2013年12月26日木曜日

徒然の記 №1 <退職の経験>

退職の経験


平成25年12月25日、舵取り応援団最後のイベントということで「鷲澤正一 感謝の会」を開催し、合わせて「かじとり通信第11巻、第12巻」を発行させていただきました。300名を大幅に超える会員があつまっていただき、楽しい一夜を過ごしました。私は全会員にお酌をさせていただく計画だったのですが・・・人数が多いため全員というわけにはいきませんでした、お許しください。すっかり酔ってしまって失礼があったとすれば申し訳ありません。


なお、「市政に参加する市民の会」と「舵取り応援団」の解散もさせていただきました。「市政に参加する市民の会」は昭和40年代、故夏目忠雄市長を生み出すために作った組織で、以後、商工会議所の会頭が会長就任するなどして、ほとんどの市長選に一定の機能をはたしてきたものであり、私が整理するのはいかがなものか迷ったのですが、そろそろ幕を引いたらどうかの声が強まり、その声に従ったものです。


私は73歳の今日まで、退職という経験はありませんでした。大学卒業前に父親の死に直面し、社長就任してから大学を卒業するという特異な経歴は、通常の方々にとってはあまり経験しないことだろうと思います。(もっとも最近は在学中にベンチャー企業を立ち上げる例はあまり珍しくないかもしれませんが、ある程度の規模になっている家業を社長として継ぐのは、周囲も不安視するし、通常は親戚か番頭さんが、一時的にあずかるのかもしれません)


市長選に立候補するとき、息子だけには相談しました。私のやってきたことを“全て”引き継いでくれるなら市長選に立候補する、そのかわり私は一切会社のことに口は出さない、これが私と息子の暗黙の契約だったように思いますし、以来今日まで会社も順調に、私の時代よりはるかによくなっている感じです。

同族会社の家業ですから、それしか仕方がなかったし、お互いにその責任ははたしてきたと今感じています。


 市長選前の経緯を少しお話しますと、

 平成13年の三月、定例市議会を前にして、塚田市長さんからお使いが来て、「今議会で市長職を辞任する、次はお前だ」という晴天の霹靂のような話がありました。トンデモナイ話と感じましたが、だんだんのそんな雰囲気になっていたのでしょうか・・・・・7月中旬、尊敬する石田県会議員から「わし、もうあきらめろよ」と言われ、覚悟を決めざるを得ない状況に追い込まれました。たまたま7月末に、アメリカで生活していた次男を訪問することになっていましたので、サンフランシスコの薄暗いホテルの一室で、女房にこんな話があると打ち明けたところ、激怒されてしまい、成田空港に着くまで一言も口をきいてもらえませんでした。

半月後、盆明けだったのですが、一部の市会議員さんが来られて日を限っての立候補を促されてしまいました。

そこで藤沢博さん宅を訪問し、事情を話し、政策を皆で作ってほしいとお願いしました。数人のJC・OBの若い方があつまり、短期間ではありましたが、市長選立候補のための政策作りを行いました。いろいろの意見があり、やるなら政党などとは関係なく、単独で宣言しようということで、9月1日、記者会見で立候補宣言をさせていただきました。

そのとき現れた新聞記者の人達からこの会場には「政治家はだれもいませんね」と言われたことを記憶しています。「入りをはかりて、出をなす」という言葉は藤沢さんからお聞きしたものです。


素人集団の選挙は、いろいろ問題もあったのでしょうが、皆さん一生懸命頑張ってくださいました。立候補者は私を含めて6人だったように記憶しています、でも4人は供託金没収ということで、人数の割に激戦とは言えず、私は安泰でした。

一番びっくりしたのは、9・11のテロでした。市内回りをして夜帰宅したとき、テレビで大きな飛行機がビルに突っ込む映像を見た瞬間、これで市長選なんて吹っ飛ぶぞと感じたくらいの衝撃でした。でもまあ無事に当選を果たしました。


社長歴40年間の退職は、市長就任の慌ただしさのためか、あまり実感がありませんでした、そして市長歴12年間を終わって、約50年間、初めて退職という実感をともなった経験をしています。(あまり下積みの仕事をしたことが無いことが、私の弱点かもしれません)

そして今、過去一緒に仕事をした人達、部下だった人達が、定年退職で辞めていかれた、それぞれがどんな思いで辞められたのか、ようやくわかりかけてきたような気分です。

勿論、私の場合、炭平という息子が社長をしている会社があり、いつでも小生を迎えてくれるはずとは思いながら、でも会社も変わってしまっているでしょうし、そこで意義のある仕事ができるのか、給料はどうなるのか、いずれにしろ不安があり、息子の邪魔はしたくないし・・・ここ数週間あまり落ち着いた仕事はできなかったのが実感です。


友人も過去沢山いましたから、遊ぶのに不便はなかろうとは思っていました・・・・これからどうなるか、亡くなった方もいらっしゃるし、73歳の老人(そんな気は毛頭ありませんが)の面倒は見きれないということもあるだろうし・・・・


少し前の文芸春秋に、高齢になって企業の相談役とか顧問になっていつまでも会社にしがみついている役員がいる、その理由は ①個室が無くなる、②秘書がいなくなる、③車が無くなる それらが困ると言った理由なのだそうで、私自身がその立場に立ってみて、その辺の心境はよくわかる気がします。でも個室は何とか確保し、秘書は市長時代とは違いますが、まあ何とかやってもらっています。③の車ですが、周りは運転はやめろという意見とリハビリのつもりで、運転せよとの意見があって、迷っています。いちいちタクシーを呼ぶのは億劫ですし面倒です。かといって以前のように運転手と専用車を用意してもらうのは無駄、コストを考えろと叱られそうです。


趣味を生かした生活も魅力的ではあります。

私の場合、冬のスキー、雪が消えたら乗馬、そして囲碁、カルチャーセンターで何かさがしてみる、読書、またジムに通って身体を鍛えることも必要だと思っています。

競馬も大好きですから、土日はPC・テレビとにらめっこ・・・・・・こうやって書くと結構忙しいのですが。


市長を辞める前、メルマガを継続すると宣言したのですが、よく考えてみたら、辞めた市長が何を書くか・・・なかなか難しいことに気がついたのです。

12年間、きっちり市長職をやってきたつもりですので、女房に「市政以外の話題、何か無いの?」と言われたぐらい、他の話題が作れない、社会復帰するまでに相当時間がかかりそうです・・・・・・・長野市政に関するメルマガならいろいろ書けそうですが、それをやると別に批判する気はないけれど、現市長に迷惑をかけそう、まあ数年後にどうなったか書いてみたい気はするのですが、私は職を辞す前、本年8月の六回のメルマガで長野市の将来にかかわる事柄はすべて吐き出してしまったので、それ以上のことは、書くつもりはありません。


個人的に大切なことは、早く社会復帰をすることでしょう。12年間、大勢の秘書団に囲まれて何から何までやってもらう生活に馴染んでしまったので、この社会復帰は意外に大変です。具体的には、挨拶一つとっても、私が大筋さえ示せば優秀な職員が素晴らしい挨拶原稿を書いてくれる、私はそれを読むだけ・・・・女房に言わせると「議会も含めて下を向いて原稿を読むだけでつまらない」という評価でした。はじめのころ、議会などで結構アドリブを使っていたのですが、揚げ足取りなどがあったのであまり多用しないことにしてきました。記者会見の時なども「皆さん私の会見はあまり面白くないでしょ」とこちらから先手を打って、なるべく問題を起こさないようにしてきたつもりです。


いずれにしろ市長メルマガだから皆さんが読んでくださったことをかんがえると、一市民になった小生のメルマガなんて読んでくださる人はいないだろう・・・・・。

でもいろいろ考えた末、市行政からはなるべく離れて、鷲澤流のメルマガ、すなわち日経新聞にある私の履歴書みたいな自叙伝みたいなもの、あるいは折に触れて感じたこと、随筆みたいなもの、そんなことを私の記録として、記憶にある限り、書いておこうと決めました、今でもご登録していただいている方に、そんなことをご承知いただいて読んでいただければ、これに勝る幸せはありません。


新年から始めさせていただきます。

なお、炭平本社内に相談役室を確保しましたので、お気軽にお立ち寄りくださり、アドバイス等も歓迎ですし、遊びのお誘いは大歓迎です。

2013年11月7日木曜日

現役市長としての最後のメルマガ

 明日11月8日は、私の73歳の誕生日。そして、実質的には、
この日が私の市長退任日です(実は、11月10日までが任期なの
ですが、9日は土曜日、10日が日曜日ということで、市役所は休
み。従って、退任式は8日の金曜日に執り行われます)。
 市民の皆さんのご支援があって、3期12年間、大過なく市長職
を務めさせていただきました。やらなくてはならないことについて、
一応道筋はつけることができ、個人的には満足して、次の方にバト
ンタッチができること、今は感謝のみです。
 そして、私のメールマガジン「かじとり通信」を飽きずに読んで
いただいた皆さんにも心から感謝申し上げます。毎週一回の配信で
すから、私もかなり無理をして書いていましたので、本当にありが
たく感じています。
 思い起こせば、2002(平成14)年4月11日の創刊号から
本日の601号まで、途中号外があったり、また市長選挙の前3カ
月間は、選挙運動と思われてもいけないということで、NHKに倣
って、市のサーバーからの配信は自粛し、私個人の別のサーバーか
ら配信したこともありましたから、正確に数えてはいませんが、選
挙2回分の6カ月間、約30回とすれば、600回を大きく超える
はずです。「よく書いたなあ」と感無量といったところです。
 とにかく、今の長野市がどの方向に進もうとかじを切っているの
か、今、市長が何を考えているのかを分かりやすく市民の皆さんを
中心に多くの方にお知らせしたい、いや、お知らせしなければなら
ない、そんな思いでした。そして、「市長さん、今回のメルマガ、
面白かったよ。分かりやすかったよ」という読者の皆さんの声に励
まされたことが原動力になって、「かじとり通信」を今日まで続け
ることができました。
 そしてまた、12年間の集大成として、これまで配信した「かじ
とり通信」全号を多くの皆さんにこれからも読んでいただけたらと、
このたびブログを立ち上げ、そこにバックナンバーとして掲載する
ことにしました。
 ブログのアドレスはhttp://kajitori.blogspot.jpです。
 また、タイトルとその概要を合わせた一覧も掲載させていただい
ています。タイトルを見るだけで、各号それぞれに、当時のさまざ
まな思いが詰まっていて、とても懐かしく感じます(まあ、私だけ
かもしれませんが)。
 いくつか、思い出深いものを挙げてみます(タイトルに、かっこ
書きで概要を加えたものもあります)。
 創刊号   「かじとり通信にようこそ」(メールマガジン配信
       開始)
 第6号   「浅川ダムの話」(脱ダム宣言から1年)   
 第8号   「入りを量りて出ずるを為す」
 第17号  「オリンピック・パラリンピックの資産」(おもて
       なしと国際感覚の向上)
 第27号  「旧そごう跡地への信越放送の進出」(中心市街地
       の空洞化解消)
 第60号  「もんぜんぷら座がグランドオープン」(中心市街
       地再生のモデルを)
 第78号  「知事が住民票を移されたことについて」(泰阜村
       に住民票を異動)
 第91号  「周辺町村との合併、そして都市内分権について」
 第105号 「エコール・ド・まつしろが始まりました」(テー
       マは松代ブランドの成立)
 第141号 「新市誕生」(豊野町・戸隠村・鬼無里村・大岡村
       との合併)
 第144号 「スペシャルオリンピックス冬季世界大会がもうす
       ぐ始まります」 
 第198号 「大型店出店問題に結論を出しました」(出店を促
       すことは出来ない)
 第222号 「金儲けは悪いことですか?」(ライブドア~村上
       ファンドの問題)
 第292号 「雑談力について」(人の心をつかむ「雑談力」情
       報が集まる「雑談力」)
 第319号 「お金を『おもちゃ』にした“つけ”はどうなるの
       ?」(米サブプライムローン問題)
 第391号 「みんなの声が『ながの』をつくる」(3期目の政
       策マニフェスト)
 第393号 「秋篠宮殿下お成りとクリアウォーター市長の来長」
 第399号 「閉町村式」(信州新町・中条村閉町村式。新たな
       長野市がスタート)
 第449号 「サッカーのAC長野パルセイロ、JFLへ」
 第461号 「市役所第一庁舎・長野市民会館の建て替えと公共
       交通機関の整備」
 第463号 「未曽有の大震災」(東日本大震災と栄村地震)
 第476号 「ながのいのち」(農業公社の設立と「ながのいの
       ち」の誕生)
 第486号 「住民投票条例の直接請求」(第一庁舎・市民会館
       建替の住民投票条例)
 第508号 「冬の魅力、スケートとスキーの話題」 
 第515号 「良き本との出会い」
 第522号 「お待たせしました、石家庄市訪問記です」(友好
       都市締結30周年記念)
 第523号 「公務をこなしながらのゴールデンウィーク」(緑
       化まつりと緑育・矢澤秀成さん、虫倉山開山祭、善
       光寺花回廊、春スキー)
 第548号 「3期目の任期、残り1年」
 第558号 「私の需要喚起策(国が中山間地域の土地を買って
       しまったら・・・)」
 第587号 「次の時代の施策」(その1~5と号外)
 などなど。本当でしたら全てを挙げたいところですが、紙面の関
係でそうもいきません。皆さん、気になるタイトルがありましたら、
ぜひご覧になってください。
 ブログには、市長を離れた立場での評論、提言、感じていること
なども、今後書きつづってまいります。もちろん市長としての責任
は無いブログですから、今までのメルマガよりはもっと自由に書け
るのかなと思っていますが、「前市長があんなことを言っている」
と思われる文章を書いてしまうのもあまりよくないなあ・・・など
と考えると、退任したといっても好き勝手な文章は書くことはでき
ないなあ・・・もしかしたら、市長という呪縛から一生自由にはな
れないのかなあなどと考えてしまいます。
 ただ、今までのような締め切りのプレッシャーからは開放させて
ください。気ままに、いいかげんに書かせていただきたいと考えて
います。もっと大きな夢や、ほらも書けるかもしれませんね!
 「いいかげん」・・・私はこの言葉が、ある意味、気に入ってま
す。これからも「いい加減」に、頑張っていきます!
 最後に、「かじとり通信」をお読みいただいた皆さん、そして私
を支えてくださった多くの皆さんに心から感謝し、現役市長として
の最後のメルマガとさせていただきます。
 本当に、ありがとうございました。

2013年10月31日木曜日

市長選が終了しました

 10月27日、5人の立候補者が競った長野市長選挙が終了しま
した。
 結果は、加藤久雄さんが当選。次の市長が決まって、ようやく肩
の荷が下りました。
 持論として「地方自治体の運営には、できるだけ幅広い層からの
支持が必要」と申し上げてきたとおり、加藤さんは70歳という年
齢を感じさせることなく、市民団体や政党も含め、幅広く支持を集
められました。いずれにしろ、ご本人も経済、雇用が大切というこ
とをおっしゃられていますし、長野商工会議所の会頭、企業経営者
などの顔をお持ちであった加藤さんに有権者の支持が集まったのも、
当然のことと感じています。
 前回の市長選では、「チェンジ」が大きなキーワードで、今回は
「安定」がキーワードだったのではないでしょうか。
 心配していた投票率は、全体で42%(男性43.16%、女性
40.94%)。今回もあまり好成績とはいえず、民主主義におけ
る選挙とは何か・・・考えさせられるテーマであることは変わりま
せんでした。私のときもそうでしたが、当選しても複雑な気持ちで
はないでしょうか。「投票率は最低50%が民主主義の原点である」
と私は常々考えています。
 以前かじとり通信にも書きましたが、私が長野市長に就任して初
めて姉妹都市のアメリカ・フロリダ州クリアウォーター市を訪問し
たとき、「長野市長選の投票率が40%台ではお恥ずかしい」と話
しましたら、返ってきた言葉は「40%は上出来だ。クリアウォー
ター市では30%にも満たない」とのことでした。民主主義の先進
国アメリカでも、こんな状況なのかということを実感させられた話
でした。
 それぞれの獲得票数は、加藤さんが5万6千票余り、次点の方が
3万5千票弱、その他の3人の得票は合計3万7千票余りという結
果でした。
 獲得票数が有効票の10%に達しない下位のお二人については、
供託金が没収になるようです。私の1回目の選挙では5人の立候補
者のうち、3人が供託金没収でしたので、供託金没収の割合は、少
し下がったということでしょう。
 1人の欠員が生じていた長野市議会議員の補欠選挙も併せて行わ
れ、5人の方が立候補し、41歳の北澤哲也さんが当選されました。
立候補者全員が2万票台ということで、大変な激戦でした。約2年
の任期ですが、健闘を期待しています。
 地方自治体の首長選挙は、なるべく多くの方に支持していただく
必要から、政党色はあまり出さない場合が多く、今回も全員「無所
属」ということでした。無所属候補とはいえ、実質は政党が応援し
ている方もいらっしゃいました。しかし、ポスターや選挙公報を見
ても、どの政党が応援しているのか分からないことも事実です。
 私自身の去就について、「もっと早く表明すべきであったはず」
「あの時期では立候補準備ができない」「けしからん」とおっしゃ
る方もいらっしゃいました。しかし、私は昨年から首長の任期は
「3期が限度」と申し上げてきました。さらに、以前あったように、
政治的に同じような考え方の者同士で選挙戦をすることは、長野市
を二分にするような事態になり、結果として市民の間にしこりが残
ることにもなる。できれば候補者を一人に絞れないかと考えたこと
は事実ですし、辞めると言った瞬間から任期中にもかかわらずレー
ムダック(※)になるのも嫌だ、などなど皆さんから見れば勝手な
言い分と思われたかもしれません。申し訳なかったとは思いますが、
私も悩みに悩んだ末の結果でした。
 当選された加藤さんと私は、学生時代、長野青年会議所時代、そ
して長野商工会議所時代、さらには商売の面でも経歴が似通ってい
ることは事実です。それだけに、二人で話し合ったのではないかと
いううわさが一番困りました。
 市長選について二人で話したのは、天地神明に誓って、私が公式
に不出馬宣言をしてから一度だけ、それも加藤さんがごあいさつに
みえられたときだけです。そのときも私は加藤さんに、応援すると
は申し上げておりません。実質的には「頑張ってください」の一言
だけだったと思います。辞めるという宣言をさせていただいたとき
以来、私は市長としてどなたも応援はしないということを、記者会
見などで言わせていただいていますし、そのことは最後まで押し通
させていただきました。
 かなり早い時期から出馬のうわさがあり、実質的な選挙運動をや
っておられた方もいらっしゃったと思いますので、私の進退表明が
遅すぎたという批判は当たらないと思っています。短期決戦の方が、
お金も掛からないし、話題性もあり一番良いのではという思いもあ
りました。
 当選された加藤さんは、明るく、元気なキャラクターの持ち主で、
私には無いものをたくさん持っておられますし、経営的な手腕も安
定している方だと思います。比較して私はシャイだなあといつも感
じており、市長にはあの元気さが必要だなと思います。
 今後の政策面については、今年8月の1カ月間に、5回(号外も
含めると6回です)にわたるかじとり通信できちんと書かせていた
だきました。家族には、あんなことを書けばもう一度やると言って
いるようなものだと批判されましたが、そんな気は毛頭ありません
でした。私は次の市長さんのご参考になれば・・・と考えただけで
あり、中身も私の好みというより、長野市がやらなくてはならない
ことを列挙したつもりです。
 どんな時代でも「人心の一新」は必要なのだと思います。加藤さ
んには、29日の火曜日に長野市選挙管理委員会から当選証書が付
与されました。しがらみに縛られることなく、ぜひ元気な長野市を
つくるために頑張っていただきたい。期待しています。
 もうすぐ冬がやってきます。私の大好きなスキーシーズンです、
そして私が所属する乗馬倶楽部の皆さんも、私がちゃんと馬に乗れ
るようになることを期待してくれているようです。スポーツクラブ
に通って身体を鍛え、大いに楽しみたいと思っています。
 市長を辞めても仲間が遊んでくれるだろうことを祈って、選挙報
告を終わります。
※レームダック:残った任期を消化しているだけの者などを揶揄
(やゆ)する言葉

