今年最後のメルマガになりました。一年を振り返って、いろいろ
書くのが通例でしょうが、それはいろいろな場面で申し上げていま
すので、今年は個人的に感じていることを、書かせていただきます。
【「公」と「私」】
私は市長就任以来、いろいろな場面で「公」と「私」の区分で悩
んでいます。どんなことで悩んでいるか、お聞きください。
(1)まず勤務時間の問題です。首長には(と言うより行政の特別
職には)出勤簿がありません。したがって始業・終業時間、休日
といった概念はないようです。すなわち、「公の時間」という規
定がありませんから、今日は体調がすぐれないから役所へ行きた
くないと思って、休んでも減給なんてことはないはずですし、欠
勤扱いにもなりません。それだけに、かえって休むことが難しい、
市役所が休みでも市長はいろいろな公務があるので、「私の時間」
はほとんどとれません。休みが欲しいのが本音です。
(2)市長就任以来、事故をおこす危険性から自分で車を運転して
はいけないと厳しく言われ、運転手さんの運転で公用車に乗って
いるのですが、ちょっとした私用が困るのです。例えば公務の合
間にちょっと病院で診察して欲しい、ちょっとした時間の合間に
書店に寄って本を買いたい・・・その都度タクシーを呼ぶのは時
間がかかりますし、次の約束に遅れる危険性もありそうです。こ
ういう場合、申し訳ないですが、仕方なく公用車を使わせてもら
っています。
(3)タクシーのチケットも悩んでいることの一つです。私はタク
シーチケットを公用と私用の2種類持っているのですが、夜の懇
談会(公務)の場合、公用車は私を会場に送り届けたあと、極力帰
ってもらっています。終わって帰る時、通常はタクシーで公用の
チケットを使いますが、同じ方向へ帰る方が同乗することもあり
ます。懇談会の後、誘われて2次会に行くこともありますが、こ
れは私用チケットを使うのは当然です。
(4)「パソコンの使い方がわからないとき」、「個人用のパソコ
ンの調子が悪い」、「自宅内無線がうまくいかない」・・・そん
な時、秘書あるいは無線に詳しい職員に手伝ってもらうことがあ
ります。しかし、家でしか書く時間がないメルマガを広報広聴課
に送る必要があったり、公の内容のメールを転送したりしますの
で、これは公務と考えるより仕方ないのですが。
(5)次は旅費についてです。私は、市長就任後3カ月の頃、ソル
トレークシティー(冬季オリンピック視察)とクリアウォーター
市(姉妹都市への表敬)を訪問しました。そして、クリアウォー
ター市からの帰途、乗り継ぎ地のロサンゼルスで休暇をとりまし
た。理由は同地で駐在員生活を送っていた息子の家を訪問したか
らです。そこで秘書課が悩んだのは、私のロスから日本までの帰
りの旅費が公費か、私費かでした。結局、規定の経路分について
は公費で払いました。
(6)会費等の参加負担金も厳密に考えると、迷いがないわけでは
ありません。数年前、全国市長会(東京)の折、稲門市長会(早
稲田大学出身の市長の集まり、毎年全国市長会の折、大学の総長
も出席して交流会を開いている)があり、初めての会合でしたの
で、稲門市長会に出席しましたが、その会費を公費で払ったこと
を、市議会で共産党さんが問題視しました。やましいことは全然
ありませんが、この会費の問題だけでなく、あらゆる団体・組織・
協会等のお招きをどうすべきか・・・出席すべきではないという
のも、一つの見識ですが、情報収集、あるいは長野市の考え方を
知っていただくという面から、可能な限り出席しています。
公的な仕事か、私的な仕事か、首長の場合、区別は付け難いこと
は事実です。いずれにしろ、公と私の区別はきちんとしなければな
らない・・・当たり前ですが、区別が付け難いあいまいな部分があ
る。現状は、責任は自分でとるとして、秘書政策課の判断に任せる
より仕方がないのですが・・・。
【ぜいたく?】
「長野市長の専用車『リース料5年で600万円』財政改革の中
ぜいたく?」こんな見出しが新聞に載ったことを、ご覧になりまし
たか?
先日、市長の公用車購入についての入札が行われました。現在乗
っている車は、前市長が乗っておられたものを、そのまま引き継い
だ車です。
少し前、秘書政策課から1月に市長車のリースが切れるというこ
とで、相談がありました。私は「現在の車に別に不満はない。再リ
ースをすればかなり安くなるだろうから、このままでよい」。でも
運転手さんは、あまり調子がよくないとも言っていたので「変える
なら、ハイブリッド車で小さ目の環境にやさしい車にしてください」
と伝えました。
しばらくして、秘書政策課から「いろいろ調べたけれど、現在の
車のリースは、再リースしてもあまり安くならない。それと調子も
よくなく、最近は修理が多い状況にある。ハイブリッド車には適当
な四輪駆動車がなく、長距離出張を考えるとある程度の大きさが必
要」との理由で、「今までと同程度(装備も含めて)の車にしたい、
リース料金は入札すれば、今までよりも安くなり、5年リースで車
検等を含め約600万円、月10万円前後(車検等も含む)ほどに
なる」との報告があり、結局了解しました。
ところが、情報公開が徹底しているせいでしょう、新聞の紙上で
前述のような大きな見出しの記事があらわれました。この記事を読
んで、皆さんはどう思われましたか?
記者からは市に問い合わせがあったそうです。秘書政策課では前
記の事情と、装備にあるシートヒーターとシートバイブレーター
(記事ではマッサージ機能でしたが)について、2つの機能は車の
装備で既にセットになっていること、急な外出や屋外活動の際に体
を冷やさないようにするためシートヒーターが必要であることを、
きちんと説明したそうですが、その上での記事です。
無視すればそれまでですが、私は見過ごすことができない記事と
考え、あえて反論します。私は、政策上のことで、批判、あるいは
反論されても、それが事実に基づいたことであるなら、結構です。
きちんと議論して、皆さんの批判を仰ぐ度量は持っているつもりで
す。仮に対象が個人のことであっても、事実なら甘受しますし、間
違ったと思えば謝ります。
ただ、今回の記事は、大見出しで「ぜいたく?」ということです。
記者が本当に贅沢と感じたなら、はっきり理由を書いて「贅沢」と
書くべきです。それなら、私の対応は違うのですが、「?」という
ことは、断定せずに、それでいて読者に贅沢ということを、印象つ
けようという意図が見えます。報道というより意見でしょうし、メ
ディアが批判された時の逃げも打っているのです。メディアの誘導
の典型例と申し上げたい。
そして内容が、私個人が関係すること、特に私が一番自分に戒め
ていること、すなわち「公と私」の項で述べたように、個人の勝手
で市に負担をかけることはしないという心情に対する、裏づけが不
十分な意見記事と感じたので、許せないのです。前述のような経過
の中で、私とすれば十分検討し、適当な車と結論づけた上で決めた
ことです。もっときちんと「ぜいたく?」という根拠を示してもら
わなくては納得できません。
同時期、別の新聞にも私への批判記事が載っていました。大型店
問題に関する件で、内容に私としては不満がありますが、これは、
政策のことであり、事実に基づいて、そう考える人がいても当たり
前と感じていますので、「財政改革の中ぜいたく?」の記事とは質
が違います。参考意見としてお聞きし、いずれ堂々と議論させてい
ただくつもりですが・・・。
【年末のご挨拶】
今年最後のメルマガで随想風ということで、私の思いをぶちまけ
させていただきました。お許しください。
来年は良い年でありますよう、そして正月は雪を楽しみましょう。
良いお年をお迎えください。
2005年12月28日水曜日
年末随想
2005年12月27日火曜日
選挙と民主主義の根幹と既存不適格について
【選挙と民主主義の根幹】
私は、自分の選挙を2回やってみて、いろいろな矛盾を感じてい
ます。11月に開催された長野県18市選挙管理委員会連合会委員
長会の際に、開催市の市長としての挨拶の中で次のような話をさせ
ていただきました。
「選挙」は民主主義の、あるいは地方自治の根幹をなす制度です
から、大切であることは当然です。でも投票率が40%を割ってし
まった選挙が果たして民意を正確に反映していると言えるのか、少
なからず疑問を感じています。民主主義=選挙とは思っていません
が、今の制度にはどうも疑問があります。
10月30日の市長選挙後いろいろな人と話してみました。「選
挙権の行使を権利ではなく、義務にすべきである。義務ならペナル
ティーを課すことが出来る」「選挙が有効と判定されるための最低
投票率を決めるべきである」「世論調査の方が民意を表すことが出
来る」「地方首長選は、アメリカ大統領選挙のような中間選挙人に
よる間接選挙にした方が良い」「正しい民意を探る方法としての選
挙とはいえ、市長選挙で9千万円も使うなんてもったいない」「マ
イナス選挙を認めて落としたい人に投票するのは、どうか」「コン
ピューター投票を採用したら、物珍しさもあって投票率アップにつ
ながるかも」・・・珍案を含めていろいろな意見がありました。
また、私は姉妹都市クリアウォーター市で、向こうの市長やコミッ
ショナー(議員)と懇談したとき「40%は上出来、クリアウォー
ター市では30%もいかない」という話をお聞きして愕然としたこ
とを思い出しています。
選挙管理委員会が明るい選挙推進協議会や各地区の白バラ友の会
と一緒にいろいろな投票率を上げるための運動をされても、効果が
薄い(すみません)。もう少し効率的に、きちんと民意を政治・行
政に反映するシステムはないものか。
いずれにしろ、このまま推移すると、というより先進国では投票
率はドンドン下がる傾向にあるということですから、ある勢力が、
ある意図をもって地方選挙を占拠する事態、選挙の結果が一般の世
論とは全く違う結果となることが絶対ないとは言い切れないと思い
ます。「候補者に魅力がないがゆえに投票率が上がらないのだ」と
いう意見、「結果が決まったような選挙で投票に行かない」、「争
点がない」といった意見もありますが、選挙と民主主義について、
我々一人一人が考え直す必要があると思います。
【既存不適格】
この言葉、皆さんご存知ですか?私は市長に就任してから知りま
した。なるほどなあと思いますが、極めて変な話です。現在社会問
題になっている「姉歯事件」とも無関係ではありませんので、皆さ
んにもぜひ知ってほしいと思い、私なりに書いてみます。
具体例で申し上げますと、長野市民会館は昭和36年、市役所第
一庁舎は昭和40年の建設ですから、現在の耐震基準(昭和56年
に法律で決められています)には適合していません。「危険」とい
う点だけで考えれば、姉歯事件のマンションやホテルと同じことな
のです。姉歯事件は、現在の基準決定以後の建物で、耐震法に違反
しているので許されない、市役所の建物は、建設当時の法律には合
致していて、現在も存在しているので「既存不適格」ということで、
違反にはならない・・・ということです。
こういう建物はたくさんあって、法律が変わったことで違法にな
ったのではたまりませんから、仕方がないとは思います。でも危険
かどうかという点で考えてみれば、どうでしょうか。日本の建物の
耐震基準は、大きな地震で被害が出る度に強化されてきたそうで、
新しい基準が決まると、それ以前の建物は、「既存不適格」という
ことなのだそうです。
もう少し踏み込んでみますと、この「既存不適格」建築物の増築
等を行う場合は、現在の耐震基準に合うように補強工事等をするこ
とになるのですが、それまでには相当の時間がかかります。
阪神淡路大震災を教訓に、法整備が進み、現在の耐震基準以前に
建てられた、学校、病院など多くの人々が利用する建物では、耐震
診断や補強工事をして建物を安全に保つ努力をしなさいということ
になっていますので、建物の所有者の方には耐震についての啓発を
行っていますが、努力義務のためになかなか耐震診断や補強工事が
進まないのが現状です。
また、本市においては今年度から昭和56年以前に建てられた木
造の戸建て住宅について、耐震診断と耐震改修をするための費用を
補助する制度をはじめており、多くの申し込みをいただいておりま
すが、今後とも今まで以上に皆さんに耐震というものに関心を持っ
ていただきたいと思っています。
安全なまちづくりの必要性が叫ばれている中、市民の命と財産を
守るために行政の責任者としてどう考えるか。いずれにしても、
「既存不適格」は厄介な課題です。
それともう1つ、姉歯事件に絡んで、私が記者会見で申し上げた
ことが、若干誤解されている面があるようですので、説明させてい
ただきます。
構造計算が偽造されている建物が、長野県内でも見つかって、ホ
テルの営業が出来なくなるなど、大変な事態が発生し、社会問題に
なっていることは、私も承知しています。長野県では、行政が構造
計算ソフトを購入して、過去の確認書類を再計算すると発表しました。
建築確認ということでは、長野市は長野県と同じ立場(建築確認
を受け付ける)ですが、本市では記者会見で「現段階では長野市は
同じことをやるつもりはない」という意味の発言をしました。市民
の皆さんからなぜ?という質問をいただいております。
本市では、建築確認の審査については、複数チェック体制をとり、
また十分な審査時間をかけて審査を行い、更に建築主事が最終判断
し厳格に審査を行っており、問題はないと判断しており、今すぐに
プログラム導入による再計算は考えておりませんということです。
しかし、今回の事件を踏まえ国も危機感をもっており、建築確認
制度全体の見直しを急ぐとともに、建築基準法改正等の検討も行っ
ています。本市は、その動向をきちんと見極める中で、プログラム
導入についても今後、適切な対応等総合的に判断していきたいと考
えています。再計算を全く否定したものではないということを改め
て申し上げます。
また、再計算とは別に過去に本市が建築確認した3階建て以上の
マンション等について、安全性を再確認するための再点検を行って
います。
加えて、今回の事件を受け、建築確認でのチェックとは別に、不
正工事防止のため工事途中に行う中間検査を充実し、チェック機能
の強化を図っていきます。
本市では従来、鉄骨造りについてのみ中間検査を実施してきまし
た(当時県と話し合い、一番問題なのは、鉄骨造りの溶接部分であ
る、ということで決めたことです)が、今回、検査対象建築物の範
囲を拡大し、鉄骨造りに加えて、新たに長野県内ではじめて鉄筋コ
ンクリート造り及び、鉄骨鉄筋コンクリート造りについても中間検
査を実施することとしました。この中間検査は、民間指定確認検査
機関についても検査が義務付けられ、市内に建設されるすべての対
象建築物について検査が行われることになり、チェック機能が強化
され、不正建築物をなくすために非常に有効な手段と考えています。
2005年12月22日木曜日
今年はスキー場が元気になりそうです
12月17日(土)、戸隠スキー場の「スキー場開き」に出席し
ました。今年は例年になく雪が早く降ったおかげで、長野県内のス
キー場は多分みんな大喜びでしょう。長野市も3つのスキー場を抱
え、多額の経費がかかるスキー場の運営状況は長野市にとっても重
要案件ですから、今シーズンのスタートとなるスキー場開きには、
私もぜひ出席したいと伝えてありました。
個人的には2年前のシーズンから、私はスキーにはまりました。
何回かこのメルマガでも紹介しましたが、友人の「何かスポーツを
やれ」というアドバイスと具体的にスキーを勧められたことが再び
始めたきっかけでした。やってみたら過去のスキーと違い、スキー
に革命が起きていて(すなわちカービングスキー(注))、操作が
非常に楽で、誰にでも安全に出来ることがわかったこと、アフター
スキーの楽しみ(皆で酒を飲みながらワイワイやること)を知りま
した・・・今は本格的なスキーシーズンの到来を、首を長くして待
っている状態です。
(注)カービングスキー・・・これまでのノーマルなスキー板に比
べてトップ(前)とテール(後ろ)が太くなっていて、より簡単
にターンが出来るスキー板
朝10時からの式は、雪はタップリ、天気は快晴で、これ以上に
ないほどのスキー日和でした。戸隠神社の宮司さんに今シーズンの
安全を祈願していただき、玉ぐし奉奠(ほうてん)、鏡割り、私や
市議会議長、地元代表の挨拶のあと、花火を合図に、たいまつを持
ったスキーデモンストレーターの人たちが見事な滑りを披露し、勇
壮な戸隠太鼓の音もゲレンデに響いていました。
そのあと、戸隠スキー場の新しい企画として、今年から開設した
「めのうシニアスキークラブ」のルームを訪問しました。ここは会
員制(本年の場合は会費3,000円です)になっていて、いろい
ろ特典があるようです。私も早速、会員第1号となり、部屋に自分
の名札を下げてきました。特典のなかで、特に私は最新型の試乗用
スキーが自由に借りられるようになっていることに魅力を感じまし
た。カービングスキーなど操作が楽で安全な道具が開発され、圧雪
車が入って、しっかりと整備されているゲレンデに、かつてスキー
を愛した多くのシニアの皆さんを「とにかく楽しいから、もう一度
やりましょう。」とお誘いしたい心境です。
当日は私も滑りたかったのですが、前日から風邪気味で点滴を打
ってもらっている状態でしたので、残念ながら滑れませんでした。
私の仲間は私に対し気の毒そうな顔をしながら、喜々として滑りま
くっていました。当日の有料入場者数は1,000人を越したそう
です。ちなみにオープン日の入場者数は平成15年500人、16
年は300人だったそうですから、今年は大いに期待できそうです。
戸隠スキー場は、昭和38年、バードラインが開通した頃にオー
プンしたのだそうです。そして年々来場者も増え、平成4~5年に
は55万人のお客さんが来場されたそうですが、昨シーズンは遂に
10万人を割る状況になってしまいました。6分の1は厳しいです
よね。もう一度20万人ぐらいのお客様を迎えるにはどうするか、
長野市に与えられた課題だと思っています。
一方で、ヨーロッパやアメリカではスキー場が今、元気なのだそ
うです。アジアでも国民所得があがるにつれて、スキー人口は増え
ているようです。オーストラリア資本が北海道のスキー場を買い取
ったという話がありましたよね。日本のスキー場だけが何か元気が
ない・・・私はこの状況を是非打破したいと考えています。首都圏
からも近い長野県は有利な位置にある、絶対にスキーのメッカに再
びなれる・・そんなことを信じ、努力したいと思っています。みん
なの力で必ず再生しましょう。
まずは合併効果を意識して、当面の誘客ターゲットは長野市を中
心とした周辺の50万人と考えています。50万近い人々がスキー
場から30~40分圏内に住んでいる、こんな有利なスキー場は他
にはないと思います。そして関東圏、関西圏へと一歩一歩広げてい
きたい。いずれは外国でも本格的な宣伝活動を展開したいと考えて
いますが、まず今年は韓国の旅行会社と組んで韓国からスキー客を
誘致する計画も進んでいるようです。
また、スキー場民営化構想については、戸隠支所長と地元の「ス
キー場を考える会」の皆さんが中心になって検討を始めています。
きっと素晴らしい案をまとめてくれるはずです。
スキー場開きから帰る途中、飯綱高原スキー場も、ゲレンデのす
ぐ近くから視察してきました。23日がオープンということで、人
影はありませんでしたが、既に圧雪車が入ってゲレンデの整備をし
ていました。ここも今年は雪不足に嘆くことはなさそうです。
※今年最後のメルマガは、12月28日(水)に配信予定です。
2005年12月15日木曜日
11月の出来事
年の瀬の慌ただしさを感じるころとなりましたが、11月にもい
ろいろありました。
【第100回長野えびす講煙火大会】
11月23日(水)、勤労感謝の日、犀川の河川敷で、「第100
回長野えびす講煙火大会」が盛大に行われました。明治32年に始
まったといわれ、途中、戦争等で中止もあったということですが、
いずれにしても100回というのは、大変なことです。
100回目の記念大会、1月に合併した4町村との合併記念とい
うこともあって、市も支援をいたしましたが、協賛金をお願いした
方々もかなり張り込んでいただいたようで、98年長野オリンピッ
ク冬季競技大会の閉会式以来の盛大な花火だった・・・という評価
が多かったようです。
花火は、新作花火コンテスト(私も審査員を務めました)を含め、
例年は4000発だそうですが、今年は6000発とはるかに多い
打ち上げがあったということで、皆さん満足されたのではないでし
ょうか。スターマインの凄さ、数の多さ、100回にふさわしい大
会だったと思います。
当日は、暖かい陽気で、風も無く、素晴らしい「花火日和」でし
た。主催者発表では34万人の人出だったということです。前にも
メルマガに書きましたが、冬が近いこの時期は、空は澄んでいて花
火がきれいに見える、夏の花火とは全く違う趣きがあり、また、全
国的に見ても、この時期の花火はあまりありませんので、年々盛ん
になって、長野の名物に成長してきた・・・そんな気がします。
主催者の長野商工会議所は、有料の個人観覧席を当初1000席
計画されたそうですが、予約が好評で、1500席に増やしたそう
です。旅行会社が多くの予約を入れ、ツアーを組んでくださったよ
うで、お客さんは県外の方が多かったようです。
私の唯一の心配は、犀川の土手の上り口付近の混雑で事故が起こ
らなければよいがということでした。私が市長就任の少し前になり
ますが、兵庫県の明石駅で、事故が起きて大勢の人が亡くなったこ
とを記憶されている方は多いと思います。私は市長就任直後の平成
13年のこの煙火大会を経験して、あそこは事故の危険性が大きい
と感じ、管理する千曲川工事事務所の所長さんにお願いして階段の
整備をしていただきました。今回はさらに警察の方々が最大限の警
戒をしてくださいました。お一人怪我をしたという情報もお聞きし
ていますが、大事に到らずホッとしています。危険はまだまだあり
そうです。皆さん、早く帰りたいという気持ちは分かりますが、押
さないようにしてほしいと思います。
いずれにしろ、盛大な煙火大会が、無事出来たことは、嬉しかっ
たです。
【横幹連合コンファレンス】
この名前、皆さんは多分ご存知ないと思います。私も初めてお聞
きしました。でも大変な学会で、出席させていただいてびっくりし
ました。
横幹(おうかん)連合とは、横断型基幹科学技術研究団体連合の
略だそうで、科学技術分野の研究者の皆様が横断的に結集され「知
の統合」を図っていこうという過去に例をみない試みを推進してい
る組織です。平成15年4月に30学会を会員として設立され、平
成17年10月にNPO法人化され、現在43学会、延べ会員数は
6万5千人にものぼるそうです。43の会員学会の名前は、多岐に
