平成18年の仕事納めの日になりました。民間に居るとき、大晦
日(おおみそか)31日が休めるようになったのは、20年ぐらい
前からでしょうか。それより以前は、大晦日まで仕事をして、家に
帰ったら除夜の鐘という生活だったのですから、役所の勤務はあり
がたいものです。その代わり、普段は土・日曜日、祝日のない生活
をしていますので、年末年始ぐらいはお許しいただきたいと感じて
いるのも、事実ですが・・・。
年末、あまりふさわしい話ではないと思いますが、最近感じてい
ることを、思い付くままに、アトランダムに書いてみたいと思いま
す。
日本全体の中で公務員(公的な仕事をしているという意味では広
い概念で考えています)のプライドは、どこへ行ってしまったのか?
飲酒運転の事故、官製談合・天の声、汚職事件、裏金問題などの不
適切な行動・・・全国で起こる公務員の不祥事は一体どうしたので
しょうか・・・確かにそれは、ほんの一部の不届き者の仕業である
とは思います。しかし、その一部の不届き者のせいとはいえ、公務
員全体が批判されるのは、社会全体の奉仕者であることや、全体的
に公務員は恵まれているという社会認識からすると、ある意味で当
然だと思います。また、刑事罰にはならないとしても、もっと不適
切なあるいは不合理なこともあります。それは、政策の失敗により
後年度に大きな負担を国民にかけ、本人たちはのうのうとしている
ことです。これも極端な言い方をすればまさに犯罪と言ってもよい
でしょう。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」第15巻。まさに滅びようと
しているローマ帝国の最後の一世紀、問題山積みの中での言葉。
「4世紀後半から5世紀のローマ帝国にとって真の問題は、生産
者数の減少と生産性の低下に反比例するかのように増加していた、
非生産者の数にあったのだ。軍人と官僚が二大非生産者だが、それ
に加えてキリスト教会関係者という、数でも力でも前二者に優ると
も劣らない人々を、国家ローマは養っていかねばならなかった。」
さしずめ日本なら、江戸時代の武士階級でしょうし、現在の公務
員は現代の非生産者といえるかもしれません・・・ただこの非生産
者というのは、現代においてはローマ時代のように単純に分類する
わけにはいかないと思います。効率を上げるために企画をきちんと
作ることも、福祉の現場で苦労していることも、生産的な仕事でし
ょうから。しかし、この塩野さんの指摘は、行政改革に一層努力し
なくてはならない現在の行政の立場に、警告を発していると私は思
います。
人口減の社会について、いろいろな議論がなされています。長野
市の人口も減少に転じたことは、先日のメルマガで報告したとおり
です。
(社)地方行財政調査会が発行した「人口減少社会に直面して」
という出版物を読んでいましたら、国立社会保障・人口問題研究所
副所長の高橋重郷さんの文章が目にとまりました。難しい議論は別
にして、気になる点を書いてみますと、
(1)現在の出生率(合計特殊出生率)1.29を固定して推計す
ると、2005年の日本の人口約1億2777万人が2100年
には約4,100万人、さらに3300年になると一人になる。
(2)現実の日本社会は、もう既に35年間にわたって出生率が低
い水準にある。1973年の石油ショックの翌年から持続的に出
生規模が減少している。出生率が2.07以上ないと、人口は維
持できない。
(3)低い出生率が目に見えて人口として現れるには30数年かか
る、なぜかというと、親と子の平均世代間隔が34、5年あるた
めです。
(4)もし日本の出生率が突然2.1に上昇したとしても、人口減
少が止まるのはその後の30数年となる。すなわち2050年あ
たりまでの人口減少は既に約束されており、避けることはできな
い。突然の出生率2.1への上昇はありえない話ですから、実際
にはもっと長く人口減少は続くということでしょう。
(5)平均寿命は女性85年、男性78年ということで女性が長生
きしている。1910年前後には差がなかったのに、現在は7年
も差がついてしまった。このことは、女性高齢者社会につながっ
ていく。
その他、65歳以上人口の推移、人口ボーナス社会、中国やイン
ドの出生率・・・大変、幅広に考察されています。
これら推計結果から言える点や、超低出生率の社会経済的背景、
そして超少子化社会をどう乗り越えてゆくのか、さまざまな角度か
ら述べられていました。
改めて人口減少社会について、頭の整理をさせていただいた気分
です。
来年のNHK大河ドラマ「風林火山」にちなんで、井上靖さんの
小説を読んだことは、既に報告させていただきましたが、11月に
なって、童門冬二さんから「戦国一孤独な男 山本勘助」という本
を頂き、読ませていただきました。井上靖さんの本とはまた趣きが
違って、面白く読みました。
また、池波正太郎さんの「真田太平記」全12巻も、人から薦め
られ読んでみました。歴史小説の常として、どこまでが史実で、ど
こがフィクションか、よく分かりませんが、山本勘助の生きた時代
と同じころから、江戸時代初期まで(真田信之侯が松代に移封され
るまで)のことで、とても面白かったです。
安倍首相の「美しい国へ」も読ませていただきました。その他手
元にいろいろな本がありますが、忙しい日々の合間に読もうとして
もなかなか時間が取れずに困っています。
待望の塩野七生さんの「ローマ人の物語」第15巻(最終)も休
み中、じっくり読みたいと思っています。私にとっては年末年始、
恒例の読み物です。
さて平成18年も後わずかとなりました。今年もこのメルマガに、
いろいろな事柄を書かせていただきました。私の思いをうまく伝え
られたかどうか・・・お付き合いいただいた方々に感謝しています。
まとまった雪が降ることを期待し、来年も良い年でありますよう
に願いつつ、そして良いお年をお迎えください。
※次回のメールマガジンは、平成19年1月5日金曜日に配信予定
です。
2006年12月28日木曜日
平成18年最終のメルマガです
2006年12月21日木曜日
スポーツのイベントが満開です
このところ、長野市は世界的なスポーツイベントが花盛りです。
11月下旬、バレーボールの世界選手権(男子)がホワイトリン
グで行われたことは、既に報告しました。
11月30日から12月3日までビッグハットでNHK杯国際フ
ィギュアスケート競技大会が行われ、男女シングルスで日本選手が
表彰台を独占するという、夢のような場面に出会いました。
次週の9・10日は、エムウェーブでスピードスケートのワール
ドカップが開催されました。9日の男子500mでは、長嶋選手が
リンク・レコードで優勝しました。
日本スケート連盟の会長・橋本聖子参議院議員が生まれたばかり
のお子さんを連れてお出でになりました。橋本さんが長野オリンピ
ックの直前、エムウェーブの完成式で模範滑走をしてくださったこ
とを覚えています。このたびの会長就任は、日本スケート連盟の改
革・立て直しを期待されて、就任されたものです。
橋本会長、林副会長と懇談しました。私からはエムウェーブを国
(文部科学省)のナショナルトレーニングセンターに指定してほし
いので、日本スケート連盟からもぜひ応援してほしい旨、お願いし
ました。橋本会長からは、平成20年3月の世界距離別スピードス
ケート選手権大会をエムウェーブで開催することへの協力を、また
平成19年12月初旬にもワールドカップを長野で開催する可能性
があるのでそのときはよろしくと依頼されました。
国内で最大の室内リンク(世界最大級)を持っている長野市です
から、協力することは当然です。特にナショナルトレーニングセン
ター指定となれば・・・でも資金的には長野市からの持ち出しがあ
るわけで、運営面で頭を悩ます問題です。
続いてスパイラルで、11日から17日までリュージュワールド
カップ長野大会が開催されました。私も16日に観戦し、表彰式で
はメダリストの皆さんに記念品をお渡しする名誉な役目をさせてい
ただきました。日本ではまだまだ競技人口が少ない競技ですが、地
元長野市の選手もナショナルチームの一員として一生懸命頑張りま
した。
15日、FIL(国際リュージュ連盟)のヨセフ・フェント会長
が市役所に表敬訪問されました。ドイツ人でオリンピックで銀メダ
ルをとったそうですが、大変気さくな方でした。日本ボブスレー・
リュージュ連盟の高波副会長、塚田専務理事も一緒でした。私から、
スパイラルをナショナルトレーニングセンターに国が指定してくれ
るように、頼んでいることをお話ししました。
来年1月13日には、このコースでスケルトンのワールドカップ
も開催されます。
14日から16日にはビッグハットで、長野オリンピック記念国
際アイスホッケー大会「長野カップ2007」が3日間の日程で開
催されました。日本、ノルウェー、フランス、デンマークの4カ国
が総当りのリーグ戦方式で戦うのですが、昨年日本が優勝して喜ん
だことが記憶に鮮明です。
16日の夕方、日本対デンマーク戦を観戦させていただきました。
前日の勝利で本年の優勝は日本と決定していたのですが、それとは
関係なく、熱戦が展開されました。特筆すべきことは、長野市出身
の上野選手と酒井選手の2人が、日本のナショナルチームに入って
活躍していたことです。調べてみたら、ナショナルチームは22名
だそうですが、そのうち20名は北海道出身・・・ということは残
りの2名が長野市出身ということで、そのほかの県の出身者はいな
いということになります。長野オリンピック前後、たくさんのアイ
スホッケーチームが生まれ、その世代の子供たちが今、ナショナル
チームで活躍し始めたということです。嬉しいですね!また一つ長
野オリンピックの資産が生まれたと感じています。
今年は、世界的にはトリノの冬季オリンピック、ドイツのサッカ
ーのワールドカップ、そして12月にカタールでアジア大会と大き
なスポーツイベントがめじろ押しでした。ワールドカップ日本代表
戦の時は、NHKの協力をいただいて、若里市民文化ホールでPV
(パブリック・ビューイング)を行いましたが、3試合とも満員の
盛況でした。
長野市は「スポーツを軸にしたまちづくり」を掲げていますが、
長野オリンピック・パラリンピック大会の開催以来、長野のホスピ
タリティーが多くの競技連盟の方々に認められたこと、両大会の遺
産として競技施設が充実していること、そしてスペシャルオリンピ
ックスも含め3大会の開催都市として知名度が高まっていること、
等々で、他の都市では考えられないくらいの世界的なスポーツイベ
ントが開催されています。嬉しいことです・・・スポーツの存在感
が一段と大きくなったと感じています。
また、選手や競技役員、観戦客など多くの皆さんが長野に来られ、
宿泊されるのですから、その経済効果もかなりのものがあると感じ
ています。
ただ、ぜいたくな注文といわれそうですが、長野市民が「自らす
るスポーツ」をもっと育てたい、長野市民が世界で活躍してくれれ
ば、もっと盛り上がる・・・そんな気持ちで色々な大会を観戦して
います。そんな意味からすれば、アイスホッケーの上野選手や酒井
選手がナショナルチームの一員としてこの長野カップにも出場して
くれたこと、スパイラルでリュージュを始めた長野市出身の4選手
が日本代表としてワールドカップに出場したことは、素晴らしいこ
とでした。ほかのスポーツでも期待したい、スターが生まれること
で地域全体が盛り上がると思います。
話は変わって、16日、戸隠スキー場でスキー場開きが行われま
した。23日は飯綱高原スキー場、聖山パノラマスキー場が今年の
営業を開始します。三つのスキー場をいかに運営していくか、現在
いろいろな提言を受けて、最善の方法を探して努力している最中で
す。今後、より良い経営形態を模索しながら、それぞれの特徴を生
かしたスキー場にするべく、検討しています。
18日には少しだけ雪が降りましたが、今シーズンは、暖冬気味
ということでスキー場開きには残念ながら、十分な積雪はありませ
んでした。私もぜひ出席して滑りたいと思っていたのですが・・・
残念ながら他の予定があり、あきらめました。
昨シーズンはたくさんの雪があって、その面での心配は無かった
のですが、今年は困っています。年内に降雪があって正月に滑れる
かどうかが、その年のスキー場の命運を決めるともいわれています
ので、年内にまとまった雪が降ってくれるのを祈るばかりです。自
然相手のスキー産業ですから、どうしても気候に左右されてしまい
ます。われわれは、たまに雪が無くても、お客さんが来てくださる
ようなスキー場にしなくては・・・と考えているのですが。
この原稿を書いている最中、エムウェーブ・スパイラルがナショ
ナルトレーニングセンターの指定を前提として、政府の予算原案に
入ったとの連絡がありました。
2006年12月14日木曜日
元気なまちづくり市民会議が終わりました
7月15日に始まった「元気なまちづくり市民会議」が11月
26日で、全30地区32回開催し、終了しました。それぞれの地
区では年間の大切な行事として、準備していただいている事業です
が、関係者の皆さまいろいろありがとうございました。
この市民会議は各行政区の区長さんにお願いして、以前から行っ
ている市民と行政をつなぐ大切な会議です。私が市長に就任した5
年前、この会議は平日の午後2時ごろから開始し、夕方まで開かれ
ていました。私は何度か出席した結果、この時間帯では、若い人が
出席することは無理だと思い、平成14年度から開催日・時間は
「土・日曜日・祝日、夜間でもいいですよ」と申し上げ、何とか若
い人にも出席してほしい・・・そんなお願いをしてまいりました。
以来5年目、ようやく土日開催が多くなって、出席される人数も
かなり多くなってきたように思います。これは大変嬉しいことです。
でも正直な話をすれば、私自身は休みが無くなってしまって疲れて
きていることは仕方ないのですが、会議に出るテーマを担当する部
局長と、私と一緒にすべての会議の準備等を担当する広報広聴課を
中心とした企画政策部の職員にも頑張ってもらっています。
会議終了後の懇談会(酒席)についても、前からできたらやめて
ほしいとお願いしてきたのですが、地域の皆さんの意向もあり、な
かなか思うようにはなりませんでした。
ただ今年は事情が違ってきたように思います。先日ある地区の市
民会議、出席者はいつものように200人以上でしたが、懇談会に
なったら4分の1ぐらいに出席者が減ってしまったのです。どうも
飲酒運転の取り締まりが厳しくなったことが影響しているらしいと
のこと。確かに地域の方々と年一回、お酒を飲んで意見交換するこ
とは悪いことではないのですが・・・飲酒運転だけは絶対に許され
ません。ましてや市長との市民会議の後の懇談会でお酒を飲んで、
帰りに運転して事故を起こしたなんてことになったら・・・そろそ
ろ考えなければいけない時期に来ているのかもしれません。
なお、市民会議の内容は、私が本年度の市政重点課題7項目の説
明を行い、そのあと地域で話し合って決めた課題について、市民サ
イドの意見発表・提言・質問があり、市の担当部長が答え、さらに
自由討議でもいろいろな要望・質問が出され、答弁する・・・最後
に私が全体を通しての総括コメントを申し上げて、会議終了という
ことになります。
自由討議は、始めたばかりのころは、ぎこちなく、なかなか質問
も出ないこともありましたが、最近は結構活発に意見が飛び出すよ
うになってきました。予測していない質問は担当部長が出席してい
ないため、後日お答えを区長さんを通して地域に伝えることもあり
ますが・・・。
今年の市民会議で出された地域の要望の主なものを、報告しますと
(1)「道路関係の要望」
この要望はほとんどの地域で出されました。道路特定財源の一般
財源化が話題になっているこの時期、心配ではありますが、長野市
としては皆さんの要望を受けて、必要性を検証しながら、できる限
りお応えしたいと答えています。
(2)「都市内分権に関する質問」
本年は都市内分権元年と考え「地域のことは地域で決める」そん
な新しいルールを作るつもりで、一生懸命に説明させていただき、
既に立ち上がった地域のお話等をさせていただきました。手応えは
感じています。
(3)「支所・連絡所・公民館の建物が古くて狭い、建て替えてほ
しいという要望」
この要望は厳しい財政事情の中、大変苦しい状況にあるとの答弁
に終始しました。またあらかじめ決めた順番に基づいて、整備して
いきますということで、ご理解願いたいと申し上げてきました。
(4)「児童館・児童センターが狭く、子どもたちがあふれている。
改革を」
この問題は早い時期から整備された館ほど深刻です。子どもたち
のことですから何とかしたいと以前から頑張ってきたのですが、財
政、土地などどうしようもない事情で皆さんにご不便を掛けてきて
しまった次第です。ただ来年は、国の文部科学省と厚生労働省が連
携して「放課後子どもプラン」を始めることになりましたので、少
しは良い方向に進むきっかけとなりそうです。すなわち学校施設を
使うことで、解決しようということです。これは私が市長就任以来、
主張してきたテーマです。
そのほか、過疎対策、遊休荒廃地対策、安全安心のまちづくり、
防犯灯、水害対策、公共交通網、全戸水洗化、大型商業施設、公園、
図書館、ケーブルテレビや防災無線、高速通信網・・・等々あらゆ
る行政課題が話題になりました。全部はとても書ききれませんが、
いずれも皆さんの意見として、今後検討していくことになります。
いずれにしても、市民と行政をつなぐ大切な会議です。開催時期、
会議の内容、懇談会のことなど、いろいろ検討する課題があると思
っています。
話は変わりますが、10月31日に、平成17年国勢調査の第一
次基本集計結果の概要が総務省統計局より発表になりました。平成
17年12月に速報値が発表されていますが今回の数値は確定値と
いうことです(調査から一年も経って発表されるというのは、ちょ
っと不思議、もっと早く分かるはず・・・と考えてしまうのですが
・・・行政は慎重を期しているということでしょうか・・・)。
発表された数字によって長野市の現況を概観してみますと長野市
の人口は378,512人です。この数字を見て長野市はいつも
38万人と言っているけれど、変ではないかという疑問をお持ちか
と思います。これは国勢調査は、実態を正確に表すことが目標にな
っており、悉皆(しっかい)調査といって世帯を一軒一軒調べて実
際に住んでいる人すべてを対象に調査しているからです。
この国勢調査人口に対し、住民基本台帳登録人口は
383,298人であり、ここに4,786人の差が生じています。
住民基本台帳法では、生活の実態のある居住地で住民登録をするこ
とになっています。実際には、全国の市町村において、このように
国勢調査と登録人口が合致しないことが多い状況となっており、要
因としては、学生や社会人が住民登録を長野市に置いたまま市外に
転出、赴任されている実態が推測されます。転出入届けをきちんと
していただくように指導しているところですが、大都市では国勢調
査人口が登録人口を上回り、地方都市では下回るという傾向を見る
ことができます。
この国勢調査人口が登録人口を下回るという傾向はどんな意味が
あるのか、私なりに考えてみました。これは推測ですが、長野市に
大学が少ない、企業が少ない・・・言い換えると地域の拠点都市と
しての性格が弱い・・・残念ながらそんな構図が浮かび上がってき
ます。
他都市の数字と比較してみますと、一目瞭然(りょうぜん)なの
です。北信越の中核市を調べてみますと、富山市は2,676人、
金沢市は8,581人、国勢調査の数字が登録人口より多くなって
いるのです。大部分の中核市は長野市と同様の傾向にあり、仕方な
いのかもしれませんが、北陸の拠点都市としての金沢市、富山市の
元気さは際立っているのではないか・・・考えてみる必要があると
私は感じています。
もうひとつ、国勢調査では、前回調査(平成12年)に比べて、
長野市の人口は420人減りました。内訳は旧長野市は545人の
プラスでしたが、旧合併4町村が965人減少したので、トータル
で420人の減になったものです(合併4町村の中では豊野だけが
プラスです)。過去一貫して増勢にあったのですが、今回初めて減
少に転じたということです。
年齢別人口では、年少人口(15歳未満)が2,416人、生産
年齢人口(15歳から64歳)が7,679人、それぞれ減少し、
老年人口(65歳以上)が9,695人増加したということで、こ
の少子高齢化の傾向は当分進むと考えられます。
一方、長野市の世帯数は141,030世帯で、前回調査より
4,922世帯増えており、世帯規模の縮小化は進行しているよう
です。当然のことながら、一世帯当たりの人数は減っています。
いよいよ高齢社会が現実のものとなり、少子化の傾向を考えると、
当分この流れは変わらない・・・行政はどんな施策に取り組むべき
なのか、考えています。
2006年12月7日木曜日
映画の話題
大林宣彦監督の映画「転校生」のリメーク版のロケが長野市内で
行われました。大林監督は日本を代表する映画監督であることは、
皆さんご存じだと思いますが、その大林監督の出世作が、監督の故
郷・尾道を舞台にした尾道三部作と言われています。そのなかでも
やはり一番有名なのが「転校生」ではないでしょうか。
監督が長野を訪れ、素晴らしい長野の風景に触れ、ぜひ映画を撮
りたい、転校生をリメークしようと決め、先日来、長野市内でロケ
が行われていましたが、11月一杯で終了、来年夏の封切りになる
ようです。素晴らしい映画が出来ることを期待しましょう。
なお、報道によると大林監督は、さらに次の作品も長野を舞台に
考えておられるようで、ありがたいことです。
12月2日、映画「硫黄島からの手紙」の試写会にご招待いただ
き、妻と二人で鑑賞しました。会場は先日オープンした権堂の長野
グランドシネマズ、昔の映画館と違って、階段状の座席は、いすも
ゆったりとでき、前の人の頭が邪魔にならないとても快適な環境で
した。上映前に主役の渡辺謙さんのあいさつ、そして栗林中将のご
遺族から渡辺さんへ花束贈呈があって厳粛な気持ちになりました。
映画の内容は、日本軍硫黄島守備隊の総指揮官を務めた松代出身
の栗林中将を、そして日本人の誇りを描いたものと感じていますが、
大変重いものでした。私などが論評すべきものではありませんが、
ただ戦争の残虐さは、見終わっていろいろ考えさせられました。一
つ言えることは、クリント・イーストウッド監督はこの映画を日本
批判するために作ったのではない、大変公平な映画だったという印
象を持ったことです。
私的な話で恐縮ですが、私が子供のころ父から聞いた話を思い出
しました。
私の父は戦争中、トラック島へ出征していたのですが、その戦地
へ赴く輸送船が硫黄島のそばを通過したとき「この辺に居させてく
れればいいのに!」と船内で話していたことがあるそうです。そし
てその後、輸送船はアメリカ軍の飛行機に爆撃され沈没、海へ飛び
込んで泳いでいるうちに、日本の駆逐艦に拾われてトラック島へ行
ったのだそうです(母に聞いた話ですが、そのとき父はサーベルを
失くしてしまい、家に送って欲しいと連絡してきたそうで、そうい
えば白い袋に入ったサーベルを見たような記憶があります)。
その後、物資もあまりないトラック島で戦争をし、島を守ってい
ましたが、終戦間際、アメリカの艦隊が大挙して向かっているとの