2013年10月24日木曜日

高山村と中部電力浜岡原子力発電所への訪問

 現在、10月20日告示で27日投開票の長野市長選挙が真っ最
中です。有権者の皆さん、長野市政に関心を持って、ぜひ投票して
ください。
 私は、3期12年間、市長を務めさせていただき、過日「次の市
長選には立候補しない」と宣言させていただきました。その後、5
人の方が出馬されました。私が初めて長野市長選に立候補した
2001(平成13)年10月の選挙も、私を含めて5人が立候補
したように記憶しています。それぞれの皆さんの健闘を祈っていま
す。
 少し前の話になりますが、私の任期満了まであと約1カ月という
10月8日に、どうしても自分の目で確かめたいことが2つありま
したので、日程を何とかやりくりして、視察に伺わせていただきま
した。
 まずは、上高井郡高山村の訪問です。村を挙げてソルガム(イネ
科の1年草の作物です)の栽培に取り組んでおられるということで、
以前から興味がありました。高山村は須坂市の東側、山手に広がる、
農業が盛んで観光資源(特に温泉は有名ですね)に恵まれた場所で
す。ソルガム栽培の実態を見たいとお願いしたら、お忙しい中にも
かかわらず、久保田勝士村長をはじめ担当の職員の方が村長室で事
業の概要を説明してくださり、その後、現地に案内していただきま
した。
 頂いたパンフレットによると、村で栽培しているのは「子実型
(実の収穫量が多い)」と「兼用型(実と葉、茎ともに収穫できる)」
に分類される3品種で、そのほかにソルゴー型、スーダン型、スー
ダングラス型など、何種類もあるそうです。背丈が2メートル前後
のものや1.5メートル以下のもの、実の収穫量が多いもの、2度
収穫が可能なもの、茎が太くて汁と糖分が多いものなど、いろいろ
あるようです。私たちが子どものころ、代用食で食べたコーリャン
も同じ系統のものだそうで、印象としては「ヘー」という感じでし
た。
 耕地30アール当たり約30万円の収入を想定していて、そのう
ち「実」の販売による収入が約8~9割を占め、残りは葉と茎によ
るものとのことでした。栽培には、村の畜産農家から出る牛ふんを
堆肥として使っているそうです。そして、大きな魅力は、やはり種
まきや草取りなどにあまり手がかからないということでしょう(以
前から長野市では薬草栽培をやろうと試みていますが・・・もうひ
とつ成果が上がっていないのが現状です)。
 「実」は、雑穀米、お菓子、みそ、麺として食品に加工され、葉
と茎は、キノコ培地やお茶に加工され、さらに使用済みのキノコ培
地は、牛ふんや生ごみと混合し、堆肥として利用されています。高
山村の取り組みは確かに素晴らしいものでした。調べてみましたら、
ソルガムは長野市内でも栽培されていました。
 私が注目したのは、(1)中山間地域の農業従事者が高齢化する
中、ソルガムであれば高齢者でも比較的楽に栽培できるのではない
か(2)荒廃農地はなかなか集約化できず、土地利用が制限されて
いるが、農地があまりまとまらなくても、ソルガムの栽培には問題
ないのではないか(3)栽培面積に対して収入が比較的高いのでは
ないか(4)水がいらない、農薬もいらないということで、荒地で
も栽培可能、という点です。
 さらに私が考えたのは、バイオマス(主にメタンガス)発電の原
料として有望ではないかということです。これなら全ての荒廃農地
でたくさん作っても、売り先に困ることはない。新しい中山間地域
の産業になるのではないか。ただしこの場合は、発電施設をどう造
るかが問題だろうと思いました。
 高山村にはソルガム活用推進協議会があり、その副会長を信州大
学工学部の天野良彦教授が務められています。天野先生は、信州大
学と地方自治体などが連携して中山間地域の活性化などの地域課題
解決に取り組む「信州大学地域戦略センター」の副センター長でも
いらっしゃるので、ぜひ専門的なお話をお聞きしたいとお願いした
ところ、わざわざ22日に同センター長の笹本正治同大学副学長、
同センターの林靖人准教授、中澤達夫特任教授とご一緒に市長室に
おいでいただき、ソルガムの栽培、利用方法、地域産業、さらに地
域における熱・電気エネルギーの活用や供給手段の確保と、夢のあ
るお話を聞かせていただきました。特にドイツでは、トウモロコシ
などを燃料とするバイオマスガス発電所がいくつも稼動していて
(ここまでは私も新聞記事で知っていました)、それも発電所1基
が2億円で建設できたケースもあると聞いて、これはいい!と大変
興味を引かれました。
 ちなみに、笹本先生は、「真田氏三代」という本を出版されてい
て、池波正太郎さんの「真田太平記」とは違う意味で、素晴らしい
記録を残された方です。
 大量にソルガムが作られたときのことを考えると、ぜひバイオマ
ス発電に取り組んだらどうか・・・。まあ、まだ夢の段階で、FS
(Feasibility Study:実行可能性検証)の検討
もしていませんが、地域分散型の発電所を造って、ソルガムを全て
買い上げ、発電して電力会社に電気を売る・・・自然エネルギーと
いう、自然に優しい事業で環境問題にも貢献でき、中山間地域の活
性化はもとより新しい産業モデルになる。そんな意気込みを持って、
これからもっと研究してみたいと思いました。
 高山村を視察したその日の夕方、中部電力浜岡原子力発電所(以
下、浜岡原発)の見学に出発しました。新潟県の東京電力柏崎刈羽
原子力発電所は、前職の会社の関係で知っていましたが、浜岡原発
は、今後発生が予測される東海・東南海・南海地震という3つの大
地震の真ん中にある原発ということで、当時の菅直人首相がとにか
く止めてしまった原発です。そうした経過があったこともあり、ぜ
ひ行ってみたいと思っていたところ、長野東ロータリークラブの皆
さんが職場例会で行くという話をお聞きし、忙しい視察日程ではあ
りましたが、公務をなんとか調整して、割り込ませていただきまし
た。
 長野新幹線から東海道新幹線こだまに乗り換えて掛川駅で下車。
随分遠くまで来たなあ・・・それにしても、「こだま」に乗ったの
は、最近の記憶では2回ぐらいでしょうか。かなり乗車する機会が
減りました(「こだま」には、今では珍しく喫煙車両が2両あり、
最近肩身の狭い思いをしている愛煙家への、JRのささやかな心配
りがとてもうれしかった・・・)。駅では、中部電力の稲垣透長野
支店長にわざわざお出迎えいただき、そこから原発のある御前崎市
のホテルまでタクシーで40分ぐらい移動し、夜9時ごろホテルに
到着しました。
 翌日、ホテルをバスで出発し、浜岡原発到着前に風力発電装置を
視察しました。原発のそばに11基の風力発電装置があり、大きな
風車が回っていて、羽根が風を切ってブーン、ブーンと結構大きな
低い音を出していました(住宅地の近くでは音が問題になるかもし
れません)。1基当たりの建設費は4~6億円で、秒速4~25メ
ートルの風力で発電し、秒速25メートルを超えると危険回避のた
め運転を止めるそうで、稼働率は年間で26.5パーセントとのこ
とでした。後で知った話ですが、風力発電装置1基の年間発電量を、
浜岡原発5号機ではたったの4時間30分で発電することができる
とのことで、自然エネルギーとして風力発電にも期待を寄せていた
私は、ちょっとがっかりしました。
 浜岡原発は、広大な敷地に、従業員数約3千人、1~5号機まで
計5つの原子炉があります。1号機は1976(昭和51)年、2
号機は1978(昭和53)年に運転を開始しましたが、2009
(平成21)年に耐震補強に多額の費用が掛かるという理由で運転
を終了し、現在廃炉作業を進めています。また、3、4、5号機は
現在定期検査中ということで発電していませんが、総電気出力は約
360万キロワットだそうです(ちなみに、先ほどの風力発電装置
11基の総電気出力は2万2,000キロワットですから、その差
は歴然です)。
 今年7月に政府の原子力規制委員会の決定による新規制基準が施
行されましたが、それ以前から中部電力は自主的に津波対策や炉心
の著しい損傷、使用済み燃料プールに貯蔵する燃料の著しい損傷な
どのシビアアクシデントに対応するための対策工事を進めてきたそ
うです。今回の新規制基準の施行に伴って、今後は新たな基準に照
らして安全対策を実施して、国の審査を受けるそうです。
 また地震対策のほか、竜巻対策、火災対策、注水機能強化、電源
機能強化などを行っていくとのことでした。中でも、放射性物質の
放出につながるようなこと、および影響緩和対策などには力を入れ
ているそうです。新規制基準の中には、意図的な航空機衝突(たぶ
んテロ対策でしょうが)などもあって、正直びっくりです。
 まあ、専門的なことは私もよく分かっていませんから、このぐら
いにしますが、二重、三重の安全対策どころか、六重、七重の対策
に取り組んでおられ、すごいことだなあと感じました。これが、私
の一番の感想です。
 規制委員会の新規制基準をクリアしないと3、4、5号機の運転
許可が出ないとのことです。運転再開に向け、多くの専門家が英知
を絞っていることですから、私のような素人は、その人たちの知識
と中部電力のノウハウ、そして国内外の意見、情報などを総合して
お聞きする以外、正直言って口をはさむ余地はないなあと感じまし
た。
 今回の視察とは違いますが、原子力発電が必要かどうかについて、
意見を言わせていただきます。
 少し前まで、二酸化炭素の増加が大問題と喧伝(けんでん)され
ていました。地球温暖化がいろいろな問題を引き起こしていること
は、事実でしょう。限界がある石油などの地下資源の大量消費も大
きな問題です。
 ドイツでは原発を全廃するとの話です。しかしドイツは、原発大
国フランスと地続きであり、原発でつくられた電気をフランスから
分けてもらえる環境にあります。日本は島国ですから、電気の輸入
は無理でしょう。
 自然エネルギーによる発電方法はいろいろあります。いろいろお
聞きしてみると、風力は上述のとおりですし、地熱発電、水力発電、
潮力発電、バイオマス発電のほか、まだまだありそうですが、いず
れも日本の電力を安定的に賄うには無理があるようです。一番古く
から実績がある水力発電も、条件の良い主な場所は開発され尽くし
ているとの話ですし、温暖化を気にしなければ、石油、石炭そして
天然ガスが安定したエネルギーとしては優れているということでし
ょう。
 結局、石油、石炭ぐらいしかないのが、現段階での日本のエネル
ギー事情ではないかと思います。エネルギーの無い社会は日本では
考えらません。原発反対は理念としては分かりますが・・・現段階
では全廃は無理と判断し、原発は必要という意見があることも理解
できます。いずれにしても、将来の持続可能な社会を目指したバラ
ンスのとれたエネルギー政策の構築に向けた議論は、まだ尽くされ
ていないことが一番の問題だと私は思います。
 自然エネルギー開発を一生懸命やって、そこで生まれるエネルギ
ー分だけ原発をやめる・・・というのが、せめてものことではない
でしょうか。
 現在、原子力発電の技術は、世界中で日本の技術が最高のようで
す。福島第一原発の事故を教訓にして、絶対に事故が起こらない、
そしてどんな小さなトラブルにも素早く対応し、終息できる技術力
を付けることが一番大切なことでしょう。 

2013年10月17日木曜日

大きな流れ

 長野市公共施設白書がまとまりました。
 主に高度経済成長期に整備された数多くの公共施設が耐用年数を
迎え老朽化し、今後膨大な維持費や更新費用が見込まれることが、
深刻な社会問題となっています。持続可能な社会を維持するために
は、まずは今ある公共施設の規模や建設年度、利用者数や維持管理
コストなど全ての状況を洗い出すことが必要であると考え、長野市
では約1年かけて担当課が苦労してまとめ上げ、このたび発表しま
した。
 もちろん、かなり前から元気なまちづくり市民会議などでは「公
共施設白書を準備している。これが今後の市政をどうすべきかの大
きな材料になるであろう」ということは、PRさせていただいてい
ましたが、それがようやくまとまったということです。
 ただし白書ですから、実態がどうなっているかを正確に皆さんに
お知らせするもので、そうした公共施設を「今後どうするべきか」
はこれからの問題です。行政もあらゆる状況を想定して検討してい
きますが、市民の皆さんにもこの白書を基に研究していただきたい。
将来の公共施設がどうあるべきかをみんなで考えて、その時代に最
も適した計画を作ることが重要です。「永遠に持続可能な都市・長
野市」を目指すことは当たり前の話です。具体的な目標を立ててい
くにはどうすべきか。これは、市民の皆さんと行政が一緒に考え、
国、県、そして民間事業者の動向などを踏まえ、議論すべきことと
考えています。
 先の大戦で、東京などが焼け野原となった日本は、戦後、国民が
一生懸命働いて、今の豊かな日本をつくりました。その一つの象徴
が、1964(昭和39)年の東京オリンピックではなかったかな
と思います。高度経済成長の時代、豊かさを求めていろいろな投資
をし、グローバル社会に近づいてきました。長かった1ドル360
円の時代がニクソン・ショックで終わり、為替はフロート(変動相
場制)の時代に入りました。その後、石油ショック、低成長時代な
ど、苦しかったこともありましたが、日本人の英知は幾多の難局を
克服して、現在の社会を築いてきたのだと思います。
 しかし、2年前の東日本大震災では、自然の猛威に人々は震撼し、
あまりにも大きな災害に呆然(ぼうぜん)としたことは事実です。
特に地震、津波の恐ろしさもさることながら、原子力発電所事故に
よる被害、そして汚染水の流出が大きな問題になってきました。
 復興が動き始めるまで、かなりの時間がかかったように思います。
汚染水問題はまだ行方が見えないのですが、一日も早く解決できる
ことを祈るばかりです。
 莫大(ばくだい)な復興予算が決まりましたが、その財源措置と
して公務員の給料減額にも手を付けるなど、国があらゆる節約をす
ることは、ある意味、仕方なかったと思います。公共工事などへの
投資もかなり制限されるのではないか・・・。新市民会館・新市役
所第一庁舎、サッカーJ1基準を満たす南長野運動公園総合球技場、
建物の耐震化など、将来の長野市の骨格を形成する10の大規模プ
ロジェクトの帰趨(きすう)を心配した時もありましたが、絶対に
大丈夫と信じていました。
 そうした中、ある方からこんな話がありました。「今、市民会館
や市役所の建て替えを止めると、あなたは『名市長』と言われるよ
!」・・・名市長と言われることの誘惑は魅力的でしたが、しかし
考えてみれば、これは国のシステムを理解していない暴論でした。
以前、建設が始まったダムを止めた知事さんがいましたが、その予
算は結局周辺の県に回され、他県に喜ばれただけだった・・・とい
うことがありました(その後知事が代わって、結局ダムは造られて
います。時間の浪費と、その間住民を危険にさらしていたこと以外
の何物でもなかったということでしょう)。
 偶然ですが、政権が代わって、アベノミクスというすごい政策が
出てきたことは、大きな投資案件を持っていた長野市にとってはラ
ッキーでした。まさに追い風だったと思います。
 確かに国の政策とすれば、2通りの考えがあると思います。
 一つは、東日本大震災という大災害があったのだから、その復興
に全力を挙げるべきで、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは!」
のように、「欲しがりません、復興が終わるまでは」という倹約志
向の選択もあったはずです。経済は、縮少傾向となるわけですが・
・・。
 もう一つは、積極的に投資を行って、大きな「成長戦略」の中で
復興施策を実行していく・・・。
 どちらが良いのか素人の私には分かりませんが、アベノミクスの
三本の矢(異次元の金融緩和政策・機動的な財政政策・成長戦略)
の現段階までの成果を見ていると、今のところ間違ってはいないと
感じています。
 故夏目忠雄先生が参議院議員になられてしばらくのころ、日本
(福田赳夫内閣の時代)は、赤字国債発行に踏み切りました。その
時夏目先生は、「赤字国債の半分ぐらいは、いずれ返済しなくては
ならない。残り半分は申し訳ないがインフレで帳消しにしたい」と
おっしゃっていたことを思い出します。今考えれば、現実とかけ離
れた理想論(失礼)のような気もしますが・・・実体経済を考えて
おられた意見だったと思います。それがグローバルスタンダードだ
とか、金融工学なんて訳の分からない理屈が横行してきてしまいま
した。「お金をおもちゃにすることが善である」のでしょうか?実
体経済に基づかない金融の動き・・・私の素朴な疑問です。
 私の言っていることが、整合性が取れていないことは承知してい
ます。ただ、「景気」が一番重要だということは多くの国民が認め
ているのですから、その流れに乗ることが重要ですよね。文藝春秋
に、塩野七生さんがイタリアの経済状況について幾度か書かれてい
ますが、特にこの11月号の文章を読んで、景気が縮小してしまっ
たイタリアの悲惨な実態を知ると、経済政策はとても重要だなあと
痛感させられます。名市長と言われることは諦めましょう。
 私が市長選に初めて立候補したとき、尊敬する人の名前を挙げよ
ということで「正受(しょうじゅ)老人」を挙げさせていただきま
した。飯山市に今もある寺院「正受庵」の江戸時代の庵主様で、松
代藩の藩主の流れをくむ方だとの説もありますが、よく分からない
のだそうです。
 長野市の何代か前の教育長の中村博二先生が書かれた「正受老人
とその周辺」(信濃教育会出版部)という本。難しくて理解はでき
ませんでしたが、一つだけ「なるほど」と記憶している言葉があり
ます。「没足跡」・・・「もっしょうせき」と読むのだそうですが、
自分の一生の中で歩んできたこと、自分の足跡を消すという意味の
言葉です。
 正受老人は禅宗のお坊さんで、弟子には宗覚(そうかく)や白隠
(はくいん)など有名な禅のお坊さんがいるのだそうですが、没足
跡というご本人の考えのためか、正受老人にまつわる正確なことは
何も残っていないのだそうです。
 人間誰しも、死んでしまったら何も残らないことに対する恐れは
あるものでしょう。しかし、この正受老人の発想は見習いたい・・
・と思っています。

2013年10月10日木曜日

行政における真の手法

 鷲澤市長は、9月11日、今期限りをもって引退されることを表
明されました。私は、一昨年まで長野県庁で働いており、県職員時
代から鷲澤市長とはたびたびお会いさせていただいておりました。
 ちょうど田中康夫元知事時代の平成13年11月に鷲澤市政は誕
生したのですが、その頃私は、総務部財政課、廃棄物監視指導室、
そして1年間の民間研修、南信の福祉施設勤務をしていたので、ほ
とんど市長とは接点がありませんでした。
 やがて村井仁前知事の時代に変わり、財政課長の時に初めて鷲澤
市長とサシでお話をさせていただきました。当時、当初予算編成の
中で、市町村向けの要求が膨らみ、他の財源を振り向けざるを得な
い状況でした。そこで当時県の市長会会長を務めておられた鷲澤長
野市長を訪ね、膨らんだ市町村向けの要求と、財源対策として考え
られる既存事業の主なものを示し、「どれを切ったら良いか、ご意
見を聞かせてください」と一人で直談判しました。すると市長は、
示した資料をご覧になり、たった一言「元気づくり支援金だけは市
町村のシンボルだから削るのはやめてくれ」とおっしゃいました。
実は、事業費10億円、オール一般財源の元気づくり支援金は、財
政課にとっては今まで切りたくても切れなかった事業だったのです。
結局は、別の手法で財源手当てはしたのですが、当時の判断の早さ
と感度の良さ(失礼!)には感心したものです。帰り際、市長は私
に「県の財政課長で直接来てくれて私の話を聞いてくれたのは、あ
んただけだよ」と言われたのを今でも覚えています。
 その後、商工労働部長を2年間務めましたが、おかげで経済団体
との会合などで、たびたび席をご一緒させていただきました。ちょ
っと失礼かもしれませんが、市長と私の共通項は「酒とタバコ」で
す。懇親会などでは、たびたび市長が私の席の隣に来られ、「やー、
タバコを吸うあんたが居るんで助かるよ」とおっしゃり、しばらく
談笑して、再び酒、タバコ。
 商工労働部長のあとで就いた企画部長の時に、ある人を介して長
野市の副市長へと誘われたのは、きっと経験とか能力ではなく、「
酒」と「タバコ」が理由だったのではないかと今、気付き始めまし
た。
 その長野市に来ていまだ一年半、市政全てを理解した訳ではない
ので、こんなことを言うのはちょっとおこがましいのですが、まず
感じたのは、他の多くの市町村や長野県に比べて、財政状況が良い
なということ。例えば、職員の退職手当の財源。退職手当のための
基金、つまり貯金なんて夢のまた夢かと思っていました。退職手当
債という借金を充てるのが当たり前と思っていたのに、長野市には
基金がありました(もっとも、市長は正直なので、「実は借金で払
う方法があるなんて途中まで知らなかったんだ」と私に白状してく
れましたが・・・これは秘密です)。鷲澤市長の一番の功績は、オ
リンピック開催で苦しくなった市財政を立て直したことだと確信し
ています。それ故、市長は何遍も新たな事業に「少し金を使わせろ」
とおっしゃいましたが、私はにべもなく「ダメです」とその都度お
断りをしました。今となっては若干後悔しています。
 また、大規模プロジェクトがめじろ押しでしたが、そのような施
設建設についても考えさせられました。県庁時代、県庁屋上の喫煙
場所で、ある元市長さんと話をしたことがあります。元市長さんい
わく、「俺は市の文化施設を造るに当たって、1、2年かけて、み
っちり市民と話し合いをした。その結果、できた施設に対し批判や
不満は出てこなかった」と。住民意見を聴くという手順を、どの段
階でどの程度とるか、いわゆる行政を進める上での手順、手続きの
問題です。手続きなんかどうでもいいと言う方もいますが、私は手
続きは、ある意味行政の命だと考えています。例えば、施設(ハコ
モノ)造りにおいても住民の意見を聴くことは欠かせませんが、そ
のパターンとして2通りあるのではないでしょうか。(1)元市長
のように、先にみっちり住民意見を聴いて基本構想など、次のステ
ップへ進むやり方。これは市民の満足度は上がるでしょうが、スピ
ード感に欠けます。次に、(2)まず行政から基本を示し、後に住
民意見を聴くやり方。これは、人によっては行政の押し付けだとと
らえる人も出てくるでしょう。一方で、スケジュール感を持って仕
事が進みます。
 どちらが良いかは一概には言えませんが、長野市の大型プロジェ
クトの中には(2)のパターンが多いと感じました。それは、おそ
らく、「期限」という大きな課題があって、スケジュール感を持っ
て事業を進める必要があったからだと考えています。例えば、新市
役所第一庁舎・新長野市民会館建設はその主要財源である合併特例
債の発行「期限」、南長野運動公園総合球技場整備はAC長野パル
セイロのJ2昇格の早期実現という「期限」、長野駅善光寺口駅前
広場整備や中央通り歩行者優先道路化は平成27年の新幹線延伸、
善光寺御開帳という「期限」がそれぞれあります(その上で、事業
の必要性はもちろんのこと、中身を市民や議会に示し、意見を十分
お聴きして反映しているのは当然です)。
 こういった背景を考えると、今般の大型施設整備についてその手
法を鷲澤市政の「姿勢」という人もいますが、むしろさまざまな状
況や条件を勘案した鷲澤市政の「事情」と言った方が良いかもしれ
ません。
 長野市政のかじとりは、決して簡単なことではなかったと思いま
す。やはり、鷲澤市長であったからこそ、厳しい財政状況でスター
トしたにもかかわらず、これまで12年間にわたって長野市がここ
まで発展することができましたし、また「エポックイヤー」として
の平成27年、そしてそれ以後への道筋ができたことは、紛れもな
い事実です。
 鷲澤市長には、3期12年にわたり市長職をお務めいただき、本
当にお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。私は1年7カ月
という短い間ですが、さまざまなご指導をいただきました。誠にあ
りがとうございました。土日を問わずの公務スケジュールが、さぞ
かし激務であったことは想像に難くありません。今後は、趣味のス
キーなどを存分に楽しんでいただきながら、奥様をいたわり、さら
なる発展を遂げるべく長野市政への温かいご指導をよろしくお願い
いたします。

