このたびの東北地方太平洋沖地震の発生を受け、ある市民の方か
ら、市役所第一庁舎と長野市民会館の建て替え方針を再考してはど
うか、というお手紙を頂きました。以下は、それに対して私が返信
した手紙の趣旨です。
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私も今回の東北地方太平洋沖地震による未曽有の事態をテレビの
ニュースなどで拝見するたびに、また、長野市から派遣した緊急消
防援助隊からの報告を聞くたびに、心が痛みます。罹災(りさい)
された多くの方々のご心境や、現在置かれているご不自由な環境を
思いますと、すぐにでも駆け付けて援助激励をしたいというのが偽
らざるところです。
当面は、こうした被災者の方々のお気持ちに配慮し、またお亡く
なりになった方々に対して哀悼の意を表するためにも、さまざまな
行事やイベントなどを自粛するようになると思います。現に、幾つ
かのスポーツイベントは、すでに延期ないし中止の決定がなされて
います。
とにかく今は、行政をはじめ、各種団体、そして長野市民が一丸
となって、全力を挙げ被災地への支援を行うことだと考えており、
緊急消防援助隊や保健師などの人的派遣はもちろんのこと、市民の
皆さんからの義援金や支援物資を被災地の避難所などへお届けして
いるほか、被災者の受け入れなどを精力的に進めているところです。
一方で、阪神・淡路大震災のときもそうであったように、数カ月
後には被災地の状況も一段落し、被災者の皆さんの日常生活も不自
由ながらも動き出すでしょうし、その頃には国による復興プログラ
ムも示され始め、わずかずつでも明かりが見えてくるものと思いま
す。また、そうあってほしいと願っています。
そして、将来のことを考えますと、さまざまな面で、いつまでも
日本中が萎縮し続けてしまうことは市民生活のみならず、経済全体
にとって決して良いことではありませんし、ひいては被災地の復興
のためにもならないことです。
私は、今回の大地震で改めて市民の皆さんの安全を守るためには、
地震に強いしっかりとした施設の建設が欠かせないと感じています。
決して起きてほしくないことですが、仮に長野市が罹災した際には、
庁舎は災害対策本部になる建物ですし、長野市民会館は市民の皆さ
んの避難所など、救援拠点になるはずの施設です。
私の使命であります「災害に強い都市づくり」のためには、仮に
罹災した場合でも、被害者支援のための行政機能をしっかり果たす
ことができる施設・体制をあらかじめ構築しておくことも重要だと
考えています。
一方で、ご指摘されているように、今後、合併特例債の扱いが変
更される可能性は否定できません。長野市民会館・庁舎ばかりでな
く、斎場建設などの特例債の活用を前提としている大型プロジェク
トにつきましても、国や県の対応が明らかになってきた段階で、必
要に応じて、国・県と協議を行い、しかるべき対応をしていきたい
と思っています。
被災地の状況、国の動向などを見極め、総合的に判断をするため
には、もう少し時間を頂きたいと思います。
また、お手紙にもありますとおり、小・中学校校舎の耐震化につ
いては、人的、物理的な限度はあるものの、できる限り前倒しする
ように進めたいと考えています。
さまざまなご助言ご忠告をありがとうございました。
時節柄、ご自愛のほどお祈りします。
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手紙を頂くまでもなく、今起きている事態の深刻さに大変な危機
感を持っていました。長野市という一地方自治体ができることは何
だろうか、どのように行動すべきだろうか、ということです。
今回の災害は、空前絶後の国家的危機であり、今後、おそらく社
会が変わる、変わらざるを得ない重大な事態に直面していると感じ
ています。ただ、非常時だからこそ慌ててはいけない、しっかり腰
を落ち着けて熟慮の上決断することが大切・・・という場面が実は
多いのだと、私は教えられてきました。
被災地から連日届くあのすさまじい惨状を見るにつけ、また被災
地の支援から帰ってきた消防局職員の話を聞くにつけ、子どもの頃、
実際に見た、終戦直後の名古屋市の焼け野原の記憶が脳裏によみが
えってきます。当時、伯母が満州から引き揚げてきて、たまたま名
古屋市に住んでいたことから、母に連れられて汽車に乗って訪ねて
行ったのですが、焼け野原というものを初めて見た記憶は、今でも
鮮烈に残っています。
でも、あの惨状から名古屋市は・・・いや日本はよみがえったの
です。東京はもっとすごかったのでしょう。長野市だって戦災を受
けているのです。
立ち上がるために、何をすべきか・・・当面の問題に適切に対処
することは当然として、そろそろ復興に向けた検討をする状況にな
っていると思います。
今、一番必要なのは、国のリーダーシップです。