情報を受け、全員塹壕(ざんごう)に入り、敵を待ち受けたそうで
す。父は病院勤務だったそうですが、負傷兵にも全て自決用の手り
ゅう弾を渡されたとのことです。今回の映画を見て、その意味、様
相がようやく理解できました。
結果は、アメリカ艦隊が戦力のほとんど残っていないトラック島
を無視して、沖合いを通過、サイパン方面へ向かったので、父たち
は命拾いをしたとのことです。
運命ですね、歯車がひとつ違っていたら、父は生きては帰れなか
った、そうすれば今の私の人生も全く違っていただろう・・・。そ
んなことを想っていました。
二十年ぐらい前のことですが、私は九州・鹿児島県の知覧(ちら
ん)町へ行ったことがあります。知覧は日本の神風特別攻撃隊の出
撃基地だったことは、皆さんご存じだと思います。私は知覧特攻平
和会館を見学し、出撃した若い飛行士の遺書を読ませていただいた
とき、涙が止まりませんでした。
なぜ彼らが死ななくてはならなかったのか・・・遺書の日付はほ
とんど終戦の年の昭和20年5月以降だったと記憶しています。硫
黄島の戦いは同じ20年の2月に始まったそうですから、特攻隊が
飛び立ったのはその後でしょう。そして8月に終戦です。
5月以降ならほとんどの軍幹部は、日本の敗戦は分かっていたの
ではないでしょうか。若い、そして飛行士に選ばれるくらいですか
ら、優秀な若者でしょう、彼らを死に追いやった軍部の非情さ、時
代の流れを全く分かっていない無能さ・・・私は心の底から怒りを
感じました。戦後復興の礎となったと言われる彼らの尊い犠牲を否
定するつもりはありませんが、大局的に見ればどれくらいの効果が
あったのでしょうか・・・彼等が生きて、戦後日本の再建に力を尽
くしてくれたら・・・きっと素晴らしい活躍をしてくれたと思うの
は、私だけではないでしょう。
映画でも大本営からの情報が入って、援軍は行かない、ベストを
尽くせ・・・硬直した日本軍の上層部の判断、命令、言い換えれば
大局を見失った軍政治家の無能さが、栗林中将以下の、そして神風
特別攻撃隊の犠牲を、強いる結果になったのだと思います。
映画試写会の翌日、12月3日、ビッグハットで行われたNHK
杯国際フィギュアスケート競技大会のエキシビションにご招待いた
だきました。全ての種目の優勝者、2位、3位の選手が一堂に会し、
競技とは違う自由な演技を披露してくれました。しかも男子シング
ル、女子シングルの両種目で、1位から3位までを日本選手が独占
するというNHK杯史上初めての快挙のおまけ付きでした。
素晴らしい夢のような一時を過ごさせていただきました。
前日の重い気持ち、考えさせられる試写会を見た後でしたので、
改めて平和のありがたさを実感しました。
2006年11月30日木曜日
忙しかった11月
今日で11月が終わり、明日からはもう師走です。毎日、毎月、
忙しく過ごしていると(日程をこなしているという感じかもしれま
せんが・・・)つい自分の日程が分からなくなり、自分を見失いそ
うで、怖いものです。今回は、11月の市長日程のなかで、既に報
告したこと・通常の日程は別にして、いつもと違う事柄について報
告します。
11月は長野の晩秋と言ってもよい季節で、月末になるともう寒
くなってきますが、それまでは何をするにも良いシーズンです。
産業フェア in 善光寺平 2006
産業フェアは今まで長野では行われてきませんでした。この種の
イベントは県内では諏訪地方で以前から取り組んできていますが、
長野でも実施しようということで、長野法人会に音頭をとっていた
だき、千曲市、須坂市にも協力をお願いして、北信地域の企業に働
き掛け、実現しました。ものづくりを盛んにしようということが狙
いですが、企業、学術研究機関、行政等が参加し、連携を深め、お
互いの情報交換あるいは商談等が行われました。今後工夫をしなが
ら、恒例となってほしい事業です。
長野エルザサッカークラブの感謝祭
今シーズンは残念ながら長野エルザは最終戦に破れて、北信越一
部リーグ二連覇の夢を逃しました。来年こそとバドゥ監督を中心に、
今新たな意気込みに燃えています。長野エルザは来年から名前を
AC長野パルセイロ(スペイン語でパートナーの意味)と変え、新
たな出発をします。
その長野エルザのバドゥ監督が長野市消防局の依頼を受けて、一
日消防長を務めてくださいました。金モールのついた制服に身を固
め、格好良く火災予防の広報活動等を行っていただきました。
国宝善光寺本堂再建三百年記念事業協力推進委員会がスタート
来年、善光寺の現在の本堂が当時の松代藩の手で再建されて
300年になります。善光寺は1400年の歴史の中で何度も火災
により焼失しているようです。その記念事業を善光寺が計画してお
られ、長野商工会議所や長野市などが応援することになりました。
期待してください。
中核市サミット2006イン岐阜
岐阜市で開催されましたので、市長として出席しました。全国
37の中核市が団結し、地方分権の流れを定着させるために、「地
方財源の充実確保」「地方分権の推進」などの国への要望事項およ
び中核市としての都市経営の方針を示す「中核市サミット岐阜宣言」
を採択し、国へアピールしました。
県知事と市長会の懇談会
何年かぶりですが、市長会と県知事の懇談会が開催されました。
村井知事が誕生して2カ月余、県知事と市長の対話が復活し、胸襟
を開いて協力しあえる雰囲気が生まれてきました。
全国精神障害者家族大会
全国の精神障害者の家族の皆さんが長野に集まって大会が開かれ
ました。平成18年4月1日に障害者自立支援法が施行されました
が、障害者の皆さんにとってまだまだ問題があるように感じました。
この種の大会では異例のことですが、来賓として招待された厚生労
働省課長の祝辞に厳しい野次がとんでいました。
障害の有無にかかわらず、誰もが互いに人格と個性を尊重し、支
えあう共生社会をつくらなければならないと感じました。
県収入役会
来年から地方自治法がいろいろ変わります。例えば助役という役
職がなくなり、副市長に変わり、新しく位置付けられるようです。
また、経過措置はあるものの収入役(県では出納長)は制度として
無くなります。
先日県内市の収入役が長野市に集まり、この自治法の改正を受け
て県収入役会の解散が決議されました。来賓として、県市長会の矢
崎会長(茅野市長)、那須野市長会事務局長、そして開催市の議長、
市長ということで4人が招待されました。
野尻湖游泳協会80周年
この協会は昭和2年に発足した団体で、今年で80周年になると
のことで、その記念式典が行われました。戦後60年を過ぎて、こ
のところ60周年記念という会合には時々お招きいただくのですが、
任意団体で80周年というのは大変なことだと思います。毎年夏、
野尻湖一周の遠泳を主催しておられますが、80年間一度も事故が
無いということですから、その運営のノウハウは素晴らしいものが
あるのだと思います。フジヤマのトビウオとして有名な古橋廣之進
さんの記念講演をお聴きしました。
2006世界バレー男子長野大会
バレーボールの世界選手権(男子)が長野市のホワイトリンクで
開催されました。昨年はワールドグランドチャンピオンズカップ
2005長野大会が開催されましたので、2年連続で国際大会のホ
ストを務めたことになります。2年連続というのは運営する側とし
てはかなり厳しいのですが、国際バレーボール連盟から、長野でぜ
ひ開催したいとのお話があり、お受けしたものです。(長野のホス
ピタリティー、競技運営能力を高く評価していただいているとのこ
とです)。私は、アメリカ対ブルガリア戦の始球式を務めさせてい
ただきました。間近で見る一流選手のプレーはさすがと感じました。
日本チームの試合は長野ではありませんでしたが、24年ぶりの
ベスト8入りということで、更に盛り上がっていくと思います。
えびす講花火大会
恒例の花火大会ですが、今年は101回目。新聞発表によると、
32万人の見物客が犀川の河川敷を埋め尽くし、5000発の花火
が上がったようです。全国的にみて、この時期の花火は珍しいとい
うことかもしれませんが、寒いにもかかわらず、今年は県外から
2000人以上の方が、来られたそうです。年々盛んになってきて、
長野の晩秋の風物詩としてすっかり定着しています。ミュージック・
スターマインという音楽とスターマインの組み合わせというのは、
私にとって初めての経験ですが、新しい試みとして大変興味深く感
じました。
以上、11月にあったことを幾つか報告しました。
「元気なまちづくり市民会議」も例年より早く行おうと考えて頑
張ってきましたが、11月末で市内32カ所すべて終了しました。
移動市長室や団体別の市民会議などは、まだまだ続きますが、一応
一区切りと思っています。
2006年11月22日水曜日
市長就任以来、5年が経過します(その3)
2回に分けて、就任以来5年間、一生懸命取り組んできたこと、
まだまだ至らぬ点等について報告してきましたが・・・今回はこれ
だけはどうしても皆さんに知っておいてほしいと日ごろ感じている
ことを書いてみたいと思います。それは、自治体の財政事情であり、
その中でも退職金問題です。
市長就任以来、「入りを量りて、出ずるを為す」をモットーに長
野市政の運営、いわゆる経営をしていますが、なかなか厳しい現実
にぶつかっています。夕張市が、財政再建団体になった記事は、行
政を運営するものにとって衝撃的なニュースでした。
どこも苦しい、トヨタ自動車の本拠地がある豊田市等は別格で財
政事情は良いとのことですが、地方都市の長野市は、県都であり、
中核市であるといいながら、まだまだ景気は上昇機運とは言えず、
税収は上がってきません。
統計数字を見ながら、他都市との比較をしているのですが、行政
の統計は必ずしも同一の基準になっているとは言えず、よく分から
ないことが多いというのが実感です。
市長に就任して最初にびっくりしたこと、特に民間企業との比較
でびっくりしたのは、決算書上に市職員の退職給与引当金という項
目が無かったことです。どうやっているのかと言うと、毎年予算を
組む段階で、新年度の退職者の退職金を計算して予算書に計上する
のがルールでした。私は思わず「エー!」と声をあげました。払え
なかったらどうするの?毎年退職者の人数はバラつくはずだけれど、
どうするの?疑問だらけでした。
さらに平成17年1月に4町村と合併をしましたが、そのとき、
もっとびっくりしたのは、町村の退職金についてです。町村職員の
退職金は、県内町村等が事務委託している町村総合事務組合(地方
自治法に基づく一部事務組合)に負担金を払っていて、退職者が出
ると町村総合事務組合が直接退職者に退職金を払っているのです。
問題がないように見えますが、その負担金と退職金のバランスがと
れていないのです。
長野市は4町村と合併したとき、町村総合事務組合から請求がき
ました。合併で町村が町村総合事務組合から抜けるときは、町村総
合事務組合は当然精算を要求することになりますから、長野市に合
併した町村の過不足を精算してくださいというわけです。
市の場合も民間に比べたら健全とはとても言えないのですが、そ
れでも毎年3月市議会へ、4月からの新年度一年間に退職する人の
退職金を計算して、予算を組み、予算書として提案・議決をするわ
けです。町村の場合は予算書にどう載せるのか、詳細は分かりませ
んが、その年度の退職者に支払う退職金総額について、町村議会は
知らないでも過ぎてしまうのではないでしょうか?
合併の場合は、市町村間で合併協議がありますから、もちろん事
前には分かります。それを承知で合併の承認をしたわけですから、
今さら文句を言っているわけではないのですが、実態を市民の皆さ
んに知っていただくために、あえて書かせていただきました。4町
村合併の時、町村総合事務組合の精算として長野市は約10億円を
支払いました。これは既に町村を退職された方に支払われた退職金
ですから、長野市としてはどこへも請求できないわけです。そこで、
4町村から引き継いだ財政調整基金8億6千万円を財源として充て
ましたが、不足分は長野市が負担せざるを得ませんでした。
前述したとおり、市長就任後、退職金について民間との違いを、
どうしたらよいかいろいろ悩みました。他市の状況等を聞きました
が、どこも似たり寄ったりのようでした。
確かに民間企業の場合は、決算期末に在籍している社員全員の退
職金を全額退職給与引当金として積み立てるか、あるいは外部に積
み立てることが原則ですが、長野市が直ちにそれをやるとすれば、
百数十億円が一挙に必要になるはずですから、それは不可能です。
そこで私は、第一段階としてできることから行おうと決心し、次
のような手を打ちました。長野市の職員構成を調べると、当時30
代半ばの職員が男女共に多いことが分かりましたので(理由は長野
オリンピックです、オリンピック開催が決まってから仕事量が増え、
NAOCへの派遣職員も含め、人数が増加していました)、その人
数が一番多い年代の人が辞めるときスムーズに退職金を払うため
に、毎年一定の金額を退職金に計上し、その年必要な額はその中か
ら支出して、残りは積み立てることにしました。
その一定の金額を計算してもらったら、平成14年当時で年16
億円になりました。大変な金額ですが、目をつぶって積み立てよう
・・・そうすれば約25年後の長野市の退職者最多期もあまり影響
しなくて切り抜けられるはずであるし、その後は人数がぐっと減り
ますから負担は減ってくるはずと考えました。一応平成14年度か
らその方法で実行しており、平成17年度末現在、27億円の積み
立てができています。
他の自治体では、来年から団塊の世代の大量退職者が出るため、
退職金の支払いが大変とのことで、国は退職手当債を発行すること
を認めているようです。これも問題の先送りですが、まあ仕方ない
のでしょう。
長野市は幸いなことに、団塊の世代の退職者はそれほど多くはあ
りません。何故だろうと考えてみたのですが、昭和41年の大合併
が影響しているようです。団塊の世代が社会に出てきたのは昭和4
2年~44年ころでしょう。そのころ長野市は大合併の余波で職員
数がかなり多くて苦しんだのではないでしょうか。それ故に、長野
市は採用抑制策をとったのではないか、そのおかげでその時代に入
った人が定年を迎える現在、あまり苦しまなくても済んでいる・・
・といえるのですが、約25年後には現在30代後半の職員が定年
を迎える時期で逆に悩むことになる、そしてその時は団塊の世代の
時とは違って、長野市独自の問題ですから、国の助成策は出てこな
いと覚悟しなくてはいけません(現段階はまさに皆で渡れば怖くな
いという状況です)。
過去、市町村の財政状況を語るとき、一般会計について問題にす
ることが多かったと思います。しかし、長野市には一般会計だけで
なく、水道事業会計をはじめとする企業会計、国民健康保険特別会
計などの特別会計といったいろいろな会計があります。そのほか、
市役所そのものではありませんが、実質的に市役所がその仕事をや
っていると市民が思っているであろう、市と密接な関係をもってい
る開発公社や社会福祉協議会などの外郭団体もあります。
近年、地方自治体の破綻(はたん)が問題になってきて、総務省
は一般会計の借金だけでなく、市の全ての会計について評価対象と
し、外郭団体の債務についても、「市が客観的に負担する蓋然(が
いぜん)性の高い部分」を対象とする方向で検討を進めています。
当たり前のことですが、そのときの基準、あるいはモデルをどうす
るのか・・・なるべく厳しくするべきであると思います。幾つかの
会計を作ることで故意とはいわないまでも実態を見えにくくしてい
る可能性もあると思います。将来必要となる市職員の退職手当の扱
いについても同様と考えます。
私に対して「市長はお金のことばかり言いすぎる」と批判する方
がいらっしゃることは承知しています。でも夢が無いと言われよう
が、間違っていると言われようが、お金、すなわち長野市の財政を
きちんとしなくては、将来は無いと私は固く信じています。国・県
の動向を見ながら、そして長野市の将来をみつめながら、次の時代
に飛躍できるような状況を作り出すことが私の責務であると思って
います。
企業でさえ、永遠の存在でありたいといつも願っている、まして
行政は永遠の存在であることが必然なのです。未来の子どもたちに
ツケを残すことは、できるだけ避けなくてはならない・・・財政に
ついて考えるとき、私はいつもそんなことを考えています。
2006年11月16日木曜日
鬼無里のランランカーニバル・ブナ林の散策
11月3日、文化の日。紅葉が映える伝説の里・鬼無里へ出掛け
ました。第16回の「鬼無里ランランカーニバル」の開祭式に出席
し、併せて奥裾花自然園のブナ林をゆっくり体験してみようという
ことで、市の産業振興部や企画政策部の職員と一緒に出掛けました。
ランランカーニバルは、鬼無里村時代の平成3年に始まったイベ
ントで「誰でも参加でき、誰でも楽しめるマラソン大会を開催した
い」ということで、地元の有志が中心になって立ち上げたもので、
以来毎年11月3日文化の日に開催しているのだそうです。平成3
年と言えば、イギリス・バーミンガムで長野オリンピックの開催が
決定した年ですから、あれからもう15年も経っているんですね!
今年も長野市内外から500人を超える多くの皆さんが参加されま
した。
昨年の第15回大会は、鬼無里村と長野市の合併記念大会として、
名誉大会長である瀬古利彦氏にもご来場いただき、参加者の皆さん
と一緒に走っていただくなど盛大に開催されたそうです。今年も3
キロ、5キロ、10キロの各コースに瀬古利彦杯を設け、優勝者に
は瀬古利彦名誉大会長からご寄贈いただいたトロフィーのレプリカ
をお贈りすることになっていました。瀬古さんは昔、中距離ランナ
ーからマラソンに転向して一世を風靡(ふうび)した名ランナーで
すよね、早稲田大学の競走部時代から中村清監督との師弟コンビ・
・・私の憧れの方で、ぜひお会いしたかったのですが・・・。
他にも「ペアペア3000」という、ペアで3キロを走るコース
や、歩くコースも設定されていまして、「パノラマ歩け歩け
4989」とか「歩け歩け3000」というコース名がついていま
した。4989は四苦八苦ですかね。私はスターターを務めさせて
いただきました。参加者の皆さんは、絶好のマラソン日和に恵まれ、
紅葉の中を走ったり歩いたり、その後は、きのこ汁を味わうなど、
大いに楽しんでいただいたようです。
皆さんのスタート後、奥裾花自然園へ向かいました。鬼無里の素
晴らしさを満喫するだけでなく、今後「鬼無里イヤー」に取り組む
ためにも、実際に自然林の中を散策して、その魅力を確認しようと
いう意図もあり、市の職員10人ほどが同行しました。
今年は気候のせいか、全般に紅葉はあまり綺麗(きれい)ではな
いと言われていますが、奥裾花ダムの辺まで行くと、大変美しい紅
葉を見ることができました。鬼無里の別名は「谷の都」ということ
ですが、確かに裾花川やダムの魅力は、紅葉の時期にはとても大き
くなることを実感しました。昔、上高地へ行ったとき、梓川沿いの
道で素晴らしい紅葉に出会ったことがありますが、鬼無里の紅葉も
まさに「谷の都」の名前に恥じない素晴らしい景色でした。
自然園を案内してくださった人はガイドボランティアの宮沢さん
で、二時間半ぐらい、ブナ林の中を歩きながら、ブナの木、ミズナ
ラ、コナラ、いろいろな雑木林について知ることができました。山
の話、風倒木の話、小さな花、クマの話、雪が7メートルぐらい積
もるとのこと・・・宮沢さんの話に、私はすっかり魅せられてしま
いました。
北側の山際で崩落が起きたため、その復旧の工事が必要で、その
ためダンプが通行可能な道路が出来ていました(舗装などはしてあ
りませんが)・・・災害を防ぐ工事のためには仕方ないことですが、
自然を壊しているみたいで、ちょっと残念な風景でした。でも上部
の崩落は、遠くから見ただけですがかなり大きく、放っておくこと
はできない規模でした。
鬼無里の案内パンフレットによりますと、昭和43年に明治
100年記念事業の一つとして、長野県内の代表的な自然を保護し、
自然教育の場とするために「自然園」が設けられたのだそうです。
奥裾花自然園は標高1250~1280メートルで、面積
122.6ヘクタール、日本の温帯林を代表するブナの原生林の中
にあります。今池湿原のミズバショウは、周囲1000メートルの
池の範囲に密生しており、5月上旬の雪解けとともに白い花が咲く
ミズバショウの群生地としては尾瀬などより大きく、本州随一とい
われています。
ブナ林のなかにある吉池は小さな池ですが、イモリ・クロサンシ
ョウウオ・モリアオガエルが生息しているそうです。5月下旬には
池の中にクロサンショウウオのマユ玉の卵塊がたくさんみられます。
モリアオガエルは池の上に伸びた木の枝に産卵する習性があるそう
ですが、蛙(カエル)合戦もかなり華やかに繰り広げられるのだそ
うです。鬼無里はミズバショウで有名ですが、宮沢さんの話では、
「6月、ブナ林の芽吹きの頃が一番素晴らしい」とのこと、別の方
は「いや、夏がベストだ」とおっしゃっていました。私は「秋の紅
葉の頃も良いですねえ」と申し上げましたが・・・。
今池湿原のミズバショウの群生地まで戻ってから宮沢さんに聞い
た話ですが、ミズバショウは太陽の光を嫌うのだそうで、あたり一
面背丈ぐらいの高さにカヤが生い茂っている、そのカヤがミズバシ
ョウを守っているのだそうです。見通しが悪いからとカヤを刈った
りすると、ミズバショウはドンドン小さくなってしまうということ
でした。
そういえば、今年はクマの出没事例が多いそうです。これも宮沢
さんいわく「クマに出会ったら、死んだふりをしても駄目、木に登
っても相手の方が木登り上手、逃げても4つ足にはかなわない」の
だそうです。じゃあどうするのですかとお聞きしたら「出会わない
ようにするしか無い」そうです。鈴を持ったり、ラジオをかけたり、
大きな声を出してみんなで騒ぎながら行くのが、コツだそうですが
・・・何だか心細い話でした。
散策を終えて、観光センターのところで昼食をとりました。きの
こを主体にした珍しい山菜料理に舌鼓を打ちました。特別に出して
いただいたマツタケより貴重な「ツガダケ」と言う珍味もいただき
ました。
食堂を経営しておられるご夫婦は、ここで30年前から商売をし
ており、冬になればお店を閉じるのだそうで、今年は11月5日だ
そうです。昨年は11月3日に50cmも雪が積もったそうですが、
今年は雪の兆しがない(11月3日時点の話です)ようです。
鬼無里のミズバショウ、ブナ林は有名ですし、私も何度か訪れた
ことがありますが、今回は新しい発見が随分ありました。平成20
年度に奥裾花自然園への大切な道路、県営林道大川線の大規模改修
工事が終了する予定ですので、平成21年度を「鬼無里イヤー」に
しようと産業振興部では計画を立てています。鬼無里には自然だけ
でなく、素晴らしい文化、歴史、そして優しい人たちがいらっしゃ
います。素晴らしい年にしたいものですね。
今回、素晴らしい経験ができたのは、ボランティアのガイドをや
っていただいた宮沢さんのおかげが大きいと思います。私がいつも
言っていることですが、観光地には「語り部」が必要ということ
を実感させていただいた案内であり、見事な語りでした。宮沢さん
ありがとうございました。
2006年11月9日木曜日
市長就任以来、5年が経過します(その2)
先週は、5年間こんなことをやってきましたということで、主な
