2011年12月29日木曜日

農業への想い、もう一度


 今年も、最後のかじとり通信を書く時期になりました。
 昨年12月30日付けのかじとり通信で、農業者を増やしたいと
主張したところ、思いのほか早く準備・調整が進み、今年の4月か
ら新規就農者支援事業を始めることができました。
 現在まで12人の皆さんが、助成金の受給者に決まっており、既
に長野県農業大学校に入学したり、市内の里親農家の指導を受けた
りして、専業農業者への道を歩んでおられます。年間目標人数の
30人にはまだ至っていませんが、来月1月にもう一回、本年度分
の募集をしますので、目標に少しでも近づいてくれることを期待し
ています。この事業を10年間続ければ、年30人で合計300人
の農業者が生まれるわけで、長野市の農業の大きな担い手になるは
ずです。

 国でも長野市の取り組みに刺激されたかのように、来年度から同
じような事業をスタートさせると聞いています。長野市は、対象者
を原則として40歳未満としたのですが、国の制度では原則45歳
未満とするそうです。細かい違いは別として、国でもやってくれれ
ば、長野市の負担は減ることになりますし、もっと違う事業に資金
を回せるかもしれません。

 昨年も紹介させていただいたことですが、長野市には、この新制
度とは別に、平成5年度から行っている就農促進奨励金支給事業が
あります。この事業は、資格などについて細かい規定を設けずに、
農業委員さんに推薦していただき、認定審査会で認定を受けた人に
対し、奨励金(40歳以下10万円、41~55歳5万円)を交付
している制度で、今年は24人が選ばれました。昨年は今年と同程
度の25人でしたが、一昨年までは毎年おおよそ10人程度でした。
新規就農後2年以上経過した就農者という応募資格を昨年度から1
年以上に緩和した効果かもしれませんが、人数が倍以上に増えたこ
とは、素晴らしい成果です。
 実は、以前この奨励金の受給者約100人の就農状況について追
跡調査をしましたら、ほとんどの人が農業に引き続き従事している
ことが分かりました。今の長野市の農業において、こうした皆さん
が果たす役割は大きく、この事業は大変有益なものであると思って
います。

 12月20日、市役所で就農促進奨励金の交付式を行い、24人
の皆さんに奨励金をお渡ししました。その際の皆さんの決意表明は
本当に立派で、意欲に満ちており、農業への強い思いを持って取り
組んでおられることがよく分かりました。
 これまでサラリーマンとしてお勤めされていた人がほとんどでし
たが、農業のことをよく知っておられましたので、大部分の皆さん
が農家出身という感じでした。農業委員さんが推薦されただけに、
この皆さんなら長期にわたって農業に従事し、長野市の農業発展に
貢献してくれそうだなあと感じました。

 農業経営には、広い農地を確保する必要があります。そのため、
こうした農業支援策をむやみに拡大し、農業者を増やせば良いとい
うものではないと感じています。ただ、当面は農業者を増やしなが
ら、農業で生活できるシステムをつくることが必要でしょう。

 かじとり通信に「新規就農者支援について」を書いてから1年足
らずで、事業がある程度形を成してきたのには、ちょっとびっくり
です。通常は、初年度に制度設計をし、庁内の議論、有識者を含め
た検討委員会で協議、議会への説明などを行い、次年度から募集と
いうように時間がかかるのですが・・・。もちろん、関係機関の協
力が大きかったのでしょう。それにしても、新規就農者の支援が国
を巻き込むほどの事業になりそうなことは、国の政策も含めて行政
としては異例と言えるほど早い対応でした。私が普段よく言ってい
る「いい加減が良い」ことの典型的な実例かもしれません。時間を
かけて完全な状態にしてから始めるよりも、未完成でもスピード感
をもって実施し、その後修正を加えていく方が効果的なのです。

 これほど早く長野市が事業を進めることができ、また国も同様の
事業を始めるのには、次のような要因がありそうです。
(1)農業者の高齢化と後継者不足が限界に近づいている
(2)農業委員、農協など、地域の農業関係者の危機感が大きい
(3)国は農業政策をいろいろやっているが、再生に向けての決定
打にはなっていない
(4)長野に国の農業政策をリードする政治家がいた
(5)長野市の制度は、市単独事業として取り組める規模であり、
ある程度の成果が期待できた
(6)長野市の制度は地域の実情から出てきたものであり、反対が
なかった

 しかし、10年後ぐらいに、長野市の農業が隆々としていなくて
は、私の政策判断が誤りだったということになります。祈る気持ち
で期待しています。

 長野市の農業生産額は、果樹が圧倒的に多く、米などの穀物は少
ないようです。そこで、今後、農作物の売り上げを伸ばすためには、
品質の優れた果樹を中心に外に向けて販売していくことが重要にな
ります。
 今、先進的な農業者は、インターネットでの販売に取り組んでお
り、生産者の紹介や商品の特徴など細かい情報がそこには掲載され
ています。昔はよく普通の商売でも「顔の見える商売」と言いまし
たが、まさにこれは顔の見える商売と言えそうです。
 もう一つは、海外に販路を求めることも重要だと思っています。
海外で食べる果物の味の悪さを経験されたことのある人も多いと思
います。長野市の果物が宝物のようにすら感じられます。素晴らし
い長野市の果物を何とか世界に売っていきたい。そんな野望を抱い
ています。

 今年最後の市の政策会議で、TPP(環太平洋経済連携協定)が
心配などという内向き思考では駄目、攻めの農業を開始しようと、
その方法論を検討するよう関係部長に指示しました。
 同じころ、長野県農政部が、「目指せ農業所得1,000万円」
という事業を打ち出したことが新聞報道にありました。若手農業者
の企業的経営能力を高めるもので、「信州農業MBA(*)研修事
業」というのだそうです。詳細な中身については分かりませんが、
農業に具体的な光が当たり始めたということであれば、これほど素
晴らしいことはありません。

 市内には農業者に「8桁会」という団体があることは、以前かじ
とり通信に書かせていただきました。8桁とは1千万円の位ですか
ら、県の事業は、まさにこれと同じように、農業所得を増やそうと
いう政策だと感じています。農業は「もうかる商売」なんだと分か
れば、若い人も大いなる夢を描いて、この業界に入ってきてくれる
と私は信じています。

 2年続きで、年末のかじとり通信は、農業再生に懸ける私の想い
を書きました。
 来年こそ、明るい希望に満ちた良い年にしたい!皆さん良い年を
お迎えください。

*MBA:Master of Business 
Agriculture

2011年12月22日木曜日

今年のふるさとNAGANO応援団意見交換会


 長野市に縁があり、首都圏でさまざまな分野で活躍されている皆
さんにお願いして、平成19年10月に「ふるさとNAGANO応
援団」を設立してから4年がたちました。メンバーの皆さんがお持
ちの高度な専門知識、豊かな経験、広い人脈から、これまで多くの
ご意見、アドバイスを頂くとともに、広く長野市をPRしていただ
くなど、まさに長野市の応援団として活動していただいています。
今年新たに二人の方をお迎えし、メンバーは現在38人です。いず
れも心強い皆さんです。新メンバーのお二人をご紹介します。
 鎌原正直さん(三菱レイヨン株式会社取締役社長/長野市出身)
 柄澤康喜さん(三井住友海上火災保険株式会社取締役社長/長野
市出身)
 長野市の存在感をもう一段高めるため、新たな視点からのご支援
をお願いします。

 メンバーの皆さんには、実際に長野市にお越しいただき本市の現
状を視察していただいたり、都内での意見交換会に参加していただ
いたりしています。今年の視察は10月29日に行い、イヤーキャ
ンペーンを展開中の篠ノ井地区と信州新町地区を訪問していただき
ました。意見交換会は、11月28日に都内で開催しました。

 今年の意見交換会では、「中山間地域の活性化」「ながのシティ
プロモーションの推進」「長野県短期大学の4年制化」の3つにテ
ーマを絞り、まず私がそれぞれの現状や課題について説明し、その
後、意見交換に移りました。以下、それぞれのテーマについてお話
しした概要と、それに対してメンバーの皆さんからどんなお話があ
ったか、要約させていただきながら、できるだけ意見交換会の雰囲
気が伝わるようにご紹介したいと思います。

(1)中山間地域の活性化
 長野市域の約4分の3の面積を占める一方で、人口は市全体の約
1割である中山間地域の活性化は、大きな課題です。小・中学生農
家民泊誘致受入事業や、本年度から始めた農業政策の目玉である新
規就農者支援事業、農業法人化事業、薬草栽培など、中山間地域の
活性化を探る各種取り組みについて説明しました。また、野生鳥獣
による農作物の被害がとても大きいことなどについてお話ししまし
た。ちなみに会場では、長野市農業公社の「ながのいのち」ブラン
ドの新商品として、若穂保科地区の農家グループ「信州ほしな食彩
園」さんと洋菓子店「手作りケーキ工房キャロット」さんが共同開
発した「シフォンケーキ」と「ほし~な・りんご姫(アップルパイ)
」を皆さんにお配りし、ご賞味いただきました。

 まず、最初に話題となったのは農家民泊事業についてです。「小
・中学生が農家民泊し、農業を経験することは大事なことだ」「山
がきれいだ、星がきれいだというように長野市にほれ込んでくれれ
ば、なおいい」といったうれしい感想を頂きました。また、薬草栽
培については、「どの薬草を選ぶかが非常に重要であるため、戦略
的に考えなければならない」といった専門分野からのご意見や、新
規就農者支援事業については、「補助金を出すというやり方もある
が、根本的にビジネスモデルをどう変えていくかという開発を両建
てでやる必要がある」といった意見も頂きました。
 また、「国土交通省が、2050年の1平方キロメートルメッシ
ュの人口予想を出している。それによると、現在、人が住んでいる
場所の21%が無人化するとしている。また、現在、人が住んでい
る場所の60%が、人口が半減するという予測をしている。このよ
うな長期見通しを踏まえて中山間地域対策をどう考えるのかお聞き
したい」と、この問題の核心を突くご質問もありました。

 私はまとめとして、「中山間地域や農業の活性化については、好
意的な意見の方だけではない。『もう遅い』という意見もある。し
かし、行政としては、何としても農業を活性化し、農業で食べてい
けるようにしなければならない。農業は、やり方によってはもうか
る。そして、現在の何となく閉塞(へいそく)感のある社会の中で、
付加価値を生み出していく産業は、農業である。そのため、農業が
活性化するための振興策をさらに推進したい」と申し上げました。

(2)ながのシティプロモーションの推進
 シティプロモーションとは、人口減少時代など社会構造の大きな
変化が予想される中で、地域ブランドの確立などにより都市の魅力
を高め、市外から人や企業などの資源を獲得し、都市づくりを進め
ていこうという考えです。本年度から本格的に取り組みを始めてお
り、オリンピック開催都市であることを旗印に、海外に向けても発
信していきたいと考えています。ふるさとNAGANO応援団との
連携の重要性についてもお伝えしました。

 このテーマについては、「今、多くの自治体がアジア諸国に売り
込みをしているが、外国から見ると、それぞれの自治体が別々に売
り込みに来るので混乱している。複数の県で連携してはどうか。そ
して、若い世代に影響力のあるカリスマ・ブロガーを呼び、観光地
を回ってもらいブログを書いてもらうなど、費用対効果の大きいア
プローチを取っている事例もあり、こうしたことを戦略的に行う必
要がある」と、インターネットを利用したSNS(ソーシャル・ネ
ットワーキング・サービス)を活用するご提案を頂きました。また、
「日本は海外の観光客誘致が戦略的に欠けている。山間部を利用し
たり、オリンピック開催都市であることを生かしたりして、短期間
であれば地元の農村に泊まっていただくなど、文化とコラボレーシ
ョンした形で田舎を売りにして、単価を高く取れるビジネスもある
のではないか。森林があって、神秘的なコンテンツがあって、国際
的な知名度もあって、スキーもできて、これだけの観光資源があれ
ば、そういった売り込みもできる」といった海外を視野に入れたご
意見も頂きました。
 また、篠ノ井・信州新町地区の視察に参加されたメンバーの方か
らは、「両地区ともいいものはある。それを丁寧に掘り起こしてい
く日々の努力が大切だ」というご意見を頂いたほか、「鬼の無い里」
という地名の由来に昔から興味があり、今年初めて鬼無里を訪れた
というメンバーの方からは、「非常に古い歴史や神話がある鬼無里
と、多くの神話や伝説が残る隣の戸隠を一体的に生かしたらどうか」
という提案を頂きました。これはまさに今取り組んでいる「いいと
き観光エリア事業」に一致するものであり、その取り組み状況を説
明し、またネーミングについてもお話ししました。実は、「いいと
き」は、飯綱・戸隠・鬼無里の頭文字を取って、私が名付けました。

 シティプロモーションについては、今回メンバーの皆さんから頂
いたご意見をはじめ、さまざまな立場の皆さんのご意見・ご提案を
お聞きしながら、本市の魅力度アップや活性化につながる取り組み
を進めていきたいと考えています。

(3)長野県短期大学の4年制化
 長野県短期大学の4年制化については、今年7月に、「長野県短
期大学の将来構想に関する検討委員会」において、長野県の高等教
育を一層充実させるため、長野県短期大学を改組し、新たな公立4
年制大学に転換することが必要との提言に至りました。所在市であ
る長野市としても、長年の悲願であり、大変喜ばしいことです。こ
れまで、独立行政法人という運営形態が所在市として応援しやすい
のではと申し上げ、また、大学機能の一部が中心市街地に設置され
ることとなれば若者が行き交うまちにつながることから、平成24
年度をもって閉校予定の市立後町小学校跡地の利用についても県へ
提案していることをお話ししました。

 このテーマについては、多くのご意見を頂きました。まず、現在
の大学を取り巻く社会環境を踏まえ、「現在の短期大学の学科構成
や取得可能な資格を見ると、これまでは教育関連に就職できていた
と思うが、今後子どもの人数が減ると、当然就職先も減ることが予
想される。女子大ということで言うと、日本は、先進諸国の中で最
も男女平等が遅れており、女性の産業振興力が一番生きていないと
いう意味で、「埋蔵金」という言われ方もしている。これをどう生
かすかが重要で、例えば経済学、経営学に強い女子大にするのも手
である。差別化をしていく、また、長野の地域資源を生かして産業
につなげていくという切り口で、4年制移行に伴う学部構成も戦略
的に行っていく必要があると思う」「私立大学においては、今年3
月に卒業予定だった学生の5分の1ほどが就職留年している状況で
あり、就職できる力をどう身に付けるかということが重要である。
資格を取ればいいというものではないので、世界中どこへ行っても
働けるというキャリアマインドを養成する大学にしなければ、4年
制化しても意味はない。日本国内に大学が多すぎるという声もある
が、世界的な水準でみると日本の大学進学率はかなり低い。アジア
の中でも日本より低い国はあまりない」といったご意見がありまし
た。

 また、学部構成の話にもなり、「学部は、流行を追ってつくれば
良いというものではない。大学などの教育機関は常勤の教授や講師
が熱心に教育するというのが基本であるが、それだけでは不十分で
ある。東京から長野へは新幹線で1時間30分であり、千葉からだ
と八王子の大学に行くよりも信州大学に行く方が楽である。そうい
った利点を生かせば、東京の人材を非常勤講師として活用できるの
で、学部構成という枠を超えて新しい取り組みをしていってほしい」
「実務教育と既にある教育をどう組み合わせるか、教育を受けても
就職できない人をどこで生かすか、ということについては産業政策
と連動させる必要がある。4年制大学の学部構成を検討する際に、
個々の分野の専門の方々だけで議論するのも深掘りができていいが、
横のつながりを考慮するべきである」といった意見がありました。
 
 私はこれに対し、「現在の教員の専門性を全く生かさずに新しい
ものをつくるというのは現実的ではない。そのため、徐々に変えて
いくということもあり得る。しかし、私としては、既存のものにこ
だわらず新しいものにしていくことを強く主張していきたい」と申
し上げました。
 いずれにしても、この県短4年制化は長野県が主体となるもので
すから、メンバーの皆さんから頂いたご意見を参考にし、今後大学
の所在市の立場から、県に提言していきたいと考えています。

 今回も、さまざまな分野でご活躍中の皆さんから、大変貴重なご
意見を頂きました。毎回思いますが、行政とは違った視点からのご
意見に、なるほどと思う点を多々発見することができます。今年の
意見交換会も大変有益なものとなりました。
 お忙しい中ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
  

2011年12月15日木曜日

市議会改選後、初の定例会


 9月の市議会議員一般選挙後初めてとなる市議会定例会が、11
月30日に開会しました。新たな議会構成となり、開会日の議場は
緊張した雰囲気が漂い、各議員さんが強い思いを持って臨まれてい
ることを感じました。理事者側も気を引き締めて対応するとともに、
代表質問、個人質問に対しては、市民の皆さんに分かりやすい議論
となるよう、簡潔な答弁を心掛けました。

 開会の私のあいさつの冒頭、11月5日に逝去された故伊藤將視
議員さんを悼み、ご冥福をお祈りしました。また、同月、本市の管
理職職員が飲酒運転の上、交通事故を起こしたことについて、お詫
び申し上げました。この場をお借りし、かじとり通信をお読みいた
だいている皆さんにもお詫び申し上げます。
 以下、あいさつで申し上げた主な内容です。

 国は、新年度予算編成について、先に閣議決定した「中期財政フ
レーム」に沿って、地方の安定的な財政運営に必要な財源総額は平
成23年度の水準を下回らないよう確保し、また、震災の復旧復興
支援では、被災団体以外の地方自治体の負担に影響を及ぼすことが
ないように、通常の歳入歳出とは別枠で整理し対応していくとのこ
とです(震災の影響で、地方予算が大きく削られることはなさそう
で、ホッとしています)。本市としては、健全財政の堅持および計
画的な行政の推進を念頭に置いて、市政の重要課題・懸案事項の着
実な改善・解消に向けて、積極的に取り組んでいきます。

 本市の新年度予算編成については、「予算編成方針」で、「エネ
ルギーの適正利用」「文化芸術活動への支援と文化の創造」「公共
交通機関の整備」の3つを優先施策とし、「小・中学校耐震化事業」
など8つの大規模プロジェクト事業に、必要な財源を重点的に配分
することとしました。
 また、将来にわたり鋭意取り組むべき市政課題である「都市内分
権の推進」「中山間地域の活性化」「防災対策の推進」「子育ち・
子育て環境の整備」、そして「魅力ある教育の推進」「スポーツを
軸としたまちの活性化」などについても、適切かつ必要な財源の配
分に留意することとしています。

 次に、本年度の主な施策・事業の動向についてです。
(1)都市内分権の推進について
 住民自治協議会が本格活動を開始して1年半余りが経過する中、
多くの住民自治協議会から事務局長設置に対する市の財政支援の要
望を頂いています。住民自治協議会が将来にわたり活動を継続し、
自立していくためには、事務局長のポストは大変重要であると考え
ていますので、今後前向きに検討していきます。

(2)公共交通機関の整備について
 長野電鉄屋代線の廃止に伴い、バス代替による地域の交通手段の
確保に向けて沿線地域の皆さんと十分な協議を行い、路線、停留所
およびダイヤ編成などの代替交通運行計画を11月2日の長野電鉄
活性化協議会で決定しました。また、屋代線跡地については、今後、
須坂市、千曲市と事務的な調整を行いつつ、沿線地域の皆さんや長
野電鉄と十分に協議し、地域の活性化のために有効に活用できるよ
う早急に検討を進めていきます。
 また、12月1日付けのかじとり通信でお知らせしました早稲田
大学と連携した電動バスの実証実験は、二酸化炭素を出さない交通
で地域づくりを進める「モデル」として、注目しています。

(3)環境対策の充実、エネルギーの適正利用について
 「再生可能エネルギー特別措置法」が成立し、再生可能エネルギ
ーで発電した電力の固定価格買取制度の導入が決定しました。これ
により再生可能エネルギーの普及が一層加速するものと考えられ、
今後、買取期間や買取価格の具体化に合わせ、再生可能エネルギー
の積極的な導入に向けた取り組みを進めていきます。

 また、商店会の要望により、9月市議会定例会で補正予算を可決
していただき、商店街街路灯のLED化などへの省エネ改修補助事
業を進めています。本年度実施予定は31商店会で、現在の進捗
(しんちょく)率は94%と、事業は順調に進んでいます。街路灯
は、商店街のにぎわいの創出や道路照明のほか、地域の防犯にも役
立っており、商店会の電灯料金負担軽減にもつながることから、引
き続き支援していきます。

(4)中山間地域の活性化について
 都市と農村との交流・活性化事業として、「小・中学生農家民泊
誘致受入事業」を実施しています。芋井、信里、七二会、信更、鬼
無里、大岡、中条地区において実施され、今年は7地区で合計31
校、何と4,203人もの小・中学生を受け入れました。こうなれ
ばもう一大産業です。日本の原風景ともいうべき豊かな自然に囲ま
れた農家での生活は、子どもたちにとって貴重な経験となるようで、
今後も、より魅力的で、かつ、安全な受け入れ体制を構築し、事業
のさらなる継続・発展を目指したいと考えています。

 中山間地域において大きな問題となっているのが、野生鳥獣によ
る農作物の被害です。防護柵の設置などを推進するとともに、捕獲
したイノシシなどの肉の処理施設建設を補助金により支援したいと
考えています。併せて、肉の消費拡大、販路確保についても、商工
会議所や農業協同組合と連携して取り組んでいきます。

 本年度から実施している「新規就農者支援事業」は、農業政策の
目玉事業です。これまで12人の皆さんが助成金の交付対象者に決
定しており、このうち、現在市内の里親農家や長野県農業大学校な
どで就農に向けた研修をしている人が8人、研修を修了し就農して
いる人が4人です。来年1月に3回目の募集を予定しており、今後
も広くPRし、県内のみならず県外からも農業の担い手の確保・育
成に努めます。

(5)スポーツを軸とした活性化について
 昨年創設した「ながの夢応援基金」については、ご寄付を頂いた
皆さんへの感謝の気持ちを表すため、寄付者のお名前を記した銘々
板(めいめいばん)をJR長野駅東西自由通路に設置しました。こ
の基金を活用し、スピードスケート競技のジュニア選手育成プログ
ラムの実施などにより、ウインタースポーツの拠点づくりに向けて、
オリンピックムーブメントの推進と冬季スポーツ選手の育成・強化
に取り組んでいきます。引き続き、多くの皆さんのご支援・ご協力
をお願い申し上げます。

(6)権堂B-1地区の再開発事業とセントラルスクゥエアについ

 前回の長野市都市計画審議会では、計画案の再検討が求められま
した。現在、案の見直し作業を進めており、再度、審議会へ諮問す
る予定です。
 また、中央通り沿いのセントラルスクゥエアに計画している表参
道長野オリンピックメモリアルパークの整備については、来年4月
のオープンに向け、12月中旬に工事着手、年度内の完成を目指し
ています。解体・撤去するステージの跡地は、試験的に大型バス駐
車場とし、善光寺を訪れる観光客に中心市街地を歩いていただくた
めの課題などを調査する実証実験に着手します。

(7)市役所第一庁舎および長野市民会館の建て替えについて
 両施設の設計者については、公募プロポーザル方式により選定を
進めた結果、世界的にも著名な建築家である槇(まき)文彦氏を代
表とする株式会社槇総合計画事務所を選定しました。また、同社と
設計共同企業体を構成する、地元企業の育成と参画の観点から設け
た市内企業枠には、長野設計協同組合を承認し、基本設計に着手し
たところです。今後、市民ワークショップなどの意見も参考にしな
がら、建設基本計画に基づいて設計を進めていきます。
 また、旧長野市民会館の解体工事は、内装の撤去などがほぼ終わ
り、外壁の解体に着手したところです。
 なお、先日閉会した臨時国会に合併特例債の活用期間を5年間延
長する法案が提出されましたが先送り(継続審査)となりました。
延長自体は東日本大震災を踏まえた適切な措置であると考えていま
すが、耐震化・老朽化対策は喫緊の課題であることから、市役所第
一庁舎・長野市民会館の建設については、当初の計画に沿った着実
な整備を進めていきたいと考えています。

 この他、子育ち・子育て支援の推進として下氷鉋保育園の運営委
託や「長野市版放課後子どもプラン」の状況、長野広域連合が計画
するごみ焼却施設の建設、12月2日から2回目の受け付けを開始
した住宅リフォーム補助事業、長野駅善光寺口駅前広場整備、長野
駅東口の(仮称)複合交通センター用地を観光バスなどの乗降場・
待機場とするための暫定整備、エムウェーブ西側の第二東部工業団
地の好調な契約状況、東日本大震災関連の本市の取り組み、AC長
野パルセイロのJリーグ準加盟申請に当たり、南長野運動公園総合
球技場改修の検討などを記載した長野市の支援文書提出などについ
てもお話ししました。

