20世紀は、大量生産、大量消費、そして「大量廃棄」の時代で
した。科学技術の飛躍的な進歩、そして額に汗して皆が一生懸命
働いた結果、私達は便利で物質的には豊かな社会を手に入れまし
たが、その反面で失ったものもまた多かったのではないでしょうか。
ローマクラブ(注1)が1972年に出した最初の報告書『成長の
限界』は“地球の有限性”についての様々な因果関係を科学的に
予測したものであり、私達に地球の資源は有限だということを教え
てくれましたし、1973年の第一次石油ショックは、資源の枯渇と
いうことが現実の社会に起こり得るということを示唆してくれたの
です。しかし、資源や環境問題を意識していても人間はなかなか
変われない。より便利で、より豊かな生活を夢みて依然として努力
している。海・湖沼・河川・大気の汚染、砂漠化の進行、森林資源
の枯渇、オゾン層の破壊、最近の異常気象など、そんな話を聞くと、
「我々は今破滅に向かって突っ走っているのだ」とおっしゃる識者
の言葉も何となく真実性を帯びて感じられる。そのくらい地球環境
は深刻な状況であり、地球の生き残りに向けて地球全体で考え、
対策を講じなければならないのだと言われています。先進国の温室
効果ガス排出量について、法的拘束力のある数値目標を各国毎に
設定した京都議定書が結ばれたのも、そんな時代の流れを敏感に
捉えたものなのでしょう。天然資源の消費を抑え、環境への負荷
をなくす持続可能な社会の構築が不可欠になったということです。
(注1)ローマクラブ=1968年に世界の科学者、経済学者などが
集まって活動を開始した民間団体。環境・人口問題など地球的規模
の課題に取り組んでいる。
平成12年6月2日に公布された循環型社会形成推進基本法では、
循環型社会を構築するための人類全体の優先順位を示しました。
1.廃棄物の発生抑制
2.使用済み製品の再利用
3.回収品を原材料にリサイクル
4.資源として利用できないごみを製鉄所などでエネルギーとして
利用
5.残った廃棄物の埋め立て等の適正処理
というものであり、この基本法を決めたということは、非常に重
要なことという認識があって、今後いろいろな法律が作られる、そ
の予告みたいなものでしょう。
さて、長野市行政の中で、その趣旨を生かすためにどうすればよ
いか、関係部局が中心になって一生懸命考え、施策に取り組んで
います。今年、長野市が環境マネジメントシステムの国際規格であ
るISO14001を取得したのはその手始めであり、今後「ながの
環境パートナーシップ会議」の皆さんと相談しながら、ダイオキシン
対策、省エネ、温暖化防止、循環型社会への取り組み、ごみ対策
などあらゆる場面で最大の努力をしてまいります。ただ平成13年度
のごみ処理量は、「減量しましょう」という取り組みにもかかわらず、
過去最高になってしまいました。これにはいろいろな原因があるの
でしょうが、まだ分析は終っていません。しかし、ダイオキシン対策
の一環で野焼きを禁止し、家庭にあった小型焼却炉の使用をや
めていただいて回収したので、今までは家庭で焼却していた落ち
葉や枝下ろしの小枝や刈った芝などが、可燃ごみとして出てきたと
いうことが考えられます。全てを堆肥化するのは無理でしょうから、
一時的な問題として受け入れざるを得ないのかも知れません。ただ
いずれにしても、リサイクルや焼却をするには大きなエネルギーと
経費がかかりますので、資源物も含めてごみ総量を減らすというこ
とが、最も重要であることは間違いありません。
行政の立場としては、市民や事業者の皆さんと行政の三者が連
携共同して、環境共生のまちづくりを進める「ながの環境パートナ
ーシップ会議」を通して、ごみ問題の解決をどうしても行わなけれ
ばなりません。
市民の皆さんには賢い消費者として、まずごみの分別というやっ
かいな作業にご協力をお願いします。リサイクルを進めるためのポ
イントは、まず分別、それも技術の進展に伴ってだんだん細かい分
類を示して分別をお願いすることになるのではないでしょうか。
ごみにならない製品等の購入に努めていただくことも必要でしょう。
また、長野市環境美化連合会を通じ、各区の環境美化推進会長さん
