
それと食や土産の開発も大切です。食べ物が美味くなくては、人が遊びに来ないと思う
のです。そしてなんと言っても松代の町が儲からなくては長続きしません。私が「エコ
ール・ド・まつしろ」で学んだことは、「思い切って決断すること」でした。
飯綱・戸隠・鬼無里。この三地区は、長野の高原を代表する地域でしょう。既にかなり
の知名度もありますが、観光のスポット、市民の楽しみの場として、今後の発展を目指
す地域です。昔からの魅力は沢山ありますが、特に人口30万人以上ある標高300mの
地(長野市街地)から、車で30分ぐらいで、標高1000m以上の素晴らしい高地に行
ける・・・こんな場所は世界的にも珍しいのだそうです。即ち、観光地としても、市民
の憩いの場としても、理想的な環境にあるということでしょう。自然を大切にしながら、
秩序ある開発を息長く行っていくことが重要と思います。トレッキングコースや乗馬コ
ースの設定、スキー場やキャンプ場、牧場、奥裾花の自然園の水芭蕉やブナ林、登山・
・・魅力を数えたらきりがありません。特にスキー場は、長野県の冬季間の観光を考え
た場合、無視できない貴重な存在です。
オリンピック施設の活用は、運動施設としての利用は当然ですが、観光スポットとして
も充分価値ある存在と考えています。指定管理者制度で民間活力を導入しながら、より
魅力的な場所にしていきたい。オリンピックを開催した都市として、スポーツを軸とし
たまちづくりをしたい、その中心施設です。
併せて、都市観光(市街地)も大切な視点です。長野市景観賞の建物や野外彫刻も増え
てきました。街並みの素晴らしさも、観光スポットとして活用出来るようになると思い
ます。美術館も東山魁夷館、北野美術館、水野美術館・・・その外、民間や法人等の活
動があり、都市観光の一助になっていただいています。旧長野駅の姿をもう一度復元し
ようという運動を始めた方々もいらっしゃいます。
都市部と中山間地の市民交流も今後発展していくはずですし、癒しの場として日本の原
風景は重要であり、大切にしていきたいと考えています。市内各地には埋もれている山
城、神社、仏閣など・・・歴史を調べてみると、素晴らしい資産になりうるものがたく
さんあります。これらをネットワークすれば、それだけで長野市民の宝物になりそうで
す。
茶臼山動物園もこの地方としては有数のものです。もっと宣伝してお客を呼べる、そし
て教育施設としても大切に育てたいと考えています。
それらをトータルして、近い将来、現在800万人台の観光客を1200万人まで増やそう
というのが、当面の目標です。
2005年10月10日月曜日
保育園民営化
次に保育園の民営化について、私の考え方を申し上げます。
長野市の保育園は、民間経営が41園、市営が44園(公設民営4園含む)であること
は、前回報告しました。(幼稚園については、県立短期大学付属幼稚園を除き、全て民
間経営ということも、前回報告しました)。
保育園については、民間であろうと市営であろうと、大枠では長野市行政の制度の枠内
で運営していただいています。例えば保育園を新設する場合には、必要性について審査
が行われ、認可を受けて初めて設置できるものですし、保育料も規準の部分は統一され
ていますし、経営内容についても、毎年市の保健福祉部が報告を受け、監査もさせてい
ただいています。
民間保育園に関して申し上げますと、それぞれの経営者の皆さんは、先生方、そして保
護者の皆さんと協力して、いろいろ工夫され、素晴らしい運営をしておられます。評判
も素晴らしいし、保育サービスが市営保育園より劣るなんていうことは全くありません。
・・・市営保育園も頑張っていますが、市条例等の縛りがあることから、特色ある運営
という面で申し上げますと、「市営」であるが故に、思い切ったことは出来難いという
面があります。
そして根本に横たわる問題として、お預かりしている子供さん一人当たりの費用が、計
算方法にもよりますが、市営の方が高い(年間:公立79万1千円、私立69万2千円)
ということが、あります。
