** オリンピック聖火 **
オリンピック直前の1997年12月、年末押し詰まったなかで、ギリシアのアテネで、聖火の採火式に参加し、その聖火を皆で日本まで運んでくるというイベントが行われました。NAOCが日本からアテネまで、ジャンボ旅客機を借り上げ、「聖火の翼」ということで日本中から希望者を募り、成田からアテネへ直行便を飛ばしました。勿論長野市の人が多かったと思います。私も頼まれて運賃を払って御一緒させてもらいました。
アテネに着いて、オリンポスの遺跡の中で太陽光から採火式が行われ、クーベルタンの森でトーチに移し、まずギリシア国内をランナーが走り始め日本国内に繋がりました。
日本国内では有名人も含め、色々な方がランナーを務められました。私も最終日、丹波島の橋から、約800mぐらいでしたが、軽井沢に来ていたオリンピックキャンプに参加していた若い女性と並んで、トーチを持って走らせていただきました。開会式はその流れの中でスタンドの高い処へ連れていかれ、伊藤みどりさんの点火の瞬間は比較的近い場所で見ることが出来ましたが、でも折角用意していた良い場所のチケットは無駄になりました・・・
** チーム98 **
オリンピックの本番に向けて、ボランテイアを広く求めたいということがあって、NAOCの公式組織として、「チーム98」と命名されたボランテイア組織がありました。フレンズクラブ代表の私が、たまたまその組織の代表も務めることになってしまい、混同していた面もあるかと思いますが、どちらも長野オリンピック開催に大きな力を発揮したと思っています。チーム98には全国から、数万人のボランテイアの皆さんが集まり、汗を流して下さいました。会場の整備・警備・駐車場整理など、ボランテイアの皆さんがいて下さらなければ、どうなったことか・・・本当に感謝です。
フレンズクラブについては、必ずしも公的扱いではありませんでしたが、それぞれの工夫で素晴らしい活動をしていただきました。皆さんが自前のお金で、自由に取り組んでいただいたことは前述の通りです。
チーム98についてはNAOC組織の一部でしたから、オリンピック成功のため、NAOCの要請を受けて多方面で努力していただいたのですが、動きはフレンズクラブのように気軽に動くことは出来なかったということでしょうか・・・でもスパイラルの応援を現在も行っていただいている浅川地区の皆さん、Mウエーブの応援を一生懸命やっていただているM友の皆さん、どちらもオリンピック終了後、まだまだ頑張っていただいていること、本当に有難いことです。