にお願いし、ごみの分別・減量に関してリーダーシップをとってい
ただいてますが、こういった地域住民と一体となった取り組みも
さらに必要となるでしょう。
さらに、事業者の皆さんには、製造・販売者としての立場からご
みになりにくい製品等の製造・販売とともに、ごみ発生量の少ない
原材料を使用していただく。また、リサイクルしやすい製品づくり
や使用済み製品の回収システムを考える、等々をお願いしていく
ことになるでしょう。
行政は市民のコンセンサスを得ながら、リサイクル製品などを購
入するグリーン購買、ごみ減量への取り組み、リサイクルのシステ
ム作り、そしてごみ処理の最終処理をすることになるのでしょう。
そんな中、市としてはリサイクルを推進するために、新たな分別
をはじめました。これは、容器包装リサイクル法という法律の要請
でもあるわけですが、家庭ごみの容積比で約1/3を占めるといわ
れているプラスチック製容器包装の分別です。集められたプラス
チックは再生プラスチックの原材料やエネルギーとして効率的にリ
サイクルされることになります。現在、市内の10%のお宅でモデ
ルとして分別していただいてますが、来年度はモデル地区を一部
拡大し、平成16年度には全市で実施できるよう準備をしています。
プラスチック製容器包装を分別することは、最終処分場の延命化
にも直結することなので、ぜひご協力いただきたいと思います。
こうしたそれぞれの役割分担をお願いしてごみの減量に取り組み、
そしてその取り組みが相当の効果をあげたとしても、焼却施設や最
終処分場などの必要性をゼロには出来ないでしょう。もちろん理想
は不必要にしたいけれど、現状の技術水準や社会の仕組みを考える
と、最低限の施設整備をしなければならない、それも迷惑施設的な
イメージを転換し、地域づくりの核になるような施設として整備し、
周辺の環境を美しくする取り組みを最大限にやらなくてはならない
ことを覚悟して、計画段階から地元の皆さんはもとより市民の皆さん
の意見をお聴きする中から整備を進めることが重要でしょう。
長野市の一般会計(平成13年度、約1300億円)に占めるごみ
処理費に関する支出は約38.7億円であり、構成比では約3%
ですが、そのうち約1/4は、各集積所から清掃センターや最終処分
場へ、ごみや灰を運ぶ費用が占めています。この他にも最終処分場、
リサイクルプラザ建設、ダイオキシン類対策工事など施設整備に伴う
経費でも、平成4年からの10年間で約142億円を費やしています。
これらの費用は今後増加することはあっても減ることはないでしょう。
ごみの発生が減らない限りは・・・・・・。でも何とか減らしたい、
税金の投入を少しでも減らしたい。ごみ処理経費の削減のためには
発生するごみの量を減らし、リサイクルも経費がかかることを認識し、
処理する量そのものを極力減らしゼロ・エミッション(注2)をどの
ように図っていくか、民間感覚で何が何でも取り組んでいきたいし、
模索していかなければならないのです。市民の皆さんのアイデアを
ぜひお寄せください。
(注2)ゼロ・エミッション=工場からの排水・排ガス・廃棄物・熱
などの汚染物排出をゼロにする試み。
2002年7月25日木曜日
ごみ問題を考える
2002年7月23日火曜日
浅川ダムに関する公開質問状について(号外)
7月10日に市役所で行った市長定例記者会見では、6月議会も
終って、いよいよ本年度事業が本格的に始まるということで、長野
市の施策についていろいろ発表させていただきました。しかし、記
者さん達の興味はどうしてもダム問題にあるようで、発表した事柄
はそっちのけで、ダムに関する質問に集中してしまいました。時あ
たかも不信任可決後、知事がどういう判断をされるかということが
話題の中心であった時期であり、それも無理はないかという思いで
お聞きし、私なりにお答えしておりました。
ただ、よく考えてみると、ダムの中止に伴う諸問題についてこの
約2年間、県から私たち長野市をはじめ関係市町村に何の相談もあ
りませんでした。技術的なことはもとより、地元住民とのいろいろ
な約束事についての対処すべき事柄の話が一度もないという異常事