ものを報告しましたが、今週は、まだまだ至らぬことを中心に(そ
の2)を書かせていただきます。あまりにたくさんありすぎて(そ
の3)(その4)・・・と続くかもしれませんが、悪しからず。
(1)今後のことというより、「現在一番喫緊の課題は」といえば、
長野広域連合が計画しているごみ焼却施設の建設です。最初の施設
を長野市に建設することが決定されてから、長野市では、公募委員
や学識経験者の方にも入っていただいた検討委員会で建設候補地を
慎重に検討していただきました。答申を受けてから環境部を中心に
全庁挙げてのプロジェクトを組んでさらに検討しました。そして大
豆島松岡二丁目を候補地として選定し、大豆島地区、松岡区の皆さ
んにお願いしている段階です。
(2)長野市の新斎場の建設も、(1)と似ている部分もあります
が、松代町寺尾地区にお願いすることを決定し、生活部が中心にな
って、これもご理解をいただけるよう地域の皆さんと話し合いをし
ています。斎場は人生終焉(えん)の地、ある意味では聖地である
と考え、葬送の場にふさわしい施設建設をしたいと考え、取り組ん
でいます。現在の斎場は、大峰山、松代と鬼無里にありますが、人
生最後の別れの場としてはいずれも老朽化しており、申し訳ない状
況になっていると思っています。まだ地元の皆さんに計画をご説明
している段階ですが、ぜひご理解いただきたいと考えています。
(3)教育問題については、基本的には教育委員会の専権事項です
ので、市長としてあまり口出しをすることは、ルール上は問題があ
るのですが、しかし現在の教育環境については行政的に解決しなく
てはならないことがたくさんあると考え、全力を挙げる決意で取り
組んでいます。
今取り組んでいることの一つは、学校規模の適正化ということで、
通学区の見直しを行っていることです。この問題は三つの面があり
ます。第一は、中心市街地における児童数の減少に伴って小規模校
化が進んでいることです。第二は、中山間地の学校が、極めて少人
数学校になっていることです。第三は、地域によって、子供の数が
アンバランスになって、大規模校と小規模校が混在していることで
す。
中心市街地については、市内のどこからでも3校を選択して就学
できる「特例校制度」を導入し、今後の方向を決めていくこととし
ていますが、中山間地の場合は、隣の学校といっても距離が遠いこ
とから、教育環境と地域の活性化問題も絡んで、大変難しい問題で
もあり、悩んでいます。また、大規模校と小規模校の混在について
は、可能な地域では、大規模校に隣接する学校へも就学できる「限
定隣接学校選択制度」の導入を進めていきたいと考えています。
いずれにしろ、私たちの意見は、学校では一定以上の人数の子供
たちが、切磋琢磨しながら、学び、そして遊ぶことが大切で、子供
の将来のためにも絶対に必要であると考えています。何とかしなく
てはならないテーマです。
教育問題としてはその他たくさんあります。平成20年開校予定
の「市立長野」を県内唯一の市立高校として、立派な学校にしよう
という市民の期待にどう応えるか、難しい、でもやりがいのあるテ
ーマです。
それと長年の悲願である大学誘致も、大学倒産の時代と言われて
おり長野市の力だけでは無理かもしれません。しかし、長野市の現
状(20歳前後の若者が少ない)を考えると、実現したいものと考
えています。
学校の安全・安心のシステムを検討することも大切ですし、学校
の耐震問題も頭の痛い問題で、少しでも早く解決しなくてはならな
い課題です。
(4)産業としての農・林業をどうすればよいか、農・林業の再生
も長野市にとって重要な課題です。国では、農業の足腰を強くする
ため、19年産の作物から一定の条件を備えた「担い手」を対象に
支援を行う新たな仕組みを導入します。本市は市域の70%を中山
間地域が占めており、主な産業は農業ですが多くは小規模農家です。
そのため、来年(仮称)長野市農業公社を設立して現状を打破する
ための一助になれるよう本格的に取り組む予定です。農・林業の再
生が無い限り、元気なまちにならないのではないかと感じています。
(5)福祉については、複雑で法律も目まぐるしく変わってきてお
り、市町村とすれば基本的には国の方針に従っていかざるを得ない
のが実態です・・・ただ、柳町保育園、三本柳児童センター、豊野
西部児童センターなどの建設やこども広場の「じゃん・けん・ぽ
ん」、「このゆびとまれ」の開設などハード面を中心に子供の環境
整備は進めてはいるのですが・・・。
(6)入札制度の改革も難しいテーマです。専門家にお願いして、
かなり努力しているつもりですが、まだ完璧という改革はできてい
ません。今後も研究して、より良い制度にしていかなくてはなりま
せん。
今回の(その2)についてはこのくらいにして、次回以降(その
3)をいつか書かせていただきます。特に財政再建については、ど
うしてもお知らせしなくてはならない問題と感じています。
話は変わりますが、私が市長就任以来、5年が経過した中での大
きな変化としては、村井新県政が誕生したことです。
先日ある場所で村井知事就任後、2カ月経った時点での感想を述
べさせていただきましたので、その要約を報告させていただきます。
(1)県職員の顔が明るく、元気になり、自分の意見を言うように
なった。トップが代わるとこんなに変わるものかとびっくりしてい
ます。
(2)私も含めて、知事への要望・陳情活動がめじろ押しと聞いて
います。
長野市からも、20項目(本当はもっとあるのですが)出させて
いただきました(内容は第230号のメルマガに書いてありますの
で、ご参照ください)。長野市独自と思われるものは極力はずし、
県全体を考えた提言にさせていただきましたが、浅川治水問題やオ
リンピック問題を含んでいます。田中知事の6年間、たまりにたま
った(言い換えればあきらめていた)提言なので、ぜひ受け取って
ほしいと思います。
(3)財政状況が厳しい折、村井知事になったからすぐ実現できる
と思っているわけではありません。ただ対話が復活した、仮に長期
的になるとしても真に市町村の願いを聞いていただける状況が整っ
たことを、皆が喜んでいます。
(4)一つだけ、知事さんに注文したいことがあります。
それは前知事の良かった点といえることですが、県職員が市町村
に来たとき、高姿勢でなくなったことです。田中知事登場前は、県
の職員が市町村に来た場合、市町村、特に町村の職員は、「直立不
動」だったという話をよく聞きました。田中知事になってから、県
職員の目線が、低くなっており、これは良いことだと思います。で
すから、昔に戻ってもらいたくない(目線を低くし、本当の意味で
地域の実情を理解してくれていればもっとよかったのですが)、何
人かの首長がそう言っておられます。対話を重視した上で、強いリ
ーダーシップを発揮してほしいと思います。
(5)私(長野市長)にとっての4年半、県政との付き合いは大き
なストレスでした。重石がとれて、ようやくきちんとした対話によ
って行政に取り組むことができる環境が整ったと思います。県都の
市長として県との協力関係を築く中で、一生懸命務めて行きたいと
考えています。
以上が私の発言内容です。村井知事は9月1日に就任されて、手
堅い手法で確実に前進しておられると感じています。ぜひ頑張って
いただき、長野県を再生してほしい、そんな気持ちから話をさせて
いただきました。
2006年11月2日木曜日
市長就任以来、5年が経過します(その1)
平成13年11月、市長に就任させていただき、自分のすべてを
かけて、この職を全うしようと決心して以来、5年が経ちました。
今回は、私の5年間を振り返ってみたいと思います。
多少、手前みそになることはお許しいただくこととしまして、実
績が上がったかなと思うことから、まだまだ途上ということまで、
今頭の中にあることを、書かせていただきます。
(1)「中心市街地の再生」が、私の市長になろうと決心した原点
でした。オリンピック後の経済の落ち込み、加えてバブル崩壊に
伴う平成大不況・・・長野のまちがこのままではどうにもならな
い、何とかしたいと考えました。幸い、センタービルのオーナー
さんたちの決心、SBCの塩沢会長(当時社長)の決断、それを
支えた弁護士や会計士の皆さん、銀行、商店街の人々、そして長
野商工会議所の決断・・・行政としてはやれることはすべてやっ
たつもりです。そんないろいろな人々の努力が実って、もんぜん
ぷら座、ぱてぃお大門、トイーゴ、トイーゴパーキング・・・少
なくとも、街ににぎわいが戻りつつあることを実感しています。
今後は民間の努力に期待しています。
ただ、長野市の中心市街地は篠ノ井、松代を含め、3カ所ある
のですが・・・特に篠ノ井については、これからと考えています。
(2)「エコール・ド・まつしろ」もまずまずの成果を挙げたプロ
ジェクトと思っています。明治維新以来、真田十万石の城下町が
失礼な言い方をすれば、忘れられていたと思います。それに目を
向けさせていただいたのは、ボランティアの人々が書いた「松代
見て歩き」という一冊の本でした。松代に埋もれている素晴らし
い資源、これを世に出さない手はない、善光寺に頼っている長野
の観光に厚みをつくろう・・・「松代イヤー」のスタートでした。
地域の皆さんの思いと結束力、エコール・ド・まつしろ倶楽部に
集まった幅広い人脈、歴史的文化財を使って学ぶ、そして遊ぶ・
・・携わってくださった人々の発想の豊かさ。もともと持ってい
た松代の素晴らしさが一気に花開いたと言えるかもしれません。
隠れたヒットは、「長野市・松代」でなくて「信州・松代」の方
がピタリとくる感じですねと言ったことでしょうか・・・古い武
家屋敷、文武学校、寺町などのイメージは、長野市より信州・松
代の方でよかったと今も思っています。でも松代が本当に松代ら
しくなるには、松代の皆さんの一層の努力が必要です。
観光事業としては、松代だけでなく、集客プロモーションパー
トナー都市協定、信州北回廊プロジェクト、中山間地と都市部の
交流、多軸都市として7地域のブランド化などに取り組んでいま
すが、これからです。
(3)周辺4町村との合併を実現しました。長野市とすれば、次の
発展につながる素晴らしい資源を持つ地域と合併できたものと考
えています。昭和41年に、長野市、篠ノ井市、松代町など2市
3町3村が大合併し、その後の大発展につながりました。時代は
違いますが、必ずや将来につながる合併だと信じています。
信州新町、中条村にも長野市との合併へ向けての動きがありま
す。長野市の姿勢は、それぞれの自治体が、住民総意に基づいて
の申し入れがあれば、真摯(しんし)に検討しますとお答えして
います。
(4)広報広聴制度を点検し、分かりやすい行政を行うことを心掛
けました。毎年市内30地区で行う「元気なまちづくり市民会議」
では、大きめのスクリーンとスライドを導入(当初は、庁内での
抵抗があったのですが)して分かりやすくしたり、平日開催を土
・日曜日、祝日、夜間にも開催するようにして、女性や働く若い
人たちにも参加しやすくなったと評価していただいています。ま
た、市のホームページの充実に気を配りました。このメルマガも、
私の考えていることを分かりやすく伝える手段として有用と考え
ています。市民との対話だけでなく、職員との懇談、意識改革に
も努力したつもりです。分かりやすいということは、きちんとし
た行政につながることだと思っています。今後も努力・工夫をし
ていきますが、一定の効果はあったと思っています。
(5)「民間活力の導入」は、私の歴史的使命であるといい続けて
きました。たまたま小泉前首相が、「地方でできることは地方に、
民間でできることは民間に」という政策をとってくれたのは、追
い風でした。「行政がやらなくてはならない、行政がやれば安心」
という言葉は神話に過ぎないと申し上げ、努力してきたつもりで
すし、民間事業者のレベルは大変上がってきていると感じていま
す。聖域なく行政の業務すべてを対象に考えているのですが、手
法としては、民営化(秋葉・松ヶ丘保育園)、業務委託(斎場の
管理業務、第二学校給食センターの調理業務、水道料金の徴収事
務等)、指定管理者制度(約300カ所についてめどが付きまし
た)、※PFI事業(温湯温泉施設)・・・あらゆる手段を駆使
しているつもりです。まだ、市民の皆さんにご理解いただかなく
てはいけない部門もありますが、いずれはやりとげるつもりです。
(6)「市民の皆さんとのパートナーシップによるまちづくり」も
言い続けていることの一つです。行政がすべてをやる時代ではな
い、「市民と共に」市民にも汗をかいていただきたい。戦後60
年の経過の中で、定着してしまった市民の「お任せ民主主義」
「悪い意味での個人主義」を何とか打破したい・・・そのことに
よってコミュニティーの再生を図りたい、これも市長就任の大き
な動機でした。
一方、地域を回っているうちに、行政の縦割り組織の欠点もい
ろいろ見えてきました。縦割り組織の良い部分もあるのですが、
もう少し違う発想、すなわち横軸を一本通した組織、総合的に行
えるフレキシブル(柔軟)な組織に出来ないものかと考えていま
した。
パートナーシップと横軸一本が一緒になって出てきたのが、
「都市内分権」の発想です。本年を都市内分権元年と位置付け、
地方分権が進むなかで、市の中でも分権を進めることによって、
コミュニティーの再生が進み、市民が自分たちの地域は自分たち
で決めるシステムをつくる・・・まだスタートしたばかりで、住
民自治協議会の設立もこれからですが、ぜひ実現したいと考えて
います。
(7)浅川治水を守る・・・5年間、田中前知事の攻勢をしのいで
きましたが、ようやく村井知事が誕生しましたので、希望が持て
る展開になってきました。これも私にとっては就任以来の大きな
仕事でした。安全安心のまちづくりは、首長にとって大切な仕事
であり、浅川治水は図らずもその象徴のようになってしまいまし
た。技術屋ではない私にとって、かなり厳しい仕事でしたが、専
門家の意見をお聞きしながら、そして長沼地区や関係地区の住民
の皆さんの話を聞きながら、きちんと問題を整理して発言してき
たつもりです。近いうちに良い方向が出そうだと感じていますが、
本来なら平成18年度末には完成するはずの治水計画です。どん
なスケジュールを作るかが焦点になりそうです。
以上、思いつくままに、5年目の区切りとしてこんなメルマガを
書かせていただきました。長くなりましたので、今回はこのくらい
にして、次回はまだ至らぬ点について書かせていただきます。
※ プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(Private
Finance Initiative)の略。民間の資金、経
営能力及び技術的能力を活用して公共施設等の設計、建設、維持
管理、運営等を行う手法のことで、平成11年に「民間資金等の
活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(PFI法)」
が成立し、国や各自治体で事業化に取り組んでいる。
2006年10月26日木曜日
中山間地域の再生に向けて
10月15日、長野市の北東部浅川地区の坂中地区にお伺いしま
した。
平成18年度「豊かなむらづくり優良集団表彰『関東農政局長
賞』」の受賞祝賀会でした。
坂中地区は、浅川の市街地から県道を北へ登っていくと、飯綱町
へ通じるトンネルがありますが、その手前を右に曲がってちょっと
上がったところにある山あいの30軒あまりの集落です。
この集落が、このたび農林水産省主催の「豊かなむらづくり優良
集団表彰」の「関東農政局長賞」を受賞したのです。農林水産省も
味なことをやるなと思いながら、訪問しました。本当はもう一つ上
の大臣賞を狙っていたらしいのですが・・・でも局長賞というのも
素晴らしいことです。何しろ長野県では唯一だということです(こ
の賞の最高は天皇賞まであるとのこと、挑戦はまだまだ続くのでし
ょう)。
地域のお話を聞く中で、なるほどと思いました。
平成12年度から、中山間地域等直接支払制度の協定締結を機に、
共同取組活動を通して、荒廃農地の利活用に着手し、その活動の中
で直売所の開設や、地元浅川小学校とジャガイモ、大豆栽培を通じ
た交流活動などを行ってきたことが、高く評価されての受賞とのこ
とでした。
予定では、直売所の盛況ぶりを見たいと出掛けたのですが、着い
たのがお昼過ぎでしたので、既に売り切れ、直売所は片付いていま
した。常連客がいて、かなり遠くからも来てくださるそうで、一週
間に一回の店開きらしいのですが、すぐ売り切れてしまうとのこと
です。商売をやったことのある立場からは、うらやましい状況にび
っくり、もっと商品を集めて、たくさん売れば良いのに・・・と思
いました。JA(農協)さんが集荷するには、小規模すぎるのだそ
うです。
今回の坂中地区一連の活動については、地域の皆さんが信頼を寄
せる代表の齊藤義信さんというリーダーがいたこと、中山間地域等
直接支払制度の交付金を農業に投資できたこと、そして、なにより
坂中地区のまとまり、チームワークの良さを発揮して、さまざまな
取り組みを実践してきたことが原動力となっていると感じました。
また、市としても放牧豚による遊休農地の解消、電気柵の支援な
どもさせていただきましたが、この放牧豚の取り組みは、そのアイ
デアと採算を考えた取り組みで、感心しました。齊藤代表がその道
の大家らしいのですが、一石三鳥ぐらいの効果を狙った事業と拝見
しました。
今後も地域が主体となってJA(農協)や県、市ほか関係機関と
の連帯を深め、中山間地域活性化のモデル的ケースとして、さらに
発展されることを願い、市としてもできるだけの応援をしていくつ
もりです。欲を言えば、今後は集落全体で営農体制を整え、集落営
農につながるよう期待しています。市では、これまで、各地区の遊
休農地活性化委員会を通じて、地元農業者グループなどが実施する
直売所の設置や遊休荒廃農地の復元などの事業を支援してきている
のですが、この集落ではそれを見事に生かしていると感じました。
マーケティングをもう少しやれば、きっと発展するのでは・・・と
思いました。
市としては遊休農地の解消、地産地消の推進、さらには地域コミ
ュニティーの醸成につながる活動を通して、地域の活性化が進むよ
う引き続き支援していこうと考えておりますが、まだまだ決定的な
支援策とはなっていません。来年4月に農業公社(仮称)を発足さ
せて、とにかく農業を活性化しようと努力しているのですが・・・。
日本中が困っているテーマ、なかなか決め手が見つかりません。
話は変わるのですが、今まで中山間地域問題、農業再生について
各地を訪問し、いろいろな経験をさせていただきました。農作業に
はあまり縁の無い生活をしてきた私にとっては、とても新鮮な経験
でした。前にも報告したことがあるかもしれませんが、感想を報告
させていただきます。
信更地区「遊休農地を活かす会」のそば収穫祭
平成16年11月に、信更地域の農業振興・地域活性化のため、
遊休農地の復元とそば栽培の活動を展開されてきた「遊休農地を活
かす会」のそば収穫祭にお伺いしました。
この会は、遊休農地の増加を憂慮した地元有志が自ら出資金を出
し合い、活かす会を立ち上げ、16年度、遊休農地の復元2.9ヘ
クタールを含む5ヘクタールでそば栽培を行った(18年度には、
さらに遊休農地を復元して約10ヘクタールでそば栽培を行った)
とお聞きしています。この収穫祭でいただいた「そばがき」が大変
おいしかったことを今でも覚えています。
この会の活動は、地域の活性化を地域の皆さんが自ら考え、動く
ことで切り開いて実践したという意味で、他の中山間地域のモデル
となるものです。今後も地域が主体となり、行政、関係機関との協
働のもと、中山間地域の活性化に向けた取り組みが各地域で展開し
ていくよう願っています。
芋井地区の影山地区を訪問
平成17年4月に、みどりの移動市長室で中山間地域等直接支払
制度を活用した農地を拝見させていただきました。
復元された水田は、約1ヘクタールが耕作放棄地となっていたと
いうことですが、それを感じさせないほど立派な水田となっており、
大変な努力と、また、地域を活性化させようという思いが感じられ
ました。
この他にも、300本のひまわりを植栽したり、ホタルのすむ環
境づくりのための水路を造ったりと、誰もが親しめるような場をつ
くっていらっしゃいました。機会があれば、こういった時期にも訪
れてみたいと思いました。
「ファーム更北」の小麦(ユメセイキ)収穫祭
平成17年9月に、本市の農業重点施策の1つである「地域奨励
作物支援事業」で奨励作物に指定している「小麦」の生産に取り組
まれてきたファーム更北にお伺いしました。遊休荒廃農地であった
ところを復元して3ヘクタールに小麦を作付けし、17年春に初め
て収穫ができ、収穫祭を迎えられたときのことです。
現在市内では、ファーム更北をはじめ、「そば」の生産組織が1
地区、「大豆」の生産組織が2地区に設立されるなど、徐々に生産
拡大に結び付いてきています。
ファーム更北の皆さんは、17年秋の麦の作付けも、昨年の2倍
の6ヘクタールに拡大を計画(18年秋の麦の作付けは、12ヘク
タールに拡大を計画)しているとお聞きしました。今後も遊休農地
の解消と、地域奨励作物の生産拡大、地産地消に向けた取り組みが
ますます拡大していくことを願っています。
七二会東部大豆生産組合の大豆収穫祭
平成18年1月には、七二会地区の農業振興・地域活性化のため、
遊休農地の復元を含めた大豆栽培の活動を展開されてきた「七二会
東部大豆生産組合」の大豆収穫祭にお伺いしました。
遊休農地の増加を憂慮した五十平・倉並・坪根区の地元有志が、
中山間地域等直接支払制度の協定更新に伴い、かつてこの地で盛ん
だった大豆生産を復活させようと「七二会東部大豆生産組合」を立
ち上げられました。設立1年目の17年度は、遊休農地の活用
1.7ヘクタールを含む6.4ヘクタールで大豆を栽培し、出荷さ
せたとのこと。その大豆から作った淡い青色の「豆腐」は、味覚だ
けでなく目も楽しませてくれたと印象に残っています。
地域の農業振興を地域の皆さんが自ら考え、実践したという意味
で、他の中山間地域のモデルでありました。今後の活躍を大いに期
待したいと思います。
私の友達
私の友達のなかに、素晴らしい、私にはとても真似のできないこ
とに取り組んでいる人もいます。彼は、JA(農協)関連の組織に
勤めて、定年で退職したのですが、「自分は長いこと農業の世界で
世話になった、恩返しがしたい」と仲間を募って、やめようとして
いるリンゴ畑を借りてリンゴ栽培に取り組んでいます。まだ持ち出
しばかり、苦労多くして実入りは無いようですが、でも一生懸命努
力して頑張っています。応援したい、そして彼の取り組みの中から、
行政としていかにしたら良いか、アイデアを聞きたい・・・そんな
思いで期待しています。
各地域を訪問してみて、遊休農地の解消や地産地消の推進などの
実績を上げている地域では、リーダーの存在が大きいと感じました。
その信頼できるリーダーが、地域の活性化には必要なのだと改めて
感じました。
中山間地域で生活する人たちは、厳しい条件の中で、頑張ってい
ます。後継者も多くは地元から離れてしまって、一人暮らしの高齢
者が多くなっているのが実情です。でもそういう地域が長野市域の
70%なのです。何とかしたい、市全体を考えるとき、周辺部が元