わたりとても覚えられませんが、会長に産業技術総合研究所理事長
の工学博士吉川弘之氏、副会長にBMC研究センター生物制御シス
テム研究チームリーダーの工学博士木村英紀氏、未来技術情報時限
研究専門委員会副委員長の工学博士江尻正員氏・・・そんな名前が
つながるわけですから、大変な会、そして未来志向の凄い団体だと
思います。その横幹連合コンファレンスの第1回大会を、11月25
日(金)長野市で開いていただきました。
このコンファレンスで「コトつくり長野宣言」が採択されました。
この長野宣言は(1)知の統合に向けた学問の深化とその推進、
(2)横断型基幹科学技術を活用した社会問題解決、(3)知の統
合を推進・定着させるための人材育成、というもので、私は「コト
つくり」とは、日本がこれまで技術を蓄積し、世界的にも優位性を
保っている「ものつくり」を生かしながら、新たな視点からこれを
拡大・発展させていこうという活動だと理解いたしました。
いずれにしろ、このコンファレンスの記念すべき第1回が長野市
で開催され、長野宣言が発せられたことは、大変な名誉であり、嬉
しく思いました。
【柵(しがらみ)小学校の閉校式】
11月26日(土)、戸隠地区の柵小学校の閉校式に出席しまし
た。69名の児童、教師、小学校の卒業生、戸隠地区の市民の皆さ
ん、長野市教育委員会委員など、大勢の方が出席され、厳粛かつ意
義ある式典でした。
柵小学校は明治7年の創立ということです。明治5年が学制発布
ですから、大変古く伝統のある学校です。創立当時は栃原学校とい
う名称だったそうですが、繰り返す町村合併の変遷の中で、柵村に
なって柵小学校になったようです。
柵小学校は、平成18年3月31日で閉校し、戸隠小学校、宝光
社分校と統合した新しい戸隠小学校が来年4月1日に開校すること
になっています。これは、合併前の戸隠村が三校を統合するという
決定をし、合併協議を通してその意志が確認され、今日に到ったも
のです。戸隠村の皆さんは、学校には適正規模が必要で、子どもた
ちは切磋琢磨するなかで、社会性を学ぶことが必要ということで、
意志決定をされたとお聞きしています。学校が閉校になることは残
念ですが、子どもたちのことを考えれば、私も旧戸隠村の皆さんの
決断に敬意を表したいと思っています。
式典では、校長先生から過去の歴史を振り返りながら、子どもた
ちに統合した新しい学校に慣れてほしいという話、昨年の卒業生が
作った「ふるさと柵」という歌を、69名の児童がきれいな声で合
唱、呼びかけ、そして出席者全員で歌った「故郷」・・・大変感銘
深いものでした。最後に嬉しい天からの贈り物として、裾花川で発
見された350万年前の大きな化石を校長先生が紹介されました。
柵小学校の校舎が化石館として再生されるだろうことを願っての素
晴らしいパフォーマンスでした。
同日、宝光社分校でも長い歴史を持つ学校との「お別れ会」が行
われました。児童が各学年ごとに寸劇などを披露し歴史を振り返っ
たようです。
【第10回長野市環境こども会議】
11月27日(日)、長野市環境こども会議が開催されました。
この会議は長野ライオンズクラブをはじめ諸団体のご協力をいただ
いて開催しているものですが、本年は第10回目ということで、市
民会館を会場に一日がかりで行われました。信州大学の学生たちも
一生懸命ボランティア参加してくださいました。
環境省の環境教育推進室長さんも例年の如く参加してムードを盛
り上げていただき、こどもエコクラブや環境教育モデル校の人たち
の実例報告が、劇や研究発表を通して楽しく繰り広げられました。
子どもたちへの環境教育の大切さが強調されている今日、意義のあ
るイベントであり、大人が見ても勉強になりました。
2005年12月8日木曜日
12月に入りました
【12月市議会が始まりました】
12月1日(木)、2期目就任後、初めての議会が始まりました。
秘書政策課とも打ち合わせをして事前に練りに練った所信を、多少
緊張しながら表明させていただきました。
詳細については、長野市ホームページに全文掲載(注)させてい
ただいておりますので、長くて恐縮ですが、私の2期目に向けての
基本方針、選挙で公約したマニフェスト(市民の皆さんとの約束)、
長野市の当面の課題等、私の思いもすべてを含んでおりますので、
お読みいただければ幸いです。
冒頭、私は4年前に市長就任以来、一貫して主張し続けてきた
「民間活力の導入」は今後もぶれることのない私の信念であり、2
期目を迎えて、さらにその思いを強くしていることを申し上げまし
た。行政主導から市民主体の自治に移り変わる大転換期、私の歴史
的使命として、あらゆる改革の原点、切り口として努力することを、
述べさせていただきました。
(注)平成17年12月市議会定例会「市長議案説明要旨」
http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/shomu/gikai.htm
【市川助役が退任されました】
12月2日(金)、私を4年間支えていただいた市川衛助役が任
期満了で退任されました。市川さんは県職員として商工部長、公営
企業管理者を歴任され、平成9年、オリンピックの直前、請われて
長野市助役に就任、塚田市政最後の4年間、そして私の1期目の4
年間、市政の女房役として支えていただいたものです。私からもう
1期お願いできないかとお話ししたのですが、市川さんの信念なの
でしょうか、助役は2期でやめるべきとのことでしたので、私も了
解したものです。
市川さんには助役として本当によく支えていただいたという思い
があります。政治・行政の世界には全くの素人の私が、突然市長に
就任したわけですが、彼の行政知識、見識のお陰で、大過なく市長
職を務めることが出来たと思っています。私の組織に対する考え方
は、NO.1(市役所でいえば市長)とNO.2(市役所でいえば
助役)が同じタイプの人間ではいけない、常に議論する関係でなく
てはならないということです。その意味でも絶好のコンビであった
と思いますし、「エコール・ド・まつしろ」を陰で成功に導いた功
績は大きなものがありました。
市川さんからは、40年8カ月の公務員生活を至福の中で終えら
れることの嬉しさの表明がありました。今後は健康に留意され、ま
た、立場は変わっても、長野市政のことにご協力いただきたい旨を
お願いしました。
さて、長野市はオリンピック前から、助役2人制を採用してきま
した。市川さんの退任でしばらくは酒井助役の1人体制になり、苦
労をかけることになりますが、今後どうするかについては、しばら
く検討させていただきます。国も地方自治法の改革を検討している
ようで、助役・収入役については大幅に変わる可能性があるようで
す。その辺も考慮しながら、新しい体制を考えてまいります。
【新町消防署小川出張所が開所しました】
少し前の話になりますが、11月15日(火)に新町消防署小川
出張所が開所しました。開所の式典には、多くのご来賓をお迎えし
て厳粛に行われました。
長野広域消防は、平成7年4月から当時の更水10カ町村と長野
市により消防事務の委託を受け業務を開始しました。本年の1月1
日には市町村合併により新長野市が誕生、また10月には牟礼村・
三水村が合併し飯綱町が誕生し、現在5カ町村(信州新町、中条村、
小川村、信濃町、飯綱町)の長野広域消防体制となっています。
小川出張所については、長野広域消防体制が発足以来10年を経
過することから、総合的な防災力を検討するとともに、平成16年
4月、小川村・中条村の両村長から、小川地区、中条地区への消防
力の増強の要望が出されました。そこで長野広域消防運営協議会で
検討の結果、小川村役場の一部をお借りして、新町消防署の小川出
張所として設置することが決定、以来準備をしてきたものです。
昨今の社会情勢を勘案し、小川村役場内に併設された新しい出張
所は、職員数は10名体制で、配備車両は、消防ポンプ自動車・救
急自動車・広報車の3台を配備し、管轄区域を小川村・中条村とし、
住民の生命と財産を守る防災拠点として運用することになりました。
出張所の執務室は小川村のご好意により、役場の建物の中で明る
くて窓外の景色が素晴らしい良い場所をお借りしました。また、減
菌室、仮眠室、車庫を備えた立派なものです。そして何といっても、
この出張所が出来たことにより、出動からの現場到着時間が、18
分かかっていた地区が5分で到着するなど、格段に短くなりました。
地域に密着した体制がとれるようになったわけで、両地区の皆さん
にとっての安心感は格段に上がったと思います。
小川村村長さんは「昨今の各地で発生する甚大な災害には目を覆
うばかりであり、日ごろからあらゆる災害に備えるべく地域防災の
強化に努めてきたが、この出張所が開設されたことは、大変心強い」
と喜んでくださいました。確かに、小川村は、近隣の新町、七二会、
鬼無里の各消防署から遠く、現場への到着時間も多くかかっていた
ため、常備消防をぜひ招致したいと願ってこられたわけですから、
それが実現できて、中条村村長さんと共に、大変喜んでいただきま
した。
私からは、「この施設を有効活用するとともに、今後も5カ町村
と連携をとりながら安全で快適な住みよい地域づくりをめざして、
広域消防体制の充実を図ってまいります。皆さん、ご支援、ご協力
をお願いします」と挨拶させていただきました。
小川村には、長野市内にあった長野県の旧知事公舎が移転改築さ
れて保存されていることは、皆さんご存知のとおりです。役場の2
階からその建物を眺めてきましたが、懐かしい建物です。今度来る
時は、ゆっくり拝見したいものです。また、村長室には元県知事の
故西沢権一郎さんの写真も飾られていて、これも懐かしく昔を思い
出しました。
2005年12月1日木曜日
ごみ焼却施設の建設候補地に伺いました
ごみ焼却施設の建設候補地については、長い間の長野市の懸案事
項であったことは皆さんご存知のとおりであり、市長選においても、
私のホームページで市民の皆さんが心配しているテーマの1つとし
て、とりあげさせていただいたものです。
11月21日(月)、私(市長)、岩倉環境部長、宮澤長野広域
連合事務局長の三人を中心に、市役所、長野広域連合の担当職員が、
大豆島地区の松岡区を訪問させていただき、建設候補地として決定
したことをお知らせし、ご理解をお願いいたしました。
(岩倉部長からは「建設候補地の選定経過と結果」「地域のまちづ
くりについて」、宮澤事務局長からは「広域連合のごみ処理計画の
概要」等について説明させていただきました)
事業主体になる長野広域連合が、1施設目の焼却施設を長野市に
造るということを決めて以来、長野市は「長野市ごみ焼却施設建設
地検討委員会」を平成16年5月に設置し、市民各層の方々によっ
て検討していただき、平成17年8月、その検討委員会の最終報告
で建設候補地として2カ所の報告をいただきました(この中では、
焼却施設を造る地域の環境整備、まちづくりについても報告いただ
いております)。
その後、庁内の関係部局で組織する「長野市ごみ焼却施設建設プ
ロジェクトチーム」を設置、検討委員会からの報告を尊重する中で、
候補地を1つに絞り込む作業、そして施設周辺のまちづくりについ
て、検討を重ねてまいりました。報告書の内容の実現は当然ですが、
過去の大豆島地区での「元気なまちづくり市民会議」で出された意
見などについても検討してまいりました。
プロジェクトチームの議論を政策会議、部長会議でさらに検討を
加え、その結果、「大豆島松岡二丁目サンマリーンながの及びその
周辺部」を建設候補地として選定させていただいたものです。最終
報告2カ所の地区の中では、搬入路の優位性が一番大きかったと思
います。
建設を予定している焼却施設は、焼却能力、処理方式とも現在の
清掃センターと同等でありますが、異なる点は、焼却灰を有効利用
するための灰溶融炉を備えたことであります。炉については、いろ
いろな方式がありますが、安全性を重視し、一番実績のあるストー
カ+灰溶融の方式に決定しています。
これらの施設建設につきましては、安全性の確保に万全の対策を
講じることは当然ですが、施設周辺の環境整備には十分配慮し、一
層のイメージアップを図ることをお約束してまいりました。具体的
には、周辺施設については、余熱利用施設の建設や現清掃センター
の取り壊し後の公園化、施設周辺のみでなく、大豆島小学校の環境
整備、総合市民センターの設置、児童センターの移転・拡充、道路
整備についても提案させていただきました。もちろん、これらの整
備については、今後地域の皆さんとの話し合いの中で、最終的な決
定をしていくことになります。
ごみ焼却施設は、市民生活に欠くことのできない極めて重要な施
設です。周辺住民の皆さんの中には、施設稼動に際し環境への影響
を心配される方、地域のイメージダウンを心配される方もおられる
と思います。私は、施設の安全性については、現在の技術水準での
最高峰のものを造り、迷惑はおかけしないことをお約束するととも
に、素晴らしいまちづくりをして、迷惑施設であるというイメージ
を払拭する施設にしなくてはならないと決意しています。
この日をスタートとして、地域の皆さんと十分話し合いを重ね、
説明をきちんとさせていただき、ご理解をいただいていきたいと考
えています。
2005年11月24日木曜日
東京、豊橋に出掛けました
【北陸新幹線関係都市連絡協議会で要望活動を実施しました】
11月9日(水)、金沢市、富山市、福井市、上越市、長野市の
5市長がそろって、国土交通省と財務省、そして自民党三役、関係
国会議員に北陸新幹線建設促進の要望をしてまいりました(北陸新
幹線関係都市連絡協議会の会長を私長野市長が務めております)。
基本的には、建設が合意されている事項ですが、財政が厳しい折、
少しでも早く建設が進み、開業できるように、予算確保等のお願い
に行ったものです。
ただ、それだけでなく、現段階、金沢までの建設工事が始まって
おり、福井市の駅は着工されましたが、線路については事業が未認
可ということで、福井市長さんは熱心に陳情しておられました。さ
らに、大阪までの先線については、ルートも決まっていないわけで
すから、まだまだ先の長い話です。
自民党の久間総務会長さんから、「北陸新幹線が金沢まで延伸し
た場合、当然お客が増える、そのとき、大宮―上野間が問題になる、
新宿へ入れることを真剣に考えないと」・・・という話がありまし
た。確かに現在ですら、大宮―東京間は特急あさまの時代と同じく
らいの約20分がかかっているのですから、真剣に考えるべき問題
だと思います。ただ、やるとすれば、大深度工法を使うことになる
のでしょうから、実現までには、大変だろうと思います。
行く先々で、長野市の問題、すなわちまだ用地買収さえ出来てい
ない現状について懸念が表明されました。実情について、私はきち
んとお話ししてまいりました。ただ、長野市だけが目途がついてい
ない現状で、大変恥ずかしい思いをしてきましたが、先線の関係者
に迷惑をかけないように、解決しなくてはと改めて感じました。
【小坂・麻生両大臣にお会いしました】
要望活動の後、文部科学省を訪問、先日初入閣された小坂憲次大
臣に、挨拶、お祝いを申し上げてきました。併せて長野市のオリン
ピック施設について、ナショナルトレーニングセンター(ナショナ
ルトレセン)への位置付けをお願いしてまいりました。
オリンピックの招致段階での思惑は、競技施設のいくつかは、ナ
ショナルトレセンにしてほしいというところにあったことは、私も
聞いています。東京西が丘のナショナルトレセンは、屋内・屋外ト
レーニング施設や宿泊施設などの整備で素晴らしい施設となります
が、冬季競技は無理でしょうから、この際長野に是非とお願いしま
した。
続いて、麻生外務大臣にもお会いしました。総務大臣に引き続き
の大臣就任のお祝いを申し上げたことは当然ですが、併せて、昨年
「エコール・ド・まつしろ」を視察いただいたことのお礼(ちょっ
と遅きに失していましたが)と、外務大臣のポストの難しさをお聞
きしました。
そのほか、長野県出身の国会議員(後藤茂之衆議院議員、吉田博
美参議院議員)が、国土交通省の政務官に就任されています。日本
国家のことに携わっておられる方々に、一地方のことだけをお願い
することは、遠慮すべきでしょうが、日本全体について考えていた
だく中で、地方が活性化するようにいろいろお願いしていきたいと
考えています。
【首都圏在住長野市民会議を開催しました】
要望活動を行った日の夜、首都圏在住長野市民会議を開催させて
いただきました。今回は合併した4町村の出身の方々にもご案内を
差し上げ、25人の方に出席していただきました。私からは、この
会議の趣旨と観光政策についてお話しし、長野市のPRについてお
願いしてまいりました。出席された皆さんからは、外からの目で、
いろいろなご意見をいただきました。厳しいご意見もありましたが、
皆さん、話すことがたくさんあって、時間が足りませんでした。こ
の会議は今年で3回目になりますが、毎回皆さんの故郷への熱い思
いが伝わってきます。工夫しながら、今後も継続し、市政運営の参
考にさせていただきたいと思っています。
【豊橋市での中核市サミットに出席しました】
翌10日(木)、東海道新幹線で豊橋市へ移動し、豊橋市が市制
100周年を記念して開催された中核市サミットに出席しました。
サミットの要点だけ報告させていただきます(今回は中核市37市
中、33市が出席しました)。
(1)国への政策提案を強化するため、これまでの中核市連絡会を
「中核市市長会」に改組し、定期的に意見交換する市長会議の新
設が決まりました。
(2)サミットでは「真の地方分権社会の実現に向けて」というこ
とで、権限移譲を進めるため「三位一体の改革の実現を求める中
核市市長会アピール」を採択しました。
(3)四つの分科会での議論を基に、行財政改革の推進や地域産業
の活性化をうたう豊橋宣言を発しました。
(4)基調講演では、元内閣官房副長官の石原信雄氏が「能力ある
市にはできるだけ責任を持ってもらうべき」と述べ、政令市並の
権限を中核市にも与える必要があるとの認識を示されました。
翌11日(金)は、豊橋市資源化センター(ごみ処理施設)を視
察しました。その資源化センターを中心にして資源リサイクルセン
ター(各家庭で不要となったものをリサイクル)、プラスチックリ
サイクルセンター(プラスチックの中間処理施設)があり、そして、
資源化センターの余熱利用施設(温水プールと温浴施設を中心とし
た施設)は工事中でした。焼却施設について、長野広域連合では、
実績のあるストーカ方式+灰溶融で行うことになっていますが、豊
橋市の施設は、ガス溶融炉を採用していました。順調に動いている
ようです。
2005年11月17日木曜日
「ぱてぃお大門・蔵楽庭」がオープンしました
11月12日(土)、待ちに待った「ぱてぃお大門・蔵楽庭(
くらにわ)」の整備が完了し、オープンしました。善光寺表参道と
国道406号の交差点、南東の角に、新しい長野の名所が出現しま
した。オープニング・セレモニーは、松代の子供真田勝どき太鼓の
元気な太鼓演奏に続いて、善光寺木遺りが詠われ、賑やかに開催さ
れました。
セレモニーには、事業主体の第3セクター株式会社まちづくり長
野(社長は長野商工会議所の仁科会頭)の役員さん、服部タウンマ
ネジャー、市議会議員さん、地権者さん、地域の大門区・東町区・
近隣商店街の皆さん、デザイン関係を含む建設関連事業者、そして
出店したテナントの関係者など大勢出席して、盛大に行われました。
株式会社まちづくり長野は、中心市街地活性化法に基づくまちづ
くり機関(通称:TMO※)として市が認定し、この日オープンし
た「ぱてぃお大門・蔵楽庭」をはじめ、平成15年4月からは「楽
茶れんが館」の運営を、また「ダイエー長野店」撤退後、市が取得
した「もんぜんぷら座」の1階において、中心市街地での不足業種
であり、かつ住民要望の高い食料品販売の商業施設の「とまと食品
館」の運営にも取り組んでいただいております。さらに、昨年度は
中心市街地で、創業や事業転換、事業拡大を図る個人や企業、事業
者などを対象とした「まちづくりファンド」の運営を行っていただ
き、今後はさまざまなイベント開催など、中心市街地におけるソフ
ト事業にも、積極的に取り組んでいただきたいと考えています。
ぱてぃお大門・蔵楽庭は「小さな旅気分を味わえるまち」という
ことをコンセプトに、(1)賑わいの創出、(2)門前らしい街並
みの整備、(3)新しい大門の創造を目指しているものです。大門
町にある空き店舗、使用されていない土蔵、空き家を活用し、テナ
ントミックスによる新しい商業施設を設置することにより、商店街
の活性化と観光客の回遊性の拡大や滞留時間の延長を図ろうという
狙いで整備されたものです。
平成12年12月、中央通りに面した空き店舗の1つが売却され
るという情報が、全ての始まりでした。平成13年6月、ビルを建
てられたら取り返しがつかないということで、地元住民有志の組織
である有限会社長野大門会館が、悩んだ末に、この土地を買い取り
ました。この土地の奥には土蔵があり、隣接地には使用されていな
い数棟の土蔵や3階建ての楼閣がありました(この楼閣、私は子ど
もの頃、不思議な建物があるなあと思っていましたが、その後周り
の建物が大きくなったせいか、忘れていました)。取得した土地を
中庭(ぱてぃお)化して隣接地まで回遊できるようにすれば、素敵
な空間が生まれ、賑わいが生まれるのではないか・・・「ぱてぃお
大門・蔵楽庭」構想が形づくられていきました。
そして、平成15年11月に、構想段階から携わってきた有限会
社長野大門会館に代わって株式会社まちづくり長野が事業主体とな
って、空き家屋としての土蔵群等を改修する計画が固まり、国から
事業計画の認定とリノベーション補助金※の交付決定を受けて、建
設事業がスタートしたものです。
大門町という善光寺さんの前面、伝統的な場所に、この不況の時
期、まったく新しいコンセプトの施設を造ることは、大変勇気のい
ることだったろう、そしてこの時期のテナント集め・・・相当なご
苦労があったことと思います。TMO、設計者、建設会社など関係
の皆さんに心から感謝と敬意を表します。
さて、ぱてぃお(中庭)を囲むように出店していただいたテナン
トは、ここではご紹介しきれませんが、全部で20店です。皆さん
には、ぜひご自分で訪ねていただいて、満喫していただきたい。私
はセレモニーの後、ひと回りさせていただきましたが、素敵な店構
えで、後日ゆっくり訪ねてみたいと思いました。土蔵造りの建物が、
とてもおしゃれな印象です。
出店した20店には、もちろん長野市の方もいらっしゃいますが、
遠く伊那市、松本市、軽井沢町、小川村からも出店していただきま