態に気がつきました。対応が少し遅いというご批判は甘んじてお受
けしますが、これはどうすべきであろうか考えました。記者会見で
質問されても、私の意見、あるいは県が過去長野市も了解して作り
上げてきた浅川の河川整備計画については語ることが出来ますが、
ダム無しによる治水対策は県が何を意図し、どういう計画をもって
いるのか、本当にそれでよいのかということなどを、市民に問いか
けることすら出来ない状況なのです。すなわち浅川沿いの住民の方
に、ダム無しの河川整備計画の具体的な案がないのでは、その是非
について問いかけも出来ない・・・・・・。
そこで、本来的にはダム無し案の具体策をお聞きしたいのですが、
県議会の討論をお聞きしている限りそれはまず無理であろう(現段
階、何も無い?)から、せめてなぜ長野市を含め流域市町に対し相
談がないまま、「止めた」のですか?という問いを投げかけさせて
いただこうということになりました。知事の任期が7月15日まで
ということで時間がなかったため、7月12日に豊野町長さん、小
布施町長さんとは電話で協議を行い、急遽知事宛に質問状を出させ
ていただきました(残念ながら時間の都合により、砥川関連の岡谷
市長さんや下諏訪町長さんへの連絡は出来ませんでした)。当日は
急なことでしたので、知事に直接お渡しすることはできませんでし
たが、政策秘書室の方にお渡しするとともに、写しを土木部長さん
にお渡ししてきました。
2002年7月18日木曜日
大室古墳館のオープン
皆さんは国の史跡の指定を受けている大室古墳群をご存知ですか?
この大室古墳群を多くの皆さんに知っていただけるよう、7月7日
にかねてから整備してきた古墳館が完成し、その開館式と祝賀会が
開催されました。古墳群の真中に瀟洒(しょうしゃ)な建物と駐車
場が整備され、館内にはトイレやお休み所のほかに、古墳の様子が
わかるように分布図、構造説明板、出土品などが展示されており、
あまり大きな建物ではありませんがきれいに整備されていました。
駐車場までの道路の整備が十分ではなく、乗用車でもすれ違いはか
なり窮屈な状態ですが、古代の人々が作り上げたこの古墳を見学に
来ていただければ幸いです。長野電鉄の河東線の大室駅で下車して
いただけば、歩いて15分くらいです。途中には古い神社や田園風
景もあって楽しい散歩道かなとも思っています。
開館式には地元の皆様や関係者が大勢出席していただいたことは
勿論ですが、この大室古墳を国の史跡に指定していただくことに大
変お力をいただいた「史跡大室古墳群整備委員会」の先生方も参列
いただき、大変意義の深い式になりました。特にその先生方の中で、
現在山梨県立考古博物館館長の大塚初重明治大学名誉教授は、昭
和26年に大室古墳群における初の発掘調査に参加されて以来、半
世紀を越す年月の間、先生のライフワークとしてこの調査に取り組
んでこられ、また、戦後のまだ食べ物が少ない時代に村の皆さんか
らリンゴを差し入れていただき、同行学生と食べながら発掘作業に
携わったことなど、思い出話をされました。先生の長いご努力に驚異
と尊敬の念を抱くとともに、古墳の発掘は地元の皆さんと一体になっ
て進めるものなのだということを教えていただいたように思います。
開館式に先立ち、私は寺尾小学校の子供達や校長先生と一緒に、
古墳館から谷あいの古墳群の中を約1時間半にわたり歩いてきまし
た。杉林に囲まれた山道は、里の暑さを忘れさせてくれるすがすが
しさの中、あちこちに古墳が存在し古代へのロマンを駆り立ててく
れました。そして、途中から左手の作業道路に入り、山の上に登って
みると、市内を展望できる素晴らしい景観になります。普段運動不
足の私が、小学校の子供さんに負けてなるものかと一生懸命歩きま
したので疲れましたが、ホワイトリングが真正面にそして善光寺平
が一望に臨める場所に着いたとき、その疲れが吹っ飛んだような気
持ちになりました。
ただ、若干の心配は、この散策路に数ヶ所のゴミの不法投棄が見
受けられたことです。私たちの郷土の貴重な資産を次世代に引き継
ぐため、今後このようなことが起きないような対策も必要になると
思います。