気になり、そこに生活基盤ができる・・・私の友人の中には「それ
は無理だ!」という人もいます、私の心の片隅にはそんな思いも無
いわけではありません。
でもそれでは困るのです。国土は荒れ、きれいな水、きれいな空
気、素晴らしい景色、癒やしの場・・・そんなものが失われていく、
農業だけでなく森林資源も駄目になっていくでしょう。本当の意味
での地産地消こそ地域を活性化する源なのかもしれません。
2006年10月19日木曜日
天高く、馬肥ゆる秋
政府の発表した10月の月例報告では、景気の基調判断を8カ月
連続して「回復している」との表現を据え置くとのことで、
2002年2月に始まった現在の景気拡大局面は4年9カ月に達し、
高度成長期の「いざなぎ景気(1965年から70年)」に並ぶこ
とになり、来月には戦後最長の拡大となることが、ほぼ確実な情勢
となったとのことです。
長野市とすれば、税収がまだ上がってこない状況から実感に乏し
い(社会全体で格差が拡大していることへの懸念もありますが)の
が正直なところですが・・・でもマクロ経済から一歩遅れて必ず良
くなってくると思いますので、嬉しいニュースととらえたいです。
小泉前首相の構造改革路線が、一定の成果を上げたと評価しても良
いのかもしれません。ただし、地方経済に波及してくるということ
が、前提ではありますが・・・。今回は、そんな長野地域の経済復
活を祈って、長野市の元気な姿を報告します。
(1)先月22日にトイーゴ、トイーゴパーキングがオープンした
ことは231号のメルマガで既に報告しました。
(2)10月1日、トイーゴ ウエスト3~4階に生涯学習センタ
ーがオープン、「野外彫刻ながのミュージアム33年の軌跡展」
が開催されました。先日トイーゴ広場に設置した作品も含め市内
には134点の野外彫刻があり、彫刻と出会うまちとしての軌跡
を感じとれる展覧会は大変好評のうちに15日に閉幕しました。
会場を訪れた作家からは、これだけの企画を長野だけではもった
いない、全国へ展開すべきというお話をいただきました。
(3)トイーゴの広場に、明治の初めから伝わる約130年前の屋
台がお目見えしました。高さ4.5メートルの総漆塗りでけやき
造り、天井には金箔が張られた鳳凰(ほうおう)や竜など鮮やか
な彫刻が施されています。この屋台で日本舞踊などが披露されま
した。この屋台や神輿(みこし)の再生には、専門職人だけでな
く学生やボランティアなどがプロジェクトチームを作り、IT技
術などを取り入れながら技術の取得と応援団の結成を図るという
ことです。
(4)7日、2006長野市農業フェアがエムウェーブ前の広場で
開催され、朝の雨にもかかわらず、大勢のお客さんでにぎわいま
した。今回は「安心・安全!!NAGANOの地産地消」をテー
マに、来場されたお客さんと生産者の皆さんが交流を図り、信頼
感を深めていただけたと思います。
(5)7日、若穂地区で、太郎山トレッキングコースの開設式が行
われました。太郎山は、若穂の皆さんにとっては、昔から心のよ
りどころといってもよい山だそうです。太郎山トレッキングコー
スは、七二会の陣場平、若槻の三登山に続く、3つ目のトレッキ
ングコースとして設定され、私の夢である長野市を一回りするこ
とができるコースの実現に、また一歩近づいたのではないかと思
います。
(6)8日、NAGANO飯綱高原健康マラソン大会でしたが、前
日からの風雨で残念ながら中止。前から行われていたのはもちろ
ん知っていましたが、伺ったことはありませんでした。一度見た
いと思っていたのですが・・・次の機会へのお楽しみでしょうか。
(7)7・8日、「松代藩真田十万石まつり」が開催されました。
恒例の真田十万石行列では、新たに、武田信玄をはじめ、山本勘
助、由布(ゆう)姫など来年のNHK大河ドラマ「風林火山」ゆか
りの人物が行列に加わり、総勢250名の武者行列がにぎやかに繰
り広げられました。アテネオリンピック女子柔道金メダリストの上
野雅恵さんと銀メダリストの横澤由貴さん、さらに、本市とカチュ
ーシャの歌「知音都市交流」をしている中野市・新潟県糸魚川市・
島根県浜田市金城町の皆さんも参加してくださいました。「風林火
山」の放映を控え、観光誘客に向けた格好のデモンストレーション
になったと思います。
(8)中心市街地の千才町通りの拡幅完成、相互交通が可能になり
ました。上千歳町、南千歳町の皆さん方も長年の懸案が実現して、
喜んでおられました。長野駅から、トイーゴ、権堂、さらには善
光寺方面への素晴らしい散策道路になると思います。
(9)トイーゴ ウエストの3階、生涯学習センターで、東日本で
ははじめてのお披露目という「青いバラ」の特別展示を見学し、
開発したサントリーの技術者の話を聞きました。過去800年の
品種改良の歴史の中で、多くの育種家が挑み続けたほど青い色は
難しいのだそうです。
(10)その後、トイーゴ1~2階の店舗を見て回り、中央通りへ
出て、善光寺表参道秋まつりを楽しみながら、善光寺の近くまで
町を歩きました。千曲市や飯田市の獅子も来てくださり、長野の
新田町の神輿や権堂町の獅子・屋台等も出て、大変にぎやかな祭
りでした。誰かが言っていました「中央通りにこんなに人出があ
ったのは、長野オリンピック以来だ」と・・・それはちょっと大
げさかもしれませんが、このにぎわいは本当に嬉しいことです。
(11)スポーツの秋もたけなわです。各地区の運動会ではスポー
ツを通じて親睦を深められており、大変素晴らしいことだと思い
ます。今年は9日に行われた豊野地区運動会にお伺いしました。
(12)11日、県調理師会主催の料理コンクールが開催されまし
た。地産地消を合言葉に、食の大切さを強調して、調理師さんた
ちが、中華料理、和食、フランス料理、すし、等々に腕をふるっ
ていました。
(13)ながの・コナモン・フェスティバルが11月5日まで開催
されています。そばやおやき、うどん、ラーメン、すいとん、お
好み焼き、餃子(ぎょうざ)、パスタなど主に小麦粉やそば粉と
いった「粉」を使った料理を総称して「コナモン」と呼ぶのだそ
うです。長野市周辺では古くから粉食が愛され、そばやおやきな
どの「コナモン」メニューが食文化の中心を担っています。そん
な長野のコナモン文化を楽しく盛り上げようと、長野駅から善光
寺までの中心市街地の飲食店・販売店が協力して、フェスティバ
ルを開催しているものです。参加124店のコナモンメニューで
のスタンプラリーや、携帯電話を使ったコナモンメニューの人気
投票も実施されるなど、コナモン文化を楽しめるイベントが行わ
れています。この「食文化」をテーマにした長野市中心市街地の
活性化を支援するキャンペーンに大いに期待しています。
(14)13日に豊野地区の北陸新幹線長野浅野高架橋工事の安全
祈願が行われ、長野市で初めての北陸新幹線の工事が着工しまし
た。長野以北の皆さんの期待と大きな夢をもたらすプロジェクト
が着々と進んでいます。ただ、長沼地区でないことは残念ですが
・・・長沼地区についても、県の浅川治水の整備計画がきちんと
示され、早期に着工できることを期待しています。
(15)14・15日、2006信州ふるさと自慢大集合が開催さ
れ、大勢の皆さんにお越しいただきました。この2006信州ふ
るさと自慢大集合は、開催から20年が経過し、市町村を中心と
した出展者の減少が続き、実行委員会において一定の役割を終え
たとの判断から今回で中止することになりました。今後も引き続
き地場産業の振興策を展開していきますが、これまでのご愛顧と
ご協力に感謝いたします。
まだまだ、私の所まで報告がきていないイベントがたくさんあり
そうです。いずれにしろ、長野市が元気だぞという動きが多くなっ
て、大変嬉しいことです。
2006年10月12日木曜日
第2回JOCスポーツと環境・地域セミナー
9月22日、県民文化会館で、JOC(日本オリンピック委員会)
と長野市の共催により、第2回「JOCスポーツと環境・地域セミ
ナー」が開催されました。
このセミナーは、長野冬季オリンピック競技大会開催当時から、
スポーツを行う上で環境への配慮が大変重要であるという認識が急
速に高まったことが契機となり、IOC(国際オリンピック委員会)
が中心になって、スポーツと環境問題について研究する、あるいは
スポーツ界から環境保全についてアピールしていこうという意図で
行われている国際的なセミナーです。長野オリンピックの時も開催
されましたし、2001年には長野市で第4回IOCスポーツと環
境世界会議が開催されました。その後、イタリアのトリノで開催さ
れた世界会議の折には、長野から塚田前市長さんが参加され、長野
オリンピックでの取り組みについて、演説されたこともありました。
今回の長野での開催は、その国内版ということで、JOCが第1
回を昨年大阪市、第2回を本年長野市で開催したものです。この二
つの都市は、JOCとパートナー都市協定を結んでいる都市である
ことから、選ばれたということです。
当日はJOCから竹田会長、水野環境委員長のほか、スキーノル
ディック複合競技の荻原兄弟(お兄さんは参議院議員です)、バレ
ーボールの大林素子さん等、有名なオリンピック選手の皆さんが出
席されました。また、県内外のスポーツ団体の方々も出席されて、
それぞれ現場で環境保全に取り組んでいること、苦労していること、
感じていることを語られました。以下、それぞれの方の発言の要約
を記します。
竹田JOC会長
「2001年長野市で「この星にスポーツを」というテーマで
「IOCスポーツと環境世界会議」を開催して以来、JOCはスポ
ーツ界の環境保全に積極的に取り組んでいます。その一環として毎
年地域セミナーを開催することになり、今年はJOCパートナー都
市第2号の長野市で開催することとなりました。
呼吸のための空気、泳ぐための水、観戦時に出るごみなど環境と
スポーツは密接な関係があります。各団体が環境保全に統率力を発
揮して欲しい。」
荻原健司・荻原次晴さんの基調講演
「現役時代、ヨーロッパアルプスで毎年練習をしていたが、行く
度にアルプスの氷河が少なくなっていくのを感じていた。地球温暖
化を考えると、千年後にスキー競技が存在しているか心配です。」
大林素子JOC環境アンバサダー
「現役時代は、練習の時、体育館に冷房をかけて、管理された温
度の中で練習をしていたが、最近では、経費の削減と環境の事を考
えて冷房はかけず、照明も最低の明るさとするなど、現場での変化
を感じる。選手のユニホームの再利用や応援品のリサイクルも年々
進んでいます。」
水野正人IOCスポーツと環境委員
「基調講演で荻原さんから地球温暖化による雪不足のお話があっ
たが、昨年は例年にない豪雪で、矛盾したお話のように思われる方
もおられると思う。しかし、昨年の豪雪も地球温暖化に関係してい
る。それは、北極付近にある寒気が、地球温暖化により暖められた
空気によって大量に大陸側に押し出された結果、豪雪となったもの。
今は危機的状況という認識が薄いかもしれませんが、今ならまだ
間に合います。誰かではなく、私たち一人一人の問題として次世代
への責任を果たす役目があるのです。」
各競技団体の環境保全への取り組みについても発表がありました。
丸山仁也 国際スキー連盟技術代表
長野オリンピック時の滑降競技における環境への配慮について話
されました。
黒岩敏幸 日本スケート連盟スピードスケート強化スタッフ
「私も現役時代、浅間温泉スケート場での大会で気温が下がらず、
大会の当日に会場をエムウェーブに変更して、選手・役員みんなで
移動したという経験をした。我々、一人一人が、生活して快適な環
境、スポーツができる環境を守っていかなければならない。」
百瀬公基 日本近代5種・バイアスロン連合理事
「バイアスロン競技においては、発射される弾の鉛が大きな問題
となっている。競技会場地に鉛を残さないため、弾の回収に取り組
んでいる。」
中村慎 日本アイスホッケー連盟理事
「競技運営の中でエネルギー対策、資源対策として、両面コピー
の徹底、事務連絡はメールで行う等の取り組みを行っている。実際
に推進していくためには、成果や目標が明確になるようにデータを
取ることが大事である。また、成長の早いジュニア選手用に、小さ
くなってしまった靴をリユースする等の取り組みを行っている。」
そして、私からはセミナーの冒頭で、遠路長野にお出でいただき、
セミナーを盛り上げていただいた方々に感謝した後、次のような話
をさせていただきました。
「自然との共存、平和と友好」を基本理念とした長野オリンピッ
クの開催から本年で8年がたちます。「愛と参加の長野オリンピッ
ク」の実現を目指し、「子どもたちの参加促進」「美しく豊かな自
然との共存」「平和と友好の祭典の実現」と3つのテーマがありま
したが、この中で「自然との共存」は長野オリンピックの大きな目
標であり、課題でした。
雪と氷の上を競技の舞台とする冬季競技は、多かれ少なかれ自然
への影響は避けられないものですが、この影響を最小限にとどめる
ことが「美しく豊かな自然との共存」の前提です。ボブスレー・リ
ュージュ競技会場「スパイラル」では、自然の地形をできるだけ変
えないようにするため、世界で初めて上り勾配のあるレイアウトを
採用しました。また、コースの冷却には地球環境を破壊するフロン
ガスの採用を避け、世界で初めてアンモニア間接冷却方式を採用し
ました。また、オリンピック村やメーンプレスセンターなどの食堂
では「りんごの食器」が使われ、使用後は固形燃料や段ボール、た
い肥に利用するといった試みも行われました。このような環境に配
慮したスポーツ大会の運営という経験は、昨年の3月に開催された
スペシャルオリンピックス長野大会においても引き継がれ、選手団
ホテルの食器や大会運営要員の弁当容器には、リサイクル可能な素
材のトレーが、大会中の全ての食事に使用されました。
21世紀は「地球環境時代」と言われています。スポーツだけで
はなく、私たち人間の日常生活は、資源やエネルギーを大量に消費
し、廃棄物を大量に発生させるなど、環境に大きな影響を与えてい
ます。
人類が「持続可能な発展」を遂げていくためには、環境に配慮し、
従来の意識とライフスタイル、そして社会のシステムをも変えてい
かなければなりません。
長野市では、2004年2月に「長野市地域省エネルギービジョ
ン」を策定し、2010年のエネルギー消費量を各部門で1990
年レベルに戻す事を目標に、市民・事業者・市のそれぞれにおいて、
省エネルギーへの取り組みが行われています。
本年度、長野市では、省エネルギービジョンの重点施策のひとつ
である「ESCO(エスコ)事業」を、長野オリンピックのアイス
ホッケー競技会場「アクアウイング」のある「長野運動公園総合運
動場」に導入しました。
ESCO事業は、民間のノウハウや資金を活用し、省エネルギー
化を実現しようとする取り組みであり、長野運動公園総合運動場の
場合は、これまでに比べ、年間の消費エネルギーは約2割、二酸化
炭素の排出量は約3割、光熱水費も年間3千万円余り削減されるこ
とが見込まれています。
今後、体育施設など公共施設への導入を順次拡大していきますが、
これらの体育施設をご利用いただくスポーツ関係者の皆さまに、省
エネルギーと環境に配慮したスポーツ活動を実践いただくことで、
その効果も倍増するものと思います。ぜひ、ご協力をお願いします。
2006年10月5日木曜日
二度目の石家庄市訪問
9月市議会定例会が9月21日に終了後、22日は待ちに待った
トイーゴのしゅん工を祝って、同じ日、JOC(日本オリンピック
委員会)と長野市の共催で開催した、スポーツと環境・地域セミナ
ーに参加して、9月24日(日)には成田空港から中国へ慌ただし
く出発しました。
本年は、石家庄市との友好都市を締結してから25周年という節
目の年ということで、市議会議員、長野市日中友好協会関係者、公
募でご参加いただいた市民の皆さん、市職員等、総勢31人の市民
訪中団を結成し、訪問したものです。私にとっては、一昨年に続い
て二度目の訪問でした。
さらに現地では、敦煌等を回って、石家庄市へ来られた長野県東
洋医学研究会の方々も合流され、25周年記念式典では、50人を
超す大勢の方が参加してくださり、式典を大いに盛り上げていただ
きました。
2年前の訪中と比べて、街並みは、随分良くなりましたが、朝夕
のラッシュは相変わらずでした。北京から石家庄市へ移動するには
高速道路を走って約4時間ですが、北京の街を数キロメートル抜け
るのに、1時間近くかかってしまう・・・自転車はかなり減って
(でもまだ多いですが)その分、車が増えたのでしょうが、道路整
備が追いつかないのでしょう。空港からホテルまで行くのに、信号
はホテルの近くの一つだけ、ほとんど立体交差だったのですが、時
間はかかるというのが印象で、車が多すぎて、道路の合流点(ジャ
ンクション)で、詰まってしまうようでした。
北京から石家庄市へ移動中、休憩所(パーキングエリア)があり
ますが、前回の時は汚くて、トイレに入るのもためらったのですが、
今回は日本並みとはいきませんが、小奇麗で売店なども整備され、
特産品などを売っていました。前回の訪中と比べ大きな変化がここ
でも感じ取れました。
高速道路を降り石家庄市に入るとすぐに、パトカーが我々のバス
を先導してくれること(石家庄市に滞在中ずっとパトカーが先導し
てくれました)、ホテルに到着時、あるいは視察先の学校、病院、
芸術院等では常に熱烈歓迎をしてくださることは、前回同様で嬉し
いのですが、かえって恐縮してしまう面もあります。もっと自然で
も良いのではないかと感じるのですが・・・。それと、長い国営企
業時代の名残でしょうか、丁寧にはなっていますが、細かい点では、
お客の目線に立ってのサービスという面で、まだこれからと思いま
すし、中国人組織での上下関係では、いろんな疑問を感じました。
2年前の訪問時の市長は臧勝業(ぞう しょうぎょう)氏でした
が、今回は呉顕国(ご けんこく)氏でした。呉市長は市共産党委
員書記も兼ねており、若く才気溢れる方という印象を持ちました。
残念ながら、我々の訪問時、共産党の大きな大会が石家庄市で行わ
れているとのことで、呉市長はそちらの会合、準備等で忙しく、お
会いしたのは表敬訪問の1回だけでしたが、心から歓迎していただ
き、朱(しゅ)副市長に後の対応を託していただきました(共産党
大会は大きな大会だったようで、翌日の新聞一面に大きく報道され
ていました。もちろん呉市長の写真が大きく載っていました)。
25周年の記念事業としては、石家庄市テレビ塔の1階で日中少
年児童絵画展が開かれました。中国の少年の絵や書は見事でしたが、
長野市の小学生の絵画も素晴らしいものでした。一緒に行った市民
団の皆さんも、それぞれの地元の学校の名前を見つけて喜んでおら
れました。
記念式典は、石家庄市の芸術院で行われ、朱副市長と私のあいさ
つの後、芸術院の生徒さんたちの素晴らしい踊りと歌が演じられ、
訪中団の皆さんは大変楽しんでおられました。私のあいさつは、こ
の25年間、さまざまなレベルで交流が行われ、62団737名の
市民が石家庄市を訪れたこと、毎年訪問させていただいている中学
生たちが中国の歴史・文化の偉大さに触れて感激していること、石
家庄市の中学生の学習に対する真剣さ、集中力に驚きと感銘を受
け、帰国後その感動を多くの生徒、市民に伝えていることを話しま
した。
また、石家庄市から農業・経済・教育等の視察団の訪問、そして
研修生も訪れていただき、帰国後さまざまな分野で優れた指導者と
して活躍していることが嬉しいと思っていること、両市の友好関係
は太い絆で結ばれており、幾世紀も絶えることなく受け継がれてい
くものと確信していると話しました。
今回の訪問で初めて開発区を視察させていただきました。開発区
という名前から想像していたのは、企業団地であろうと思っていた
のですが、ちょっと違いました。一つの行政区なのです。すなわち
企業集団のことだけやっているのではなく、ひとつの行政区として、
市の指導のもとで、住宅や道路、福祉や教育まで行っている行政区
なのです。国のシステムが異なりますから一概に比較はできないと
は思いますが、長野市が取り組んでいる都市内分権の究極の姿かも
しれません。広大で平坦な土地があるからできることでしょうが・
・・なかなか見事な工場群でした。インフラの整備もかなり進んで
いると拝見しました。
石家庄市では、趙州橋(ちょうしゅうきょう)、柏林寺(はくり
んじ)、大仏寺、植物園、石家庄市第一中学校、石家庄市第一病院
を視察し、また市人民代表大会の王(おう)主任、石家庄市外事弁
公室の楊(よう)主任の招待会等もあって、カンペイ!カンペイ!
の連続で、かなり酔ったことは事実です。
公式行事が終わって、北京に移動し、天安門広場や万里の長城を
訪れたほか、建設中の2008年北京オリンピック会場を目にする
ことができました。中国最後の夜はレストランでお別れパーティー
を行いましたが、皆さん気持ちよくアルコール度数50度の酒を酌
み交わし、食べて話して、楽しい一夜を過ごしました。ただどこへ
行くにも時間がかかりすぎて・・・レストランからホテルへ戻るわ
ずかな距離に、一時間半近くかかる、どうも不合理というのが皆さ
んの感想でした。
「政低経高」といわれる現在の中国と日本の関係ですが、今回の
訪中ではそんな雰囲気は全く感じませんでした。外交に関すること
に地方自治体としては嘴(くちばし)を入れるつもりはありません。
民間外交に徹し、両国の人民レベルの交流を増やし、友好親善に努
めることが、我々の責務と改めて思いました。
思えば25年前、故柳原市長さんが蒔(ま)いた中国石家庄市と
の友好提携の芽が、絶えることなく続いてきたこと、そして私もそ
の伝統を次の世代に引き継ぐことができたことを、嬉しく思ってい
ます。
2006年9月28日木曜日
トイーゴ(TOiGO)がオープンしました
9月22日(金)、待ちに待ったという表現がピッタリだと思う
のですが、長野市の中心市街地最大の再開発事業トイーゴが、完成
オープンしました。長野銀座A-1地区の市街地再開発事業として、
トイーゴ ウエスト(銀座棟)とトイーゴ SBC(SBC棟)、
また、昭和通りを挟んだ向かい側の長野銀座D-1地区の市街地再
開発事業としてトイーゴ・パーキングが、ほぼ時期を同じくしての
オープンです。
トイーゴ ウエストの1~2階は商店街、3~4階は長野市生涯
学習センター
トイーゴ SBCの1~2階は商店街、3階以上はSBC(信越
放送)本社およびスタジオ
トイーゴ・パーキングの1階はスポーツクラブ、カラオケなどの
アミューズメント・スペースとビジネスコンビニエンスストア、
2~7階と屋上は430台のパーキング・スペース(駐車場)
これで、新田町交差点(中央通りと昭和通りの交差点)南西の角
にある「もんぜんぷら座」や周辺の商店街も元気が出て、きっと新
しい街の顔になってくれると思っています。
皆さん気が付いてくださったでしょうか?新田町交差点の横断歩
道が市役所方面に約20m伸びていることです。街の一体感、特に
トイーゴとトイーゴ・パーキングとの一体感を出すために、警察に
お願いしたところ、中心市街地の活性化のため、全国的にも珍しい
幅の広い横断歩道を実現していただきました。また、この場所は国
道19号ですから国道事務所にもお願いし、ご支援をしていただき
ました。感謝します。
欲を言いますと、善光寺方面、長野駅方面も・・・と思っていま
すが、無理でしょうかネ!