した。きっと新しい善光寺門前の顔として頑張っていただける方々
と思いました。
来年9月には長野銀座地区の2つの再開発事業(もんぜんぷら座
のすぐ近くで連係できる場所です)が完成する運びとなっており、
この「ぱてぃお大門・蔵楽庭」と併せて、中心市街地の活性化に向
けてはずみがつくはずです。この施設を核として周辺商店街への相
乗効果も期待したい・・・大きな希望を担っての歩みをしていただ
いております。
そしてもう1つ元気の出る話題。もんぜんぷら座活用事業が、財
団法人都市みらい推進機構が主催する「平成17年度土地活用モデ
ル特別賞」を受賞しました。土地活用の模範的事例となり、全国に
紹介されます。長野市にとって大変名誉なことで、うれしい出来事
です。
※ TMO・・・Tとは「Town=街」、Mは「Managem
ent=管理・運営する」、Oは「Organization=
組織・団体」の略で、中心市街地の活性化のためにいろいろな活
動を行う組織であり、具体的には、さまざまな主体が参加する街
の運営を横断的・総合的に企画調整する組織のことです。
※ リノベーション補助金・・・中小商業活性化総合支援補助金の
一部と中心市街地等中小商業活性化施設整備費補助金の対象とな
る施設整備を中心とした補助事業の通称です。
2005年11月10日木曜日
2期目のスタートに向けて
10月30日の当選後、31日は午前中、自宅でメディア各社の
インタビューを受け、2期目に向けての抱負を述べさせていただき
ました。選挙運動では、多くの市民の皆さんに私の政策を理解して
いただくとともに、投票率アップについてもお願いをしてきました。
しかし、投票率が前回を2.63ポイントも下回る結果となったこ
とに、私自身も釈然としないが、民意を頂いたと信じ、「民間活力
の導入」に全力を上げて頑張りますと申し上げました。
午後は、テレビに生出演しました。
翌11月1日は、選挙後の初登庁ということで、市役所玄関棟で
市民の皆さんや市職員の歓迎を頂きました。花束もいただき、華や
かな演出の中で自分の胸にあらためて次なる4年間への誓いを立て
ました。
この日が選挙後の初登庁というのには、若干疑問がありました。
私の1期目の任期は11月10日まであります。ですから、本来で
あれば11日が2期目の初登庁ではないか、もう少しゆとりをもっ
て登庁してもいいのではないか、秘書担当とかなりやりあったので
すが、1期目から2期目の公務は区切りなく続いていくため、選挙
後の初登庁をひとつの区切りにするということで、しぶしぶ妥協し
たものです。
助役・収入役との打ち合わせの後、職員へあいさつをしました。
職員へは、あらためて職務に臨む「7つの心構え」を話しました。
1つ目は、民間感覚を学んでほしいこと。2つ目は、何ごともポジ
ティブに「まずやる」ことを前提に考えてほしいこと。3つ目は、
長野を愛してほしい、そして、市民のために何ができるかを考えて
ほしいこと。この3つは私が就任当時から職員にお願いしているこ
とです。
そして、4つ目は、問題を先送りしないでほしい。スピードアッ
プして進めてほしいこと。5つ目は、市民満足度を高めてほしい。
そのために、情報公開・説明責任・説得責任を果たす努力をしてほ
しいこと。6つ目は、慣習・前例主義、現状維持、横並び意識を打
破し、企画力・チャレンジ精神を高めてほしいこと。7つ目は、す
ばらしい成果を上げられる働き方を工夫してほしいこと。
この7つの心構えを常に念頭に置いて、実践してほしい、そして
これが職員の意識改革であると話しました。
今回、新たに「市民の皆さんに分かりやすい行政に心がけてほし
い」ということを強くお願いしました。行政を分かりやすくするこ
とが、市民の皆さんと協働による行政を進めていく上で特に大切な
ことであると思ったからです。
そして「民間活力の導入」については、2期目においても私のぶ
れることのない確かな信念であると申し上げました。「民間活力」
とは、民営化や民間委託もそうですが、市民の皆さん一人一人の力
や知恵を行政に反映することです。
職員には、私と一緒になってマニフェスト(政策公約)に掲げた
政策を進めて、長野市の未来のために市民の皆さんや子供たちが、
素晴らしい夢と希望を膨らませることができるような「元気なまち」、
誰からも愛され注目されるまちを目指してほしいと話しました。
そして午後には、市選挙管理委員会から当選証書を受けました。
翌11月2日は、各部局の打ち合わせの後、市議会各派の総会に
出席させていただき、2期目に向けての決意を語らせていただきま
した。また、新年度へ向けての予算要望も頂きました。
この週末に経験してちょっと気になったことをひとつ。
千葉のホテルで、ちば環境再生基金の「エコちばコイン」の存在
を知りました。それは、「エコちばコイン」事業に参加しているホ
テルで、宿泊者がホテル備え付けの歯ブラシやくしなどのアメニテ
ィグッズを1つも使わない場合、グッズと一緒に置いてあるコイン
を出発時にフロントへ渡すと、ホテルはその分を基金へ寄付をする
仕組みのようです。基金では、NPOなどが行う環境活動への支援、
市町村の自然再生事業への支援、なのはなエコプロジェクトの推進、
不法投棄物の撤去などへの支援など・・・パンフレットを読むとそ
のような素晴らしい活動に使われると書いてありました。
私もほとんどの場合、洗面用具は持参したものを使い、ホテル備
え付けのものは使いませんので、コインをフロントへ置いてきまし
た。細部のことはわかりませんが、この方式は簡単で、旅行者の環
境意識を醸成し、かつ何らかの環境保全活動に寄与できる、そして
ホテルのステータスも上がる・・・一石三鳥の仕組みと感じました。
長野県は観光地で、旅館、ホテルが多くありますので、帰ったら環
境保全協会に提案してみたいと思った事業です。
2005年11月4日金曜日
市長選挙を終えて
-市長2期目をやらしていただくことになりました-
11月10日に任期満了となる長野市長選挙が、10月23日告
示され、30日に投票が行われました。その投票の結果、私、鷲澤
正一が2期目を担わしていただくことになりました。
このメールマガジンについては、第三者に選挙運動との疑念を抱
かせる場合が想定されるので、選挙期日3カ月前から、休止させて
いただきました。代わりに私の後援会のホームページで、市民の皆
さんの関心が高いと思うテーマを取り上げました。私にすればこの
メルマガと同じような思いで書きました。
メルマガを休止した7月末から10月末までの概略を報告させて
いただきますと、6月市議会定例会での出馬意思表明以後、通常公
務を行いながら、2期目に向けての政策作りを行ってきました。並
行してNUPRI(長野都市経営研究所)の仲間と早朝会議を行っ
たり、後援会組織の整備を進めてきました。
途中、予測をしていなかった衆議院議員総選挙が入り、市長選へ
の関心は薄れてしまった感がありましたが、私にとっては政策をま
とめる時間がとれたという面では、ありがたかったことも事実でし
た。
9月11日総選挙が終了し、私の政策マニフェスト(政策公約)
の準備も完了、9月19日に私の後援会事務所を正式に開きました。
そして仲間が少しずつ集まってくださって、立候補の準備が始まり
ました。10月に入って、ほかにも候補者が出馬宣言。「民営化」
がこの選挙の争点になると感じ、ようやく選挙モードになってきま
した。
10月13日には市民会館で後援会の大会を行いました。私は
「民間活力を行政に導入する」という1期目と全く同じスローガン
を掲げました。このことは「私が市長をやらせていただく歴史的な
使命」と言い切り、多くの皆さんのご理解を得たと感じています。
10月23日市長選挙告示。出陣式を行い、街頭演説などを行う
ため出発しました。街頭演説は前から苦手でしたが、そんなことは
言っていられません。多くの人に私の政策を理解していただき、ま
た、市長選挙が行われることを知っていただかなくてはならないと
いうこともあって、一生懸命に訴えさせていただきました。個人演
説会も数多く開催しましたが、常に「民間活力導入」を訴えさせて
いただき、市民の皆さんに真剣に聞いていただいたと思います。
この1週間、朝は家を出るのが7時前後、帰宅は午後9時過ぎと
いうことで、選挙運動を一生懸命やりました。正直終盤は疲れまし
た。なにより合併で広くなった市域を実感した選挙でもありました。
そして10月30日。結果は皆さんご存知のとおりです。
残念だったのは、投票率が37%弱と前回から2.63ポイント
落ちてしまったことです。私は一生懸命に「投票率は最低50%が、
民主主義の原点である」と訴えさせていただきました。街頭や演説
会での反応はすばらしかったのですが・・・残念です。
ただ、この選挙を通じて終始一貫して訴えてきた民間活力導入の
方針は、市民の皆さんにご理解をいただけたと思いますので、これ
からピッチを上げて改革に取り組みたいと考えています。
選挙の開票後、メディアの皆さんに囲まれての質問は、市民の皆
さんもいろいろな場面でお聞きになっておられると思いますので、
内容については、省略させていただきます。
なお、一緒に行われた市議会議員補欠選挙は、3名の方が出馬さ
れ、市川武さんが当選されました。
2005年10月21日金曜日
県教育委員会の高校再編案について
少子化の影響で、中学卒業者が平成17年と比べて平成31年には8割程度になるとし、
圧倒的に多い県立高校の再編についての議論が始まりました。
県内の高校は、県立は89校、市立は1校、私立18校(うち通信制2校)ということ
で、これだけ生徒数が減少すると、経営的な問題も勿論ですが、子供たちを教育する環
境や、子供たちのためにも、今のままでは成り立たないことは、事実であろうと思いま
す。
昭和30年代から40年代の高校生の急増期、県立だけでは足りなくて、私立高校にその分
を補ってもらったことは事実であり、以来、県教委は、高校入学者について、県立と私
立の定員の比率を一定に保って、共存を図ってきました。
その後、都市部では私立高校の躍進もあり、県立高も特色を出すために、英語科を設置
したり、総合学科を作ったり・・・だんだんにバラエテイーに富んだ形になってきまし
た。
しかし、そういう高校の工夫・努力にもかかわらず、少子化の流れは全ての高校が、存
在することは、難しくなり、ここ数年来、県教委はいろいろな検討をしてきたことは事
実でしょう。
高校に限らず、小中学校であっても、学校は地域にとっては大切な存在であり、地域の
中核になっています。
特にその学校の卒業生にとっては、青春時代の思い出がつまった場所、心の拠り所、と
言っても良いかもしれません。
生徒が減っても何とか学校を残そうというのは、地域の方々にとっては、当たり前のこ
とだと思います。
しかし、現在学んでいる生徒諸君とすれば、どうでしょうか?
あまりにも少ない生徒数の学校は、学校が社会へ飛び立つための準備の場と考えると、
仲間同士が切磋琢磨する機会が少なくなり、一生の友達に会えるチャンスも少ないなど、
学校が持つべき基本的な役割が不足することになるのではないでしょうか。
ましてや大人になってから、同窓会の楽しみをどうやってもてるのでしょうか・・・。
昨年から、検討委員会が何回も開かれ、県教委はそれに基づき今年6月、再編案を示し
ました。
長野市に関係のあることとすれば、松代高と長野南高を統合して、松代高の校舎を使う
長野西高の通信制や長野商、長野工の定時制を坂城高へ移す 2点でしょうか。
県教委のお話しでは、この案はたたき台ということで、これから議論が始まるわけです
から、まだ結論的なことを申し上げるのは、遠慮させていただきますが、私なりに感じ
たことを申し上げてみたいと思います。
松代高・長野南、両校とも、定員割れを起こしているわけではなく、生徒の確保は出来
ている学校です。
そして特に長野南高は、県立高校としては市内で一番新しい学校で、現在長野市では住
民が増えている地域にある学校です。
この2校が再編する学校として適当かどうか大変疑問があります。
定時制高校を坂城高に移すというのは、定時制は働きながら学ぶ場と捉えた場合、人口
や働く場が多い長野市内から離れた場所に移すというのは、如何なものでしょうか?
通信制については、性格上どこにあっても大きな影響は無いかもしれませんが・・・・。
その外にも考える問題がありそうです。例えば、お隣の中条高(中条村)、犀峡高(信
州新町)は、小さな高校ですが、そこへ通う生徒の半分以上が、長野市からの生徒だと
いうことですし、北部高(飯綱町)も長野市からの生徒が多いと聞いています。
現段階、県教委から長野市の意見を求められていませんが、川中島地区、更北地区の市
民会議でも、心配した市民の方から質問が出ています。
現在は、長野市教委が、検討委員会の長野市から選出されている委員さんに、意見を入
れずに事実の数字だけをご説明に歩いている状況です。
本市が「高校改革宣言」を発表した、市立皐月高の問題とも関係がある話ですから、い
ずれ、県教委と市教委が話し合って、きちんとした意見を申し上げる機会があると思っ
ています。
2005年10月17日月曜日
中山間地の活性化(農林業の再生は可能か)
1月1日、長野市は4町村を合併し、面積738.51平方キロの一段と大きな都市なりま
した。そしてその大きな都市の約70%が、いわゆる中山間地と言われる地域です。
長野市は人口38万の中核市ですが、非常に特異な形の都市構造になったと言えるでしょ
う。
長野市にとって、この中山間地をどのように運営していくか、都市部とのバランスをど
のようにとっていくか、合併後の大きな課題です。
長野市の農業、林業は、中山間地だけでなく、平地においても産業としては成り立ち難
くなっていることは残念ながら、事実でしょう。毎年行っている「元気なまちづくり市
民会議」でも、生産物の価格が安い、後継者がいない、等々のお話しが多く、根本的な
対策、施策がなかなか出てこないのが、実情です。農家の規模が小さいこともあって、
一部の林檎、白桃等の果樹以外は、かなり厳しい状況だと思います。
勿論、行政はJAなど関係機関等と協力して、いろいろな手段を講じています。農業指導、
機械化の補助、農業共済事業・・・最近は地域奨励作物(小麦、大豆、そば)を指定し
て補助金を出し、地産地消のお手伝いをしたり、農産物の直売所を設置したり、国が用
意した一番凄い補助金としては、中山間地域等直接支払制度もあります。ただいずれも
農村再興の決め手にはなっていないと感じています。
もっとみんなで知恵を出そうということで、中山間地市民会議等を開催して、各地域の
取り組み事例を発表しあい、お互いに刺激し合う試みも行っています。発表会には、い
ろいろな取り組みを聞かせていただき、大変参考になりました。
長野の農業は、小規模運営が多く、グローバルな取引が行われている農産物(農業製品)
は、価格的な競争には、まず勝てない。付加価値が高い、非遺伝子組み替え、農薬を使
わない有機農業・・・非価格競争の世界で頑張る必要性を感じます。
あるいは「そば」「おやき」のように、粉の生産から食まで、名物としてのブランドを
確立するなどの一貫生産、あるいは例えば葡萄からワインを作る等の工業化、が必要か
もしれません。それには資本の投下が必要なことは当然です。
観光との結びつきで、クラインガルテンやサラダパークの試み、都市住民との交流にも、
取り組んでいます。いずれにしても王道は無い、いろいろな施策を、辛抱強く、一歩一
歩積み重ねていくより仕方がないのでしょう。
目標は、中山間地に生活の根拠が出来ること、そして農業が自立して産業に育つことで
しょうが・・・・・。
林業の方が農業より厳しいと言われています。それは、農業の方が行政の援助があるけ
れど、林業の方はほとんど無い、それは外材の輸入がすっかり定着しているからです。
地元産材木使用のキャンペーンを行っていますが、経済行為として成り立つ、即ち産業
として自立するのは、なかなか難しいと感じています。
昔から「山持ち」という言葉は、金持ちの代名詞でした。長野市にも沢山ある「財産区」
は、市町村合併に伴なって、村有林を自分たちの財産として守りたいと言う手段だった
のでしょう。ですからそんな所へ行政の補助金を入れることは、有り得ない話しでした。
しかしながら、山林での重要な商品である材木の値段は、外材に押されて、桁違いに安
くなり、商売にならなくなったこと、山の手入れをする人が減ってしまったこと、等々
で維持が難しくなっている財産区が多いことも事実です。
しかし、現段階になって、山は都市部に対し、きれいな空気、きれいな水、人々の癒し
の場、さらに水害を未然に防ぐ保水の役目・・・・それらを提供してくれる山林の持つ
有用性が認識され、間伐を含めた山の手入れの必要性が叫ばれるようになってきました。
森林環境税も、目的税として有効という意見が増えているように感じています。
いくつかの地方公共団体でこの税を導入しています。現段階は、それしか山林の再生を
図る手段は無いのではないかとさえ感じています。
少し視点を変えて、生活の場として中山間地を捉えたとき、そこで成り立つ仕事につい
て考えてみました。中山間地での仕事の場として考えられることは何か、考えられる仕
事を拾ってみました(私の頭の中だけの考えです)。
山の管理作業、農作業、地域の溜池管理、農作業の指導、案内人(山のガイド)、雪掻
き、雪下ろし、一人暮らしの老人訪問、介護、消防団、福祉自動車・村内タクシーの運
転、買い物や生活の支援、食事作りや配達、地区内連絡係り、送迎、
育った人材にもよるが、地産地消の店を作る、特産品を作る等、新しい産業をおこすこ
とが理想。企業誘致も必要。意欲ある若者の定住策の実行、年次計画に基づく地区の祭
り、イベントの企画・実施。
ちょっと考えただけで、こんなに出てきます。これを有料で(即ち生活できるような組
み合わせは出来ないものか)。
地域の「真の自立」とは何か。地域住民と行政職員が協働により地区行政に参加し、役
割分担をし、支えあって地区を経営する姿。地域に産業、働く場があって自立して生活
できる環境・・・こんなことを夢見ています。
2005年10月14日金曜日
観光都市“長野”を目指して
長野市の発展を考える場合、人口が増えることが必要とおっしゃる方がかなり多いので
すが、現在の社会状況を考えると、合併以外に人口が増える要素はあまりないことは事
実でしょう。他県の例ですが、三重県のように、行政が大きな補助金を用意し、IT産業
の工場を誘致して何千人かの雇用を増やしたことは有名ですが、相手のある話ですから、
簡単に真似すれば良いとは言えません。
いろいろな方々の意見をお聞きしていますが、長野市はもっと「観光」に力を入れ、人
口増は難しいとすれば、交流人口を増やす努力をする、即ち「観光都市」「イベント都
市」として発展すべきであると言う提案をされる方が多いと感じています。その通りで
はありますが、しかし、日本中の全ての都市が、今そのことを狙っているわけで、競争
はかなり激しい、なまじの手段では勝ち抜くことは困難と思わざるをえません。
ただ、冷静に長野市と他都市と比較した場合、評論家的な発言ではありますが、観光都
市としての要素は充分に持っていると考えています。イベントだけとっても、東京、大
阪、京都等の大都市にはかなわないようですが、オリンピック以後、世界レベル・全国
レベルの大会や競技会等をこれだけ開催している地方都市は無いと思います。
オリンピック、パラリンピック、スペシャルオリンピックスを開催した世界唯一の都市
としての知名度を生かし、既存の資源をいかに上手に使うか、合併で得た素晴らしい資
源を活用できるか、市民の「おもてなしの心」が本物か、そして都市住民が癒しを求め
ている現代の風潮の中で・・・・長野市は「観光都市」「イベント都市」に挑戦する資
格は充分あると考え、当面の景気対策としても、元気なまちづくりの中心施策の一つと
しているものです。
観光、イベントを考える場合、まずなんと言っても善光寺です。年間600万人を超えるの
参詣者が訪れるという善光寺、平成15年のご開帳時には、たった56日で628万人の
参詣客を全国から迎えました。魅力を益々上げていくことが、重要です。お朝事、冬の
灯明まつり、ライトアップ・・・・そして周辺環境を整えて、ユネスコの世界遺産に登
録しようという運動がはじまっています。
松代。昨年の「エコール・ド・まつしろ2004」は市民の皆さんの参加を得て、素晴
らしい成果を上げました。それまで年間40万人前後の観光客だった松代に、一気に
86万人のお客さんがいらっしゃいました。そして2004年度の締めくくりに、一連
の活動が、日本広告大賞受賞という形で結実しました。本年に入っても観光客の出足は
好調と聞いています。今後ですが、松代にはまだ埋もれている多くの歴史・文化の魅力
スポットがありますし、歴史上の人物が輩出されています。これらをどう遊客・誘客に
繋げていくか、地域の方々の戦略に期待しています。
それと食や土産の開発も大切です。食べ物が美味くなくては、人が遊びに来ないと思う
のです。そしてなんと言っても松代の町が儲からなくては長続きしません。私が「エコ
ール・ド・まつしろ」で学んだことは、「思い切って決断すること」でした。
飯綱・戸隠・鬼無里。この三地区は、長野の高原を代表する地域でしょう。既にかなり
の知名度もありますが、観光のスポット、市民の楽しみの場として、今後の発展を目指
す地域です。昔からの魅力は沢山ありますが、特に人口30万人以上ある標高300mの
地(長野市街地)から、車で30分ぐらいで、標高1000m以上の素晴らしい高地に行
ける・・・こんな場所は世界的にも珍しいのだそうです。即ち、観光地としても、市民
の憩いの場としても、理想的な環境にあるということでしょう。自然を大切にしながら、
秩序ある開発を息長く行っていくことが重要と思います。トレッキングコースや乗馬コ
ースの設定、スキー場やキャンプ場、牧場、奥裾花の自然園の水芭蕉やブナ林、登山・
・・魅力を数えたらきりがありません。特にスキー場は、長野県の冬季間の観光を考え
た場合、無視できない貴重な存在です。
オリンピック施設の活用は、運動施設としての利用は当然ですが、観光スポットとして
も充分価値ある存在と考えています。指定管理者制度で民間活力を導入しながら、より
魅力的な場所にしていきたい。オリンピックを開催した都市として、スポーツを軸とし
たまちづくりをしたい、その中心施設です。
併せて、都市観光(市街地)も大切な視点です。長野市景観賞の建物や野外彫刻も増え
てきました。街並みの素晴らしさも、観光スポットとして活用出来るようになると思い
ます。美術館も東山魁夷館、北野美術館、水野美術館・・・その外、民間や法人等の活
動があり、都市観光の一助になっていただいています。旧長野駅の姿をもう一度復元し
ようという運動を始めた方々もいらっしゃいます。