 そのパルセイロは、12月10日に今シーズンの全日程を終了し、
最終戦のSAGAWA SIGA FCとの対戦は、1対2で残念
ながら負けてしまいましたが、準優勝という見事な結果を残しまし
た。12月4日のホーム最終戦では、詰め掛けた3,000人を超
す観客の期待に応えてFC琉球を3対1で破り、試合は大変盛り上
がりました。ちょうどその日、ライバルの松本山雅FCは念願のJ
リーグ昇格を決定付ける勝利を収め、12日のJリーグ理事会で昇
格が正式決定しました。ここまでの道のりは長く険しいものであっ
たことを新聞記事などからあらためて知ることができましたが、や
はり平均観客数約7,500人というサポーターの力は大きかった
と思います。心から祝福の拍手を送りたいと思います。
 12月市議会定例会でも、多くの議員さんからパルセイロを応援
すべきとの心強いご意見を頂いています。市では、Jリーグ基準を
満たすスタジアム整備に向けた検討を行いますが、パルセイロには、
“GO to J”の掛け声の下、さらにチームの実力と魅力を高
め、サポーターや観客をもっと増やす取り組みを進めてほしいと願
っています。

 初当選された議員さんが、一般質問で市議会デビューされる中、
議会の雰囲気が少し変わったなあと感じる場面もあった12月市議
会定例会ですが、補正予算や条例に係る審議を行い、16日に閉会
します。そうすると、いよいよ年の瀬といった感が強まります。そ
して、待ちに待った本格的なスキーシーズンの到来です。既に真っ
白な志賀高原、白馬、菅平の山々を見るたびに、そして各地から一
足早いスキー場開きの便りを聞くたびに、居ても立ってもいられな
い気持ちになります。早く滑りたくて毎日うずうずしているのです。
17日に戸隠スキー場と飯綱高原スキー場がオープン予定ですが、
オープン日には、雪が降り積もり、素晴らしいスキー日和となるこ
とを期待しています。  

2011年12月8日木曜日

友好都市締結30周年記念訪日団


 中国河北省石家庄市から、王大軍副市長を団長とする8人の友好
代表団の皆さんが、11月26日から28日まで長野市を訪れまし
た。石家庄市は、北京から高速道路を利用して車で約2時間半。人
口約1千万人の大都市です(長野市の人口が約38万8千人ですか
ら、友好都市とはいっても規模が桁外れに違います)。

 石家庄市と長野市は、それぞれが省都・県都であり、内陸部に位
置し、地形や気候が似ていたことや両市において果樹栽培が盛んで
あったことなどから、1981(昭和56)年4月19日に友好都
市の調印・締結をして、今年で30周年の節目の年を迎えました。
締結当時の長野市長は、故柳原正之さんでした。その後、1983
(昭和58)年には、長野県が河北省と友好提携を締結しています。

友好都市締結以来、代表団や中学生の相互派遣のほか、本市は石
家庄市からのさまざまな分野の研修生を受け入れるなどの交流を中
心に友好を深めてきました。現在までの交流実績は、本市への受け
入れ総数が109団・821人、本市からの派遣総数が67団・
824人です。その間には、元市議会議員の千野昭さんが石家庄市
で川中島白桃の栽培を指導し、石家庄市から名誉市民の称号を受け
られたり、長野市の造園事業者が研修生を受け入れ、石家庄市の造
園事業に大きく貢献したり、長野市の企業が石家庄市で学校を建設
し、寄付したりするなどの交流もありました。

 私は市長就任後の2004(平成16)年と、友好都市締結25
周年の2006(平成18)年の2回石家庄市を訪問しましたが、
その間の2年で石家庄市は大きく変貌し、その発展ぶりには目を見
張るものがありました。さらに、今回の訪日団の皆さんから見せて
いただいた石家庄市の現在の写真には、本当にびっくりしました。
その後の5年間で、まちは驚くほど開発が進んでいました。

 石家庄市では、2007(平成19)年から2008(平成20)
年にかけてギョーザ中毒事件が、2010(平成22)年には日本
人が軍事管理区域を撮影したとして拘束された事件などがあり、実
態は正確にはよく分かりませんが、嫌な思いを抱いた時期もありま
した。しかし、こうしたことを克服しながら、今日の両市の関係に
発展してきたことを大切にしなくてはいけないと思っています。

 26日、訪日団は新幹線で長野入りされました。JR長野駅のコ
ンコースで、市民、市議会議員の皆さんに大勢参加していただき、
盛大に歓迎式典を開催しました。訪日団をお迎えする男声合唱団
「ZEN」の皆さんの歌声が、とても印象的でした。
 夕方から市内のホテルで、長野市と市議会への表敬、続いて友好
都市締結30周年記念レセプションが開催され、大勢の市民の皆さ
んにも参加していただきました。本来なら、市長室や議長室で表敬
を受けるべきでしょうが、この日は土曜日で市役所が閉庁していた
こともあり、できませんでした。

 27日・28日は、訪日団の皆さんの希望により、経済団体との
交流や環境分野での視察をしていただきました。長野市としても、
交流をより有意義なものに発展させるためには、こうした具体的な
分野での情報交換、人・物の交流を促進したいと考えていましたの
で、関係団体・企業に積極的に働き掛け、効果の上がる視察の準備
を進めてきました。しかし、企業訪問などは日程の都合上、主に
27日の日曜日に設定せざるを得ず、訪問先の企業の皆さんには、
ずいぶんご迷惑をお掛けしました。それにもかかわらず、訪日団の
視察を快く受け入れていただき、また多くの社員の皆さんに玄関で
お迎えいただくなどご配慮いただき、本当にありがとうございまし
た。
 以下、同行した秘書課国際室からの報告を中心にお話しします。

 まず、経済団体との交流は、長野商工会議所、長野市商工会にご
協力いただき、また観光団体としてながの観光コンベンションビュ
ーローにもご参加いただき、懇談会と昼食会を開催しました。既に
北京や上海などに進出している企業や金融機関が、この懇談会を機
に、今後石家庄市との交流を視野に入れた交渉を希望する話や、両
市の観光資源を生かした観光交流の話など、かなり具体的かつ現実
的な意見交換ができたとのことです。

 発展目覚ましい石家庄市ですが、環境問題、特に大気汚染が喫緊
の課題のようです。訪日団の中に電動自動車会社の取締役の方がお
られ、日本の環境技術に高い関心を示し、日本の電気自動車をぜひ
見たいとのことで、長野三菱自動車販売株式会社と長野日産自動車
株式会社を訪問していただきました。中国の自動車産業も近年大き
く発展していますが、電気自動車に関しては日本がかなりリードし
ているようで、両社においては電気自動車に試乗し、熱心に専門的
な質問をされたそうです。それならばと、前回のかじとり通信でも
お伝えした長野市で実証実験中の電動バスを見ていただくよう私が
提案し、実際に試乗もしていただきました。特に、車体に電気プラ
グを接続せずに充電できる非接触充電方式に興味津々であったそう
です。

 中国でも高齢化が進んでいて、介護や生活支援といった高齢社会
問題が顕著になっているとのことで、老人福祉施設・ケアハウス南
長野を視察していただきました。私は、かつて中国で人口増への対
策として行われていた「一人っ子政策」のしわ寄せみたいなものが、
いずれ出てくると思っていたのですが、そろそろそんな時代に入っ
ているのかもしれません。

 今回の訪日団の中に物流会社の総支配人の方がおられたことから、
長野運送株式会社を訪問し、日本の環境に配慮した物流体制やシス
テムについて視察していただきました。また、近年石家庄市では、
健康志向の高まりにより、低カロリーのきのこなどが人気だそうで、
視察したホクトメディカル株式会社では、現地での製品販売などに
ついての具体的な情報交換が行われたようです。

 こうした懇談会や視察のほかに、長野市日中友好協会の皆さん主
催の歓迎宴にも出席されました。両市の交流が30年間続いている
のは、長野市日中友好協会の皆さんによる草の根の交流なくしては
語れません。歓迎宴では、踊りや歌などで大いに交流を図ることが
できたようです。

 その他、訪日団の皆さんは、茶臼山動物園や松代を視察し、28
日に長野市を出発されました。JR長野駅でのお別れの際には、涙
を浮かべていた方もおられたとのことです。
 訪日団の団長は、若干44歳にして大都市石家庄市の副市長を務
めている王大軍さんです。王団長は、帰国を前にして、「もっと長
野市に滞在して、多くの企業関係者と懇談したり、自然の宝庫であ
る戸隠や鬼無里に行ったりしたかった。東京より長野を、より広く、
深く知りたかった」とおっしゃってくれたそうです。そういえば、
王団長は、長野駅に到着して開口一番、「空気がおいしい」。そし
て、「まちがきれいだ」と何度もおっしゃっていました。
 また、「長野市には人間の手が加えられていない素晴らしい自然
がある。そして、長い歴史を感じさせる建物や風景が、まちの中で
も取り壊されずに残っている。冬季オリンピックにより高速道路や
新幹線も整備され、都市と自然と文化が共存するコンパクトでとて
もきれいなまちだ」と絶賛してくれました。そして、市民の皆さん
のおもてなしの心を強く感じたそうです。
 日本の料理も楽しまれたようで、新鮮な野菜やきのこの“おひた
し”を「おいしい」といって気に入ってくれたそうです。中国の人
は、油っぽい料理を好むのかと思っていましたが、意外です。

 王団長は、「日本と中国は、歴史上つらい出来事があった。今も
反日感情を持つ人がいる。しかし、これからはお互いがパートナー
として、両市にとって何が有益か、両市の理解と信頼関係を築きた
い。そのためには、経済、観光、そして市民同士の交流をもっと推
進しよう。石家庄市のほとんどの市民は長野市を全く知らない。今
度長野市から石家庄市に来ていただく時は、市民との交流、そして
長野市をPRする場を設けたい」とおっしゃったそうです。表敬訪
問や記念レセプションでも、王団長は私に両市のこれからの友好交
流を熱く語ってくれました。

 今度は、長野市が石家庄市を記念訪問する予定です。市民の皆さ
んの参加も募り、将来につながる効果の高い訪問を今から考えてお
きたいと思います。 
 最後になりましたが、今回の記念事業にご協力いただきました全
ての皆さんにお礼を申し上げます。

2011年12月1日木曜日

電動バスの実証実験と晩秋の出来事


 11月20日、多くの皆さんからご好評を頂いている中心市街地
循環バス「ぐるりん号」に電動バスが初めて導入され、実証実験と
して運行が始まりました。

 この実証実験は、早稲田大学が環境省の「チャレンジ25地域づ
くり事業」に、長野市での実験計画を応募し、それが採用されて実
現しました。実施主体は、早稲田大学です。前日の19日には、出
発式をJR長野駅のコンコースで開催し、早稲田大学からは、橋本
周司副総長、紙屋雄史理工学術院教授、そして新井智本庄総合事務
センター事務部長、柳澤一夫環境総合研究センター事務長と、そう
そうたる皆さんがお見えになり、大変な力の入れようでした。
 環境省が本実験計画を採用してくれたこともありがたいのですが、
やはり実証実験の舞台として長野市を選んでくれた早稲田大学に心
から感謝します。

 今回の電動バス実証実験では、温室効果ガスの排出削減に向けた
低炭素型交通システムの構築を目指しています。長野市は、平成
24年度の当初予算編成方針で「エネルギーの適正利用」「公共交
通機関の整備」などを優先施策として位置付けており、この実証実
験は、まさに本市が進めようとしている施策と合致するものです。
市としても実験の成功のために最大限の協力をさせていただきたい
と考えています。

 このバスは、日野自動車の低床マイクロバス「ポンチョロング」
を改造したもので、乗車定員は25名となっています。電動バスの
心臓部ともいうべきメーンバッテリーにはリチウムイオン電池を、
充電方式には非接触電磁誘導型を採用し、短距離走行・高頻度充電
により、大きく、重く、コストの高いバッテリーの搭載量を必要最
小限にできるため、ぐるりん号のような市街地走行に適した方式と
考えられます。
 なお、非接触充電方式では、地中に埋設した送電装置上にバスを
停車させ、乗務員は車内から操作するだけで充電できるとのことで、
電気プラグを車体に接続する従来の方式より短時間で充電できるそ
うです。
 私も実際に乗車してみましたが、車内にはバッテリー残量や使用
電力量、電気を消費しているのか充電しているのかが表示される大
きなパネルが設置されており、走行も大変スムーズでした。運行は、
長野駅(善光寺口)を午前10時、正午、そして午後2時に発車す
る3本ですが、多くの皆さんにご利用いただきたいと思います。

 新型車両が来月に1台、さらに平成25年度にもう1台が導入さ
れ、合計3台により中心市街地循環バスやシャトルバスなどとして
の実証実験が予定されています。非接触充電装置を搭載した電動バ
スが、今年を含めて3年間(実質2年半)という長期間にわたり実
証実験を行うのは国内初の取り組みであり、しかも長野市の金銭的
な負担はほとんどなく、非常にありがたい実験です。

 長野市では、三菱自動車と日産自動車の小型の電気自動車を既に
導入して、使い勝手などの検証を行っていますが、バスという大型
車両の運行は初めてです。早稲田大学は、長野市が内陸盆地のため
夏は暑く、冬は寒冷で積雪もあるという気候に加えて、地形的にも
坂道での走行実験が可能であること、そして、何より環境対策に力
を入れていることに着目して、長野市を選んでくれたのだと想像し
ています。
 長野市で導入した電気自動車のこれまでの走行データからは、中
山間地域(坂道の多い場所)での使用が有効ではないかという意外
な報告を得ています。その理由としては、上り坂では電気を余計に
使ってしまいますが、下り坂では充電されるので、思った以上に蓄
電性能が高いということのようです。

 環境省の「チャレンジ25地域づくり事業」について、頂いた資
料から少し説明します。
 温室効果ガスの削減に向けては、地域単位でさまざまな技術が人
々に利用される仕組みの構築が必要です。そこで、この事業は、全
国の「モデル」となるような仕組みづくりを進め、CO2(二酸化
炭素)の25%削減に効果的な先進的対策の検証など、実証事業に
絞って集中的に実施し、全国展開を目指すものです。このため、
(1)都市未利用熱などの活用、(2)低炭素型交通システムの構
築、(3)大規模駅周辺などの低炭素化、(4)バイオマスエネル
ギーなどの活用の4つの分野において、技術は確立されているもの
の、効果の検証がされていない先進的対策の検証や、地域の特性に
応じた複数の技術の組み合わせを行う対策など、新たなチャレンジ
が期待されているのです。
 温室効果ガス削減に向けたこの実証実験が、関係機関の協力の下、
電動バスの早期普及に寄与することを期待しています。

 話は変わります。サッカーのJFL(日本フットボールリーグ)
・AC長野パルセイロが、Jリーグへの加盟を目指し、準加盟申請
書をJリーグへ提出する準備を進めています。長野市はホームタウ
ンとなる自治体として、それを応援する姿勢を示す「支援文書」を
作成し、11月28日にパルセイロ側に渡しました。Jリーグ加盟
条件を全て満たすのは、来年以降のことになるでしょうが、一つず
つ課題を解決し、チーム、そしてそれを応援する市民が一丸となり、
Jリーグ加盟に向けて、さらなる飛躍を遂げることを期待していま
す。スポーツを軸としたまちづくりを目指す長野市としても、でき
る限り支援していきたいと考えています。

 18チーム中、現在2位のパルセイロは11月20日、ホームの
南長野運動公園総合球技場で1位のSAGAWA SHIGA 
FCとの首位決戦に臨みました。冷たく強い風が吹き荒れ、小雨が
混じり、寒くて居ても立ってもいられないほどの最悪の天気でした
が、スタンドには3,300人を超す大勢のサポーターが詰め掛け
てくれました。屋台などの出店も多く、7月に開催された信州ダー
ビーを思わせるほどの熱気とにぎわいでした。しかし、試合は、0
対1で惜しくも負けてしてしまい、パルセイロの自力優勝の可能性
が消滅してしまいました。それでも、11月23日のブラウブリッ
ツ秋田とのアウェー戦は、2対0で勝利し、続く27日のFC琉球
戦もアウェーでありながら、4対0で圧勝。これで、今シーズンの
4位以上が確定しました。JFL参加1年目でこの成績は見事とい
うしかありません。優勝を諦めないチームの熱い思いが伝わってき
ます。
 残り試合は、ホームでのFC琉球戦とアウェーでのSAGAWA
SHIGA FCとの最終戦の2試合のみ。12月4日のFC琉球
戦は、ホーム最終戦です。ぜひ、多くの皆さん、応援に来てくださ
い。

 今年も長野の晩秋の夜空を彩る「長野えびす講煙火大会」が、
11月23日に盛大に開催されました。以前かじとり通信で、「花
火は人を引き寄せる力がある」と書きましたが、今回は比較的寒さ
が緩んだこともあり、何と約39万人もの人出となりました。長野
市の人口が約38万8,000人ですから、それを上回ったわけで
す。本当に驚きです。

 第106回を迎えた今回は、東日本大震災や栄村を中心とする地
震の被災地復興祈願の花火を皮切りに、約1万発の花火が打ち上げ
られました。加藤長野商工会議所会頭の開会のあいさつにもありま
したが、今年は、震災と原発事故、新潟県や福島県の豪雨災害、台
風12号・15号の被害など悲惨な出来事が続きました。そうした
暗い雰囲気を吹き飛ばし、地域を元気にしたいという思いが込めら
れた花火大会であったと思います。こうした状況下でも、企業や個
人への協賛依頼に奔走し、昨年同様に過去最大規模の大会を主催し
ていただいた長野商工会議所と長野商店会連合会の皆さんのご尽力
に対し、心からお礼を申し上げたいと思います。

 「日本でいちばん美しい晩秋の花火」が打ち上げられるたびに、
会場からは歓声と拍手が沸き起こりました。特に、花火と音楽と光
の共演「ミュージックスターマイン」は圧巻でした。年々その規模
といい、迫力といい、とにかく素晴らしくなっていて、また、お祭
り気分を一層盛り立てるきらびやかな夜店の数も毎年増えているよ
うに感じています。有料観覧席も満席、そのうち8割以上が県外か
らの観光客とのことで、1万円のプレミアムシート(150席)は、
発売から3時間で完売したそうです。花火観賞のバスツアーもある
そうで、これからも多くの皆さんにお越しいただきたいと思います。
えびす様もニッコリの花火大会でした。

2011年11月24日木曜日

3期目の折り返し点を迎えて(その3)


 前々回のかじとり通信に引き続き、「市長3期目の折り返し点を
迎えて(その3)」として、「今日的な話」についてお話しします。
地方自治体の長として、直接権限のない事柄について発言すべきか
どうかについては、依然迷っています。しかし、「物言えば唇寒し」
で、黙っていれば無難に事が過ぎていくであろうというのは、卑怯
(ひきょう)であると考えることにしました。
 言いたいことはたくさんありますが、「TPP交渉参加」「消費
税率アップ」の2つに絞りました。

 初めは、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加についてです。
 11月9日の定例記者会見でのTPPに関する私の発言は、記者
の質問に答える形のものでしたので、若干、言葉足らずの部分があ
り、正確に話の意図が伝わっていないように感じています。
 
 まず、わが国の経済が自由貿易体制下で発展してきたことを考え
ると、TPP自体を直ちに否定すべきでないと考えています。
 一方で、TPPの交渉分野は21分野と幅広い上、議論の前提と
なるTPP参加による多方面への影響なども、国の統一見解として、
ほとんど開示されていません。開示されていないというよりは、交
渉にも入っていない現段階で、おそらく示すべき正確な情報などが
ないというのが実情だろうと推測しています。
 それは、内閣府、農林水産省、経済産業省からおのおの出されて
いるTPP参加による国内総生産への影響試算額が全く異なること
を見ても分かります。
 私は、いきなり門前払いをするのではなく、きちっとした形で交
渉に入り、その交渉の経過や結果をできる限り国民に明らかにする
中で、もう少し自由でオープンな国民的議論があってもいいと考え
ています。

 また、TPP参加により、特に大きなマイナスの影響が予想され
ている農業分野については、わが国の農業と農業者をどのように守
っていくのかという点について、国において具体的な方策を示すと
ともに、相当に慎重な対応、判断が求められることは言うまでもあ
りません。

 現状は、賛成派、反対派の双方が、かみ合うことのない、いわゆ
る「ためにする議論」をしているように感じています。
 今回のTPP参加問題を契機として、食の安全や食料自給率など
国民にとって非常に重要な農業の在り方を含む、将来の国のかたち、
そのために選択すべき進路について、よく考えるべきだと思ってい
ます。その結果が、TPPへの不参加ということであれば、それは
非常に納得のいく結論だろうと思います。
 
 しかしながら、仮に結果が不参加ということであっても、後々に
なって交渉に加わらなかったことを悔やむことがあってはならない
とも思います。
 今は立ち止まることなく、勇気を持って一歩前に出てみる時では
ないかというのが私の考えです。
 加えて、現時点では無論のこと、TPP参加に賛成しているので
はなく、あくまでも交渉の舞台に立つべきであると申し上げている
ことをご理解いただきたいと思います。このことは、14日に開催
された長野市農政懇談会(長野市農業協同組合協議会、長野市農業
委員会、長野市議会経済振興議員連盟の3者で行っている農政に関
する懇談会)の席上でも申し上げました。

 先般、野田首相は、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入
ることを正式に発表されました。これからは、私が申し上げた趣旨
に沿って、十分に検討されることを切望します。

 次の話題に移ります。消費税率アップについてです。
 先日、和歌山市で開催された中核市サミットの基調講演で、中核
市市長会相談役の石原信雄(元内閣官房副長官)さんが次のことに
言及されました。
 それは、日本の消費税率は、他の先進国に比べ極めて低い。日本
の財政状況を考えれば、このままやっていけるはずがなく、いずれ
大幅な税率アップは避けられないということでした。
 このことは、私の年来の主張でしたので、「わが意を得たり」と
感じました。しかし、講演の中で石原さんは、具体的な実施時期に
ついては、はっきり話されませんでした。そこだけは残念でした。
私は、なるべく早くやるべきとの意見です。

 日本の国の債務残高(借金)は、本年度末には1,000兆円に
達する見込みで、年金をはじめとする社会保障にも多額の税金を投
入しなくてはならない状況に加え、原発事故による被害を含めた東
日本大震災の復興費、そして厳しい経済状況、停滞する景気に輪を
掛けるような円高。日本の財政は、非常に厳しい状況です。国債は、
ほとんど国内で消化されているから大丈夫といった話を聞いたこと
がありますが、安心していることはもう許されない状況だと私は感
じています。ギリシャでの信用不安に続いてイタリアでも首相が辞
任する状況になったのは、財政問題が原因です。
 借金の状況だけを考えれば、日本はイタリアより悪いと言われて
います。財政規律は、国家の最重要課題であります。個人の場合で
も、借金の始末をきちんと付けることは当然です。「入りを量りて
出(い)ずるを為す」は、どんな場合にも真理です。

 消費税率1%の引き上げで2.5兆円の増収と言われており、消
費税しか安定した増収を図る道はないと思います。これだけのデフ
レ状況においては、消費税の増税により仮に10%物価が上がって
も、個人生活の場では、それほど影響がないと思われますし、景気
が大きく落ち込むことはないでしょう。
 
 ただ、消費税率アップに反対する一つの理由として一般的に言わ
れているのは、消費税の逆進性、すなわち所得が低い層への影響が
大きいということです。
 そこで出てくるのが、中谷巌(いわお)さん(一橋大学名誉教授、
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社理事長)が主張す
る還付金付き消費税です。還付金付き消費税とは、例えば、消費税
の税率を仮に10%とした場合、各世帯に年間10万円を還付する
という仕組みです。そうすれば、年間の消費額が100万円の世帯
では、消費税額10万円と還付金10万円が相殺され実質税額は0
円になります。200万円の世帯では消費税額20万円のところ、
10万円還付され実質税額が10万円に、1,000万円の世帯で
は、消費税額100万円ですから、実質税額は90万円という計算
になります。
 この方法は、消費税は逆進性が高いという批判を克服できる論で
あると私は考えています(厳しいのは、中小企業を含めた企業側で
しょう。増税による消費縮小を抑えるため、商品価格を下げざるを
得ない状況が想定できるからです)。
 また、消費税率引き上げに伴う低所得者対策として、食料品など
生活必需品の税率を特例で低めにする「軽減税率」も検討されてい
ますが、還付金付き消費税も含めて当面見送りとの方針を政府・民
主党が固めたとの報道がありました。軽減税率については、対象品
目の線引きが難しく、混乱が予想されることから見送りとなったよ
うですが、軽減による減収分をどこかで穴埋めしなければいけませ
んし、とにかく複雑な制度になることが明らかです。単純明快な制
度にするべきだと考えています。“シンプル イズ ベスト”なの
です。