2013年10月3日木曜日

乗馬の魅力


 飯綱・戸隠高原は、冬はスキーに、夏はハイキングやキャンプに
と、近くて気軽に行ける高原として、特に市民の皆さんに人気です。
そしてそこに、本州随一といわれるミズバショウの群生地として有
名な奥裾花自然園があり、鬼女紅葉などの「伝説の里」としても知
られる鬼無里地区を加え、各地区がお互いの持つ魅力を高め、連携
し合い、観光振興と中山間地域の活性化を目指す「いいときエリア
構想」(3地区のそれぞれの頭文字を取ったもので、名付け親は私
です)を進めてきました。そこに、新たな魅力として「乗馬」を加
えようということは、以前から考えてきたことです。

 その「乗馬」が、今回素晴らしいチャンスに恵まれ、大きな一歩
を踏み出しました。先月21~23日、飯綱・戸隠高原一帯で「第
14回全日本エンデュランス馬術大会2013」を開催することが
できたのです。この大会は、2000(平成12)年から始まり、
これまで2008(平成20)年に山梨県で開催された以外はすべ
て北海道で開催されていましたが、ぜひ長野市でも開催し、両高原
の素晴らしさを広くアピールしたいという皆さんの熱意がようやく
実り、「招致」が実現したわけで、画期的なことです。
 大会では、制限時間12時間の120キロメートルと8時間の
80キロメートルの2種目が行われ、県内からの2組を含む23組
が出場しました。

 エンデュランス競技は、「馬のマラソン」とも言われますが、人
間のマラソン大会のように単に早くゴールした者が勝ちというもの
ではありません。人馬ともに元気に走り抜くことが必要で、良いコ
ンディションで完走することに重きが置かれています。
 コースは、レグ(またはフェイズ)という複数の区間に分けられ、
各レグを走り終えた後には獣医師による検査があります。馬のけが
や心拍数、脱水状況などを検査し、問題がなければ決められた休養
後、次のレグに進みます。検査の結果、馬のコンディションが悪い
と判断されれば失格となります。そして、制限時間内にゴールした
組のうち、コンディションが良好と判断された組が残り、タイム順
に順位が決定します。

 この競技のもう一つの特徴は、実際にコースを走る選手と馬以外
に、馬の体調管理を行うクルーと呼ばれるサポートスタッフの存在
がとても重要だということです。各レグ後の休養時間の時はもちろ
んのこと、クルーポイントでは、先回りをして選手と馬を迎え、馬
に水を飲ませたりして、馬の体調管理に努めます。
 選手と馬、そしてサポートスタッフが一丸となって、優勝を目指
すのです。

 今回の優勝者は、120キロメートルは東京の谷邦彦さんで、2
位を約1時間離して断トツの強さだったそうです。80キロメート
ルは山梨の榊原あかねさんでした。
 なお、6月に開催されたプレ大会の60キロメートル競技で優勝
した飯綱高原乗馬倶楽部の宮澤建治さんは、長野市の顧問弁護士を
お務めいただいている私の仲間ですが、今回は残念ながら欠場との
ことでした。理由を聞いてみたら、なんと大会前に「馬が筋肉痛」
になってしまったとか。馬の筋肉痛・・・?ちょっと意外でしたが、
馬のコンディションをいかに良好に保つかが重要ということなので
しょう。結局馬を代えて、全日本選手権大会ではなく、同時開催の
「秋季いいとき乗馬エンデュランス馬術大会2013」の20キロ
メートル競技(40キロメートル競技も同時に開催されました)に
出場され、完走されたということでした。
 全日本選手権に比べれば、いいとき乗馬大会は短い距離です。競
技の経験がなくても、ある程度練習すれば参加できるのではないで
しょうか。皆さんもチャレンジしてみませんか。

 全日本クラスの馬術大会は、県内でも初めての開催でした。まだ
まだ長野市においては馬術競技の歴史が浅いので、全日本選手権と
いうのは無理かなあと思っていたのですが、飯綱地区の皆さんの献
身的な努力で見事な成功を収めることができました。

 皆さんからは、次回はぜひ私にも出場するようにと勧められまし
たが・・・。ようやく馬に乗れる時間もできそうなので、なんとな
く挑戦したい気も湧いてきたような、こないような・・・。大好き
なスキーを、思う存分楽しむための夏場のトレーニングも兼ねて
「ちょっとやってみようかな」と思い始めていますが・・・まあ、
無理でしょう。
 参加された選手の皆さんの声をお聞きすると、エンデュランス競
技は、だいたいが人のいない山の中のコースを走るので寂しいもの
だそうですが、今回のコースでは、観光客などたくさんの人が応援
してくれて、とても良いコースだったとおっしゃっていました。う
れしい評価でした。

 馬の話を続けます。例年10月に開催される松代藩真田十万石ま
つりでの武者行列では、立派な鎧(よろい)の武者姿で騎乗させて
いただき、多くの思い出ができました。しかし、松代城の正門が復
元された2004(平成16)年の武者行列の前日夕方、信更地区
安庭で国道19号が台風などによる大雨で崩落して、飲食店舗とそ
の店主宅、そして野外彫刻「長野市の門」の一つ「ARC(アーク)
 OF NAGANO」が流された時には行列に参加できませんで
した。この時ばかりは馬に乗っているわけにはいかないと、行列の
出発前にあいさつだけさせていただき、現場に駆け付けたことを覚
えています(確かもう一度だけ、別の公務と重なり参加できなかっ
た年がありました)。
 なお、被害に遭った野外彫刻は長野国道事務所のおかげで再建さ
れ、飲食店も国道19号長野南バイパス沿いに移転新築されました。

 初めて馬上から見る松代のまちの景色に感動したこと。2007
(平成19)年の行列は、NHK大河ドラマ「風林火山」の放映の
影響で約10万人という大変な人出であったこと。アメリカ・クリ
アウォーター市との姉妹都市提携50周年の2009(平成21)
年、行列に特別参加されたフランク・ヒバード前市長さんをはじめ
とした訪問団の皆さんが、市民の皆さんと何度もハイタッチを交し
ていた時の最高の笑顔。そして「カチューシャの唄知音都市」の仲
間である中野市、島根県浜田市、新潟県糸魚川市の皆さんとの交流
など、とても思い出深いものでした。思い起こせば、例年天気にも
恵まれ、秋晴れの穏やかな青空の下で大勢の皆さんに声を掛けられ、
手を振っていただきながら、情緒深い松代の城下町で過ごす秋の一
日はとても楽しかった。武者行列には、故青木一(はじめ)中野市
長さんも参加していただいたこともありましたが・・・先ほどのヒ
バード市長さん同様、お二人とも立派な体格の方で、馬がかわいそ
うに見えたことも懐かしい思い出です。

 今年の真田十万石行列は、来週13日に開催されます。私は、歴
女に一番人気だといわれる真田幸村役に扮(ふん)して、市職員が
扮する真田十勇士を従えての行列とのことです。合戦太鼓や槍(や
り)振り隊のパフォーマンスはいつものこと、勇壮な雰囲気を出し
てもらえると思います。
 ただ私としては、信州松代のお殿様は真田信之公だというこだわ
りがありますので、できれば信之役がよかったなあと、ちょっとわ
がままを言いたかったのですが・・・。当の信之役は、本家本元の
真田家14代当主真田幸俊さんが務められると聞いて、納得した次
第です。

 「天高く、馬肥ゆる秋」。今回のかじとり通信は、これからの長
野市の新たな魅力の一つになるであろう「馬」をテーマに書かせて
いただきました。

2013年9月26日木曜日

観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」について


 2004(平成16)年に松代城の整備が完了することを契機と
して実施した観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」につい
ては、いつか機会があれば書いてみたいと思っていたテーマです。
 この事業は、2004年に史跡・松代城の復元事業が完了する一
方で、ハード整備だけでは観光客は来ないという認識があり、市長
の「2004年は松代イヤー」という発言から開始されたものです。
 私は市長の命により、その準備のため、2002(平成14)年1
1月に松代支所に赴任しました。
 まず、松代の持つポテンシャルを調査することから始め、多くの
活用可能な歴史的文化財の存在と、「大門踊り」や「八橋流筝(そ
う)曲」などの伝統的な城下町文化を継承する住民の皆さまが多数
いらっしゃることを知りました。また、旅の形態が団体旅行からテ
ーマを持った個人・小グループ旅行に移行しており、当時の観光客
数は、小布施が100万人を超えていたのに対し、松代では30万
人に満たない状況で推移していました。
 住民の皆さまにも参加していただいたワーキンググループは、歴
史的文化財を舞台にして、市民の皆さまによるおもてなし交流活動
を前面に出した「遊んで学ぶ大人の学校 エコール・ド・まつしろ
2004」と銘打った誘客キャンペーン企画を考え出しました。
「エコール・ド・まつしろ」とはエコール・ド・パリに想を得ての
ネーミングです。エコール・ド・パリは、1920年代を中心にパ
リのモンマルトルの丘などを舞台としてフランス人以外の芸術家、
例えば、ロシア人のシャガールや日本人の藤田嗣治などが中心とな
って興した芸術活動です。「エコール・ド・まつしろ」もまた、文
化財を舞台に、訪れた観光客(いわば異邦人)と松代の人々とが交
わりながら新しい文化を生みだしてほしいという願いを込めて命名
したものです。
 「遊学城下町 信州松代」のブランド化を図ることを目指して開
始したこの事業は、多くのマスコミや旅行関係者の注目を集めるこ
とができ、2004年の年間観光客数は約80万人となりました。
また、このキャンペーン事業が全日本広告連盟の大賞に選ばれると
いう栄誉に浴することができたのも、企画の内容もさることながら、
何よりも松代の皆さまの積極的な参加によるところが大きかったと
思います。
 「エコール・ド・まつしろ」の活動は、今もエコール・ド・まつ
しろ倶楽部の皆さまを中心に続いています。歴史的文化財活用と城
下町文化を通しての交流という軸は崩さずに、また新たなステージ
に登ってほしいと願っておりますとともに、さらなる展開を楽しみ
にしています。

 さて、鷲澤市長は9月11日に、今期をもって引退されることを
正式に表明されました。3期12年の任期は大変に慌ただしく忙し
い日々であり、ご本人にとって短く感じられているのではないかと
推察しています。
 就任早々の旧ダイエービル(現もんぜんぷら座)の再生利用に始
まり、豊野町などとの町村合併、指定管理者制度をはじめとした民
間活力の導入、住民自治の新たな展開を目指す都市内分権の開始、
市民会館・第一庁舎の建て替え事業、南長野運動公園総合球技場整
備事業など、挙げだしたらきりがありませんが、その多くの事業に
関係することができ、指導を受けることができたことは、私個人に
とっても幸運でした。
 一言で言えば、鷲澤市政の前半は長野冬季オリンピック開催後の
財政の立て直しであり、後半は新幹線が金沢に延伸される平成27
年を長野冬季オリンピック・パラリンピック以来のエポックイヤー
と位置付け、これを契機に都市として大きく飛躍するための準備で
した。
 長野冬季オリンピック・パラリンピックが終了し、鷲澤市長が就
任した前年度、2000(平成12)年度末の一般会計の起債残高
(市の借金)は1,800億円を超えていました。その当時の一般
会計予算額が1,300億円台でしたので、この状況は大変に厳し
いものでした。その起債残高を現在の1,300億円台にまで減少
させたのは、会社経営者としての長い経験の賜物(たまもの)であ
り、その点でも鷲澤市長の就任は時代の要請であったと感じていま
す。仮に、この財政面の改善がなかったら、新幹線金沢延伸に備え
ての新たな投資も難しかったのではと思います。2015(平成2
7)年に向け、ようやく舞台は整いつつあります。長野市にとって
新幹線延伸を本当の好機にできるかどうかは、いよいよこれからで
す。長野駅善光寺口駅前広場整備、新長野市民会館整備などの一連
の整備効果を生かし、新幹線の通過点とならずに、都市としての飛
躍にどうつなげていくか。今後は、ソフト事業を中心に市民の皆さ
まとの協働による仕組みづくりが問われてくると思います。
 市長には、そのために必要な環境づくりと、今後の大きな方向性
を示していただいたと思います。
 また、市長が取り組まれた大きな事業に、都市内分権があります。
3.11東日本大震災時における避難所などの様子を見るにつけ、
地域コミュニティーの重要さが再認識されます。地震などの災害は
決してあってほしくないことですが、日頃から備える意味でも、住
民自治協議会を中心とした地域としてのまとまりが大切であると感
じています。市長の着想で始まった都市内分権の取り組みは、その
点でも時機を得た事業であったとあらためて思います。

 鷲澤市長。
 12年間、本当にお疲れさまでした。市民の皆さまの安全を守る
責任者として、いっときとして気の休まるときはなかったと思いま
す。健康には十分に留意されて、これからも長野市の将来について、
大所高所からご指導をお願いしたいと思います。

2013年9月19日木曜日

期待が膨らむ2020年東京オリンピック


 アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されていたIOC(国際
オリンピック委員会)総会で、2020年の夏季オリンピック・パ
ラリンピックの開催地が東京に決定しました。本当におめでとうご
ざいます。4月に、長野市議会の祢津議長と一緒に東京都庁を訪問
し、招致支援の決議文をお渡しさせていただいたこともあり、私も
感無量です。

 1998年長野冬季オリンピック・パラリンピックの開催地決定
は、今から22年前の1991年にイギリスのバーミンガムで開催
されたIOC総会で発表されました。私は、確か長野冬季オリンピ
ック招致委員会の「フレンズクラブ」の会長という立場で出席して
いて、「NAGANO」の最終プレゼンテーションにも立ち会いま
した。遠くからですが、エリザベス女王を拝見したことも懐かしい
思い出です。

 そして、いよいよ開催都市の発表です。当時のサマランチIOC
会長の「City of NAGANO」の声を聞いた瞬間、バー
ミンガムの総会会場にいた長野関係者から大歓声が沸き起こり、両
手を突き上げて喜び、握手をしたり抱き合ったり。それはもう言葉
に言い表せないほどの喜びの絶頂でした。私も大喜びしました。
 時を同じくして、善光寺の境内に設置された大型スクリーンを見
詰めながら、発表を今か今かと待っていた大勢の皆さんも、発表と
同時に歓喜の渦に包まれました。遠く離れた長野市での喜びの様子
は、総会会場の大型画面いっぱいに映し出され、そこには涙を流し
て抱き合う人の姿もありました。その後、テレビで何度もその瞬間
を見ましたが、あの時の感激は今でも忘れられません。

 東京でのオリンピックは、1964(昭和39)年以来56年ぶ
りの開催になります。同じ都市で2度目のオリンピック開催はアジ
アでは初めてです。招致活動にご尽力された皆さんに敬意を表する
とともに、長野市出身の猪瀬直樹都知事へは、さらなるエールを送
りたいと思います。

 1964年の東京オリンピックは、敗戦からの復興を遂げた日本
を国内外に示す、国威発揚のオリンピックでした。首都高速道路、
東海道新幹線、名神高速道路、そして各種の社会インフラが急速に
整備された時代、当時の池田勇人総理大臣の所得倍増計画が進行し、
景気も良くなって、高度経済成長期の訪れで、日本に新しい時代が
到来したのだと実感させられました。

 私的なことで恐縮ですが、私も人から譲ってもらったチケットを
持って、代々木のオリンピックプールへ水泳競技を見に行きました。
長男を身ごもっていて、大きなお腹の妻と出掛けたこと、いまだに
懐かしい思い出です。

 今回の東京オリンピックは、東日本大震災から立ち直る日本の姿
を示す「復興五輪」としても、重要な意味があります。被災地を応
援するためのプログラムとして、東北地方を縦断する聖火リレーや
各国代表のキャンプを被災各県に積極的に誘致し、選手と地域住民
の交流を進めること、また、被災地の子どもたちを観戦に招待する
ことなども計画されているとのことです。東京オリンピックが被災
地の復興を加速させる大会になればと思います。

 また、パラリンピックについては、1964年の東京大会に参加
した選手数は約400人でしたが、昨年のロンドン大会は約
4,300人で、規模の大きさも注目度の高さも比較にならないほ
どで、大変な盛り上がりでした。長野冬季パラリンピックを経験し
た長野市民は、障害のある選手が果敢に競技にチャレンジする姿を
見て、大きな感動を覚え、パラリンピックの素晴らしさを実感して
います。ただし、長野冬季パラリンピックの後、選手の競技環境が
向上するものと期待されましたが、長引く景気の低迷で、環境整備
が進んでいないのが現状のようです。
 東京パラリンピックで、選手が競技に集中できる環境整備、特に
資金面におけるバックアップ体制が将来にわたり強化されればと思
っています。

 東京オリンピックに、もう一つ期待したいことがあります。前述
のとおり、今の東京の首都高速道路や新幹線などは東京オリンピッ
ク前後に整備されました。あれから約50年が経ち、折りしもその
時建設された道路や橋脚などのインフラは老朽化が進み、補修や建
て替えなどによる更新時期に来ており、それには多額の費用がかか
ることは、これまでかじとり通信でも書かせていただきました。今
回のオリンピック開催に係る投資により、東京一極集中がさらに進
むと危惧する声もありますが、オリンピック開催を契機に、老朽化
したインフラ整備に一定のめどが立てばと思っています。当然今の
国の財政力を考えれば、すべてをリセットして新規に建設すること
は不可能です。いかに少ない予算で、補強や延命化が図れるか。そ
れは、同じ問題を抱える長野市にとっても有益な参考事例になると
考えています。

 長野冬季オリンピック・パラリンピックの経験を通じ、市民の皆
さんや市職員には、さまざまなノウハウが蓄積されています。今後
設置される東京オリンピック・パラリンピック組織委員会との連絡
を密にし、これからは大会の成功に向け、引き続き協力していきた
いと考えています。来週27日には、樋口副市長が都庁とJOC
(日本オリンピック委員会)を訪問し、早速長野市の支援方法につ
いて協議してくる予定です。

 長野市は、新幹線で東京から約1時間30分でアクセスすること
ができ、暑い東京に比べれば格段に涼しい気候です。そして、オリ
ンピック・パラリンピック開催都市として競技施設が充実している
ことなどから、各国代表のキャンプ地には最適です。キャンプを誘
致できれば、宿泊施設の利用など地域経済へのプラス効果は間違い
ありません。また、子どもたちをはじめ市民の皆さんが、最高レベ
ルのアスリートたちの姿に触れる機会を得ることにもなります。J
OCをはじめ関係機関と連携を図りながら、積極的に誘致活動を行
っていきたいと考えています。ただし、キャンプ地を決めるのは各
国のチームや選手だそうです。早めに戦略を練る必要があります。