都市部と中山間地の市民交流も今後発展していくはずですし、癒しの場として日本の原
風景は重要であり、大切にしていきたいと考えています。市内各地には埋もれている山
城、神社、仏閣など・・・歴史を調べてみると、素晴らしい資産になりうるものがたく
さんあります。これらをネットワークすれば、それだけで長野市民の宝物になりそうで
す。
茶臼山動物園もこの地方としては有数のものです。もっと宣伝してお客を呼べる、そし
て教育施設としても大切に育てたいと考えています。
それらをトータルして、近い将来、現在800万人台の観光客を1200万人まで増やそう
というのが、当面の目標です。
2005年10月10日月曜日
保育園民営化
次に保育園の民営化について、私の考え方を申し上げます。
長野市の保育園は、民間経営が41園、市営が44園(公設民営4園含む)であること
は、前回報告しました。(幼稚園については、県立短期大学付属幼稚園を除き、全て民
間経営ということも、前回報告しました)。
保育園については、民間であろうと市営であろうと、大枠では長野市行政の制度の枠内
で運営していただいています。例えば保育園を新設する場合には、必要性について審査
が行われ、認可を受けて初めて設置できるものですし、保育料も規準の部分は統一され
ていますし、経営内容についても、毎年市の保健福祉部が報告を受け、監査もさせてい
ただいています。
民間保育園に関して申し上げますと、それぞれの経営者の皆さんは、先生方、そして保
護者の皆さんと協力して、いろいろ工夫され、素晴らしい運営をしておられます。評判
も素晴らしいし、保育サービスが市営保育園より劣るなんていうことは全くありません。
・・・市営保育園も頑張っていますが、市条例等の縛りがあることから、特色ある運営
という面で申し上げますと、「市営」であるが故に、思い切ったことは出来難いという
面があります。
そして根本に横たわる問題として、お預かりしている子供さん一人当たりの費用が、計
算方法にもよりますが、市営の方が高い(年間:公立79万1千円、私立69万2千円)
ということが、あります。
現在、日本中で行財政改革が叫ばれています。小泉首相は「地方で出来ることは地方に」
「民間で出来ることは民間に」ということをキャッチフレーズにしておりますが、これ
は小泉首相でなくとも、実行していかなくてはならないテーマだと私は思います。
私は市長就任直後から職員に対し、行政が行っている全ての事業について分析し、「民
間と行政が同じことをやっている事業」「行政がやっているけれど、民間でも充分やっ
ていけそうな事業」「行政がやっている事業であり、民間では無理と思われる事業」
「法的にみて行政がやらなくてはならない事業」の4分類の表を作ってもらい、以来今
日まで、その表を睨みながら、行政を行ってまいりました。そして幾つかの事業につい
て民営化しておりますが、まだまだスピードが足りないと感じています。
その中でも特に保育園の民営化については、私の判断ミスもあってスタートに当たって
ボタンの掛け違いをしてしまったことを反省しています。もう少し現場の話し合い、即
ち保護者や保育士との話し合いを充分してから打ち出すべきだったと思っています。反
対しておられる保護者のご意見には、子供が慣れた先生と離れることが困るという意見
もありましたが、それは民間移管後、暫らく保育士を出向させるよう考えています。
そこで本年度に入り、有識者の方々にお願いして懇話会を開き、いろいろな意見をいた
だいています。
その中での議論を通して民営化への道筋、そして保育園の将来の姿、あるいは経営形態
などについて前回お話した「幼保一元化」や少子化による子どもの減少を踏まえた配置・
規模、といった問題を含めて議論していただいています。
その懇話会の結論を待って、長野市の姿勢を明確にし、市民の皆さんの心配を払拭して
から、民営化を進めていきたいと考えています。
地域の市民会議等での話し合いの中で、ひとつ大きな誤解があることを感じています。
即ち、民営化、即合理化ということで、廃園につながるのではないかというご懸念があ
るようでが、これは基本的に違う問題です。
もちろん、子どもの数が極端に減った場合にはいくつかの園を統合したり、廃園も考え
なければなりませんが、保育園は基本的に必要とする地域に市の責任で自らが設置、又
は設置を認可するもので、それぞれの地域において必要な規模の保育サービスをより合
理的に行う方法として民営化しようということであり、保育園の必要性ということは、
民営化か市直営かということとは、関係はありません。
2005年10月7日金曜日
幼保一元化と民営化について
幼保一元化と保育園民営化は分けて考えるべきであると、考えています。
まず幼保一元化について、考えてみます。
幼保一元化の問題は何とかすべきだということで、何十年も前から議論されてきたテー
マです。即ち幼稚園は、就学前教育ということで、文部省(現在は文部・科学省)の管
轄。保育園は、保育に欠ける子を預かるということで、厚生省(現在は厚生・労働省)
の管轄。寄って立つ法律が違い、管轄が違うが故に、二つのシステムは全く違う場とし
てそれぞれ発達してきたのです。
しかし、両方の現場を見学し、話しを聞いていくと、両者の違いは何だろうと考えさせ
られてしまいます。保育所の存在根拠になる「保育に欠ける」子供と言う意味はかなり
曖昧ですし、幼稚園以上の教育をしている例はいくらもあります、正規の保育時間が、
幼稚園より長いようですが、これも幼稚園が対抗上、預かり保育等を実施しており、違
いはわかりにくくなっている。極論すれば、違いは入園料の有無や保育料システムぐら
いといっても過言ではなさそうです。勿論幼稚園の先生は幼稚園教諭、保育所は保育士
ということで、資格が違うということで、このことも統合が出来ない一つの理由になっ
ているようですが。
ただ長野市の状況を申し上げれば、幼稚園は全て民間経営(県短を除いて)ですが、保
育所は民間経営が41園、市営が44園(公設民営4園含む)ですが、どちらも行政の
許認可を受けて、長野市の責任で保育を行っているけれど、ある部分を民間にお願いし
ているのが、実情です。ですから幼稚園の授業料は幼稚園が直接保護者から徴収します
が、保育所の保育料については市が保護者から保育料を徴収し、そこへ国の基準の運営
費などを足して保育所に渡すのが、原則です。
勿論保育所によっては、保育料以外に保護者の了解のもとに、別料金を徴収して、保育
の質を上げている例はあるようです。
歴史的な流れを振り返ってみれば、昭和30年代前半ぐらいまでは、幼稚園の方が保育園
より格が上といった発想があり、保育園が幼稚園に変わった例はあったようです。しか
し、その後、国の福祉政策重視という方向が定着し、幼稚園より保育所への補助金が優
遇される時代になって、現在は保育所の経営が幼稚園の経営より楽というのが、一般的
な世論といわれています。(経営責任が行政にあるということも、保育所の経営が安定
している一つの理由かもしれません)
保育所の全国大会などで、会長さんの挨拶を聞いていると、幼保一元化絶対反対と仰っ
ている、その中で幼保一元化は必要と申し上げるのは、かなり勇気が必要ですが、逆に
幼稚園大会等で、私が幼保一元化の必要性を申し上げると、納得していただけていると
感じます。そのことは上記の意見の証明であると私は考えています。
しかし、私はどうも納得がいきません。保育所と幼稚園は就学前の幼児教育ということ
では、ほとんど同じことをやっているわけで、それが違う制度で同じ土俵の上に乗って
いるとは言えない。不公平だと思うのです。保育所と幼稚園を同じ制度にして同じ名前、
例えば「幼児教育・保育施設」にする。教育内容の違い、保育時間の違いなどは、それ
ぞれの園の特色ですから、自由にやれば良い。保護者はその特徴を調べて、必要なサー
ビスと料金を提供してくれる園を選べば良い、と私は思います。行政の補助も一律であ
るべきで、本来は保護者に一定の補助をしてお任せすれば良いのではないでしょうか。
制度上、3歳未満児の養護中心の保育が保育所で行われてきたという状況の違いはあり
ますが、幼保一元化というテーマは、昔から不合理だということで、解決しなくてはな
らない・・そう大部分の人が感じていながら、そのままになっていた問題です。
本年、解決の第一歩になるかもしれない制度が試行されています。幼稚園と保育所を一
緒にした総合施設が、全国で36箇所認められました。そのうちの一つが県内で長野市に
認められ、若穂綿内の若穂幼稚園で行われています。この試行に必要な予算が国におい
て認められ、実施されています。
私は現段階まだ視察していませんが、なるべく早く見せていただきたいと考えています。
もしかすると、長年の懸案が解決に向かって動き出す最初の一歩になるのではないか・
・・・そんな思いで見守っています。
次回は保育園民営化について申し上げます。
2005年10月3日月曜日
中心市街地の小学校の統合問題について
中心市街地小学校6校の統合問題の検討がはじまったのは、平成6年ごろだったでしょ
うか。6校とは、後町、鍋屋田、山王、城山、加茂、城東の各小学校です。名称は「長
野市中心市街地のまちづくりと小学校の適性配置研究委員会」ということで、関係区長
さん、関係小学校のPTA副会長さん、そして校長会の代表、商工会議所の代表、関係市議
会議員、そして、まとめ役としての大学教授・・・・総勢35人ぐらいだったと思いま
す。
当時、この6校については、ほぼ中心市街地に位置し、中心市街地の空洞化、人口減の
ために、それぞれの学校はかなり小規模になってしまい、統合の必要性が言われていま
した。しかし、古い伝統校が多く、この議論は最初からかなり難しいと思われていたこ
とは事実です。しかしあまりに小規模になってしまうと、子供達にとって、教育的見地
から如何なものかということで、この検討会が始まったものです。併せて中心市街地の
空洞化が進み、なんとかしなくてはならない・・・そのためには統合された小学校の跡
地の利用も重要というまちづくりの観点もあったことは事実でしょう。
検討が始まった当時、議論はいったりきたり、私も商工会議所を代表して委員の一人だ
ったのですが、始める時は、当然オリンピック前に結論が出て、何らかのアクションに
結びつく(例えばオリンピック関連の利用)と思っていたのですが、途中から、これは
無理だと感じざるを得ませんでした。(実際、報告が出たのはオリンピック終了後、3年
目ぐらいでしたでしょうか。)
議論の中味はもう古いことですから、今申し上げても意味がありませんが、柳町の県営
住宅をオリンピックのメディア村に建て直し、そのあと一般に開放されるということで、
当然人口が増える予測が出てきて、城東は残すべきとの意見が決まり、北側の城山小、
加茂小についても、山手の飯綱地区の子供が通っている実態から、結論は先送りされ、
結局、後町小、鍋屋田小、山王小をまず統合することになり、長い議論の末、委員会の
中で投票を行って、統合先は山王小の跡地に決まりました。
ただその後、3校の通学区域の人口が西側の安茂里地区の人口が予想したほど増えず、
東側の人口が増えていることから、一番東側にある鍋屋田の場所の方が良いのではない
かとの議論が起きて、結局、委員会の意見は鍋屋田に変更されました。この間の経緯に
ついては、一旦決めた案を変更する等、不手際があったことは事実ですし、発足当時の
委員会は公開が原則ではなかったために市民の間に、不信感が生まれてしまったこと、
原則委員は個人の資格で出席して自由に意見を言って欲しいと思ったが故に、地域、学
校での内容公開は避けてほしいという申し合わせを行ったこと・・・等々、透明性、公
開性に欠けていたことは事実であり、申し訳なかったと思っております。しかしながら、
当時の委員会のあり方としては普通のことでしたし、公開では、委員の方々が意見を出
しづらいといったことも事実でした。
その後、長野市教育委員会では、この検討委員会での結論を尊重して統合する小学校は
鍋屋田小の跡地と決定しましたが、関係学校関係者や地区関係者等から、異論が出され、
教育委員会関係者が地域でいろいろ説明してきましたが、なかなか収まらず、市長とし
ても強行することは困難な状況と判断せざるを得ませんでした。
しかし、現実に中心市街地の小学校は、極端に生徒数が減少しており、一学年10人未満
という例もあるなど、子供たちの教育環境を考えれば、憂慮すべき情況と判断せざるを
得ませんでした。子供たちが一定人数以上の仲間と一緒に学び遊ぶことの喜び、社会性
の醸成、将来の仲間つくり・・・・それは人生を生きていくための大切なことだと私は
思います。
教育委員会が関係の保護者や地域の皆さんの意見を参考に一生懸命に知恵を絞った結果、
次のような方式があみだされました。
即ち、中心市街地の後町、鍋屋田、山王小の三小学校に平成17年度から通学区特例校
制度〔フリー通学区〕を導入し、3年くらいの動向を検証する中で、継続的に一学年2ク
ラス以上の生徒確保ができた学校は存続する。その目途が立たない学校は、近くの学校
に統合するということで、地域の皆さんと合意が成立しました。(ただこの原則は、中
山間地には適用できないと感じています。それは周辺に学校が無く、通学距離がありす
ぎるからです)。
将来的には、もっとフリー通学区は増えるかもしれません。それは「近くに学校がある
のに、通学区があるために遠くへ行かなくてはならないのは不合理である」と言う意見
はかなりの数、寄せられています。又、各小学校ではいろいろ工夫、研究して立派な運
営をして、多くの子供に来てもらえるようにしたい、と言う学校側や地域の努力にも報
いたいとの思いもあり、そうなれば通学区を自由にしたほうがよいのではないか・・・
と言う意見が強まることにもなりそうです。
いずれにしろ、この方式は問題の先送りだと言う意見もあるようですが、私はそう思っ
ていません。将来を担う子供たちのことを考え、地域の皆さんも納得して、最良の解決
方法を見出したのだと信じています。
そして仮に統合される学校が出た場合、行政とすればその場所に素晴らしい公共施設を、
地域の皆さんと相談しながら造ることになると思っています。
2005年9月30日金曜日
ゴミ問題
る、住んでいる以上、ゴミはどうしても出てしまう。この処理方法については今から見
ると、昔は行政もかなりいい加減な処理をしていた時代もあるようですが、環境政策が
進歩し、法律も整備されるに従い、きちんとした処理をしなくてはならなくなったわけ
です。
ゴミについての法律を少し説明しますと、分け方の一つは「一般廃棄物」と「産業廃棄
物」というものがあります。一般廃棄物とは基本的には市民の皆さんの出す家庭ゴミと
企業の出すゴミのうち、産業廃棄物以外のものをいい、処理は市町村が行うということ
で義務付けられています。一方、産業廃棄物は、企業の責任で処理しなくてはならない
と企業に義務付けられています。ですから、ほとんどの企業は処理事業者に料金を払っ
て、処理を依頼しているわけです。企業の一般ごみについては、行政が有料で受け取っ
て処理しています。
もうひとつの分け方は、可燃ゴミ、不燃ゴミ、資源物といった分別でして、これは処理
を行う市町村によって違いがあります。都市規模によって、あるいは分別方法もいろい
ろ工夫して行われているようです。
長野市の分別については、資源物の回収は市民の協力をいただいて、順調に機能してい
ます。特に容器包装リサイクル法に基づくプラスチック製容器包装のゴミの分別収集は、
平成16年度から全市で行っていますが、そのせいもあってかゴミの全体量が減っている
ようです。処理の料金体系は、見直しも必要と思いますが、さらに分別を徹底していき
たいと思っています。
さて長野市のゴミ処理についてですが、昭和30年代後半から、松岡区のご理解をいただ
いて、清掃センターを設けて焼却処理をし、小松原地区のご理解をいただいて、天狗沢
に最終処分場を設けて焼却灰の埋め立て処理を行っています。
ただ問題は、清掃センターが老朽化していること、天狗沢の埋め立て地が限界に近づい
ていることです。早急に次の対策を作らなくてはならない状況です。
平成12年、長野県はゴミ処理について、市町村がそれぞれ単独で行うのではなく、特別
地方公共団体の広域連合で行うようによう指導をしました。長野市はこれを受け入れ、
長野広域連合でゴミ処理を行うべく、研究を続けてきました。
その結果、第一号の焼却施設は長野市に、第二号の焼却施設は千曲市に、最終処分場
(埋立地)は須坂・高山地区ということに決定し、それぞれの自治体が受け入れたもの
です。長野市とすれば、広域連合内で最大量のゴミを出していること、地域の真中に位
置していることから収集コストが一番低いこと、等を考慮して受け入れたものです。
さて広域連合での決定を受けて、長野市としてどうするか、直ちに委員会をお願いし、
市内の何処に、どんな方式で、設置すべきかの検討をお願いしました。ゴミ焼却施設は
迷惑施設という印象が強いものですから、行政が勝手に決めることは出来ないというこ
とで、外部委員中心に、大学教授、市会議員の各派、各団体代表、公募の方等々、多く
の委員さんをお願いしてかなりの時間をかけて検討いただきました。
そして、検討委員会から松岡地区を最有力候補地、川合新田を次ぎの候補地ということ
で報告をいただいた段階です。この報告書を基に庁内でいろいろ議論している最中です
が、一箇所に絞って、周辺の環境整備も検討した上で、決定地域にお願いに行く予定で
す。
また、お願いする地域については、イメージアップが図られるようなまちづくりを進め
る必要があり、検討委員会からは、余熱を利用した還元施設のあり方についても報告を
いただきました。焼却施設からは相当量の余熱が得られることから地域のまちづくりに
貢献できる、また多くの市民の皆さんが利用できる余熱利用施設を提案したいと考えて
おります。
を強調しておきたいと思います。3Rとは
Reduce(減らす) Reuse(再使用) Recycle(リサイクル) です。
その中でも「減らす」ことが最も重要であると言われています。
今回の広域連合のゴミ処理については、極力小さな施設にすべきであるということから、
ゴミをかなり減量することを、織り込んでいます。即ち平成15年度を基準として、平成
22年度の数値目標は、家庭系の可燃ゴミは10%、事業系のゴミは15%を減らす計
画です。これは大変な数字であり、実現できないと清掃センターがパンクする事態も考
えられるわけで、なんとしてもREDUCEを推進しなくてはならないのです。
2005年9月28日水曜日
大型店問題
昭和30年代後半以降、日本の高度経済成長とそれに伴うモータリゼーションの進展によ
り、都市は郊外へ広がりました。道路が整備され、農業用地が宅地化され、工業団地、
流通団地そして住宅団地等が造成され、現在の都市形態が出来上がってきたということ
でしょう。団塊の世代の持ち家志向も大きく影響しているかもしれません。
より豊かな生活を求める市民の行動、自由な経済活動により切磋琢磨する企業活動、そ
して保護行政が仇となったのか、農林業関係産業の不振そして、グローバル社会の実現
による国境を越えた取引の増加・・・・加えて高齢化、少子化にともなって、私たちが
過去経験したことが無い人口減少社会が到来する・・・。難しい時代、あらゆる社会の
仕組みが変わらざるを得ない時代、都市形態についても当然、この時代の変化に影響さ
れざるを得ないと考えられます。
現在、長野市には、そのような流通形態の変化を積極的に取り込んでいこうということ
でしょうか、郊外に大型店が出店したいということで、地権者等に申し入れ、話し合っ
ています。その中には、事業者側の出店希望だけでなく、地権者側の誘致しているもの
もあるようです。
大型店の郊外出店問題
長野市は昨年度、「商業環境形成指針」を制定、今まで大型店が地権者との話合いだけ
で、進めてきた郊外型の大規模ショッピングセンターについて、あらかじめ届け出てい
ただき、市役所として個々に対応するのではなく、全庁挙げて検討することになりまし
た。この指針に基づいて、出店を希望する大型店の届け出を求めたところ、5ヶ所、店舗
面積はトータル133,476平方メートルの届が出てきました。この面積は従来の大型
店の売り場面積の合計に匹敵するほど、広いものです。
長野市はこの事態に対処するため、指針に基づいて庁内審査を行う一方で、その要綱に
より現在、土地利用委員会に付託し、将来の都市のあり方を含め検討していただいてい
ます。
そして賛成、反対の両陣営が、市長あるいは委員会に対して、意見を提出している段階
です。これはなかなか難しい問題ですので、市として結論を出す前に、外部の皆さんの
意見も充分お聞きし、判断を誤らないようにしたいと考えているからです。
市にそんな権限があるかという方がいらっしゃいますが、今出店を希望している場所は
ほとんど優良農地(いわゆる青地区域)です。当然、農用地域の解除や農地転用等の手
続きをしなくてはなりません。それは県、国(関東農政局)の権限ですが、許可申請が
提出された場合、市の意向を聴取されることは間違いありません。そして農用地域の解
除や農地転用等の手続きをする場合、市の意見が決定的に重要であると、考えています。
ですから、事前に調整をしたいということです。
逃げるわけではありませんが、市長としては、現段階、このことについて何らかの意見
を言うことは、審議に予断を与える恐れがあるが故に、避けさせていただきたいと考え
ています。委員会の審議にお任せしている段階ですし、担当課では庁内議論を行って審
議に必要な資料を作成し、お示ししています。最終的には長野市として決断しなくては
なりませんが、当面は避けさせていただきます。
2005年9月26日月曜日
浅川・新幹線
浅川治水問題と新幹線の延伸問題
浅川治水問題は、田中県知事の脱ダム宣言以来、既に4年以上経過しているが、未だに
解決の道が見えない。市長として、どうしようとしているか、過去の経過と考え方につ
いてお知らせしたい。
浅川は県が管理する一級河川である。(国が県に管理を委託したもの)
浅川の治水について、県は昭和40年代、河川の拡幅によって行おうと考えていた。しか
し、川幅が81mにもなってしまうところから、地域の皆さんが優良農地が潰れるとい
うことで、反対した。(県は最初からダム案ではなかった)
昭和50年代に入って、県はやむをえず上流にダムをつくることでの解決を打ち出し、地
域の了解を得た。そして故柳原市長の時代、長野市の水道水の確保(利水)とあわせて
ダム建設について、基本的な合意を得た。(ダム計画は治水だけでなく、長野市の水道
水の確保も考えたものだった)
平成7年、ダムを含む河川の全体計画が国の認可を得た(これが一番重要。現在はこの
認可が生きている状態)。その間、ダム建設予定地に活断層がある等の指摘が出された