現在、日本中で行財政改革が叫ばれています。小泉首相は「地方で出来ることは地方に」
「民間で出来ることは民間に」ということをキャッチフレーズにしておりますが、これ
は小泉首相でなくとも、実行していかなくてはならないテーマだと私は思います。
私は市長就任直後から職員に対し、行政が行っている全ての事業について分析し、「民
間と行政が同じことをやっている事業」「行政がやっているけれど、民間でも充分やっ
ていけそうな事業」「行政がやっている事業であり、民間では無理と思われる事業」
「法的にみて行政がやらなくてはならない事業」の4分類の表を作ってもらい、以来今
日まで、その表を睨みながら、行政を行ってまいりました。そして幾つかの事業につい
て民営化しておりますが、まだまだスピードが足りないと感じています。
その中でも特に保育園の民営化については、私の判断ミスもあってスタートに当たって
ボタンの掛け違いをしてしまったことを反省しています。もう少し現場の話し合い、即
ち保護者や保育士との話し合いを充分してから打ち出すべきだったと思っています。反
対しておられる保護者のご意見には、子供が慣れた先生と離れることが困るという意見
もありましたが、それは民間移管後、暫らく保育士を出向させるよう考えています。
そこで本年度に入り、有識者の方々にお願いして懇話会を開き、いろいろな意見をいた
だいています。
その中での議論を通して民営化への道筋、そして保育園の将来の姿、あるいは経営形態
などについて前回お話した「幼保一元化」や少子化による子どもの減少を踏まえた配置・
規模、といった問題を含めて議論していただいています。
その懇話会の結論を待って、長野市の姿勢を明確にし、市民の皆さんの心配を払拭して
から、民営化を進めていきたいと考えています。
地域の市民会議等での話し合いの中で、ひとつ大きな誤解があることを感じています。
即ち、民営化、即合理化ということで、廃園につながるのではないかというご懸念があ
るようでが、これは基本的に違う問題です。
もちろん、子どもの数が極端に減った場合にはいくつかの園を統合したり、廃園も考え
なければなりませんが、保育園は基本的に必要とする地域に市の責任で自らが設置、又
は設置を認可するもので、それぞれの地域において必要な規模の保育サービスをより合
理的に行う方法として民営化しようということであり、保育園の必要性ということは、
民営化か市直営かということとは、関係はありません。
2005年10月7日金曜日
幼保一元化と民営化について
幼保一元化と保育園民営化は分けて考えるべきであると、考えています。
まず幼保一元化について、考えてみます。
幼保一元化の問題は何とかすべきだということで、何十年も前から議論されてきたテー
マです。即ち幼稚園は、就学前教育ということで、文部省(現在は文部・科学省)の管
轄。保育園は、保育に欠ける子を預かるということで、厚生省(現在は厚生・労働省)
の管轄。寄って立つ法律が違い、管轄が違うが故に、二つのシステムは全く違う場とし
てそれぞれ発達してきたのです。
しかし、両方の現場を見学し、話しを聞いていくと、両者の違いは何だろうと考えさせ
られてしまいます。保育所の存在根拠になる「保育に欠ける」子供と言う意味はかなり
曖昧ですし、幼稚園以上の教育をしている例はいくらもあります、正規の保育時間が、
幼稚園より長いようですが、これも幼稚園が対抗上、預かり保育等を実施しており、違
いはわかりにくくなっている。極論すれば、違いは入園料の有無や保育料システムぐら
いといっても過言ではなさそうです。勿論幼稚園の先生は幼稚園教諭、保育所は保育士
ということで、資格が違うということで、このことも統合が出来ない一つの理由になっ
ているようですが。
ただ長野市の状況を申し上げれば、幼稚園は全て民間経営(県短を除いて)ですが、保
育所は民間経営が41園、市営が44園(公設民営4園含む)ですが、どちらも行政の
許認可を受けて、長野市の責任で保育を行っているけれど、ある部分を民間にお願いし