 いずれにしろ、日本の財政は、待ったなしの状況であるという危
機感を国民が共有し、生活レベルを極端に下げることなく、何とか
国の借金を減らすことを考えるべきでしょう。それもスピード感を
持って・・・。
 日本以外の先進国では、消費税率が20%以上の国が多く、中で
もスウェーデンやデンマークの税率は25%とのことです。

 以上、3期目の折り返しを迎えて、長野市政として取り組むべき
こと、国の法改正の必要性、そして今日的な話題について、3回に
わたりお話しさせていただきました。いずれにせよ、世の中で起き
ていることは、何らかの形で私たちの生活に影響を与えることを考
えると、何一つ無関心ではいられないと思っています。
 みんなの声が「ながの」をつくる。みんなの声が「日本」をつく
るという思いから、書かせていただきました。

2011年11月17日木曜日

2つのサミット


 10月26日・27日、「彫刻のあるまちづくりサミット」に参
加するため、山口県宇部市へ行ってきました。
 「宇部は遠いなあ!」と思っていましたが、羽田空港から約1時
間30分で山口宇部空港に到着(そこから宇部市街地へは何と車で
5分の近距離です)。長野・東京間とほぼ同じ所要時間ですが、東
京からだと、何だか長野市より宇部市の方が近い感じがしました。

 宇部市は、大正10年に市制施行し、今年で90周年になるとの
ことで、その記念事業として、本年1月から来年3月までの1年3
カ月間を「イベントイヤー」と位置付け、いろいろな事業に取り組
んでいます。
 その中で、昭和36年から始まった野外彫刻展が50周年を迎え
たので、市制90周年記念事業の一環として、このサミットを開催
することになりました。長野市は、野外彫刻事業に熱心に取り組ん
でいる市であることから、今回招待されたものです。同じく招待を
受けたのは北海道旭川市で、サミットは、宇部市、旭川市、長野市
の3市長が参加して開催されました(札幌市も招待されたのですが、
市議会の会期が延長されたため欠席でした)。

 宇部市の野外彫刻は、約400点あるそうです。人口は約17万
人で、面積は約287平方キロメートルです。長野市の面積は約
834平方キロメートルですから、その約3分の1です。しかし、
長野市の野外彫刻は約200点ですから、長野市の2倍の作品があ
る宇部市は、まさに街じゅうに野外彫刻があるといった感じがしま
した。特に、最初にご案内いただいた「ときわ公園」には、作品が
集中的に配置された「彫刻野外展示場」があり、大変見事でした。
いろいろな種類の作品がありましたが、子どもたちにも大人気とい
う電車をかたどった作品が、とても楽しい感じがして一番印象的で
した。

 さて、宇部市の野外彫刻事業は、長野市の方法とはかなり違って
います。2年に1度、UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)を開
催し、2年間その出品作品を展示しておき、市や企業が買い上げた
り、あるいは作者がその間に別の買い取り先(嫁入り先といった感
じでしょうか)を探したりするそうです。そしてまた次の彫刻展を
始める、これを繰り返しているようでした。本年は39カ国から
363点の模型応募があり、その中から20点の実物作品が選ばれ
て、「ときわ公園」に展示されています。応募数の多さにびっくり
しました。

 一方、旭川市は、釧路生まれで旭川にゆかりのある彫刻家中原悌
二郎(ていじろう)を記念した賞を創設し、2年に1度、国内の公
募展で発表された秀作から選考しているそうで、野外彫刻は現在約
120点あるとのことです。

 宇部市を訪問し、一番興味を持ったことは、市の歴史です。
 宇部市は昔、炭鉱の町として、地元企業の宇部興産(株)を中心
に栄えていました。ところが、石油が使われるようになってから石
炭産業は斜陽となり、北海道や九州の炭鉱においては、中央資本が
引き揚げてしまいました。後の夕張市の財政破綻も結果として、そ
れが遠因といってもよいでしょう。
 しかし、宇部興産は見事でした。炭鉱が衰退しても宇部市からは
撤退せず、セメントや化学事業を興し、見事なまちおこしを行った
のです。その転身ぶり、地域企業の生き残り戦術、そして地域に密
着した企業文化は、「見事」というよりほかに言葉がありません。
先ほどの「ときわ公園」にある石炭記念館では、炭鉱の櫓(やぐら)
が展望台になっていて、当時の炭鉱の様子、そしてまちの歴史を感
じることができました。
 その後現在に至るまで、宇部市と共に宇部興産は歩んでいるよう
です。UBEビエンナーレ1位の大賞は「宇部市賞」ですが、2位
は「宇部興産株式会社賞」です。ここからも、宇部市における宇部
興産という企業の存在感が分かります。

 さて、「ときわ公園」ですが、約100ヘクタールのため池「常
盤湖」を中心に、面積が何と約189ヘクタールもある広大な公園
で、宇部市のシンボルとのことでした。湖の周りを広場やスポーツ
施設、キャンプ場、ランニングコースなどが取り囲んでいる公園で、
市民が楽しめる施設がたくさんありました。前述の彫刻野外展示場
以外にも多くの彫刻が公園の至る所にあって素晴らしかったです。
そして何よりも、公園内の遊園地には、私の好きな観覧車があり、
たくさんの遊具もありました。

 宇部市は、市のキャッチフレーズのとおり「緑と花と彫刻のまち」
で、そして、昔の炭鉱の名残を持ちつつ、新たな工業分野でも発展
を続ける瀬戸内海に面した景色の素晴らしいまちでした。

 彫刻のあるまちづくりサミットは27日に開催され、会場には約
200人の市民や関係者が集まり、3市長がパネリストとしてそれ
ぞれの市の野外彫刻事業について事例報告・意見交換をしました。
そして最後には、以下の内容の決議文を作成・調印し、サミットの
成果を確認し合いました。
 「長野市、旭川市、宇部市3市は、まちに野外彫刻を設置して潤
いのあるまちづくりを進め、市民とともに個性豊かなまちなみを形
成してきました。設置された彫刻と彫刻を含む景観は、次代に引き
継ぐべきかけがえのない財産となっています。わたしたちは、連携
と交流をすすめ、文化の振興、潤いのあるまちづくりの推進に取り
組むことを決議し、その具体的な取り組みとして、
1 彫刻のあるまちづくりを国内外に広げていくため、共同企画の
 開催や情報発信に努めます。
2 次世代を担う子どもたちの豊かな心を育むため、彫刻に関する
 教育の推進を図ります。
3 都市の財産を末永く継承するために、多様な形による市民のボ
 ランティア等の参画を更に推進します。」
 さらに勉強して、長野市の野外彫刻は日本一と呼ばれるようにし
たいと思いました。

 もう一つのサミットは「中核市サミット」で、11月1日、和歌
山市で開催されました。現在41ある中核市の市長が一堂に会し、
当面する諸問題について話し合い、検討する会合で、長野市からは、
新友会や公明党の市議会議員さんも、他の中核市についての勉強や
調査などのために参加されました。

 基調講演では、元内閣官房副長官の石原信雄氏が「東日本大震災
後の地方行政を取り巻く環境の変化と中核市の対応」と題し話され
ました。その中で、石原氏は、被災地の復興財源として消費税の増
税の必要性を明言され、そして「自分たちの地域は自分たちでつく
る」という都市内分権の必要性を話されました。特に、都市内分権
については、長野市が進む方向性と一致しているという点で、さら
に事業推進の意を強くしました。

 その後4つのテーマごとに分科会が開催され、私は「これからの
財源確保と事業選択について」をテーマにした分科会に参加しまし
た。「少子高齢化」「公共交通の再生」「農地の荒廃」が各市の共
通課題として整理され、続いてそれぞれの市が取り組みや力を入れ
ている施策について発言しました。その中で議題となった「社会保
障と税の一体改革」について、私は先ほどの石原氏の講演内容も踏
まえ、喫緊の課題として消費税の引き上げを含む税制の抜本的な改
革を挙げるとともに、消費税の引き上げに際しては、低所得者層に
配慮する仕組みが必要であることについて話しました。その後、
11月10日の読売新聞に、消費税率を10%に引き上げる場合に
は、低所得者に対して税金の一部を還付する案について検討すると
いった記事がありました。国民的な合意形成を図る上で、今後の重
要なポイントになりそうです。
 また、社会保障に関する地方自治体の過度なサービス合戦をやめ
るべきだと主張しました。そのためには、国・地方が行う社会保障
の範囲および水準を国がしっかり決める必要があることは言うまで
もありません。

 翌日は中核市市長会議が開催され、「権限移譲」「財源確保」
「地域自律に向けた都市制度再編」の3つのプロジェクト活動報告、
そして「国の施策・予算に関する提言」などの採択を行いました。
このように中核市の総意として国に要望・提言することは、必要な
ことです。
 それらの提言のうち「地方公務員給与と都市自治体の自主性に関
する決議」は、今年度の人事院勧告の実施を見送り、臨時特例法案
により平均7.8%の減額を目指す国家公務員の給与に、地方公務
員の給与についても準じるべきとの政府内の動きに対し、地方のこ
れまでの行政改革や地方分権などを理由に、国の押し付けは許され
るものでなく、自治体の自主性を尊重すべきと意見するものでした。
確かに、国の方針によって、地方の自主性が失われることはおかし
いと思います。しかし、国の非常時に、地方行政をリードする中核
市市長会が、単なる要求団体であってはならないと考え、会議全体
を通しての発言の場で、中核市は、自らの身を削る覚悟で今何が必
要かを議論すべきだと申し上げました。また、全国の中核市の市長
が集まっている会議です。さまざまな角度からもっと突っ込んだ議
論をして、中核市自らが覚悟を持って取り組む姿勢を共有すべきだ
と感じています。中核市サミットについては、現在その在り方を見
直していますので、次回のサミットに期待したいと思います。

 実は、今回ぜひ見てみたいと思っていたのが、会議後の視察コー
スにあったニット製作機械製造・販売の(株)島精機製作所です。
手袋編機からスタートしたという同社は、1本の糸から縫い合わせ
のない手袋を編み上げるノウハウを発展させ、今では無縫製ニット
ウエア製造機械の分野で世界トップ企業にまでに成長しました。広
大な敷地に広がる工場を見学しましたが、「ものづくり」の原点や
大切さをあらためて感じ、地元和歌山から離れることなく、今の社
長一代でここまでの大企業に育てられたことに深く感銘を受けまし
た。

 最後に、和歌山電鐵貴志川線を視察しました。地方鉄道再生の成
功例としてご存じの人も多いと思います。猫の「たま」駅長といえ
ばお分かりになるでしょうか。  
 そのたま駅長に出迎えられ、貴志駅から和歌山駅まで実際に乗車
した電車は「たま電車」で、車両のペイントから椅子や窓まで、と
にかく、ネコだらけでした。こうしたユニークな取り組みや再生に
向けての継続的な取り組みもあり、利用者が増加しているとのこと
でした。元気がある地方鉄道を見て考えさせられるところがありま
した。

大変勉強させられる有意義な機会を得ることができました。      

2011年11月10日木曜日

3期目の折り返し点を迎えて(その2)


 前回のかじとり通信では、あと2年の任期の間にやるべきことや、
めどを付けておきたいことをお話ししました。そして、これまで
「所与の条件」の下で、市政を最良の方向に進めるよう、かじ取り
を行ってきたこともお話ししました。しかし、それだけでは解決で
きないこともたくさんあることを感じています。今回は、過去10
年間の市長経験で感じていること、とりわけ法改正の要望などにつ
いてお話しします。

 まず、地方自治法に関してです。
 現在の行政の会計制度は、単式簿記であり、これだけでは行政
(長野市)の財務状況を正しく表すことはできません。そこで、行
政にも複式簿記の採用が必要だと考えています。将来、国などの関
与を受けず、市が独自の市債を発行して資金を調達する時代になっ
た場合に、正確な将来計画や財務内容を示すことができなければ、
プライムレート(最優遇金利)ではなく、高い金利が課されるとい
った不利な条件になるでしょう。

 複式簿記にできない理由の一つは、従来面積だけで管理していた
道路や河川などを含む保有土地の評価が難しく、評価額の算定が困
難なことです。そこで現在は、国が例示する評価方法(平成19年
10月の通達)のうちから、昭和44年度以降に取得した土地につ
いて、取得原価で評価する簡便な方法を採用して評価しています。
つまり、昭和43年度以前から保有している土地の評価額は、0円
ということになります。例えば、後町小学校の土地については評価
していませんから土地勘定では0円ですが、売ってしまえば大きな
資金が入ることになり、本来ならば変わらないはずの貸借対照表の
財務状況が大きく改善することになります。
 それであれば、全ての土地を不動産鑑定すれば良いと思われるで
しょうが、それには多額の経費と時間が掛かり、あまり意味があり
ません。土地勘定は欄外に出して、土地勘定抜きの貸借対照表を作
るべきでしょうか。
 
 会計制度のことで、もう一つぜひ見直していただきたい制度があ
ります。それは予算の単年度主義です。
 行政が行う仕事は、数年にまたがることが少なくありません。と
いうより大型事業は常に何年かにわたって行われることになります。
しかし、例えば、かなり前から行っているJR長野駅東口の土地区
画整理事業は国庫補助事業ですので、毎年国の予算がいくら付くか
によって、その年の事業量が左右されてしまいます。もし、複数年
度にわたる事業として、10年間にいくら補助金を出しますと決め
てくれたら、市債も計画的に発行しながら、長野市の判断でどんど
ん事業を進められるはずですし、前倒しも可能になるはずです。そ
うすれば、事務費なども格段に少なくて済むはずですから、市債の
発行に伴う金利も、大して問題にならないでしょう。
 しかし、国庫補助の決定前に地方が勝手に事業に手を付けると、
国からの補助金がもらえないというのが、今の制度ですから、市の
思いのままやるわけにはいきません。
 公共事業のスピードアップは、とても大切なことです。ただ、実
際の工事に時間がかかるのではなく、前段階の手続きに時間がかか
っている現状は、何とかしたいものです。

 市議会と理事者の在り方についても触れてみたいと思います。
 市議会で議決していただかなければならない案件は、条例や予算、
決算認定、金額の大きな契約の締結、議会承認人事などが挙げられ
ます。この中で、例えば、決算の認定について、議会の認定が得ら
れなかった場合、決算の効力そのものには直接影響は及ばないので
すが、予算を執行した理事者の政治的責任はどうなるのか・・・。
 また、監査委員(長野市では、市議会議員2人、識見を有する者
2人)の監査では適切とされた決算であっても、議会では「認定し
ない」と判断する場合もあるわけで、これは、監査委員が財務に関
する事務の執行と経営に関する事業の管理について、その合法性や
財政運営の効率性、経済性などを監査するのに対し、議会では政策
的な判断が加わるなど、視点の違いによるものでしょうが、市民の
皆さんには分かりづらいと思います。

 次に、直接請求制度に関してです。
 有権者の2%以上の署名を集めれば、首長に対し条例の制定や改
廃を直接請求できるというもので、このことについては、9月1日
配信のかじとり通信でも、「市役所第一庁舎・長野市民会館の建設
の是非を問う住民投票条例」制定を求める直接請求についてお話し
しました。直接請求制度自体は必要な制度だと思いますが、住民投
票という地方自治にとって重く大きな条例発案までも、有権者の2
%以上の署名があれば直接請求できるというこの規定はどんなもの
でしょうか。いかにも軽すぎます。論理的には署名が集まれば繰り
返し直接請求できると考えられますし、これでは、安定した行政運
営ができません。発案には少なくとも有権者の20%程度の署名は
必要ではないでしょうか。1桁小さいと感じています。

 住民投票の実施に当たっての具体的な方法などが法律に書かれて
いないことも問題です。どんな場合に住民投票ができるのか、どん
なテーマで行うのか、投票に要する費用は誰が負担するのか、条例
案の周知をどうするのか、反対運動は可能なのか、同じテーマで再
度賛否を問うことは可能なのか、署名活動のやり方のルールはどう
すべきか、どのくらいの投票率を成立要件にすれば良いのか、既に
市民の代表である首長と議会が決定したテーマを扱うことは可能な
のか。また、単なるポピュリズムに陥る恐れはないのか。悩ましい
問題です。
 県内においても、佐久市の総合文化会館計画や小諸市役所庁舎と
県厚生連小諸厚生総合病院の併設案に係る住民投票のように、首長
が提議して住民投票を行うという話はありましたが・・・。
 いずれにしろ、二元代表制を補完するのが直接請求制度ですから、
どうあるべきかをもっときちんと法律で定める必要があると思いま
す。     

 次に、選挙制度についてです。
 平成の大合併により市域が広がり、その中で住民の声をどう聴い
ていくかが大きな課題と感じています。長野市では市内全32地区
に設立された住民自治協議会が軸となり、「自分たちの地域は自分
たちでつくる」という理念の下、新たな自治の仕組みづくりを進め
ています。
 一方、従来からの自治の仕組みである、選挙制度の改革も必要で
はないでしょうか。
 特に、政令指定都市では区の区域が選挙区となるように、中核市
以下の市でも選挙区を設けることを容易にしてはどうでしょうか。
 例えば、1人2票にして、市内を小選挙区に分けて選出される議
員と、市域全体から選出される議員を別々に投票するのはどうでし
ょうか。定数や区割りをどうするかなど課題はあるでしょうが、地
域住民の声を市議会により届けるために、そんな改正にも取り組ん
でみたいものです。

 選挙制度についていえば、衆議院議員選挙の「1票の格差」是正
の動きが盛んに報道されていますが、公職選挙法そのものにも問題
が多いと感じています。
 選挙運動における「インターネット利用」や「戸別訪問」の是非、
「禁止される事前運動の定義」なども問題点として検討されるべき
です。

 併せて、全ての選挙について言えることですが、特に市レベルの
選挙における投票率の低下は大変危険な兆候です。このことは、選
挙結果が必ずしも民意を正しく反映していないとも考えられます。
市長就任後、姉妹都市であるアメリカ・フロリダ州クリアウォータ
ー市を初めて訪問した時、長野市長選の投票率が40%台で困った
と申し上げましたら、「それは上出来。クリアウォーター市では
30%に届かない」と言われ、びっくりしました。ある意味、投票
率の低下は、世界的な傾向なのかもしれません。しかし、アメリカ
大統領選挙などは、結構投票率が高いのですから、全ての選挙で投
票率が低いということではないようです。
 地方自治体の選挙には、間接選挙を採用するとか、電話やインタ
ーネットなどによる投票とか、何か抜本的な対策を考える必要があ
ります。投票は「権利」と見みるか「義務」と見るかでも状況は変
わると思います。

 農地法の改正も重要です。確かに農地を守らなくては、将来の食
料生産が心配になることは事実ですが、荒廃農地がこれだけ増えて
しまったのに、その対策は迷走していると言ってよいでしょう。施
設や建物の中で、農作物ができる時代です。法律を変えても良いの
ではないでしょうか。

 農地を宅地などに用途変更する場合は、原則として国や県の許可
が必要です。最近話題のメガソーラー施設の建設候補地として長野
市が県に申請した土地には、荒廃農地が含まれていました。耕作は
放棄されていても農地には規制がかかるため、選定からは外れてし
まいました。
 現地の実情は、市町村と市町村農業委員会が把握しているわけで
すから、それぞれ地域ごとの土地利用については市町村の意向を尊
重し、農地転用や農用地区域(青地)の除外などの権限を市町村に
任せるべきではないでしょうか。青地・白地(青地以外)といった
区別は、土地改良事業で農業生産力向上のために国や県が補助金を
出していた名残でしょう。
 農地の有効利用については、今以上に地方自治体に任せていただ
き、その代わり、市町村は国に必要な農地面積の確保を約束する、
あるいは食料の目標生産の量を設定するというのは、どうでしょう
か。

 所有者の分からなくなっている土地の問題についても困っていま
す。法務省や司法関係の人と話をする際には常に申し上げているこ
とですが、特に中山間地域の土地については相続登記が行われてい
ない場合が多く、3世代、4世代ぐらい経過すると、法的な相続権
のある人がどんどん増えてしまいます。極端な例を挙げれば、公共
事業で必要な土地を購入するために、ブラジルまで印鑑をもらいに
行ったという話もあるようです。こうした問題は、今後中山間地域
だけでなく、空洞化が進む都市部でも発生する可能性があると思い
ます。
 所有者の分からない土地については、裁判所に土地代を供託する
ことにより所有権を行政に移すことが一番良い方法のように感じて
います。

 話は違いますが、土地などの収用も、もう少し簡単にできるよう
にしたいものです。土地は個人の財産ですが、公共の用に供する場
合には、誰か別の人の土地で代替できるというものではないのです
から、その土地の提供は国民の義務といえるのではないでしょうか。

 以上、国や県に物申す形ではありますが、より良い市政運営のた
めに主張していきたいと考えています。
 もう少し今日的な話については、後日、3期目の折り返しを迎え
て(その3)として書きたいと思います。

2011年11月3日木曜日

3期目の折り返し点を迎えて(その1)


 3期目の市長職も、11月10日で4年の任期の半分が終わり、
いよいよ折り返し点を迎えることになります。残り2年間でやり遂
げたいプロジェクトはいろいろあります。全てやりたいのですが、
それは無理でしょう。どこかで踏ん切りを付けなくてはならないと
思っています。
 今後やり遂げなくてはならないことについては、その完成を目指
し努力することは当然ですが、任期中に完成させることは無理でも、
「入りを量りて、出ずるを為す」の精神を基本にめどだけは付けた
いと考えています。

 現在、策定中の第四次長野市総合計画後期基本計画には、今後の
長野市の方向性や目標、つまりやるべきこと、やらなくてはならな
いことなどが過不足なく書き込まれています。

 しかし、長期計画ですから、策定したからといって必ずそのとお
りにできるとは限りません。また、社会情勢の変化の中で、変更す
べきこともあるかもしれません。できるだけ実現させようという強
い意志を持つことは当然ですが、極端な話、市長が代わった場合は、
計画内容を変えることも十分考えられます。
 また、この計画の策定段階では、やりたいけれど、方向性を練り
上げられなかった事業もありますし、今後、民間活力を利用するこ
とで、行政が支援に回る事業もあるでしょう。また、国や県の方針
の変更により計画を見直すこともあり得ると思います。

 そこで、後期基本計画には書き込むことができなかった事業も含
め、私が今後2年間でやり遂げたいこと、少なくともめどは付けた
いことについて、以下のとおり整理してみました。

1 ソフト部門
(1)都市内分権の着実な推進と市民の自立・自治意識の確立
   市内32地区の住民自治協議会が発足して1年半が経過し、
  一括交付金の増額や事務局長配置などの新たな要望が出されて
  います。また、今後、住民自治協議会と支所との関係について
  も組織や業務内容について整理していく必要があります。こう
  した課題を一つずつ解決し、住民自治協議会の自立、地域コミ
  ュニティーの再生を目指し、積極的に取り組んでいきます。
(2)中山間地域の振興
   中山間地域は、市内の13地区にあり、その面積は市域の約
  4分の3を占める一方、人口は市全体の約1割であり、若年層
  を中心とした住民の流出とそれに伴う高齢化、農作物の野生鳥
  獣被害など重く大きな課題を抱えています。こうした中山間地
  域に住む皆さんの生活を維持し、地域の活力が減退することな
  く魅力的な地域であり続ける政策を推進していきます。
(3)公共交通機関の再生
   マイカーの便利さに押されて利用者の減少が続くバスや鉄道
  などの公共交通を新しい発想で再生・活性化させ、都市のイン
  フラとして将来にわたって維持していくことが重要です。その
  ための一つの方策として、平成24年10月から、バス共通I
  Cカードの本格的な導入を予定しています。
(4)長野市民病院の黒字化
   市民病院の経営健全化については、「長野市民病院中期経営
  健全化計画(公立病院改革プラン)」に沿って取り組んでいま
  す。引き続き、救急医療やがん診療を充実させ、市民の皆さん
  に選ばれる病院を目指し、計画に掲げる平成25年度の黒字化
  を前倒しして達成するようにしたいと考えています。
(5)飯綱高原スキー場と戸隠スキー場の経営改善
   スキー場は、長野市の冬の重要な観光資源だと常々思ってい
  ます。民営化などを含め、スキー場のさらなる魅力アップや経
  営効率化の検討を進めて、黒字化の道筋を何としてでも付けた
  いと考えています。
(6)飯戸鬼(いいとき)構想の進展
   飯綱、戸隠そして鬼無里地区が連携し、お互いの魅力を高め
  合う事業を展開します。具体的には、アウトドア体験を気軽に
  楽しめる飯綱高原、人気のある戸隠神社やスキー場、キャンプ
  場を有する戸隠、奥深い自然が魅力の鬼無里、3地域それぞれ
  の魅力を結び付けた観光振興を図ります。
(7)歴史、文化、芸術を大切にするまちづくり
   長野市は、有形無形の歴史・文化財産の宝庫だと自負してい
  ます。平成16年度から行っている「イヤーキャンペーン」で
  も、住民の皆さんと一緒に、市内外にその魅力を発信してきま
  した。引き続き、歴史・文化の魅力があふれるまちづくりを推
  進していきます。
   また、市内にある200を超える野外彫刻を活用した潤いの
  あるまちづくりを推進し、教育や観光振興につなげるとともに、
  新たに芸術作品や伝統芸能などをデジタルアーカイブ化して発
  信することを検討しています。