 東京が2度目のオリンピックを開催するとなると、いよいよ「長
野でも再びオリンピックを」といった期待が高まります。まずは、
14歳から18歳までの若者を対象としたユースオリンピックを長
野市に招致しようとの声が一層大きくなりそうです。
 この大会は、昨年1月に第1回冬季大会がオーストリアのインス
ブルックで開催され、次の第2回大会は、2016年にノルウェー
のリレハンメルで開催される予定です。
 9月市議会定例会でも答弁させていただきましたが、第1回大会
の実績や第2回大会の計画から、実施する競技種目、必要とされる
施設整備、経費面などに関する調査・研究を進めていきたいと考え
ています。

 8月8日のかじとり通信「次の時代の施策 その2~さらなるソ
フト事業」でも書いたとおり、長野市が国際都市としてさらに発展
すること、そして再び感動の舞台となることを願うとすれば、ユー
スオリンピックの招致は絶好のプロジェクトになりそうです。多く
の市民の皆さんが夢見る「もう一度、オリンピックを開催したい」
という想いは、このユースオリンピックを招致することで大きなス
テップにつながると考えています。1964年の東京大会、
1972年の札幌冬季五輪の間隔を考えてみれば、2020年東京
の夏季大会から10年後ぐらいの2030年あたりがオリンピック
開催の狙い目でしょうか・・・生まれたばかりの子供たちが、10
代後半から20代になって、オリンピック選手として活躍すること
ができれば、素晴らしいですね。

 また、長野冬季オリンピックで初めて実施され、その後の大会で
も引き継がれてきた「一校一国運動」も、今後さらに発展できれば
素晴らしいですよね。今回、東京招致委員会が公表した「立候補フ
ァイル」には、「一校一国運動」の継承も盛り込まれたようです。
各学校や大学が、各国のNOC(国内オリンピック委員会)と対に
なる「1校1NOC運動」を行うと表明し、子どもや学生が「NO
Cが属する国の文化や歴史を学び、その国の若者と交流を図る」と
されています。
 長野が生んだ国際交流活動が、子どもたちの国際理解を深め、こ
れからもずっと継承される運動となることを祈っています。

2013年9月12日木曜日

9月議会定例会開会~これからの市政運営方針


 私にとって、3期目の任期最後となる市議会定例会が5日に開会
しました。
 思い起こせば、2001(平成13)年12月に初めて議会に出
席して以来、何度、議場の演壇に立ったことか。数えたことはあり
ませんが・・・いつも妻に怒られていることは、下を向いて原稿を
読んでばかり・・・でも私は、「市長としての発言は一つの誤りも
許されない。きちんと伝えることが大切」と考え、妻に「アドリブ
は不要」といつも話してきました。
 開会あいさつでは、8月中の5回のかじとり通信の内容と、これ
からの市政運営方針、そして私の12年間の思いを込めて、お話し
させていただきました。その内容を少し簡略化させていただき書い
てみたいと思いますが、いずれにしても、現在私は市長職にありま
す。最後まで誠心誠意努めてまいります。

(1)平成24年度決算の概要
 一般会計では、効率的な予算執行により、当初予算で予定してい
た34億円の基金取り崩しを6億円にとどめることができました。
また、市債の借り入れの抑制を図り、実質収支額として9億7千万
円余りの黒字決算額を確保することができました。
 これにより行政の財政状況を示す健全化判断比率は、いずれの指
標も国の基準を下回っていますので、本市の財政状況は、健全な状
態を保つことができています。

 しかしながら、「将来負担比率」には、今後、本格化する新市役
所第一庁舎や新市民会館の建設、新斎場、長野駅善光寺口駅前広場、
ごみ焼却施設、南長野運動公園総合球技場の整備などの大規模プロ
ジェクト事業が反映されていません(これは財政のルールです)。
引き続き、各指標の推移に十分な注意を払いつつ、財政の健全性を
保持したい考えです。

(2)公共交通機関の整備
 多くの皆さんに大変好評のバス共通ICカード「くるる」は、来
月でちょうど運用1年を迎えます。来月からは市営バスや乗合タク
シーでも利用可能となりますし、今後も、周辺市町村へのサービス
エリアの拡大や他の交通機関への普及を進めるとともに、公共サー
ビスや商業での利用などの将来展開を視野に入れ、利用促進を図り
たいと考えています。
 また、新交通システムの導入可能性については、バス高速輸送シ
ステム(BRT)や次世代型路面電車システム(LRT)を想定し
て、今後、「長野市公共交通ビジョン」において検討を進めていき
ます。

 北陸新幹線の金沢延伸後も、呼称などに「長野」を残すための要
望活動については、7月31日に、県知事ほか関係者とJR東日本
の社長に直接要望してきました。JR東日本からは「お客さまに分
かりやすく案内をすることが重要で、鉄道事業者として責任ある対
応をしていきたい」との回答を頂きました。私たちと北陸の皆さん
の思い、首都圏からの利用者の利便性を踏まえての結論を導き出し
ていただけるものと期待しています。
 また、北陸新幹線金沢延伸に伴って、しなの鉄道株式会社に経営
移管される北しなの線(長野以北並行在来線)は、開業10年後に
は開業時と比べ需要が約15パーセント減少すると予測されていま
す。本市としては、新駅設置や、しなの鉄道の新企画「観光列車」
などと連携することで、利用者増加と鉄道事業の安定化につなげた
いと考えています。

(3)環境対策の充実、エネルギーの適正利用~環境先進都市を目
指して
 再生可能エネルギーの導入として、小・中学校などの市有施設へ
の太陽光発電システムの設置を行い、昨年度末の累計で37施設と
なり、本年度も7施設に設置します。また、今後整備される新市役
所第一庁舎および新市民会館や南長野運動公園総合球技場にも設置
する予定です。
 昨年度末までの太陽光発電システムの設置補助事業の補助累計は、
個人分と法人分を合わせて約5,800件、発電出力で約2万4千
キロワットと、1メガワットのメガソーラーシステム24基分に相
当する規模となっています。

 省エネルギーの推進状況については、昨年度、小・中学校など
72施設にデマンド監視装置を導入した結果、電力使用量は導入前
と比較して約3パーセントの減、料金では約400万円を削減する
ことができ、本年度は、もんぜんぷら座など8施設に導入しました。

 また、バイオマスタウン構想の推進については、雇用や産業の創
出にもつながる可能性を秘めている木質ペレットの利用拡大に向け、
従来のボイラーやストーブに加え、新たに冷暖房への活用も含めて
検討を進めています。さらに、本年度から新たに信州大学との連携
事業として、高い成長力を持つイネ科作物の「ソルガム」などのバ
イオマス資源作物について、発電や熱利用などを含めた有効活用に
向けた可能性調査に取り組みます。近い将来、中山間地域における
「ソルガム」などの栽培が、農業生産の拡大や雇用の増大につなが
ることにも大いに期待しています。

 長野広域連合が大豆島地区に建設を計画している「広域ごみ焼却
施設」については、都市計画決定に向け、素案の閲覧を先月末から
開始しました。今後、計画案の縦覧などを経て、年内に決定したい
と考えています。
 本市が行う周辺環境整備事業のうち、健康・レジャー施設、複合
施設整備については、年内の設計業務委託契約締結に向け、また、
大豆島地区住民自治協議会から要望を頂いた地域公民館整備などに
ついては、地域の皆さんと十分に協議を重ねながら、大豆島地区の
発展につながるよう進めていきます。

(4)文化芸術活動への支援と文化の創造
 新長野市民会館の運営を担う長野市文化芸術振興財団の10月1
日の設立に向け、現在、財団の理事など役員の選任、定款・規程の
作成などの準備を進めています。また、同会館と新市役所第一庁舎
の安全祈願祭が8月23日に行われ、いよいよ本格工事に着手しま
した。市役所をご利用される皆さんには、工事中ご迷惑をお掛けし
ますが、安全には十分留意して着実に進めていきます。

(5)中山間地域の活性化
 前回のかじとり通信で、「里山資本主義」なる発想や、国が取り
組む「地域おこし協力隊」を紹介しながら、中山間地域の持つ可能
性について書かせていただきましたが、中山間地域では、有害鳥獣
による被害が大変深刻化しています。こうした中、松代地区では、
約40キロメートルに及ぶ防護柵を設置し(国の補助を利用し資材
を購入しましたが、設置作業は地区の皆さん総出で行ったそうです)、
若穂山新田地区においても電気柵3.2キロメートルの設置が行わ
れています。

 長野駅善光寺口駅前広場の大庇(ひさし)、列柱には、大量の市
内産の間伐材を使用しますが、現在、そうした間伐などにより搬出
された木材の需要拡大が課題となっています。建築用材のほかバイ
オマスエネルギーなどへの有効活用を推進し、林業振興を図ります。

(6)産業基盤の整備
 日本無線株式会社の新工場の建設が稲里町に計画されていて、第
一期分は来年10月に完成予定とのことで、第二期分の工場建設も
検討されています。従業員数は約千人とのことですので、ご家族も
合わせるとさらに多くの人が長野市に転入されることになり、受け
入れ態勢を万全に整えたいと考えています。

(7)子育ち・子育て環境の整備などの保健福祉施策
 「長野市版放課後子どもプラン」は、全55小学校区のうち現在
51校区において校内施設などを活用して実施しています。活動場
所の広がりとともに、趣味や特技を生かして放課後の活動を支援し
ていただく登録制のアドバイザーも増え、現在は約680人の皆さ
んに登録していただき、子どもたちのより充実した放課後活動にご
協力いただいています。

 また、長野市社会事業協会が設置、運営する児童発達支援センタ
ー「にじいろキッズらいふ」が7月1日に開所しました。市として
も、児童専任の相談員を配置しており、障害児を支援する拠点とし
ていきたいと考えています。

(8)観光交流の推進
 9月21日から23日まで「全日本エンデュランス馬術大会」が
戸隠、飯綱高原一帯の特設コースにおいて開催されます。これまで
北海道で開催されていたこの大会を初めて長野市に誘致することが
でき、関係の皆さんのご努力に敬意を表するとともに、観光資源の
魅力に乗馬を新たに加え、いいとき(飯綱、戸隠、鬼無里)構想の
発展、戸隠、飯綱高原の一体的な振興につながればと思っています。

 豊野地区にある「りんごの湯」については、湯量の不足のため露
天風呂の営業を休止していましたが、管の洗浄作業を行った結果、
元の湯量に戻りましたので、6月から営業を再開しています。再開
後、何度かりんごの湯の前を公用車で通りましたが、いつも駐車場
はほぼ満杯。多くの皆さんが再開を心待ちにしていたんだなあと感
じています。

(9)茶臼山公園一帯の整備
 4月に運行を開始した茶臼山モノレールは、8月末までに4万5
千人を超える皆さんにご利用いただいており、新たな名物になって
います。動物園の入園者数も昨年の同時期と比べて約7,500人
上回っていて、うれしい限りです。また、篠ノ井地区から発信を続
けている緑育の推進については、矢澤秀成さんを中心に、花や緑を
育てるだけでなく、人や地域も育てる活動を積み重ねています。こ
うしたさまざまな要素が一体となって地域の活性化につながること
を期待しています。

(10)スポーツを軸としたまちの活性化
 南長野運動公園総合球技場の整備については、8月から既存施設
の撤去が始まり、来年1月から建設工事に着手する予定です。また、
スタジアム完成までの間、AC長野パルセイロのホームゲームは、
今シーズンの残りゲームを佐久市の佐久総合運動公園陸上競技場で
行い、来シーズンは同競技場と東和田の長野運動公園陸上競技場を
併用して開催される予定です。佐久市での開催は、パルセイロのサ
ポーターやファンを東信地域まで広げる良い機会ですし、8月11
日の佐久市での初試合には3,200人近い多くの観客の皆さんに
お越しいただき、本当にうれしく、そしてありがたく感じました。

 なお、パルセイロは、8日の天皇杯全日本サッカー選手権大会2
回戦で名古屋グランパスと対戦し、なんとJ1チームを相手に2対
0で快勝しました。すごいことですし、天皇杯、そしてリーグ戦が
ますます楽しみです。ただ・・・実はこの日、公務が一つも入って
いない日曜日で、こんな日は本当に珍しいのですが・・・それ故
「名古屋まで応援に行けばよかった・・・」と、ちょっと、いや、
かなり残念に思いました。

(11)中心市街地の活性化
 権堂B-1地区市街地再開発事業の施設建築物工事は6月から本
格着工し、現在基礎部分の工事を順調に行っています。一方、権堂
商店街などでも、すでに定着した「ごんバル」や飲食店以外のお店
を対象とした「ひる(昼)バル」など、まちを元気にするイベント
が開催されています。篠ノ井駅前の「しの駅バル」や「軽トラ市」
なども順調で、こうした各地区での主体的な取り組みは、とても大
切だと感じています。

(12)行政改革の推進
 老朽化が進む公共施設やインフラ資産に係る維持・更新費用の増
大は、現在進行中の大きな社会問題となっています。オリンピック
施設を抱える本市にとっても重要な課題で、現在、市有施設の現状
と課題を把握するため、「公共施設白書」の作成に取り組んでいま
す。来月初旬の公表を予定しており、将来人口や財政推計などを勘
案しながら、公共施設の再配置計画、長寿命化計画の策定を行いま
す。

 以上、9月市議会定例会の私のあいさつから、その概要をまとめ
てみました。

 私は常々、長野市をこうしたいという「夢」や「理想」をもつこ
との大切さと、その実現のためには、理念だけではどうにもならず、
具体的な議論が必要であると申し上げるとともに、市長就任以来、
「元気なまち ながの」の実現を目指し、「入りを量りて出ずるを
為す」、「市民とのパートナーシップ」、「簡素で分かりやすい行
政」、「民間活力の導入」、「無私、利他の精神」、この五つの原
則を信念として、今日まで、全力を挙げて市政の舵(かじ)をとっ
てきました。

 この間、厳しい経済情勢の下ではありましたが、財政の健全化、
生活環境の保全、産業の振興、文化芸術・スポーツの振興などに加
え、都市内分権の推進、中心市街地の再生、民間活力の導入、周辺
町村との合併など、市政の各分野において一定の成果を上げること
ができたと思っています。

 平成27年には、善光寺御開帳と北陸新幹線の金沢延伸に合わせ、
長野駅善光寺口駅前広場整備、中央通り歩行者優先道路化、新市役
所第一庁舎や文化芸術振興拠点となる新市民会館が竣工(しゅんこ
う)する予定で、長野市は冬季オリンピック開催以来の変革のとき
を迎えます。そして日本全体に目を向ければ、2020年の夏季オ
リンピック・パラリンピックの開催地が東京都に決定したことで、
さらなる大きな波が地方にも押し寄せるでしょうし、それを絶好の
チャンスとしなければなりません。長野市は、東京から新幹線で約
1時間30分で結ばれていますし、また、酷暑の東京に比べれば、
格段に涼しい気候です。もちろん長野市はオリンピック・パラリン
ピックを経験しています。東京の補完的な役割を十分持ち合わせて
いる長野市が、東京オリンピックに積極的に携わることができたら
と思っています。

 昨日私は、一般質問の答弁の中で、今期限りで市長職を退任する
ことを表明させていただきました。
 残された任期を、悔いの残らないよう全力で取り組んでいきたい
と決意しています。

2013年9月5日木曜日

50年後の中山間地域を夢見て


 市長就任以来、3期12年の集大成として書いた8月のかじとり
通信。書き始めれば、皆さんにお伝えしたいことが次から次へと頭
に浮かび、5回の配信だけでは足りず号外を出すまでとなり、よう
やくまとめ上げることができました。お付き合いいただき、ありが
とうございました。大作の後ということもあるのでしょうか、正直、
今はほっとしたという安堵(あんど)感と、それ故いささか脱力感
を覚えながらも、さあ9月からの執筆を始めるかと気合を入れてパ
ソコンに向かいましたが、原稿提出期限ぎりぎりの日曜日の夜に書
いている次第です。

 8月のかじとり通信の中でもお伝えしましたが、私の12年間の
仕事で、なかなか思うように進んでいないのが「中山間地域の活性
化」と「公共交通の再生」です。特に、中山間地域の問題について
は、8月に行われた中条地区や信更地区の元気なまちづくり市民会
議でも切実な地域の問題として議論になりました。特効薬がないの
が実情ですが、8月29日のかじとり通信で藻谷浩介さんとNHK
広島取材班の共著である「里山資本主義-日本経済は『安心の原理』
で動く」(角川oneテーマ21)を、「これは素晴らしい」と紹
介させていただきました。その時はあまり詳しく書けませんでした
ので、今回、この本を引用させていただきながら、中山間地域の持
つ魅力をあらためて考えたいと思います。

 「里山資本主義」なる言葉は、ちょっと変な言葉ですが、NHK
広島取材班井上恭介さんと藻谷さんが考えた造語だそうです。中国
山地のあちこちで始まっている、過疎や高齢化の対極をいく「元気
で陽気な田舎のおじさんたち」の挑戦を取材された井上さんと、
「日本経済が停滞している根本は『景気』ではなく『人口の波(生
産年齢人口=現役世代の数の増減)』にある」とおっしゃっている
藻谷さんの共同執筆によりこの本は作成されました。私的には若干
の異論はありますが、「おじさんたちの挑戦」と「人口の波」とい
う考えは納得です。

 井上さんは本の冒頭、「『経済の常識』に翻弄(ほんろう)され
ている人」を、「もっと稼がなきゃ、もっと高い評価を得なきゃと
猛烈に働いている。必然、帰って寝るだけの生活。ご飯を作ったり
している暇などない。だから全部外で買ってくる」人に例え、「実
はそれほど豊かな暮らしを送っていない」「もらっている給料は高
いかもしれない。でも、毎日モノを買う支出がボディーブローにな
り、手元にお金が残らない。だから彼はますますがんばる。がんばっ
た分だけ給料は上がるが、その分自分ですることがさらに減り、支
出が増えていく」と評しておられます。

 「猛烈社員として働いていた青年。実は会社も猛烈な競争にさら
されていた。ライバルは最近業績をのばす新興国の企業。(略)会
社は『労働コスト』を見直すことにした。彼は突然リストラされた」。
「失意の彼は、田舎に帰った。(略)給料は以前の10分の1」
「ところが(田舎の人々は)みんな、驚くほど豊かに暮らしている」。
 
 その後の彼について本から抜き書きすると、彼は畑で野菜作りを
始め、石油缶を改造した「エコストーブ」でおいしいご飯を炊き、
楽しく、人間らしい生活を送るようになり、「豊か」になったとい
うわけです。

 藻谷さんは、「里山資本主義」を次のように定義しています。
「『里山資本主義』とは、お金の循環がすべてを決するという前提
で構築された『マネー資本主義』の経済システムの横に、こっそり
と、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え
方だ」「水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全
のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践だ」。
ここで、藻谷さんは「勘違いしないでほしい」と断りながら、「江
戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、
という主義主張ではない」としています。

 ここで私の経験を話しますと、会社の社長時代、わが社の社員は
家では農業をやっている兼業農家の人が多かったので、幹部クラス
の社員は「どうもうちの社員は根性が足りない。いざ仕事がうまく
いかなければ、家に帰って農業をやればいいと考えている節がある」
と怒っていました。でも藻谷流に考えれば、それで良かったのでし
ょうし、社会に一種の余裕を与えていたのではないでしょうか。ち
ょっと話がそれますが、余裕という点では、夫婦共働きのダブルイ
ンカムは、イタリアでは当たり前と以前聞いたことがあります。

 また、藻谷さんは続けて、「ただし里山資本主義は、誰でもどこ
ででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本主義の下では
条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、(略)より大きな可能
性がある」とおっしゃっているのです。

 こうした取り組みの具体例として、「NHKスペシャル
『2011ニッポンの生きる道』」の中で、岡山県真庭市でのペレ
ットボイラー、広島県庄原市でのエコストーブの普及活動の取り組
みが紹介されました。長野市でも若穂地区の保科温泉でペレットボ
イラーを使い始めています。燃料費は重油と比べてほぼ同等になっ
てきているのですが、ボイラー本体の価格がもう少し安いと普及す
るのに・・・。オーストリア製と聞きましたが、そんなに難しい構
造ではなさそうです。市内の会社にぜひ技術開発をしてもらい、ペ
レットボイラーを安く作ってほしいものです。

 また、大変興味深く思ったのが、真庭市の製材事業者が試作に取
り組んでいるコンクリート並みの強度を誇る木材です。繊維方向が
直角に交わるように互い違いに重ね合わせることにより飛躍的に強
度を上げた集成材(CLT)で、オーストリア、イタリアなどヨー
ロッパで普及しているそうです。
 日本においても、国土交通省の主導によりCLTパネルによる建
築物の耐震実証実験が行われており、来年の法改正・実用を目指し
ているそうです。これによる木造の高層建築が実現すると、長い間、
低迷が続いている林業界にとって起死回生の一手になるのではと期
待をしています。

 里山、いわゆる中山間地域の活性化に向け、長野市でもアイデア
を絞り、新規就農者支援事業、やまざとビジネス支援補助金事業と
いった取り組みを導入しています。新規就農者支援事業は国に先駆
けて行ったものですし、今年度からの新規事業となる、やまざとビ
ジネス支援補助金事業では、地域とは全く関係のないファッション
ブランドの企画、製造、販売事業が採択されるなど、私としては受
け身ではなく、新たな事業を積極的に仕掛けていると自負していま
す。ただ藻谷流の徹底した取り組みにはほど遠いのかなあと感じて
います。

