2012年5月3日木曜日

お待たせしました、石家庄市訪問記です


 中国河北省石家庄市と長野市が友好都市協定を締結したのは、
1981(昭和56)年4月19日です。偶然にも、その日からち
ょうど31年目の同じ日に、友好都市締結30周年記念長野市民訪
中団が、石家庄市に向け日本を旅立ちました。東日本大震災により
一時訪中を見合わせざるを得ませんでしたので、30周年に1年遅
れての訪中となりました。昨年11月に石家庄市から記念訪日団が
お越しになりましたので、その答礼の意味もありました。
 訪中団は、私をはじめ、市議会議員、教育長、市職員、そして長
野市日中友好協会の会員や公募市民の皆さんからなる総勢50人の
大訪問団です。これまで5年ごとに訪問していますが、これだけ大
人数での訪問は今回が初めてです。30周年にふさわしい交流を行
い、24日に帰国しました(公募市民の皆さんは上海などを経由し
て26日に帰国しました)。

 19日の午後、北京空港に無事到着した私たちを石家庄市外事弁
公室の方が出迎えてくれました。バスで北京市内のホテルまで移動
しましたが、北京の空は薄暗く、ガス(多分スモッグでしょう)が
かかっていて、晴れていたのでしょうが青空は全く見えませんでし
た。北京オリンピックの時、中国は国威を懸けて大気の清浄化に取
り組み、その結果かなり大気汚染は改善されたと言われたようです
が・・・どうだったのでしょうか。

 その日の夜、訪中団全員で夕食を取りました。朝から移動、移動
の連続で、同じ訪中団とはいえ公募市民の皆さんとあいさつを交わ
すことができたのは、この時が初めてです。「やあ、あなたも来て
いたのか!」などといった感じで、本場の中華料理を囲み、仲間同
士で楽しい時間を過ごしました。実質的な結団式のような感じでし
た。

 翌朝、バス2台に分乗して高速道路をひた走り、北京から約
300km離れた石家庄市へ向いました。
 高速道路沿いに植えられている木は、前回25周年記念の訪問時
に比べ大きくなっていて、木々の向こうに見える畑は緑一色で、よ
く耕作されていました。このような風景が延々と続きましたが、そ
の所々に田園風景とは不釣り合いの集合住宅のような大きな建物が
建っていました(古いものも多く見掛けました)。尋ねてみると、
農民の居住用住宅とのことでした。
 途中、サービスエリアでの2回の休憩をはさみ(施設は、以前に
比べてかなり奇麗になっていて、売っている商品も豊富になってい
ました)、約4時間かけて石家庄市に到着しました。石家庄市に近
づくにつれ、道路は車で混雑し、ビルも林立。中心市街地は、10
年前と比べるとすっかり近代的な都市になっていて、その差には驚
きました。人口は、1千万人を超えたとのことです。

 早速この日に、「経済懇談会」が開催されました。長野市側は、
市関係者のほかに公募市民として参加いただいた市内の企業関係者
が出席しました。石家庄市側は程凱(てい がい)副市長が中心と
なり(副市長は7人いて、投資、観光などに担当が分かれているそ
うです)、企業や学校の代表者なども出席して、企業提携や進出な
どについて具体的な話ができました。過去に行った同様の会議に比
べ、さらに前進した会議だったと感じています。実を結ぶことがで
きるかどうかはこれからが勝負でしょう。
 それにしても、異言語で交渉するこうした会議の時に感じるのは、
微妙な言葉のニュアンスを通訳して相手に伝えるのは難しいだろう
なあということです。どのように伝わっているのか、通訳の方はか
なり大変だったと思います。

 予定ではその後、石家庄市長への表敬訪問が予定されていました
が、香港出張が入り急遽(きゅうきょ)キャンセルとなり、程凱副
市長との会見となりました。これまでの両市の交流を祝福するとと
もに、相互交流の大切さを確認し合い、さらなる交流の推進に向け
意見交換を行いました。また、この席で、3月市議会でも答弁させ
ていただいたとおり、核兵器のない平和な世界の実現を目指す「平
和市長会議」(長野市は2009(平成21)年に加盟しました)
への石家庄市の加盟を要望しました。ちなみに中国では、北京、大
連など7市が加盟しています。

 その日の夜、友好都市締結30周年記念式典が行われました。記
念式典は、すごい仕掛けが用意されていて、ステージの壁には長野
市と石家庄市の交流を表すモチーフが描かれた豪華なバックボード
があり(結構お金が掛かっているなあと思いました)、ステージ前
には30人ぐらい座れる大きな円形のテーブルが置かれていて、石
家庄市の幹部と長野市側では私や市議会議員、教育長がぐるりとテ
ーブルを囲みました。また、石家庄市芸術専門学校の生徒の皆さん
による京劇や二胡(にこ)の演奏、合唱など盛りだくさんの出し物
で「熱烈歓迎」のおもてなしを頂きました。長野市側からは、長野
市日中友好協会の皆さんが日本の歌を披露し(私も舞台に引っ張り
出されました)、公募市民として参加した中野清史市議会議員がフ
ルートを演奏して拍手喝采を浴び、獅子舞の笛を吹かれた方もいる
など、市民同士の交流が大いに盛り上がりました。
 余談ですが、強い酒を「干杯(カンペイ)」の発声で飲み干す中
国特有のしきたりには、前回の思い出もあり、戦々恐々としていた
のですが、今回はそうしたお酒の強要は少なく、こうした面でも中
国は変わってきているなあと感じました。