2 ハード部門
(1)市役所第一庁舎と長野市民会館の建て替え 
   平成26年度の完成を目指し、現在長野市民会館の解体工事
  を進めています。市役所第一庁舎は、市民の皆さんが利用しや
  すく、かつ、いざという時の防災拠点の機能を備えた施設に、
  また、長野市民会館は、本市の文化芸術拠点となる質の高い、
  使いやすい施設にします。
(2)ごみ焼却施設の建設
   長野広域連合の環境アセスメントが終了次第、地元の皆さん
  と十分な協議をしながら、合意形成に向けたステップを着実に
  踏み出します。
(3)斎場2カ所の建て替え
   大峰斎場は、来年度に建設工事に着手する予定です。松代斎
  場については、できるだけ早く地元合意が得られるよう努力し
  ます。
(4)市立小・中学校の耐震化対策 
   事業の前倒しを図ってきた結果、現在の耐震化率は80%で、
  かなり進展してきていると感じています。残りについても早期
  耐震化に向けて計画的に進めています。もう一頑張りです。
(5)JR長野駅東口周辺整備
   主な道路の築造工事が進むにつれ、東口周辺整備が本格化し
  てきたと実感しています。引き続き、地権者の皆さん、関係す
  る皆さんと連携を取りながら、事業を進めたいと思います。
(6)中心市街地(JR長野駅善光寺口前・中央通り・権堂地区)
  の活性化 
   中心市街地の活性化は、まちづくりを進める上で、大変重要
  なポイントです。門前町としての魅力を高め、長野市の顔とし
  て、そして、そこに住む人、そこを訪れる人にとって快適なま
  ちづくりを進めます。

 そして、これから新規に行いたいハード事業がありますので、以
下に記します。
(7)Jリーグ対応のサッカースタジアム
   スポーツは、まちに活力を与えます。スポーツを軸としたま
  ちづくりを進めている本市にとって、JFL(日本フットボー
  ルリーグ)に所属するAC長野パルセイロを応援することは大
  きな意味を持つと考えています。今後、Jリーグ昇格を見据え
  たサッカースタジアムの建設を検討する際は、市の財政負担の
  軽減に考慮する必要があります。また、ファンドまたは出資を
  はじめとする民間活力の利用について十分検討したいと考えて
  います。
(8)茶臼山動物園・自然植物園の再整備とモノレール建設
   茶臼山一帯は、長野市の大きな観光資源と考えています。動
  物園には「レッサーパンダの森」のような新しい展示手法を取
  り入れ、自然植物園はボランティアの皆さんによる植栽イベン
  トなどにより植栽の充実を図るなど、茶臼山エリアの再整備を
  行いたいと考えています。しかし、この区域は傾斜地のため、
  エリア内を移動することがとても大変です。そこで、新たな移
  動手段として、モノレールのような乗り物を計画しています。
   
3 ソフト・ハード両面に関する部門
(1)全ての施策において、省エネルギーの観点を基本とする設計
(2)太陽光発電、小水力発電、木質バイオマスエネルギーなどの
  自然エネルギーの活用 
(3)次世代エネルギーパークの整備
(4)新エネルギーの研究と開発

 前述しました第四次総合計画後期基本計画に位置付けた市の方向
性を実現するためには、私がやり遂げたい具体的な内容である上記
1~3の項目を進めることが何より重要だと思っています。

 国の政権交代の後、国、そして地方自治体という政治の世界に、
新しい動きを模索する動きが出てきているように感じています。
 東日本大震災、福島第一原発の事故、台風12号、15号に見ら
れるような大きな被害、TPP(環太平洋連携協定)参加問題、沖
縄の米軍基地問題、歴史的な円高問題、ギリシャに端を発したヨー
ロッパの信用不安、中近東や北アフリカの混乱など・・・、日本人
全体が、何か鬱屈(うっくつ)したもの、言い知れぬ不安を感じて
いると思います。
 地方自治体においても、「大阪都構想」や「新潟州(新潟都)構
想」の動きも、先行きが読めない状況です。

 私は、従来、市長として権限のないことについて語るのは、犬の
遠ぼえのようなもので、それについては発言しないことを旨として
きました。また、長野市には、国や県に口出しするほどの力はない
と感じていました。所与の条件の中で、最大限、長野市民の幸せと
将来を考えて、市政を運営してきました。その結果として、財政に
ついては現段階において、皆さんにご心配をお掛けしない状況を築
き上げてきました。
 しかし、今後については、市長在任の10年間の経験からもう一
歩踏み込んで、地方自治法や農地法の改正などについて国や県に提
案をしていきたいと考えています。 

2011年10月27日木曜日

もう一つの津波~ため池、決壊


 東日本大震災は未曽有の被害をもたらしました。そうした中、
10月1日付けの中日新聞の記事が、大変気になっています。その
記事を紹介しながら、私の考えを述べさせていただきます(なお、
引用した記事については、「 」書きとします)。

 「3月11日の地震で、福島県須賀川(すかがわ)市にある藤沼
湖(貯水池・約20ヘクタール)のダムが決壊した。水は同市西部
の長沼地区を直撃し、住民7人が死亡、1人が行方不明になった。
津波や原発事故の陰に隠れ、注目を引かなかったが、人命や家が失
われた点では、他の被災地と変わらない。現地では半年以上たった
現在も、復旧工事が進まず、補償をめぐってダムを管理する土地改
良区の組合と被災者たちの確執も生まれている。」というものです。
満水時の150万トンに近い水が一気に流れ出したということです
から、まさに、もう一つの「津波」が山の中で発生したのです。灌
漑(かんがい)用のダム湖、いわゆるため池の決壊により、大きな
被害が発生しました。

 長野市は、海に面していないので、津波の影響はまず受けません。
地震や地滑りが恐ろしいのは当然のことですが、ため池が点在する
長野市にとって、このため池が決壊するとなると、さらに恐ろしい
ことになるのではないかと以前から思っていました。

 昔、飯綱高原の大座法師池のそばに「論電ケ(谷)池(ろんでん
が(や)いけ)」というため池があったことを記憶している人もい
らっしゃると思います(子どもの頃、あの池でカエルを捕まえて遊
んだ記憶があります)。その論電ケ池が決壊し、下流の地域に大き
な被害があったと聞いたことがあります。調べてみましたら、決壊
したのは、1939(昭和14)年4月15日。雪解けの増水で堤
が決壊し、その濁流は浅川流域の中曽根地区などの集落を襲い、死
者19人、流失家屋9戸、浸水家屋83戸、20ヘクタール以上の
田畑が土砂に埋まる被害を出しました。その後、池は埋め立てられ、
現在はアメリカンフットボールのグラウンドになっています。
 こうしたことからも、市内にたくさんあるため池がどうも危ない
のではないかと心配になるのです。

 ため池は、水田の用水不足解消などを目的に、古代から築造され
長い歴史があります。農林水産省の「ため池台帳」によると、ため
池は全国に約21万カ所あり、受益面積が2ヘクタール以上あるた
め池は約6万5,000カ所で、そのうちの約75%に当たる約4
万8,500カ所のため池が江戸時代以前に築造されたとあります。
耐震設計基準が定められたのが1950年代とのことですから、相
当数のため池が基準外ということになります。藤沼湖も、1949
(昭和24)年に築造されたそうです。
 要は、農業用ダム・ため池の大多数が、コンクリートなどを使っ
て現代の土木技術を駆使して築造された安全な物ではないというこ
とです。単に土を盛ってあるだけの物(アースフィルダム)が多く、
同様の物は長野市内だけでも、190ぐらいあるとのことです。
 また、その記事によると、決壊した藤沼湖(ダム)の管理者であ
る江花川沿岸土地改良区は、被災した人たちへの補償金について、
「被災者が求めている金額はとても払えない」とのことです。

 ただ、震災後に「藤沼湖を調査した福島大の川越清樹准教授(流
域環境システム)は、『専門家の間でも、ダムが決壊することは想
定されていなかった。これだけ大きな揺れがあった中で、他に決壊
した場所はないので、藤沼湖のケースは未曽有の現象だったと考え
られる』」と言っておられます。また、「震災後、農林水産省が調
べたところ、全国1765カ所の農業用ダム・ため池で損壊があっ
たとはいえ、大半は小規模。世界的に見てもダムが決壊した例は
1930年以降、報告がない」とのことですので、地震によるため
池の決壊は、それほど心配しなくてもよいのかもしれません・・・。

 しかし、川越准教授は、「21万カ所すべてを調べるのは難しい
かもしれないが、アースフィルダムを中心に老朽化しているものも
少なくない。今回の震災を機に、調査を進めていく必要がある」と
も言っておられるので、現に「論電ケ池」が決壊したことを思うと、
やはり心配になります。

 そういえば先日、大座法師池に行った時、池の水が抜かれていま
した。友人に聞いてみると、池の水をいったん全部抜いて、すみつ
いてしまった外来種のブラックバスを退治し、その後ワカサギを育
てたいとのことでした。ただ、池の泥が深いのでブラックバスを根
絶やしにできるかどうか、その友人は心配そうでした。
 何とかうまくいって、以前のようにワカサギ釣りを楽しむことが
できるようにしたいものです。そうすれば、飯綱高原の魅力が、も
う一つ増えると思います。
 それにしても、大座法師池も農業用のため池ですから、受益者の
農家が減っているだけに、メンテナンスもなかなか大変だなあと思
いました。

 農業の話題としては、今年から新規事業として立ち上げた「長野
市新規就農者支援事業」に応募して、新たに就農を目指す皆さんを
お呼びし、10月14日に「ながの農業再生塾第1回交流会」を開
催しました。この会は、意見交換を通じ相互の連帯感を強めること
を目的に開催したものです。      

 これまで長野市では、農業の後継者を育てるために「就農促進奨
励金支給事業」として奨励金(10万円または5万円を1回限り)
を過去10年間で100人以上の人にお渡ししています。その皆さ
んが現在も農業を継続しているのか調べたところ、ほとんどの人が
現在も農業に従事して頑張っていることが分かりました。それなら
ば、就農支援をもう少し強化しようということで立ち上げたのがこ
の新規就農者支援事業で、研修費として最長で3年間月額10万円
以内を助成、営農資金として2年間月額10万円または5万円を助
成、そして里親農家への支援の三つを柱とした支援策です。特に研
修費助成は、農業大学校などへの研修を義務付けているもので、こ
の事業の特徴です。助成対象者は現在12人で、そのうちの11人
にこの交流会に参加していただきました。その他、農業委員さん、
農協関係の皆さん、そして長野市農業青年協議会の皆さんなどにも
ご参加いただきました。

 まず、新規就農者の皆さんの農業にかける強い志を表してもらお
うと、巻物にそれぞれ名前を筆書きしてもらいました。「血判書」
といっては大げさかもしれませんが、書き入れられた11人の皆さ
んのお名前を拝見したとき、皆さんの熱い思いを感じました。

 その後、新規就農者の皆さんからそれぞれ現況報告をしていただ
きました。「無農薬栽培を研究している」「耕作面積を増やしたい」
「販路を確立したい」、中には「今年の売り上げから、消毒代、パ
ート賃金などを差し引いたら10万円の赤字になった」などさまざ
まな報告がありました。こうした報告に対し、農業の大先輩である
農業委員さんや農協関係の皆さんから意見や助言がありましたが、
「農業は甘いものじゃない」「もうけを考える前に、まずは技術を
習得すること」といった手厳しい意見も出ました。しかし、こうし
た意見も親心からだと思います。新規就農者を応援しようという気
持ちは皆さん一緒です。
 いずれにしても、こうした交流会を定期的に開催し、技術や販売
に関する情報の交換、そして時には、困ったことや不安に思ってい
ることを相談することなどは大切だなあと感じました。一方、新規
就農者がスムーズに農業の世界に入っていけるような、受け入れ側
の環境づくりも、重要であると考えていますし、少し心配でもあり
ます。

 ちなみに、こうした新規就農者への支援事業について、先ごろ農
林水産省が、「新規就農総合支援事業」として来年度予算の概算要
求をしました。長野市が国に先駆けて支援事業を実施しているわけ
で誇らしいことですが、こうした国の事業や県事業も有効に取り入
れ、支援体制をより強固なものにしていきたいと考えています。最
終的には、年間30人、10年間で300人の新規就農者を確保で
きれば、持続可能な長野市の農業が確立できるかなあと思っていま
す。来年1月にも本年度3回目の募集を行う予定で、今後も農業政
策の目玉事業として積極的に取り組んでいきたいと考えています。 
 

2011年10月20日木曜日

秋のイベント 花盛り


 今年は、松代が生んだ偉人・佐久間象山(1811~64)の生
誕200年に当たります。
 前回のかじとり通信で、童門冬二先生に、かつて佐久間象山の本
を書いてほしいとお願いしたエピソードに少し触れましたが、10
月8日・9日に開催された「松代藩真田十万石まつり」も、佐久間
象山生誕200年記念にふさわしい趣向を凝らした祭りとなりまし
た。

 9日に開催された祭りのメーン行事である「真田十万石行列」の
出陣前のイベントでは、東京都板橋区の西洋流火術鉄砲隊保存会の
皆さんによるオランダ式砲術演武が披露されました。1841(天
保12)年に、現在の板橋区高島平で砲術家・高島秋帆(しゅうは
ん)により国内初のオランダ式銃陣演習が行われ、それを再現しよ
うと結成されたのが同保存会です。天保時代当時を思わせる洋風の
軍服を着ての実演でした。佐久間象山の砲術の師である江川英龍
(ひでたつ)が高島の弟子であったことが縁となり、今回ご参加い
ただいたとのことで、会場となった松代城跡二の丸公園に火縄銃の
音がとどろき、その迫力に圧倒されました。保存会の人の解説によ
ると、当時の西洋と日本の戦術の違いは、西洋は、銃の弾から体を
防御することよりも機敏に動くことを重視したため服装は軽装で、
それに対して日本は、重装備。こうした西洋の考え方、戦術を日本
で初めて取り入れたのが高杉晋作で、高杉は奇兵隊を創り出したと
のことでした。

 真田十万石行列でも、今年は佐久間象山隊が組まれ、門下生の坂
本龍馬、勝海舟に扮(ふん)した皆さんも加わり、総勢約300人
が秋の城下町を練り歩きました。佐久間象山役は、長野商工会議所
の加藤会頭さんで、普段掛けている眼鏡を外し、口ひげを付けた加
藤さんは、何となく肖像画で見る佐久間象山に似ていました。そこ
まで見越しての人選であったかは分かりませんが、当の本人はくし
ゃみの連発。付けひげで鼻元がくすぐったかったようで、偉大な佐
久間象山になりきるのは大変だったようです。

 行列には、前述の板橋区西洋流火術鉄砲隊保存会の皆さんも参加
し、バグパイプや小太鼓の音が小気味よく城下町に鳴り響き、祭り
ムードを盛り上げていました。その他、戦国ブームを反映して、そ
れぞれ好みの甲冑(かっちゅう)を身にまとった「戦国武将あこが
れ隊」も、沿道の皆さんに大変人気でした。あこがれ隊の皆さんの
多くは、厚紙などで甲冑を自作したとのことでしたが、立派な甲冑
でした。

 もちろん、行列には、真田家歴代藩主の隊も組まれ、7代藩主幸
専(ゆきたか)隊、8代藩主幸貫(ゆきつら)隊、9代藩主幸教
(ゆきのり)隊も登場しました。私も7代藩主幸専に扮して馬に乗
り、松代の城下町を練り歩きました。8代藩主幸貫には真田家14
代当主の真田幸俊さんが扮して騎乗され、沿道から大きな声援を受
けていました。それにしても、幸俊さんの乗馬姿は本当に様になり
ます。さすが、「お殿様」です。

 午後1時に松代城跡太鼓門を出発した行列は、途中30分ほどの
休憩を挟んで、午後4時に松代城跡に戻りました。「市長さん、お
疲れさま。大変でしたね」と何人もの皆さんから声を掛けていただ
きました。馬に乗っているだけだから楽だろうなんて言わないでく
ださい。体力には自信のある私も馬を下りるのがやっとなぐらい疲
れました。しかし、一番疲れたのは、やはり「槍(やり)振り隊」
の皆さんではないでしょうか。主に20代から30代で結成する地
元の「槍振り隊保存会」の皆さんが、この祭りに向けて練習を積ん
でいらっしゃることは新聞記事で知っていました。いくら若い皆さ
んとはいえ、先端に大きな毛を付けた長さ3メートルほどの槍を、
向かい側の隊員に投げ渡すのですから、大変です。今回私の隊の前
がちょうど槍振り隊でしたので、ずっと後ろから見ていましたが、
やはり沿道のお客さんの注目度はとても高く、槍振り隊が近づくと
大きな拍手で迎えていました。まさに、祭りの花形で、勇壮な演技
は、素晴らしかったです。

 その夜は、更北地区の八幡原史跡公園で恒例の「川中島古戦場ま
つり花火大会」が開催されました。少し肌寒くも感じましたが、会
場には多くのお客さんが詰め掛け、屋台も50店は出ていたでしょ
うか。とにかく盛況でした。特に、花火が連続で打ち上げられるス
ターマインを多くのお客さんが楽しみにしているようで、打ち上げ
後は一層大きな拍手が沸き起こっていました。また、軽快な音楽と
花火が共演するミュージックスターマインも圧巻でした。「花火は、
多くのお客さんを引き付ける魅力を持っているなあ」と、あらため
て感じました。

 前日の8日に、2011篠ノ井イヤー事業として、篠ノ井駅前で
松本蟻ケ崎高校書道部の皆さん24人による書道パフォーマンスが
行われました。第4回書道ガールズ甲子園で見事3位に輝いた“書
道ガールズ”のパフォーマンスを一目見ようと、開始時刻が近づく
につれ、会場には多くの人が集まり、地面に敷かれた大きく真っ白
な紙の周りには二重三重に人垣ができました。
 うわさの書道パフォーマンスは、私がイメージしていたものとは
かなり違っていて、紙の周りをぐるりと囲んだ書道ガールズが、金、
銀のボンボンを両手に軽快なリズムの音楽に合わせステップを左右
に踏む中、1人または2人が交代しながら書き、最後は、墨を含む
と10キログラム以上あるという大筆で一気に書き上げるというも
のでした。若さあふれる元気いっぱいの華やかな書道パフォーマン
スに、集まった皆さんから拍手喝采が沸き起こりました。篠ノ井は、
有名な書家・川村驥山(きざん)が晩年を過ごしたゆかりの地です。
「書のまち篠ノ井」を盛り上げる企画としては、大成功だったので
はないでしょうか。

 同じ日、エムウェーブ前の広場では、「2011長野市農業フェ
アinエムウェーブ」が開催されました。
 この行事も毎年恒例になっており、多くのお客さんが集まってい
ました。出店している農業関係の団体も、単に農産物や商品の宣伝
をするだけでなく、ある程度その売り上げにも貢献しているのでは
ないかと感じました。
 農産物の販売促進を図るには、現段階では、篠ノ井の軽トラ市、
TOiGO(トイーゴ)広場の「ザ・ぎんざ・にぎわい市」などと
いったような“市”やイベントを各地で定期的に開催し、定着させ
ていくことが一番効果的なのかなあと思っています。

 少し前になりますが、中心市街地でも秋のイベントとして9月3
日に「ながの大道芸フェスティバル」、9月23日~25日に「T
OiGO 秋祭り」、10月2日に「2011善光寺表参道秋まつ
り」が開催されました。
 「ながの大道芸フェスティバル」と「2011善光寺表参道秋ま
つり」は、歩行者天国となった中央通りなどで、長野市中央通り活
性化連絡協議会や長野商店会連合会などが主体となり実施され、
「TOiGO 秋祭り」は、地元商店会などが主体となり、TOi
GO広場を中心に行われたイベントです。
 この中でも「ながの大道芸フェスティバル」は、一番古くから開
催されているイベントで、今回が14回目となります。私も様子を
見に出掛けてみましたが、市民の皆さんにもすっかり定着してきた
ようで、多くの人出がありました。大道芸の芸人さんに話を聞くと、
「長野のお客さんがうまくなった」という言い方をされていました。
お客さんが長野の大道芸を育てている、また、お客さんが「投げ銭」
をすることにかなり慣れてきたともおっしゃっていました。

 長野の秋祭りが、本当に盛んになってきています。市民の皆さん
が、一生懸命長野市を盛り上げるために、頑張っています。
 以前から、「長野市では、毎日どこかで何かやっているよ」、そ
んなイベント都市にしたいと思っていました。一歩ずつ実現に近づ
いているように感じています。    

2011年10月13日木曜日

新たな発見、木曽義仲ゆかりの地


 「アート&グルメ ふれあいの町」をキャッチフレーズに、本年
度イヤーキャンペーンを実施している信州新町。ジンギスカン料理
は有名ですし、琅鶴(ろうかく)湖畔の美術館や化石博物館は皆さ
んもご存じのことでしょう。今夏、「ろうかく湖 とうろう流しと
花火大会」に出掛けましたが、花火はもちろんのこと、犀川の水面
を渡る灯籠も幻想的でとても素晴らしかったです。そんな信州新町
で、新たな発見をしました。

 10月1日・2日、木曽義仲にゆかりのある地域の皆さんが全国
から信州新町に集い、「義仲・巴(ともえ)全国連携大会」が2日
間の日程で開催されました。信州新町イヤーのこの機会にぜひ開催
しようと、関係の皆さんが決意したとのことです。イヤーキャンペ
ーンを盛り上げよう、活用しようという地区の皆さんの熱意が感じ
られ、とてもうれしく思いました。

 木曽義仲というぐらいですから、木曽地方が義仲ゆかりの地であ
ることは以前から知っていましたが、信州新町に関係があるとは、
申し訳ありませんが知りませんでした。大会パンフレットなどから
その由縁を紹介します。

 源頼朝・義経のいとことして現在の埼玉県嵐山町で生まれた義仲
は、木曽で育ち、上田市丸子で旗揚げし、力を蓄え信濃の豪族を糾
合し、平家と戦いを繰り広げました。破竹の勢いの義仲に対し、危
機感を募らせた頼朝は、義仲の子を人質に出すよう命じ、義仲は和
睦のために涙をのんで我が子を父の仇敵(きゅうてき)の子・頼朝
に差し出すといった内輪の争いもありました。しかし、有名な倶利
伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで、牛の角に松明(たいまつ)を
付け、敵を谷に突き落とす奇策で平家に大勝した後、北陸路を攻め
上り、一時都を占拠して、天下を取りました。その後、頼朝の命を
受けた義経に攻められ、滋賀県大津市粟津が原の地で戦死しました。
信濃から大勢の人々が家臣団として参加していて、信州新町からも
義仲に付き従う者があり、義仲討ち死に後、家来の竹村氏が義仲の
守護仏である旭観音を信州新町に持ち帰り、同町越道の玉泉寺にま
つったと言い伝えられているということです。

 長野市内には義仲にまつわる場所がいくつかあります。
 鬼無里地区の「木曽殿アブキ」もその一つで、裾花渓谷の清水川
に面した間口60メ-トル、奥行き20メートルの大岩窟のことで
す。その昔、義仲が兵馬300を休めた場所といわれ、また義仲が
討ち死にした後、次男の義重が再挙を企てた場所ともいわれていま
す。
 また、篠ノ井地区には、旗揚げ後の戦いとなった「横田河原の戦
い」の際に義仲が陣を敷いた「横田城跡」があります。この戦いで
大勝した義仲は、その後次々と勝利を重ね都へ上りました。

 ちなみに、当日義仲ゆかりの地からお集まりになったのは、富山
県、福井県、埼玉県や県内の木曽町、鬼無里地区などの17団体の
皆さんです。私は開会式に参加しましたが、開会式前には、長野県、
富山県、石川県、埼玉県の関連のある34の自治体で構成する
「『義仲・巴』広域連携推進会議」が開催され、今後、ゆかりの地
同士が連携を深め、広域的に観光PRをしながらNHKの大河ドラ
マの誘致活動にも力を入れていくことを決めました。
 今回の全国連携大会に引き続き、10月23日には、富山県小矢
部市で「義仲・巴顕彰シンポジウム」が開催されます。また、富山
県のホームページに、「まんがでわかる義仲・巴と越中武士団」が
掲載されていることをお聞きし、「県の公式ホームページにまんが
?」と思いながら、ちょっとのぞいてみました。冒頭、石井富山県
知事のメッセージがあり、そこには「これまで逆賊、乱暴者のイメ
ージで語られがちだった義仲は、実は情に深く、また、飢饉で餓死
者が出るなど、都が混迷し地方が疲弊するなか、公家政治から武家
政治への転換期に国を変えようと地方から身を起こした魅力的な武
将であった」とありました。郷土のヒーロー義仲を広く全国に発信
しようという熱の入れように、こちらも負けてはいられないなあと
感じた次第です。
 思えば、義仲軍が、信濃から北陸、そして、京に至る進軍路は、
これから延伸する北陸新幹線のルートと重なります。義仲・巴に結
ばれる新たな交流軸の予感がしますね。