 さらに国は、信じられないような取り組みを2009(平成21)
年度から始めています。「地域おこし協力隊」という事業なのです
が、東京、名古屋、大阪といった大都市圏から過疎化が著しい山村、
離島、半島などを含む地方に移り住む人(隊員)を募集し、地域力
の担い手となってもらおうというもので、隊員一人につき年間
400万円(報酬など200万円+活動費200万円)を上限に、
最長3年にわたって特別交付税として財政支援するという制度です。
言葉が悪くて申し訳ありませんが、なりふり構わないこうした「バ
ラマキ」とも言える手法を国がやるということは、それだけ国もこ
の問題解決に苦慮しており、本腰を入れ始めたのだなあと感じてい
ます。 

 この取り組みは恒久的なものではないため、受け入れ地区の「や
る気」が重要です。「地域おこしは自分たちの問題だ」という意識
を十分に持った上で、地域が隊員を温かく受け入れられるか、具体
的にどんな分野の仕事を担ってもらうのかを明確にできるかが大き
なポイントだと思っています。当然のことながら、国も市町村も3
年経ったら「さようなら」では困るわけで、国の財政支援のある間
に、就農、就業、起業が進み、その結果、願わくば定住や定着に結
び付くケースが少しでも多く実現できれば、地域の活力はさらに高
まるでしょう。とにかく人を増やすことが大事なのです。

 本の最後に、藻谷さんは今から50年後の2060年を、里山資
本主義が普及した「明るい未来」としています。なぜ50年かとい
うと、「黒船来航騒動直後の1855年に、1905年に日本がロ
シアに戦争で勝つことを誰が予想しただろうか。泥沼の戦争に深入
りしつつあった1940年に、誰が平和な経済大国としてバブルを
謳歌(おうか)する1990年の日本を想像できただろうか」と、
「50年という月日は時代が大きく変わるのに十分な時間だ」と
おっしゃっています。

 「里山資本主義」を「夢みたいな話」と感じられた方は多いと思
いますが、小さなことの積み重ねで本当に50年後の日本は変わっ
ているのではないかと予感させられる1冊でした。

2013年8月30日金曜日

次の時代の施策 その5(2)~これからの社会


 人間余裕をもたないと駄目だなあと最近つくづく感じます。仕事
に追いかけられていることも大切ですが・・・心の豊かさは生まれ
ないのではないでしょうか。

 ある方から、お前の最初の公約は、ニュー・パブリック・マネジ
メント(*1)だったよと言われました。それが、形を変えて例の
5原則「入りを量りて、出ずるを為す」「市民とのパートナーシッ
プ」「簡素で分かりやすい市政運営」「民間活力の導入」「無私・
他利の精神」になったのだと強弁し、自分では納得しています。

 そこで、これまでに市長になってから取り組んできた政策で、自
分ながらアイデアを出してきちんとやったなあということを、自慢
話みたいで恐縮ですが書いてみます。

(1)まず第一は、長野市の借金を減らしたことでしょうか。
2001(平成13)年の市長就任当時、長野冬季オリンピックが
終了したばかりでしたので、一般会計(2000(平成12)年度)
での借金は結構多額で1,804億円(ピークは1997(平成9)
年度の1,921億円)でした。私はこれを当時の一般会計規模
1,300億円ぐらいまで圧縮したいと考えました。方法論として、
毎年200億円返済して100億円借りるという原則を決めて実行
しました。順調に毎年100億円程度、減ってきたのですが、途中
6町村との合併がありましたので、若干返済計画を見直しましたが、
まあ順調に返済してきたと思います。今後については、大規模プロ
ジェクト事業が最盛期に入りますから、また借金は増えていきます
が、想定の範囲内のことで心配はありません。

(2)職員の退職手当基金を積み立てたことも、当時としてはかな
り思い切った施策でした。企業社会と違い、行政は退職金を積み立
てるルールがなかったようなのです。どうするかというと、予算編
成時、新年度の予定退職者を数え、退職金を掛け合わせて金額を算
出し、その金額をその年の予算に盛るということでした。当時は、
巨額の退職金や年金で企業は苦慮しているのに、行政は関係ないと
いうのは絶対におかしいと考え、退職手当基金を制度化しました。
市の資金繰りが苦しい時もあり、財政部長が本年度の予算では基金
の積み立てができないと泣きを入れてきたこともありましたが、結
局、目をつむって積み上げてきました。
 なぜ私がこだわったのか。それは、長野冬季オリンピックの準備
段階で長野市は職員を大増員しており、30歳代中ごろの年代の職
員が大きく膨れていました。その人たちが定年を迎えるとき、多分
25年ぐらい後のことでしょうが、退職金が多くて一般会計の予算
が組めなくなるのでは・・・という恐怖でした(後で分かったこと
ですが、行政には退職手当債という制度があり、借金をして先送り
ができるらしいのですが・・・多くの自治体は団塊の世代が退職す
るとき、この制度を使ったようです。長野市は使っていません)。

 退職金の話題でもう一つ。2005(平成17)年の4町村との
合併後、旧町村職員の退職金として長野市に約11億円の請求が長
野県町村総合事務組合(現・長野県市町村総合事務組合)からきま
した。過去に退職金が不足し、組合が肩代わりしていた分をどこに
も請求できないということで、結局、長野市が負担することとなり
ましたが、これには本当に驚きましたし、割り切れない思いをしま
した。

(3)組織全体のスリム化を図れたことも大きいのではないでしょ
うか。職員数を減らし、スリムな組織にすることは大切なのですが、
一番難しいのは公務員の身分保障制度がありますから、民間企業の
ようなリストラは実質的にはできないわけで、私もすべきではない
と考えています。そこで、いろいろ考えて取り組んだことは、民営
化の推進、PFI(*2)、指定管理者制度の導入、そして正規職
員の新規採用をその年に退職する職員数より減らす、ということで
した。急激なスリム化は難しいけれど、長期的に考えれば、職員数
はかなり減ってきています。

 そしてなんといっても大きかったのは、市町村合併です。豊野町、
戸隠村、鬼無里村、大岡村、信州新町、中条村の6町村と合併した
ことで、一時的には職員数は増えましたが、合理化を進め、予定ど
おりスリムな体質に近づいています。
 一つの例を挙げますと、合併前の旧長野市の若槻地区は、人口が
約2万人で、同地区にある若槻支所の正規職員は4人でしたが、そ
のお隣りの豊野町は、人口は約1万人で正規職員数は77人(保育
園、給食センターなどを除きます)でした。現在の豊野支所の職員
数は17人ですから、行政の規模が大きくなることで、それぞれ同
様の業務を担当していた部署が集約され、経費の削減、職員の適正
な再配置が可能となったわけです。
 また特に、市議会議員さんの定数は、旧長野市プラス4町村(豊
野町、戸隠村、鬼無里村、大岡村)で合併前は96人でしたが、合
併後46人となり、さらに2町村(信州新町、中条村)を加えた現
在の議員定数は39人ですから、合併の効果は大きいですよね。

 こうした合併に併せ、民間活力の導入、即ち民営化や指定管理制
度の導入を推進した結果、全体ではスリム化につながったと思って
います(アメリカ・ジョージア州サンディスプリングス市(人口
10万人弱)の市の正規職員は4人ということで、市業務の大半は
包括的業務委託により行われているそうですが・・・そこまでは無
理でしょう)。

(4)地域のことは地域で決める・・・私の一丁目一番地の政策が、
住民自治協議会を中心にした都市内分権であることは、皆さんご承
知いただいていると思います。地域の皆さんが、地域は自分たちの
手でつくるものと考えていただき、一生懸命に取り組んでいただい
ていることは、とてもありがたいことで、住民自治協議会の活動は
活発化してきていると感じています。

 住民自治協議会の体制になる前は、各地区への補助金などは団体
ごとに交付されていましたが、住民自治協議会へ地域いきいき運営
交付金として一括配分したことで使い勝手が良くなり、元気に活動
していただいていると考えています。予算総額は、個々に配分して
いた時代よりは多少増えていますが、それほど大きくなっているわ
けではなく、地域の活性化を考えると、市からの交付金がより効果
的に活用されていると感じています。さらに、「これからは、地域
でもうかる仕事をやりましょう」とお願いしています。やる気のあ
る人がどのくらいいるか分かりませんが、外部から来てもらっても
よいと思っています。

 行政がこれまで関わっていた業務を、住民自治協議会が主体とな
って取り組んでいただく。行政のスリム化と地域の活性化が同時に
できる一石二鳥の政策です。
 住民自治協議会に市立公民館の指定管理者になっていただこう・
・・この政策も、なかなか進まなかったのですが、ようやく手を挙
げていただく地区が出始めました。

 その他、国に対する要望も機会あるごとに提言してきました。中
山間地域の土地を全て国が買ってしまったらどうか、生活保護受給
者の自立支援策など、かじとり通信でも折に触れ書かせていただき
ました。

 以上、盆休みを挟んで5回のかじとり通信で、長野市の将来につ
いて、私の経験を交えて書かせていただきました。首長の任期は3
期12年が限度だと申し上げている理由もお分かりいただけたので
はないでしょうか。

 さて、このかじとり通信の配信については、市長選挙前というこ
ともあり、「長野市のサーバー(公的な機関)から配信することを
来月から自粛させていただく予定」と8月1日付けでお伝えしまし
た。9月からは前例に倣い、私のブログを立ち上げて発信しようと
考えていましたが、長野市の状況や私の考え、感じていることを市
民の皆さんをはじめ、かじとり通信をお読みいただいている皆さん
に確実にお届けする方法としては、やはりこれまでと同じように長
野市メールマガジンとして配信させていただくのが最適だろうと考
えるようになりました。従いまして、来週以降も、これまでどおり
毎週木曜日に配信させていただきますので、何とぞご理解いただき、
引き続きかじとり通信をお読みいただければ幸いです。

 この5回分のかじとり通信が、将来の長野市の市政運営に少しで
も参考になれば、これに勝る幸せはありません。

*1 ニュー・パブリック・マネジメント:行政に、民間企業経営
の理念(競争原理や成果主義など)を取り入れ、効率化を図るもの

*2 PFI:Private Finance 
Initiative:民間の資金、経営能力および技術的能力を
活用して公共施設等の設計、建設、維持管理、運営等を行う手法

2013年8月29日木曜日

次の時代の施策 その5(1)~これからの社会


 今月8月、5回連続となるかじとり通信を、市長就任3期12年
間の総決算のつもりで書いてきました。今回は、その最終回です。
私の持論になるかもしれませんが、市政に関して感じていることを
アトランダムに書いてみます。ただし、最終回ともなるとかなり力
が入ってしまい、大作となってしまいました。お読みいただく方に
は申し訳なく感じています。せめてもと思い、本日と明日の2回に
分割し、かじとり通信を配信させていただきます。お許しください。

 社会は、原則として平等でなければいけない。当たり前のことで
すが・・・でも、それだけでは社会は窒息してしまいます。建前の
平等を標榜(ひょうぼう)した国家、社会主義国ソ連は崩壊しまし
た。日本国内では、高校入試の総合選抜制も挫折しました。人間の
自由を求める本性はあまり変化していないようで、藤原正彦さんが
「国家の品格」でおっしゃられている「どんなに正しい論理でも、
その論理をつきつめていくと社会は崩壊する。その論理が正しいと
か間違っているということではなく、これはすべての論理に通じる
話です」(抜き書き)・・・私は、これが真実だと思っています。

 そうならないための理論として、これも度々引用させていただい
ているのが中谷巌さんの言葉です。中谷さんは、「今の社会は全て
交換が原則になっている」と警鐘を鳴らし、こうした社会からの脱
却に「贈与の大切さ」を説いておられます。こうした考えは、とて
も大切なことだと思っています。

 中谷さんがおっしゃる「贈与」とは、私の頭の中では「寄付」と
同じだと考えています。中谷さんの著書「資本主義以後の世界」
(徳間書店)から一部お借りして説明させていただきますと、

 我々は・・・「『贈与』という行為を通じて人と人とのつながり
を生み出す『社会』、もしくは『共同体』をつくり上げ、その上に
独自の文化をつくり上げてきた。現代人は『贈与』の精神を忘れ、
市場を通じた『交換』こそが、人間を幸せにすると錯覚したのであ
る。だから『社会』が荒廃し、文化が廃れていく。それは『贈与』
を忘れ、『交換』だけで世の中を運営できると錯覚したためであっ
た。

 新自由主義とは、『可能なかぎり市場で取引できる商品の範囲を
拡大し、そこで実現される資源配分を尊重すべきだ』というイデオ
ロギーである。(中略)人間社会の健全性は『贈与』の精神なしに
可能なのであろうか。すべての人間活動が功利主義的な市場におけ
る『交換』の思想によって取り仕切られる時、人間社会はいかなる
問題を抱えることになるのであろうか。実は、現代社会の構造的問
題と呼ばれるもののほとんどすべては、人間活動をすべて『交換』
によって覆い尽くすことこそ正義だとみなす新自由主義思想から生
み出されたものではないだろうか」

 こんな大きな話は、一地方自治体で考えても無理でしょうが、少
なくともその精神は、きちんと学ぶ必要があります。
 前にも紹介させていただきましたが、中谷さんは「資本主義はな
ぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル・2008年出版)
という著書の中で、国の中枢で政府の委員を務められ、数々の提言
に関わったが、小泉構造改革の規制緩和や市場開放といった改革に
おいて、大きな過ちを犯したと率直に認めておられます。ご自分に
対する厳しさ、正直さ、それ故に、この方の説は信頼できると感じ
ました。
 しかし、「自分が間違っていた」ということを認めたがらないこ
とでほぼ共通している学者、評論家、政治家・・・そういう人が多
いように感じています。特に、「政党」という組織になるとその傾
向が顕著になるのでしょうか。いくつかの政党は、何十年も同じよ
うな主張を続けながらなかなか支持を得ることができない・・・そ
の理由は、その政党の主張に何か時代にそぐわない部分や民意から
離れてしまっているところがあるからでしょう。そのことを素直に
認めれば良いのになあ・・・といつも感じてしまいます。

 組織の怖さでしょうか。個人個人はとても良い人なのですが、組
織や集団となると「何で!」と感じることが多いのです。古い政党
も新しい政党も同じでしょう。組織というのは、目的達成のために
は、異分子の存在は困るのでしょうね。

 失礼ですが、今回の参議院議員選挙を見ていても、党利党略が政
策より前に出ていると感じたのは私だけでしょうか、すなわち政治
家はギリシャ・ローマの昔から、弁舌で生きているのだそうですか
ら、仕方ないのでしょう。

 だから「市長は政治家ではない」というのが私の主張です。論争
より具体的に何をやるか、なぜできないかを明らかにする、あるい
は何年後ならできるか、説明することが大切ですよね。そうして、
できるだけ多くの人の支持を得ることが、市長にとって大事であり、
一党一派に偏ることは避けるべきだと考えています。

 つい最近読んだ本ですが、藻谷浩介氏とNHK広島取材班共著の
「里山資本主義 日本経済は『安心の原理』で動く」(角川one
テーマ21)に感心し、私ばかりが読んでも駄目なので、早速10
冊追加購入して、関係部長に配りました。まだ本当に読み込んでは
いませんので評論的なことは申し上げられませんが、新しい時代を
感じさせる本です。多分、本を読んだ職員から、いろんな意見がで
てくるだろうと期待しています。ぜひ皆さんにも、ご一読をお勧め
します。

 「里山資本主義」という本の内容は、中谷さんの「資本主義はな
ぜ自壊したのか」という本に対する一つの答えかもしれません。
 藻谷さんとはこれまで何度かお会いしたことがありますが、以前
は日本政策投資銀行の行員として、自ら日本中のほとんど全ての商
店街を自費で見て回り、各地の中心市街地についてかなり厳しい話
をされ、その迫力に圧倒されたことを覚えています。しかしその頃
は、そういう意見はありますよねという感じだったのですが、この
本を読んでびっくり。アイデア満載なのです。私たちが中山間地域
で困っていることからどうすれば抜け出せるのか。また、これなら
すぐ実行できそうだなあと感じるものばかりです。

 童門冬二さんご本人から「二宮尊徳の経営学」(PHP文庫)を
頂きました。二宮尊徳というと、ちょっと古いな・・・という印象
を持って読み始めましたが、決してそうではありません。江戸時代、
藩財政の立て直し、寂れゆく農村の再建に、地域の経営学的な発想
があったことにびっくり、感心しました。藻谷さんのおっしゃって
いること(地域ビジネス)と同じ趣旨のことを尊徳も主張していた
わけで、あらためて、藻谷さんと尊徳に感激しました。

 とにかく「アイデア不足の時代」、「行動力不足の時代」という
ことを痛切に感じます。私もこの齢になると、自ら率先して行動に
移すことが少なくなってきたのかなあと自覚していますが、どうし
ようもありません。口だけ、理屈だけの世界にどっぷり漬かってし
まったということでしょう。

 藻谷さんの「里山資本主義」、不思議なタイトルではありますが、
中山間地域をどうするか、地域社会をどうするか。この本のとおり
にやったら、もちろん一つ一つの努力の積み重ねが前提ですが、中
山間地域の課題を解決する決定打になるのではないか・・・なにせ
彼の主張は、日本中、世界中を歩いてのものなのでしょうから・・
・と感じさせる本です。

 今年度、新規事業として「やまざとビジネス支援補助金」事業を
創設しました。これは、中山間地域の資源を活用して「ビジネス」
を展開し、中山間地域の雇用創出、地域の課題解決など、地域の活
性化につなげることを目的に地域内外の個人や団体が実施する事業
に対し1千万円を限度に補助するものです。申し込みは16事業で、
審査の結果、3件が採択されました。最高得点を獲得した事業は、
地域とは全く関係ないファッションブランドの企画、製造、販売を
やろうと29歳の若者が提言してきた事業です。中山間地域では、
何十年もの間、一生懸命農業を中心に振興を図ろうと頑張ってきま
した・・・しかし、なかなかうまくいかない・・・人口は減るばか
り、高齢化も進むばかり、潜在力はあるはずなのに・・・それなら
まったく新しい発想を入れる、すなわち新しい「人とビジネスモデ
ル」を持ち込むことが必要なのではないでしょうかというのが、こ
の事業の審査に当たった審査員の皆さんのご意見だったようです。

 こうした試みは平等ではないかもしれません。しかし、物事を俯
瞰的に見よう、今までの固定観念を忘れよう、良いところをさらに
良くしていこう、やる気のある人を支援しよう、そうした視点を持
つことで、新しい発想が生まれ、それが起爆剤になって大きく社会
を変えていく、そんなことがあるかもしれません。一挙には無理で
あっても、小さな取り組みの積み重ね、そして繰り返しが徐々に社
会を変えるのだと思います(二宮尊徳は「積小為大」とおっしゃっ
ています)。

 一つの事象が起きた時 いろいろな「くびき」があっても、それ
を自分のこととして考えられるか、個人の利害関係や損得を抜きに
して、社会全体のために判断できるか、行政と私、さらには企業と
の関係も含めて、もう一度考えてみたいと思っています。

 古い話ですが、「企業武士道」という言葉がありました。グロー
バルスタンダードとは、全く違う次元の話だろうと思います。一流
企業の経営者の言葉ですが、「企業は健全な赤字部門を持つべきで
ある」まさに、グローバル資本主義の世界ではありえない話です。

 長野冬季オリンピック(以下、オリンピック)の時、私は10指
に近い、資金集めのプロジェクトの責任者を任されていました。例
えば、アスペン音楽祭、セントラルスクゥエアでの表彰式会場の建
設、前回開催地であるノルウェー・リレハンメルからの犬ぞり隊の
受け入れ・・・もう全部は覚えていませんが、全て私個人には一銭
にもならない仕事でしたし、私が経営する会社からも一定の金額を
出さなければ他の企業からは資金が集まりません。当時、私が個々
の社長さんにお会いしたいと電話すると、「今度は何の寄付だい!」
と言いながらも、要請に応えていただきました。まさに、企業武士
道であり、社会の潤滑油だったと思います。

 次は企業ボランティアの話です。皆さんはオリンピック・フレン
ズクラブというのを覚えていらっしゃいますか?オリンピックの招
致段階の話ですが、ある日、塚田前市長と招致委員会故市村勲事務
総長さんに呼び出され、「1990年、IOC(国際オリンピック
委員会)総会が東京で開催される。それ以降は、IOCの委員さん
が夫婦で長野市を視察するはずで、多分60組ぐらいはお越しにな
ると思う。その対応は、行政だけでは難しいので、あなたの仲間を
集めて、ぜひアテンドしてほしい」と要請されました。そこで、
「フレンズクラブ」という組織をつくって会員夫婦で対応しました。
この時の仲間もまさにボランティアでした。加えて、オリンピック
の開催期間中はIOC委員の送迎のため、車の運転までお願いして
しまいました。皆さん大変だったけれど楽しかったと言ってくださ
ったのはうれしかった思い出です。