祝賀会では、この古墳にかかわってきた方々、特に当時寺尾中学
校に在籍しておられた故栗林紀道先生、そして若き同僚であった北
村保先生の大変な努力、そして寺尾中学の生徒達の協力があったこ
とを教えていただきました。その時の調査記録が全ての出発点だっ
たようで、北村先生の栗林先生に関する当時の思い出話しは、聞く
者を思わず涙ぐませるようなご挨拶でした。
国の史跡に指定された範囲に存在する古墳は約200ぐらいだそ
うですが、5世紀から8世紀にかけてかけて造られ、この地域に現
存している古墳は500基以上が存在しています。石を積んだ積石
塚がこれほど密集した古墳群がほかに存在しないということですし、
天井が三角屋根をした合掌形石室は、全国でも40例ほどしか知ら
れていませんが、この大室古墳群には25基が分布しているなど、
大変貴重なものであります。その調査はようやく端緒についたとい
うことのようで、調査と整備はこれからも続くようです。
多くの謎を秘めた日本最大の積石塚古墳群「大室古墳群」を、こ
の夏ぜひ体験してみてください。
2002年7月11日木曜日
長野市野外彫刻のこと
去る7月2日に南長野運動公園で第29回長野市野外彫刻賞受賞
作品の表彰式とその作品の除幕式を行いました。これは平成13年度
の分の除幕式で、本来的には今年の3月までに行うべきだったので
すが、三人の作者がそれぞれ製作活動で海外に出ていらっしゃった
りしていたため、日程がなかなか合わずこの時期になったものです。
宮脇愛子さんの「うつろひ」という作品は、水生植物をイメージ
したものでしょうか、水の中から繊細な金属で出来た水草のような
ものが伸びて、風に揺れている、そんな作品でした。前田哲明さん
の「UNTITLED 02-A」という作品は、これも金属で出来て
いましたが、密集した林を想わせるこれまた素晴らしい作品。
いたずらされそうでちょっと怖いのですが、作者は「大丈夫、メン
テナンスもやりますよ」と言ってくださいました。山根耕さんの
「つなぎ石 作品-38」という作品は、10トンぐらいの巨石2個
と8トンぐらいの巨石の組み合わせ、地下100mの石切り場から
切り出した石だそうで、運動公園の池の水ととても合って「作品
にふさわしい場所に置かせていただいて有り難い」とおっしゃって
いたのが印象的です。いずれもどちらかというと、抽象的な作品で
すが、南長野運動公園の雰囲気にはとてもマッチした彫刻のように
感じました。
この野外彫刻賞について少し調べてみました。発案されたのは、
故夏目忠雄市長さんで昭和48年のことだそうです(昭和48年と
言えば第一次オイルショックの年、29年も前のことです)。以来、
毎年3~6作品を設置してきていますが、当初は民間企業の寄付金
に長野市が土台等の設置費を負担するという形で行われてきたよう
ですが、企業もそういつまでも継続は出来ないということになり、
以来、長野市が中心になって資金を出し、柳原市長、塚田市長と
歴代の市長が毎年継続してきているものです。
今年の除幕式で野外彫刻は、総計124作品になりました。これは
凄いことです。これだけの彫刻をもっている都市はまずありません。
これは市内全域を美術館になぞらえた「野外彫刻ながのミュージア
ム構想」を展開し、野外彫刻をとおして芸術文化を身近に感じるこ
とのできる潤いある環境づくりを進めているものであり、長野市の
誇り得る素晴らしい財産として、将来「野外彫刻のまち」ということ
で世界に売り出せること確実です。
ここまで来る事ができたのは、はじめた頃、審査委員長を務めて
いただいた、土方定一(ひじかた ていいち=元神奈川県立近代
美術館館長)さんという大物先生が審査員として権威をつけていた
だいたこと、若手彫刻家の登竜門にしようという意図があったよう
ですが、それが完全に定着したこと、そして過去に入選して設置さ
れた作品の作者から、文化勲章の受賞者が2人出るなど、このイベ
ントが間違っていなかったことを証明していると思います。
ただ、これだけの成果があるのに、一般的な知名度がまだまだ低
い。長野市民にとってもそうですが、市外から、長野の野外彫刻を
見に行こうという声が聞こえてこないことは残念です。宣伝が下手