 実は、その日のお昼に、前述の玉泉寺住職の笠原さんにご案内い
ただき、田中木曽町長さん、当日記念講演をしていただいた作家の
童門冬二さんと信州新町の食堂でおいしいおそばを頂きながら、歓
談しました。
 私は何度か童門先生とお会いしたことがあります。皆さんもご記
憶のことと思いますが、松代をもっと売り出そうと、平成16年に
「エコール・ド・まつしろ2004」を開催しました。その際、松
代を売り出す良い手段はないものかといろいろ考えた末に、「佐久
間象山について、どなたかに本を書いてもらおう」と思い立ち、童
門先生にお願いしたことがきっかけです。もちろん、本も書いてい
ただきましたが、松代へもその後何度かお越しいただき、今も「ふ
るさとNAGANO応援団」にお入りいただいています。
 今年童門先生は、私と一回りちょっと違う84歳ということでし
たが、久しぶりにお会いした先生は、とてもお元気で、食事をしな
がらお聞きした豊富な知識や情報に、ただただ感服するばかりでし
た。

 童門先生の記念講演は、開会式の後に同じ会場の信州新町体育館
で行われました。関係者も含めると約400人の皆さんがお集まり
になり、童門先生の講演を楽しみにしていることがよく分かりまし
た。私は開会式で祝辞を申し上げ、その後別の公務が入っていたの
で、開会式終了時点で退席させていただきました。童門先生の講演
やその後の研究発表などを聞きたかったのですが、後ろ髪を引かれ
る思いで車に乗り込みました。
 ちなみに、童門先生はキャラクターグッズがお好きなようで、信
州新町イヤーのキャラクターで使われている羊の「めんこちゃん」
のピンバッジを差し上げると、とても喜んでいらっしゃいました。
それならばと、篠ノ井イヤーのPRも兼ねて、キャラクターの「お
しのちゃん」のストラップもお渡しした次第です。

 大会は、その後、夜に交流パーティーがあり、2日目は、玉泉寺
の参拝や、県指定史跡の牧之島城跡、今井神社などを巡り、終了し
ました。参加された皆さんに、とても好評であったと聞いています。
 イヤーキャンペーンをきっかけに、地区の皆さんが自分たちの住
む地区の素晴らしさ、豊かさ、そして食べ物であったり、名所・旧
跡であったり、今回のような物語であったりと多くの資源を発信し、
地区に元気と活力をあふれさせることはとても重要なことだと考え
ています。自分たちの地区に自信を持つ元気な皆さんの顔を見るた
びに、イヤーキャンペーンをやってよかったなあと心からうれしく
思います。

 今回の大会のオープニングアトラクションで、信州新町出身の観
世流能楽師・古川充(みつる)さんによる能が演じられ、10月4
日には、古川さんご本人が、後援者のお二人と一緒に、市長室にお
越しくださいました。 
 古川さんは、大学在学中に能と出会い、卒業後、観世流(シテ方)
能楽師に弟子入りされ、厳しい修行を積まれました。現在は、東京
都内と信州新町に稽古場を持ち、信州新町には、月2回帰ってこら
れて、地元の大人はもちろん、子どもたちにも謡曲の指導をされ、
地域発の伝統芸能継承を実践されています。野村萬斎さんの活躍で、
最近は能より狂言が人気とのことですが、古川さんの能は、全国か
ら公演依頼の声が掛かるほどで、将来を嘱望されている能楽師であ
るとのことです。後援者のお話では、長野市出身で、東京で活躍し
ている能楽師は古川さんだけとのことでした。
 11月20日には、古川さんがお越しになって「第2回信州新町
能」が公演されますので、ぜひ、この機会に多くの皆さんに信州新
町にお出掛けいただければと思います。     

2011年10月6日木曜日

長野市選出県議会議員との懇談会


 長野市選出の県議会議員さんは10人いらっしゃいます。9月
26日、県議会開会中にもかかわらず、このうち9人の議員さんに
ご出席いただき、本市が抱える課題に係る要望と意見交換をさせて
いただきました。本市からは、市議会の正副議長さん、副市長、教
育長、上下水道事業管理者、各部局長、関係課長が出席しました。
 開会に当たり、私と石田治一郎県議会議員さんがそれぞれを代表
してあいさつをした後、本市から要望事項として、以下の8項目を
提出しました。

(1)長野県短期大学の4年制大学への移行後の大学像について
 長野県短期大学の4年制大学移行に当たって、魅力ある大学を目
指すとともに、平成24年度末に閉校予定の後町小学校敷地活用の
検討を求めたものです。
 7月に県の「長野県短期大学の将来構想に関する検討委員会」か
ら「長野県短期大学を改組し、新たな公立4年制大学への転換が必
要」との結論が県知事へ報告され、知事は最大限これを尊重すると
発言されました。今後、県において具体的な学部学科、運営体制、
規模などの基本構想策定に向けた検討が行われるとともに、大学開
学のための組織づくりが進められると思います。そこで、本市とし
ては、若者が街なかに集い、行き交うことで新たなにぎわいが生ま
れ、活気に満ちあふれる街とするためにも、閉校後の後町小学校敷
地の活用について前向きにご検討いただきたいと要望しました。そ
して、本市も長野県短期大学の所在地として最大限の協力をしてい
きたいとお伝えしました。

(2)サッカースタジアムの整備について
 JFL(日本フットボールリーグ)のAC長野パルセイロは、現
在18チーム中単独2位と大健闘しており、J2への昇格条件の一
つである「JFLシーズン4位以内」も現実味を帯びてきました。
しかしながら、「ホームゲーム1試合平均観客数3,000人以上」
や「Jリーグの基準を満たすサッカースタジアム(収容能力がJ2
では1万人以上、J1では1万5,000人以上など)の確保」と
いった昇格条件を満たしていないことから、たとえ4位以内を確保
してもJ2に昇格することはできない状況にあります。
 同じJFLの松本山雅FCにはJリーグの基準を満たす県営のホ
ームスタジアム“アルウィン”があることから、スポーツによる長
野県の振興に向けた北信地域の核として、Jリーグの基準を満たす
サッカースタジアムの整備を要望しました。
 もちろん、勝負事ですから、今後どんな展開になるか予測はでき
ませんし、来季以降のことなど全く分からないことです。しかし、
長野市、そして北信地域から、Jリーグで活躍するチームが誕生す
ることは、多くの市民の皆さんが望んでいることでしょうし、長野
市としてもぜひ実現したいプロジェクトです。

(3)北陸新幹線の延伸に伴う要望について
 一つ目は、平成26年度に金沢市まで延伸される北陸新幹線の名
称についてです。本年5月に、県内沿線31市町村で構成する北陸
新幹線長野県沿線広域市町村連絡協議会が、「長野」を入れた呼称
とすることを求める決議をし、国やJR東日本へ要望書を提出して
いるほか、平成21年3月には長野県商工会議所連合会などの商工
関係団体がJR東日本に対し同様の要望をしています。これを受け、
県内の新幹線沿線市町村の総意として、「長野」を入れた呼称とす
るよう、県が先頭に立ちJR各社へ積極的な運動展開をするよう要
望したものです。

 二つ目は、金沢延伸後にJRから経営分離される長野以北並行在
来線について、県において基本スキームの着実な推進が図られるこ
と、存続に要する費用が沿線市町の過度な財政負担とならないこと、
そして、利用促進につながる新駅の設置について県の積極的な支援
が得られることを要望したものです。新駅については、本年8月に
沿線地区などの皆さんから、JR北長野駅と三才駅間での設置につ
いて要望を頂いています。今後、本市において新駅の収支予測や建
設費などの調査を実施し、その有効性を確認していく予定です。

(4)公共交通網の充実について
 最も基本的な社会基盤である公共交通が、利用者減少に伴う採算
性の悪化により衰退の一途をたどっており、各市町村は住民の生活
を支えるため、これまで以上に地域公共交通を確保・充実する施策
を展開していく必要があります。
 そのためには、県による新たな財政支援制度の創設と、これまで
どおりの財政支援を要望するとともに、車両購入費などに対しても
現在の制度を拡充するなど積極的な財政支援を要望しました。

(5)新規就農者の確保・育成対策への支援拡充について
 農業後継者・担い手不足に対する対策は喫緊の課題であり、本市
では本年度から、市内外から就農希望者を募り、農業の担い手を確
保・育成するため、研修費助成や営農資金助成を行う「新規就農者
支援事業」を先駆的に実施しています。しかし、現状ではこの制度
を利用した新規就農者数が年間目標に達していないことから、県農
業改良普及センターなどの関係機関やメディアを通して幅広く事業
の広報を行う必要があると考えています。
 一方、新規就農者の育成に当たっては、国、県、市の連携が不可
欠であることから、県においても県農業大学校での実践学習や販売
・経営指導などの教育課程の充実のほか、県の「農業担い手育成基
金」および「里親農家への支援制度」の拡充を要望したものです。
また、国が検討している「新規就農総合支援事業」の平成24年度
からの着実な実施に向け、国への働き掛けを強く要望しました。

(6)野生鳥獣対策について
 野生鳥獣対策としての防護柵設置事業に対しては、市内各地区か
ら事業実施の要望が多く出されています。しかし、活用している国
の「鳥獣被害防止総合支援対策交付金」については、平成24年度
以降の事業継続が不透明であることから、事業の継続と事業費の拡
充について、国へ強く要望していただくようお願いしました。
 また、県の「野生鳥獣総合管理対策事業」のうち個体数調整事業
については打ち切り補助ではなく、実績(捕獲頭数)に応じた補助
金の交付と一頭当たりの補助金額の増額を要望したものです。
 野生鳥獣捕獲については、狩猟者の労力や経費の負担が大きいた
め、県補助金に本市独自の嵩(かさ)上げを行っているのが現状で、
県の打ち切り補助に伴う本市の負担が非常に大きくなっています。
特に、本市の野生鳥獣被害の特徴として、イノシシによる被害が被
害総額の30%以上を占め、大変大きくなっています。これに対し
県の本年度予算は、ニホンジカ捕獲報奨金がイノシシ捕獲報奨金を
上回る状況になっており、ニホンジカ捕獲報奨金が前年度比約
1.8倍の1,500万円と増額であるのに対し、イノシシ捕獲報
奨金は、前年度比半減の85万円となっています。
 一方、本市の本年度の県補助金の交付見込みは、ニホンジカは、
120頭の捕獲に対し、県補助は59頭分。これに対し、イノシシ
は、480頭の捕獲に対し、県補助は29頭分となっており、イノ
シシの捕獲頭数に対する県の補助が極めて少ない状況が分かります。

(7)県管理道路の整備促進について
 県管理道路は、都市基盤の強化、広域連携による産業・経済の活
性化に極めて重要であり、その多くは震災対策緊急輸送路に指定さ
れているため、防災・減災の観点からもその整備は急務です。しか
し、本市内の県管理道路の改良率は、平成22年4月1日現在で、
県平均77.3%を大きく下回る70.1%であるため、渋滞対策、
交通安全対策を含めた重点的な整備を要望しました。
 主な要望箇所としては、長野電鉄屋代線廃止に伴う代替路線とし
て、バスの定時運行が求められている国道403号について、関崎
橋東詰交差点改良、松代町岩野地区と若穂綿内地区の整備のほか、
本市の東外環状線の一部を構成する県道三才大豆島中御所線のエム
ウェーブから五輪大橋までの間について、早期4車線化と五輪大橋
の無料化などを要望しました。

(8)災害に強い県管理の砂防・河川施設の整備ならびに浅川治水
対策促進について
 流域住民の生命・財産を守り、安全・安心な地域づくりを推進す
るため、県施工の基幹的な砂防、地すべり対策、河川施設整備など
について、一層強力な取り組みを要望しました。東日本大震災や栄
村を中心とした地震、また、各地で発生する集中豪雨により多くの
土砂災害や浸水被害が発生しており、本市においても、今後災害発
生が懸念されます。  
 県内の砂防・河川施設の整備率は依然として低く、さらに年々、
県の砂防・河川事業の予算額が急速に減少している状況です(砂防
事業は、ここ10年で半減となる約106億円。河川事業は、ピー
ク時の平成10年度の約2割に当たる約85億円)。
 なお、浅川の主な内水対策である排水機(ポンプ)については、
平成28年度までに最低3基の増設を県に要望しました。また、内
水対策計画は、「千曲川の水位が計画高水位を超えないこと」を前
提に計画されています。しかし、既往最大流量となった昭和58年
9月の洪水に対応する千曲川河川整備の時期が明確になっておらず、
地元の皆さんは豪雨時の浅川の排水ポンプ停止に対し不安を抱いて
います。

 以上、8項目の要望をさせていただきました。
 その後、いろいろ懇談させていただきましたが、県議会議員の皆
さんからは、特に異論はなく、本市の要望実現に対し、ご努力いた
だけそうな雰囲気で、私は意を強くしたものです。なお、懇談の席
では、太陽光発電システムの設置場所として要望が強い荒廃農地の
利用についてや、県内の動物園で一番規模の大きい茶臼山動物園、
そして先日募集を行った住宅リフォーム補助金についても、意見交
換させていただきました。 
       

2011年9月29日木曜日

支所期日前投票時間延長の結果と新しい市議会


 9月18日に執行された長野市議会議員一般選挙は、平成22年
1月に合併した信州新町と中条村の旧2町村の区域にそれぞれ特例
で設けた選挙区を解消し、全市1選挙区で実施したもので、現職
28人、元職1人、新人10人の計39人の皆さんが当選され、女
性は6人全員が当選されました。20日に当選証書付与式が行われ、
私はあいさつで、「お互い市民の負託に応えるべく、協力し、ある
いは意見を交わしながら、長野市の健全な発展と市民福祉の向上に
努めたい」と申し上げました。
 今後、当面は各議員さんの政策実現に向けた会派構成をめぐる動
きが活発になるのであろうと思っています。

 今回の選挙では、有権者の皆さんがより投票をしやすく、そして
少しでも投票率を上げるための方策として、暫定措置ではあります
が、市内27カ所の支所における期日前投票の投票時間を2時間延
長し、夜7時までとしました。
 その結果を見てみますと、9月11日の告示日の翌日12日から
投票日前日の17日までの6日間(支所は13日から16日までの
4日間)の投票者数は、本庁と支所を合わせて2万6,973人で、
前回の市議会議員一般選挙の2万507人より6,466人増加し
ました。その内訳は、本庁では9,056人で、前回の9,578
人より522人減少しました。支所では、1万7,917人で、前
回の1万929人より6,988人の増加となり、支所の投票者数
が著しく伸びた結果となりました。
 しかし、本庁の投票者数が減少し、支所の投票者数が増加する状
況は、平成22年7月執行の参議院議員通常選挙以後、8月の県知
事選挙、今年4月の県議会議員一般選挙と同様ですので、今回の投
票時間延長の影響だけではないと考えられます。

 また、今回投票時間を延長した午後5時から午後7時までの2時
間の支所における投票者数は3,066人で、支所で期日前投票を
した人の17.11%でした。この数字は、他の時間帯と比較して、
投票者数が特に多くも少なくもないという結果でした。
 当然、各支所で投票状況は異なりますが、午後5時以降の投票者
が多かった支所は、篠ノ井240人、川中島263人、更北240
人、安茂里210人、信州新町336人でした。逆に、投票者が少
なかった支所は、七二会18人、信更16人、長沼5人、小田切2
人、芋井9人でした。

 今回の時間延長では、約3,000人の有権者の皆さんが延長し
た時間中に投票され、投票の利便性向上には一定の効果があったも
のと思います。しかし、多くの有権者の皆さんに投票に行っていた
だくようお願いしてきましたが、残念ながら投票率は46.32%
と、過去最低であった前回の49.71%よりも、さらに3.39
ポイント下がってしまいました。やはり投票時間を延長したからと
いって、それがそのまま投票率向上につながるわけではないという
こと。つまり、投票しやすい環境の整備だけでは、投票率が向上し
ないわけで、政治に市民の皆さんの関心を向けるための何らかの方
策が必要であると感じています。しかし、ここが一番難しいところ
で、他の自治体でも苦慮している点だと思っています。
 なお、投票日の最高気温が34.8度と、この時季としては異常
な暑さとなりました。市選挙管理委員会からの報告では、正午から
午後4時までの投票者は2万138人で投票日における投票者の
17.42%、前回は3万1,429人、24.29%で、暑い時
間帯の投票率が特に低かったそうです。

 市選挙管理委員会では、今回の選挙の結果を受け、今後の支所期
日前投票時間の延長について、本市が10月から11月にかけて行
う「まちづくりアンケート」で市民の皆さんの声を広くお聴きする
予定です。  
 アンケートでは、今回の市議会議員選挙の投票率が結果的に下が
ったこと、延長措置に伴い約300万円の経費増となったことを踏
まえて、今後の選挙でも投票時間を延長すべき、従来どおりに戻す
べきなどの選択肢から選んでいただく予定です。
 こうしたアンケート結果を基に、支所の現場の意見や、各地区住
民自治協議会のご要望などをお聴きしながら、総合的に検討し、来
年度当初をめどに支所期日前投票時間に関する方針を決定する予定
です。

 期日前投票の制度について私の考えを少し述べたいと思います。
本来は、告示後、選挙公報が出て、有権者はその選挙公報を見てか
ら投票するわけです。それがこの期日前投票の制度では、告示日の
翌日から投票できることになっています。場合によっては、選挙公
報も見ず、選挙運動を通した各候補者への理解も深まらないうちに
投票することになるわけですから、本来の趣旨からするとどうなの
かなあと思ってしまいます。法律で定められた制度の問題ですので、
私が何を言っても変わるわけではありませんし、期日前投票がなけ
れば投票率はもっと下がるでしょう。ジレンマを感じてしまいます。

 いずれにしても、10月1日から新しい構成による議会活動が始
まり、中旬に開催される市議会臨時会で正副議長も決まります。二
元代表制である地方自治において、議会と市長は、共に市民に直接
選挙で選ばれた独立・対等な立場で、チェック・アンド・バランス
機能を保ちながら切磋琢磨(せっさたくま)することが肝要である
と考えています。

 その10月臨時会には、住宅リフォーム補助金に係る補正予算案
を提出する予定です。9月1日、住宅リフォーム補助金の募集をし
たところすごい人気で、用意した予算5,000万円分は、当日の
早い時間帯に終了してしまいました。これは経済対策の一環で行っ
たものですが、総事業費を推定すると、6億円ぐらいの需要が喚起
できたようです。
 しかし、応募者が予想を大きく上回り、多くの皆さんの要望に応
えられなかったので、予算を増やすべきとのご意見が寄せられ、市
としても急遽(きゅうきょ)対応策を考えました。通常ですと、次
の補正予算案の提出は12月定例会となりますが、それでは実際の
募集が来年2月ごろになってしまいます。今年は、前述のとおり市
議会議員選挙がありましたので、10月に臨時会が開催されるため、
そこに補正予算案を提出し、12月初めごろに再度募集したいと考
えています。補正予算額をいくらにするかはまだ決定していません
が、できるだけ多くの皆さんのご希望に沿えられればと思っていま
す。なお、この住宅リフォーム補助金については、来年度予算にも
盛り込む必要があると考えています。

 議会の話題で、芹澤小諸市長さんが住民投票実施の発議を取りや
められたことについて触れてみたいと思います。小諸市の新庁舎と
県厚生連小諸厚生総合病院の併設案に関わる補正予算案については、
併設案についての議論不足として、9月市議会において否決される
可能性が高まっていました。そこで、芹澤小諸市長さんは、補正予
算案否決の場合には、住民投票実施を発議すると表明されていまし
た。結果として、市議会が同予算案を可決したため、市長が併設案
などの是非を問う住民投票実施の発議には至らなかったものです。

 住民投票については、8月25日および9月1日のかじとり通信
でもお話しさせていただきましたが、やはり、どういうものを対象
に行うのか、どんな方法、手順で行うのかという基準や手続きがは
っきりしていないのは問題だと思っています。国も、住民投票がで
きるとしているだけで、その中身など具体的なことについては何も
示していません。住民投票は、本来、間接民主主義を補完する役割
を担うべきものなのでしょうから、これを前面に出していくと、行
政におけるねじれ現象を引き起こす可能性があり、混乱の元になる
と考えています。それ故、今回、小諸市議会において補正予算案が
可決されたことは良識のある判断であったと思っています。

 住民投票は、住民の声を聴いてほしいと住民が請求する場合もあ
れば、理事者や議会から発議する場合もあります。理事者や議会か
ら発議された主なものとしては市町村合併を問う住民投票などがあ
りましたし、佐久市の総合文化会館建設に係る住民投票がありまし
た。  
 やはりこの問題は、いろいろな角度からもっと掘り下げ、さまざ
まな議論をし、目的、対象案件、手法・手続きなどについて、その
根本から作り上げる必要があるとあらためて感じています。

 間接民主主義の根幹である選挙における投票率の低下と住民投票
を求める昨今の風潮は全く無関係ではないのではないかと私は思っ
ています。つまり、投票率が高ければ高いほど、多様な住民の意見
や考えが、選ばれた代表者に集約されるわけですが、投票率が低け
れば、残念ながら、そのようにはならず、偏りが生じてしまう可能
性があります。そうすると、選挙によって選ばれた住民の代表者で
決めたはずの議会の結論にも、納得できないと思う住民が出てくる
のではないかと考えられます。投票率が低下して、間接民主主義が
十分に機能しなくなってきていることが、住民投票という直接民主
主義の手法を求める動きに表れているのではないでしょうか。
 こうしたことからも、選挙における投票率の低下は、さまざまな
問題に波及する大きな課題だと思っています。 
        

2011年9月22日木曜日

東日本大震災被災地視察


 長野市議会議員一般選挙が終了し、今後4年間の議会の枠組みが
決定したことになります。
 今回の選挙は、定数39人に対し46人が立候補し激戦でしたが、
残念なことに投票率は前回の49.71%を3.39ポイント下回
る46.32%でした。
 いずれにしても、当選した皆さまにお祝い申し上げるとともに、
市長と議会という二元代表制の下、お互いに長野市民の負託に応え
るべく協力し、あるいは意見を交わしながら、長野市の発展と市民
福祉の向上に努めていきたいと考えています。

 9月13日、東日本大震災で被災された宮城県の被災状況を視察
してきました。
 悲惨な被害状況は、既にテレビや新聞で見ていますし、いろいろ
な解説も聞いていますので、状況はおおむね把握しているつもりで
す。長野市としても被災者の受け入れなど精いっぱいの支援をさせ
ていただいています。しかし、今後の本市の防災や被災地の支援を
考えていく上で、現地の状況を一度は自分の目で見ておいた方が良
いと思いましたし、ぜひ見るべきだとのご意見も頂いていましたの
で、震災から半年が経過したこの時期なら訪問してもあまりお邪魔
にならないだろうと考え、出掛けたものです。また、長野市職員が
現地に入って行政事務のお手伝いをしていることを広く皆さんに知
っていただく良い機会にもなるだろうとの思いもありました。

 今回は、長野市からの派遣職員が業務に従事している塩竈(しお
がま)市を主に、被災現場を駆け足で見させていただきました。
 塩竈市では、2日前に市長選挙が終わったばかりで、そんな時期
の訪問でご迷惑だったかもしれませんが、佐藤市長さん、内形(う
ちがた)副市長さん、そして市民総務部長さん以下多くの職員の皆
さんが対応してくださいました。市長さんからは、長野市職員の支
援に心からの感謝を頂き、私も「長野市職員が何らかのお手伝いが
できたとすればうれしく思います」とお答えしました。
 今後は、いよいよ復興に向けてのお手伝いということで、道路や
下水道施設の設計などを行う技術職員の派遣要請を頂いていますの
で、引き続き精いっぱい協力させていただくことを約束してきまし
た。
 一つ驚いたのが、塩竈市役所庁舎の耐震化工事が大震災発生の数
日前に完成したばかりであったとのことで、びっくりしました。し
かし、その工事は庁舎の半分だけで、残りはまだやっていなかった
が、建物への被害はなかったとのこと・・・もう一度びっくりでし
た。