 もう一つ、阪神・淡路大震災のとき、長野県建設工業新聞社の当
時の社長が、神戸市にある野村海浜病院の中庭に風呂おけを設置し、
長野市から水を運んで湯を沸かし、風呂サービスを始められました。
また、古いバスを持ち込んで宿泊所代わりに利用し、周辺の住民の
皆さんに大変喜んでいただきました。この時、彼から人的支援をし
てほしいとの要請が私にあったものですから、いろいろな企業の社
長さんたちにお願いして、社員の皆さんにお手伝いいただきました。
さらにNAOC(長野オリンピック冬季競技大会組織委員会)の職
員にもお願いして、長野市から神戸までタンク車を運転して交代で
水を運んだわけですが、これも企業ボランテイアでしょう。一カ月
ぐらいの短い期間でしたが、NAOCの職員も含め、企業の社員を
派遣していただき、神戸で風呂サービスをしたことも、忘れられな
い思い出です。

 中央通りにオリンピックの表彰式会場を造ったのもボランティア
活動です。IOCの故サマランチ会長の「表彰式はなるべく多くの
人が集まる中心市街地でやるべき」という記事が新聞に載ったこと
で勇気を出して、あの広場に仮設のステージを造り、ステージの壁
にはめ込むための、五輪エンブレムと購入者の自筆の名前を焼き付
けた9センチ四方のタイルを5,000円で販売し、資金を集めま
した(原価は、1枚1,500円だったと思います)。そして、そ
の売り上げをセントラルスクゥエアの設備費に充てたのですが・・
・本番の時にタイルに書かれた名前が見えるのはいけない、なんて
つまらないことをNAOCに注意されてマスキングをしたり、また、
オリンピックが終わってからそのタイルをエムウェーブの外壁に貼
って後世に残そうした時は、長野市の了解を取ることに苦心したり
しました。

 この表彰式会場には、もう一つ忘れ難い思い出があります。当時
私は、どうしてもオリンピックの火を街の真ん中で燃え上がらせた
いと願い、仲間とお金を出し合って、やっとの思いでセントラルス
クゥエアの土地を準備することができました。しかし、表彰式会場
としては狭いだとか、設備投資にお金が掛かるとかさんざん言われ、
こんなに苦労して進めてきた私たちの願いがかなわないのか・・・
そんな思いが頭をよぎっていたとき、NAOC会長で経団連会長や
新日鉄社長・会長を歴任された故斎藤英四郎さんが突然視察に来ら
れ、「こんな素晴らしい場所を提供いただけるのは、ありがたいこ
とです」とおっしゃっていただいたのです。あのときの喜び、今で
も忘れられません。

 ボランティアとは何か・・・当時は夢中でやっていましたので、
分かりません。
 あの時みんな無償の活動で、お金や人を出したり、IOC委員の
アテンドをしていただいたり・・・そんなことはもうみんな忘れて
いる、それでは協力いただいた方々に申し訳ない、何かの記録に残
しておかなければと、今回あえて書かせていただきました。

 (明日配信の号外に続きます。ぜひ、お読みください)

2013年8月22日木曜日

次の時代の施策 その4~今、感じていること


 首長3期目の選挙というのは、厳しいものだそうです。3代前の
長野市長であった故夏目忠雄さんからは、「3期目になると『あの
市長は嫌いだ』という人が増えてしまい、限界に達する。一番は、
お互いの考え方や性格などの違いから不満が鬱積(うっせき)する
といった『人』の問題だ」とお聞きしました。言い換えれば2期8
年の間、賛成者もいるけれど、反対者もつくっているということだ
そうで、確かに夏目市長さんも3期目の選挙は苦戦されていました。
夏目市長さんがなぜそんなことを私にお話しになったのか、分かり
ませんが・・・。夏目市長さんは参議院議員に転身されるため、3
期目の中途で市長を辞任され、当時の助役、故柳原正之さんを市長
に推薦し、柳原さんが当選の後、ご自身は参議院議員として2期
12年間、国政で活躍されました。
 当時の首長はあまり長くやらない習慣だったのでしょうか、故松
橋久左衛門さんは8年、故倉島至さん8年、そして夏目さんの後の
柳原さんは12年。続く塚田佐さんは16年でしたが・・・それぞ
れ辞め時をきちんと心得ておられ、長野市を現在の隆盛に導くため
の適切な施策を行ってこられたと思います。

 私の記憶の範囲で申し上げれば、夏目市長さんは旧篠ノ井市・旧
松代町を含む1966(昭和41)年の大合併を実現し、後にオリ
ンピック開催を可能にする底力をつけられました。柳原市長さんは
倹約に徹して長野市の財政を素晴らしいものにしながら、長野電鉄
長野駅から善光寺下駅までの地下鉄化を成し遂げ、塚田市長さんは
長野冬季オリンピックの招致から実現まで、誰もまねできない素晴
らしい成果を挙げられました。私も、先輩の市長のように、良い市
長だったと言われたいとは思っていますが・・・。

 70歳を過ぎれば、気力、体力、体調も、60代とは比較になり
ません。市民の先頭に立って頑張るには、国・県・市民との人脈が
大切であることはもちろんですが、人生経験、気力、そして世界と
日本の大きな流れを見て、徹底的に勉強することが大切で、50代
後半からから60代前半までが、市長に一番適しているのではない
かと感じています。そうはいっても、柳原市長さんが最初の選挙に
出馬されたときは66歳でした。選挙応援のお手伝いをしながら、
「2度目の選挙の時は70歳だ!」と感じたことを今でも覚えてい
ます。

 私も市長として、長野市発展のために一生懸命に取り組んでいる
つもりですが、市政に新たな風を吹き込む必要があるときは必ず来
るものと感じています。
 ただ首長選挙は、先日の参院選のような国政選挙と違って政策論
争になりにくい・・・この政策が悪いから首長を変えるべきといっ
た議論にはなりにくく、政策論ではなく、任期が長すぎるとか傲慢
(ごうまん)だといった話や、理念的なことが中心になり、具体論
がまるでない。すなわち、この政策よりもこっちの政策の方が良い
といった論理的な話にはなりにくいということでしょう。
 私も12年前、立候補を決意した当時の文章を読んでみると、あ
まり具体的な公約ではなかったなあ・・・と、今反省しています。
しかし、長野市をこうしたいという具体的な夢は絶対必要です。

 私が就任以来掲げてきた5原則「入りを量りて、出ずるを為す」
「市民とのパートナーシップ」「簡素で分かりやすい市政運営」
「民間活力の導入」「無私・他利の精神」は全くぶれることなく、
徹底することができたと思っていますが(これも一般論、常識論で
す)・・・それが気に入らないと感じる方々も増えているのでしょ
うね。

 また、私の鉄則は、予測に基づいた市政運営をしてはいけないと
いうことです。具体的な例を挙げれば、リスクの高い株式などの金
融関連商品に手を出すべきではなく、このことは地方自治法などに
も明記されています。また、例えば長野市が出資する団体に対して
の赤字補填(ほてん)は許されても、保証の責任を負ってはいけな
いと考えています。

 ここで、私が12年間努力したけれど、めどが立たないことを2
つ挙げさせていただきます。それは、「公共交通の再生」と「中山
間地域の活性化」です。
 原発、TPP、核廃絶、憲法問題、普天間基地問題など、私も昔
から一家言を持っているつもりですが、私は就任前から、市長とし
て権限のないこと、できないことは、言いたくても口を出さないこ
とに決めていました。「ずるい」と言われればそのとおりですが、
でも私が発言することで何が変わるのか・・・自分のこととして捉
えられていないことを発言するのは、犬の遠ぼえだと思ってしまう
のです。
 それに比べ、この2つのテーマは、市長の権限の範囲内のことで、
やる気になって方法論さえ考えられれば、できないことではないと
感じています・・・でも、長野市に限らず全国各地の自治体が抱え
る難しい問題であり、困っていることです。

 地方自治体は、国・県の施策を「所与の条件」として、その中で
最高のパフォーマンスを具体的に発揮していくことが、最大の役割
だろうと私は考えています。それは「財政に関して自主権がない地
方自治体」にとっては、やむを得ないことと思っています。

 具体的な話を一つ申し上げますと、先日の8月市議会臨時会で特
別職を含む職員給与の減額を決定しました。地方自治の時代ですが、
国からの要請なのです。国・県からの補助金や、地方交付税は、独
自に稼ぐ手段が限られている市町村にとっては大変重要なもので、
これを削減されたら東京都や軽井沢町など、ごく一部の交付税不交
付団体以外は、行政経営が成り立たないことは自明の理です。

 国として、交付税は全ての市町村を平等に扱うことが建前なので
しょうが、それとは別に、特別交付税とか合併特例債といった地域
の特別の実情に応じて優遇される制度がありますし、さらに市町村
としても、新しい政策をぜひ国に採用してほしいということも当然
あるわけで(昔、夏目市長が道筋を付けて柳原市長さんに引き継が
れた長野電鉄の地下鉄化への補助金も、「都市高速鉄道連続立体交
差化事業」として国から特別に頂いたもので、当時の地方都市では
全国に先駆けるものでした)、何とか国に認めてもらいたい、すな
わち特別に面倒を見てもらいたいことはたくさんあるのです。
 国からの要請を断ることによって、こちらからのもっと大きな要
請が認められない可能性を私は心配してしまうのです。

 国の出してくる施策は、所与のものとして受け入れ、市民の意見
をよく聴きながらその中でよく研究し、国・県との連携を大切にし、
加えて犬の遠ぼえであっても地方からの「提言力」も大事にしたい
と思っています。

 先日、アメリカの大都市デトロイト市が連邦破産法に基づいて破
産を申請したとのことをニュースで知り、びっくりしました。制度
が違いますから私には分かりませんが、テレビ報道によると職員の
退職年金が膨大になっているとのこと。良い悪いは別にして、何十
年分割か知りませんが、いまだにたばこ税を活用して旧国鉄の赤字
分(職員の年金分だそうですが)を返済し続けている日本とは違い
ますよね。
 そういえばかなり昔ですが、ニューヨーク市の財政危機が話題に
なったこともありましたよね・・・夕張市の場合とはかなり違うと
思いますが・・・。

 長野冬季オリンピックの例で申し上げますと、新幹線や高速道路
は、国などの投資により建設されましたが、競技施設は、国が2分
の1、県が4分の1、長野市が4分の1の費用負担で建設したもの
です。さらに申し上げると、オリンピック終了後、国から補助を頂
いているとはいえ、各競技施設は長野市が所有し、維持・管理を行
っているわけですから大変です。ちなみに1964(昭和39)年
の東京オリンピックで利用された競技施設は、その後、多くが「国
立」として国が管理しています。

 こうした中、真の意味での地方自治が行われた場合は、経営の仕
方によっては、財政破綻もありうる話ですよね。日本の場合、借金
は全て国に管理・監督されているようなもので、「日本の地方自治
体は自立していない」は私がよく使うフレーズですが・・・。国は、
夕張市の例で反省したのでしょうか、地方自治体の財政状況が悪化
すると、財政上のイエローカードやレッドカードが出される制度が
あります。その場合には地方自治体の政策の自由はかなり制限され
るでしょうが、極度の悪化を未然に防ぐようになっていると私は感
じています。

 それにしても、デトロイト市の例を見て、アメリカの地方自治の
徹底ぶりには、あらためて感心しています。同時に、行政の経営手
腕がものすごく問われるのだろうと感じました。
 建前の地方自治、地方分権を声高に主張しても、実態はそうなっ
ていない。夏目市長が参議院議員選挙に立候補されたときの選挙ス
ローガンは「地方の時代」でした。あれから約40年。理念は誰も
反対しないのですが・・・実態を伴ったものに変えていくことは難
しいことだと感じています。

2013年8月15日木曜日

次の時代の施策 その3~少し視点を変えて


 前回のかじとり通信では、さらなるソフト事業の必要性について
書いてみましたが、もう少しお話しさせていただきます。

 まずは、「教育」についてです。「教育」をつかさどるのは、ご
存じのとおり教育委員会で、市長が所管する市長部局とは一線を画
し、独立している存在です。従って、私があまり多くを申し上げる
ことは僭越(せんえつ)とは思いますが、教育に関しては、さまざ
まな思いがあります。私は、子どもを3人育て、小・中学校のPT
Aの役員をやらせていただき、市PTA連合会会長、県PTA連合
会会長までやらせていただきました。さらに、市教育委員も2期務
めさせていただきました。行政とは違いますが、(社)信濃教育会
出版部の無給の理事長もやらせていただきました。

 一番大切と思ったことは、良き家庭の必要性です。私の考えが古
いのかもしれませんが、子どもたちは親に見守られ、家庭の団らん
のある環境が大切だと考えており、それが子どもたちにとって社会
への第一歩だと思っています。
 その上で、子どもたちに最高の教育を、ここ長野市で提供したい
と常々感じているということです。それは、当然社会人に対しても
同じです。東京に行かなくても、自分の子どもや孫が最高の教育を
市内、もしくは県内で受けられるようにしたいと考える人は多いの
ではないでしょうか。もちろん勉強だけではなく、いろいろな分野
で活躍する基礎を小・中学校の時代に築くことが大切と常に思って
いました。

 長野市の教育レベル、とりわけ市立小・中学校に関しては、学力
の向上に積極的に取り組み、子どもたちの学力も定着してきていま
す。まだ満足とは言えませんが、文部科学省が実施している全国学
力・学習状況調査やNRT(全国標準学力検査)などの結果も生か
しながら、現状を伸ばしていけば大丈夫と考えています。気になる
ことは、東京、名古屋など、私立の小・中学校が多い地域で、親が
公立学校に信頼を置いていないように感じることです。私立学校に
信頼を置く風潮が高まっているように感じます。この風潮が長野市
にも波及してくるのではないか・・・心配です。

 自由が大切であることは承知していますが、人間の基礎をつくる
義務教育段階では、特別教育(私立校)の必要性を現段階では認め
たくありません。ただ学校を認可するのは、県の権限ですので、な
んとも悔しいのですが、公立学校の先生方の頑張り、さらには保護
者の皆さんの関心に期待しています。

 私が小・中学校のPTAの役員をやらせていただいた昭和50年
前後、高校受験の過度な競争や学校間格差をなくすことを目的とし
て、同じ通学区内の複数校がグループをつくり受験生の選抜を行い、
合格者を各校に平準化して配分する、いわゆる総合選抜制案や高校
入試改善案などが、県教育委員会から提案され、議論になりました。
 私たちPTAは、大いに勉強し理論武装して、生意気ですが県教
委に対抗しました。議論の末、学校ごとの格差をなくし、高校受験
の成績順にどこかの高校に合格するという「結果の平等」ではなく、
学校間には競争原理を取り入れ、受験生にはそれぞれ特徴のある学
校を自由に選択できる「機会の平等」を目指すべきだという、われ
われの主張を受け入れていただけたと思っています。

 その後、総合選抜制は、東京都や京都府、その他いろいろな県で
一時的には採用されましたが、結果は公立高校のレベルの低下、私
立高校の全盛につながり、親の負担する教育費の高騰を招いたと思
っています。結局、この4月の入学者を最後に総合選抜制は全国か
ら姿を消し、私たちの主張の正当性が認められたと思っています
(考えてみれば、30年間以上が経過しています)。
 個々の高校が努力を重ね、特色をつくり、高校同士が切磋琢磨
(せっさたくま)する。生徒たちも自分の進路について自らの意志
が発揮される可能性がある。そのことにより多様性が生まれ、生徒
の個性を伸ばす教育につながると、当時私は信じていました。
 今後、統合などにより閉校となる高校もあるかもしれませんが、
人口減少の時代、それはそれで必要なことなのだと考えざるを得な
いと思います。

 8月1日のかじとり通信で、長野市の骨格を再整備する必要性に
ついてお話しさせていただき、その一つとして、長野県短期大学の
4年制化について触れさせていただきました。長野市の人口構成を
見たとき、19歳から20代前半が特に少なく、その原因の一つと
して学生の県外流出が挙げられています。市内には、信州大学教育
学部や工学部、清泉女学院大学、長野工業高等専門学校などがあり
ますが、大学の絶対数が不足していると言わざるを得ないというの
が現状です。大学、大学院および高等専門学校の学生数について他
市と比較しても、長野市が約4,500人であるのに対し、松本市
は約8,900人、金沢市は約18,000人で、長野市の学生数
が少ないことは顕著です。18歳人口の減少が深刻ですから、学校
の数を増やすことは無理でしょうが、長野市としては、大学都市と
まではいかなくても長野県短期大学の4年制化を実現して、若い人
の人口を少しでも増やしたい。何としてでも実現したい案件です。
市街地のにぎわい、活性化といった観点からも若者が集うことは大
変重要なのです。

 もう一つは、「福祉」についてです。福祉分野は範囲も広く、な
かなか難しい課題が多いと思っています。何でも行政に頼る発想に
は賛成できませんが、市町村行政は福祉が一番大切ということは昔
から言われており、事実なのだろうと思います。
 ただし、社会保障給付サービスの水準はナショナル・ミニマム
(*)として国が決めるべきで、国が給付水準をきちんと担保しな
いと、県や市町村ごとに独自の判断で基準を決定することになり、
その結果、市町村は競争せざるを得なくなるのです。いや、生活保
護などについては、現段階では国はしっかり取り組んでいるとおっ
しゃる・・・でもその他の、例えば子どもの福祉医療費の給付を何
歳までにするかといった対象年齢の引き上げの判断、あるいは保育
園の保育料は、実質的には市町村ごとに決定しているわけで、その
結果市町村は独自に給付サービスの上乗せをやっていますから・・
・市町村同士の競合状態(他の市町村の様子を見ながら上乗せ分を
決めている)が続き、過度なサービス競争や不均衡が生じているこ
とは、正直困っています。給付水準が統一されていないことは、国
全体で考えると良いことではありません。

 全ての人に手を差し伸べるような優しい行政が望まれることは当
たり前です。しかし、どこまで行政がやるのか・・・あれもこれも
と要求されるのは総合行政たる市町村行政の宿命ですが・・・現在
市の予算の中で、私が市長就任以後、「民生費」が最大の予算項目
になっていますから、成長投資に予算が回りにくいのは事実です。
市長に就任して初めての2001(平成13)年度予算は、土木費
(土地買収費を含む)が最大でした。

 結局は、最重要事項(市民要望の高いもの)は、生活保護費と同
じように、国や県が事業の優先順位をどう付けるかを決めて、サー
ビスの水準など国がしっかり市町村に明示することが基本だと考え
ています。しかし現状は、市民と直接向き合っている市町村が責任
を負っているというのが実情なのです。
 市町村とすれば、国・県の支援をどう得ていくか、長野市の財政
が耐えられるか・・・そして、今後増大していく行政の負担を軽減
するために一番大切なのは、民間事業者がどこまで元気を出せるか、
ということに帰結しそうです。

 2週にわたり、ソフト部門についてお話ししましたが、ハード部
門も決してもういいということではありません。10事業ある大規
模プロジェクト以外の事業を考えてみました。

 まずは道路です。このことについては、7月18日のかじとり通
信でもお話しさせていただきました。(1)国道406号の西長野
地区(長野県自治会館付近から茂菅大橋までの間)の道路整備、
(2)川中島町四ツ屋地区から篠ノ井布施高田地区までの間に計画
されている道路都市計画道路「川中島幹線」、(3)古くなった相
生橋の架け替えと取り付け道路の整備、(4)広域ごみ焼却施設の
建設に合意いただいた大豆島地区の道路網(市道のほか県道もあり
ます)、(5)東外環状線「国道18号長野東バイパス」、(6)
県営の農道である「上水内北部地区豊野幹線」(通称:広域農道北
信五岳道路)、(7)都市計画道路「北部幹線」。これらに加え、
県道塩崎バイパスの早期完成(今年度完了予定です)などがありま
す。どれも地元にとっては、大切な道路です。

 道路以外でも、城山公園全体構想も考える必要があると感じてい
ます。長野市で一番歴史のある公園を整備し、素晴らしい地域にし
たい。善光寺、長野県信濃美術館・東山魁夷館を中心に、城山公園、
旧蔵春閣、城山公民館を含めた大きな構想を作り、実現に向けて努
力したい。県も巻き込んでの取り組みが積極的にできれば早く実現
するかもしれません。
 
 最近急浮上してきたテーマは、長野県短期大学の4年制化に伴う
問題です。学部構成などが議論されていますが、もう一つ、大きな
問題は、アクセス道路や学生数増による敷地の狭あい化など大学周
辺の環境整備についてです。県は三輪地区の現在地に新県立大学を
造るとの方針を打ち出してこられました。県と市の間で検討を進め
ていかなければならない問題だと考えていますが・・・都市構造の
根幹に触れる重要な課題です。

