** 冬季オリンピックの招致 **
この運動は数年がかりの活動でしたので、色々な場面がありました。
先日来、市民新聞で塚田元市長さんが、ご自分のやってこられたIOC委員の招致活動等を詳細に語っておられます。いずれは纏めて単行本などになるだろうと予測していますので、私はそれとは違う観点、特に裏話を中心にオリンピックのソフト面も含め、フレンズクラブやチーム98(ボランテイア)の活動についても、何らかの記録を残しておくべきと考えまとめてみました。ただ詳細・公式な記録は、長野商工会議所内にある「フレンズクラブのあゆみ」に載っていますのでご参照ください。
私は私なりに、自分の関係してきたことを記録として残しておきたい、そんな思いでこの文章をつくっています。
1998年長野冬季オリンピックが行われ、長野は世界の”NAGANO“になりました。そのことに大きくかかわれたこと、私は誇りに思っています。
長野オリンピック招致が話題になりはじめたのは、1980年代、昭和で言えば60年以後の話でしょう。塚田元長野市長の登場は昭和60年、あの地付山地滑りの年です。
長野市議会で青木誠元市議が、議会質問で最初に声を上げたと聞いています。県議会でも話題になっていたようで、いずれにしろ、どういう人が、どういう経緯で声をあげていくか、その後の発展に大変重要な関係がある。最近そんなことを感じています。
公式に考えればいろいろ難しい問題はあるのでしょうが、「まあいいや、やってみよう!」くらいの感覚だったのでしょうか。米国の“アスペン”へ、夏目幸一郎さんに連れられての旅行もそんな時期だったように思います。
最近、塚田元市長さんの回顧録が市民新聞の紙面を飾っています。特に外国の方との折衝は、市長さん独特の英語を駆使しておやりになったこと、招致活動の実質的な責任者として、お亡くなりになった奥さんと一緒に世界を飛んで歩いたこと・・・まさに招致への“正史”として、よく書けていると感心しています。
それとは違う私のオリンピックとのかかわり、何年か経てば、多分忘れられてしまう歴史を、まさに裏話として市民の皆さんの心の隅に何らかの形で残ってくれたら・・・
JOCの中での争いだった日本での国内予選。記憶は定かではありませんが、1989年、旭川、山形、盛岡、長野、四都市の争いだったでしょうか。私たちはJCや会議所会員が中心になって、この予選を戦い抜くためにJOCに投票権のある方々を(当然のこと、スポーツ団体の会長さん達でした)、大学の先輩・後輩等の御縁をいかしながら、東京方面へでかけ、ぜひ長野に投票を・・・とお願いして歩きました。
幸い、この争いは4都市がプレゼンテーションを行ったあとの投票で、長野が一発で立候補の権利を取得しました。そのときのJOCの役員さんのコメントをテレビでみていたのですが、「実際のオリンピック本番は約10年以上後の「1998年」の話、その時まで、市長として責任をもてそうなのは、4人の市長のうちで長野の塚田市長だけだ・・・」とおっしゃっていたのが、印象的でした。(もうひとつ私が気の毒だと感じたのは、その時の旭川の得票が“0”だったことでした。)
長野は、過去、第二次世界大戦で中止になった幻の東京オリンピックの時も含めて、冬季五輪には何度か立候補しようとしたことがあったそうですが、当時は長野県内すら一つにまとまらず、正式立候補はできなかったと聞いています。そこで今回は、長野県経営者協会会長・八十二銀行の小林頭取さんが音頭をとり、県内の行政やスキー場関係者を纏め、オリンピック開催の栄誉は「都市」に与えるというIOCのルールに基づき、国内的には「長野市」と決めて県内一本化に成功したとお聞きしています。
それより少し前、1987年 カナダのカルガリーへ出かけました。88年は韓国で夏季オリンピック、カナダのカルガリーで冬季オリンピックが開催される年ということで、その一年前のカルガリーの準備状況を視察に行こうということで、塚田市長さん、会議所の高木副会頭さん等々で視察にでかけました。
カルガリーは石油の町で、長野市よりはるかに大きな都市でした。
スキー場は、遥か離れたロッキー山脈の中で、そこでも雪が足りない可能性があるということで、ゲレンデにスノーマシーンを用意しているとの話を聞いて、大変だなあとの感想をもちました。
平原の町ですから、ジャンプ台はすごい工夫の産物でした。平地に大きな穴を掘って、その掘った土を片方に盛り上げて大きな丘をつくり、その頂上に、ジャンプのスタートタワーを建て、そこからジャンプ台のアプローチが出来ていて、掘った穴の手前部分の斜面がランデイングバーン、そして穴の底から向こう側が当然上り坂になっていて、そこで選手が止まる・・・これで良いなら平原や町の中でもジャンプ競技はできそうだなあと感じました。
ボブスレーのコースは、プラスチックの筒状のものがあったような記憶があります。
スケートの会場は、カルガリー大学の体育館。カリガリー大学の学生寮がオリンピック村になる予定とか。
圧巻はアイスホッケー会場の大きさ、素晴らしさでした。会場の一番後ろの高い席から見下ろすと、アイスホッケーリンクが、ボクシングのリンクより小さく見えました。さすがにカナダのアイスホッケーは、北アメリカの世界一のリーグと同一プロリーグということで、桁違いに素晴らしい施設でした。