交差点の北東にできたトイーゴ広場に、速水史朗氏の野外彫刻を
配しました。そして再開発組合としては大型スクリーンを設置(ス
クリーンの発注を受けた会社の社長さんの話を聞きますと、新しい
工夫をして、価格を抑えて精密な画面を提供できたと自負しておら
れました)、街のにぎわいにきっと資するはずですし、トイーゴ・
パーキングの北東の角にも広場を作ることができました。市民の皆
さんが憩う場として、きっと気に入っていただけると思います。い
ずれここにも素晴らしい野外彫刻を設置したいですネ。
県庁と市役所を結ぶ昭和通り、善光寺と長野駅を結ぶ中央通り、
その二つが交差する地点は、長野市の大切な場所ということは、か
ねてから主張してきたことです。オリンピックから8年以上かかっ
て、ようやく再生の兆しが見えてきました・・・ここを起爆剤にし
て、にぎわいが広がっていくと思うと本当に感無量です。
そして、善光寺表参道の活気も長野市の象徴です。大門町に古い
土蔵を生かした「ぱてぃお大門」がオープンしています。セントラ
ルスクゥエアも、時間制の駐車場として常時満車状態ですから、そ
れだけ中心市街地に人が集まり始めたということでしょう。
SBCさんにも、単なる本社ビルを造ることをお願いしただけで
はありません。東京のお台場とまではいかなくとも、TV局の機能
を最大限生かして街のにぎわいを演出していただきたいと思ってい
ます。
そして、このA-1地区再開発に命をかけて頑張ってくれた銀座
商店街の故太田秀夫さんに感謝したいと思います。過去になんども
崩れかけた再開発のスキーム(計画)を立て直し、必死になって周
囲を説得し、SBCの進出が決定してからも、自ら再開発組合の副
理事長として、計画実現に向けて利害調整や説得に、必死になって
頑張っておられました。この再開発事業は太田さん抜きには考えら
れなかった・・・と私は思っています。そして工事が始まって、完
成することが確実になったとき、突然、不帰の人になってしまわれ
ました。あと数カ月・・・完成したトイーゴを一目見せてあげたか
った、私は心からそう思っています。ご冥福をお祈りします。
このようにさまざまな思いを持ちながら、トイーゴグランドオー
プンのセレモニーの席上、私が皆さんに申し上げましたあいさつを
全文掲載させていただきます。
「トイーゴのグランドオープンにあたり、一言ごあいさつを申し
上げます。
かねてより整備を進めてまいりました「長野銀座A-1地区」と
「長野銀座D-1地区」の市街地再開発事業が完成し、「トイーゴ」
および「トイーゴ・パーキング」として、グランドオープンを迎え
る事ができましたことは、関係の皆様はもとより、長野市民にとっ
ても大変喜ばしい事であり、心よりお祝い申し上げます。
これもひとえに国土交通省および長野県のご指導ならびに関係機
関の皆様のご理解、ご協力のたまものと深く感謝申し上げます。
この新田町交差点を中心とした長野中央地域は、昭和30年代か
ら50年代ごろまでは、長野市商業の中心としてにぎわってまいり
ました。しかし、モータリゼーション(自動車の大衆化)の進展と
郊外への沿道型大型店の進出や、居住人口の流出が進んだことなど
により、その求心力が低下し、活力が失われてしまいました。
そのような中、地元の方々から、県都の中心地区にふさわしいま
ちづくりを進めようという機運が高まり、昭和60年度に長野銀座
地区の再開発基本計画を地域の方々と協働して長野市が策定し、ま
ちの再生に向け、その第一歩を踏み出しました。
しかし、その後のバブルの崩壊、長引く経済活動の低迷などによ
り、なかなか前に進まずにいましたが、平成9年に関係の方々の熱
意により、事業化の合意形成が調い「長野銀座A-1地区」の都市
計画決定を行い、市街地再開発事業が動き始めました。
しかしながら、事業計画を煮詰めている時に、「長野そごう」の
倒産、「ダイエー長野店」の撤退があり、周辺地域の商業環境が激
変するなどして、根本から再開発事業計画の見直しが必要となった
ため、再度、事業が停滞してしまいました。そのような中、平成
14年になり、信越放送様が「そごう」跡地への本社の移転を表明
され、「長野銀座A-1地区」と一体となって再開発事業を進める
こととなり、再開発準備組合を改組して、現在の計画により中心市
街地活性化に向け、新たに出発いたしました。
その後、平成18年10月の地上波デジタル放送開始を目指し、
平成15年に都市計画決定の変更を行い、16年4月から「旧長野
そごう」の解体工事に着手し、17年1月には建設工事を開始し、
1年8カ月余りの工事期間を経て本日のグランドオープンを迎えた
わけでございます。
また、「長野銀座D-1地区」につきましては、「トイーゴ」や
「もんぜんぷら座」の附置義務機能も備えた、中心市街地の基幹的
駐車場として整備するため、関係権利者の方々を中心として、再開
発事業を施行する「長野D-1再開発株式会社」を平成16年に設
立し、事業を進めていただきました。
この間、地区内の方々の意向をとりまとめ、平成17年9月には
工事着工し、この9月1日に駐車場がオープンするなど、関係の皆
様のご努力により短期間で事業を完成させていただきました。
本日を迎えるまでには、銀座地区の基本計画策定から20年もの
年月が経過する本当に長い道のりであり、関係の皆様方には筆舌に
尽くしがたいご苦労と苦難の日々がおありだったことと推察いたし
ます。
思い起こせば、最初の立ち上げからこの事業に携わり、商業地権
者のリーダーとして不屈の精神力と卓越した指導力で数々の難題を
乗り越え、この事業に情熱と全精力を傾け、完成を目前にして無念
にも本年1月に急逝された、故太田秀夫様には、晴れがましいこの
席で、共に喜びを分かち合えなかったことは、誠に残念ではござい
ますが、太田様の傾けた情熱が見事に結実し、本日を迎えることが
できました。
また、再開発組合の塩澤理事長様をはじめとして地権者の方々、
信越放送様など数多くの皆様方の、本日に至るまでの並々ならぬご
努力とご協力に対し、深く敬意を表すとともに心から感謝を申し上
げます。
このトイーゴは、商業施設、放送局、長野市生涯学習センターや
広場が一体となっており、それぞれの機能が連携し、様々な目的を
持ったお年寄りからお子さんまで、男性・女性を問わずどなたにも
親しんでいただける施設であります。また、トイーゴ・パーキング
は駐車場としてだけではなく、1階の商業施設も併せてご利用いた
だけるように構成していただきました。
トイーゴ、トイーゴ・パーキングを大勢の市民の皆様にご利用い
ただき、もんぜんぷら座とも相まって、中心市街地のにぎわいの復
活が図られるものと期待しております。
一つの事業の完了は、新しいまちづくりのスタートであります。
トイーゴとトイーゴ・パーキングが、中心市街地のにぎわい再生の
シンボルとして、多くの市民の皆様に末永く愛されるとともに、有
効に活用されますことを心からご祈念申し上げましてごあいさつと
いたします。
本日はおめでとうございました。」
2006年9月21日木曜日
村井新県政への提言
9月14日、私は村井知事にお会いして、長野市の立場でいろい
ろ提言させていただきました。本来は、県市長会を通すべきか、あ
るいは村井知事が提言しておられる「ボイス81」が出来るまで待
つべきか、若干迷ったのですが、長野市独自のテーマや、急を要す
る問題もありますので、時間をとっていただきました。
新知事誕生後、長野市の庁内政策会議で提言すべきことを検討し、
20項目にまとめたものです。知事に提言させていただいた主な要
点を書かせていただきます。
提言1 県と長野市との調整事項(緊急を要する課題)
(1)浅川治水対策と北陸新幹線用地買収問題の解決(確認書問題)
国、県、市の技術者レベルの論議と技術的検証が重要と考えてい
ます。政治家の好みの問題ではないし、市民の意見も出尽くしてい
ると思います。
(2)長野以北並行在来線問題
(1)とも絡む問題ですが、これも長野以北の新幹線建設に当た
って、県が沿線市町村と交わした約束があります。いずれにしても、
並行在来線の経営のめどを付けることが重要で、それにはJR東日
本と話し合った上で、実現の可能性を検討し、新潟県との話し合い、
さらには篠ノ井―長野間の問題を解決することが肝要だと思います。
(3)県立高校再編問題
地域ごとに賛成を得られたところは、新年度スタートで良いと思
いますが、反対の多いところは、急ぐ必要はないのではないでしょ
うか?長野市とすれば、長野南高校については人口増加地帯であり、
県教委の説明も十分でない状況では、統合される理由が分からない
し、納得できません(この件は9月15日の県議会で当面の解決
をみましたが、まだまだ安心はできません)。
提言2 県政運営の基本方針にかかわること
(1)廃棄物対策(一般廃棄物、産業廃棄物)について県の姿勢の
変更
一般廃棄物処理については、廃棄物処理法で市町村の責任で行う
事業であって、県はそれについて技術的援助をすると決められてい
ます。法の権限を越える介入をやめて、市町村から要請があった場
合のみ、その問題について援助する、あるいは一緒に解決するとい
う姿勢を堅持すべきだと思います。県知事との事前協議を義務付け
る必要はないはずです。
産業廃棄物等最終処分場の設置について、県は廃棄物処理事業団
を設置し事業を推進してきましたが、公的関与を見直し建設中止と
しています。県はもっと積極的に推進すべきであると考えます。
(2)市町村合併について県の姿勢の変更
合併については、県が指導力を発揮し、促進すべきです。国が定
めた指針にのっとり、新合併特例法に基づいた合併構想をつくるべ
きです。また、県が約束した合併特例交付金の交付を保障し、合併
特例債の使用勝手も良くして、市町村のインフラ整備に協力してい
ただきたいと思います。
(3)県の審議会、検討委員会の委員について
委員の主力は長野県内から選ぶべきではないでしょうか。まして
や大部分が東京在住ということで、東京で委員会を開くということ
は好ましい話ではないし、コストが掛かりすぎると思います。
また、長野オリンピックは素晴らしい大会であり、有形無形の財
産を残しました。これまでマイナスイメージを持たせる行動ばかり
目立っていて県民益に反します。むしろ開催地として良いイメージ
を有効活用するよう考えるべきです。
(4)県と市町村の間の対話復活
県と市町村の担当課同士が事務的に話し合うことが大切ですし、
広域連合単位ぐらいで知事と市町村長がざっくばらんに意見交換を
する会合を開くことも有意義だと思います。
車座集会は、県は国と市町村の中間組織であることを考えると、
必ずしも適当ではないと思いますし、市町村が加わっていないこと
も問題があると思います。しかし、直接民主主義の流れからすると、
県施策の説明、あるいは反対意見を聞くことは大切だとは思います
が、反対者の意見を聞くことは、実際にはなかなか難しいと思いま
す。
(5)安全・安心の県土づくり
安全重視の県土づくりをお願いします。基本的には、長野県の特
殊性に鑑み、土木事業(道路を含む)の充実を考えるべきと思いま
す。
(6)企業誘致施策の充実
平成13年に比べると、県では事業所数や雇用が減っています。
企業を育てるには時間が掛かることから、雇用を増やしていくため
には当面は企業誘致だと思います。長野県は人件費が高いといった
問題もありますが、県に企業立地のための制度が少ないとか、対象
業種や対象地域が限定されているといったこともあるので、県にも
ぜひ企業誘致施策の充実を図っていただきたいと思います。
提言3 県政への事業提案(すぐにできることではないかもしれま
せんが、検討していただきたい事項)
(1)市町村の広域連合と県の現地機関等の統合
実現できたら県と市町村の協力体制の象徴になりますし、地域住
民に直結する行政サービスを一元的に提供する組織体制の構築・行
政組織の簡素化等が実現できるのではないでしょうか。
県の現地機関事務等の抜本的な見直しを行い、県から移譲できる
権限、市町村から移譲できる権限を検討し、広域連合等に権限・財
源を移譲して組織体制を整備したらどうでしょうか?法律的にでき
ないこともあるとは思いますが、少なくとも広域連合に県が参加す
ることは法的に可能なはずです。そのために、県と広域市町村の間
で話し合う場(協議会)をもつことを提言します。
ただし、この提案は長野広域連合内での検討はしていません。現
段階ではあくまで長野市の意見です。
(2)県立短期大学の4年制移行
長野市にある県立短大は長い歴史があります。そして過去、卒業
生を中心に、ぜひ4年制へ移行したいという願望が強く出されてい
ました。現在、短大は専門学校に押されてあまり元気がないとも言
われています。そして長野市とすれば、“大学を”ということは故
夏目市長の頃からの悲願であり、そのための準備基金として僅かで
すが、積み立てをしてきております。財政が厳しい時期ではありま
すが、地方独立行政法人としてやるなら可能性があるのではないで
しょうか。長野のレベルアップのために、長野の若年人口を増やす
ためにも、ぜひお願いしたい、長野市としても協力させていただき
ます。
(3)公共交通機関の再生
高齢社会になって、移動の手段を確保することは、大切です。し
かし市町村がそれぞれで取り組むことには限界があります。市町村
の垣根を越えていくためには、県の取り組みがぜひ必要です。
提言4 その他諸課題について
長くなりましたので、あとは項目のみ並べさせていただきます。
30人規模学級の協力金について、コモンズ支援金について、広域
消防のあり方について、看護師養成学校について、長野県勤労者福
祉センターについて、長野養護学校について、県道改良・県営中山
間地域総合整備事業の進ちょくについて、長野県青少年保護育成条
例(仮称)の制定についてで、全部で20項目になります。
以上、村井知事に申し上げたことの概略です。提言したいことは
まだたくさんあるのですが、長野市独自の陳情と思われるものは極
力はずし、県全体を考えた提言にさせていただきました。もちろん
財政厳しき時代ですから、いくら村井知事でもすぐできるとは思っ
ていませんが、長野市も一緒になって、民間活力を利用しながらい
ろいろ工夫すれば、不可能ではないと考えています。一日も早く、
県組織がフル回転をしていただくことを期待して、記念写真を撮ら
せていただいて退出しました。
新県政への提言要旨をPDF形式で掲載しています。
http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/hisyo/teigen.pdf
2006年9月14日木曜日
9.11から5年目
アメリカ合衆国で、前代未聞の航空機によるテロが起きてから、
もう5年になります。
5年前のその日、私は9月の初めに市長選立候補の意思表示をさ
せていただいて、選挙の準備を始めたばかり、この日も、朝から晩
まで関係者との打ち合わせや、自分の政策づくりで飛び歩いて、夜
遅くなって帰宅、妻と二人でテレビを見ながら食事をしている最中
でした(日本時間は、午後9時46分だったそうです)。
突然、ニューヨーク世界貿易センタービル・ツインタワーから煙
が出ている映像が出て、何かと思っているうちに、もう一機の飛行
機が現れて、ビルの陰に入ったと思ったら、そこからも煙が上がり
ました。何が起きたのか、正直に言ってよく分からなかったのです
が、異常なことが起きたことだけは、直感的に分かりました。
あれがテロだったということがどの時点で分かったのかは、記憶
にないのですが(この時点では多くのメディアが航空機事故として
報じていました)、いずれにしろ、大変なことが起こった、市長選
なんて吹っ飛んでしまうのではないか・・・そんな思いに駆られた
ことを今、思い出しています。
あれだけの大事件にもかかわらず、市長選は平常通りに行われ、
その時点では、市民生活に特段の変化はなかったという記憶があり
ます。選挙の結果にも影響はなかったのではないかと思いますが、
でも一生忘れられない強烈な印象になっています。そして4年たっ
た昨年は、あの事件の影響が何事もないかのように、私にとっての
二度目の選挙も済んでしまいました。
しかし、そのことが世界中、また日本社会に与えた影響は、徐々
にではありますが、本当に大きなものがあったと感じています。
世界の紛争を対岸の火事として見ているわけにはいかない。世界
の平和に貢献するためには、単にお金を出すだけでは駄目、人的支
援を含めて具体的な行動が求められるということで、結局特別法
(注)が作られて自衛隊がイラクへ・・・。
日米安保の同盟国論、憲法改正、集団的自衛権など、少し前なら
ちょっとしゃべっただけで大臣を辞職するような事例がありました
が、世論においても現実性を持って語られる時代になり、テロや弾
道ミサイル等の新たな脅威や緊急事態に対する有事法制の一つとし
て国民保護法が整備され、長野市もそれに伴って条例を整備し、国
民保護計画を策定する状況になっています。韓国・中国・ロシアと
の領土問題や資源問題についても現状ではなかなか交渉にならない、
ある程度の実行力が必要という議論がまことしやかにされています。
国において不断の外交努力を行っていくことは言うまでもないこ
とでありますが、長野市という地方自治体がこういう流れにどう対
処すべきか・・・難しい立場に置かれていると思います。戦争は絶
対にいやです、そんな当たり前のことを言っても何の解決にもなり
ません。こう言ってはなんですが、地方自治体にとっては、切実感
が、あるいは自分のこととしてとらえる感性を持つことが難しいの
です。
国の外交や国家の安全・防衛に関することについて、地方自治体
が自由な意見を主張することは、国論の統一には邪魔になるばかり
と私は思っています。それではいけないと言う方々もいますが、国
の専権事項にどこまで意見を言うことができるのか、また意見は決
して同一にはならないのですから、かえって混乱を引き起こすだけ
だと思っています。
北朝鮮の拉致問題についても、北信越の市長会では、北陸4県は
直接的な拉致被害者が身近にいたこともあり、政府に対して拉致問
題を早期解決するよう意見を採択しました。でも、県内の市にとっ
ては切実感に差があるかもしれないとも感じましたが・・・。
9・11以後、アフガニスタン戦争、イラク戦争、アルカイーダ、
ヒズボラ・・・イギリスでのテロ事件・・・街にあふれるカメラに
よる監視社会・・・最近ではレバノンをめぐるイスラエルとパレス
チナ(PLOが選挙で敗れてハマスが政権掌握、混乱が続いている
ようです)の関係・・・たった5年間ですが、随分いろいろな事件、
紛争が起きています。根本に横たわる問題は、キリスト教とイスラ
ム教の対立と言う方もいますが、世界の動き、特に中東の動きはマ
スコミの報道で知るだけで、分かりません。
9月11日前後の新聞には5年目という節目のせいでしょう。い
ろいろな解説記事が載っていますが、ではどうすればよいかという
ことは、書かれていないように思います。
しかしながら、現実の社会は確実に変わっています。アメリカの
空港での検査の厳しさは私たちが直接感じることですが・・・日本
は入国審査が厳しいから大丈夫なんて言っていられないのではない
か、国内にもそんなことをもくろんでいる人間がいるのではないか、
テロ事件の報道がこれだけ多くなると、日本でも「もしかすると」
と考えざるを得ない状況が生まれていると思うのです。日本人は平
和ボケで、何か起こるまで対応が出来ない民族だといわれています。
起こってから慌てることがないように・・・でも何を?どうするの
か?長野市でも国民保護法に基づく長野市国民保護計画を策定中で
ありますが・・・でも私も含め切実感は薄いのでは、もっと危機意
識を持つべきとは感じていますが。
ただ、地方自治体の危機管理ということでは、震災対策、風水害
対策、火災予防、防犯、そして学校の安全や子供の通学路の安全、
冬の雪害対策、最近では熊やサル、イノシシ・・・さらには環境保
全、水道水の安定確保、そして、感染症対策など、市民の皆さんの
生活により身近なことを、何よりもまず考えなければいけないのが
実情です。
(注)イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実
施に関する特別措置法
2006年9月7日木曜日
立つ鳥跡を濁さず
9月1日、村井新知事が初登庁されました。村井知事は決して地
位に固執され時間を空費される方ではない、自分の利益を考えない、
無私の心で、きちんとした政治を必ずやってくださると私は信じて
います。長野県の再建に力を発揮していただき、さらに本当の意味
での改革を進めていただきたい、大いに期待しています。
前日の8月31日、田中氏の知事最後の日・・・ガラス張り知事
室を見たいということで、大勢の方が県庁を訪れたとのことです。
ここは、田中前知事の象徴のような場所で全国的にも有名になった
ところです。
それはいいのですが、田中前知事がやり残していったことで、私
にはどうにも理解できない、皆さんも首を傾げるのでは、と思える
ことがあります。
一つは、任期最終日に、職員に昇任の辞令を渡したことです。こ
れは何のためにやったのでしょうか?やるならなぜもっと早くやら
なかったか?最終日にやることは法的には、この日まで任命権者は
知事ですから、可能なのだそうですが、ご自身で責任をもてない人
事行為には疑問を持たざるを得ないのです。
辞令をもらった職員も苦しんだのではないでしょうか。そのよう
な思いをさせる人事行為は、組織としてはマイナスにしかならない
し、もらった職員のためにならないと思うのですが・・・。
もう一つは、県が法的に設置しなくてはならない審議会、委員会
の委員に、自身の後援会役員や親交のある方を任命してしまったこ
とです。今までの委員は多分任期がきていたのでしょうが、いった
ん任命されれば任期があるわけですから、村井知事が自分の責任で
委員を選ぶことができなくなる。こんな審議会を作りたい・・・と
思っても多分難しくなるでしょうね。これも法的にはできるのだそ
うですが、しかし村井知事が自分の施策を行うために置く委員会や
審議会について、足かせとなるような行為はいかがなものか、もっ
と配慮があってもよかったのではないでしょうか。
豊富ですよね、この言葉を知らないはずは無いと思います。次に就
任される方がやりやすいように、それが無理ならば影響が出ないよ
うに、配慮することが当たり前と私は常識的に思っていましたが、
まったくの期待外れでした。
願わくば、委員の方々がいったん辞任され、村井知事としても委
員として適任だと思われる方に、再度任命をできるような方法論が
あればよいと思うのですが、どうでしょうか。それとも新知事が前
知事の行った行為を取り消すことができるならば、簡単なのですが
・・・。
村井新知事の前途は洋々です。多くの方の支持を受けたのですか
ら、自由に発想して県政に携わっていただきたい。前任者が、後任
者にそれなりの敬意を表すなら、後任者もそれなりに前任者を思い
やることは必要ですが・・・。
「談合は悪」です。確かに公共事業の受注に際して、業者があら
かじめ「談合」し、落札者を決めてから入札に臨むというのは「悪
」です。断固排除すべきことです。ただ、すべての事前調整さえも
「悪」とする風潮があります。本当に悪いことでしょうか?私はそ
うは思いません。
先日、国連の安保理事会で北朝鮮の拉致問題で日本が決議案を提
出し、中国、ロシアが反対・・・結局話し合いを行って全会一致の
決議になりましたが、あの話し合いも事前調整でしょう。県議会に
大事な人事案や条例を提出する場合、スムーズに可決してもらうた
めに、事前調整を行う・・・オープンな話し合いまで止めるのは間
違いではないでしょうか。
話し合い重視の村井知事の姿勢、大いにやっていただきたいと思
います。これこそ知事と県議会、知事と市町村、知事と県民、そし
て知事と国の関係を正常に戻す根本であると考えるからです。
2006年8月31日木曜日
スポーツは元気な話題がたくさん
甲子園での松代高校野球部の健闘は嬉しかったですね。本命視さ
れていなかった県立高校が、しかも全員地元出身の選手の皆さんだ
そうですが、あれよあれよと言う間に県大会で優勝して、甲子園へ
の切符を手にしたと思ったら、一回戦は強豪の倉吉北に延長11回
サヨナラ勝ち、二回戦も八重山商工に負けたとは言え、最終回、相
手を追い詰める展開に、長野市民、特に松代の皆さんは大いに盛り
上がり、大きな夢を見させてくれました。ありがとう、松代高校の
皆さん。
今回の快挙は、長野市にとっても大きかったと思います。
平成15年から準備し、平成16年度に実施したプロジェクト
「エコール・ド・まつしろ」では、大成功という評価をいただき、
全国に松代の名前を発信しましたが、松代高校の快挙はそれ以上の
大きな発信力を示してくれたのではないか、と感じています。来年
はNHKの大河ドラマ「風林火山」でまた松代に注目が集まるでし
ょう・・・なんだか松代の勢いを感じますね!