 石家庄市滞在2日目に、両市の「観光PR活動」を行い、石家庄
市からは、観光事業関係者や観光専門学校の学生、一般市民約80
人が参加されました。訪中団には、ながの観光コンベンションビュ
ーローと長野市開発公社も参加していて、DVDなどを使用して長
野市の観光について説明しました。DVDはこの日に合わせて制作
したとのことでしたが、内容は充実していて宣伝効果はなかなかの
ものだったと思います。

 また、長野市の郷土料理を紹介する企画として「おやきの試食」
が行われました。公募市民として参加いただいた鬼無里いろは堂の
伊藤夫妻の出番です。中国では、福島第一原子力発電所事故の影響
で、長野県の食材が輸入停止措置を受けているため、現地の材料し
か使えないという、伊藤夫妻にとっては不安を抱えての調理だった
と思います。しかし、市日中友好協会の女性の皆さんもおやき作り
を手伝い、無事におやきが出来上がりました。イベント終了後、会
場の出口で石家庄市側の出席者に配りましたが、作った200個の
おやきはあっという間に品切れとなり、おいしいと大好評でした。
私も食べたかったのですが・・・一つも私の口には入りませんでし
た。

 その後、石家庄市の歴史や将来の都市計画を見ることができる
「企画館」に案内いただきました。中でも、2020年の同市の姿
のジオラマにはびっくりしました。遠大なまちづくりが計画されて
いて、近隣の地域を吸収し市域を拡大するとともに、現在の市の中
心部にある市役所を郊外に移転し、そこを政治・文化の拠点とし、
中心部は商業・経済圏にするというものです。道路や河川、鉄道、
体育施設、マンションなどの大規模な建設計画が予定されています。
財政が豊かでないとできない話で、どんな財政構造なのかじっくり
話を聞きたい、8年後の石家庄市をぜひ見てみたいと思いました。
長野市の市民会館や市役所庁舎、サッカースタジアムなどの建設計
画と比較すれば・・・その規模の違いに圧倒され、今回の訪問で一
番ショックを受けました。まさに、カルチャーショックです。

 夕方、長野市の議会に当たる「石家庄市人民代表大会常務委員会」
(人代)の楊智輝(よう ちき)代理主任と長野市議会祢津栄喜議
長の会見が行われました。長野市議会からは、岡田荘史市議会日中
友好議員連盟会長、小林治晴議員、野本靖議員、小林義和議員、田
中清隆議員、望月義寿議員も出席しました。また、引き続き行われ
た人代主催の晩さん会で、長きにわたる両市交流の尊さを話された
のが長野市日中友好協会の山根敏郎会長です。会長と中国との交流
が60年にわたるとの話もお聞きし、感服した次第です。

 滞在3日目に、王大虎(おう たいこ)常務副市長と王大軍(お
う たいぐん)副市長主催の夕食会に出席しました。王大軍副市長
は、昨年11月に友好都市締結30周年記念訪日団の団長として長
野市にお越しになっていますので、多くの方が再会を喜び、楽しそ
うに歓談していました。

 滞在4日目の最終日には、堀内征治教育長を中心に石家庄市外国
語学校を視察しました。毎年長野市が派遣する中学生がお世話にな
っている学校です。中国全土から優秀な子どもを集め、幼稚園から
小学校、中学校、高校までの一貫教育を行っているエリート校です。
スポーツでは卓球が必須科目で、大きな卓球場には卓球台が50台
あったそうです。観客席付きの立派な陸上競技場がグラウンドで、
その他、音楽、芸術などの専門教室もあり、教師は世界中から集め
ているとの話でした。

 徹底的なエリート教育で、大学入学統一試験を受ければ、どこか
の大学には入学できるそうですが、生徒は北京や上海の超エリート
大学を目指して必死に勉強するのだそうです。6月がいよいよ大学
受験期ということもあり、生徒は真剣になっているとのことでした。
確かに素晴らしいと思いましたが、でも何か違和感も覚えました。
 
 教育長は、一貫教育のメリット・デメリット、教員の資質向上な
どの意見交換のほか、障害のある子どもの教育環境についての長野
市への視察や、教育面での交流事業のさらなる拡大などといった石
家庄市側の具体的な要望についても情報交換をしたようです。

 こうして、3泊4日の石家庄市の訪問はたいへん充実したものと
なりました。とりわけ、石家庄市外事弁公室の皆さんのご苦労は並
大抵のものではなかったと思います。感謝の気持ちと惜別の思いを
抱きながら石家庄市を後にし、再び北京に戻りました。
 
 帰国当日の朝は、午前4時に起床し、午前5時20分にホテルを
出発して、バスで北京空港へ向かいました。あらためて、空港の大
きさに驚き、さすがと思いましたが、搭乗ゲートまで歩く距離が半
端ではなく長いこと、喫煙所の数が少ないこと(愛煙家の私には、
これが一番つらい)にはいささか閉口してしまいました。おまけに、
雨により視界不良との理由で、飛行機の離陸が約2時間30分も遅
れるなど、疲れ気味の私にはかなりこたえました。

 こうして訪中団は、その任務を終え、全員無事帰国しました。友
好都市交流を将来にわたり継続することの大切さを実感するととも
に、これまでの交流の中心であった学生交流に加え、今後は今回企
画した経済、観光分野での交流をいっそう推進したいと思っていま
す。
 そして今回の訪問は、住み慣れた郷土・長野市をあらためて外か
ら見つめなおす良い機会となりました。長野市の美しさ、清らかさ、
そして自然の豊かさを再認識するとともに、これこそ長野の「宝物」
だと確信することができました。これからもっともっと長野の魅力
を、国内はもとより世界に向けても発信していきたいと感じていま
す。