ということも事実ですが、長野市が広いため124作品が分散してい
て、皆の印象にあまり強く残っていないことも原因ではないでしょ
うか。過去は相当数をそれぞれの地域に分散してきたので、これか
らは皆さんと相談の上、そろそろどこか場所を決めて、集中的に話
題になるような置き方も必要なのではないでしょうか。
当初の選考方法は、いろいろな作品の中から選考委員さんたちの
提案で数点選び出し、買取交渉をし、決定後に設置場所を選定して
いたようです。現在はまず設定場所を長野市が各地区の希望や設置
可能性などを調査しておいて、選考委員さんにその場所を視察して
いただいて、個々の作風からその場所に一番ふさわしいと思われる
方を選定し、交渉するというやり方をとっています。いずれの方法
が良いか、ということは無いのでしょうが、今のやり方は、どちら
かといえば地区要望が強く出て、順番や持ち回りとなることは避け
られないようです。
野外彫刻は永久にその場所に残るものですから、その地域にとっ
ては大切な芸術品として、また、地域のシンボルと考えていただき
たいと思うのは当然として、作者の皆さんにとっても、ご自分の分
身を設置するようなものですし、将来長い間の市民の鑑賞に耐える
ものでなくてはならない。やり直しは出来ないということで、大変
なプレッシャーのようです。これらの作品を大勢の皆様に鑑賞して
いただくため、昭和54年度から野外彫刻めぐりを実施しております。
今年度も5月~11月にかけて、7回実施いたしますが、殆どのコ
ース(定員20名)が抽選になるほどの盛況ぶりです。「広報ながの」
でもお知らせしていますので、お時間がありましたらぜひお申し込み
ください。
長野市とすればこの野外彫刻展がますます発展し、権威が高まり、
話題にもなって、将来「野外彫刻のまち 長野」として世界に情報
発信をしていければうれしいなあ、と夢見ています。
2002年7月8日月曜日
浅川ダムは土石流をとめる最大の手段(号外)
荒れる浅川も最近は天井川の河川改修がかなり進んでいますので、
あまり危機感がなくなっています。某メディアの調査では、流域で
はダムは要らないという人が多いという調査が発表されました。浅
川から100m以内の方を対象にした調査のようですから、昔から
その地にお住まいになっていた住民があまり対象になっていない調
査でしょう。「昔から浅川流域に住んでいる方は、あの辺には家を
造らない。それは浅川の氾濫の危険性を知っているから」そう語る
方もいます。でも、現在そこに住んでいる住民の方々はそのことを
知らない。なぜなら河川改修が進んで、当面は危険がないようにみ
えるからです。でもそれは絶対ではありません。過去にあった雨量、
すなわち既往最大の雨があれば危ないのです。ましてや温暖化が進
んで異常気象で大雨が頻繁に降っている状況では、既往最大より多
い雨が降らないと誰が保証してくれるのでしょう。ダム計画がある
から安心して家を造ったという方もいるでしょう。
ダムがいらないとおっしゃる方に対しては、もし(100年未満
で)50年に一度以上の雨が降って被害があった場合、私は申し訳
ないけれど、長野市は責任を持てません。皆さんがそれで良いとお
っしゃったのですから・・・・・・・・・。そんなことは言えない
ことは分かっています。でもそれではいかにも長野市は可哀相では
ありませんか?既に工事が始まっていたのに、誰かが理念でいらな
いとおっしゃって、流域の方もそれでよろしいとおっしゃっている
とするなら・・・・・・・。しかし、長野市はそれでは困ります、
基本高水流量の切り下げだけは、何がなんでも認めませんよと申し
上げているのはそう言う理屈なのです。自己責任の社会はこのまま
では動かなくなります。
すみません、また基本高水流量の話になってしまいそうです。今
回はその話より、安全性の話をするつもりでした。
浅川上流の土質は崩れやすいと言われています。だから、ダムを
造ってもすぐ埋まってしまい意味がないとダム反対派はおっしゃい
ます。でも、もしそうなら、浅川ダムがなければ、上流からの土砂
により河床はどんどん埋まってしまって、せっかく河川改修を行っ