 続いて、塩竈市職員の案内で、被害が大きかった寒風沢(さぶさ
わ)島へ小型船で渡り、漁協の役員さんの説明を聴きながら徒歩で
現地を見て回り、最後に漁協の事務局でお話を聴きました。塩竈市
の本土側は、この島をはじめとする島々が防波堤の役割を果たして
くれたので被害が少なかったとのことで、その分、島の被害は大変
なものであったことを確認してきました。

 島から戻って、車で10分ほど移動し、塩竈市の隣の多賀城市を
訪問しました。多賀城市は、3月11日の大震災発生の翌日、長野
市消防局を中心とした長野県の緊急消防援助隊が最初に活動した地
域の一つです。また、菊地多賀城市長さんは、全国史跡整備市町村
協議会の会長を務めておられ、私も同協議会副会長としてのお付き
合いがありましたので、今回訪問したものです。市長室で懇談しま
したが、同協議会事務局長の菊地多賀城市教育長さんも同席されま
した。
 奈良・平安時代に陸奥国府「多賀城」が置かれたため、同市は、
多賀城跡をはじめ多くの文化財や名所が市内各地に残る由緒ある歴
史の街です。今回の震災では、そうした貴重な文化財も被害を受け
ています。7月に東京で開催された同協議会予算対策懇談会でも、
多賀城市をはじめ被災した各地の文化財の被害状況の報告と併せ、
それらの修理・復旧、そしてそのための国への予算要望について、
菊地会長さんを中心に話し合いを行いました。
 なお、多賀城市では、復興に向けて住宅などの高台移転が検討さ
れているようですが、この場合も埋蔵文化財調査が必要になり、
「そのための予算をどうしたらよいか頭を抱えている」とのことで
した。復興までには、解決しなければならない問題が山積している
ことをあらためて感じました。

 多賀城市の後は被害が大きかった名取市へ行きました。ここ名取
市も、塩竈市同様、長野市消防局が活動した場所です。車窓からの
視察でしたが、所々に積み上げてある巨大な瓦礫(がれき)の山。
そして、水田は青々としているのですが、それは稲ではなく、伸び
放題になった草、草、草。海水をかぶっているため、塩抜きをしな
ければ稲の作付けはできないそうです。
 塩を抜く方法として、現段階では二つの方法が考えられており、
一つは水を流し入れて代かきなどにより表土を洗う方法、もう一つ
は重機で表土を削り、新たに土を入れる方法だそうです。しかし、
前者の場合、費用は10アール当たり約5万円掛かるそうですが、
その他に洗った後の水を流す排水路の整備が必要になるとのことで
す。また、後者では10アール当たり約40万円とかなり費用が掛
かるとのことで、いずれの方法も現実的にはかなり困難だと感じま
した。報道などでは大きく取り上げられていないと思いますが、と
ても大きな問題です。

 今回の短い視察では、判断できないこともありますし、被害が大
きかった三陸海岸方面へは行っていません。ましてや、福島第一原
発のことは皆目分かりませんから、私の意見を述べることは差し控
えるべきと思いますが・・・。
 しかし、私はちょっと違った見方をしてきました。それは、被災
地の復興の早さ、そして復興に向けた街の勢いです。震災から半年
が経過しましたが、想像していた以上に被災地の皆さんは頑張って
いる印象で、すごいパワーを感じました。実際の生活再建、企業活
動の再生までにはまだ多くの時間が必要でしょう。しかし、前泊し
た仙台駅前の夜のにぎわいなどは、どこに被害があったのか全く分
からないほどで、さすがに政令指定都市だと思いました。居酒屋風
のとある飲み屋の前には、順番待ちの行列ができていました。人々
のパワーと街の力強さを感じました。原発問題さえ収束のめどが立
てば・・・、復興・再生は早いと信じることができました。

 話は変わりますが、JFL(日本フットボールリーグ)で、AC
長野パルセイロが健闘しています。
 9月11日の対Honda FC戦は、0対0の状態が続くスト
レスがたまる戦いぶりで、結局はそのまま引き分け。しかし、19
日の対横河武蔵野FC戦では2対0で快勝。ついにトップの
SAGAWA SHIGA FCに、勝ち点で1ポイント差まで肉
薄しました。

 現在の好成績を見て、いよいよJリーグへ準加盟申請を出す条件
の整備に手を付ける必要が出てきたように思います。
 J2への昇格には、スタジアムの整備やホームゲームの1試合平
均観客数3,000人以上(これまでのホームゲームの1試合平均
観客数は、2,100人強)など難しい課題があるのですが、まず
はJリーグに対し、Jリーグ入りを目指していますという意思表示
をし、Jリーグの審査を受けて、Jリーグ準加盟クラブとして承認
してもらう必要があります。準加盟クラブになると、Jリーグ本加
盟に向けた専門家の指導や助言が受けられるようになります。また、
意思表示をしっかりしないと、チームから良い選手が流出してしま
う心配もあるとのことで、“前へ”という姿勢を示すことも大切な
のだそうです。
 なお、準加盟クラブになると、年間120万円の会費(J2へ昇
格すると年間2,000万円)が必要になるそうですので、クラブ
経営の柱である入場料収益を得るための観客数の増加は、やはり大
きな課題だと思います。
 さらに、準加盟申請には、行政の応援姿勢があることなども明記
する必要があるとのことで、次の一歩を踏み出すかどうか、悩みは
続きます。

 スポーツの話題をもう一つ。9月8日のかじとり通信で、各種ス
ポーツの世界大会や全国大会に出場する皆さんを紹介しましたが、
ちょうどそのかじとり通信を配信した後に、第12回少年世界空手
道選手権大会と第54回小学生・中学生全国空手道選手権大会に出
場した選手の皆さんが、その結果報告に来てくれました。世界大会
では、金メダル1つ、銅メダル3つ。全国大会でも、金メダル1つ、
銀メダル1つ、銅メダル2つと素晴らしい成績です。特に、両大会
での金メダルは、中学2年生の関きららさんが“形(かた)の部”
で優勝したものです。皆さんがあまりにも優秀な成績を収められま
したので、報告させていただきました。

 一昨日に東海地方、昨日は関東地方に大きな被害をもたらした台
風15号は、日本列島を縦断し、東北地方も直撃しました。東日本
大震災の被災地が復興に向けて頑張っている中、追い打ちを掛ける
ような自然の猛威です。
 今年は大変な年になってしまったなあと自然に対するある種の無
力感を覚えるとともに、あらためて、行政としての危機管理体制の
強化と一人一人の災害に対する備えの重要性を強く感じています。
   

2011年9月15日木曜日

市議会議員選挙が告示されました


 9月11日、4年に一度の市議会議員一般選挙が告示されました。
投票日は18日ですから、もうすぐです。皆さんには、ぜひ投票所
に足を運んでいただき、清き一票を行使して市政に参加していただ
きたいと願っています。

 今回はより一層投票しやすくするため、暫定措置ではありますが、
支所における期日前投票の時間を2時間延長し、夜7時までとしま
した。これによる行政側の事情を申し上げますと、投票管理者や立
会人の負担、人件費などの経費(細かく言えば電気料なども掛かり
ます)、支所職員などの通常業務への影響も大きく、果たしてその
分に見合う投票率のアップが見込めるかどうか不透明なところもあ
ります。しかし、3月市議会定例会において、議員全員一致で要望
されたことですので、それに応えて今回の暫定措置ということにな
ったものです。

 市議会議員選挙に限らず、市長選挙、県議会議員選挙、県知事選
挙、国会議員選挙まで、投票率の低下は悩みの種です。民主主義イ
コール選挙とは思いませんが、このまま長期低落傾向が続けばどう
なるか。
 投票率が低い場合、例えば、特定のグループなどが強引に投票を
促した場合、そのグループが支持する候補者が当選する確率は高く
なりますし、結果として本来の民意とは懸け離れてしまう恐れがあ
ると思っています。
 選挙への無関心、あるいは無力感、お任せ民主主義などに対し、
非常に危機感があります。

 その意味からすると良いことだと思っているのですが、今回の市
議会議員選挙は、定数39人のところへ46人が立候補するという
近頃にない多数激戦です。
 世代交代期なのでしょうか、現職が11人引退されて、立候補さ
れたのは、現職が29人、元職が1人、新人が16人の合計46人
です。個々の候補者についてお話しすることは遠慮させていただき
ますが、住所、年齢、性別、党派、職業など大変多彩な顔触れです。
立候補者が大勢いらっしゃるということは、有権者の選択肢もたく
さんあるということですから、基本的には歓迎すべきことです。8
月末になって、立候補を予定されていた新人の方が、急病でお亡く
なりになったことにはびっくりしました。心からご冥福をお祈りし
ます。

 市長と市議会とは、地方自治の場における二元代表です。
 すなわち、国会の議決で決まる内閣総理大臣と違い、市長も市議
会議員も、別々に市民の投票で選ばれるわけですから、市長として
も市議会議員選挙の結果に関心を持たざるを得ないことはご理解い
ただきたいと思います。

 二元代表制について少しお話しさせてください。
 二元とは、首長と議会(議員)のことをいうことは、当たり前で
すが、現実の社会において、二元代表制が機能するかどうか、なか
なか難しい問題があります。
 議会という言葉を使いましたが、議会は、議員個人の集団です。
個人はそれぞれの主義主張があって、同志が集まって会派を結成し
ています(無所属の方もいらっしゃいます)が、各会派が同一意見
になることは、なかなか難しい。従って、二元代表制といっても、
首長の“一元”に対して、議会の“一元”は多数の合意体であり、
いわば“多数・元”というのが実態です。

 首長としても、職員の議論を聴き、議会の意見、審議会の意見、
市民動向(世論)を察して施策を公表していくことになりますから、
“一元”という言葉は当たらないのかもしれません。しかし、職員
は首長の部下ですから、表面的には意見は統一しやすいでしょう。

 具体的には、首長は、議会に議案を提案する前に、事前の話し合
いや勉強会を通じて、議会と十分な意見交換をしています。

 議員さんによっては、また会派によっては、そういう事前の話し
合いを好まない方々もいらっしゃいます。それはそれで仕方がない
のですが、市政運営に当たって、この部分がとても重要なことだと
思っています。

 事前の話し合いや勉強会は、談合だとおっしゃる方がいらっしゃ
います。私は違うと思っています。議会における論議だけでは十分
に意思疎通や意見交換ができないということは、結構多いのです。
議会での議論は、どうしても形式論になりがちで、本音が表れない
ことも多い。本会議(典型は議会討論ですが)では、メンツ、行き
掛かり、建前主義の中央意見などで言い争うこともあり、不毛な議
論になりがちです。

 長野市という地方自治体の中での意見交換は、国・県の動向を推
測しながら、その範囲内で行うことが必要です。国・県の場合と違
って、市政では市民に直結するテーマが多いことから、形式や建前
を基にした議論は、混乱を助長するだけです。インフォーマルな意
見交換が大変有効であると、常々感じているところです。

 都道府県は、市町村と同じ二元代表制です。
 振り返ってみれば、長野県では、「知事と議会はガチンコ勝負」
とおっしゃって、事前の意見交換をやらなかった故か大混乱に陥り、
不信任議決につながるほどの騒ぎになってしまったことがありまし
た。事前の勉強会、意見交換、そして議案の事前修正(反対意見の
受容)などが重要であることを示す典型的事例でしょう。

 ちなみに、国は、議院内閣制ですから、二元代表制とは根本的に
違います。先頃民主党の代表選に引き続き内閣総理大臣の指名投票
がありましたが、これも国会の中での議員同士のネゴシエーション
(交渉。協定・取引などの話し合い。)といってよいのでしょう。
直接選挙によって選ばれる首長と違い、内閣総理大臣は国会議員の
中から国会の過半数の賛成で選ばれるのですからネゴシエーション
は当然のことです。

 なお、地方自治体でも首長の不信任議決はできるのですが、これ
は議会の場で議員の3分の2以上の出席の下に、その4分の3以上
の賛成があってのことです。しかし、その場合であっても、首長は
失職を受け入れずに議会を解散して、議会議員選挙をやり直すとい
う手段も選択できるわけで、国会内の議論だけで内閣総理大臣の交
替ができる国とはかなり事情が違います。もちろん国でも内閣不信
任決議を受けて、衆議院を解散するということはありうるわけです
が・・・。

 形式、建前の議論の具体的な事例を一つ書きますと、ある議員さ
んから議会で「憲法9条をどう思うか?」という質問がありました。
その議員さんは、原子力反対からアメリカとの安保条約などについ
て、延々と持論を披露された後に私の見解を聞かれました。

 私はこういう時、「長野市長として自分に権限がないことについ
てはコメントしません」とお答えしています。強いて言うなら、憲
法は9条も含め不磨の大典にすべきでないということを申し上げて
います。
 逃げと言われるかもしれませんが、私が何の権限もないことに意
見を言うことは犬の遠吠(ぼ)えみたいですし、ただ対立をあおる
だけの不毛な議論は、市政に何のプラスにもならないと考えている
からです。

 さて、話がだいぶ横道にそれてしまいましたが、二元代表制をし
っかりと機能させ、より良い市政運営を行っていくためにも、ぜひ
市民の皆さんには、市議会議員選挙の投票所に足を運び、ご自身の
長野市政に対する思いを託せる候補者に投票していただくようお願
いします。 

2011年9月8日木曜日

スポーツなど元気な報告


 盆前のかじとり通信(8月11日配信)では長野市の夏祭りをい
ろいろと紹介しましたが、今回は、夏祭り同様、元気な長野市を象
徴する話題としてスポーツなどについて報告します。

 サッカー・JFL(日本フットボールリーグ)のAC長野パルセ
イロは、昨年JFLへの昇格を果たし、今年が1年目です。まだ、
シーズンの半ばですが、現在18チーム中、単独2位で、十分優勝
を狙える位置に付けています。ホームゲーム1試合平均観客数約
2,000人は、まずまずの結果でしょうが、Jリーグへの昇格条
件の一つである1試合平均観客数3,000人には、まだまだ足り
ません。8月25日に開催された篠ノ井地区元気なまちづくり市民
会議の中でも、多くの皆さんからサッカーを中心にしたまちづくり
の必要性を要望され、篠ノ井地区の皆さんのサッカーに寄せる熱い
思いを感じました。その時お集まりの皆さんにもお願いしましたが、
一人でも多くの皆さんに応援に行ってほしいと思っています。私も
時間の許す限り、南長野運動公園総合球技場へ応援に行って、サッ
カーの楽しさを満喫しています。

 この夏、市長室に素晴らしい若者たちが来てくれました。陸上競
技や野球、バレーボールなど、厳しい予選大会を勝ち抜いて世界大
会や全国大会に出場するに当たり、あいさつに来てくれたのです。
これから紹介する皆さんの他にも、全国大会などへ出場したチーム
や選手はもっとたくさんいらっしゃるのでしょうが、ここではお越
しになった皆さんについて紹介します。

 7月6日から10日にかけて、第7回世界ユース陸上競技選手権
大会がフランスのリールで開催され、女子400メートル障害で、
県立長野高校の瀧澤彩選手が4位に入賞しました。
 昨年の全国高校総体では、1分3秒96で予選落ち。しかし、今
年は、6月の北信越高校総体を59秒78で優勝。世界ユース代表
に選ばれたとのことです。前年から一挙に4秒以上タイムを縮めた
わけですから、すごいことです。
 世界ユースでは、見事に決勝進出。決勝では残念ながらメダルに
は届かなかったのですが、自己ベストの58秒80で4位(3位と
の差は0秒43)でした。世界のトラック競技の舞台で、入賞する
なんてめったにないことですし、正直びっくりしています。また、
8月の全国高校総体では、2年生ながら見事に優勝されています。
将来へ期待が膨らみますよね。

 7月25日、少女ソフトボールクラブ豆小ダックス(大豆島小学
校の児童を中心に活動されています)が第25回全日本小学生女子
ソフトボール大会への出場報告に来てくれました。塩尻市で開催さ
れた県大会の決勝戦では、松代町の清野ファイターズとの長野市勢
同士の戦いで、優勝は清野ファイターズ、豆小ダックスは準優勝。
全国大会へは、両チームが出場するとのことでした。

 7月28日には、若穂ソフトボールクラブです。4月から5月に
かけて行われた長野県中学生春季ソフトボール大会で見事優勝。第
11回全日本中学生男女ソフトボール大会へ長野県代表として選ば
れました。県大会の決勝戦では、延長の末、サヨナラ勝ちで優勝し
たとのことです。しかも2年連続全国大会への出場ということで、
大変誇らしいことです。

 7月29日、南長野少年野球(長野市南部エリア8チームからの
選抜チーム)が来庁してくれました。高円宮賜杯第31回全日本学
童軟式野球大会の長野県大会で、南長野少年野球チームと南俣少年
野球チームという長野市勢同士の決勝戦を戦い、南長野が勝利して
代表の座を初めて獲得したものです。同全国大会は、伝統ある大会
で、“小学生の甲子園”とも呼ばれているそうです。

 8月3日は、若穂ジュニアバレーボール男子が第31回全日本バ
レーボール小学生大会の出場報告に来てくれました。同チームは、
平成18年に全国制覇をしたこともある強豪です。千曲市で行われ
た県大会では、相手チームに1セットも与えることなく、圧倒的な
強さで優勝したと聞いています。

 8月17日、長野南リトルリーグが来てくれました。2011ザ
バス(大会スポンサー名)杯全国選抜リトルリーグ野球大会(硬式
野球)に信越リーグの代表として出場しますが、予選となる信越夏
季大会兼長野県・新潟県両知事杯争奪戦では、長野市から出場した
長野南と長野東の決勝戦になったようで、長野市長としては、大変
誇りに思いました。全国大会第1回戦の相手は、開催地九州の第1
代表の強豪チームとのことです。

 9月5日には、濃紺の剣道着に黒などの胴と垂を着けた少年少女
剣士が第6回全日本都道府県対抗少年剣道優勝大会への出場報告に
来てくれました。選手の皆さんは、それぞれの所属チームで主力選
手として活躍されており、長野県代表に選抜されての参加とのこと
ですが、なんと6人全員が長野市からの選出。さらに過去5回の代
表選手も全員長野市の選手とのことで、これには本当に驚きました。
長野市の剣道は、県内で圧倒的な強さを誇っているわけです。“豆
剣士”と言っては失礼でしょう。精悍(せいかん)な6人の小学生
でした。これまで達成できなかった予選突破ができるよう応援して
います。

 実は、今日8日も、日本空手協会市内4支部の子どもたちが、第
12回少年世界空手道選手権大会、第54回小学生・中学生全国空
手道選手権大会出場結果を報告に来てくれます。競技種目は違いま
すが、一つの目標に向かって打ち込む若い皆さんとお会いするのは、
とても楽しみなことです。

 いろいろな種目で全国大会へ進出するチーム・選手が多くなって
いることは、大変うれしいことです。
 ちなみに、世界大会、全国大会での皆さんの結果について申し上
げますと、瀧澤さんは前述のとおりですが、その他の皆さんはなか
なか厳しい結果だったようで、やはり全国の壁は高く厚いというの
が正直な感想です。しかし、全国大会に出場したことを糧に、徐々
にチーム・個人の競技力が向上していくものと期待しています。そ
して、中学、高校へと進学し、さらに腕を磨いてくれることを願っ
ています。

 野球のBCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)信濃グ
ランセローズは、今シーズン前期を上信越地区2位で折り返し、後
期も9月8日現在2位と頑張っています。また、バスケットボール
では、千曲市を拠点とする県内初のプロチーム・信州ブレイブウォ
リアーズのbjリーグ(日本プロバスケットボール・リーグ)参入
が昨年8月に正式に決まり、来月開幕のレギュラーシーズンが間近
に迫っています。チームと千曲市とのタイアップ事業も計画されて
いるようで、地元の屋代駅前商店街などを中心に“バスケットボー
ルのまち”の雰囲気が高まっているようです。チームは、全国制覇
を目指しているそうです。

 市長就任以来、「スポーツを軸としたまちづくり」を標榜(ひょ
うぼう)してきたのですが、少しずつ実現の方向になってきたかな
あ・・・とうれしく思っています。

 スポーツとは違いますが、学校の音楽関係でも皆さん頑張ってい
ます。東海吹奏楽コンクールの素晴らしい成績を紹介します。
 各賞を複数校が受賞している部門もあるようですが、報道により
ますと、市内高校、中学校では、高校A編成の部で、県立長野高校
が金賞、長野東高校が銀賞を受賞。また、中学A編成の部では、裾
花中学校が金賞を受賞し、柳町中学校が銀賞を受賞したとのことで
す。
 同コンクールの高校B編成の部では、長野清泉女学院高校が金賞、
文化学園長野高校が銀賞を受賞。中学B編成の部では、若穂中学校
が金賞を受賞したとのことです。

 スポーツや音楽、絵画などの文化芸術活動は、みんなに元気を与
え、潤いを与えてくれるものです。

2011年9月1日木曜日

住民投票条例の直接請求(その2)


 今回のかじとり通信では、前回に引き続き、市役所第一庁舎およ
び長野市民会館の建て替えと住民投票条例制定の直接請求について、
お話ししたいと思います。

 住民グループからの住民投票条例制定を求める直接請求に対して、
私は条例制定は不要であるとの意見書を付けて、議会に諮りました。
理由としては、大きく二つあります。

 一つ目としては、前回のかじとり通信でもお話ししたとおり、市
役所第一庁舎と長野市民会館の建て替えについては、既に3年もの
間議論を重ね、市民の皆さんに説明し、十分に意見をお聴きしまし
た。その上で市民代表である議会と協議し、方針を決定し、議会の
議決を経て進めてきました。しかし、こうした手順を踏んで積み上
げてきたにもかかわらず、さらに住民投票を行うということは、こ
れまでのプロセスや合意を全て無にすることになり、市民の皆さん
や議会を巻き込んで、市政が大混乱に陥ると考えたからです。

 二つ目としては、この事業は、単に賛成・反対の投票だけで決定
できるような一面的な問題ではないと考えるからです。賛成といっ
ても、また反対といっても、実はそれぞれにさまざまな考え方があ
るわけです。それ故、市民の皆さんの意見を十分お聴きし、世論の
動向(大震災・安全安心・文化芸術振興も含めて)をきちんと把握
し、市の将来的な財政負担や財政計画も十分検討した上で、進めて
きているのです。

 現在の地方自治制度では、議会の議員と首長とがそれぞれ選挙に
より選ばれる二元代表制が採られていますので、両者が対立すると
何事も一歩も前に進まなくなってしまいます。ですから、市民の皆
さんへの説明と対話により、市民の皆さんの声を十分に把握した上
で、議会と議論を尽くして決定していくのが、本来の地方自治の進
め方だと考えています。市役所第一庁舎と長野市民会館の建て替え
については、市も議会も、この手続きをしっかり進めてきたわけで、
その結果である議会の議決は大変重いものと考えています。

 今回の直接請求に関する私の意見書や市議会の議決に対して、
「住民投票は地方自治法で定められた制度で、それを否定するとは
何事か」というような論調がありましたが、これについては、若干
の誤解もあるようですので、私の考えと併せて申し上げたいと思い
ます。

 地方自治法で定められた制度は、有権者の2%以上の署名があれ
ば、条例の制定や改廃を直接請求できるという、住民から市政への
発案制度です。しかし、この制度自体には、「住民投票」という文
言はどこにも入っていません。住民投票はこれだけの署名があれば
実施できるという規定ではないのです。
 そして、直接請求に基づく条例の制定・改廃の適否を判断するの
は議会です。今回は、住民グループからの発案が住民投票条例の制
定であったわけで、それを議会が不要と判断したこと自体は、法の
制度に沿ったものです。

 私は、直接請求自体を否定しているわけではありません。ただ、
住民投票という地方自治制度にとって重く大きな発案が、有権者の
わずか2%の署名があればできるという点には疑問を感じています。
住民投票は、議会制民主主義という地方自治における意思決定方法
の例外に当たるわけですから、それなりの発案要件や成立要件など
を含めて、しっかりと議論されてしかるべきだと思うのです(この
考えは、前回のかじとり通信でも自治基本条例の話の中で申し上げ
ています。また、住民投票制度については、国と全国知事会や全国
市長会などの地方六団体で議論になっているようです)。
 既に議会が決定した事項でさえも、有権者の2%が直接請求すれ
ば、住民投票の議論をしなければならないというのは、制度的にも
少し無理があるのではないか、と感じています。

 それから、大震災による財源への懸念や、子どもたちの将来の財
政負担を心配される意見もお聴きしました。これについても、あら
ためて説明したいと思います。
 建て替えの一番大きな財源として合併特例債があります。合併特
例債は、市債(市の借金)ですが、市が元利償還する際に、国がそ
の7割を交付税で措置をしてくれる有利な借り入れです。