ているのが、実情です。ですから幼稚園の授業料は幼稚園が直接保護者から徴収します
が、保育所の保育料については市が保護者から保育料を徴収し、そこへ国の基準の運営
費などを足して保育所に渡すのが、原則です。
勿論保育所によっては、保育料以外に保護者の了解のもとに、別料金を徴収して、保育
の質を上げている例はあるようです。
歴史的な流れを振り返ってみれば、昭和30年代前半ぐらいまでは、幼稚園の方が保育園
より格が上といった発想があり、保育園が幼稚園に変わった例はあったようです。しか
し、その後、国の福祉政策重視という方向が定着し、幼稚園より保育所への補助金が優
遇される時代になって、現在は保育所の経営が幼稚園の経営より楽というのが、一般的
な世論といわれています。(経営責任が行政にあるということも、保育所の経営が安定
している一つの理由かもしれません)
保育所の全国大会などで、会長さんの挨拶を聞いていると、幼保一元化絶対反対と仰っ
ている、その中で幼保一元化は必要と申し上げるのは、かなり勇気が必要ですが、逆に
幼稚園大会等で、私が幼保一元化の必要性を申し上げると、納得していただけていると
感じます。そのことは上記の意見の証明であると私は考えています。
しかし、私はどうも納得がいきません。保育所と幼稚園は就学前の幼児教育ということ
では、ほとんど同じことをやっているわけで、それが違う制度で同じ土俵の上に乗って
いるとは言えない。不公平だと思うのです。保育所と幼稚園を同じ制度にして同じ名前、
例えば「幼児教育・保育施設」にする。教育内容の違い、保育時間の違いなどは、それ
ぞれの園の特色ですから、自由にやれば良い。保護者はその特徴を調べて、必要なサー
ビスと料金を提供してくれる園を選べば良い、と私は思います。行政の補助も一律であ
るべきで、本来は保護者に一定の補助をしてお任せすれば良いのではないでしょうか。
制度上、3歳未満児の養護中心の保育が保育所で行われてきたという状況の違いはあり
ますが、幼保一元化というテーマは、昔から不合理だということで、解決しなくてはな
らない・・そう大部分の人が感じていながら、そのままになっていた問題です。
本年、解決の第一歩になるかもしれない制度が試行されています。幼稚園と保育所を一
緒にした総合施設が、全国で36箇所認められました。そのうちの一つが県内で長野市に
認められ、若穂綿内の若穂幼稚園で行われています。この試行に必要な予算が国におい
て認められ、実施されています。
私は現段階まだ視察していませんが、なるべく早く見せていただきたいと考えています。
もしかすると、長年の懸案が解決に向かって動き出す最初の一歩になるのではないか・
・・・そんな思いで見守っています。
次回は保育園民営化について申し上げます。
2005年10月3日月曜日
中心市街地の小学校の統合問題について
中心市街地小学校6校の統合問題の検討がはじまったのは、平成6年ごろだったでしょ
うか。6校とは、後町、鍋屋田、山王、城山、加茂、城東の各小学校です。名称は「長
野市中心市街地のまちづくりと小学校の適性配置研究委員会」ということで、関係区長
さん、関係小学校のPTA副会長さん、そして校長会の代表、商工会議所の代表、関係市議
会議員、そして、まとめ役としての大学教授・・・・総勢35人ぐらいだったと思いま
す。
当時、この6校については、ほぼ中心市街地に位置し、中心市街地の空洞化、人口減の
ために、それぞれの学校はかなり小規模になってしまい、統合の必要性が言われていま
した。しかし、古い伝統校が多く、この議論は最初からかなり難しいと思われていたこ
とは事実です。しかしあまりに小規模になってしまうと、子供達にとって、教育的見地
から如何なものかということで、この検討会が始まったものです。併せて中心市街地の
空洞化が進み、なんとかしなくてはならない・・・そのためには統合された小学校の跡
地の利用も重要というまちづくりの観点もあったことは事実でしょう。
検討が始まった当時、議論はいったりきたり、私も商工会議所を代表して委員の一人だ