ているのに、また天井川になってしまうのではないでしょうか?現
に改修が終った部分ですでに1mから土砂が溜まっているという報
告もあります。川の浚渫(しゅんせつ)をすればよいとおっしゃい
ますが、コスト的にかなり厳しいものがあるようですし、その度に
水辺の生態系は変わってしまうでしょう。浅川ダムが完成すれば、
確かにダムに溜まった土砂をどう排除するかという問題はあります。
素人考えですが、このことについては、ダム湖上部の一定区間は地
すべり対策として通常の水位面まで盛り土を行いますので、結果と
して上部からの土砂はここに多く堆積するものと思われます。さら
に浅川ダム湖の周囲には管理用の道路がある上、渇水期にはダンプ
カーや重機が土砂排除のために入っていくことが容易であり、河川
流域での土砂排除より作業は簡単ですし、安全だと常識的には思え
るのですが。
ダムを造っても土砂が堆積してダムの効用がなくなるという説は、
私は間違いだと思います。そういう土質(岩盤ではない)だとする
なら、ダムがなければ、全ての土砂や流木は下流に押し出してくる
わけで、土石流の発生原因や天井川という危険な川になる原因にな
ることは事実のようです。
先日、国土交通省の河川局長さんにお聞きした話ですが、「ダム
は土砂や流木を止め、土石流の発生を防ぐ役割がある。長野県は日
本で一番災害の多い県(面積が極端に広い北海道は別です)であり、
それは長野県の急峻な地形による地崩れが大きな原因です」という
お話をお聞きしました。
先人が治水を一生懸命考え、過去営々と努力していただきました。
それなのに具体策を先送りして理念だけで止めてしまい、流域住民
を危険にさらしてよいのか、ぜひ考えていただきたい。
次回は、それではそのダムそのものが崩れるということが起こる
可能性があるのか、地震とか断層とはどういう関係にあるか、そん
なことを書きたいと思います。ご期待ください。
浅川ダムの平面図・横断面・縦断面と土砂の堆積場所については
http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/hisyo/zumen/asakawa.htm
をご覧ください。
2002年7月4日木曜日
長野センタービル取得問題(その2)
先週号では長野センタービルがどのような経緯で空きビルとなり、
そのためにどのような取り組みをしてきたかを書かせていただきま
した。今週は、長野センタービル取得のためにどのような活動をし、
今後どのように活用していく予定なのかについて書かせていただき
ます。
私は市長に就任する前、商工会議所の副会頭として、また、NU
PRI(NPO法人・長野都市経営研究所)の理事長として、長野
センタービルの今後の在り方について各方面の方々といろいろ話し
合いました。その結果「長野センタービルは長野市に寄付する」し
か方法がないと結論付けました。もちろん私の仲間にも、行政が私
企業の契約行為の中にはいるべきではないと主張される方もいらっ
しゃいましたが、この経済情勢ではあのビルを競売しようとしても
民間では買えない。そうであると、あの長野市の核の場所がかなり
の間、空きビルとして灯りが消えたまま存在することになる。また、
現段階は大変な不況なので民間企業に元気がない、この際はぜひ行
政に出てほしい。景気がよくなったら再び民間が行政から買い戻し
たってよいではないかと考えたことも事実です。
センタービルを長野市が取得するために、ダイエーに対し債権の
切り下げと担保解除の交渉に乗り出しました。(株)長野センター
ビル(以下NCBとします)関係者には、本当に自分たちの財産が
無くなってもよいのか意思確認をしました。残留したテナントの意
思もさぐりました。銀行にもいろいろお願いしました。もちろん弁
護士や会計士にも相談しました。そして、これが最善という考えを
まとめ、昨年8月末、長野商工会議所として長野市に対し、あのビ
ルの取得を陳情したのです。(寄付を前提にしていたのですが、結
果的には残念ながら、2億円を払わざるを得なくなったことは、申
し訳ないと感じてはいます。ただ実質的な価値は、約8億円程度と