ため、検討委員会が設置され、10人の日本の権威者により、ダム周辺の調査が行われ、
9人の方が一致して安全性について問題無しとされた(日本でのダムの歴史は100年以上
あるが、崩壊したという例は聞いたことがない、それだけ安全性は高いと考えられる)
平成12年、全ての準備が整い、県議会の予算決定を受けて工事会社と工事契約が締結さ
れ、浅川ダムの本体工事が着手されました。
直後、田中県知事が誕生。ダム工事を停止する(県議会の決定を無視した、知事の独断
で、地方自治法上は、知事の行為は許されるようですが、行政の継続性と言う点ではい
かがなものか。最低限中止を議会に諮って賛同をうることは必要ではないでしょうか)
平成13年2月、県議会で脱ダム宣言がなされる。
県議会の提案で、「県ダム等検討委員会」が決議されて設置され、県知事によって委員
が任命されました。その下部組織として「浅川部会」が置かれました。(長野市長は浅
川部会に、関係行政機関委員として参加しました。私は11月市長就任し、塚田前市長か
らこの委員を引き継いだわけですが、この部会の様子については、過去のメルマガで報
告させていただいていますのでご参照下さい。問題点を若干指摘させていただきますと、
浅川部会での論点はダムが危険か、安全か、基本高水流量450tは過大かの2点に集約
されると思います。そして、ダム反対論者の方々は、代替案を出すといいながら具体的
に根拠のある案は出さなかったこと、事務局を務めた県当局も本来出すべき代替案を、
出す立場にないと称してださなかったことです。特筆すべきは、基本高水を下げること
を唯一の目標にして長野に乗り込んで来たと思われる新潟大学の大熊教授が「浅川の基
本高水は、特別高いわけではなく、他の河川と同じ方式で普通のやり方です」と語った
ことと私は思っています。
浅川部会での結論は、結論が出せないまま、両論を併記して上位の委員会に委ねました。
(一時、多数決で結論を出そうかとも考えましたが、部会のメンバーの顔ぶれから、必
ずしも勝てないという判断もあって、両論併記して上位委員会に委ねざるを得なかった。
要は、部会の議論は、互いに信じることを言い合うだけで、意見を変えた方はいなかった、
お互い説得は出来なかったということです)。
ダム等検討委員会の議論の中身はわかりませんが、委員会の中の多数決で「ダム無し」
治水を答申しました。(この多数決が問題です。浅川部会から託された二つの論点をた
だ併記しただけで、何の論評、意見も加えず、ただ委員会において多数決で決めたとい
うことです。確かに民主主義の原則からすれば、多数決は仕方ないと思いますが、何ら
かの意見を付して、例えば「ダム無し案」が「ダム有り案」より優れている何らかの理
由をつけて多数意見として決めるなら、わかりますし、そのことに対する意見を又言え
るのですが・・・多分委員長さんは、分からなかったのでしょうね。そして脱ダム宣言
だけを科学的根拠が無く認めたということでしょう。この結論で良いなら委員が任命さ
れたときに分かっていたはずです。
県知事はこの委員会の答申を受けて、浅川ダムの中止を正式に決定しました。(これ
も私から言わせていただくならば、委員会を隠れ蓑にして自分の意見を正当化しただけ)
そして、県議会の反発を受け、6月議会で不信任案が可決されました。そして普通は議
会を解散するという常道をとらず、自ら辞表を提出、再出馬すると云う奇策により、ダ
ム代替案はあると称して、再選されました。
その後、この三年間、県がどんな動きをしているか、正確には私たちにはわかりません。
ダム無し案を何とかまとめようと苦労しておられることは分かります。具体的な動きと
しては、浅川の現状を愁うる県議会議員や地元住民の国への働きかけが功を奏し「従来
の全体計画(ダムを含む)に基づく河川改修を、手戻りの無い範囲で行うことを認めて
もらい」県は浅川の河川改修に取り組んでいます。(このことは、浅川の治水安全度が
少しでも上がることですから、私としても歓迎しています。そしてその外にも、いろい
ろな案のようなものを出してきます《例えば溜池利用、田圃利用、遊水地、河道内遊水
地等》が、いずれも中途半端なもので根本的な解決にはなりません。それどころか、打
つ手が無くなったからでしょう、知事の戦略は基本高水を下げることに焦点を絞ってい
る感があります。基本高水を下げるということは、それなりの期間を経て合理的な理由
が無い限り認められない、即ち国は河川整備計画として認可しないということは、明々
白々であり、無駄です。市民の生命と財産を守る立場から言うと、基本高水を下げるな
んて話は論外です。市民の皆さんにもっと怒って欲しい)
浅川問題のもう一つの側面、それは北陸新幹線の延伸問題に影響が出てきたことです。
この問題は、長野新幹線の車両基地を長沼地区に作るにあたって、地元の皆さんが洪水
の常習地帯ということで大反対運動を展開された。そこでいろいろな調整が行われ、当
時の日本鉄道建設公団、長野県、長野市と地元の長沼地区新幹線対策協議会の4者が作成
した確認書がありますが、そこには、平成12年頃を目途として、早期に浅川ダムを作
ることが、約束されているのです。それが未だに出来ていないわけですから、地元は硬
化するのは当たりまえ、約束を守れということです。そして現段階新幹線の工事は県内
だけでなく、県外も金沢に向かって着々と進んでいるのに、長野市内分約3.3㎞は、
まだ土地買収すら出来ない状況です。(この問題については、出直し知事選の直後、平
成14年9月に知事が長野市役所へ来られたとき、私から「ダムを止めたとすれば一日
も早く解決してください」と申し上げてありますが、未だに何の手も打ってない、行政
の信頼を大きく損なっている問題です。北陸新幹線の完成までには、まだ若干の余裕が
あるのかも知れませんが、県も鉄道建設・運輸施設整備支援機構から、相当責められて
いるはずであり、北陸地方の皆さんも漸く事の重大性に気が付いたようです。)
以上、浅川問題の諸々の問題について、説明させていただきました。この問題について、
長野市が能動的に動けない事情をお汲み取りいただきたいと思います。
2005年9月22日木曜日
今大切なこと
失われた10年、あるいは平成大不況を経て(現在まだ真っ只中と言う意見もあります)、
現在の状況を考えてみると、日本が再び活力を取り戻すためには、まだまだ前途多難を
思わせることが沢山あります。
戦後60年、「今まで機能してきたシステムが制度疲労を起こしている」と言うのは簡単
ですが、それではどうすればよいか・・・。今のところまだ混沌としているというのが
正解でしょう。
国内問題に限って考えた場合、危機的な状況であった金融危機を脱却した現在、解決し
なくてはならない国内プロジェクトは、評論家的な表現で申し訳ありませんが、以下の
通りだと考えています。
少子化問題 日本の人口が減少し始める、正に将来の日本がどうなるか、大変心配です。
人口が減ってもかまわないという意見もありますが、やはり日本の活力が低下すること
は間違いないと思います。少なくとも「子供を持つことが、幸せだ」と思える社会を創
る必要があります。
年金問題 年金は国民の最後のセーフティーネットです。この制度は何としても維持し
なくてはなりません。年金制度の再生のために消費税を増税することは、やむを得ない
のではないでしょうか。同時に国民が平等・公正と感じることそして最低限の生活が出
来る金額を保証することが、大切でしょう。
環境問題 京都議定書が発効しました。地球環境が良くなっているのか、悪くなってい
るのか、説はいろいろあるようですが、地球の温暖化が進んでいることは事実のようで
あり、CO2の削減が根本的な問題のようです。サステイナブル(持続可能な)社会を創
るために何をやるべきかが今問われています。
民営化問題 行政改革の必要性は異論がない。そしてその最大の効果は、行政コストを
下げる、サービスを良くする・・・。そのための大きな要素が民間活力の導入、あるい
は民営化です。ただこの改革はまだスタートしたばかりですので、かなり異論もありま
す。方向性については間違いないと思いますが、国民に対し、粘り強い説得が必要な分
野です。その典型的な例が郵政民営化かもしれません。
この四つの問題以外でも、国家100年の大計といわれる教育問題、憲法や教育基本法の改
正問題、三位一体の構造改革、景気浮揚、地方分権・・・・数えればきりがありません。
一挙に解決するのは無理でしょうし、どれが重要かという順位付けも、難しそうです。
一人ひとりの考え方によって違うと思います。加えて、国内問題と言いながら、当然国
際的な絡みもでてくるわけですから、日本的な解決だけでは済まないこともあるでしょ
う。
小泉さんの郵政民営化の主張は、の中の一つの問題であり、大切な問題ではありますが、
それだけでは無いと私は思っています。
問題解決に当たっては、結局お金の問題に行き着くのですが、現在の財政状況との関連
で考えれば、いずれ増税は避けて通れないテーマだと思います。小泉首相が、自分の任
期中は消費税を上げないと宣言したことが、議論そのものを封じ込んでしまったという
意味で、失策だと私は思っています。
それでは、前述の4つの諸問題について、地方自治体(あるいは長野市は)レベルでは
どう対処しようとしているのか、概略述べてみます。
少子化問題は、根本は諸外国の例をみてもお金のことに行き着くと思います。子供を育
てるにはお金がかかる、共働きの収入を減らしたくない、子育てと働く環境が両立して
いない・・・・確かにその通りです。ただこの問題を解決するためには、莫大なお金が
かかるがゆえに、国の政策転換がないと難しいテーマです。
地方自治体ができる範囲のことは、私としても最大限の努力は惜しまないつもりですが、
それだけでは決定打にはならないと思います。
福祉施策は、全体として行政の重点課題ですが、いろいろな施策がある中で、子育て環
境の整備に力点を移す必要を感じています。
年金問題も国の問題です。逃げるわけではありませんが、地方自治体では全く手の打ち
ようがありません。社会全体の若さを失わないようにしながら、65歳~70歳まで生きが
いをもって働ける社会を創ることが、地方自治体の責務と考えて努力します。
環境問題は、一般論で言えば、京都議定書の発効を受けて、その実現に向けて、国が漸
く動き出そうとしている時期であり、当然長野市としても、目標値を設定して努力がは
じまるところです。現段階、長野市として取り組むべき課題は、環境保護のための具体
策(長野市でいえば、環境パートナーシップ会議での提案)を実行することと、「ゴミ
を減らす」こと、併せて清掃センターや最終処分地を整備することと認識しています。
民営化問題は、長野市においては、聖域なく実行しています。委託、民営化、PFI、人材
派遣等々あらゆる手法を検討しています。特に地方自治法の改正で、指定管理者制度の
導入が可能になったことから、大きく進展しそうです。全てを民営化することは無理か
もしれませんし、紆余曲折はあると思いますが、私の民営化三原則(サービスの質、競
争条件、コスト削減)を基本に、雇用問題にも配慮しながら、聖域なく進めてまいりま
す。
市町村レベルで諸課題の解決を目指す場合、民営化問題は規制緩和が一番大切ですが、
その外の三つは、どうしても財政問題に突き当たります。
景気が良くなって税収が上がるなら、一番良いと思います。新しい産業の育成、既存企
業の再生、そして雇用の拡大、新規投資・・・・株式会社や有限会社だけでなく、NPO,
SPC,LLC・・・新しい形態も生まれてきています。
8月1日から、LLPという新しいシステムも導入されました。新しい産業がこれによって
可能になると私は期待しています。産業の誘致、起業は社会の活性化のため、今後とも
大切な手法になると思います。
それだけでは不可能かもしれません。国レベルでの増税は避けて通れないと思いますが、
国の財政構造改革が進む中で、地方も住民に税等の負担増をお願いせざるを得ないと感
じています。その場合、目的をはっきりさせて理解を求めていくことが大切でしょう。
具体的に目的税あるいは料金値上げとして考えられるものとして、森林環境税、次世代
子供育成税、ゴミ処理費、水道料・・・が考えられます。事業体に係る税金も所得税的
なものより、消費税、あるいは外形課税が主力にならざるを得ないと考えています。
2005年7月21日木曜日
「かじとり通信」をしばらく休止します
私のメールマガジン「かじとり通信」は、平成14年4月にスタ
ートしてから今回まで3年余り、継続して毎週書いてまいりました。
1回も休まず、場合によっては号外まで出してきました。お読みい
ただいている皆さんには、下手な文章にお付き合いいただき、心か
ら感謝しています。
小泉首相のメールマガジンに刺激され、広報広聴課の若手職員の
誘いに乗って始めましたが、自分なりに次のような意図をもって、
始めた仕事です。
1 行政にとって大切なことは、透明性を高めることであり、その
ためには広報・広聴を充実させることが大切だと言われています。
しかし、行政の話はどうしても総花的で、専門用語が多く、市民
の皆さんにはわかりにくいことが多い。素人の言葉で率直に語る
方が、理解していただけるのではないか。
2 行政の意図、言い換えると市長の意図を、きちんとわかりやす
く、自分の言葉で語ろう。文章で残すことは危険、という意見も
いただきましたが、私はあえてその危険を冒すことによって、本
音を知っていただこうと考えました。
3 市長が知ったこと、経験したことは、なるべくお知らせしよう。
市長として出張させていただいているのだから、海外も含めてい
ろいろ見聞きしたことを、なるべく皆さんにお知らせして、知識
を共有してもらおう。
4 長野市は広い。市民の皆さんだって全部は知らないだろう。市
長は役目柄あちこちへ行くことが多く、知る機会が多いので、市
民の皆さんに紹介しよう。
5 私の個人的なことも、多少書かしていただいて、市民に私の考
えを知っていただこう。
テーマに迷ったり、出張が多くて書く時間がなかったり・・・今
週は休刊かなあ・・・なんて考えた時もありましたが、なんとか続
いて今回で169号(号外は別)になりました。継続は力なり、自
分でもよく続いてきたものだと感じています。
さて先日、6月市議会定例会において次期市長選への対応につい
て質問があり、出馬の意思を表明させていただきました。今後も任
期満了まで市長としての公務が続くのですが、選挙が近づくにつれ
立候補予定者としての側面が注目されることになると思います。
「公職選挙法においては政治活動と選挙運動を理論的に区分して
いるが、どこまでが政治活動で、どこからが選挙運動となるのか境
目が難しい。市長が単に市政の報告をしているつもりでも、第三者
に選挙運動になっているのではないかとの疑念を抱かせる場合も予
想されるので、今後は注意が必要」との話も聞いております。思い
入れが深く、私の率直な思いをお届けすることに意義があると考え
ているメールマガジン「かじとり通信」ですが、以上のことから28日
より休止させていただきます。
その他のコーナー「お知らせ&イベント情報」と「新着情報」は
続けて配信してまいります。なお、10月30日の選挙の結果に関
係なく私の任期は11月10日までです。11月4日は市長でおり
ますので、メールマガジンを配信させていただきたいと考えていま
す。
2005年7月14日木曜日
移動市長室で戸隠を訪問しました
6月30日(木)、戸隠地区での「みどりの移動市長室」で、N
PO法人「べとの会」と「戸隠塾」の皆さんを訪問しました。6月
市議会定例会で、戸隠地区選出の小林議員さんから、「べとの会」
についての質問をいただき、庁内議論で、基本的には地域活動とし
て有意義であると認識していましたので、一度視察して直接お話を
お聞きしたいと考えていました。この時期に懇談する機会が得られ
たのは、グッドタイミングでした。
最初に「べとの会」を訪問し、堆肥を作っているサイロを見せて
いただきながらお話を伺いました。現地にはサイロが6つ出来てお
り、その建設費等は約900万円で、700万円を借り入れたとの
こと。運営は順調に推移し、計画どおりにいけば借入金の返済は出
来る予定だったそうです。
ところが今年1月、長野市との合併の結果、長野市が生ごみを事
業系一般廃棄物として安く受け入れているため、生ごみ処理を「べ
との会」に依頼していた飲食業や旅館などの事業者の方々が安い価
格で収集している運搬事業者に出すようになって、「べとの会」に
生ごみが集まりにくくなってしまった、そのために経営が成り立た
なくなりそうだというお話でした。処理費が安く済むとすれば、事
業者の方々にすれば当然の行為でしょうが、「べとの会」にすれば
合併の余波で倒産する可能性があるということです。
一般論とすれば、合併によって出る余波を行政に持ち込まれても
困るし、経営責任ということから言えば、経営者自身で考えてくだ
さいということです。しかし、この事業は、行政としても清掃セン
ターの負荷を減らすことが出来るものであり、地球環境を守るとい
う立場からも、地域内循環で処理できている大切な事業であるとい
う認識があります。
長野市としては、生ごみの堆肥化はリサイクルの面から大切なこ
と、この地で堆肥化することは、市の清掃センターの負担が減るこ
とになるし、輸送費用も少なくて済むこと、この種の施設はどうし
ても臭いが出るということで、なかなか適地がないことから、地域
の支持を受けているとすれば貴重な存在であること、合併によって
経営が成り立たなくなるのは残念・・・等々の視点から市の環境部
と十分相談してほしいとお伝えしました。
堆肥を作る材料としては、飲食業や旅館などから出る生ごみとそ
ばがら(戸隠名物「そば」粉を作る時の副産物でそばの実の表皮)
を主原料として使用します。信州大学の酒井教授の指導で生ごみの
中にZ菌を入れて、サイロの中へ幾層にも重ねて積み上げ、サイロ
の底へ太いパイプを入れて通気性を保ちながら、6つのサイロを順
繰りに使い、時間を十分かけて完熟堆肥を作っているとのことでし
た。「そばがら」は通気性を保つための必需品で、近くのそば工場
から有価で供給を受け、「生ごみ」は飲食業や旅館などから処理料
を取って受け入れてきたということです。
私が一番心配していたのは、出来た製品の売れ行きだったのです
が、完熟堆肥ということで、周辺農家に契約販売しており、地区内
に販路があり心配はしていないとのことでした。
視察を終えて、そば博物館「とんくるりん」へ移動。背後の高台
のあずまやで、「戸隠塾」の皆さんと懇談を行いました。戸隠塾の
名簿を拝見しますと、山口塾長さん以下47名で、戸隠の中社、宝
光社、越水等で、多分商売をやっておられる方々や商工会職員の若
手行動派の方々とお見受けしました。旧市内でいえば、青年会議所
や長野都市経営研究所のような存在なのでしょう。
塾長さんのお話や総会資料を見せていただき、わかったことは「
自分たちも楽しみながら」をモットーに、まちの景観形成・地域活
性化・史跡などを守る等を目的に結成された会であるということで
す。地域にあまり知られていない史跡・伝説・自然について知識を
広げ、わかりやすい看板を作って、統一感のある景観をつくり、ま
ちづくりに対する住民意識の向上を図る・・・といったことを目標
に掲げ、行動しておられるようです。「べとの会」に所属する方も
かなりいらっしゃって、共に行動しているというお話でした。
この組織も、先日訪問した大岡地区の「すわろびくすサークル」
と同様、長野市が行っている平成17年度「ながのまちづくり活動
支援事業補助金」に応募し、見事100万円の補助を獲得されたそ
うです。
時間があまりなかったのですが、懇談の席で皆さんの関心は指定
管理者制度とのからみで、スキー場の将来についてでありました。
私からは、県内スキー場の現状や戸隠スキー場の数字的な実情をお
話しした後、次のように申し上げました。
1 戸隠スキー場のもつ雇用創出力や場内レストランなどへの商品
納入事業者、地元の宿坊・民宿など、地域経済に与える影響を考
えると、当面廃止という選択肢はない。
2 現在累積赤字があるけれど、長野市の財政力からすれば、大変
厳しいものの、補填が不可能という金額ではない。
3 しかし、このまま赤字の累積だけは、避けたい。
4 指定管理者制度導入については、地方自治法の改正によって可
能になったことであり、民営化も含め、まだどうするかは未定で
ある。
5 いずれにしろ、これは戸隠スキー場に関係する中社・越水・宝
光社の方々を中心に、戸隠地区全体、場合によっては飯綱地区の
方々も加わって、十分協議するテーマではないでしょうか?皆さ
んがバラバラでは行政も手の打ちようがないと思います。
と、申し上げました。
以上、戸隠塾の皆さんもまだ意見がいろいろあったようですが、
時間の都合もあって終了させていただきました。
スキー場経営については、行政側でのもう少し突っ込んだ研究が
必要なこと、そして戸隠塾の方々だけでなく、もっと範囲を広げて
話し合いをする必要性を強く感じました。
2005年7月7日木曜日
市内商工団体の統合が進み始めました
6月3日(金)に市内9商工会が、また、7月1日(金)には市
内3商工会議所が、それぞれ統合することに同意し、統合に係る基
本協定書の調印式が行われ、1行政1商工団体に向けての動きが本
格化してきました。
経済団体というと、商工会議所、商工会、経営者協会、中小企業
団体中央会、経済同友会、長野青年会議所・・・等々たくさんあり、
それぞれの団体は目的も違い、独自の活動をしているのですが、そ
の中で商工会議所、商工会は、それぞれ法律に基づいて設けられて
いる団体で、地域の中小企業の育成を主たる目的としています。そ
して、それぞれの法律で1行政1商工団体と決められているのです
が、合併によって一つになった行政団体の場合は、当面の間は、並
存してもよいことになっています。
長野市の場合、昭和41年に大合併したわけですが、合併前の旧
市町村には、それぞれ当時から商工団体がありました。本来なら行
政が合併したのですから、商工団体も合併へと進むところであった
のでしょうが、それぞれに事情があり、また前述のように、法律が
特例を認めていることもあって、3商工会議所(長野・篠ノ井・松
代)、5商工会(若穂・川中島・更北・七二会・信更)の体制が今
日まで続いてきました。
この間、何度か統合の話があり、いろいろな努力をされた時期も
あったのですが、それぞれ独自の活動に取り組んでいて、地域中小
企業の経営指導だけでなく、地域の祭りやイベント等に取り組み、
地域活性化の中心になってきました。本来、行政がやらなくてはな
らない分野まで、商工団体に頼ってきた・・・ともいえるわけで、