 さらには、篠ノ井支所、篠ノ井公民館、篠ノ井市民会館、南部図
書館・・・篠ノ井駅の西口の土地を含めた篠ノ井地区の全体構想に
ついて、建物の耐震化も含めて検討したいと考えています。
 現在の大規模プロジェクト事業のめどが付いたら、次は茶臼山、
篠ノ井中央公園、そして南長野運動公園、さらには松代地区を含め
た長野市南部の全体構想だと市民会議の席上で申し上げたことがあ
ります。

 弁天公園、南向公園など、以前からある市街地の都市公園につい
て、計画を加速する必要もあります。そういえば、更北地区の犀川
沿いにあるNTTグラウンドも長野市の都市公園計画の中にあるの
です。

 ビッグハット周辺の土地利用の話として、長野赤十字病院を改築
したいという話が出てきています。診療をしながら改築をしていく
必要があるわけですから、駐車場整備を含めた大きな構想ができる
かどうかです。何年か後の大きな問題になりそうです。

 長野駅から善光寺までの中央通りを中心に、公衆トイレが不足し
ていると以前から感じていましたが、市民の方や長野商工会議所か
らも中央通りにはトイレが足りないというご意見を頂いています。
現在、担当部局において、新幹線金沢延伸、善光寺御開帳を見据え
準備を進めています。いずれにしても、「歩きたくなる街」、コン
パクト・シティーを目指そうという点では合意されてきていると感
じていますので、その実現に向けて、商店街と一緒になって街のに
ぎわいを演出していきたいと夢見ています。

 長野市が計画造成してきた産業団地は、ほとんど売り尽くしてし
まって、今後工場誘致の余裕があまりないことも問題です。バブル
時代に産業団地を開発した多くの自治体が、売れ残ってしまって困
っている話に比べ、長野市は無駄な投資をせず、慎重に進めてきた
ことは正解だったと思いますし、自慢してもよいと思います。反面、
ものづくりという面では一歩遅れたのかなとも感じています。
 ただ、長野市に進出したいという企業から土地が欲しいという相
談があった場合、ちょっと対応が難しいことになりそうです。もの
づくり企業が足りないと言われている長野市ですから、そういうお
話にはすぐさま対応したいのですが・・・国からは、新たに工業用
地などの造成事業を行う場合は、地方自治体の財政負担を軽減する
ため、第三セクターなどが事業を行うよう指導があり、新たな産業
団地の造成が難しくなっていることから、担当課は、民間の不動産
会社から土地情報を得て、企業に紹介していくなどと考えているよ
うです。しかし、ちょっとそれでは対策が弱いかなあと心配してい
ます。海がないため埋め立てによる用地の造成ができない長野市で
は、最後は農地転用などによる農地や山林の利用といった方法に帰
結するのかもしれませんが、関東農政局や県との関係、そして長野
市の長期計画が根本的に重要です。

*ナショナル・ミニマム:国家が国民に対して保障する最低限の生
活水準

2013年8月8日木曜日

次の時代の施策 その2~さらなるソフト事業


 私が12年前に市長になった当時、市区長会総会のたびに言われ
たことが2つありました。一つは「長野駅から善光寺下駅までの長
野電鉄の地下区間を、何とか吉田地区まで伸ばしてほしい」。もう
一つは「旭山にトンネルを掘って、安茂里方面から浅川・若槻方面
に抜ける道を造ってほしい」というものでした。
 当時は、建設に着手していた浅川ダムですら事業反対の動きが出
て、まったく進んでいない状況でしたから、区長会からのお話は夢
みたいなすごい構想で・・・私は考えた末、区長会の役員さんに
「その要望は下ろしてほしい」とお願いせざるを得ませんでした。
区長会の役員さんは私の要請を率直に聞いてくださいましたが・・
・今、若干の胸の痛みを感じています。あれで良かったのかなあ・
・・。

 現在の長野市のハード事業については、10の大規模プロジェク
ト事業を中心にかなり頑張って道筋を付けてきました。まだ道路を
中心に、やらなくてはならない事業はいくつかありますが(前回の
かじとり通信に書いたとおりです)、一応一つの区切りは付けられ
そうだと感じていますし、これからはソフト事業を重点に考える必
要があると思っています。

 ソフト事業の必要性については、7月4日、11日のかじとり通
信でお話しさせていただきました。長野市が展開を目指す、「人」
に注目した「シティプロモーション事業」に合わせ、「文化芸術の
振興」「スポーツ」「緑育」の3つを中心にお伝えしましたが、も
ちろんそれ以外にもソフト事業でやりたいことがたくさんあります。
「文化芸術の振興」「スポーツ」「緑育」についても再度触れなが
らお話しします。

(1)都市内分権は私の最重要施策です。戦後、日本の経済、社会
  が発展するにつれ、人々の生活の基盤でもあった隣近所の関係
  が薄れ、いつの間にか「隣は何をする人ぞ」という味も素っ気
  もない社会になってしまいました。そんな社会を打破したい・
  ・・昭和46年に始まったお祭り「長野びんずる」は、地域の
  コミュニティーをもう一度再生したいという思いから生まれた
  もので、今では長野市の夏の風物詩にまで成長しました。当時、
  私も青年会議所の一員として「長野びんずる」の創設に中心と
  なって携わらせていただきました。びんずるに負けず劣らず各
  地の祭りも元気に復活してきています。やはり、私の根底には、
  人とのつながり、触れ合いを大切にしたいという願いがありま
  す。市長に就任してからも、このことを常に念頭において市政
  に取り組んできました。こうして「自分たちの地域は自分たち
  でつくる」を旗印に、都市内分権を導入したわけです。
   導入から4年が経過しますが、市内32地区全ての住民自治
  協議会が、地域の魅力、資源を生かした活動に熱心に取り組ん
  でいただいていると手応えを感じています。
   引き続きコミュニティーの再生に向けた取り組みを行うとと
  もに、これからは地域の自立に向け、住民自治協議会自らの収
  入を増やす「もうかる」事業にも挑戦していただきたい。もう
  かれば、そこに雇用が生まれますし、何といってもその事業が
  継続していくのです。生産や販売、誘客活動組織などが住民自
  治協議会ごとに立ち上がれば、より確実性が増します。さらに、
  公民館活動とも連携できれば、人々の絆が深まり、地域の活力
  が一層高まるだろうと思っています。

(2)スポーツや文化芸術を盛んにしたい。いろいろなスポーツが
  ありますが、まずはサッカーとスケートで国際的に通用する選
  手を育てたい。文化芸術活動も、(仮称)長野市民文化芸術会
  館の芸術監督に内定した久石譲さんを中心に、素晴らしい活動
  が進むことは間違いないでしょう。行政はその応援をする立場
  です。

(3)緑育を全国に発信したい。篠ノ井中央公園からスタートした
  緑育ですが、この活動を茶臼山へ、そして犀川の北側、北部地
  域にも広げたい。矢澤秀成さんを中心に全国にも発信したいと
  考えています。しかしながら、その矢澤さんは、長野市での取
  り組みはもちろんのこと、全国各地での講演活動、テレビ番組
  への出演など大変お忙しい方ですので、今後、講座などを増や
  していくためには、早く矢澤さんの右腕になるような人材が育
  ってほしいと思っています。

(4)自他共に認める環境先進都市を目指したい。太陽光発電など
  自然エネルギーはもとより、長野市はバイオマスエネルギーの
  利用を促進する環境をしっかり育てたい。同時に省エネルギー
  や節電にも取り組んでいきたい。長野市で策定した環境マネジ
  メントの確実な実行が大切と考えています。可能ならエネルギ
  ーの地産地消も実現したい。ただこれは、コスト面がかなりき
  つそうです。でもうまくいけば、地域の雇用にもつながるはず
  ですし、新しい産業モデルになりそうです。

(5)中山間地域を豊かにして、人口を増やし、生産力を上げたい。
  先日、中山間地域に事業を作るための補助を充実し、産業を興
  す取り組みとして「やまざとビジネス支援補助金事業」を新た
  に始め、6月に3つの提案を補助対象に決定しました。補助対
  象となった3件はとても斬新なビジネスモデルの提案でした。
  とにかく稼いでもらいたい。そして、自立へ向けた努力を促し
  たい。さらなる新しいビジネスモデルの必要を感じています。
  採用された事業のほか、今回応募してくれた皆さんが呼び水に
  なって、多くのアイデアが寄せられることを期待しています。
   人口を増やすための政策としては、雇用を生む企業の誘致な
  どをして、安心して子どもを産み育てる環境を一層整えること
  です。その上で、結婚する人を増やしたい・・・。結婚は楽し
  いよ!という政策は、行政としてどのように展開したらよいの
  でしょうか。まだよく分かりません。住民自治協議会の取り組
  みによる新たな一手にも大いに期待しているところです。

(6)公共交通の再生を実現したい。新交通システムの導入も、財
  政との兼ね合いがありますが、LRT(次世代型路面電車シス
  テム)やBRT(バス高速輸送システム)にチャレンジしてみ
  たい。自家用車をこれ以上増やさず、公共交通で街の中も中山
  間地域もにぎわしたい。当面はバスをたくさん用意して、長野
  市中に配置したい・・・なんて職員には言っています。運転手
  の確保は大変ですが、雇用の創出につながれば・・・いずれに
  しろ将来の持続性が大切です。

(7)国際都市としてさらに発展したい。それには、姉妹都市を増
  やす。ユースオリンピックを招致する。そして、もう一度冬季
  オリンピックの開催に挑戦したい。財政的なめどがたてば、都
  市間交流の拡大にチャレンジしてみたいですよね。現在、姉妹
  都市・友好都市協定を締結し交流を行っているのは、アメリカ
  のクリアウォーター市と中国の石家庄市ですが、次の都市は東
  南アジアでしょうか。それともヨーロッパでしょうか。冬季オ
  リンピック開催都市との連携を考えるのはどうでしょうか。
 
 今後数年間で、またはさらに長期的な計画をもってやらなくては
ならないことを書いたつもりですが、なんだか気が付けば、これか
らやりたい「夢」を語っていたようにも思えます。夢とはいえ、で
きるだけ具体的な取り組みを一つ一つ積み重ねていくことが重要で
す。長野商工会議所を中心に、ご当地検定「NAGANO検定」を
開始するといった新たな企画も動き出しています。行政だけでなく、
住民自治協議会、各種団体、全ての皆さんの具体的な取り組みが、
一つでも多く動き出すことが肝心なのです。

2013年8月1日木曜日

長野市の次なる施策 その1~必要性


 市長として12年間、毎週このメールマガジン「かじとり通信」
を書き続けながら、全身全霊を懸け長野市発展のために取り組んで
きました。なぜメルマガを始めたかというと・・・動機は小泉純一
郎元首相のメルマガに刺激されたことは事実ですが、市民の皆さん
になるべく分かりやすく正確に情報をお伝えしたい、市長が何を考
えているか、あまり行ったことのない場所へ出張したような時はそ
の報告もしなくては・・・こんな思いからメルマガを始めました。
次から次へと切れ目なく仕事が入り忙殺される日々に、締め切りが
切迫して困ったこともありましたが、毎週欠かさず木曜日にメルマ
ガを配信してきました。「何をどう書こうか・・・」。中には、考
えれば考えるほど難しいテーマもあり、決して楽な仕事ではありま
せんでした。でも、市民の皆さんにお伝えしなくてはならないこと、
ご理解を求めるもの、元気な長野市を発信する出来事、そして時に
は私自身のことなどをテーマに、時期やタイミング、バランスを考
えて、毎週日曜日の夜までに原稿を書き上げ秘書課に送る仕事を何
とか果たしてきました。

 しかしながら、メルマガを長野市のサーバー(公的な機関)から
配信していたため、内容について制約を受けることがあり、窮屈に
感じたこともありました。そして、2期目と3期目の市長選挙前の
3カ月間は、NHKの自主規制に倣って、配信の自粛も行いました。
NHKの自主規制に合わせただけで公職選挙法とは関係なかったの
ですから、自由にやればよかったとも思っていますが、今回もこの
市長選前の9月の配信分からは、前例に倣って配信を自粛させてい
ただく予定です。そして、この間は、市長選挙に関係する話題につ
いても触れざるを得なくなるかもしれませんので、長野市からでは
なく、別のサーバーから配信させていただく予定です。

 今回の選挙について、私はまだ出馬するとかしないとかという話
はしていません。従って現段階では、選挙に関してまったくニュー
トラルです。
 そうした立場ではありますが、かじとり通信を長野市メールマガ
ジンとして確実に配信できる期間は残りわずかですから、私が約
12年間市長をやらせていただき分かったこと、感じたことを、若
干の反省も込めて、そして、今後、長野市が成長し発展していくた
めにも具体的に書き残しておきたい・・・。いろいろと考えてみた
ことを今回から数回に分けて、選挙とは全く関係なく、正直に書い
てみます。私の市長3期12年の集大成になるかもしれません。
 (本来は任期が終わってから書くべきだと言われるかもしれませ
んが、市長に就任させていただいたがゆえに取り組むことができた
数々のことを、感謝の気持ちを込めて文章にしたためさせていただ
きます)。

 まず、これまでの長野市の歴史、長野市を取り巻く状況など感じ
ていることを書いてみます。今後の市政の方向性を左右する重要な
ものでもあります。

(1)昭和30年代から40年代にかけて整備されてきた長野市の
  骨格が、かなり古くなってしまったことは事実でしょう。そし
  て、右肩上がりに経済、社会が成長する中、1972(昭和
  47)年に発表された、世界の一流学者たちによる「ローマク
  ラブ」の提言「成長の限界」では、地球上の資源には限界があ
  ることを痛感させられました。実際、翌1973(昭和48)
  年に発生した第一次オイルショックは、資源の枯渇が現実に起
  こり得る問題であることを身をもって経験した大きな事件でし
  た。

(2)1981(昭和56)年に建築基準法が改正され耐震基準が
  見直された結果、それ以前の建物は既存不適格な建物となり、
  いずれは建て替えなくてはならなくなってしまいました。これ
  により、まち全体をリニューアルしなくてはならず、大きな投
  資が必要になってしまいました。

(3)長野冬季オリンピックの開催によって、道路を含めた新しい
  構築物がたくさんできましたが、完成から15年余が経過して
  補修管理が必要になってきてしまいました。施設の維持費が大
  きな課題になったことを痛感しています。

(4)歴史的な建造物や町並みの維持・整備、伝統的な祭礼などの
  継承を目的に策定した「長野市歴史的風致維持向上計画」が、
  本年4月に国から認定をいただきました。長野市のまちづくり
  を考えたとき大切なことであり、重要性の高い案件になりまし
  た。

(5)県の事業ですが、長野県短期大学の4年制化については、こ
  の6月に基本構想が決定され、「現在の県短期大学所在地を基
  本に設置」と決まりましたが、具体的な施設整備計画がなかな
  か決定しません。長野市の都市計画、そして何よりも市内の学
  生の進路に大きく影響する話ですから、早く決めていただき、
  市として積み立ててきた大学整備基金を有効に活用して、でき
  る限りの支援をしていきたいと考えています。

 こうした状況を踏まえ、将来の長野市の姿を考えた場合、もう一
度長野市の骨格を整備する必要性に迫られてきました。特に、市道
・県道・国道と入り組んでいる道路については、その必要が高く、
そのうち特に早急な整備が求められる7路線については、7月18
日号で触れさせていただきました。当然ながら、相当の投資が必要
です。

 国の財政が逼迫(ひっぱく)している今、地方の財政も当然厳し
くなってきています。ただ、長野市は、先輩の皆さんのおかげ、そ
して市民の皆さんの協力のおかげ、市職員の正しい判断のおかげ、
さらには国・県の応援のおかげで、今後も国の財政運営が現状のと
おりに行われていくとすれば、財政破綻を起こす危険性はまずない
ですし、自画自賛で恐縮ですが、全体としては確実に良い方向へ向
かっていると思っています。2年前に掲げた大規模プロジェクト事
業も、財政的な裏付けがなければ、実施に踏み切ることはできませ
んでした。当初、大規模プロジェクト事業は8事業でしたが、その
後2つ増え10事業となりました。いずれもかなり順調に進展して
おり、1年前のかじとり通信でも書かせていただきました。くどい
かもしれませんが、もう一度大規模プロジェクト事業を再掲させて
いただきます。

 1 新市役所第一庁舎建設事業  
 2 新長野市民会館建設事業 
 3 斎場新設事業(大峰斎場・松代斎場) 
 4 ごみ処理施設広域負担金 
 5 ごみ焼却施設周辺整備事業 
 6 長野駅善光寺口駅前広場整備事業 
 7 長野駅周辺第二土地区画整理事業 
 8 小・中学校耐震化事業 
 9 南長野運動公園総合球技場整備事業
10 第四学校給食センター建設事業

 これら10の大規模プロジェクト事業については、ほぼめどが付
いたと感じています。ただ、その他にまだまだやりたいことはたく
さんあります。とても一度にはできません。結局、事業の優先順位
をどう付けていくかということになりそうです。今後の公共施設の
適正な配置を検討するため、今ある公共施設の現状と課題などを洗
い出す「公共施設白書」も現在作業中ですが、基本的にはプロジェ
クト事業の必要性を認識し、毎年の予算立ての中で、適正に実施し
ていくことになるのでしょう。

 次回のかじとり通信では、今後数年間でやらなくてはならないこ
と、また、50年間ぐらいのもっと長期的な視点で計画すべきこと
を、あまり整合性はないかもしれませんが、思い付くままに書いて
みたいと思います。

2013年7月25日木曜日

県19市副市長会議へ出席して


 現在、長野市では平成27年に向けて、大規模プロジェクト事業
を推進している真っ最中であることは、前回5月に私のメールマガ
ジンでも書かせていただきました。平成27年はあくまで通過点で
あり、長野市に今ある活力を、一過性のものとして終わらせるので
はなく、その先をしっかり見据え、さらなる持続的発展を遂げてい
きたいと常に考えているところです。

 さて、県内各市で認識している当面の諸問題や国・県への要望事
項について議論をする場として毎年開催されている「長野県19市
副市長・総務担当部長会議」が、今年は7月5日に岡谷市で開催さ
れました。当日は、各市から提出された30議題などについて活発
な議論が行われました。長野市から提出した議題は、一部共同提出
も含めて次のとおりです。

1 バリアフリー化等、公共交通の利用環境改善に対する支援につ
いて
 地域の公共交通には、大きく2つの役割があると考えています。
一つ目は、高速道路や新幹線、基幹道路のように、大量の人や物を
運び産業を育てる、いわば地域の活力を培うためのもの。二つ目は、
自ら自動車を運転できなくとも高齢者や障害者などの皆さんが買い
物や通院など、その地域で安心して暮らせるためのものです。いわ
ば、社会福祉施策の一つとして位置付けてもよいかもしれません。
現実にはもう一つ、三つ目と言ってもいいかもしれませんが、若い
人や勤労者が通学・通勤の手段とするものがあります。このように、
それぞれの地域でさまざまな人々が暮らしていくには、とりわけ高
齢化が進む本市のような地域では、公共交通を持続的に維持してい
くことが不可欠であり、そのために公共交通の利用を促進するため
の利用環境の改善が必要です。
 しかし、それには多額の事業費を要するため、交通事業者の経営
が厳しさを増す中で、なかなか進んでいかない状況にあります。こ
のため、国の補助制度を活用するとともに、地方自治体も支援しな
がらこれらの事業に取り組んでいるところではありますが、国の補
助金の減額に対応するため、事業を縮小、または断念せざるを得な
い事態も発生しています。
 日本のさまざまな地域で、活力をもって、安心して国民が暮らす
ためには、地域の知恵を生かしながら、バリアフリー化など生活交
通の利用環境を改善することに、官民一体となって強力かつ計画的
に取り組んでいくべきであると考えています。地域が取り組むこれ
らの事業に対する支援のため、国において十分な予算を確保してい
ただくよう要望しました。
 今後、人口が減少していくのをただ待っているのではなく、将来
に向けた公共交通の利用環境改善と利用促進を通じて地域生活の定
着を図るためには、どうしても国の財政支援が必要です。長野市は、
地域公共交通の維持に向け、積極的に取り組んでいきたいと考えて
います。

2 狭あい道路整備等促進事業補助制度の期間延長について
 長野市内に数多く存在する幅員4m未満の狭あい道路は、安全で
良好な市街地と居住環境を形成していく上で大きな課題となってい
ます。通行や環境衛生の向上、また消防・救急活動の円滑化を図る
ためには、幅員4m以上への拡幅整備を促進する必要があります。
ただ、事業を推進していく上で、事業費のうち国の補助金が大きな
ウエートを占めているのが現状です。狭あい道路整備等促進事業制
度は、2009(平成21)年度に創設され、2013(平成25)
年度までの事業について補助することができることとなっています
が、いまだに多くの狭あい道路が存在することから、事業を安定的
に継続実施するため、制度期間延長について昨年度に引き続き再度
提案をさせてもらいました。