8月25~27日を中心に、第27回北信越国民体育大会が、今
年は長野県が当番県ということで、長野市を中心に開催されました。
福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県の各県選手が集合し、9
月30日から兵庫県で開催される「のじぎく兵庫国体」への出場権
獲得を目指して、熱戦を繰り広げました。
カヌーは6月・7月、水泳は7月・8月、ゴルフは8月・・・な
ど、種目によって時期を分散して開催されています。中心開催期間
となるこの3日間は、長野市では開会式のほか8競技が行われ、長
野県一円で29競技が開催されました。宣伝が足りないからでしょ
うか、選手・役員等が8,200人も参加した大会としては、あま
り話題にならなかったのは、ちょっと残念でした。
私は開会式であいさつし、飯綱の馬術競技を視察させていただき
ました。国体への参加切符を手にされた選手の皆さんには、北信越
の代表として精一杯頑張ってきてほしいと思います。
8月18日、長野プロバスケットボール設立準備委員会の皆さん
が訪問されました。株式会社長野スポーツプロダクションの方々で
すが、長野にプロバスケットボールチームを誕生させ、bjリーグ
(日本プロバスケットボール リーグ)への新規参入を計画してお
り、今後各方面へのPRなどの支援を求めたいということでした。
なお、経済的支援は不要(多分行政の)ということで、ただチーム
が誕生した際には「ビッグハット」をホームコートとして使わせて
ほしい旨の希望がありました。
現在、bjリーグは8チームでリーグ戦を展開中で、今後チーム
数を拡大していく予定とのことで、今回来庁された皆さんは
2007-08年シーズンにリーグ新規加盟の申請をしているとの
ことでした。9月には審査結果が発表されるようです。bjリーグ
は11月から3月の土・日曜日に12戦程度のリーグ戦をチームの
地元で行うもので、ビッグハットが氷を張った状態でも、その上に
2時間ぐらいで仮設コートを設置して、ゲーム開催は可能であると
のことでした。
似たような話ですが、北信越プロ野球のリーグを結成したいとい
う話がありました。長野JCシニアの人達が中心のようですが、四
国で、元西武球団で活躍された石毛選手が始めた四国アイランドリ
ーグが下敷きになっているようです。日帰りで試合ができるように
ということで、北信越といっても福井県は入っていないそうですが、
石川、富山、新潟、長野の4県で1チームずつ作って、リーグ戦を
戦う構想のようです。東京で選手選考会(トライアウト)をやって
100人の選手を選んで雇用し、4県に25人づつ均等に分けてス
タートするという話でした。
各県ごとに地元企業や個人の出資を募り、資本金約1億円で株式
会社として球団を設立。リーグは来年4月下旬に開幕、10月まで
に1チームが年間72試合を金曜日から土曜日の週末に開催する計
画だそうです。
選手の給与は月15万円前後、契約は原則一年、シーズンオフに
ついては、人材派遣会社と提携し、派遣先で働くなど、生活基盤の
確立も目指しているとのことでした。
バスケット、野球のほかにも、長野エルザサッカークラブがサッ
カーのプロ入りを目指してここ数年間頑張っています。現在北信越
リーグのトップを走っていることは皆さんご存じのとおりです。い
ずれにしろ、プロ・スポーツを目指すというのは、長野では今まで
にはあまり無かった動きです。新しいビジネスモデルといえるかも
しれません・・・でもちょっと心配もあります。
スポーツを軸にしたまちづくりを目指す長野市にとって、嬉しい
動きではありますが、果たして経済的に成り立つかどうかというこ
とです。長野地域広域市町村圏を経済圏として見ると、人口は
約57万人です。プロ・スポーツが成り立つかどうか、それも三つ
のスポーツが一度に出てきましたので・・・当然スポンサー企業を
獲得して支援をしてもらうことも必要ですが、大企業が少ない地方
にとっては困難が待ち受けているような気がします。しかも中心に
なって支えていく人たちがダブっているのではないか・・・私は若
干心配しています。
スポーツが、現在の社会の中で大きな存在になってきていること
は認めます。先ごろの高校野球はもちろんですが、サッカーのワー
ルドカップも日本中、いや世界中を興奮の渦に巻き込みましたし、
長野冬季オリンピックやSO(スペシャルオリンピックス)なども、
私たちに素晴らしい感動と夢を残してくれました。ローマ時代のパ
ンとサーカスだという方もいらっしゃいますが、日本も豊かな社会
になった証左かもしれない、という思いもあります。
私は、スポーツの持つ社会的なパワー・存在感が、社会の中で将
来も大きな存在になっていくことは時の流れであり、またそうあっ
てほしいと願っていますが、プロとなると産業です。市民に大きな
喜びを与えながら、チームが経済的に成り立ち、選手の生活が保証
できるかが、カギとなるでしょう。
プロの結成とは違いますが、長野市では小中学生のスポーツクラ
ブの全国大会進出が最近目立ってきています。全日本バレーボール
小学生大会、全日本小学生女子ソフトボール大会、全日本リトルリ
ーグ野球選手権大会、全国小学生ソフトテニス大会など、全国大会
出場報告に、市長室を訪問してくださいます。そして、全日本バレ
ーボール小学生大会で若穂ジュニア(男子)が、全国小学生ソフト
テニス大会の4年生以下男子の部で古牧小学校5年生のペアが見事
優勝されたとのことです。
プロ・アマ問わずスポーツのすそ野の広がりを感じられることは、
本当に嬉しいことです。
2006年8月24日木曜日
候補者の公約と首長の政策
長野県知事選挙が告示になった7月20日、滋賀県の嘉田由紀子
新知事が就任されました。「もったいない」を合言葉に、東海道新
幹線の新駅建設反対を唱えて、現職知事を破っての当選(7月2日
投票日)でした。無党派の風が吹いたようですがそのわりには投票
率が約45%ということで意外に低かったというのが印象です。私
は、この選挙結果が長野県知事選挙にどういう影響があるか心配し
たのですが、長野県民の判断は先日の結果のとおりでした。
私はお盆の最中、インターネットで滋賀県のホームページなどを
見ながら、その後の流れを調べ、考えてみました。
嘉田知事は京都精華大学の教授(56歳)で、琵琶湖の環境保全
運動に取り組んできた方で、きちんとした学問の裏付けを持ってい
ること、初議会でご自身のマニフェストに書かれた4項目を達成は
困難との見通しを示すなど、良い悪いは別にして、大変柔軟な思考
のできる方であること、映像等で見る限り大変誠実そうな方と感じ
ました。この方なら当初は議会や市町村との関係で苦労されるでし
ょうが、段々に理解されていく可能性はあるのではないか・・・直
接お会いしたこともありませんし、ホームページを見ての感想です
が、そんな思いを持ちました。
就任後、計画通り実行できない見通しを示したマニフェスト4項
目は、新聞記事によると次のとおりです。
(1)約2万人の県職員を2010年度までに1割削減。(1割と
は、人員でいうと2千人ということですが、どの部分を減らすのか、
定員の決まっている部門もあり、職種によっては増員しなくてはな
らないところもあって、良く調べ、検討しなくてはならないことが
分かったのでしょう。)
(2)小・中学校の35人学級を来年度から行う。(これは無茶な
話です。まず財政的問題が考慮されていないのではないか。さらに、
単なる先生の数と人件費だけの問題ではなく、先生の質の問題、一
挙に良質の先生を採用することは困難です。そして、教室等の施設
負担等がすべての市町村にかかってしまいます。)
(3)治水ダムの代わりに2015年度までにダム建設予定の河川
の改修工事を実施。(「脱ダム宣言」みたいなものでしょうが、6
カ所のダムを一律にすべてやめるというのは、地域の実情から見て
も、学問的、技術的にも無理ということに気がついたのでしょう、
それぞれの地域ごとに検討することになったようです。)
(4)1千億円を超える負担軽減のため、県造林公社、びわ湖造林
公社の統合。(これは事情を知らない私にはコメントしようがあり
ませんが、統合してコストが下がるなら当たり前のことなのでしょ
うが・・・)
東海道新幹線の新駅問題は、達成は困難との見通しを示した4項
目に入っていないのは当然なのでしょうが、県外の私たちには分か
りにくい部分もあります。議会や評論家は、「実現可能であっても
無くても、言った方が勝ち」「マニフェストは有権者との契約であ
り、変えるならその説明をきちんとしなくてはならない」・・・い
ろいろな批判が出ているようですが、その内容を読む限り、この件
に関する批判はおだやかな感じがするのですが・・・。
嘉田知事は議会答弁で、新人立候補者には情報が少ないことを理
由にあげ、知事就任以降、精査した結果、達成は困難などの見通し
を示されました・・・。強引に間違った自説を正当化するより数段
勝っており、柔軟だし、話し合いの精神もあるし、理屈は通ってい
ると私は感じています。ただ長野県民なら猛反発かもしれません・
・・県民性の違いもあるかもしれません。
評論家的な言い方で失礼ですが、嘉田知事には時間をかけ、誠意
を示し、代替案と手順、スケジュールを示して、きちんと反対論と
向き合っていただき、柔軟な姿勢を持ち続けていただきたいと思い
ます。
新駅賛成派の県議、市町村長の皆さんはこれから長い闘争が待っ
ているかもしれませんが、新駅問題にからむ本年度の県の負担金は、
先日市へ支払ったそうです、順法精神には富んでおられるようです
から、大いに議論していただきたいと思います。
滋賀県と長野県との比較は別にして、これらの問題を通して今後
大きなテーマになりそうなことが3つあります。
(1)県知事も県会議員も、どちらも県民に選ばれた人です。両者
の意見が対立したとき、「どのような解決策を見いだすべきなのか」
についてです。県知事が新規事業を行う場合は、予算を伴いますの
で、県議会の議決が必要になり何らかの決着はつくのですが・・・
長野県の浅川ダム建設問題や滋賀県の新駅建設問題のように、継続
事業の場合は知事の執行権の問題ですから、議会で決定されたとし
ても執行しないことは法的には可能であるということですので、問
題は複雑です。
(2)「行政の継続性」ということは、今後どうなるのでしょうか。
前政権が約束し、実行してきたことを、いとも簡単にやめますとい
うことは、行政の信頼を間違いなく失うことだと思います。私も市
長就任後、幾つかそういうテーマに出会っています。一つの例とし
ては、長野駅東口の整備計画です。ある会派の方々は止めるべきと
主張されました。膨大な資金が必要な事業でしたので、私もやめら
れるものなら・・・と考えた時期もありましたが、事業の必要性を
理解する中で、継続して実施していますが、事業完了までにはまだ
まだ時間がかかります、次の市長にも引き継がなくてはならないテ
ーマであると覚悟しています。下水道の全戸水洗化の事業や浅川治
水事業もこの系列に入る事業です。
(3)マニフェストという「候補者と有権者の契約」を、当選後に
一方的に破棄することが許されるのか。新人候補者には情報量が少
ないから、当選後撤回は仕方がないというのは、何となく理解はで
きますが、そのマニフェストを読んで投票した人のことを考えると
複雑です・・・。
以上、お盆に少し余裕ができたので、滋賀県のホームページなど
を見ながら感じたことを書いてみました。地方の時代が来て、地方
の権限が大きくなって、国、県、市町村の役割がドンドン変わって
きています。国、道州、市町村に変わるということも想定されてい
ますが、まだ議論は始まったばかり、詳細は分かりません。いずれ
にしろ、それぞれの役割分担、かじ取りが本当に難しい時代になっ
たと感じています。
2006年8月17日木曜日
天下りについて
少し前の話ですが、防衛施設庁の官製談合が表面化し、相変わら
ず高級官僚の天下りとゼネコン等の癒着が問題になっています。天
下りが禁止されても、それは一定期間のことで、何年か別の組織で
過ごして、禁止期間が過ぎてから天下りすれば、防ぎようがないの
が実態のようです。加えて「職業選択の自由」という憲法上の規定
がある以上、「終身の天下り禁止」ということは難しいと言われて
いるようです。
私は防ぎようが無いならば、天下りを禁止するより、観点を変え
て、天下りを積極的に認め、そのことが悪いことにつながらない、
すなわち談合や癒着にはならない方法を考えるべきと思います。
例えば、国の高級官僚が民間企業に転職する場合は50歳(仮の
数字です、場合によっては45歳とするべきかもしれません)以下
に限ると法律で決めるのはどうでしょうか。50歳以下ならそれほ
ど大きな権限が在るわけではなく、癒着が起きるとは考えにくいと
思いますし、憲法上の規定からも許される範囲であろうと思います。
そして50歳になった方には、天下りを禁止し、その代わり退職後、
働く場を国が用意し、65歳~70歳ぐらいまでは国が管理してい
くことにしたらどうでしょうか。
人数にもよりますが、国にとって必要な人材は当然あるはずです。
年金問題(65歳支給開始)もありますから60歳定年制はそろそ
ろ考える時期だと思います。
一生懸命働いて定年を迎えたのだから、転職はいやだ、悠々自適
の生活を楽しみたい、そんな方ももちろんいらっしゃるでしょう。
何かの事情で勤めをやめる方もいると思いますが、そういう方は関
連した業界への再就職はしないという誓約書を出して退職し、1年
に1回国に報告するシステムを確立すればよいと思います。
ただ幾つか条件が必要だと思います。報酬をどうするか、退職金
をどうするか、整理しなくてはならない問題はたくさんあると思い
ます。猪瀬直樹氏の本で知ったことですが、赤字公団の理事長の年
収が2,000万円を越すこと、そして退職金も相当な額になるこ
とに、あぜんとしたことがあります。こういう話が理解できないの
です。少なくとも2度目の勤めでしょう。ボランティアとは言いま
せんが、節度が必要です。
いずれにしろ天下りを良い意味で活用することは、国家の資源の
有効活用です。希望があるなら地方公共団体に派遣するというのも
あるかもしれません。経験を生かし、活躍の場があれば、素晴らし
いことではないですか。出身地へ戻って働く場が得られれば理想か
もしれません。今でも中央官僚から知事や市長に出馬する人はいく
らもいるのですから、別に不思議ではないでしょう。
退職後の人材派遣ではありませんが、長野市では歴代財政部長に
総務省から来てもらっています。市職員には良い意味で刺激もあり、
国の考え方を知って、政策の方向性を示してもらえる、あるいは地
域のしがらみにとらわれない見方ができる等々、その必要性は大き
いと思っています。
話は少し変わりますが、国家公務員を減らすという話が現実性を
持って語られています。小さな政府を目指す意味で、それは必要な
施策であるとは感じていますが、ひとつ注意しなくてはならない面
があります。それは研修派遣と称して、地方自治体から国の省庁等
へ職員派遣が行われているのです。
長野市からも環境省、総務省・・・計7人を派遣しています。長
野市とすれば、職員の能力を高めるため、又国の政策の方向性を知
るため、今後も要請があれば、あるいは機会があれば派遣するつも
りですが、実際には単なる研修生ではなく、各省庁等では戦力にな
っていると思っています。それだけ優秀な職員を選抜しているつも
りです。
もちろん長野市だけの話ではなく、いずれの県や市町村も派遣し
ているのではないでしょうか?トータルすればかなりの人数になる
と思います。ですから単に国家公務員を何%減らすと言っても、こ
ういう派遣職員数のことも考慮しなくてはならないと思います。た
だそうは言うものの、地方自治体職員の受け入れはやめると言われ
ても困りますが・・・。
こんなメルマガを書いているうちに、行政関係の雑誌を読んでい
たら福島大学教授の今井照氏の以下のような記事に出会いました。
一部ご紹介しますと、
『中央省庁に勤務する私の友人の職場では、管理職を除く12人の
課員のうち、6人が自治体からの出向者らしい。このうち、2人は
正規の手続きを取り、一時的に国の職員に身分を切り替えているが、
残り4人は、あくまでも市町村や都道府県の職員のまま国の業務に
携わっているという。つまり、人件費は自治体が持っている。』
同じ記事の中で、総務省の発表したまとめによると、『国から自
治体へは1613人、自治体から国へは1764人が出向している』
とあるのですが、長野市の実態からするととても信じられない数字
です。ひょっとしたら、広く行われている自治体からの研修派遣が
カウントされていないかもしれないと教授は述べておられます。
正確な情報はありませんので、よく分からない話ですが、単純に
国家公務員を5%減らすと言っても、地方自治体の研修派遣や外郭
団体への派遣人員についても考えなくてはならないはずですから、
簡単ではないはずです。
長野市でも市の外郭団体に職員を派遣しています。具体的には長
野市社会福祉協議会、長野市開発公社等へ正規職員を派遣していま
すが、その人件費は実質的には長野市から補助金として組織に支払
い、組織が市の規定に基づいて支払っています。もちろんその必要
性については当然良く検討した上で行っていますし、予算書にすべ
て載っている話ですから問題はないのですが、市民の皆さんから見
れば分かりにくい話だと思います。
それとは別に、退職後の管理職の人に長野市の施設の所長等をお
願いしています。以前にもメルマガに書いたことですが、賃金はか
なり低くなっており、私としては申し訳ない気持ちでお願いしてい
ます。
いずれにしろ人口減の時代、そして高齢者が増加している時代で
す。60歳の定年制はどんなものでしょうか?国の資源の無駄遣い
をしないよう・・・そして公平感を失わないよう・・・小さい政府、
行政改革、そして雇用率との絡みでも難しい問題です。
もうひとつ、最近これは不合理だなあと感じていることがありま
す。それは公職の選挙に立候補する場合、一般職の公務員、議員、
首長などは、職を辞してから出馬しなくてはならないということで
す(例えば、市長は任期満了の市長選であれば現職のまま立候補で
きますが、市議会議員が市長選に立候補した場合には立候補と同時
にその職を失います)。民間企業の場合、在職のまま立候補する事
例が見られます。あるいは農業、医師、弁護士等のいわゆる個人事
業主の場合も、別に職を辞してからという必要がないわけで、これ
は著しく不公平だと思います。
自由な立場で選挙に出る人、自分の職をかけて(大げさに言えば
負けたら無一文になる覚悟をしなくてはならない人)必死の思いで
出る人・・・・この競争は少なくとも公平とはいえません、考える
べき問題です。兼職ということももっと自由に許されるべきではな
いでしょうか。行政職の中に市長、あるいは議員に出てほしい人が
いる、でも負けたら生活に困るだろうから推薦しにくい・・という
人はたくさんいそうですし、人材の有効活用という意味でももった
いない話です。
当選後どうすればよいかは研究する余地(給与・報酬の二重取り
防止など)はありそうですが、一般職の公務員の政治的中立の確保
・職務専念義務という原則がありますので、何らかの制度を整えた
うえで、少なくとも現職のまま、選挙に立候補できるようにすべき
ですし、極端かもしれませんが、議員で職員という人が居ても良い
のではないか、県議と市議の兼職だって意義があるかもしれません。
いずれにしても、貴重な人材、財産ともいえる人材を十分に活用
できるシステムを構築する必要があると思います。
2006年8月10日木曜日
県知事選挙が終わって
長野県知事選挙がようやく終わり、結果は村井仁氏の勝利、すな
わち新知事が誕生しました。田中知事体制からの転換、県と市町村
が話し合いをしながら、それぞれの役割を務めていく、まさに新た
な信頼関係を「創る」ことから始まります。
私自身、長野県、そして長野市のためにとの強い思いがあったの
で、精神的には自分の選挙(市長選)より大変でしたし、長野市内
に限って言えば、悔いの無い選挙運動(公職選挙法の制約の中で)
ができたと思っています。
「輝く長野県を考える会」の近藤会長を中心にした動き、県議会
議員の活躍、長野市では市議会議員の活躍が原動力になったと思い
ます。文字通り組織選挙でした。そして、組織選挙の中から市民団
体が段々結集して、大きな輪になったと信じています。
田中知事の県政については別の機会に書かせていただきますが、
今週のメルマガでは、私が選挙運動の中で重点的に皆さんに訴えて
きた二つのことを書かせていただきます。
(1)景気を良くすることが肝要であり、そのためには資金を県内
に流すことが重要であると私は思います。田中知事はまったく逆の
手法をとり、国の補助金を断って、借金を減らしたことのみを強調
してきました。子供たちに借金の山を残してはいけないという言葉
の美しさに、反対はしにくいし、大切にしなくてはならないことで
すが、やるべきことをやらずに、借金を返したというのは、いかが
なものでしょう。周辺の県の経済が少しずつ上昇を始めているのに、
長野県の場合は、まだ良くなってこない・・・。
借金の返し方にも問題があります。県の預金を取り崩したり、優
良資産を売却したりした資金で返済していますが、それ自体は県の
スリム化ということで非難すべきことではありません。しかし、先
輩たちが過去に苦労して築き上げたモノを使っているわけで、少な
くとも自慢することではなく、むしろ先輩の皆さんに感謝すべきで
はないでしょうか。あわせて借金返しのもう一つの方法論はやるべ
き仕事をしていないという点も強調しておきます。社会全体がシュ
リンク(注)していく中で借金を返すことのみに熱心では、結局借
金の重みに耐え切れなくなってしまう・・・。
(2)組織を動かしたことが無い人であるがゆえか、時間の経過と
ともに、県組織がどんどん壊れてしまった。県職員労働組合のアン
ケートで、知事の支持率が3.6%という数字にはびっくりしまし
たし、信じられない数字でした。私には長野オリンピックのころか
かわった県職員は優秀だったという印象があります。それに比べ今
の職員は走り使いに見えて仕方ありません。自分の意志を表現して
いないように感じます。
市町村の職員も地方分権一括法が出来るまでは、「国の機関委任
事務」をきちんとすることが本務であり、創意工夫は求められなか
った。そういう意味では、市町村職員は国の走り使いだったかもし
れません。しかし、法律が変わったことで市町村職員は自ら提案、
工夫をすることが求められ随分変わってきています。
その意味では県の職員が昔の市職員のように、「知事の委任事務」
の走り使いになってしまった、すなわち県の重要な財産の無駄使い
をしていると思うのです。
5年前、私が長野市長に就任したとき、ひそかに抱いていた目標
が三つありました。
①行政はすべてをやることはできない。市民の協働の力が必要だ。
②民営化は時の流れ。徹底的にやろう。
③きちんとした政治。田中知事が誕生して一年、これでは無理だ。
変えなくてはならない。
この三つの目標は、あまり公にはできませんでしたが、私の信念
と言ってもよいと思います。そして①は都市内分権が始まり、少し
ずつ形になってきました。②は指定管理者制度などが誕生し、追い
風が吹いてきました。そして③は今回の選挙で実現されました。
県民が選択した村井新知事が誕生して、私の政治的判断が間違っ
ていなかったことが確認できたと考えています。市町村長が県知事
選にあまり首を突っ込むべきでない、もし負けたらどんな責任をと
るのか・・・とメディアの方に聞かれ、負けるとは思っていないか
ら考えていないと言いながら、投票日が近づくにつれ、胃が痛くな
る毎日でした。
これからは村井新知事とじっくり話し合いながら、新たな信頼関
係の構築に努めていきたいと思います。
村井さんは選挙に当たって、具体的な事柄についてはあまり踏み
込んだ発言をされませんでした。これは当然です。県民世論に推さ
れて、政策作りの時間の無い中での立候補ですから、県全体のこと
はこれから勉強されるのでしょう。この段階で踏み込んだ発言はで
きないし、すべきではないと思います。県職員、県議会、市町村と
じっくり話し合い、それから施策を打ち出していく、その姿勢が大
切だと思っています。村井さんはそれができる方です。村井新知事
に大いに期待したい、ざっくばらんに、腹を割った話をしたいと思
っています。
(注)シュリンク(Shrink)とは「小さくなる」の意。
2006年8月3日木曜日
元気な話題が続々
岡谷をはじめ各地に雨による災害が起き、お亡くなりになった方
もおられます。被害を受けた皆様に心からお見舞い申し上げます。
長野市でも農作物被害だけでなく、道路や路肩等に大きな被害を被
りました。復旧には13億円程度掛かるということで、大変です。
今回の災害について書こうと思っていたのですが、どうもますます
悲観的になってしまう・・・そう思っていましたら、素晴らしい
“ビッグ ニュース”が入ってきました。松代高校の甲子園出場決
定です。そこで
被害を受けた方々には申し訳ないのですが、元気が出る話題につ
いて書くことにしました。皆さんに元気を出していただきたい、そ
んな思いで、報告させていただきます。
【松代高校、甲子園への切符】
松代高校が、甲子園への切符を手にしました。
7月28日、第88回全国高校野球選手権長野大会の最終日、県
営上田球場で決勝が行われ、長野市の松代高校が強豪の佐久長聖高
校を破って、甲子園出場を決めました。
失礼な言い方ですが、公立の高校ということで世間での前評判は
それほど高くなかっただけに、学校創立100周年という記念の年
に、初出場ということですから、まさに皆さんの喜びが爆発しまし
た。
当日、上田での試合が終わったのが、午後3時ころ。5時過ぎに
選手がバスで長野へ帰り着くまでに、松代城跡には舞台が準備され、
1,000人ぐらいの皆さんが集まって大喜び、その情報の伝わり
方の速さにはびっくりでした。それだけ決勝進出のニュースに皆さ
ん「もしかすると・・・」との期待が大きかったのでしょう。
選手が到着すると「良くやった!良くやった!」ということで大
騒ぎ。報告会終了後は、太鼓門からスタートして町中をパレードさ
れたようです。
31日には市役所へ出場報告に来られ、翌日1日には甲子園へ向
け出発されました。すべての力を出しきり健闘されることを期待し
ております。
【風林火山・プロジェクトながの、本格始動】
風林火山のプロジェクトが本格始動しました。先日、行政だけで
なく、交通事業者、旅行業者、そして地元の皆様も一緒に、実行委
員会が結成され、NHKに協力をいただきながら、来年の大河ドラ
マ「風林火山」を契機に、長野に多くのお客さんにお出でいただこ
うというプロジェクトが動き出しました。昭和44年の大河ドラマ、
海音寺潮五郎さんの「天と地と」放映を契機に、今の八幡原史跡公
園内に両雄一騎打ちの像が出来て、大勢のお客さんが訪れたことは
ご記憶の方も多いかと思いますが・・・夢よもう一度と考えていま
す。
また、「川中島の戦い」ゆかりの地の整備は、(財)東日本鉄道
文化財団の協力もいただけることになっており、大変ありがたいこ
とです。来年は長野市制施行110周年にも当たりますので、その
記念事業にも位置付けて取り組む計画です。
風林火山に大変ゆかりのある松代、その地元の松代高校が甲子園
に出場することは、私たちが、これから「川中島の戦い」を全国に
発信しようとする矢先の大変素晴らしい贈り物であり、幸先の良い
スタートが切れました。
【長野の香りが発売】
長野の香りが出来ました。長野オードパルファム「NYOZE」
が完成、商品発表会が行われました。オードパルファムとはフラン
ス語で香水という意味のようです。
現在、長野市は1,200万人観光交流推進プランを策定・推進
をして地域活性化に取り組んでいますが、「香り」をテーマにした
商品を開発して、長野をPRしていこうという意欲的なプロジェク
トです。「NYOZE」のネーミングは、善光寺創建を縁に駅頭に
立つ「如是姫」(にょぜひめ)像にちなんだものです。香りは、健
康的でエレガントなイメージだと感じています。
(財)ながの観光コンベンションビューローや(株)まちづくり
長野が中心になって企画を担当、製造は資生堂に委託し、長野市内
のお店に販売していただく計画だそうです。香りをCI(シテイ・
アイデンティティ)戦略の一環にしようということですが、長野に
お越しいただいた方々の思い出づくりとしてなかなか清新なアイデ
アだと思います。長野市民に使っていただくだけでなく、長野から
のお土産としても洒落た感じで嬉しいですね。
【ずくなしの会に出席】
みどりの移動市長室で、若槻のコミュニテイーセンターで行われ
ている「ずくなしの会」に出席させていただきました。
この会は、会員約40名で地元の方だけでなく、牟礼や須坂から
来ている方もおられるそうですが、きっかけは“もったいない”と
いう気持ちから、ごみになる「ぼろ布」を何とか再利用しようとい
うことで、「ぞうり」を作り始めたのだそうです。
月1回の定例活動で、会員が集まって「ぼろ布」でぞうり等を作
り、支所の玄関や地元神社のお祭りなどで1足300円で販売して、
売り上げは会員に還元しているが、ほとんどは社会福祉協議会
へ寄付しているのだそうです。
会員の皆さんと一緒に私も教わりながら片方だけ作ってみました
が、コツをつかむまではなかなか難しい、でも楽しい作業でした。
皆さんのお話では「指先に良いので、ボケ防止になる」「友達が増
える」「お金がかからない」等、良いことづくめでした。
私がお聞きして一番びっくりしたのは「もったいない運動」の嚆
矢(注)はこの会ではないかということです。会が発足したのは平
成13年の2月だそうですから、「もったいない」で有名なケニア
の環境副大臣の「ワンガリ・マータイ」さんがお出でになったとき
より前だと思います。
マータイさんが日本を訪問したとき「MOTTAINAI」とい
う言葉を知り、日本人が昔もっていた「もったいない」の考え方こ
そ環境問題を考えるにふさわしい精神として感銘したと仰って、そ
れ以後「もったいない」がすっかり有名になり、この言葉を「国際
語」にしようという活動が行われていることは、ご存じの方も多い
と思います。
「ずくなしの会」の代表の田原さんのお話ですと、この会の趣旨
は「もったいない」という気持ちが原点ということです。どちらが
先ということにこだわっているわけではありませんが、多分「もっ
たいない運動」の原点というか、先に唱えたのはこの「会」の皆さ
んでしょう、豊かな発想を持った皆さんでした。
今回は6日に投票日を迎える県知事選の話についても、皆さん投
票にいきましょうという趣旨で書こうと思ったのですが、松代高校
の素晴らしい頑張りがあったので、急遽方針変更して、元気な話題
を集めてみました。ほかにも市民祭も真っ盛り、皆さん元気です。
これも書きたかったのですが・・・次の機会に送らせていただきま
す。
(注)嚆矢(こうし)・・・ものごとの初め。最初の意
2006年7月27日木曜日
金儲けは悪いことですか?