 合併特例債について、資金繰りの話をしますと、国からすぐお金
が入るわけではなく、当面は長野市が銀行などから借金して(市債
を発行して)建設を行います。第一庁舎や市民会館の建設の場合で
すと、主な返済は平成29~30年ごろから始まり、その時点で国
が手厚く支援してくれる、そんな仕組みなのです。
 従って、「そんな資金があったら被災地に回すべき」とのご意見
に対しては、手元に資金があるわけではないと申し上げなくてはな
りません。市債を発行して建設が進んで、その市債の返済時期にな
って、初めて国の支援が受けられるのです。
 また、国では、大震災の復興経費は通常予算とは別枠との見解を
示していますので、復興支援が地方財政に影響することも、市の事
業が復興の妨げになることもないと考えています。合併特例債につ
いても、国と地方の約束ですし、全国で500以上の自治体が現に
活用していますので、これを減額や廃止するという事態はあり得な
いと思っています。

 このように、合併特例債を活用することにより、市の実質負担は
小さくなります。また、市では建設基金を積み立ててありますので、
両施設建設の全体事業費119億円~134億円のうち、市の新た
な負担は3億5,000万円~10億円で済むと試算しています。
 合併特例債は、国の支援を得ながら、建設から大体10年間で返
し終わる予定です。市では、中期的な財政推計を行いながら、市全
体の事業を計画していますので、今後、大規模プロジェクト事業に
より、平成27年度ごろまでは一時的に予算規模と起債残高が増加
しますが、その後は、これまでの水準に落ち着いていく予定です。

 また、長野市は被災地に対し、精いっぱいの支援をしています。
今後も、被災地の要望に沿って支援を継続していくつもりですし、
他市と比べても支援内容に全く遜色はありません(これも前回のか
じとり通信に書きましたのでご覧ください)。
 被災地の支援も、第一庁舎と市民会館の建設も、もちろん通常の
事業も、財政的には十分対応できるのです。

 いずれにしても、市役所第一庁舎は、市の防災拠点として、市民
の安全・安心を守る中心的な役割を担うとともに、さまざまな市民
サービスを提供する、行政機能の拠点としての役割を担います。ま
た、長野市民会館は、市民が日常的に文化芸術に触れ、それに携わ
り、長野市の文化や市民の皆さんの力を発信する拠点となる施設で
す。
 いずれも、長野市の将来のまちづくりと元気づくりに向けて、欠
かせない施設の一つであり、将来を担う世代のためにも、必要で優
良な「投資」となることを確信しています。

2011年8月25日木曜日

住民投票条例の直接請求(その1)

 
 9月市議会定例会(今年は9月に市議会議員選挙が行われるため、
8月に開催されました)に提出された市民グループの直接請求によ
る「市役所第一庁舎・長野市民会館の建て替えの是非を問う住民投
票条例」と議員提案による「第一庁舎・長野市民会館建設基本計画
に基づく建て替えに関する住民投票条例」の両議案は、活発な審議
の結果、否決されました。

 今回の直接請求の背景としては、3月に発生した東日本大震災に
より、事業の実施に対して市民の皆さんの中に漠然とした不安が生
じているという面もあろうかと思います。  
 市としては、震災発生直後に消防局職員(延べ173人)、上下
水道局職員(延べ18人)、保健師(延べ18人)を被災地へ派遣
することはもとより、市民の皆さんからの義援金および救援物資を
受け入れて被災地に届けるとともに、被災した岩手、宮城、福島県
の各市長会、盛岡、郡山、いわき市の中核市、そして栄村に合計1
億円の見舞金を支出しました。現在も、罹災(りさい)証明書発行
事務などに伴う行政事務職員(延べ88人)を派遣したり、被災地
からは市営住宅などに70世帯227人を受け入れたりしていると
ともに、夏休み期間中には一時的な避難として保科温泉に延べ
1,694人、1日平均48人(8月23日現在)を受け入れまし
た。震災発生以来継続的にこのような支援を行っていますし、今後
もできる限りの支援を行っていくことは、言うまでもありません。

 その一方で、本市の将来を見据えたとき、市役所第一庁舎および
長野市民会館の建て替えは、安全・安心で活力あるまちづくりの実
現に向けて、必要かつ重要な事業であると考えています。
 市の防災拠点としての機能を持つ庁舎建設が必要であることはも
ちろんのこと、「育む」「楽しむ」「創る」「つなぐ」の4つの役
割を持つ新市民会館は、市の文化力をさらに発展・向上させ、地域
文化を創造・発信し、都市としてのレベルアップをも担う、市民の
皆さんにとって大切な文化芸術拠点になるものと確信しています。
また、財政計画も考慮しながら着実に事業を実施していくことが、
行政の責務であると考えています。

 本件につきましては、既に3年もの間、議論してきた経過があり、
関係資料の全戸配布や説明会などで市民の皆さんに説明し、十分に
ご意見を伺ってきました。その上で、市民代表である議会と協議し、
方針を決定するというように、丁寧に手続きを重ね、議論を尽くし
て決定したものです。
 その結果、議会では、本年1月の臨時会で現市民会館の廃止を出
席議員の3分の2以上の特別多数議決で決定し(条例で定める重要
な公の施設を廃止する際は議決のハードルが高いのです)、また、
3月の定例会では、大震災後の3月23日、新しい市民会館の基本
設計費や現市民会館の解体費などを盛り込んだ平成23年度予算を
議決していただき、建て替えの意思を明確にお示しいただきました。

 今回の定例会でのご決定により、議論には一定の区切りが付いた
ものと考えていますので、今後も市民の皆さんに分かりやすく丁寧
に事業計画を説明するとともに、地方自治の二元代表制の一翼を担
う議会との協議を通じ、平成26年度の完成を目指して、事業を進
めていきたいと考えています。
 当面は、現在進めている施設の設計者選定を進め、設計作業に着
手するとともに、今年度予算で認められた現市民会館の解体工事に
も取り掛かる予定です。

 なお、投資不足、需要不足とも言われるわが国経済の中にあって、
老朽化した社会基盤の整備や維持補修などへの投資は、需要喚起、
雇用吸収などの点で有効な施策です。本市としても、健全な財政を
堅持しつつ、必要な社会資本への積極的な投資などを通じ、まち全
体の活性化も図っていきたいと考えています。

 住民投票が議論された今議会でしたが、都市内分権を進めている
本市としては、真の市民参加によるまちづくりを進めていくために、
住民自治協議会の成熟状況などを十分に見極めながら、近い将来、
自治基本条例の制定と向き合う時期が来るものと考えています。

 その際は、自治基本条例の目的から始まり、法的な位置付け、ま
ちづくりの主体とその権利や責務、情報の公開や共有、市民との協
働の手法や機会、さらには住民投票に関する規定を盛り込むか否か
など、二元代表制との調和も考えながら、多岐にわたる分野での検
討が必要になるだろうと感じています。

 いずれにしても、この条例制定は、将来の市政の根幹に関わる極
めて重要な事項でありますので、市民・議会・行政、それぞれの立
場での議論を尽くし、その集大成として制定に至ることが、単なる
理念にとどまらず真に実効性のある条例としていく上で不可欠だと
思っています。また、今後の国・県、そして世論の動向も注視しな
がら、検討していく必要があると考えています。

 市議会定例会の質疑の中で、住民投票を「恐れてはいけない」と
の意見がありました。
 私は、「恐れてはいない」とお答えしました。なぜなら、議会の
議決に至るまでには、市も議会も市民全体の意向をお聴きし、それ
を十分にくみ取ってきたわけですし、その上で両者が協議を行い、
理解し合った上で、修正すべきものは修正しています。過去の議決
は全てこの過程を踏んでおり、今回は、より丁寧にこの手続きを重
ねてきたのです。
 このように市役所第一庁舎及び長野市民会館の建て替えについて
は、本来の手法で進めてきた事案ですから、この段階で住民投票と
いう単に賛否だけを問う方法で決めるべき問題ではないということ
を、ご理解いただきたいと思うのです。

 以上、今回のかじとり通信では、9月市議会定例会での閉会のあ
いさつで申し上げた内容を中心に述べさせていただきました。
 次回のかじとり通信では、引き続きこのテーマで私の考えを述べ
たいと思います。

2011年8月18日木曜日

盆明けのかじとり通信(最近の読書)


 3月11日の東日本大震災、翌日の栄村を中心とした地震で、世
の中が変わってしまった感がありますよね。3月から4月にかけて、
あらゆることが自粛ムードになってしまいました。
 本市では、長野オリンピック記念長野マラソンの中止が代表的で
したが、私個人でも泊まりがけで予定していたスキー旅行を自粛し
ましたし、3月から4月の市職員の人事異動時期の送別会や歓送迎
会も、ほとんど自粛になってしまいました。被災地の惨状を思えば
当然のことと思いますが、約40年間も勤務して退職する市職員に、
単に記念品だけを渡して送り出してしまうことは、すごく申し訳な
い気持ちでした。

 私個人とすれば、前述のように歓送迎会などの中止により空いた
時間を家でかじとり通信の執筆や読書に充てていましたが、このま
までは、日本の元気が失われていく一方だと心配していたのも事実
です。
 
 4月末ぐらいから、自粛の行き過ぎは、日本全体の萎縮につなが
り、震災の復興のためにならないといったムードが出てきて、長野
市では、ゴールデンウイークあたりから、少し元気が出てきました。
現在は8月、大震災以来ほぼ5カ月が経過しています。
 今、時代は大きな転換期にありますが、今回のかじとり通信では、
日本の将来の道しるべともなる素晴らしい書物をいくつか紹介させ
ていただきます。

 新田次郎・藤原ていという作家をご両親に持つ数学者である藤原
正彦さんの「国家の品格」を読んで感銘を受け、その一部をかじと
り通信などで時々紹介させていただいていることは、皆さんもご存
じのとおりです。

 その藤原さんが「日本人の誇り」(文春新書)という本を書かれ
ました。読ませていただき、またまた深く感銘を受けました。
 藤原さんは、同書の中で政治、経済、外交、教育など全てにおい
て危機的状況にある今の日本を憂い、祖国再生の鍵として、以下の
とおり述べていらっしゃいます。
 「一般に多くの困難を解決しようとする場合、一つ一つ着実に片
づけて行こうと誰でもまず考えますが、大ていの場合、労力がかか
るばかりで成功しません。いかなる個人や組織であろうと、さらに
はいかなる国、世界であろうと、多くの困難が噴出しているという
のは、それら全てを貫く何か一つの基軸が時代や状況にそぐわなく
なっているということを意味します。従ってその基軸を変えること
で諸困難を一気に解決する、というのが最も効果的なばかりか容易
でもあるのです。そして最も美しいのです。(略)美しいものを目
指すことが万事において真へ達する道であり善に到達する道なので
す。」つまり、「真・善・美は同じ一つのもの」とおっしゃってい
ます。

 さらに、「この世のあらゆる事象において、政治、経済から自然
科学、人文科学、社会科学まで、真髄とはすべて美しいのだと私は
思っています。何故だかよく分かりませんが、私の経験では常にそ
うなのです。」と述べておられます。

 そして、日本が戦後どのような基軸で歩んできたかについて、以
下のとおり言及しています。「日本近代史における戦争を考える時
に、満州事変頃から敗戦までを一くくりにした十五年戦争や昭和の
戦争がありますが、このように切るのは不適切と思います。その切
り方はまさに東京裁判史観です。(略)私の考えは(略)、ペリー
来航の1853年から、大東亜戦争を経て米軍による占領が公式に
終ったサンフランシスコ講和条約の発効、すなわち1952年まで
の約百年を『百年戦争』とします。」

 その上で、「百年戦争は日本の大敗北となりました。しかし(略)
大局的見地から見ると、実は百年戦争は日本の大殊勲だったのです。
ペリー来航以来、日本が希求してきたものは、第一に独立自尊でし
た。そして第二には、そのためのアジア主義、すなわち日中朝が連
帯して白人によるアジア支配を食い止めることでした。第一のもの
について日本は、百年戦争の最後の6年半ほどアメリカによる統治
を受けただけで、曲がりなりにも有史以来の独立自尊を保つことが
できました。(略)第二のものについても、日本はほぼ独力で達成
してしまいました。(略)アジアを食い物にしていた白人勢力に日
本が敢然と立ち向かう姿を見て、アジアの人々はもはや白人への畏
怖や恐怖を持たなくなりました。(略)1941年には独立国がア
ジアでは日本、タイ、ネパールの3国、アフリカではエチオピア、
リベリア、南ア連邦の3国しかなかったのが、その11年後、百年
戦争の終る時点では合わせて100カ国を超えたのです。」と述べ
られています。
 この本を通読してみて、「百年戦争」という時代認識はそのとお
りだなあと感じるとともに、日本は素晴らしい国家、美しい国なの
だとの藤原さんの主張に深く感銘を受けました。それ故、「自国へ
の(略)誇りと自信こそが、現代日本の直面する諸困難を解決する
唯一の鍵」と藤原さんは訴えておられるのです。
 
 また、藤原さんは、アメリカが占領政策・言論統制・徹底した検
閲を通して実施した、「終戦のずっと前から練りに練っていたウォ
ー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP(*)
=戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画)(略)
『罪意識扶植計画』」について述べられています。このことについ
ては、江藤淳さんの「閉された言語空間」(文春文庫)でその実態
についてつづられており、少し前にそれを読んだ時、唖然(あぜん)
としたことを思い出します。江藤さんも、アメリカの検閲政策は、
「古来日本人の心にはぐくまれてきた伝統的な価値の体系の、徹底
的な組み替えであることはいうまでもない。」と述べられています。
 その後、自虐史観(江藤さんによると、「日本人のアイデンティ
ティと歴史への信頼(略)崩壊」)なるものが、「今日に至るまで
脈々と、多くの善良な日本人の精神の奥深くに、気づかぬうちに根
を張っているのです。」という藤原さんの言葉を痛感しています。
 失った自国への誇りと自信を取り戻し、何とか藤原さんのおっし
ゃる「美しい国」を目指したいものです。

 本棚を整理していたら、「自分の品格」(三笠書房)という本が
出てきました。2008年に出版された上智大学名誉教授の渡部
(わたなべ)昇一さんの著書です。
 「その道で『一流』になっている人は、必ずその人なりの『品格』
や風格が顔や背中に滲みでているものだ。また、そういう人は、人
から厚く信頼され、盛り立てられ、人間的にも魅力が増し、さらに
いい仕事、大きな仕事をしている。そのような人に共通しているこ
とが、一つある。それは自分の手に負えそうもない壁にぶつかって
も、けっして諦めないことである。」

 人生訓のような本はいろいろな人が書いており、それぞれ立派で
すが、渡部さんの主張は、昔から納得のいく論であると感じている
ところです。最近出版された「日本の歴史」(WAC BUNKO)
全7巻も楽しく読ませていただきました。

 遠山啓さんの「文化としての数学」(光文社文庫)。これは藤原
さんが数学者だったので、他の数学者の本を読んでみたくなり、読
んでみました。遠山さんは、数学の持つ性格、正確さと厳しさが、
子どもたちの中に「正邪(せいじゃ)を見分ける判断力、不正や虚
偽を憎しみこれと妥協しない強固な性格、困難と戦ってこれを征服
する忍耐力を(略)形造る」とおっしゃっています。
 美しい精神にこそ、「美しい国」に通じるものがあると思います。

 山本七平さんの「『あたりまえ』の研究」(ダイヤモンド社)、
「勤勉の哲学」(PHP文庫)、「『常識』の研究」(文春文庫)
などは昔読んだ本ですが、ユダヤ教や日本教という言葉に引かれて、
夢中になって読んだ本です。
 「『あたりまえ』の研究」によると、「日本人は無宗教でもけっ
して無規範ではない。(略)世界で最も厳しい個人的規範をもって
おり、それであるがゆえに世界で最も秩序立った犯罪の少ない社会
を形成しているはずである。だがこれが、宗教=規範の世界には理
解されず、(略)しばしば誤解される。(略)では、それを説明し
相手を納得さすにはどうすればよいか。」宗教=規範というような
前提を持っている外国人からすれば、なぜ、「泥棒もせず、嘘もつ
かず、悪いこともせず、だれも見ていないのに日々誠実に働き、ま
じめな日常生活を送っているのか」と述べられています。
 このような国際社会における「説得力」の問題のほか、日本の歴
史上の人物を分析することなどを通して、日本人を考察された傑作
です。

 阿久悠さんの「清らかな厭世(えんせい)」(新潮社)という本
も読みました。彼の歌詞は、カラオケで大好きですが、文章も素晴
らしい、納得できるものでした。美しい日本語を大切にされた希代
の作詞家が、多くの警句をつづられています。

 その他、私の好きな作家は、司馬遼太郎さん、梅原猛さん、童門
冬二さん・・・夢中になって読んだ時代がありました。いずれも、
美しい文章で、そして真面目に考えさせられる本でした。     
 今回紹介した本は、人生の教訓、そして生きていく糧になる本で
した。

*WGIP:War Guilt Information
 Program

2011年8月11日木曜日

今年の夏祭り


 7月下旬からお盆にかけて長野市は、夏祭り真っ盛りです。また、
スポーツ大会などさまざまなイベントもめじろ押しです。

 権堂町では、先月22日から今月7日まで「長野七夕まつり」が
開催され、権堂アーケード通りは、東日本大震災の被災地を応援す
る作品などが色とりどりに飾られ、今年も華やかな雰囲気でにぎわ
っていました。
 昔の活気に比べれば、それほどではないのですが、地元商店会の
皆さんが頑張っている伝統の七夕祭りで、これからの権堂再生へつ
なげていこうという心意気が感じられます。浴衣姿で七夕祭りを楽
しむ市民の数も、もっと増えてほしいですね。

 週末の7月30日と31日には、いろいろなイベントが市内各地
で行われ、私も開会のあいさつなどのため、両日市内を駆け回りま
した。

 30日は、最初に、「第45回長野市少年野球大会」開会式に出
席しました。
 大会前日の29日から、新潟県や福島県で人的被害が出るほどの
大雨が続いていましたので、当日の天気が心配でしたが、何とか開
会式を行うことができました。あいさつでは、選手の皆さんに、
「東日本大震災により、野球をやりたくてもできない仲間がいる中
で、野球ができることへの感謝の気持ちを忘れないでほしい」とお
願いしました。
 大会は、小学生の部78チーム、中学生の部25チームが参加し
て12日間の日程で熱戦が繰り広げられ、昨日閉幕しました。

 その日の夕方以降は、毎年の恒例行事になった3つの祭りの“は
しご”です。
 まず、「若穂ふれあい踊り」に行きました。年々、規模が大きく
なり、にぎやかになっている祭りです。湯島天満宮の祭りと一緒に
開催しているもので、県道を歩行者天国にして、新しい踊りの連も
加わってとても盛況でした。本市では、夏休み期間中、福島県から
一時避難された皆さんに保科温泉を無料開放して滞在していただい
ていますが、そうした皆さんも祭りに招待されていました。私から
は、「長野市の夏祭りを楽しんでください」とお伝えしました。こ
うした皆さんを温かく迎えていただいている若穂地区の皆さんには、
感謝の気持ちでいっぱいです。

 次に向かったのは、「第41回篠ノ井合戦まつり」です。篠ノ井
駅前通りはすごい人出で、AC長野パルセイロの監督、選手も加わ
って、大変にぎやかでした。パルセイロは、翌日、南長野運動公園
総合球技場でV・ファーレン長崎との試合を控えていました。開会
のあいさつで、篠ノ井イヤーも順調に進んでいるので、この夏の祭
りの成功、そして、明日のパルセイロの勝利を願うとともに、ぜひ
みんなで篠ノ井を盛り上げましょうと申し上げました(ちなみに、
パルセイロの試合は、0対0の引き分けでした)。

 最後は、「第32回大豆島甚句まつり」です。
 大豆島甚句は、350年以上も前から、うたい、踊り継がれてき
た郷土芸能であり、昭和55年に長野市の無形文化財に指定された
ことを記念して、大豆島甚句まつりが始められたと聞いています。
 以前は、大豆島の狭い通りで踊っていたのですが、一昨年からは
新設された広い大豆島公園で、にぎやかに甚句と踊りが披露される
ようになり、たくさんの人が参加できるようになったものです。会
場を変更した新しい形の祭りが徐々に地域に根付いてきていること
が感じられました。
 お聞きすると、甚句が残っている地域の連帯を考えておられるよ
うで、当日は中条地区の皆さんも参加されて、伊折(いおり)甚句
を披露しておられました。

 翌31日は、もんぜんぷら座にあるこども広場「じゃん・けん・
ぽん」で同広場利用者50万人達成の式典を行い、50万人目の親
子に記念品を差し上げました。その後、式典に集まった親子連れの
皆さんとじゃんけん大会をやったのですが・・・私は早々に敗退し
てしまいました。

 その後、浅川地区のボブスレー・リュージュパーク“スパイラル”
に向かいました。ここでは、「夏フェスタinスパイラル2011」
が長野県ボブスレー・リュージュ連盟の主催で開催されていました。
ボブスレー、リュージュ、スケルトンといったそり競技の普及など
を目的に開催され、子どもたちの滑走体験コーナーもあったようで
す。また、浅川スパイラル友の会の皆さんの呼び掛けにより、みん
なで会場内の草刈りをし、その後行われた焼肉パーティーにご招待
いただきました。地元の市議会議員さんもご出席になり、楽しい語
らいがありました。

 それから、篠ノ井駅前まで移動し、「長野市近郊の獅子の祭典」
を観覧しました。篠ノ井イヤーのイベントの一環ということで、今
年は、篠ノ井の大獅子2基(内堀区と芝沢区)に加え、権堂町の勢
(きおい)獅子、千曲市上山田温泉の勇(いさみ)獅子を迎えて、
4基の獅子が篠ノ井駅前通りを勇壮に練り歩きました。

 篠ノ井にこんな大獅子があることを知らなかったのですが、一昨
年の善光寺御開帳の際に、大勢の篠ノ井地区の皆さんと一緒に大獅
子が中央通りを練り歩き、善光寺に奉納されたことで知ることがで
きました。篠ノ井の大獅子は、これをきっかけに一躍長野市の名物
になったと思います。今回は篠ノ井に4基がそろうという大イベン
トに成長したわけです。上山田温泉の芸妓(げいこ)衆も屋台の上
で踊りを披露し、獅子を操る若い衆も、暑い中張り切って練り歩い
ていました。
 私もそれぞれの獅子を見て回りましたが、地域の皆さんに歓迎し
ていただき、熱く楽しいひとときを過ごすことができました。篠ノ
井イヤーが成功するように、みんなで努力したいものです。

 翌週末もイベント続きです。
 8月5・6日には、「長野駅東口ゆめりあ祭り」が行われました。
 長野オリンピック直後から始まった祭りで、市の駅周辺整備局も
一緒になって、長野駅東口商店街や、芹田地区住民自治協議会の皆
さんが盛り上げています。長野駅東口の土地区画整理事業は、完成
までもう少し時間がかかりますが、全部できる前でも、まちづくり
を進めていこうという皆さんの心意気は大切にしたいと考えていま
す。

 6日には、本市の夏の風物詩である一大祭り「長野びんずる」が
盛大に開催されました。びんずる踊りには、254連・約1万
2,000人が参加し、沿道も多くの観客でにぎわっていました。
私は、名誉実行委員長として、千数百年間ともされ続けている善光
寺さんの法燈(ほうとう)から祭りの火を頂く儀式「採火式」に参
列し、それから中央通りをTOiGO(トイーゴ)広場まで歩きま
した。そこで分火式を行い、各火釜に点火され、祭りがスタートし
ました。踊りは2時間30分続き、フィナーレには花火が威勢よく
打ち上げられました。最後に、参加連のうち19連を対象とした踊
りコンテストの表彰式があり、最優秀賞の連の連長に私から賞状な
どをお渡ししました。今年もさまざまな趣向が凝らされ、大勢の踊
り手、観客の皆さんが祭りを堪能したことでしょう。
 また、7日には「豊野ヨイショコまつりとサマーフェスティバル
・煙火大会」が、さらに、10日には「飯綱火まつり」が開催され
ました。

 これからも、長野市の夏祭りは、まだまだ続きます。
 12日は、伝統の「お花市」。お盆の花を買い求める人のために、
中央通りで昔から開かれているものです。
 15日には、「第59回信州新町納涼大会」です。
 第二次世界大戦中の昭和17年から続く歴史のある祭りで、ろう
かく湖に映る花火と犀川をゆっくりと流れる色とりどりのとうろう
は大変奇麗で、お客さんも大勢集まる、信州新町の一大イベントで
す。
 今年は信州新町イヤーでもありますので、ぜひ見物したいと思っ
ています。