いう話もありますのでお許し願いたい。また、この2億円はNCB
には一銭も入らず、ダイエーの担保抹消の対価として全額ダイエー
が取得します。その意味で、長野市はビルそのものの取得のために
2億円負担するのであって、NCBという民間企業の支援をするの
でないこともご理解下さい)
その後、市長になった私は、今までと立場が変わってこのビルを
取得するかどうかを判断する立場になってしまいました。市役所内
の意見、そして議会の意見をできるだけ多く聞くように努めました。
職員の中には「ビルを寄付してもらっても毎年の固定資産税が入ら
なくなる」という意見もありましたが、私は、「ビルを所有してい
る会社はどうせ潰れる、そうすれば税が入らないことは同じだ。
もっと大切なことは、善光寺と長野駅、県庁と市役所、その交差す
る真中の場所、言葉を変えれば長野市の核が消滅しただけならまだ
しも、灯りが消え長く空きビルになることは街の活性化の面から、
なんとしても避けたい」ということを説明してきました。
この議論の最中に提出された意見の中には、長野市がビルを取得
すると、今後この種の問題が生じた際、全てを受けなくては行政の
公平性を保てないという意見がありました。私はこれに対し、1.
長野市にとって有効な資産であり、有効に使える。2.実際価値よ
り相当低い価格で取得出来る。3.商工会議所など、公的組織等が
取得を求めている。という三つの条件を付け、その条件が整ってい
るなら、議会の了解を得て、積極的にならざるを得ないと考えまし
た。
さらに、市民の皆様がこの問題についてどのように考えているか
をお聞きするため、1月20日に市民対話集会を急遽開催しました。
この集会には驚くべきことに516人の市民の皆様にご参加をいた
だき、賛成意見や批判的意見(反対意見は基本的に無かったと思い
ます)、更には具体的な活用方法に至るまで様々な意見が寄せられ
ました。この集会を通し、長野センタービルを長野市が取得すると
いう基本的方向性については、一定の理解をいただいているという
ことを確信する良い機会となりました。
実際に長野センタービルを取得するに当たっては、一部の土地の
賃貸借契約や既存の借家人の権利関係をどのようにするか。また、
ビルの運営主体や改修費等の経費をどのようにしていくかなどの課
題も多くありましたが、関係者の皆様のご協力により解決すること
が可能となり、6月の市議会定例会においてご了解をいただき、正
式に長野市が長野センタービルを取得することとなりました。
ビルの管理運営に関しては、長野商工会議所が主体となるTMO
(注)に委託する方針も認めていただきましたので、今後は、長野
市の財産となったあのビルを市民の皆様が利用しやすい施設とする
ため、公共性の高い市民ギャラリー、市民交流スペース、福祉関連
施設、商業施設やチャレンジショップとして再利用する案について、
検討を進めてまいりますし、これからも、地元商店街の皆様や住民
の皆様の意見をお聞きしていきたいと考えています。
中心市街地の活性化には、核となる店舗のほかに、個々の商店の
魅力なくしては成り立ちません。そのためには行政のみならず、地
元商店街や経済団体等の自助努力、協力体制も大事な要素となって
おり、民間と行政のコラボレーション(協働)により街の活性化を
積極的に進めていきたいと思っています。
(注)TMO=タウンマネジメント機関の略。商店街・中核的商業
施設の整備などの事業を運営・管理する機関
2002年7月2日火曜日
浅川ダムの安全性について(号外)
田中県知事がとうとう浅川・砥川のダム中止を決定してしまいま
した。今後どのような展開になるかは不明ですが、ダム建設が永久
に駄目になってしまったのか、それともこのあと展開が変わって復
活できるのか、それは分かりません。ただ現段階としては、知事の
発言は単なる宣言みたいなもので、実際には発注していた工事契約
は破棄するとしても、法的には河川法に基づく河川整備計画の変更
を作って国の認可を得るという手続きに入るまでは、この問題は一
歩も進まないということになりそうです。
ただ、市長としては、流域住民の生命と財産を守る義務を有する