最近、企業の役員が何人か並んで記者会見し、事情説明をしてか
ら「申し訳ありませんでした」とそろって頭を下げる姿が多くなっ
たように感じておられる方が多いのではないでしょうか。
食品メーカー、保険等の金融会社、自動車メーカー、家電メーカ
ー、湯沸かし器メーカー、建設会社・・・数え上げればきりがあり
ませんが「エッ!あの企業まで・・・」ということを感じておられ
る方も多いのではないでしょうか。
企業のコンプライアンス(法令遵守)ということが強調され、間
違ったことを放置すると大変なことになるということが浸透してき
た結果であり、一面では企業社会がひところに比べ健全になってき
た証ではありますが、これほど多いとうんざりですね。
3月のメルマガ(203号)でライブドアの問題について、世の
中の監査制度が正しく機能していないことが問題点であると指摘さ
せていただきました。その後、村上ファンドの問題が明らかになっ
て、批判されています。今回はこの問題について述べてみたいと思
います。
村上ファンドが物言わぬ株主に寄りかかって安穏としている上場
企業に対し、警鐘を鳴らしてきたことは、すごくよく分かります。
ただ最初の素晴らしい動機が、多分儲かり過ぎたがゆえに、狂って
しまったのでしょうか。彼がテレビの会見で、あの大きな目を見開
彼は本当の意味の資本主義の精神、日本人の良識を踏み外してしま
ったと感じたのは私だけでしょうか。
証券取引法上のインサイダー取引という、ある意味では彼は知ら
なかったということで軽い罪で済むと思っているのでしょう。法的
にはそうかもしれませんが、それは違います。資本主義の本来のあ
り方について、みんなが一生懸命働くことを、つまらないと感じさ
せたという点で、罪は大きいのです。日本社会の良い点をつぶした
という意味で、歴史上有名にはなるでしょう。
もし、彼が最初の動機、それは福井日銀総裁までが若い志を応援
しようと思わせるだけの素晴らしい動機をそのまま維持していたら、
多分日本資本主義の救世主になっていたのかもしれません。でも儲
かり過ぎたがゆえに、最初の動機、志から逸れていってしまったと
言うことではないでしょうか。結局、彼は成り上がり者に過ぎなか
ったという評価を世論から受けてしまうのではないでしょうか。
100億円の資金を集めて年間2割の成果配分を出せても、40
倍の資金でも同じことができると考えた、いや、やらなければなら
なかった・・・だから無理をした、だましや詐欺まがいのこともせ
ざるを得なかった・・・。
日銀総裁の責任が云々されていますが、道義的責任は免れないと
思います。銀行預金の金利がここまで下げられた、大衆の銀行預金
の金利を下げることによって、銀行に利益を与え、銀行の不良債権
を片付け、日本経済の再生を果たした(言い方を変えれば、国民の
受け取るべき金利分を銀行のために使ったとも言えるかもしれませ
ん)、金融の総元締めの日銀総裁とすれば、やむを得ない選択であ
ったと思いますし、不人気な政策をやり通したという意味で立派だ
と思いますが、その裏で数年で倍以上になる投資をしていたことは、
国民感情を逆なでする話だと思います。公人というのは、間違いが
あってはならない、あった場合はきちんと非を認めることが必要で
す。
革命を目指す素晴らしいアイデアの持ち主が活躍する、そして時
代の寵児ともてはやされる、そのもてはやされた時に、きちんと対
応できるかがその人の価値でしょう。私たちも時代に流されず、き
ちんとした目を持っていたいものですよね。
ライブドア、村上ファンドなどの問題で、「お金を儲けること」
イコール「悪」というイメージが社会に浸透してしまった、そして
真面目に額に汗して働くことが、なんとなく馬鹿馬鹿しいといった
風潮を生み出してしまったと思います。
しかし、果たしてそうでしょうか。企業というのは利益を上げる
ことによって成長し、社会に貢献しているのです。企業がその活動
によって付加価値を上げ、人件費を払ったり、法人税等を支払って
くれるから、社会は成り立っているのです。
税金がなければ、福祉も教育も不可能でしょう。あるいは道路や
橋の建設、市役所だって成り立たないのは自明の理です。その意味
では村上さんの言うとおり、儲けることは悪ではない、善なのです。
言葉を換えれば赤字は悪なのです。
ただ儲けるために何をやってもよいかということになれば、それ
は“NO”でしょう。お金だけで動く、自分の商売だけを考えてい
る経営者には高い社会的評価は与えられない。法律違反をするなど
ということはまったく想定されていませんし、自分のでき得る範囲
内で、社会に貢献する精神が経営者に求められるものだと思ってい
ます。
村上氏の強調している株主価値の向上、これは上場会社とすれば
当たり前とも言えますが、会社は株主のものだけではありません。
株主、経営者、労働者、そして会社を取り巻くすべてのステークホ
ルダー(注)のためにあり、社会に貢献することが大切であり、継
続が最大の責務(ゴーイングコンサーン)であると私自身は教わっ
てきました。
藤原正彦氏著「国家の品格」から前にも引用した文章ですが、
『どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底して
いくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。言うまでもなく、
論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論理が
正しくて、どの論理が間違っているかということでもありません。
これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。』まさに
この文章の通りですね。
ちょっと観点は異なりますが、私は民間活力の導入を公約として、
市長に就任させていただきました。民間活力の導入とは、簡単に言
えば、行政部門を民営化していこう、小さな政府をつくろうという
ことです。
ただ、それは単にコスト削減によって厳しい行政の財政を補う、
あるいは効率化を目指すということだけが目的ではありません。行
政が行ってきた事業を民間事業者が行うことで、民間に新たな仕事
が生まれ、雇用が発生する、ゆえに地域も元気になってくる、そし
て競争原理によって行政が行うよりサービスも良くなる、さらに工
夫によって新しい産業に発展する可能性もある、行政側としても税
収が確保でき新たな行政サービスを展開できるという好循環となる
・・・等などを狙っているのです。
民営化した部門を担当する企業に対しては「企業武士道」といい
ますか、「コンプライアンス」重視を要求することは当然ですし、
民間活力の導入を新たな産業が起きる起爆剤にしていきたいと考え
ています。それには、きちんと利益を上げ、発展性、継続性をはか
っていただきたいと考えています。
(注)「利害関係者」のこと。企業活動と関係するあらゆる関係者
を指します。
2006年7月20日木曜日
コミュニケーションの欠如
先週は、6月県議会において、北陸新幹線が大変なことになって
いるということについて書きました。
他にも、特に市町村が県とのコミュニケーションがとれなくてど
うにも解決できない、困っている問題はたくさんあります。直面し
ている問題だけに限って話したいと思います。
(1)先週書きました北陸新幹線問題と深い関係がある長野以北並
行在来線問題です。北陸新幹線問題についての詳細は先週書いてい
ますので、避けさせて頂きますが、長野以北並行在来線問題も県が
責任をもって解決するということで、県内沿線市町と約束していま
す。
(2)次にごみ問題です。
ごみ焼却施設の建設地や最終処分場の問題は、現在の市町村にと
って最も難しい、住民の皆さんにご理解願わなくてはならないテー
マであり、しかも法律的には市町村事務ということで市町村に実施
の責務があるということは皆さんご存じの通りです。地域の皆さん
と何年もかけて話し合い、地域の皆さんもどうしても必要なものな
のだから自分のまちの為ならとようやく合意点を見つけ出してきて
いるテーマです。
しかし国から施設建設等に必要な交付金を受けるには「循環型社
会形成推進地域計画書」を県を通して国に提出していかなくてはな
らない規定となっています。そこで、飯山市などで構成している岳
北広域行政組合が、規定に従い書類を県に上げたのですが、県は国
への手続きを進めてくれないのです。
岳北広域行政組合が地元の皆さんと何年もかけて話し合い、やっ
と合意に達した努力に対し、県は誠意のある対応をすべきではない
でしょうか。
確かに焼却施設や最終処分場の建設については、住民全員が賛成
ということは困難です。しかし絶対に必要な施設なのですから、地
域の多くの方のご理解をいただいて作った計画に、一部反対がある
からと言って、岳北広域行政組合の説明に聞く耳をもたないことは
理解できません。
県の廃棄物処理の基本的な考え方の中に“できるだけ燃やさない、
できるだけ埋め立てない方向への転換” があります。「脱焼却」、
「脱埋め立て」の推進は、脱ダム宣言と同じですね。市町村にして
も技術的に、そして具体的に可能な方策があるならば焼却はしたく
ないのです。でも、最終処分場のことを考えると、集めた可燃ごみ
を劇的に減らすには、現時点では焼却が一番有効な手法なのです
(焼却すると、残る灰の量は約10分の1以下になりますし、その
灰を溶融することで再利用の道も開けてきます)。
ごみ処理は世界中が悩んでいるテーマであり、今のところ技術的
にも、コスト的にも、焼却を否定すると、どうすればよいのか、ま
ったく困ってしまうのです。
それだけ難しい。でもごみは365日毎日出てくる、何とかする
責務は市町村にある・・・すべてを県が処理してくれるならありが
たいのですが、評論家みたいに「脱焼却」とおっしゃることはやめ
ていただきたいと思うのです。
そういえば市町村の一般ごみだけでなく、産業廃棄物の処分場に
ついても、今までは県廃棄物処理事業団を設立し最終処分場建設を
推進して来ましたが、本年度に入って突如最終処分場の建設中止を
表明、公的関与を見直し民間企業の参入を促すとしている、行政の
責任をどう果たすか。これから大変だと思います。
(3)次は県立高等学校の再編問題です。
本年3月に長野県高等学校改革プラン実施計画が策定されました。
少子化の時代、私も県内を見渡し、高校全体の問題として考えれ
ば再編は必要だと思います。しかし、何故長野南高校が対象となる
のでしょうか?市内唯一、いや県内唯一かもしれませんが、人口増
加地帯であり、定員割れを起こしている学校でもありません。ここ
を廃校にする理由はどうしても見つからないのです。県教委の説明
も全く納得のいくものではありませんでした。第一通学区の高校再
編について検討を一任された第一通学区高校改革プラン推進委員会
でも、大枠は認めたものの、「長野南高校と松代高校はすぐにも再
編・統合が必要な状況ではない」との判断が示されています。
そこで、本市は5月中旬に「長野南高校の再編については平成
19年度一斉実施にこだわらず、推進委員会からの報告を尊重し、
段階的に実施していただくよう」県議会へ陳情を行ったのですが、
県教委は、議会の議決を必要としない「募集停止」に踏み切ろうと
しました。教育の独立性を優先して、説明責任・説得責任をあえて
無視する県教委の姿勢がうかがえるのではないでしょうか。
その後、先般の6月県議会において、高校再編の一斉実施に反対
する多数の県会議員の賛同を得て、「高校を統合または廃止する場
合は、当該校の生徒募集を決定する前に議会の同意を得なければな
らない」とする議員提案による条例改正案が可決されました。本当
は県教委の独立性を保つためには条例など、作らないほうが良いと
私は思いますが・・・ただ、県教委の一方的とも思われる行為を変
えてもらうには仕方ないことかもしれません。
今後、県教委の動向を注視してまいりますが、この問題は、全県
一律に考えるべきものではなく、地域の実情をよく見極め、了解を
得られた地域から統合を進めればよいと考えています。また、仮に
了解が得られなくとも、生徒数が極端に減って学校の教育効果が上
がらない場合は統合も必要となってくるものと考えますが、全県一
律に考えるべきではないと思います。
長野南高校については、このまま募集停止から廃校に追い込まれ
ることがないよう、今回の条例改正を受けて、改めて関係方面へ要
請していく必要があると考えています。
以上、当面の困っている問題を三つ取り上げました。特に(1)
(2)の問題は、このまま推移すれば、間違いなく長野市だけでな
く長野県が壊れてしまうような大きな問題です。皆さんにぜひ理解
していただきたいと考えています。
2006年7月13日木曜日
北陸新幹線の状況について
長野県議会6月定例会における田中知事の発言内容の中で、どう
しても県民・市民の皆さんに実態を知っていただかなくてはならな
いと考えることがあります。
県議会の一般質問で、浅川治水問題について、西沢正隆氏、小林
実氏のお二人が取り上げられましたが、それに対する知事の答弁が
まったく理解に苦しむ、事実を曲解したものであり、地域住民のこ
とをまったく考えていない内容なのです。細かい点を挙げればたく
さんありますが、ここでは2点だけ申し上げます。
まずひとつは、平成5年の確認書は「虚偽」だと発言したことで
す。
この確認書は、当時の長沼地区北陸新幹線対策委員会と鉄道建設
公団(現在の鉄道・運輸機構)、長野県、長野市の間で、新幹線車
両基地を造るに当たって取り交わしたものです。「虚偽」の理由は、
確認書において県はダムを4年半で造るとしているが、はなから不
可能なことを約束しているという主張です。
この発言内容は理解に苦しみます。4年半という言葉はどこにも
ありません、当時の交渉過程を調べてみると、県は用地買収が完了
次第、付け替え道路から着手し、ダムの完成は「平成12年頃をめ
どとしておりますが、当地域の諸状況を勘案し、早期完成に努めて
いく」ということで合意しています。さらに後になって完成は平成
19年(浅川ダム本体工事契約)に変更ということになっています。
4年半というのは多分、新幹線の営業開始時期を念頭に入れての例
の思い付き発言とは思いますが、それにしても、「虚偽」とは耳を
疑う発言です。
いずれにしろ、4年半後に造るとは県は約束していません。以後
の県のHPやマスコミ報道等で、平成19年3月の完成であると地
元は理解していたようですし、“当時の県”は事態の進展に応じ、
地元ときちんと交渉していたようです。
さらに田中知事は「地元住民らにはきちんとお伝えしている」と
発言していますが、「期限まで(4年半で)の完成は不可能で虚偽
の約束をした」という話は、これまで一度も対策委員会としては受
けていないそうです。それだけでなく、ダムをやめるに当たって、
「ある」と称した代替案もまったく提示されず、「きちんと説明し
た」というのは、何を指して言っているのか、昨年12月に知事は
一度だけ地元に入ったけれど、単なるお詫びだけ・・・
もう1点は、北陸新幹線の工事についての発言で、「長沼地区の
一部については、鉄道・運輸機構は用地測量を3月に終了、その後、
物件調査、付け替え用水路や道路等の詳細設計をしており、地元の
了解を得て9月末までに用地測量を終了する予定で、18年度末ま
での事業用地取得は問題ない」との認識を示したことです。
事実を申し上げます。用地交渉に先立つ用地測量は、本来地域の
皆さんの要望事項が将来に渡って履行が確約され、設計協議終了後
に新たな確認書の交換の後、地元自治体が了解してから行われるも
のです。したがって、確認事項である浅川治水がきちんと履行され
るという担保がなければ、地元は用地測量を絶対に認めないとおっ
しゃる、したがって長野市も認めない。要は両者の了解なしで行う
ことは不可能なのです。
ただ地元の皆さんは新幹線については賛成しており、促進したい、
けれど確認書の内容が担保されなくては、協力し難い・・・そこで
長野市が間に入り、工事を担当する鉄道・運輸機構と地元で「公式
である最終的な設計協議の同意はできないけれど、準備だけは進め
よう。すなわち、県がきちんと浅川治水を考え、国の認可がとれる
計画を整備し、地元の皆さんが了解したらその翌日にも設計協議完
了、土地買収完了という手続きが進められるように、県を当てにせ
ず準備作業をどんどん進めましょう」という地元の皆さんの善意に
よる同意の下で、取り組んでいただいてきたものです。
したがって鉄道・運輸機構さんに確認していただければ分かるこ
とですが、測量は確かに9月には終了するようですが、現段階でで
きることはそこまで・・・のはずです。地元の了解、地元市長の了
解が無い限り、公式な設計協議は終わらないのですから、用地買収
はできず、新幹線は北陸へはつながらない可能性があるのです。
地元の皆さんが善意で事業の促進に協力しているのに、さも自分
がやったようにおっしゃって、しかも県議会議員さんに誤解(北陸
新幹線の土地買収は大丈夫と思わせる)を与えるような発言をされ
ることは、本当に許されないことであるということは、地域の皆さ
んと私の現在の心境です。
この件については、発言の翌日、怒った地元の皆さんが「公開質
問状」を提出していますが、6日に届いた返事は、当時の県の姿勢
を批判したものと、公開された場を持って話をしたことを確認書の
当事者である地元の皆さんに話をしたことにしている、一般的な社
会常識からは考えられないものです。また、7日には県議会の総務
委員会に参考人として地元対策協議会の皆さんが出向き、県の対応
の不備について指摘しております。
地元の皆さんからは、鉄道・運輸機構さんには申し訳ないが、県
が現状を正しく認識するよう現時点で同意を取り消し、きちんと設
計協議の同意をしてからでなくては測量ができないことを世間の皆
さんにも分かるようにすべきだ、という意見が台頭してきているた
め、今まで善意により進めてきた作業についても中断することを視
野に入れ、鉄道・運輸機構から委託を受け用地買収を行う県に対す
る「真摯(しんし)たる対応」の指導と、北陸新幹線整備の遅れと
いう影響を受ける事業主体として県に対して意見具申をするよう、
鉄道・運輸機構に12日付の文書で要請したようです。鉄道・運輸
機構と県の対応いかんでは、測量どころか、地元との話し合いにも
応じていただけない状況に陥ることが予想されます。
どうしてあんな発言をしたのか、その意図はよく分かりませんが、
知事は「私はいじめられています」ということを一般の方に表現し
たいのかもしれませんが・・・どうも理解できません。いずれにし
てもこのまま推移すれば北陸新幹線は開通できず、長野以北の皆さ
んにご迷惑を、もっと言うと多大な損害が出る事態になりかねない
のです。そのような状況を皆さんにもぜひ理解していただきたいと
思います。
2006年7月6日木曜日
「環境」と「ものづくり」
6月21日、みどりの移動市長室で、篠ノ井西中学校の技術部エ
コラン班を訪問しました。エコランの意味は、私の推測ですが、
“エコ”は環境にやさしい(エコロジー)、“ラン”は走ると言う
意味だと思います。
篠ノ井西中では4年前から、エコカーの製作に挑戦しているのだ
そうですが、中学生にどこまで可能なのか関心がありましたので、
見せていただくことにしたものです。
エコカーとは少ない燃料でどのくらい長く走れるかを競う車で、
小さいエンジン(50CC)、軽い車体、風圧を避ける車体・・・
それを中学生が製作して、運転し、全国的な大会に出場したという
ことですから、びっくりです。
しかも車体はいろいろな廃材の寄せ集め、エンジンは最近HON
DA(ホンダ)から新品を一台寄贈してもらったそうですが、大部
分は自動車の解体屋さんからもらってきたものだそうで、まさにエ
コカーです。
中学生が骨組みのエコカーを囲んで火花を飛ばして電動やすりを
使ったり、ネジを切ったり、鉄を切ったり・・・多分はんだごてを
使ったりする作業もやるようですし、エンジンの調子を調整したり
・・・まさに“ものづくり”の現場でした。
それと、顧問の箕田先生もあまり細かい指示は出さず、グループ
のリーダー中心の自主的な活動を見守っているという感じで、ここ
まで成長させるのは、ご苦労だったろうなあ・・・と感心しました。
懇談の場では、先生の話だけでなく生徒の皆さんの話から“もの
づくり”の楽しさを知って、嬉しくてしかたないといったことが伝
わってきました。小学校のとき、兄がこのクラブに入っていて楽し
そうだったからとか、大会に出てちょっとしたミスで完走できなか
った悔しさを語ってくれた生徒もいました。援助をよろしくといっ
た話には、ギャフンでしたが・・・。
私は生徒の皆さんに次のような話をさせていただきました。
ある。
まず「環境」ですが、騒音や悪臭、水質汚濁といった身近な問題
から、地球温暖化など地球規模の問題までさまざまです。身近な問
題は昔に比べればかなり良くなっていると思っていますが、地球温
暖化については、良くなっているとは言えない状況でしょう。
社会全体では太陽光や木質バイオマスという、いわゆる「自然エ
ネルギー」の導入を促進しようという活動も行われていますが、皆
さんのようにエコカーに挑戦して化石燃料の消費を減らそうという
ことも重要な取り組みです。
もうひとつは「ものづくり」ですが、昨年信州大学工学部の敷地
内に「ものづくり支援センター」を造り、信州大学などの知識や技
術を活用し、企業と連携・交流をしながら、将来性のある技術・企
業の育成をしようとしています。
皆さんは箕田先生のご指導のもと、エコカーの製造、また全国的
な大会に出場するという、なかなかできない体験をしています。ぜ
ひこの活動の経験を生かし、長野を背負ってくれる人材になってい
ただきたい。
懇談の後、箕田先生や木藤校長先生からお聞きしたことですが、
中学での課外活動は、スポーツや芸術活動が中心で、ものづくりク
ラブは少ない。このクラブを作ったことで、スポーツ等が苦手の子
供たちが入ってきてパワーを発揮している。
父兄の皆さんの援助に加えて、地域企業の皆さんの支援がありが