 14・15日には「善光寺お盆縁日」が開催され、14日には大
岡地区で「ひじり三千石祭り」、15日には「鬼無里ふるさと夏ま
つり」が開催されます。

 長野の夏は、連日、数多くのイベントや夏祭りで、いっぱいです。
毎日、どこかで何かやっているヨ・・・そんなイベント都市に一歩
近づいたかなあと感じています。

 「祭り」は、まちに活気を、人々に元気を与えてくれる。少し理
屈っぽい言い方をすれば、人と人との交流が生まれ、地域のコミュ
ニティーが再生される。特に今年は、東日本大震災の被災地から一
時避難されている皆さんにも参加してもらえるような工夫もされて
いるようで、被災地に活力と勇気を届けるほどの意気込みを持って、
長野市の「元気」を爆発させてほしいと思っています。
 これら真夏のイベントに、ご家族とともにお出掛けいただき、大
いに盛り上げていきましょう。

2011年8月4日木曜日

友人の死


 6月26日、株式会社エムウェーブの土橋文行社長が、お亡くな
りになりました。
 本当に突然の死でした。篠ノ井信里地区元気なまちづくり市民会
議の最中に連絡が入り、耳を疑いました。つい先日も元気に打ち合
わせをしていた彼が・・・なぜだ?
 市民会議終了後、詳細を聞いてみましたが、その時点では、分か
りませんでした。
 翌日、お通夜に行かせていただいて、少しずつ話を聞いて分かっ
てきましたが・・・今でも信じられない思いです。

 彼のエムウェーブ社長としての活躍ぶりは、多くの皆さんがご存
じのとおりです。
 それ以前は、JTB長野支店長として、長野冬季オリンピックの
招致段階からオリンピック開催まで、商売熱心であったことは言う
までもありませんが、本当に寝食を忘れて招致活動に、そして開催
決定後は、オリンピックの盛り上げに、また、世界各国からのお客
さんを長野市で受け入れるための計画づくりに、一生懸命取り組ん
でおられました。オリンピック成功の陰の功労者であったと思って
います。

 オリンピック終了後、彼は縁あって設立間もないエムウェーブの
営業部長に招聘(しょうへい)されました。私がたまたまNUPR
I(長野都市経営研究所)の代表としてエムウェーブの副会長だっ
た時で、当時会長だった塚田佐前市長と相談して招聘させていただ
いたものでした。

 彼の活躍は、群を抜いて素晴らしいものがありました。その後私
が市長に就任したため、形式的には私が代表取締役会長になりまし
たが、株主の了解を得て、彼は代表取締役社長に昇任しました。
 社長就任当時、エムウェーブは赤字経営でありましたが、間もな
く黒字に転換しました。「エムウェーブ、そして長野市をスケート
の拠点にしよう」との熱意から、懸命の努力をしてくれました。
 オリンピック後、長野市で開催される国際的なスポーツイベント
などを資金面で補助してきた「長野オリンピック記念基金」が、平
成21年度で枯渇してしまったため、長野市では昨年度から新たな
基金「ながの夢応援基金」を創設しました。土橋社長の努力で、エ
ムウェーブからこの基金に、既に3,000万円の寄付を頂いてい
ます。

 7月25日には、土橋社長の思いの詰まったエムウェーブでお別
れの会を開催させていただき、私も代表取締役会長としてお別れの
あいさつをさせていただきました。300人を超える大勢の皆さん
にお集まりいただきましたが、あらためて土橋社長が多くの皆さん
に愛されていたことを伺い知ることができました。

 くしくも土橋社長がお亡くなりになったその日、ふるさとNAG
ANO応援団のメンバーの一人、故花岡信昭さんの四十九日の法要
に、東御市まで行ってきました。長野市ご出身の元産経新聞論説委
員で、亡くなるまでは、拓殖大学大学院の教授を務めておられまし
た。昨年彼に頼まれて、同大学院で、現職首長の立場で、90分間
授業の講師をさせていただいたり、彼にも、職員の研修で講演して
いただいたり・・・結構厳しい先生だったようです。

 彼の死も突然で、東京での葬儀は、公務でどうしても弔問に行け
なかったので、四十九日法要が行われるとお聞きし、お参りしてき
ました。
 初めて奥さんにお会いし、お悔やみを申し上げ、少し思い出話を
して、帰ってきました。これからまだまだ活躍される方と思ってい
ましたし、長野市としていろいろ支援を頂きたいと思っていました
ので、本当に残念です。

 今年もびんずるの季節になりました。この時季になると、“びん
ずる大魔王”こと故青木恵太郎さんのことが思い出されます。
 1971(昭和46)年、夏祭り「長野びんずる」が誕生しまし
た。祭りの当日、歩行者天国になった大門町から末広町まで、踊り
手で埋め尽くされた風景を感無量の面持ちで見渡していた恵ちゃん
の姿、今でも懐かしく思い出されます。

 長野市の夏祭りと言えば、江戸時代初期から始まったといわれる
伝統の「祇園(ぎおん)祭(通称、御祭礼)」が有名でした。
 その後、1959(昭和34)年に祇園祭を盛り立てようと、そ
の前夜祭として企業や商店による「広告祭」が始まり、さらに、
1967(昭和42)年には広告祭に替わり「火と水と音楽と若者
たち」という若者たちの祭典が登場しました。しかし、この祭りは、
4年で幕を閉じています。
 長野びんずるは、こうした変遷を経て、「市民総和楽の祭り」と
して生まれたのです。街の真ん中で、見るだけの祭りではなく、み
んなが参加できる祭りをつくろうということで、実質は半年余りで
つくり上げた祭りです。その間、長野青年会議所(長野JC)の市
民祭企画委員長だった青木さんの努力は大変なものでした。企画だ
けでなく、自ら実践して祭りを取り仕切りました。

 まず構想を練り、祭りの日を決め、資金の調達を長野商工会議所
に依頼しました。肝心の音楽と踊りについては、作詞を森菊蔵さん
に(実は歌詞があるのです)、作曲を真木陽さんにお願いし、そこ
にお囃子(はやし)を入れ、「長野びんずるばやし」が完成しまし
た。踊りの振り付けは、全国の有名な祭りに匹敵するような踊りに
していくためにも、一流の人にお願いしたいということで、岩井半
四郎さんに依頼しました。区長会などの地域の皆さんには、「連」
づくりをお願いし、さらに、長野市民踊舞踊連盟に市内で参加の名
乗りを上げた多くの連の踊りの指導を依頼しました。まあ、長野J
Cの他のメンバーも手を出して一緒に行動したことは事実ですが、
青木さんはまさに八面六臂(ろっぴ)の活躍でした。

 実は、あの年の長野JCは、故小野正孝先輩が日本青年会議所
(日本JC)の1972(昭和47)年の会頭選挙に立候補すると
いうことで、メンバーは日本中のJCを訪ねて投票を依頼していた
年でした。願いがかない、先輩は見事会頭に当選しました。長野J
Cは、二方面作戦を見事に成功させたのです。

 今、思い出しても、“びんずる大魔王”恵ちゃんの活躍は、本当
にすごいものでした。その後、請われて周辺の市へ祭りの宣伝指導
に歩いていました。そうしたことから、長野市の“びんずる”に似
たような内容の祭りが県内にはかなりあります・・・青木さんの影
響力は大変なものでした。

 私は昨年70歳になったせいか、お盆を前にして、少しセンチメ
ンタルになっているのかもしれません。お亡くなりになった方で、
私が今日あることを支えてくださった友人は、たくさんいらっしゃ
います。懐かしく思い出して、鎮魂の意味で書かせていただきまし
た。
 どういう基準で選んだなんて、やぼなことは言わないでください。

2011年7月28日木曜日

観光と物語


 観光事業を考えるとき、いつも感じることがあります。多くの観
光客に来ていただくこと、これが大切なわけですが、観光客が何を
求めて来てくださるのか。言い古された言葉ですが、観光客は「非
日常性」を求めているのではないでしょうか。

 非日常性と言った場合、大きく分けて次のような分類になるので
しょうか。
 ・歴史や文化(古い物、歴史の舞台となった名所・旧跡)
 ・自然景観
 ・建造物(新しい物、または立派な物、もしくは物珍しい物・・・
  例えば、国会議事堂や東京スカイツリー)
 ・遊ぶ・楽しむ(例えば、東京ディズニーランドなどのテーマパ
  ーク、動物園、遊園地、歌舞伎、コンサート)
 ・学ぶ・教養を高める(美術館、博物館、講演会)
 ・体験(農作業体験、農家民泊)
 もちろん幾つかの要素が混じっていることは当然です。そして、
そうした中にも「物語が大切」ということも事実でしょう。

 京都や奈良などは歴史の表舞台であった時間が長いが故に、良き
につけあしきにつけ、物語がたくさんありますよね。東京は政治や
経済の中心で人口が多く、お金が集まってくるから立派な建造物な
どが多いわけですが。
 こうした都市に勝るとも劣らぬ長野市の観光資源としては、素晴
らしい景観、清らかな空気、癒やしの地などでしょうか。実際には、
こうした非日常性とともに、アクセスの良さ、食べ物、宿泊施設、
おもてなしの気持ち、コストなど全ての要素が観光客に採点される
のでしょうね。長野市はどう評価されているのか、気になるところ
です。

 長野市にも、善光寺縁起、鬼女紅葉(きじょもみじ)伝説、石堂
丸の物語、川中島合戦、山千寺の駒つなぎの桜、戸隠山の天岩戸伝
説、大座法師池のだいだらぼっちなど、いろいろな物語があるので
すが、もっとたくさん欲しいなあというのが私の願いです。 

 そんなとき、「矢嶋城興亡史」という本を矢嶋正一さんから頂き
ました。話の舞台は主に佐久地方で必ずしも長野市のことだけでは
ありませんが、知らないことが随分あり、もっとこの話が有名にな
ってもよいのではないかと感じました。

 矢嶋さんは、私が城山小学校のPTA会長をやっているころ同小
学校の教頭で、その後、三輪小学校の校長として転出されました。
その後の細かい経歴は知りませんが、最後は小諸市の教育長をお務
めになった方です。城山小学校時代、豪快な方で、てっきり美術の
先生と思っていたのですが、この本を読み終わった後先生と電話で
話して、実は社会の先生だったということを初めて知りました。

 「矢嶋城とは、長野県佐久市浅科地区矢嶋にある山城のことであ
る。今はほとんどが畑地で城郭のあった城址(じょうし)は草の中
に眠っている。」こんな書き出しで始まっています。

 今から約850年前の源平合戦の時代、滋野一族の中で、「矢嶋
四郎行忠」が一大勢力を築いていました。
 それを可能にしたのは、矢嶋ヶ原という一大牧場の存在です。平
坦な草原が広がる矢嶋ヶ原は馬の飼育に適した地勢で、多くの馬が
飼育され、脚力のある駿馬(しゅんめ)は軍馬として、また通信手
段の伝馬として、足が遅い馬も運搬用、また農耕馬として売買され、
その富は大変なものでした。当時の名馬は、現在の戦車みたいな存
在だったそうです。
 矢嶋四郎は、この巨大な富を基に矢嶋城を築きました。

 また、矢嶋四郎は、歴史上有名な、源頼朝・木曽義仲のいとこで
あったようです。
 頼朝が鎌倉で挙兵して以後、平家と戦って勢力を広げていく過程
で、信濃の国にもいろいろな興亡がありました。しかし、何せ
850年から900年昔のことですから、証拠となるものが極めて
少ない。
 いとことはいえ、かなり熾烈(しれつ)な勢力争いもあったよう
です。もしかしたら、鎌倉幕府ではなくて、信濃幕府が歴史に登場
していたかもしれない・・・そんな可能性すらありそうな話です。

 そういえば、長野市周辺には源頼朝や木曽義仲にまつわる言い伝
えが数多くあるように感じています。
 頼朝山、善光寺の駒返り橋、鬼無里の木曽殿あぶき・・・本当に
ゆかりがあるかどうかは確かではありませんが、まんざらでたらめ
ではないのではと感じてはいます。

 矢嶋四郎は、木曽義仲の中枢軍として京に遠征し、2カ月余り天
下を制した後、義経軍と戦って戦死しており、その日は1184年
1月23日。この年月日については、先生はかなり断定的に書いて
おられます。まさにヒーローの要素がありますよね。
 子どものころ読んだ木曽義仲の歴史小説では、今井兼平が勇戦し
たこと、義仲の妻である巴(ともえ)御前が一緒に戦って、戦死し
た義仲の首を持って逃げたというストーリーだったような記憶があ
るのですが。小説家の誰かが、矢嶋四郎の素晴らしい歴史小説を書
いてくれたら・・・と思ってもいます。

 本の最後では、矢嶋城の興亡を記した後、矢嶋四郎の弟が羽後矢
嶋(現在の秋田県)へ分封となった時代背景やその後の消息、そし
て先生ご自身がその羽後矢嶋へ訪問されたことも書いておられます。
 ご自身の先祖の発祥・ルーツについて真実を知りたい、あるいは
記録を残したいという思いから多くの資料・考察を基に執筆された
大変な力作で、私なんかが紹介するのは失礼ですが、最初に書いた
ように、長野市にまつわる物語がたくさん欲しいとの思いから紹介
しました。

 もう一つ、信州大学の笹本正治教授が書かれた「真田氏三代 真
田は日本一の兵(つわもの)」という本を頂戴しました。
 こちらは、既に有名な話で、真田幸隆、昌幸、信之(初代松代藩
主)、信繁(幸村)という真田三代4人が織りなす血沸き肉躍る物
語です。笹本教授の書かれたものですから、歴史考証をきちんとや
っておられます。池波正太郎さんの小説「真田太平記」と読み比べ
てみると面白いですね。一番の違いは、真田太平記では、隠密が大
活躍する、適度なお色気がある、ということでしょうか。

 話は変わりますが、今年は長野市が誇る幕末の偉人「佐久間象山」
の生誕200年の年です。それを記念して、象山最晩年に訪れた京
都での足跡をたどったパネル展「上洛(らく)時代 京都と象山」
が、7月10日から9月30日まで松代まち歩きセンターで開催さ
れています。
 このパネル展では、幕命で京都に招かれた象山が、京都で尊皇攘
夷(じょうい)派の暗殺者の凶刃に倒れるまでの間に訪れた場所な
どの写真を時系列に並べてあり、象山が最後に京都に住んでいた家
跡に建てられた碑や、真田信之の菩提寺(ぼだいじ)・妙心寺大法
院にある象山の墓、木屋町にあった坂本龍馬の住居跡などの写真も
紹介しています。
 昨日私も実際にパネル展を拝見させていただきました。会場に入
って最初に目に入ったのが象山直筆の手紙です。提供者で旧松代藩
御用商人八田家子孫の八田愼蔵さんから、手紙にまつわるお話をお
聞きすることができました。写真や資料も50点ほど展示されてお
り、主催者であるNPO法人「夢空間松代のまちと心を育てる会」
の方からもそれらについて丁寧に説明をしていただきました。八田
さんのお話、象山の手紙、写真が語り掛ける当時の出来事などを紡
いで物語化できたら面白いなあ・・・と思いました。

 今回は、いつものメルマガとは、全く違うものになってしまいま
した。
 そういえば、少し前ですが「流転の善光寺仏」という題名で映画
を作りましょうという話がありました。善光寺仏は、時の権力者で
ある武田家(信玄・勝頼)、織田家(信忠・信雄)、徳川家康、豊
臣秀吉と所持者が変転して、最後にまた信濃の善光寺に戻ってきた
という大変数奇な運命を持った仏様です。制作されればすごく壮大
な映画になりそうですよね。        

2011年7月21日木曜日

元気なまち、各地の報告


 篠ノ井イヤーと信州新町イヤーは、ここまで順調に展開していま
す。
 今回は、それぞれのイヤーキャンペーンの事業に位置付けられて
いないものもありますが、現在、地域の皆さんが一生懸命に取り組
んでいるいくつかの活動を紹介します。
    
 7月1日、篠ノ井地区の唐臼公民館で、介護予防に取り組んでい
る団体「唐臼はつらつ倶楽部」の活動に参加し、参加者の皆さんと
一緒に体操をしてきました。このクラブの代表は柳原静子さんで、
篠ノ井イヤーの仕掛け人の一人です(伺ったのは、「みどりの移動
市長室」の一環です)。

 市では、地域での介護予防活動を応援しています。こうした活動
を活発にするには中心となるリーダーが大切ということで、介護保
険課が介護予防リーダー養成講座を開設して一生懸命に介護予防リ
ーダーの養成に取り組んでいます。講座の受講者は多いようですが、
活動の輪を地域に広げるという面では、もう一歩のようです。そん
な中で、柳原さんは講座を受講された後、早速地域で介護予防と認
知症予防を目指したクラブを立ち上げられました。長野市でも先駆
的な取り組みです。

 今回私が体験した「唐臼はつらつ体操」は、高齢者を対象とした
もので、決して無理をしない楽な動きを独自に考案されたとのこと
です。約20人の集まりでしたが、体操するときは、やり方の説明
や1、2、3・・・の号令をみんなで役割分担して行っていました。
それが皆さんのやる気を喚起し、長続きする要因になっているのか
もしれません。ただ、クラブの参加者全員が女性で、伺った当日は、
地区の区長さん一人だけが男性でした・・・。
 顔が見える仲間ができて、皆さんの元気の源になっているようで
す。

 篠ノ井駅前の軽トラ市は、6月26日で2回目が終了し、どの参
加者の商品も完売とのことで、素晴らしい成果です。
 順調にいっている理由の一つに、篠ノ井の商店街とのコラボレー
ションがあるとのことでした。たしかに、商店街の皆さんと軽トラ
市の参加者の関係は、場合によっては商売敵になるわけですから、
コラボレーションをしていくための工夫は絶対に必要です。これま
で、軽トラ市を開催した地区は他にもあるそうですが、長続きせず、
自然に衰退してしまったという話を聞きました。

 篠ノ井駅前の軽トラ市は工夫の一つとして、軽トラ市参加者が出
店料として実行委員会(主催者)側に2,000円を払い、主催者
側は、領収書の代わりとなるのでしょうか、篠ノ井の商店街のみで
使える商品券2,000円分を渡します(一種の地域通貨ですよね
)。軽トラ市参加者が商店街でその商品券を使うと、商品券は主催
者側に還流されて、現金化される・・・。こんな仕組みのようです。
 主催者側はまったくのボランティアですが、町のにぎわい、商店
街の振興、そして品物を供給する農家や商店などの営業支援と一石
三鳥のアイデアだと感心しました。

 7月9日には、信州新町の「カラー花まつり・ジンギスカンまつ
り」にお招きいただきました。サフォーク料理で有名な「さぎり荘」
周辺で行われたこのお祭りには、地元の皆さんが出店して、カラー
のほかにもいろいろな特産品や郷土食などが販売され、多くの人で
にぎわっていました。

 「カラー」という花は、信州新町の農家約70軒が生産・出荷し
ているそうで、町内では一大産業になっています。以前は150軒
以上の農家の皆さんが取り組んでいて、農協を通じて主に東京、名
古屋、大阪方面の市場に出荷していたそうで、花の値段もかなり高
かったようです。
 現在、主に栽培されている「ジャンボ黄カラー」は、同町越道の
尾澤貞雄さんが、それまで栽培していた「ジャイアントカラー」と
いう品種から良い物を選び出し、農協が新たに「ジャンボ黄カラー」
と名付けて売り出したものとのことです。他に「ブラックアイビュ
ーティー」という品種も栽培されています。残念ながら、今は往時
の勢いとまではいかないようですが、これからも信州新町の特産品
として夢をかけて頑張っていただきたいものです。

 ジンギスカンは、何といっても信州新町のブランドです。サフォ
ーク(羊の肉専用種)は、「ひつじの町」「ジンギスカンの町」づ
くりのため、昭和57年に導入され、信州新町の「肉めん羊生産組
合」の皆さんが飼育しているサフォークの肉をステーキやしゃぶし
ゃぶなどの料理として「さぎり荘」で味わっていただくことができ
ます。
 また、ジンギスカン料理は昭和10年代に料理講習会でそのおい
しさを味わった人たちが徐々に広めていったものといわれています。
現在は、信州新町のジンギスカン街道10店舗で味わえ、お買い求
めいただくことができますし、地元事業者の「むさしや食品(有)」
のジンギスカンは県内外でも販売されています。
 官民共同でジンギスカンブランドを築いてきたと言ってもよいの
ではないでしょうか。

 同じ日の9日、信更地区で平成19年度から4年かけて整備を進
めてきた「花の里信更センター」が完成し、竣工(しゅんこう)式
が行われました。山の中ですが、住民の皆さん総出のお祝いでした。
私も地域の子どもたちと一緒に記念植樹をさせていただきました。
ここで咲いた花を切り花として出荷し、もうけていただくことを期
待したい・・・とあいさつしました。まだまだこれからでしょうが、
皆さんの努力が実を結ぶことを期待したいと思います。

 信更地区では、1847年の善光寺地震の際に発生した虚空蔵山
(こくぞうやま)の崩壊による大災害の記憶を後世に残そうと、少
し前になりますが、地区住民の力で素晴らしい公園を造られました。
 また、今回お聞きしたことですが、住民の一人、中島忠徳さん
(長野シルバー人材センター理事長)が、自宅周辺の1,200坪
という広大な敷地をご夫婦二人で見事に管理されており、素晴らし
いオープンガーデン(庭園)となっているそうです。
 「花の里信更センター」を整備された「元気な信更町花の里実行
委員会」と中島さんは、昨年度、市の「ながの花と緑大賞」を受賞
されています。
 信更地区もなかなか元気です。

 話は変わりますが、若槻地区でホタルがたくさん出ているという
話をお聞きし、妻と二人で出掛けました。
 若槻地区の地元有志や住民自治協議会が、地区内の土京(どきょ
う)川に生息するホタル再生のために、その生息環境の改善などの
取り組みを続けることにより、ホタルがたくさん生息できるように
したものです。地区内外の皆さんに、ホタルが舞う癒やしの空間を
提供することを目指して、見事に成功されました。

 私もホタルはあちこちで見たことがありますが、この若槻地区ほ
どたくさんのホタルが舞っているのを見たのは初めてです。ホタル
には主に「ゲンジボタル」と「ヘイケボタル」の2種類あることは、
皆さんご存じのことと思いますが、ここでは両方のホタルが仲良く
共存しており、こうした地域は珍しいとのことです。環境整備には
以前からホタルについて市内各地で指導しておられる長野ホタルの
会会長の三石暉弥(てるや)さんのご指導もあったそうですが、本
当に見事な乱舞でした。

 若槻地区の土京川におけるホタル関連の取り組みは、かなり前か
らのようで、その経過を簡単に触れてみます。
 平成に入って、上野地区にお住まいの方が、土京川にホタルがい
ることを確認し、有志を募って観察を開始したとのことです。平成
3年「ホタルを観(み)る会」が発足し、以来、観察会や川の清掃
などが継続されてきました。
 平成6年・7年の水害による土京川の河川復旧工事に当たっては、
管理者である県に「ホタルの生息環境を確保した工事」を申し入れ、
これが実現したそうです。

 平成18年4月、若槻地区住民自治協議会が発足し、ホタル再生
プロジェクトが提言されました。平成20年度から清掃活動を通し
て住民自治協議会自然環境部のホタルプロジェクトチームの活動が
軌道に乗り、ホタルサポーターの募集などが行われました。その年
からは、勉強会や観察会が開催され、観察会前には「ホタルを呼ぶ
集い」としてオカリナ演奏や講演会なども実施されているようです。

 平成22年度、「ホタル鑑賞公園づくり事業」で、市の「地域や
る気支援補助金」を獲得。土京川のホタル生息地の鑑賞路約500
メートルの整備、草刈り・下枝の刈り込み、危険箇所にロープや案
内灯・足元灯などの簡易照明を設置しました。
 また、ホタルの観賞時期を迎える前に、川辺の清掃、地区内への
チラシの配布、のぼり(桃太郎)旗の作成、駐車場用地借用などの
準備を重ね、「土京川ホタルの里整備記念の集い」の開催に合わせ
て、ホタルキッズクラブも参加してホタル籠(かご)作りなどを実
施したそうです。

 土京川のホタルの特徴は、地元の資料を見ますと、土京川に長年
すみ付いており、一切人の手が加えられていない、生まれも育ちも
土京川だそうです。

 当日は、住民自治協議会の大村道雄さんが案内してくださり、丁
寧に説明してくださいました。
 かなり長い距離の川筋を一緒に歩かせていただき、川筋の一番奥
(川下)でお別れしたのですが、その際「帰りにホタルの数を数え
ていきますので、ここでお別れします」との言葉にはびっくりしま
した。大村さんの熱心さには心を打たれました。

 今年のホタルが舞う時期は、6月20日前後から7月20日ごろ
までだそうです。夢がありますねえ・・・若槻地区の住宅街で、ホ
タル鑑賞ができるなんて・・・。毎年楽しませてもらえそうです。