ったのですが、始める時は、当然オリンピック前に結論が出て、何らかのアクションに
結びつく(例えばオリンピック関連の利用)と思っていたのですが、途中から、これは
無理だと感じざるを得ませんでした。(実際、報告が出たのはオリンピック終了後、3年
目ぐらいでしたでしょうか。)
議論の中味はもう古いことですから、今申し上げても意味がありませんが、柳町の県営
住宅をオリンピックのメディア村に建て直し、そのあと一般に開放されるということで、
当然人口が増える予測が出てきて、城東は残すべきとの意見が決まり、北側の城山小、
加茂小についても、山手の飯綱地区の子供が通っている実態から、結論は先送りされ、
結局、後町小、鍋屋田小、山王小をまず統合することになり、長い議論の末、委員会の
中で投票を行って、統合先は山王小の跡地に決まりました。
ただその後、3校の通学区域の人口が西側の安茂里地区の人口が予想したほど増えず、
東側の人口が増えていることから、一番東側にある鍋屋田の場所の方が良いのではない
かとの議論が起きて、結局、委員会の意見は鍋屋田に変更されました。この間の経緯に
ついては、一旦決めた案を変更する等、不手際があったことは事実ですし、発足当時の
委員会は公開が原則ではなかったために市民の間に、不信感が生まれてしまったこと、
原則委員は個人の資格で出席して自由に意見を言って欲しいと思ったが故に、地域、学
校での内容公開は避けてほしいという申し合わせを行ったこと・・・等々、透明性、公
開性に欠けていたことは事実であり、申し訳なかったと思っております。しかしながら、
当時の委員会のあり方としては普通のことでしたし、公開では、委員の方々が意見を出
しづらいといったことも事実でした。
その後、長野市教育委員会では、この検討委員会での結論を尊重して統合する小学校は
鍋屋田小の跡地と決定しましたが、関係学校関係者や地区関係者等から、異論が出され、
教育委員会関係者が地域でいろいろ説明してきましたが、なかなか収まらず、市長とし
ても強行することは困難な状況と判断せざるを得ませんでした。
しかし、現実に中心市街地の小学校は、極端に生徒数が減少しており、一学年10人未満
という例もあるなど、子供たちの教育環境を考えれば、憂慮すべき情況と判断せざるを
得ませんでした。子供たちが一定人数以上の仲間と一緒に学び遊ぶことの喜び、社会性
の醸成、将来の仲間つくり・・・・それは人生を生きていくための大切なことだと私は
思います。
教育委員会が関係の保護者や地域の皆さんの意見を参考に一生懸命に知恵を絞った結果、
次のような方式があみだされました。
即ち、中心市街地の後町、鍋屋田、山王小の三小学校に平成17年度から通学区特例校
制度〔フリー通学区〕を導入し、3年くらいの動向を検証する中で、継続的に一学年2ク
ラス以上の生徒確保ができた学校は存続する。その目途が立たない学校は、近くの学校
に統合するということで、地域の皆さんと合意が成立しました。(ただこの原則は、中
山間地には適用できないと感じています。それは周辺に学校が無く、通学距離がありす
ぎるからです)。
将来的には、もっとフリー通学区は増えるかもしれません。それは「近くに学校がある
のに、通学区があるために遠くへ行かなくてはならないのは不合理である」と言う意見
はかなりの数、寄せられています。又、各小学校ではいろいろ工夫、研究して立派な運
営をして、多くの子供に来てもらえるようにしたい、と言う学校側や地域の努力にも報
いたいとの思いもあり、そうなれば通学区を自由にしたほうがよいのではないか・・・
と言う意見が強まることにもなりそうです。
いずれにしろ、この方式は問題の先送りだと言う意見もあるようですが、私はそう思っ
ていません。将来を担う子供たちのことを考え、地域の皆さんも納得して、最良の解決
方法を見出したのだと信じています。
そして仮に統合される学校が出た場合、行政とすればその場所に素晴らしい公共施設を、
地域の皆さんと相談しながら造ることになると思っています。