わけで、今回の知事発言はどうしても納得がいきません。理由は脱
ダム宣言以来一年半の間、ダム推進派にとって全く無駄な時間をす
ごす中で、中止するならどのような代替策をとるかという具体的な
話が一つもないまま、「それは、これから検討します」では、いっ
たい何を考えていらっしゃるのかということです。
当初、浅川ダムの完成予定は平成19年3月だったわけで、この
ダムさえ完成すれば100年に一度の大雨にも耐えられるというこ
とで、みんな枕を高くして寝ていられると考えていたのですが、現
在の状態では安全な日々を送ることができるのかは、何時になるか
分からないということでしょう。
脱ダムは結構ですが、浅川・砥川の治水対策について「工事の一
時中止の為、もしかすれば2年ぐらいは遅れるかもしれませんが、
代わりにこうしますから皆さん安心して下さい。」という具体策が
ない限り、首長としては絶対に認めません。また、河川整備計画の
策定においても市町村長の意見が一番重要ということを、国土交通
省の河川局長さんから確認してきましたので、このこともお知らせ
しておきます。
さて、県議会で知事のダム中止発言がある前までは、あのような
論理性に欠けた検討委員会の答申を読んで「やっぱり浅川はダムが
必要なんだ」と知事が考えられるのではないか、という淡い期待も
あったことは事実です。従ってあの発言があるまで私は、答申のあ
り方については批判してきましたが、知事への批判は控えてきたつ
もりです。しかし、6月県議会において「あの答申を尊重する、ダ
ムを止める、具体案として緑のダムと遊水地」との発言をお聞きし
て、これは駄目だと判断し、長野市、豊野町、小布施町の流域三自
治体はもちろん、砥川の岡谷市、下諏訪町の首長さんたちと連携し
行動をおこしました。長野県市長会としても異例の速さで反応し、
知事や県会に対し「具体案を早く」という陳情を行い、国に対して
も意見を求めてきたわけです。
さて、私はこのメールマガジンで数回にわたり、浅川ダムについ
て基本高水流量のことを中心に述べてきました。それだけが原因と
は申しませんが、この基本高水流量に関しては、市民の皆様の理解
が深まり、田中知事ですら浅川の基本高水流量は450立方メート
ルを当面の目標にすると言わざるをえなくなりました。要は既往最
大の330立方メートル、あるいは350立方メートルで良いとお
っしゃる方々の理論が、いかにご都合主義のまやかし議論であった
かということが明らかになったわけで、その意味では答申も無視さ
れ、この基本高水の論議は終ったと思います。知事は「当面の目標」
とおっしゃって問題の先送りをして延命を図り、将来の変更に含み
を持たせていますが、相当合理的な理由がない限りそれは無駄な努
力でしょう。
ただ、もう一つの論点、すなわちダムが安全なものかという議論
は、私が敢えて発言を避けたこともあって若干消化不足でもあり、
市民の皆さんに分かりにくかったかなと反省しています。私は検討
委員会の浅川部会の始まった際、「安全論議はプロの世界、素人が
議論しても感情論になるだけ」と考え、ダムの安全性を議論した
「浅川ダム地すべり等技術検討委員会」における日本的権威10人
の学者さんがまとめた結論以上のものはないと考え、あえて議論し
ませんでした。私は地質とか断層という話に全く素養はありません
ので、その考えに今も変わりはありませんが、ただそのことの説明
責任については若干問題があった。私は説明責任をいうときは説得
責任も伴うと思っています。もう少し市民のみなさんに分かってい
ただける話をすべきだったと思います。
そこで、今後はダムについて様々な角度から検証を行い、重力式
ダムと穴あきダムの特性、ビオトープなど新しい水辺の文化、鉄砲
水を防ぐ最良の手段としてのダム、ダム100年の歴史における土
質と工法・同一土質・断層上の例、緑のダムへの日本学術会議の答
申と沿川における遊水地は可能性、治水は上流と下流のコミュニケ
ーション、などのテーマについて、何回かにわたり配信してみたい
と思います。若干不定期になるかも知れませんが、市民の皆さんに
ご理解いただけるよう、素人の私が理解した部分を書いてみたいと
考えています。