統合することで、地域が活力を失うおそれもあって、統合に踏み切
れなかったということだと思います。
そして今回の周辺4町村との行政合併により、さらに4商工会
(豊野・戸隠・鬼無里・大岡)が増えて、3商工会議所、9商工会
になったわけです。このような状況については、全国的にも例はた
くさんあるようで、長野だけの状況ではないようですが、景気の低
迷もあって、組織率が低下、財政的にもかなり厳しさが増してきて
いるという状況にあります。
商工団体を維持するためには、構成員に会費をいただいたり、保
険関係の事業を行って手数料を得たり、事業を行うため構成企業か
ら寄付金を募ったりしていますが、主体である経営指導員の人件費
等は、行政の補助金が中心になっていることもあり、長野県が1行
政1商工団体の原則のもとに(若干の時間的余裕はあるのですが)、
補助金の大幅な削減方針を示したがゆえに、急速に統合の動きが始
まった・・・という状況があります。昔は国が補助金として県を通
して、経営指導員の人件費を負担していたのですが、ある時期から
補助金を止めて、県の交付税に算入されました。すなわち商工団体
への補助は、県の事業ということになり、県の裁量に任された・・・
ということですから、結局、県の方針で補助金の額は決められるこ
とになったということです。
もちろん、基本的には長野市も補助をしておりますが、現在のと
ころ県の補助金は市の3倍ぐらいの金額がでているようで、比較に
なりません。その県の補助金が一挙に2分の1以下ぐらいになると
いう話ですから、商工団体としては、自立しようとしても非常に厳
しい状況にあります。そのようなことから、統合という合理化を受
け入れ、財政基盤を強化する手段を取ったということです(長野市
の補助金は、将来のことは言えませんが、今のところ、減額予定は
ありません)。
なお、念のため若干の説明をさせていただきますと、商工会議所・
商工会の役員(正副会頭、委員長、常議員、議員等)は全て無報酬、
逆に役員の会費負担は一般会員に比べて、非常に多額です。加えて、
いろいろな催事を行うにあたって、寄付を求められることも多く、
ある程度所属する企業に負担能力がないと、役員就任は難しい面が
あります。一般的に、経済団体は、企業のボランティア精神、ある
いは地域を思う気持ちによって運営されているものです。
商工会議所の調印式の内容ですが、統合に関しいろいろ準備して
きた「商工会議所合併準備委員会」の座長・長野商工会議所の青木
副会頭が経過説明をされ、3商工会議所の会頭(仁科長野商工会議
所会頭、渡邉篠ノ井商工会議所会頭、市川松代商工会議所会頭)と
立会人として私が、基本協定書に署名しました。その後、私が挨拶
させていただきました。その全文を以下に掲載させていただきます。
「商工団体の統合は、昭和41年の長野市大合併以来の懸案でご
ざいましたが、本日ここに、市内3商工会議所の統合に係る基本協
定書の調印が行われ、将来に向かって大きな一歩を踏み出したわけ
でございます。ここに至るまでの間、役員の皆様方には条件整備等
に多大なご努力をいただきましたことに対し、敬意を表するもので
ございます。
商工団体の統合につきましては、長野市商工団体連絡協議会にお
いて、市内12商工団体が一本化することで合意が得られ、まず、
9商工会が平成18年4月、また、3商工会議所が平成18年10月
に統合し、その後、平成21年4月を目途に両団体の一本化を図る
ことで、協議が進められているところでございます。
去る、6月3日には9商工会においても、合併に関する合意書並
びに基本協定書の調印が行われ、現在、合併協議会が設立されまし
て具体的な協議が進められているとお聞きしています。
地域経済をめぐる環境が大きく変化し、地域住民の生活行動や経
済活動が多様化・広域化する中で、商工団体が一本化することで事
業の効率化や合理化が図られ、安定した財政基盤のもとで、会員へ
の多種にわたる高度なサービスの提供が可能になるものと考えてお
ります。
今後は、合併協議会において、組織、財政、事業等の本格的な協
議を行うわけでありますが、統合により財政基盤や組織を強化し、
事業活動の充実を図りながら、各地域の独自性と伝統、文化を生かし、
地域の活性化につなげていただくことを期待するものであります。
都市間競争の激化や企業活動の広域化等への対応に対しても、商
工団体が一つになって、地域の会員に強力な指導と支援を行える体
制を整備することは、行政にとっても非常に重要であると考えてお
ります。それと同時に、「いかにこれまでの地域活動を継承してい
くことができる支部体制を構築していくか」ということが地域の活
性化にとっても大変重要なことであると考えております。
統合に向けての懸案事項もたくさんあると思いますが、市として
も積極的に支援を行ってまいりたいと考えておりますので、皆様方
のさらなるご努力によりまして、合併協議会による統合準備がスム
ーズに進められることを期待するとともに、その後の商工会との一
本化に向けまして、取り組みを進められることをお願いするところ
でございます。
最後になりましたが、地域を支える経済団体として3商工会議所
がますますご発展するとともに、皆様方がそれぞれにご健勝でご活
躍されますことをご祈念申し上げまして、お祝いのご挨拶といたし
ます。」
以上です。
その後、長野地方事務所長の祝辞、そして3商工会議所の会頭が
それぞれ挨拶をされました。各会頭の話は、いずれも先輩会議所役
員の方々の長い努力への敬意、統合に到るまでの会員の思い等を語
りながら、将来に向けての抱負・展望を力強く述べておられました。
この調印式で、商工会議所と商工会のそれぞれの統合が現実のも
のとなってきました。財政基盤を確立し、支部制度を充実され、さ
らに発展していただくことを期待しています。
2005年6月30日木曜日
大岡地区・信更地区でのこと
6月22日(水)、「みどりの移動市長室」で、大岡地区へ行っ
てきました。「みどりの移動市長室」は、私ができるだけ多く各地
域に足を運び、さまざまな団体の活動を見せていただき、また、直
接皆さんと懇談させていただくことを目的に開催しています。
皆さんご承知のとおり、今年1月1日の市町村合併によりまして、
豊野・戸隠・鬼無里・大岡の4地区が新たに長野市に仲間入りしま
したので、合併した地区へ伺ってみたいと思い、今回は合併した地
区で初の移動市長室を開催しました(移動市長室としては、新年度
になってから、何カ所かお伺いしています)。
大岡地区は高齢化率約44%と、長野市内で最も高い地区であり、
また、一人暮らしの高齢者が全世帯の2割を占めています。そのよ
うな中で、“自分の家にずっと住みたい”“自分のことは自分でし
たい”と誰もが願うことを目指し活動をしている「大岡すわろびく
すサークル」が訪問先でした。このサークル名を初めて広報広聴課
から聞いた時はよくわからなかったのですが、「座ってエアロビク
スをやろう」という皆さんのグループ活動で、20名ぐらいの皆さ
んが、インストラクターの指導で、楽しく運動しておられました。
私も一緒に「すわろびくす」をしましたが、なかなか運動量も多く、
汗をかくほどでした。このサークルの名前は素晴らしい、若々しく、
格好良いと思いました。
この活動は、平成15、16年度、国の国保総合健康づくり支援
事業のメニューの一つとして行ってきた活動ですが、継続していき
たいとのことから、本年度「ながのまちづくり活動支援事業」に応
募し、市民審査員の目にかなって補助金が交付されました。応募し
た時のプレゼンテーションでは、代表の皆さんが真剣に取り組んだ
そうですが、大変だったそうです。私はその緊張感が良かったので
はないですかと、申し上げました。
私は懇談の冒頭挨拶で、毎年実施している「まちづくりアンケー
ト」において、市民の皆さんの行政に対する要望の第一位はいつも
「高齢者福祉サービスの充実」ということで、常に多くの関心が注
がれています。そこで高齢者が健康で生きがいのある生活を送り、
サービスを安心して利用できる明るい長寿社会を築くよう、行政と
しても、一生懸命取り組んでいると申し上げました。
その後の懇談での話を若干紹介しますと、今年は補助をもらえた
けれど、来年も・・・という話がありましたが、それは市長の決め
ることではなく、市民審査員の皆さんの審査で決まります、でもあ
ちらこちらから希望は多いので、来年ももらえるかどうか・・・難
しいかも知れません(本音を言えば、補助に頼らない道を作ってほ
しい)と申し上げました。
一番多かったのは、この「すわろびくす」サークルに入ってから、
体調がよくなった、血圧が下がった、痩せた、腰痛が楽になった、
というような話で、良いことずくめの賞賛の声でした。
次は公共交通機関の問題でした。確かに採算問題でバスの運行が
なくなった地区はたくさんあるのですが、合併前の大岡村は村営バ
スや有料輸送のハッピー号が走っていて、当面は合併後もそのまま
長野市が引き継ぎ市営バスとして運行していますが、全市的にみる
と、バランス上はなかなか難しい問題があります・・・と率直に申
し上げました。
出席されていた診療所の先生からは、国の介護制度の方向性につ
いて、介護度の低い方については、介護度が上がらないように、予
防重視へ向いてきている。この政策は、従来からもやっているのだ
が、その効果について客観的評価が欠落していることに問題がある
という指摘をいただきました。私からは、「介護保険だけでなく行
政の事務事業の全てにわたって、評価が大切になっている。長野市
も約1800事業の評価に取り組んでいるが、まだまだと感じてい
る」という話をさせていただきました。
約1時間半、汗をかいたり、話をしたり、楽しい時間をすごさせ
ていただきました。高齢者の皆さんが努力されている姿、この輪が
大きく広がり、介護保険の負担が減れば行政としては嬉しい限りで
す。
大岡地区での移動市長室の後、干ばつの状況を視察しました。今
年の異常渇水は相当深刻な状況になっており、4~6月の降水量が
平年の30%強ぐらいということで、昔から農業用水として雨水を
貯めておく、ため池を頼りにしている信里地区、そして信更地区の
一部では大変なことになっています。これはもう災害であるという
判断から、早速、「農作物等干ばつ対策本部」の設置を決定しまし
た。
信更町灰原地区から篠ノ井信里地区にかけて、水がなくなって水
田が干上がって地割れしている状況を視察しました。こうなってし
まうと、少しばかり雨が降っても全て土に染み込んでしまうだけだ
そうです。ため池には、私の目からみると若干の水が残っているよ
うに見えましたが、防火用水を兼ねているので空には出来ない、仮
に全部の水を払ってしまうと、池の底が地割れしてしまい、補修し
ないと水が溜まらなくなる。さらに残っている水では、地域の水田
の必要な分を満たすことは出来ない。そんなことから、地区で話し
合い、これ以上水を払い出すことを止めた地区もありました。私は
農業社会についてまだまだ知らないことが多いこと、そして農村は
地域共同体として生活しているのだな・・・ということを痛感しま
した。
地域の農協の方やため池を管理しておられる方から、今までの水
不足による干ばつは7月だったけれど、今年は4~6月の水不足な
ので代かきも出来ず、こんなことは初めてだというような状況をお
聞きしました。明日、最後の水を払うけれど、それでおしまい、あ
とはやりようがないというお話は、本当に悲しくお聞きしました。
大体10年に一度ぐらい干ばつになるそうで、抜本的な対策の必
要性は感じているけれど、「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」みたい
な話で、恵みの雨が降ったり、翌年になってしまうと・・・。この
地域にはため池が数多くあり、その管理は集落ごとで管理している
大きなものや、個人で所有しているいわゆる個人ため池もあって、
水利権についても複雑な状況にあるようです。
農業集落排水事業の進展で、下水道の整備が進んでいるけれど、
そのことが沢筋の水量を減らしている・・・すなわち川の水がきれ
いになって、あちらこちらで蛍の復活が話題になっているが、農家
にとっては、必ずしも良いことではない・・・といった意見もお聞
きしました。
長野市では、大至急関係者を集めて、水源確保や給水用ポンプの
共同利用などの対策はもちろん、水道局、消防局等関係部局もあげ
て、協力体制を確保していきます。
2005年6月23日木曜日
温湯地区温泉利用施設整備・運営PFI事業がスタートしました
長らく市民の皆さんに親しまれてきた温湯(ぬるゆ)温泉市民セ
ンターが老朽化したため、平成15年度をもって閉館させていただ
いたことは、ご存知の方もいらっしゃると思います。そして新たな
施設整備が要望される中で、新しい温泉掘削にも成功したこともあ
って、長野市としてもなんとか地元の皆さんの要望に沿いたいと考
え、各方面との話し合い、事業化の検討、建設場所の選定作業等に
取り組んでまいりました。
このたび、地元の皆さんのご協力も得て、綿内東山工業団地内の
一角に、市民の皆さんの憩いの場に加え、老人福祉センターを併設
する温泉利用施設を設置することになり、5月21日(土)安全祈
願祭が行われました。ここに至る間、地元意見の調整にご努力いた
だいた県議会議員さん、市議会議員さん、地元の区長さん、綿内東
山工業団地の皆さんに、感謝申し上げたいと思います。
本事業の一番の特徴は、施設の建設から運営まで、PFI(注)
を使って、民間資金や運営ノウハウを活用する事業化への取り組み
ということであります。この手法は長野市ではもちろん、長野県内
でも初めてということで、非常に注目を浴びています。この財政難
の時期、今後も大いに活用したい手法ですが、長野市としても初め
ての計画なので、ここに至るまでにいろいろ研究してまいりました。
PFI事業方式を採用するには、「事業が小型すぎるのではない
か」、「延べ払いの公共事業に過ぎない」、「手続きがやっかいで
実施までに時間がかかりすぎる」など、いろいろなご意見をいただ
きました。しかし、このPFI方式は民間活力導入の一つの選択肢
であり、民間ノウハウが活用され素晴らしいサービスが行われるう
え、一度に多くの資金がいらない、維持管理経費を含めたトータル
コストも低い、もしかすると新しい産業が起きるのではないか・・・
そして契約期間(今回は15年間に設定されました)終了後は、名
実ともに長野市の資産になる・・・ということからPFI方式とい
う手法を活用してサービスを提供する魅力は充分にあると判断し、
踏み切ったものです。
3月25日(金)に議会の議決をいただき、SPC健康福祉マネ
ジメント株式会社さんと正式契約いたしました。本施設の建設・運
営をお願いする「SPC」とは特別目的会社というもので、今回の
場合は、設計会社、建設会社、施設運営会社等がグループを組んで
温湯温泉施設の建設と運営という特定した目的を達成するために、
設立された会社です。この会社の母体となるグループが総合評価一
般競争入札に参加し、選定委員会において事業者としての決定を受
け、その後正式に会社(SPC)を立ち上げ、長野市と契約して事
業に取り組むことになったわけです。すなわち、会社(SPC)は
温湯温泉施設を自らのお金で、設計・施工し、完成後15年間営業
し、期間満了後、長野市に施設を引き渡して、そのあと、出資者が
利益を分けあって会社(SPC)を解散することになります。その
間、利益が上がらなければ損することになりますから、皆さん一生
懸命頑張ってくださるはずで、その分サービスは良くなるというの
が、長野市の期待するところです。
SPCが提出した企画書では、この施設は温泉を利用したプール
でインストラクターによる各種教室を開催する健康維持増進ゾーン、
各種浴槽・サウナ等を利用した温浴施設ゾーン、各種講座を開催す
る老人福祉ゾーン等からなる特徴ある施設となります。どうか、市
民の皆さんには大勢来場していただき、活気ある施設となることを、
そして事業者の皆さんには素晴らしい施設を建設していただき、良
いサービスを提供し、大いに利益を上げていただくことをお願いい
たします。
PFI事業とは若干違いますが、現在、長野市は指定管理者制度
の導入に向けて、ピッチを上げています。5月末締め切りの募集に
多くの応募があり、ホッとしています。この制度も民間活力導入の
一つの手法であり、これから応募者について審査させていただき、
それぞれ管理者を決めたいと思っていますが、既にこの手法につい
ては、採用済みの施設があります。それは、1月1日の合併前に豊
野町が温泉施設「りんごの湯」をJAながのに、また鬼無里村が共
同作業所「てづくな」を鬼無里地区社会福祉協議会に、それぞれ指
定管理者として指定し、現在順調に運営されています。りんごの湯
については、合併後の現在は利益の半分が長野市に入る契約になっ
ています。
いずれにしろ「民間で出来ることは民間に」という流れは、これ
からもどんどん進むはずです。もちろん手法はいろいろであると思
います。施設の目的、形態、建設年度等によってベストの方法を選
んでいくことが求められています。
(注)プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(Private Finance
Initiative)の略。民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用
して公共施設等の設計、建設、維持管理、運営等を行う手法のことで、
平成11年に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に
関する法律(PFI法)」が成立し、国や各自治体で事業化に取り組
んでいる。
2005年6月16日木曜日
クール・ビズについて
COOL BIZ(クール・ビズ)とは、28度の冷房でも涼し
く効率的に働くことが出来るような「夏の軽装」のことだそうです。
環境問題、特に地球温暖化を防止するため、冷房設定温度を28度
にして暑さをしのごうということで、そのためにノーネクタイ、ノ
ー上着での新しいスタイルを進めていこうということのようです。
何年か前にも、省エネスタイルの洋服が出現し、政治家の方々が
率先して着ておられましたが、もうひとつピンとこなかったせいか、
あまりはやらなかったように記憶しています。そこで、今回は地球
温暖化防止「国民運動」として、国を挙げて取り組む姿勢をアピー
ルしているようで、宣伝もかなり大胆に、そしてスタイルの幅もか
なり広げているように思います。ワイシャツの型を変えたり、いろ
いろなカラーを使ったり、背広の材質を工夫したり、有名タレント
や財界人の方々をテレビコマーシャルに登場させて、ファッション
ショーを開催したり・・・ニュースでも、夏の商戦好調という報道
もあるようです。
長野市では、毎年6月15日から9月末まで、上着・ネクタイ着
用は不要ということで夏の軽装を実施していました。ただ今年は、
政府を中心に大キャンペーンをやっていますので、少し早めて6月
6日から実施しています。
ただ、従来の観念からすると、上着・ネクタイの着用は、社会人
としてのマナーであり、例えば来客があったとき、上着なしでは失
礼だと自分自身が感じる、あるいは、訪問する場合、失礼があって
はならない、そんな気持ちから、執務中、仮に上着を脱いでいても、
いつでも着ることが出来るように、そばに置いていました。また、
「仕事をするぞ」あるいは「仕事をしているのだ」ということを実
感させる効果があります。そのようなことから、なかなか夏の軽装
が徹底されなかったことも事実です。
私の個人的な意見・・・というより好みかもしれませんが・・・
「夏の間は出来ればネクタイを外し首回りをゆったりさせたい」と
いつも思っていました。でも社会通念から、踏み切れませんでした。
汗だくになって、上着を片手にもって歩くのは、つらいものがあっ
たと今でも思っています。
6月7日(火)・8日(水)、東京で全国市長会があり、7日
(火)、全国都市再開発サミットで、長野市長として20分ほどの
事例発表の場がありました。前日、クール・ビズの話を聞いていま
したので、問い合わせをしたところ、ノーネクタイ・ノー上着でや
ってほしいとの話でした。それならと私はクール・ビズスタイルで
やらせていただきました。8日(水)の全国市長会の会場では、3
分の1ぐらいの市長さんは、上着なしでした。そして来賓として出
席された小泉総理大臣、麻生総務大臣、中山文部科学大臣の3人は、
完全なクール・ビズスタイルでした。
長野に帰り、私は秘書政策課と打ち合わせし、できる限りクール
・ビズスタイルで通そうということになりました。確かに従来の社
会通念から言えば、若干失礼だと思われることはあるでしょうが、
市長が先頭に立ってやらなければ、結局中途半端に終わる。環境問
題を考えれば、この動きを定着させたい・・・私はそのように考え
ました。
東京から帰った翌日、長野中央ライオンズクラブの結成40周年
の式典がありました。厳粛な「式典」ということで迷ったのですが、
敢えてクール・ビズスタイルで祝辞を述べさせていただきました。
ただ、クール・ビズが直ちに地球温暖化防止に結びつくかどうか、
疑問があります。従来から長野市では空調温度は28度に設定して
いますので、市役所としては使うエネルギーに変わりはない・・・
そのような所が他にもあるのでは・・・。でも市民の皆さん全体が
協力すれば、ホテルや会議場でも28度にしてもお客様が不快に感
じない状況がつくれるかもしれません。市役所に来てくださる方も、
不快に感じることはなくなるのでは・・・と期待していますし、さ
らにはこのことをきっかけにして、環境に対する配慮を多くの方が
考えてくださるようになれば・・・と考えています。
個人的には、クール・ビズスタイルを始める時に、結構お金がか
かると感じました。普通のワイシャツで、ノーネクタイ・ノー上着
ではどうも格好が悪い。ワイシャツはボタンダウン、生地も白だけ
でなくカラフルに、上着を着るなら軽い風通しのよいモノ・・・。
それも1枚で済むわけではありませんから、一時的に出費が多くな
る部分もあると思います。
では、経済効果はどうでしょうか。ワイシャツ売り場は活況を呈
しており、夏の商戦をリードしているという報道がありますが、他
の売り場はどうでしょうか?ある業界は死活問題だという話も聞き
ました。ただ、経済の問題として考えた場合、ワイシャツ業界や一
時的な話は別として、あまり景気の刺激にはならないのでは・・・
と感じていますが、私は、今年の夏はできる限りクール・ビズで通
してみようと決心しています(ただ、議場も含めすべての場所と
いうわけにはいかない場面もありそうです)。
2005年6月9日木曜日
長野は元気です!