3 風疹予防接種助成費用の補助について
 東京圏、大阪圏を中心に、風疹は全国的に流行しており、妊娠中
の風疹ウイルス感染による赤ちゃんの先天性風疹症候群の発症も報
告されています。しかし、任意での予防接種に対する費用助成は交
付税措置がなく、市町村の負担となっています。本年の県内の風疹
患者数は、既に昨年1年間の2倍以上となっていて、予防接種によ
り赤ちゃんの先天性風疹症候群を防止するためにも、任意の予防接
種を受ける際の費用について、市町村が助成できるよう、国、県に
よる補助金を交付する制度の創設を要望させていただきました。ま
た、風疹は今年だけのものではなく今後も流行する危険性はありま
すので、しっかりとした制度をお願いしたいと要望いたしました。

4 国の循環型社会形成推進交付金による市町村への財政支援につ
いて
 循環型社会形成推進交付金制度は、市町村などが実施する廃棄物
処理施設整備に必要な財源を確保する上で欠くことのできない制度
です。廃棄物処理施設は、国土を美しく保ち、安全、安心な暮らし
を支えるために必要不可欠な基幹インフラです。とりわけごみ焼却
施設や最終処分場の整備事業は、長期にわたって地元協議や説明会
などを行った上で建設同意に至るため、同意を得た時期には、現有
施設の老朽化が進んでおり、早急な施設整備が必要となる場合が多
々あります。技術の進歩とともに安全性が格段と確保されるように
なった一方で、施設建設費用が高額化しており、事業を計画的に行
うためには、安定した国の財源確保と継続した財政支援が必要不可
欠です。
 また、ごみ処理施設設置地域の住民の皆さんのご理解をいただく
ためには、施設周辺や地域環境整備も欠かせず、施設整備以外に係
る負担も相当なものであることから、全ての施設整備について新た
に取得する用地費および補償費を交付金の対象とするとともに、周
辺環境施設整備費用についても新たに交付金の対象とすることを要
望しました。

5 地方特定道路整備事業の継続について
 地方特定道路整備事業は、市道のうち、緊急に対応しなければな
らない道路区間を早急に整備することで、市民生活の向上や地域の
振興発展を図るもので、その財源には、交付税措置のある起債が充
当できるものです。本市ではこの事業を活用して、安全安心な道路
空間の確保および交通の円滑化などを進めています。
 しかし、この事業は2012(平成24)年度までの措置という
ことで、十分な議論がないまま今年度から廃止となってしまいまし
た。このため、地方の財政負担が増大し、必要としている道路整備
が計画どおり進められない状況となっていることから、本事業の継
続を要望しました。

 以上、今回の会議で採択された各提出議題については、本年8月
29日、30日に佐久市での開催となる第133回長野県市長会総
会へ提出されることとなりますので、さらなる活発な議論を期待し
たいと思っています。

 さて、去る6月24日、長野県において「新県立大学基本構想」
が決定されました。7月5日のこの副市長会議においても、県の県
立大学設立準備室の職員の方から、その内容について説明がありま
した。
 私も当初から県企画部長として設立を担当し、また昨年度からは
長野市副市長としてオブザーバーの立場で県立大学設立準備委員会
に携わらせていただきました。困難な作業を経て構想をまとめてい
ただいた県の県立大学設立準備室の皆さんには本当に感謝申し上げ
ます。
 一部新聞報道にもありますように、基本構想については、必ずし
もこれを是としないさまざまなご意見の方々がいらっしゃいますが、
ぜひ県民みんなが喜んでもらえるような大学を目指してさらなる努
力をお願いしたいと思っています。
 今回決定したものは基本構想でありますので、やっと入口に立っ
た段階です。まだこれから実務的にもさまざまな山があるかとは思
いますが、開学時期の目標であります平成29年4月に向けて、着
実に準備を進めていただきたいと思っています。私は大いに期待し
ています。

2013年7月18日木曜日

道路と公共交通


 ここしばらく、長野市のソフト部門の事業についてかじとり通信
でお話ししてきました。今回は少し変わって、公共事業のうちでも
一番遅れていると思われる「道路」について考えてみましょう。

 道路をはじめ、インフラと言われるものはいろいろあります。イ
ンフラは、私たちの生活に無くてはならない資源といってもよいで
しょう。電気・ガス・水道は、今の生活を豊かなものにしてくれて
います。これらは、公共団体・機関あるいは民間の大企業が、戦前
・戦後を通じて収益事業としてのモデルを確立し、頑張って整備を
進めてきましたので、100パーセント完璧ではないのでしょうが、
豊かな社会のベースはできていると多くの国民は感じていると思い
ます。

 そこで、電気・ガス・水道以外のインフラで、多くの人が必要だ
なあ、あるいは改良したいなあ、と感じているものは何でしょうか
・・・「道路」、そしてそこに関係する「公共交通」と言ってよい
と思います。

 まずは、道路についてです。道路には、国道、県道、市道・・・
そのほかに、道路法が適用されない私道もあることは、皆さんご存
じのとおりです。今は舗装道路が当たり前ですが、昔はひどい状態
で、国が豊かになるにつれて、少しずつ良くなってきました。例え
ば、昔、バスガイドさんが、道路を「洗濯板」なんて表現していた
ことをご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 市内で考えたとき、これから先、早く整備したいなあと考える道
路は、次のとおりです。
(1)国道406号の西長野地区の道路整備(改良)
  長野県自治会館付近から茂菅大橋までの道路を早く整備して、
 戸隠・鬼無里方面に向かう道を安全で快適な道にしたい。
(2)都市計画道路「川中島幹線」
  川中島町四ツ屋地区から篠ノ井布施高田地区までの間に計画さ
 れている道路で、既に国道19号南バイパスの川中島町上氷鉋か
 ら今井ニュータウンまでの約1.7キロメートルが供用されてい
 ます。この度、篠ノ井高等学校の東側から南へ約600メートル
 の区間について整備を計画しています。国道18号に並行するこ
 の道路を整備することは、国道18号の渋滞解消にも有効でしょ
 う。
(3)相生橋の架け替えと取り付け道路の整備
  山王小学校西側の裾花川に架かる相生橋は、私の子どものころ
 から全然変わってない橋です。すなわち、車の少ない時代の橋で、
 建設後78年が経過し劣化が進んでいるということで、現在は、
 安全な通行のために5トンの重量制限をしています。
(4)広域ごみ焼却施設の建設に合意いただいた大豆島地区の道路
 網
  大豆島地区の基幹道路となる構想路線の早期建設、大豆島小学
 校と松岡地区を結ぶ市道への歩道設置など、まちづくりにつなが
 る道路網を整備していきたいと考えています。
(5)東外環状線「国道18号長野東バイパス」
  つい先日、エムウェーブ付近から柳原地区を結ぶ東外環状線建
 設促進期成同盟会総会が行われ、多くの来賓の皆様にもご出席い
 ただきました。ここ数年、十分な国の予算がなかなか付きません
 でしたが、昨年度補正額7億円、本年度当初予算額7億円と、合
 計14億円の予算が付きました。その前は年間4億円程度だった
 ものが、一挙に数年前の状況に戻り、整備実施のめどが付いてき
 ました(アベノミクスの政策である15カ月予算の影響が大変大
 きいのです)。
(6)県営農道「上水内北部地区豊野幹線」(通称:広域農道北信
 五岳道路)
  この道路は、長野市の立ヶ花橋から信濃町と長野市吉の長野荒
 瀬原線を結ぶ広域農道です。田中知事の時代、農道なんていらな
 いということで予算が大幅に削減されるなど冷遇され、事業の存
 続が心配されていました。
  現在、平成28年度全線開通の予定で工事を進めていますが、
 開通すると、長野市の北の玄関口として、中野インターチェンジ
 から善光寺をはじめ、飯綱、戸隠などを結ぶ幹線道路となります。
(7)都市計画道路「北部幹線」
  上松地区から穂保地区の国道18号まで、延長約6.1キロメ
 ートルに計画されている道路です。現在湯谷小学校付近からJR
 信越線までの約3.1キロメートルが供用されていて、長野工業
 高等専門学校南側の、JR信越線前で行き止まりになっています。
 さらに東に延長して、古里小学校南までの区間が平成29年度に
 完了する予定です。

 そして、「道路」と切り離すことができない関係にあるのが「公
共交通」で、私は常々「公共交通は、まちのインフラだ」と主張し、
「公共交通の再生」にも積極的に取り組んできました。自家用車の
普及に伴い、存在感が少し薄れているのでしょうが、お年寄りや障
害者、車を運転されない人にとっては、ものすごく重要なインフラ
です。しかし、これまで経験したことのない人口減少時代に突入し、
乗車人員増が見込めず、なかなか合理的なビジネスモデル(適当な
対価があって経営が成り立つことを指しています)ができない悩み
があります。

 ただ、道路・公共交通といっても、高速道路や新幹線といった広
域的で大掛かりなものから市道や市内乗り合いバスなどの規模の小
さなものまで、あまりにも多種多様な手段があります。どこまで地
方ができるのか、完璧なビジネスモデルができなかったと言えるの
でしょう。有料道路や専用道路ができたり・・・乗り物もいろいろ
な発明や改良などがされましたし、市民からの要望も、鉄道、バス
に関するものから、自転車や新交通システムについてなどさまざま
です。また、高速移動が重要という人もいれば、のんびり移動する
方がいいなあという人もいらっしゃいます。

 道路は安全・安心のまちづくりには欠かせないものであることは
当然です。交通安全についても、道路の道幅、路面の状態、山の方
へ行けば交通の支障になる木を切ってほしいなどという要望も頂き
ますし、冬の除雪もあります。災害があった場合、倒木や建物倒壊
などで道をふさいでしまうことも心配されます。避難路や救援物資
の輸送路の安全確保なども考えておかなくてはならないことです。

 さらに、視点を変えてみますと、電気・ガス・水道の3大インフ
ラは、水道を除いて民間事業者が主体で、効率の良い整備や供給が
ンフラの全体を民間事業者が主体になって整備するという発想があ
ってもよいのではないかと考えています。民間事業者が主体になっ
たほうが、はるかに効率が良く整備できるのでは・・・。行政と民
間の役割分担は、時代とともに変化していくものだと思っています。

 もう一つの大インフラは「通信」でしょう。「通信」の正体が、
私の中ではいまひとつはっきり定まっていないのですが、インター
ネットという怪物の出現により急速に発展しているこの分野は、今
後5大インフラを上回る大インフラに育つでしょう。ゆくゆくは、
インターネット世界と非インターネット世界に大別される世界が訪
れるのではないか・・・。そんな予感がしています。

2013年7月11日木曜日

新たな魅力を売り出します


 先週のかじとり通信で、動き出した長野市のソフト部門の一つと
して、文化・芸術活動の進展を挙げ、久石譲さんの新市民会館芸術
監督内定についてお話ししました。こうした文化芸術の振興に併せ
て、これからは、「スポーツ」「緑育」を中心に、本市の持ってい
る多くの魅力を掘り起こし、磨き上げ、そして都市としてのブラン
ド力を一層高めることが重要だと感じています。そして、こうした
多くの魅力を市民の皆さんに再認識していただき、自分たちが暮ら
す地域への愛着を深めてもらうとともに、その魅力を広く全国に発
信し、観光交流人口、さらには定住人口の増加を図り、元気で活力
あふれる長野市をつくっていきたいと考えています。

 こうした願いを込めて、本市では「シティプロモーション事業」
に取り組み始めています。具体的な取り組みとして、プロモーショ
ン活動を市民の皆さんに知っていただき、今後の事業展開へ積極的
に参画していただく気運醸成を図るため、6月11日「この街だい
すき」という新聞広告を掲載し、専用ホームページも開設しました。
また、地下100メートルから取水した地下水を「長野の命水(め
いすい)」と命名し、販売(500ミリリットル・100円)を始
めました。
 
 新聞広告には、「人」に注目してプロモーションを進めていきた
いという思いから、前述の久石譲さん、AC長野パルセイロトップ
チームの美濃部直彦監督とレディースの本田美登里監督、そして
「ながの緑育協会」愛称「ながの花と緑そして人を育てる学校」校
長として「緑育」に取り組んでいただいている矢澤秀成(ひでなる)
さんをはじめ、各分野でご活躍されている皆さんを「長野市の顔」
として掲載させていただきました。ご覧になられた方も多いと思い
ます。
 今後は、こうした皆さんの「人」を引き付ける力をお借りしなが
ら、本市を広くPRしていきたいと考えています。

 美濃部監督が率いるトップチームは、現在JFL(日本フットボ
ールリーグ)2位と優勝を狙える位置で頑張っていますし、レディ
ースもシーズン当初はなかなか思うような結果が出ていませんでし
たが、本田監督の考えが浸透してきたのでしょう、最近5試合は4
勝1分の成績で、さすがと思わせる強さを見せてくれています。私
もホームの試合は全て観戦していますが、両監督の力量が徐々に発
揮されてきていると感じています。
 7月9日には、長野商工会議所をはじめ多くの団体、法人などに
より、パルセイロを支援する「長野後援会」が設立されました。チ
ームを強力にバックアップする応援体制も着実に整ってきています。

 ながの緑育協会の矢澤さんもすごい人気で、2年目の今年も「な
がの緑育マイスター」の養成講座には、全国から人が集まってきて
います。今後は、活動の拠点としている篠ノ井中央公園や茶臼山だ
けでなく、長野市北部の地域でもぜひ教室を開催しようという声が
上がっています。そこで、先週末7月5日から7日まで、この春閉
校となった後町小学校の教室を利用して「ペチュニア展」を開催し
ました。70種類のペチュニアを展示し、矢澤さんの解説もあり、
多くの皆さんにご来場いただけました。さらに「緑育」を全国に向
けて発信していきたいと夢は膨らみます。

 長野市といえば善光寺、松代、戸隠・・・ということで、今まで
は場所そのものが魅力の源泉でしたが、これからは「人」に焦点を
当てることを考えました。古くは佐久間象山、松井須磨子、恩田杢
(もく)など、きら星のごとき偉人もいらっしゃいます。過去の方
々は当然として、新しい人にも大いに活躍していただく場をつくり
たいと思っています。そのことが長野市の魅力を高めることにつな
がると思うのです。

 いにしえの時代から長野冬季オリンピックの時代まで、長野市に
は多くの人々が訪れ、おもてなしの心は脈々と市民に受け継がれ、
私たちの体に染み込んでいるように思います。ただ残念ながら、長
野市民自らが主役にはなっていなかったのではないか・・・私はそ
う感じています。

 善光寺に参詣される善男善女、上杉・武田の川中島合戦、そして
長野冬季オリンピック・・・いずれも長野市は、「場所貸し」が主
な出番だったように思うのです。テニスで有名なイギリスのウィン
ブルドンも、昔は地元イギリス出身の選手が活躍したそうですが、
最近では活躍するのは外国人ばかりになってしまった。これを失礼
な言い方ですが「ウィンブルドン効果」と言うそうで、長野市も同
様なのかなあ・・・などと考えていましたら、「ウィンブルドン 
イギリス勢77年ぶりの栄冠」という報が飛び込んできました。な
んというタイミングでしょう・・・驚きました。

 今回のウィンブルドンでの快挙に、地元イギリスはすごい盛り上
がりのようです。長野市でも、いつか主役が誕生し、街中が歓喜に
あふれる・・・素晴らしいですよね。
 今後、ソフト部門の事業を積極的に推進することにより、長野市
出身の芸術家、音楽家、そしてスポーツ選手など、その世界の第一
線で活躍する人物が長野市から出てほしい。そして、多くの市民が
憧れ、みんなで応援できれば、一層「元気なまち ながの」が盛り
上がるでしょう。

2013年7月4日木曜日

動き始める長野市の新たな魅力


 現在長野市が、新市民会館・新市役所第一庁舎建設事業、長野駅
善光寺口駅前広場整備事業、さらには南長野運動公園総合球技場整
備事業などの10事業を「大規模プロジェクト事業」として推進し
ていることは、これまでも皆さんにお知らせしてきました。また、
こうしたハード部門の事業のほか、都市内分権の推進、中山間地域
の振興、公共交通機関の再生といったソフト部門についても取り組
みを進めています。ハード部門については、市議会や市民の皆さん
のご理解を得る中、おおむね順調に進んでいると実感しています。
それとともに、これからはソフト部門に、より力を入れていく必要
があり、ハード部門を最大限生かすためにもソフト部門を充実させ
ることが重要なポイントだと考えています。
 こうした中、ソフト部門の「いいとき(飯綱・戸隠・鬼無里)構
想」と「文化・芸術活動の進展」に新たな動きが生まれました。

 まずは、「いいとき構想」についてです。いいときエリアは、冬
はスキー、夏はハイキングやキャンプとにぎわっていますが、そこ
に新たな魅力を追加していく必要があると感じていました。6月
15日に飯綱高原と戸隠高原で開催された「春季いいとき乗馬エン
デュランス馬術大会2013」は、その新たな魅力として「乗馬」
が加われば素晴らしいなあと予感できるイベントでした。

 エンデュランスとは、乗馬競技の一つで、長い距離を速さだけで
はなく、できるだけ馬に負担を掛けないで走るレースです。9月に
は、同じコースを利用して、長野市で初めて全日本エンデュランス
馬術大会が開催されます。今回は、その全日本大会のプレ大会とし
て、60キロメートルと80キロメートルの2種目の競技が開催さ
れました。長い距離を走る競技でしたが、事故もなく無事に終了し
たとのことで、選手の皆さんには、本番に備えてコースの感触をつ
かんでもらえたのではないかと思っています。また、飯綱高原乗馬
倶楽部や地元の皆さんも、運営について自信を深めたのではないで
しょうか。さらに、木曽義仲が300の兵馬を休めたと伝えられる
岩窟「木曽殿アブキ」がある鬼無里地区も含めたコースになれば、
物語も膨らみ、素晴らしい景色・コースと相まって、屈指の競技会
場になるかもしれません。
 ゆくゆくは、「飯綱高原といえば乗馬」あるいは「いいとき乗馬」
と言われるように、乗馬がグリーンシーズンの目玉になってほしい
と願っています。

 「文化・芸術活動の進展」については、すでにマスコミ報道でご
存じの方も多くいらっしゃると思いますが、このたび、新市民会館
の芸術監督に、あの久石譲さんをお招きすることが内定し、大きく
新たな一歩を踏み出そうとしています。
 本市では、「新市民会館」の建設を契機に、本市の文化芸術活動
を大きく花開かせようと「ながの文化ビッグバンプロジェクト構想」
を展開しています。これは、人を、文化を、都市を育むという「育
む」をコンセプトの中心に据え、「楽しむ」「創る」「つなぐ」を
テーマに、豊かな文化に支えられた「文化力あふれるまち 長野市」
の実現を目指していくものです。そして、このプロジェクトを推進
するため、新市民会館の芸術面の最高責任者として、事業の企画・
演出、総合監督などを担っていただく芸術監督に、久石さんをお招
きしたわけです。

 「日常の中に音楽が普通に入ってくることが一番いい」「ここ
(長野市)でしかできないことをきちんとやることが大事」。これ
は、記者会見での久石さんの言葉ですが、「なるほどなあ」と私は
感慨深く聞き入っていました。
 また、記者会見には、城東小学校合唱団36人の皆さんが駆け付
けてくれて、久石さん作曲の長野パラリンピックのテーマソング
「旅立ちの時」を歌って歓迎してくれました。堀内教育長の話だと、
なんでもこの日のために急きょ放課後の通常の練習に加えて準備を
してくださったとのことです。合唱団の皆さんは大変だったと思い
ますが、素晴らしい歌声が会場に響き渡り、久石さんもこのサプラ
イズの演出にとても感動され、子どもたちに歩み寄り、握手を交わ
されていました。

 芸術監督の選定に当たっては
1 音楽を中心として幅広いジャンルに対応できる人
2 あらゆる世代を対象として事業展開できる人
3 「長野らしさ」を演出できる人
4 強い発信力を有する人
 以上4つの視点から検討しました(理屈っぽい話で申し訳ありま
せん・・・しかし私は、久石さんの名前が出たときには、こんな理
屈はどうでもいいという気になってしまいました)。

 久石さんは中野市出身で、映画音楽をはじめとした幅広い音楽ジ
ャンルで作曲を手掛けられている一方、指揮者・ピアニストとして、
また自ら映画監督もされるなど多彩な分野でご活躍されています。
中でも、宮崎駿(はやお)監督のアニメ映画の音楽を数多く担当さ
れており、子どもから大人まで幅広い年代に支持されています。ま
た、長野パラリンピック冬季競技大会では、演出の総合プロデュー
サーとしてご尽力いただき、本市との縁も大変深い方です。長野市
全体を舞台として「久石ワールド」を思う存分展開していただきた
いと思っています。そして、「ながの文化ビッグバンプロジェクト」
を通じて、長野市ならではの芸術文化を育み、全国へ、そして世界
へ「長野」を発信していきたい。そんな、夢と期待を抱いています。
 なお、久石さんの芸術監督としての正式就任は、新市民会館の運
営を担う「(仮称)長野市文化芸術振興財団」が設立される本年
10月を予定しています。

 新市民会館の建設と久石さんの芸術監督就任は、長野市の文化芸
術振興の大きな転換点となります。これを契機として、市民の皆さ
んとともに「文化力あふれるまち 長野市」の実現を目指していき
たいと考えています。