たい、たとえば中古エンジンや廃材を提供してくださる、あるいは
試走のコースを貸してくださる、本当にありがたいことです・・・
とのことでした。
市でもぜひ特別に支援、特に1,000メートルぐらいの試走コ
ースを紹介していただければありがたい・・・そんな要望を受けて
しまいました。
県内でもエコカーに挑戦している学校・グループは増えているそ
うです。中学校が2校、高校が6~7校、大学・短大が3校、社会
人が2~3グループなど、合計17~18グループあるそうです。
ぜひ、県内の大会を長野市で開きたいとのことでした。市内で
1,000メートルのコースを探すとすれば、道路しかないように
感じますが・・・道路となるとさまざまな問題があり難しいのでは
ないかと思います。しかし、広くエコカーを知っていただくために
も歩行者天国や長野市で開催するイベント会場等で多くの方に見て
いただくなどすれば面白いイベントになるかもしれません。検討の
余地はありそうです。
最後に、エコカーで実際に走るところを見せていただいたのです
が、運転免許を持たない中学生がきちんと安全に運転している、そ
んな姿に感動しました。
ところで環境問題に対して総合的・計画的に取り組むために、長
野市では「環境基本条例」を制定し、その後「環境基本計画」及び
「アジェンダ21ながの-環境行動計画-」を策定して、望ましい
環境像の実現に向けて努力しています。
「広報ながの」でも紹介させていただいていますが、環境省が地
球温暖化防止への取り組みとして以下のことを示しています。
(1)エアコンの設定温度を冷房は28度、暖房は20度にしまし
ょう(冷暖房の設定温度を1度上げ下げすることで、一世帯当た
り年間約2千円の節約で二酸化炭素を約31kg削減できます)
(2)蛇口はこまめに閉めましょう
(3)アイドリングをなくしましょう
(4)エコ製品を選んで買いましょう
(5)過剰包装を断りましょう
(6)コンセントをこまめに抜きましょう
これらは「チーム・マイナス6%」の取り組みですが、いずれも
その気になれば誰でもできることですよね。地球温暖化防止という
「地球の生き残り」をかけた取り組みに市民一丸になって取り組み
ましょう。
市役所でも今年も6月1日からクールビズを始めました。やむを
えない場面を除き、ノーネクタイ、ノー上着を励行しています。
それと嬉しいニュースが飛び込みました。長野市が取り組んでい
る長野運動公園総合運動場でのESCO事業が国の補助を受けられ
ることになりました。
ESCO(Energy Service Company)事
業とは、ESCO事業者が顧客(今回の場合は長野市)に対し、省
エネルギーについてのサービスを包括的に提供するビジネスです。
たとえば、一つの施設でどの程度省エネルギー効果があるかを診断
し、より効果的な設備の設計・施工、導入後の設備の保守・運転管
理まで行ないます。
そしてなにより設備導入以前のエネルギー使用状況を維持しなが
ら、これだけは達成できるという省エネルギー効果を保証し、結果
として削減された光熱水費の中から経費を受け取ります。
つまり、ESCO事業にかかる経費等はすべて省エネルギーによ
る経費削減分でまかなうことから、顧客(市)には一切出費は無く、
契約期間中は経費として支払った削減分の残りを利益として受け取
り、契約期間満了後はすべて顧客(市)の利益になる・・・なんだ
か夢みたいな話です。
もちろん、経済産業省の補助事業の一環で、独立行政法人NED
O(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)がESC
O事業者に補助をしているために、より事業効果が上がるものだと
は思いますが、国の環境政策への意気込み、併せて事業者である地
方公共団体の省エネルギーを促す意味が大きいと感じており、あり
がたい事業だと思います。
長野運動公園総合運動場を選んだ理由は、施設建設の時期、省エ
ネ効果の大きさ、費用の回収年数、工事費等の診断をした上で、一
番効果があがりそうな施設として選定したものです。上手くいった
ら、当然のことですが、他の施設でも取り組みたいと感じています。
これから夏本番、暑い季節になります。エアコンの設定温度を少
しだけ控える。こんな身近なこと、小さなことから皆さんも一緒に
省エネに取り組みましょう。
2006年6月29日木曜日
スポーツの話題
長野市若里市民文化ホールで、長野市とNHKとの共催により、
2006FIFAワールドカップ日本戦のPV(パブリック・ビュ
ーイング)を3日間開催しました。PVというのは、スポーツにお
ける大型映像装置を使用しての観戦イベントのことで、試合の行わ
れていないスタジアムや駅前の広場、特設会場などで多くの方に楽
しんでいただくために行われるイベントです。今回は初めての試み
ということや時間帯が深夜早朝に及ぶことから、間違いがあっては
いけないということで、運営サイドはかなり緊張して取り組みまし
た(サッカーの試合は、時に観衆が興奮状態になって思わぬ事故等
もあるからです)。
当初、長野の人はおとなしいから、盛り上がらないのではないか
・・・と心配したのですが、まったくの杞憂(きゆう)でした。開
催した3日間とも、収容人員約600人の会場に入りきれないほど
のサポーターの皆さんに来ていただき、皆さん元気に、日本の健闘
をたたえて大きな声と手拍子、そしてチア・スティックスという応
援グッズなどを使って、応援していました。私も、3日間ともサム
ライブルーのユニフォームTシャツを着て、若里市民文化ホールに
通い、一緒になって応援しました。
残念ながら、日本は決勝トーナメントには進出できませんでした
が、さすがに王者ブラジルは強かったですね。日本とすれば最初の
オーストラリア戦の最後の10分間がすべてだったかなあ、あそこ
で勝っていれば流れは変わっていたのでは・・・勝負に「たら」
「れば」は禁物ということは分かっているのですが・・・。
日本からのサポーターが“0泊2日”で成田からドイツへ向かっ
たという報道がテレビや新聞をにぎわせていましたし、日本中が日
本代表チームに声援を送っていたように感じています。4年後には、
何としても決勝トーナメントに進出できる、強いチームを送り出し
たいものです。
また改めて、サッカーというスポーツは皆の心を一つにして夢中
にするゲームであること、それがゆえにワールドカップは世界中の
人々を引き付けるのだということを証明したように感じます。
まさにサッカーは世界共通語ですね。
今回のワールドカップのPVは、県内ではNHKとの共催により
長野市と松本市で行われたのですが、このPVの試みは成功だった
と思います。結局こういうイベントは中味(コンテンツ)さえよけ
れば、それほど宣伝しなくとも、多くの皆さんが集まって盛り上が
ってくれる、運営もボランティアの人たちが中心になって、実にき
ちんとやっていただける。今回は受付、場内整理、駐車場係等のス
タッフは長野オリンピックからずっと活動しているボランティアグ
ループの皆さんでした。こうした皆さんの活躍がイベント成功の原
動力となったことは間違いありません。行政と市民の皆さんとの協
働により経費をかけずにできた良いイベントだと思いました。特に
NHKとの共催のPVは国内各地で行なわれたようですが、早朝か
らのブラジル戦まで開催したのは全国でも3カ所とお聞きしており
ます。長野オリンピックを契機としたボランティアグループにより
運営されたことといい、ワールドカップという世界的イベントに強
い関心を寄せたことといい、これは長野オリンピックの効果ではな
いでしょうか。
同じサッカーの話ですが、JFLさらにはJリーグを目指して現
在北信越リーグのトップを走っている「長野エルザ」に素晴らしい
ニュースがありました。長野エルザの監督としてバルディエール・
バドゥ・ビエイラ氏が就任しました。彼はドイツ在住のブラジル人
で、コスタリカ、オマーン、イラン等のナショナル・チームの監督
も務めたことがある大物監督だそうです。Jリーグ関係者の紹介で
のご縁と聞いていますが、JFL昇格への請負人と言って良いかも
しれません。
6月25日に新潟経営大学サッカー部との試合終了後、立ち話で
すがお会いしました。とても気さくな良い方という印象です。その
手腕に対する期待は当然ですが、加えて、子供の指導などを通して、
長野のサッカーの底辺を広げたいという意欲を持っておられるよう
ですから、大いに期待しています。
もう一つ、スポーツに関し長野に関係ある動きを報告しますと、
夏季・冬季の両オリンピックでも活躍された参議院議員の橋本聖子
さんが日本スケート連盟の会長に就任されました。彼女がエムウェ
ーブのオープンの時、記念滑走をして下さったことを昨日のように
覚えています。
日本スケート連盟は、不祥事を起こし、役員の告発問題にまで発
展してしまいました。会長・専務理事以下総退陣になって、岡谷市
の元市長の林泰章氏(長野県スケート連盟会長)が会長代行に就任
して、体制立て直しに努力され、ようやく新しい人事が決まったも
のです。
私は、長野市もエムウェーブを中心にしてスケートのメッカにな
りたいと言い続けてきたものですから、スケート連盟の皆さんと良
い関係を作っていきたいと望んでいます。その意味でも日本スケー
ト連盟がしっかりしていただかないと困ると思っていました。
橋本会長の誕生、そしてそれを支える林副会長の存在は、大歓迎
です。新しい体制ができての再出発、長野冬季オリンピックを開催
した市として、応援もしたいし、オリンピック選手をどしどし輩出
したい、そんな思いです。
文部科学省やJOC(日本オリンピック委員会)に、エムウェー
ブとスパイラルを、ナショナルトレーニングセンターに指定してい
ただきたいというお願いをしている最中ですから、いっそう体制立
て直しに期待しています。
今年も南長野運動公園のオリンピックスタジアムで、6月24・
25日、プロ野球の公式戦が行われました。セ・パ交流戦が終了、
通常の公式戦に戻っての西武対ロッテ戦でした。チラシには「長野
で激突!日本一奪還のドラマが始まる!」のキャッチフレーズが踊
っていました。結果はご存じの通り、西武の連勝でした。
さらに8月22日には、横浜対巨人戦の公式戦もありますので、
プロ野球ファンには大いに楽しんでいただきたい、プロ野球側にも
オリンピックスタジアムを大いに利用していただき、市民を楽しま
せていただきたい・・ぜひお願いします。
そのほか、長野運動公園では長野市障害者スポーツ大会、豊野地
区では長野県聴覚障害者球技大会が行われ、そして前にもご報告し
たスペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会・長野メモリア
ル第1回フロアホッケー大会(勇気の翼フロアホッケー大会)など、
この時期スポーツは素晴らしい盛り上がりを見せています。
家の中で読書やパソコンを楽しむのもいいですが、大空の下で大
いに身体を動かしましょう。
2006年6月22日木曜日
集客プロモーションパートナー都市協定について
長野市では昨年、上越市と第1号となる「集客プロモーションパ
ートナー都市協定」を結びました。上越市と長野市は古くからさま
ざまな「縁」がありましたので、都市間の市民の往来および交流を
促進することにより、さらに地域経済の活性化を図ることを目的と
したパートナーになったということです。この協定は、パートナー
都市において実施される観光イベント等に関する情報を積極的に市
民の皆さんに提供するためのプロモーション活動を相互に支援・協
力することを定めたものです。
この第1号の協定は昨年10月14日、上越市長に長野市にお越
しいただき、調印したものです。このころは私が対象になる市長選
挙の直前だったこともあると思いますが(上越市の木浦市長も私と
同日の選挙でした)、皆さんの記憶にあまり残っていないかもしれ
ません。
人口減少時代を迎えつつある現在、「旅行客」「観光客」という
名の交流人口拡大が都市活性化のキーポイントの1つになっていま
す。旅の形態も、かつて隆盛を誇った団体旅行が激減し、趣味など
テーマを持った個人・グループ旅行が主流になりつつあります。こ
の個人の関心をどうとらえるか、そのためには“旅へのきっかけづ
くり”としての情報を、できるだけ身近なところへ継続的に発信し
ていくことが大切と考えました。
これらのことから、市庁舎はじめ公民館、図書館など市民生活に
密着した市有施設に観光・イベントポスターを張り出したり、市発
行の広報紙やホームページも利用しあっていこうというものです。
上越市からは、市内の小・中学生及び幼稚園・保育園児を対象に、
夏休み期間に使用できる水族館や屋内プールの無料招待券をご好意
によりいただくなど、これまでも海と山をテーマに親交を深めてき
ています。また、両市の商工会議所が、昔から連携していることも
あり、この協定によりさらに市民交流が活発になることが期待され
ます。
既に実施したことですが、昨年12月には長野市の灯明まつりの
チラシ1,500部を上越市内38施設に置いていただき、今年3
月には上越市の高田城100万人観桜会のチラシ1,500部を長
野市内57施設に置きました。また、長野市のホームページから、
上越市のホームページにアクセスできるようになっており、私もア
クセスしてみましたが、なかなか魅力的なホームページです。
今後もこの協定を広げ、他の都市とも協定を締結していこうと考
えています。
協定の話とは違いますが、長野市では観光を一大産業に育てよう
ということでいろいろなことに取り組んでいます。
善光寺発信州北回廊プロジェクトのことは、以前にメルマガでも
書きましたが、参加している各自治体が、JR東日本長野支社など
の交通機関等と連携して、今年から本格的に首都圏へ向けてプロモ
ーション活動を開始しています。
市内では、今年「歩く」をテーマとした観光キャンペーンを展開
しており、秋には川中島古戦場・松代を舞台としたツーデイウオー
クが予定されているほか、市内各地でさまざまなウオーキングイベ
ントが計画されていますので皆さんも是非参加してみてください。
また、来年のNHK大河ドラマに井上靖原作の「風林火山」が決
定し、出演者の方々も決まってきましたので大いに活用していきた
いと考えています。
ドラマでは武田・上杉の川中島の戦いが後半のハイライトでしょ
うが、長野市にはこの戦いにゆかりのある名所・旧跡がたくさんあ
ります。川中島古戦場、今回のドラマの主人公となる武田方の軍師
山本勘助が造営したともいわれる海津城と彼のお墓、上杉勢が陣を
敷いた妻女山(さいじょざん)、武田信玄の弟信繁のお墓がある典
厩寺(てんきゅうじ)、信玄の側近で海津城の初代城主高坂弾正(
こうさかだんじょう)のお墓がある明徳寺、南長野運動公園にある
勘助宮跡地(かんすけのみやのあとち)の碑、頼山陽(らいさんよ
う)の詩で有名な「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)・・・」の
雨宮の渡し・・・など、ほとんどすべての場所を視察してみました。
いずれもネットワークを組んで素晴らしい観光資源にしたいもの
です。
中でも先日お伺いした松代町豊栄の明徳寺は、曹洞宗のお寺で、
ここには高坂弾正のお墓があります。ご住職の話では、昔から墓石
を削って持ち帰る人が多いとのことで、墓石はかなり削られていま
した。
境内には太平洋戦争の時、硫黄島で玉砕された栗林中将(松代出
身の方で、墓石は大将になっていました)のお墓もあり、また「酒
呑弥勒菩薩(さけのみみろくぼさつ)」という仏のお堂があって、
この寺の鎮守仏と書いてありました。“酒呑み”の仏さんがお寺の
守り仏という寓話(ぐうわ)は、なんともおかしく、また楽しい話
です。また蛙合戦で有名な池もあり、毎年春桜の満開の頃、遠近の
蛙が大挙して境内に集まり、あたかも合戦の様子を呈すのだそうで
す。この池は明徳寺のヒキガエル産卵池として市の天然記念物に指
定されています。
松代地区にはお寺が多いですね。それぞれの歴史があって、それ
ぞれの物語があるわけですから、工夫すればすごい観光資源です。
仏教関係の方からすれば「静かな信仰のお寺ですから・・・」との
声も聞こえてきそうですが・・・。
松代といえば、先日松代藩文武学校で開催されました「御前上覧
演武会」に招待されました。真田会の皆さんが中心となり、真田家
14代当主の真田幸俊氏(慶応義塾大学助教授)の御前で、剣士の
方々が羽織、袴姿で真剣を使って型を見せるもので、居合術、荒試
し、抜刀術、刀術を見事な気合で演じておられました。凛とした雰
囲気が場内にピーンと張り詰め、剣士の方々の緊張感が伝わりまし
た。
いずれにしろ長野市南部方面は、南長野運動公園、八幡原史跡公
園、茶臼山動物園等も含め、魅力一杯の地域です。「風林火山」を
きっかけに、大きなスポットライトが当たるそんな予感がしていま
す。
2006年6月15日木曜日
嬉しい報告がありました
先日、市長室に嬉しい報告が入りました。
6月7日、横浜市で開催された第29回全国消防長会消防職員意
見発表会で、長野市消防局の斉藤良明消防士が、見事最優秀賞を獲
得、全国15万8200人余の消防職員の頂点に立ったということ
で、これは大変な快挙です。
最優秀賞までの経過を聞いてみますと、厳しい選考過程を経ての
ものでした。
1月10日 長野市消防局内の第一次選考会により、局内出場応募
者18名から二次選考会出場者8名を選考。
1月20日 長野市消防局内の第二次選考会(出場者8名)で、最
優秀賞を受賞し、長野市消防局の代表として県大会代表
に決定
2月16日 長野県消防職員意見発表会(木曾勤労者福祉センター)
で、県内14消防本部の代表者14名の中で最優秀賞(
1名)を受賞し、関東支部消防職員意見発表会に県代表
として出場決定。
4月26日 全国消防長会関東支部消防職員意見発表会(さいたま
市)に出場、最優秀賞(2名)を受賞し、全国大会出場
決定。
6月7日 全国消防長会消防職員意見発表会に関東支部代表とし
て出場、全国各支部代表10名の中で見事、最優秀賞を
受賞。
以上が経過ですが、6月1日庁内の部課長会議の席上、斉藤消防
士が「これから行ってきます」ということで、挨拶代わりに意見発
表を披露してくれました。私も初めて聞いたのですが、びっくりす
るほど上手で、その場に居た職員はみんな拍手喝采でした。
発表テーマは「小学生からのDIG(注)」ということで、突然
起こる災害時、先生も親もいない通学路で、自分の身を自分で守れ
るよう、通学路の危険箇所や避難場所を地図上で確認するDIGに
取り組んでおく必要性を提案したもので、DIGは登下校時の防犯
対策など、防災以外の分野にも活用できると主張(先日行われた市
の水防訓練でも、安茂里の皆さんがこのDIGに取り組んでいらっ
しゃいました)、子供の安全に対する関心が高まっている中、防犯
対策にまで視野を広げた発表テーマが評価されたのではないか、と
いうことです。
そして8日、受賞の報告に来てくれたのですが、私は彼に「君は
昔、演劇部にいたのですか?」と質問しましたが、返事は「いいえ」
でした。庁内の部課長会議での事前発表を聞いたとき、発表内容も
よかったけれど、演技を含めた「しゃべり」が素晴らしかったので
思わず聞いたのですが、元来の素質に加え何段階かの選考会を経験
する中で、さらに上手になったのでしょう。
発表時間は一人5分以内、発表内容、表現力で審査されたそうで
す。全国大会での審査員は、明治大学法科大学院教授、神奈川新聞
社編集局長、横浜夢座の座長、前橋市・大阪市・福岡市の消防長と、
そうそうたる方々ですから素晴らしいことです。
長野の名を揚げていただいたこと、大いに称え、感謝しました。
長野市消防局職員の自慢をさせていただいたついでにもうひとつ。
一昨年の中越地震のとき、優太ちゃんを救った素晴らしい消防の活
動がありましたが、あの時も東京消防庁のハイパーレスキュー隊に
混じって、長野市消防局職員の活躍は光っていました。日ごろの訓
練の積み重ねが実っているなと大いに誇りに思ったものです。
日ごろ申し上げていることですが、日本に比べてアメリカでの消
防士の社会的地位は、とても高いと感じています。アメリカに倣え
ということではありませんが、自らの命をかけて働く消防士の社会
的地位をもっと上げるべき、私の考えていることの一つです。
話は変わりますが、長野市の交通安全教育を担って頂いている講
師の方についてお話しします。
長野市は、交通安全指導、交通安全教育を行い、交通安全思想の
普及を図ることを目的として、市民の皆さん一人一人に交通安全に
関する正しい知識と交通習慣を身に付けていただくために、毎年交
通安全教室を開催しています。
その教室の講師には、長年にわたり警察で交通部門に携わった方、
交通安全団体等で交通安全に取り組まれた方などから、市長と警察
署長が適任者を選任し、連名で委嘱させていただいています(任期
2年)が、この方々の活躍が見事なのです。
特にその方々が交通安全教室で披露する腹話術、そして寸劇は素
晴らしく、私がみどりの移動市長室で拝見したときは、女性の講師
の方2名でしたが、感激しました。交通安全を訴える寸劇で姑役と
嫁役を見事に演じられ、腹話術で歌まで歌ってしまうのですから、
びっくりでした。
平成17年度は、市内123カ所で交通安全教室を開催、受講人
数は約6800人ということですが、実に楽しい催しなのです。
講習というのはいろいろありますが、たとえば免許証の更新時等
に行われる講習は、誰もが重要であることは理解しているのですが、
どうしても堅苦しく考えてしまいがちですよね。目的が違うので仕
方が無いと言えばその通りですが、でも彼女たちに講師として登場
してもらったら、目線が変わって楽しいだろうし、有意義なのでは
ないかなあと思うのですが・・・無理でしょうかね。
(注)DIGとは・・・DIG(ディグ)は、参加者が地図を使っ
て防災対策を検討する訓練です。Disaster(災害)、
Imagination(想像力)、Game(ゲーム)の頭文
字を取って命名されました。