5月後半から今週まで、長野の元気を証明するいくつかのイベン
ト等がありましたので紹介します。
1.エコール・ド・まつしろ2004実行委員会が全日本広告連盟
の第13回全広連広告大賞を受賞しました。
この大賞は、年度に1件だけという大変名誉な賞です。全国の広
告関連団体、広告会社、そしてメディアなどの関係者、約1,000人
が参加して、金沢市で開催された全日本広告連盟の全国大会の席上
で、大賞贈呈式が行われました。長野市からは市川助役やエコール
・ド・まつしろ2004実行委員会の市川会長が出席しました。
受賞理由は、エコール・ド・まつしろ2004実行委員会が展開
した多様なイベントの実施と連動して、明確な広報宣伝計画に基づ
いた立体的・多面的な広報・宣伝活動が評価されたものです。戦略
的観光キャンペーンと位置付け、松代へのリピート客獲得を目指し、
従来見るだけであった松代の歴史的文化財を活用した「遊学城下町
信州 松代」ブランドを全国に向けて集中的に発信し、2004年
度の年間集客目標数の80万人を年度途中で達成した実績も評価さ
れました。
エコールとは、フランス語で「学校」を意味し、「エコール・ド
・まつしろ(まつしろの学校)」は、松代に残る歴史的文化財を生
涯学習・趣味を嗜む(たしなむ)舞台として活用し、生涯学習交流
リゾート地になることを目指したこれまでの観光イメージとは異な
る、まったく新しい試み。
と最大級の評価をいただきました。
松代の住民の皆さんを中心に、準備に1年余りかけ、そして松代
地域の区長会・松代商工会議所などの地域住民やエコール・ド・ま
つしろ倶楽部に集結した多くのボランティアの皆さんの力が見事に
結実して、年間86万人のお客様を迎えることができました・・・
長野市としても誇らしい出来事でした。
2.5月22日(日)、ビッグハットでNHKのど自慢が行われま
した。
こののど自慢は、本年1月1日、長野市、豊野町、戸隠村、鬼無
里村、大岡村が合併したことを記念して、長野市がNHK長野放送
局にお願いして、実現したものです。NHK側も大勢の観客が収容
できるビッグハットでの開催ということで大変気合いを入れてくだ
さり、日本有数の大規模なのど自慢にしようと宣伝にも大いに力が
入りました。
観覧にお出でいただいた皆様は、応募総数約7,500人の中か
ら、抽選によって当選された約4,000人のかなりラッキーな方
々でした。会場にはまだ観客席を作れそうな余裕があるように思い
ましたが、放送局長に話を伺うと、会場は十分大きいけれど、舞台
からあまり遠くなってしまうとよくないそうです。日本最大級で、
収容人数では全国で2番目ということでした。長い歴史のあるのど
自慢ですから、2番目というのは凄いことです。
そして出場された方々、応募総数は890組だったそうですが、
抽選で250組が選ばれ、のど自慢本番の前日に同じビッグハット
で予選会が行われ、22組の出場者が決まりました。実に、約40
倍の難関を突破しての出場ということで、大変だったようです。カ
ラオケが普及したせいでしょうか、出場者は大変上手な方が多かっ
たと思います。出場された皆様の歌声で、全国に新長野市をPRし
ていただき、嬉しく感じました。
ゲスト出演は、都はるみさんと門倉有希さんでした。門倉さんの
歌は「ノラ」が有名ですが、私たちの年代には少し難しい。都はる
みさんの歌は、私たちの年代のカラオケリストにも入っているので
大いに楽しみました。
3.長野市では50年ぶりにプロ野球の巨人軍公式戦が行われまし
た。
5月24日(火)、県内では14年ぶり、長野市では実に50年
ぶりとなる巨人軍公式戦「巨人対ロッテ」が、長野オリンピックス
タジアムで行われました。長野に大勢おいでになるプロ野球ファン
の皆さんも大いに楽しまれたことと思います。試合はロッテが投打
にわたり圧倒的な強さを発揮し、巨人ファンにとってはお気の毒な
結果だったことは、皆さんご存知のとおりです。随分古い話ですが
、多分50年前の試合だろうと思いますが、私も城山野球場へ見に
行ったことがあります。球場が狭かったこともあるでしょうが、た
くさんのホームランが乱れ飛んだこと、強烈な印象として覚えてい
ます。
試合前、テレビ信州の会長さん、社長さんと一緒に、巨人軍の堀
内監督と話す機会に恵まれました。今、巨人はあまり調子が良くな
いが、これから巻き返すと意気込みを語っておられました。プロ野
球の隆盛のためにも、ぜひそうあってほしいものです。
私からは、長野は巨人ファンも多いし、この球場の素晴らしさは
オールスターゲームでも立証されているので、ぜひ今後も来ていた
だきたい。特に北陸新幹線が完成したら、従来富山で巨人軍が北陸
シリーズをやっているのを、新幹線シリーズということで、長野―
富山シリーズとして是非やってほしいという話をしました。
始球式ではなかなか味な演出がありました。地元の少年野球チー
ム「南長野ファイターズ」のメンバー9人が、巨人軍の選手と一緒
にそれぞれの守備位置についたことです。投手は、篠ノ井東小学校
の今井君、投球は見事にストライクが決まり、観客も大喜びでした。
恥を申し上げるようですが、私も東京ドームで2年続けて都市対抗
野球大会で始球式をする栄誉をあたえられたことがありますが、2
度ともワンバウンドでした。あのマウンドの高さは、素人にはかな
り厳しいものでしたが、それに比べ、今井君は見事でした。また、
巨人の選手と一緒に守備位置についたこと、これは少年野球チーム
の皆さんには、素晴らしい思い出づくりになったことと思います。
今回の巨人戦は、オリンピックスタジアムが完成して以来、長野
市民とすれば大いに期待していたイベントでしたが、なかなか実現
しなかったものでした。本年からプロ野球の仕組みが少し変わり、
新しい仕組みとして始まったセ・パ交流戦の中で実現したものです。
今までのフランチャイズだけでなく、地方球場でもっとファンを獲
得したい・・それには大きな球場が必要ということで長野開催にな
ったのだと思っていますので、今後も継続が期待できるのでは・・
と感じています。そうなると、毎年きてくれている西武球団をはじ
め、長野でのプロ野球試合が段々盛んになるのではないか・・・大
いに期待したいと思っています。
4.本年度の中央通りの歩行者天国が始まりました。
6月5日(日)、長野中心市街地、中央通りの歩行者天国のテー
プカット・パレードに参加しました。国道406号との交差点でテ
ープカットをさせていただき、長野西高校、長野商業高校、文大付
属長野高校のバトントワラーズ、市立更北中学校のブラスバンド、
ブロードウェイ・キッズ・ジュニアの皆さん達と、薄っすらと汗を
かくぐらいの好天に恵まれた中、華やかなパレードを繰り広げまし
た。パレードを行ってくれた若い人たちの素晴らしい笑顔が、大変
印象的でした。
今年も11月まで月1回、地元商店街が主催する様々なイベント
やまつりが、歩行者天国で繰り広げられます。ぜひ多くの皆さんに
足を運んでいただけたらと思います。
以上、5月後半からの元気な話題を4つ報告させていただきまし
た。
2005年6月2日木曜日
浅川治水について
浅川や千曲川の治水について考えておられる団体から浅川治水を
含む長野市の治水対策について、公開質問状をいただき、回答いた
しました。以前にも「浅川ダムに関する長野市の意見」というメル
マガを書いていますが、いい機会ですので今回、改めて浅川の治水
について私の考えをお話ししたいと思います。
公開質問状には、ダムの安全性や豪雨から発生する水害から、地
域をどのような水準で守ればよいか、もっと水準を下げてもいいの
ではないかと思われるようなことが書かれていました。過去の論議
の経過を考えますと、私は、「ダムの安全性に関すること」、「基
本高水など治水安全度に関すること」、「ダムサイト及びその周辺
の地質の安全性」等については、現段階では専門的な深い知識を持
たない者が議論しても、いたずらに時間を費やすだけであると考え
ております。それは、お互い感情的な言い合いに終始するだけにな
り、問題の解決を難しくするだけだと考えるからです。それらのこ
とは、県の検討委員会や浅川部会、その後の流域協議会等の論議を
通じても充分理解できることと思います。
さらに付け加えるならば、これらの「安全性や安全度」について
は、既にあらゆる場で専門家により論議されており、専門的見地で
の判断材料を持たない者の意見や考えが入る余地はないと思ってい
ます。したがって、現段階でまだ議論する余地があるとするならば、
専門的な知識を有する学者(国がその権威を認めておられる方々)
及び河川管理者等に、議論と判断を委ねるべきであると考えていま
す。
また、ご質問の中には私がダムの建設を今も主張しているのでは
ないかと書かれていました。このことについては、過去に私が参加
した長野県治水・利水ダム等検討委員会の席上では、既に国が認可
した「全体計画」に沿って治水対策を行うこと(すなわちダム建設
を含む計画)が、浅川流域住民の生命や財産を守る最善の策だと申
し上げてきた経過はあります。しかし、現段階で、県はダムに替わ
る基本高水450トンの治水対策があるとおっしゃっているわけで
すから、その対策を早く示していただくように申し上げているので
あり、単純にダムを造るようにと申し上げているわけではありませ
ん。ただ平成14年6月に「ダムに替わる治水対策がある」と説明
されてから既に約3年が経過しております。本当に実現可能な代替
案が出てくる可能性はあるのでしょうか?
また、昨年、善光寺平に大きな被害をもたらした台風23号に触
れ、浅川治水の全体計画で採用された降雨の量と同程度の雨が降っ
たにもかかわらず、富竹の流量観測地点では計画された数値に近い
流量が流れなかったから基本高水を変えたらどうかとも言っておら
れます。しかし、台風23号の降雨と流出量の関連についての判断
は、治水の責任を持つべき河川管理者(県)がきちんと検証を行な
い、住民がそのような疑問を持っているとするならば、河川管理者
はその疑問にきちっと答えるべきだと考えています。ご質問のよう
なある部分だけをとらえての検証はできないと同時に、大変危険な
判断ミスをされていると考えています。
また、浅川の上流部に貯水ダム(河道内遊水地を含む自然調節方
式の穴開きダム)を建設することは災害を軽減するどころか、逆に
内水災害を拡大深刻化させるとのご意見を言っておられますが、こ
れは穴開きダムを提案された河川管理者(県)がお答えすべき事項
であります。ただ、流域協議会などへの説明では穴開きダムは検討
段階であり、県として確定した案ではないと前置きしての説明であ
りますので、明快な回答はないかも知れません。しかし、どんな事
情があるにせよ発表した以上は安全性や機能、事例なども含め、疑
問をお持ちの方々にきちっと説明すべきであります。なお、国や権
威ある専門家の方に非公式にお聞きした範囲では、穴開きダムでも
一定の効果は見込める可能性はあるのではないかとのことであり、
一部その研究もされている事例もあると伺っています。
さて、平成16年度からは浅川河川改修工事が再開されましたが、
これは平成7年3月に国から認可された「全体計画」を法的なより
所(現河川法では河川工事をする場合には河川整備計画を立てなけ
れば実施出来ないとなっています)として進められています。河川
改修は、それだけでも治水安全度が少しでも上がりますので、どん
どん進めていただきたいと考え、流域にお住いの皆様の理解をより
深め、早期に完成が出来るように、本市においても浅川流域内の各
同盟会や協議会等に対し工事現場の見学会や出前講座等を開催した
り支援を行ってきました。
次に、治水に関して全般的な事項についての質問がありましたの
で、お話しします。
長野市は昨年(平成16年6月)「長野市洪水ハザードマップ」
を作成しました。ハザードマップは国土交通省北陸地方整備局から
公表された千曲川・犀川浸水想定区域図に基づいています。また、
土砂災害に注意すべき場所については「長野市防災マップ」として、
平成14年に、全戸配布をいたしました。しかし、千曲川支流の中
小河川については、河川管理者(県)からの浸水想定区域が公表さ
れておりませんので配布できておりません。しかし、今回、水防法
が改正され、浸水が想定される区域においては洪水予報や伝達方法、
避難場所などを住民に周知させなければならないとなりましたので、
県から浸水が予定される区域の発表があれば、それに基づいて至急
ハザードマップを作成していきたいと考えています。
また、千曲川水系の治水対策についてのご質問がありましたが、
河川管理者(国)に対しては流域の市町村と連携をとりながら「北
陸直轄河川治水期成同盟会」及び「千曲川改修期成同盟会」等の組
織づくりをしており、連携して地域の安全を目指した努力をしてお
ります。
堤防については、長野市内だけに限ってみますと、千曲川完成堤
防の整備率は約51%ですが、残りは暫定堤防か、あるいは暫暫定
堤防、無堤防地区になっています。これらの言葉は一般的には聞き
慣れない専門用語ですが、計画高水に対して堤防の余裕の高さが足
りているかいないか、あるいは計画どおりの線形に造られているか
いないかを表しており、犀川の安茂里地区を除き、その他の地域で
水害を防ぐ手だてが全く施してない所はないと申し上げることがで
きます。
千曲川・犀川の堤防築造については、治水を担当している国土交
通省千曲川河川事務所に対し、長野市として用地問題、分散してい
る樋管を統合しなければいけないという問題など、解決した部分か
ら整備を行ってもらうように調整や要望を行っていますが、これも
住民の皆様や土地を所有あるいは管理しておられる皆様のご協力が
必要なことは言うまでもありません。
以上、浅川治水や治水全般についての考え方を申し上げました。
ることが、流域住民の生命と財産を守るための最低限の条件である
ことを繰り返させていただき、また、市内全域で水害が発生しない
ように長野市としても計画的に事業を行っていることを付け加えて
終わりにいたします。
2005年5月26日木曜日
金沢市で北信越市長会が開催されました
5月19日(木)、20日(金)、金沢市で北信越市長会が開催
されました。この市長会については、何度かメルマガでご報告して
いますが、春秋の年2回、各県持ち回りで開催しているものです。
今回の北信越市長会での内容は、
1.各県市長会ごとに提出された国への要望事項について審議し、
北信越市長会として全国市長会へ提出する要望事項を決定しました。
2.次期開催地の決定と役員改選。次期開催地は福井県小浜市に、
次期会長は腰原長野県大町市長に決定しました。併せて山出金沢市
長の全国市長会会長再選へ向けての支援体制の確認をしました。
3.決議文の承認(被災者生活再建支援制度の拡充に関する特別決
議、真の三位一体改革の推進を求める決議、北陸新幹線の建設促進
に関する決議)。
4.総務省自治財政局の平嶋地方債課長の講演。今後の地方財政改
革について、総務省と財務省の見解の違いも含めお話しいただき、
興味深くお聞きしました。
北信越市長会に併せて開催されたものとして、
5.北陸新幹線関係都市連絡協議会(現在の会長は森富山市長)の
開催。この協議会も市長会の開催に併せて毎年開催しているもので
す。本年は現在までの進捗状況を確認し、さらなる建設促進を国へ
働きかけることを決定し、役員改選で次期会長は長野市長が務める
ことになりました。私は就任のあいさつで、北陸新幹線が沿線住民
の長年の悲願であることを鑑み、全力をあげて取り組むことを宣言、
もうひとつは浅川治水問題が、長野市内の新幹線建設の障害になっ
ていることを率直に語りました。この話は長野県内の多くの皆さん
は知っている話ですが、他県の市長さんの中にはご存じなかった方
も多くいらっしゃいました。会議終了後、地元の新聞記者さん等に
囲まれ、細かい事情説明に追われました。
6.長野県市長会の臨時会開催。これも北信越市長会に併せて行わ
れるのが恒例になっています。長野県の組織再編問題、住基ネット
の安全認識、高校改革プラン、地球温暖化対策等が話し合われまし
た。
金沢市内の視察では、金沢21世紀美術館を訪問しました。金沢
大学付属小・中学校の跡地へ造ったものだそうですが、まちの真ん
中に位置し特徴ある円形の建物です。平成16年秋に開館した新し
い美術館で、既に90万人の来場者があるそうです。美術館のパン
フレットにある「目指すもの」の項には「新しい文化の創造と新た
なまちの賑わいの創出」を目的とし、「21世紀という大きな歴史
の転換点にあたり、新たなまちづくりへの対応が求められています。
金沢21世紀美術館はミュージアムとまちとの共生により、新しい
金沢の魅力と活力を創出していきます」とあります。大変意欲的な
文章であり、そして通常の美術館ではないことがよく分かります。
的確な表現での説明は難しいので、皆さんご自分の目で確かめてい
ただくことが一番。とにかく新しい試みであると申し上げておきま
す。
2日目の市長会終了後、金沢市民芸術村へ立ち寄ってみました。
ここは、紡績工場の跡地だそうですが、繁華街にほど近く、開村9
年目だそうです。マルチ工房、ドラマ工房、オープンスペース、ミ
ュージック工房、アート工房はそれぞれピットと呼ばれ、思い思い
のスタイルの演劇、音楽、美術などさまざまな創作活動ができるよ
うになっていました。防音装置も施してある工房もあり、もんぜん
ぷら座の地下のぷら座BOXを大きくしたような施設のような感じ
がしました。また、古い農家を移築した素敵な建物があって、のぞ
いたところ5人ぐらいの方がオカリナの練習をしていました。工房
の正面にはサッカー場として使えると思えるぐらいの広い芝生の広
場(災害時には防災拠点広場となる)があり、隣りには金沢職人大
学校(石工科、瓦科、左官科、造園科、大工科、畳科、建具科、板
金科、表具科、そして希少伝統産業室もありました)があり、とて
もユニークなものでした。
金沢の文化財を保持するためには、こういう芸術家や職人を育て
る必要があるのかもしれません。逆に金沢だからこそ、こういう職
人の需要があるのかもしれません。いずれにしろ、この一帯の施設
に私は金沢のまちの持つ奥深さを感じたことは事実です。
そういえば、市長会の懇親会のアトラクションで拝見した「金沢
素囃子」(注)も金沢ならではのものだそうで、市指定の無形文化
財だそうです。人口は約45万7千人、広さは旧長野市より少し広
いぐらいですが、さすが加賀百万石の城下町・・・一味違う文化の
薫りを感じました。
(注)金沢素囃子(かなざわすばやし)
素囃子は、長唄、常磐津(ときわづ)、清元などの邦楽からお囃
子のみが独立した、唄の入らない演奏形式のことですが、金沢素囃
子は、三味線、太鼓、小鼓、笛、唄いがあって、立ち方、すなわち
踊りがない囃子ということのようです。金沢素囃子保存会はその演
奏をカーネギーホールで披露されたこともあるそうです。
2005年5月19日木曜日
連休以後の出来事
4月24日(日)から5月2日(月)までのアメリカ合衆国クリ
アウォーター市訪問については先週のメルマガで報告させていただ
きましたが、帰国後、いろいろな行事に参加させていただきました
ので、今回は少し雑然としたメルマガになりそうですが、連休後半
から15日までに私が参加した行事等について、書かせていただき
ます。
「善光寺花回廊」
4月28日(木)~5月5日(木)、「善光寺花回廊」が善光寺
表参道(中央通り)で行われました。私は3日(火)の午後、中央
通りを歩いてみました。2車線道路の片側を公共交通機関が使い、
もう片側にさまざまな花が飾られていましたが、皆さんの努力が結
集した見事な出来栄えで、多くの観客を集めていました。私は特に、
チューリップの花びらで絵を描く「花キャンバス」や須坂園芸高等
学校の生徒の皆さんが花鉢で幾何学模様を表現した「タペストリー
ガーデン」の素晴らしさに感動しました。シャトルバスも運行しま
したが、昨年と同じくらいのお客さんだったようです。
「飯綱で乗馬体験」
来年度の北信越国民体育大会馬術競技が、飯綱高原乗馬倶楽部で
開催されることが決まり、諸々の準備が進んでいます。7日(土)、
倶楽部の理事長さん方に誘われ、視察かたがた乗馬を体験してきま
した。国体の種目である障害競走などはとても挑戦できませんが、
理事長さんの配慮で、ゆっくりと山の中を3時間ほど馬に乗ってき
ました。
ハイランドホール飯綱の傍らから、飯綱高原スキー場を横切る林
道を通って、戸隠の宝光社の近くまで行き、帰りは戸隠古道を通っ
て「一の鳥居」の辺りまで、10数キロメートルの距離だそうです
が、のんびり、そして快適に楽しく乗せていただきました。倶楽部
から出発し周遊して倶楽部まで戻ると20キロメートルのコースに
なるそうです。
乗馬にはエンデュランス競技というのがあるそうで、それは、
40キロメートルから160キロメートルの長い距離を速さだけで
はなく、できるだけ馬に負担をかけないで走る、馬と人間の耐久レ
ースだそうです。このレースは北海道などを中心に開催されている
とのことですが、飯綱・戸隠方面も素晴らしい環境にあり、「長野
でやれば大勢の人が集まるよ!」とアピールされました。若葉や紅
葉の季節に馬に乗ってゆったりと山の中を歩けるとすれば、冬は歩
くスキー、夏はトレッキング等との併用で確かに素晴らしい観光資
源になるかもしれません。馬の育成や馬ふんの処理などいろいろ難
しいこともあるとは思いますが・・・・。
「エルザ4連勝」
サッカークラブ「長野エルザ」の第1戦については既にご報告し
ましたが、第2戦は4月24日(日)石川県松任市で、アウェイで
したが6対0で勝ちすっかり勢いに乗ってきました。第3戦は8日
(日)南長野運動公園で、FCアンテロープを迎え、5対0で快勝。
第4戦は15日(日)同会場で新潟経営大学を迎え、2対1で勝ち
ました。
私も時間の許す範囲でできるだけ応援したいと思い、8日、15
日と応援に駆けつけました。現段階ではファンの皆さんの応援も順
調に増えているようで、第1戦は約600人、第3戦は約1,30
0人、第4戦は雨にもかかわらず約1,100人の皆さんの応援が
あったようです。南長野運動公園のサッカー場は約6,000人が
入れます。優勝する頃には応援のお客さんで一杯になれば(現在は
入場無料です)、そんな夢を見ています。エルザ!JFL昇格に向
けてガンバレ!
「豊野つつじ山まつり」
8日(日)、合併した豊野地区のつつじ山へ招待されました。こ
このツツジは確かに見事なもので、全山がツツジでした。麓の富士
社の社殿横で、記念樹の植樹をさせていただき、山の頂上まで登ら
せていただきました。満開には少し早い時期でしたが、屋台店がで
きるなど、地元の皆さん総出でお祝いしておられました。萩原前町
長さん、県議会議員さん、市議会議員さん等も参加されていました。
「長野市野外彫刻賞の授賞式」
9日(月)、昨年度の野外彫刻賞に選ばれた作家の方の授賞式を
行いました。授賞式の後、市民の皆さんをご案内して、バスで受賞
作品を作家の先生の解説付きで見て回るイベントを行いました。大
変好評で、市民の皆さんもこんな体験は初めてということで、感激
された様子とのことでした。この野外彫刻は昭和48年から長野市
独自で行っている「野外彫刻ながのミュージアム」のプロジェクト
であることは以前ご報告したとおりです。現在は市内に133点も
の彫刻があります。
「芋井・影山地区での移動市長室」
10日(火)、影山地区で「中山間地域等直接支払制度」の実態
を視察させていただき、その後地区の皆さんと話し合いを持たせて
いただきました。現地は飯綱高原のすぐ下の場所です。湿地の多い
場所での農業ということで、いろいろ苦労があるようですが、水が
豊富で綺麗なことが素晴らしく、せりやクレソン等は長野市の担当
者によれば充分売り物になるという意見でした。ホタルも数え切れ
ないほど出るそうで、トレッキングコースにもなりそうな素晴らし
い景観もあります。せっかくの制度ですから、儲けることを考えま
しょうとお話ししました。
「総会シーズンたけなわ」
4月・5月は、多くの団体で総会が開催されます。市長はいろい
ろな団体からご招待をいただきます。日程上とても全部は出席でき
ませんので、欠席、代理出席が多くなり申し訳なく思っています。
でもこういう総会に出席させていただくと、普段、市の担当者から
は聞けない本音や裏話を聞かせていただくことができ、私にとって
とても良い勉強になります。
長野県弁護士会や長野県司法書士会の会合では、現在司法界が大
変動の時期になっていることを教えていただきました。不動産の登
記関係がすべてインターネットを利用したオンライン化へと進んで
いること、弁護士の数が大幅に増えること、裁判員(陪審制)制度
が始まること、裁判だけでなく一歩手前の和解も増えることが予想
されること等・・・
長野商店会連合会の総会では、大型店の出店問題が話題になりま
した。また、北陸新幹線長野県沿線広域市町村連絡協議会の総会で
は、浅川治水問題が北陸新幹線の建設に支障を来たしていること、
開通後の長野以北並行在来線経営分離問題の検討が、県の主導でよ
うやく始まったこと等が話題になりました。そして、危険物の安全
管理と建物の防火管理などの活動を行っている長野危険物・防火管
理協会の総会にも出席しました。
「信濃毎日新聞社の本社ビル竣工式」
12日(木)、長野県の地元新聞である信濃毎日新聞社の本社ビ
ルが完成し、その竣工式にご招待いただきました。新聞を発行しな
がらの工事で大変だったとのことですが、総ガラス張り、免震構造、
柱が見えない広いフロア、新しい設備・・・現在考えられる最高の
建物が出来たと思います。小坂社長の話では、今までの本社ビルは
大正12年から約80年間使った、今度のビルは100年は使って
ほしいとあいさつされていました。
「ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2005」
15日(日)の夜、この「ツアー」のレセプションに出席し歓迎
のあいさつと表彰のプレゼンターを務めさせていただきました。こ
のツアーは昨年に続き2回目だそうですが、今年は長野市の合併記
念と銘打って、横浜の赤レンガ倉庫前をスタートし、山梨県の湯村
温泉を経由して、普段見られないクラシックカー70台と最新のス
ーパーカー10台余が連なって長野市まで走り、市内は合併地区の
大岡、鬼無里、戸隠、豊野はもちろん、飯綱、松代から善光寺まで、
走行してくださいました。
長野市で泊まるに当たって、中央通りにデモンストレーションを
兼ねて駐車する案もあったのですが、なにしろ高い車は数億円もす
るという話ですので、何かあったら困るということで、ご遠慮させ
ていただきました。長野市の素晴らしい景色と新緑の信濃路を楽し
んでいただき、長野市民も大勢沿道に出て、歓迎してくださったよ
うです。
一つだけ、残念な話。松代の大切な市指定文化財である「矢沢家
の表門」が火災にあったことです。近隣からの類焼によるものです。
本当に残念です。
以上、15日までの近況報告です。
2005年5月12日木曜日
クリアウォーター市 訪問記
4月24日(日)から5月2日(月)まで、姉妹都市であるアメ
リカ合衆国クリアウォーター市を訪問しました。皆さんご存知のと
おり長野市とクリアウォーター市とは、昭和34年(1959年)
に姉妹都市提携を結びました。昨年は45周年ということで、アン
グスト市長さんをはじめ、市民など50名を超す皆さんが長野市を
訪問されたことは、昨年度のメルマガでご報告したとおりです。本
年はその答礼の意味もあって公募市民および長野市国際親善クラブ
(小出博治会長)の皆さんのご協力を得て、31名の訪問団を結成
して訪問しました。
今回の訪問にあたり、クリアウォーター市との姉妹都市提携の経
緯について調べてみました。昭和31年頃、アメリカの国務長官が
アメリカの各都市に対し、日本の都市との姉妹都市提携を結ぶこと
を奨励し、その時、クリアウォーター市が長野市に紹介されたとの
ことで、当時の倉島市長さんが、クリアウォーター市に招待され、
一週間ぐらい滞在されたそうです。そして両市とも観光都市である
こと、クリアウォーター市が海、長野市が山という好対照であった
こと、また、当時の両市の規模が大体似通っていた等のことから、
いろいろ交渉があったのでしょうが、昭和34年に姉妹都市の提携
がなされたとのことでした。
ユナイテッド航空で成田空港を出発、サンフランシスコ経由で、
最初にソルトレークシティーに入りました。ソルトレークシティー
は松本市の姉妹提携都市で、長野冬季オリンピックの次の2002
年冬季オリンピック開催都市であり、長野とは縁がある都市です。
2002年の冬季オリンピック当時私は市長就任直後でしたが、前
開催地市長ということで招待され、風格ある市庁舎を訪問、アンダ
ーソン市長と会談してオリンピック開催都市として協力・交流を約
束しました。
4月25日(月)は全員でアンダーソン市長を表敬訪問し、貴賓
室で交流をしました。私からは、塚田佐前市長さんとNASL地球
環境フォーラム(NASLの「NA」は長野のNA、「SL」はソ
ルトレークのSL)の倉嶋さんから依頼を受けた「リレハンメル~
長野~ソルトレークシティーと化石燃料を使わないでメッセージを
届ける環境使節を、来年の冬季オリンピック開催地であるトリノへ
届けてほしい」ということの催促をさせていただきました。結果は、
すでに使節を派遣したとの返事を市長からいただき、大いに安心し
ました。
コラディーニ元市長さん(長野冬季オリンピックの閉会式で塚田
前市長さんからオリンピック旗を受け取った、当時の女性市長さん)
とも会談、女子のスキージャンプ競技をオリンピックの正式種目に
する運動への協力を要請され、日本のスキー連盟へ話をつなぐ約束
をさせていただきました。
前回の訪問時はオリンピック開催中で、大変にぎやかな街という
印象がありました。人口は100万人近い大都市と聞いていたので
すが、今回よく聞いてみると、それは周辺を含んだソルトレーク・
カウンティー(日本では郡と呼んでいますが)の話で、市の人口は
18万人とのことで、何となく納得しました。それと、さすがにモ
ルモン教の本拠地という印象は、ソルトレークシティーの商工会議
所の夕食会へ招待され、懇談した時に、乾杯が「水」であったとい
うことです。
翌日はいよいよクリアウォーター市へ。ソルトレークシティーか
らシカゴ経由でフロリダのタンパ空港へ到着すると、ヒバード現市
長さん、アングスト前市長さん、ガービィー前々市長さん、そして
大勢のクリアウォーター市民の出迎えを受けました。タンパ空港か
らクリアウォーター市へは車で約1時間の距離です。
クリアウォーター市での始めての夕食会はブライトハウス・ネッ
トワークス・フィールド(野球場)でした。残念ながら雨でベース
ボールは行われませんでしたが、食事をしながら球場経営のノウハ
ウをお聞きしました。大リーグのフィラデルフィア・フィリーズの
春季キャンプ地として全米一美しい球場として有名なのだそうで、
多分ネーミングライト(命名権)も利用しているようです。
4月27日(水)、クリアウォーター市庁舎に、ヒバード市長を
表敬訪問しました。人口11万人の市で、日本とは行政の仕組みが
かなり違います。前回の訪問時にわかったことですが、市議会議員
にあたるコミッショナーは5人で、その内の1人が市長です。コミ
ッショナーとしての給与はわずかで、とても専門職の報酬ではない
ので皆さん普通の社会人として正業をもっているそうです。また、
コミッショナーとは別に、シティーマネジャーと弁護士が重要な存
在であるとのことです。
シティーマネジャーは前回訪問時のビル・ホーン氏が引き続き務
めておられました。彼の話では市長は代わったけれど継続性を考え
て引き続き勤務を要請されたので、受諾したとのことでした。弁護
士は女性で、弁護士スタッフ4名を抱えて専属で取り組んでいると
のこと、長野市では常勤弁護士はいなく、顧問弁護士が1名だけだ
と話したら目を丸くしていました。
私は表敬訪問でのあいさつで、ヒバード氏の市長就任への祝意、
そして昨年の市民代表団の長野訪問、長年の教師や生徒の交流事業、
3月の長野市合併記念式典にヒバード市長からビデオ・メッセージ
を贈っていただいたこと、等々についてお礼を申し上げました。さ
らに98年の冬季オリンピック・パラリンピックに続いて本年スペ
シャルオリンピックス冬季世界大会を開催したこと、1月1日に周
辺4町村と合併したことを話しました。
感激したのは、フロリダ駐在の日本総領事が出席してあいさつし
てくれたことです。フロリダには日本と姉妹都市提携している都市
が9市あるそうですが、その中でも長野市とクリアウォーター市は
一番歴史があるそうです。
昼食は前回と同じく、地元のロータリークラブの例会に招待され
ました。簡単なスピーチをさせていただきましたが、95~96年
の国際ロータリー会長の出身ロータリークラブで、その元会長ブラ
ウンさんからスピーチとともにバナーを贈られました。私も地元の
ロータリークラブのバナーを持って来れば良かったと反省しきりで
した。
午後、市立図書館に両市の関係者が集まり、意見交換をしました。
両市の交流は、最初の頃は踊りやお茶といった文化交流だったよう
ですが、最近の20年ぐらいは、教師の交換にはじまり、ホームス
テイを中心にした子どもたちの相互訪問へと拡大しています。この
件についてはさらに拡充する方向で検討することで合意しました。
経済交流ができれば一番良いのですが、アクセスがスムーズにいか
ない、コストがかかりすぎる、といった問題があり、現段階では検
討課題ということでしょう。
また、リサイクルや中心市街地の活性化の話題も出ました。リサ
イクルでは、いわゆるゴミ処理の有料化について、1カ月、1世帯
あたり22.5ドル徴収しているとのこと、かなりの金額にびっく
りしました。リサイクルについてはお互い重要であるという認識で
は一致しているのですが、この種の話題については専門家同士の話
が必要ということを痛感しました。
地元テレビのインタビューを受けたり、姉妹都市委員会の歓迎レ
セプションではプレゼントされたハワイのアロハの様なシャツを着
たりして、リラックスした時を過ごすことができました。
翌日早朝、私は前回できなかったホテルの前の砂浜での散歩を楽
しみました。比較的固い砂で、細かい貝がびっしりの白い砂浜は印
象的でした。それから、パフォーミング・アート・ファシリティー
(芸術学校と会館)やラルゴ中学校を視察し、ウイルコックス教育
長とも教育交流についての懇談をしました。また、ヒバード市長宅
へも招待され、忙しい中でも有意義な時間を過ごしました。
そして最後はクリアウォーター市主催のサヨナラパーティーが行
われました。ヒバード市長さんのあいさつで始まり、マリの踊り、
訪問団員の美花さんのバイオリン演奏などがあり、私も英語でのス
ピーチに挑戦しました。おおむね好評だったということにしておき
ましょう。クリアウォーター市民の皆さんが長野市との友好を大切
にしていこうという気持ちが表れた素晴らしいパーティーでした。
ひとつびっくりしたこと。それはヒバート市長さんの年齢が37
歳だったことです。私よりかなり若いことはわかっていましたが、
まさか30歳代とは・・・・。
クリアウォーター市訪問を終えた翌日、再びタンパ空港からワシ
ントンDCへ向かいました。ワシントンDCではスペシャルオリン
ピックスの本部を訪問、本年の大会が成功裡に終わったことへのお
礼を申し上げることができました。残念ながらシュライバー会長さ
んはヨーロッパ滞在中ということでお留守でしたが、休日にもかか
わらず本部スタッフが大勢出向かえてくださり、長野への感謝の気
持ちを表してくださいました。また、日本大使館へも訪問し、兼原
公使からアメリカの事情についてお話を伺うことができました。
ワシントンDCでは国会議事堂、ホワイトハウス、リンカーンメ
モリアル、ワシントンメモリアル等々、アメリカ合衆国の政治の中
心を間近に、現地ガイド・イデアトラベルの藤山さんの素晴らしい
語り口で、アメリカ建国、南北戦争、咸臨丸の渡航、明治維新との
関わり・・・等々のアメリカの歴史の一端に触れることができまし
た。私個人は何度かアメリカに来ていますが、ワシントンDCは初
めてでしたので、大変興味深く見聞きすることができました。藤山
さん曰く「ワシントンDCは、ファイナル・デスティネーション
(最終目的地)にはならない」とのことですが・・・私はワシント
ンDCに、より多くの人が訪れてみるべきだと思いました。
ワシントンDCでの2日目の晩、訪問団全員で夕食会をしました。
忙しかった訪米も皆さんに参加していただいたおかげで、無事任務
を果すことができたと私は心からのお礼を申し上げました。皆さん
本当にありがとうございました。
私達の直接のハプニングではありませんが、この日私達の泊まっ
たヒルトンホテルでブッシュ大統領が出席するパーティーがあり、
席上ブッシュ夫人が夫の演説に割り込むという事件(?)があった
と報道されています。私は部屋にいて知りませんでしたが、一行の
中にはテレビの実況を見て現場を視察された方もいたようです。
5月1日(月)、朝7時ホテルを出発、テロを警戒する空港で靴
まで脱がされる厳しいチェックにあいながら、シカゴ経由で成田ま
で空の旅を続けました。成田空港に帰着したのは5月2日(火)の
午後2時でした。
今回の訪問で、姉妹都市提携の意義を再確認するとともに、今後
さらに教育交流や経済交流を深めていきたいと感じました。
2005年5月6日金曜日
上信越三極連携シンポジウムが高崎市で開催されました
4月7日(木)、高崎市で上信越トライネット推進協議会主催の
「上信越三極連携シンポジウム」が開催され、松浦高崎市長、篠田
新潟市長、木浦上越市長、そして長野市長である私が出席し、意見
を述べ合いました。ほかにそれぞれの市から企画担当の職員、青年
会議所関係者、議会関係者・・・そして高崎市周辺の町村関係者も
出席されていたようです。
上信越トライネット推進協議会は、三極(新潟・群馬・長野)の
経済的、文化的連携に着目し、発展の可能性を探り、複数の地方圏
が連携して東京との関係を考えながら、独自の地域を確立すること
を目的としている、あるいはそれぞれ魅力ある拠点になろうという
意志が働いている・・・そんなことを目的に平成3年から続いてい
る研究会です。
今回のシンポジウムでは、平成の大合併の時期だけに、各市とも
合併の話が多かったことは当然です。特に新潟市は、12市町村を
編入し、既に約78万人の人口に達し、秋には巻町と合併して約8
0万9千人になるそうで、平成19年4月に、日本海側で初めての
政令市を目指しているとのこと、しかも日本最大ともいえる農業都
市で、食料自給率61%ということだそうです。びっくりしました。
高崎市も内陸の交通結節点として存在感を高めていますし、上越
市は4月14日(木)のメルマガで紹介しましたが、13町村との
合併をしたばかりです。
長野市長としての発言は、合併の話はもちろんですが、建設が進
んでいる北陸新幹線の意義、特に東海道新幹線の代替補完機能の役
目を強調しながら、長野県の浅川ダム建設問題で進まない長野市内
の新幹線建設工事、そして新幹線開業後の並行在来線継続問題につ
いて話をさせていただきました。
この会議の本当の目的は何か・・・三県が連携して果敢に挑戦す
る圏域をつくろう、かつ首都圏機能の分散先となろう・・・青年会
議所が中心になって結成された1991年ころ、すなわち長野オリ
ンピックの招致が決まったころですから、今とは随分違う状況の中
で始まった会議でした。当時は各県の参加が得られなかったことで
(各県の事情を考えれば無理だったのでしょう)、いまひとつ行政
を巻き込んだ盛り上がりに欠けたということかもしれません。
でも続けてきたことで、考えていたこととは違う面での連携の可
能性も出てきたような感じもあります。それは、いろいろ思惑はあ
るのだろうと思いますが、道州制が一つのポイントとなるかもしれ
ないということです。市町村合併が一段落すると、間違いなく議論
が道州制に移ると言われており、現に青森県、秋田県、岩手県が2
010年に北東北3県合体の実現を目指し、その後5~10年程度
で道州制へ移行という方向を出しています。
県は合併してなくなり、州になる。そうなった時、その州として
の魅力、機能をどうつくっていくかが最重要テーマでしょうが、一
方でその州都をねらった都市間競争も激しくなってくることを感じ
させる会議でした。20年も前から、長野は関東圏か、中部圏か、
はたまた北陸信越圏か、甲信越圏かと話はされていますが・・・い
ずれ長野は難しい選択の時を迎えるのかもしれません。
20数年前、私が青年会議所を卒業するころ、このことで、「鶏口
となるも牛後となるなかれ」(注)ということを書いた覚えがあり
ます・・・・・。
(注)
小さい集団であっても、その中で長(鶏の口)となる方が、大きな
集団の中でしりに付き従う者(牛の尻尾)となるより良い、という
意味の中国のことわざです。
2005年4月28日木曜日
長野市ものづくり支援センター(通称UFO Nagano)がオープンしました
UFO Naganoとは「University Factory
Of Nagano」の略です。
平成15年8月、長野市が国有地に市有施設を造る「ものづくり
研究開発促進特区」(注1)の申請が認められ信州大学工学部の敷
地内(国立大学法人の土地)に建設した「長野市ものづくり支援セ
ンター」が完成し、4月6日(水)オープニングセレモニーが行わ
れました。
このセンターは、産学官(注2)各方面の代表により構成された
「長野市産学官連携支援施設検討ワーキンググループ」から提出さ
れた「産学行連携試作・開発センター基本構想」を基に、「新たな
リーディング産業の創出」を目指して取り組んできた事業です。長
野市とすれば、試作・開発工場であるという位置付けに大きな魅力
を感じ、支援することを決めたものです。
完成した建物は5階建てで、UFOを連想させ、洗練された雰囲
気です。1・2階はクリーンルーム等を備えた試作工場、3・4階
は企業や信州大学イノベーション(注3)研究・支援センターが入
居するレンタルルーム、5階は交流施設になっており、また、隣の
CRC(地域共同研究センター)とも廊下でつながり、信州大学の
教授陣がいつでも指導、共同研究に当たれる環境が整えられていま
す。運営は長野市が(株)信州TLO(Technology
Licensing Organization)に委託しました。
(株)信州TLOとは、信州大学が持つ特許やノウハウを産業界が
利用して新製品等の開発をする、併せて信州大学も収益を上げて研
究費を得ようという会社です。
UFO Naganoのオープンを契機に、次の目標は、産学行
連携の拠点として、将来の地域経済を牽引するベンチャー企業を効
果的・効率的に育成することです。そこでセンターには起業を支援
するインキュベーションマネジャー(注4)が常駐し、地域経済の
活性化に努力していくことになっています。
すでに、上田市ではAREC(浅間リサーチエクステンションセ
ンター)という産学官連携支援施設が平成14年2月に開設され、
信州大学繊維学部の高機能材料を中心とした基礎・応用から事業化
に至る共同研究が行われ、有機LED(注5)など様々な研究成果
を上げているそうです。
当然ながら長野市のUFO Naganoは後発部隊ですので、
先行するARECを見習いながら頑張ることになりますが、機能的
には充分な機能を備えている、欲張った施設であることが売りです。
過日、「長野・上田地域知的クラスター創成事業」についての中
間評価が文部科学省により公表されました。それによると、長野・
上田地域は全国12地域の中でも高い評価を受けております。これ
らの取り組みは長野県テクノ財団と信州大学が中心となって行って
いる産学官連携事業で、新産業の創出を目指しているものですが、
UFO Naganoも、この知的クラスター創成事業を支援する
施設として整備したものです。
4月9日(土)、この施設のオープン記念として、「産学行連携
シンポジウム」が行われました。冒頭、私が、長野市の産業政策に
ついて、基調講演をさせていただきました。基本的には長野市の産
業の現状と税収の落ち込みを説明し、そして行政として取り組んで
いる様々な政策を説明しました。そして当面の産業政策として、も
のづくりの面でのUFO Naganoへの期待と「観光」を当面
の最大産業に育てたいという話をしました。
その後のパネルディスカッションでは、コーディネーターとして
大学院イノベーション・マネジメント専攻長の鈴木智弘氏を迎え、
パネリストとして地域共同研究センター長・工学部教授の三浦義正
氏、大学院イノベーション・マネジメント専攻教授の茂木信太郎氏、
UFO入居企業であるMEFS(株)研究員の飯生悟史氏、そして
私の4人で行いました。
教授陣からは、様々な経験から、長野市ものづくり支援センター
及び大学院イノベーション・マネジメント専攻の皆さんが果たす役
割の中で、いかに地域貢献が大切かということが強調されました。
私からは、改革を行う場合、「制度の壁」「物理的な壁」「意識の
壁」があるけれど、「意識の壁」を破るのが一番大変であること、
信大改革も市役所改革も同じということを語りました。そして、ぜ
ひ研究してほしいこととして、民間活力導入と財政問題に絡んで、
永久債と株式の話をさせてもらいました(この話はもう少し研究し
て将来メルマガに書きたいと思っています)。
終了後、大学院イノベーション・マネジメント専攻の学生さんや
そのOB、UFO Naganoに入居される企業の代表の方々も
参加して交流会が開かれました。いろいろな話を聞かせていただき
ましたが、イノベーションの意味が少し理解できました。学生さん
は、ある程度社会を経験し、もう一度勉強したいとの思いから入っ
てきた方が大勢学んでいますので、意識が高く、真剣な方が多いと
感じました。新しい産業を興す人材あるいは企業そのものが生まれ
るか、新しい提案が出てくるか・・・・楽しみな大学院です。
(注1)ものづくり研究開発促進特区
特区とは構造改革特別区域(内閣府の事業)の略で、長野市の場合
は、国有財産の使用申請の手続きが簡素化されたり、土地が廉価に
使用することが可能となるものです。
(注2)産学官(産学行)
産とは産業界、学とは大学等の研究機関、官とは国、県及び市等の
行政機関
一般的には「産学官」という形で使われていますが、長野市はあえ
て行政が絡むということで、「産学行」という名称を使用していま
す。
(注3)イノベーション
技術革新、経営革新の意です。
(注4)インキュベーションマネジャー
技術的、経営的能力があり、かつ、ビジネス経験がある者で、企業
へのアドバイス、問題解決をタイムリーに効率的に行う。また、人
とのつながりを活用し、人材の紹介や企業と研究機関(大学教官等)
との仲介役を担う者です。
(注5)有機LED
有機材料を用いて比較的低電圧で動作する有機発光素子で、次世代
ディスプレイ素子として注目されているものです。
※次週のメールマガジンは、5月6日(金)に配信予定です。
2005年4月21日木曜日
春!桜も満開、スポーツも満開です
4月10日(日)、本年度、JFL(日本フットボールリーグ)
昇格を目指す「長野エルザサッカークラブ」が、長野運動公園で開
催された北信越リーグ戦において石川県の古豪テイヘンズと戦い、
ホーム初戦、2対1で見事勝利し、幸先の良いスタートを切りまし
た。
テイヘンズは、石川県の伝統のあるチームだそうですが、開始早
々、エルザは主力選手がけがをして交代、そして1点先取されると
いう展開で、かなり苦戦を強いられました。しかし前半終了直前、
ロングスローからの見事なヘディングシュートが決まって同点。応
援席は狂喜し、同時にホッとした空気が流れました。
後半はかなり押し気味に試合を進めましたが、もうひとつ決定力
不足で点が取れないイライラが続きました。しかしゴール前で、プ
レッシャーをかけ続け、最後には素晴らしいヘディングシュートを
相手のプレイヤーはハンドの反則でボールを手で止めるしかありま
せんでした。それで得たペナルティーキックを冷静に決めて突き放
しました。エルザは今年新しい選手が加入して、かなり強化された
ということでしたが、そのとおりだったようです。
長野エルザには、先日「アスレながの」という応援団が結成され、
本格的な応援を目指し、第一歩を踏み出しました。アスレ会長の塚
田佐前市長や私も家族総出で応援しました。試合中、チームカラー
であるオレンジ色のシャツを着て、太鼓とのぼりで声が枯れるほど
応援している人もいました。この勝利で、初戦の緊張が解けてこれ
から勝ち進むでしょうから、応援団も増えてくることが期待されま
す。ハーフタイムのアトラクションには、キッズ・チアダンス「ミ
ッキーズ」が参加して、華やかなそして可愛い雰囲気をつくってく
れました。
エルザが好スタートを切った翌週、長野でも桜の便りが聞こえる
ようになりました。県内で一番有名な高遠町のタカトオコヒガンザ
クラは、エルザの勝利を祝うかのように、同じ日に開花宣言されま
したが、長野の開花はまだまだ・・・という感じでした。昨年は異
常に早く開花してしまい、城山の花見小屋は設置が間に合わなかっ
たり、市民も花見に行く間がなかったようです。今年は14日に開
花宣言がありましたが、充分に予告期間があったため、にぎやかな
お花見になりました。
開花宣言はどうやって行うのか、お聞きしたところによると、標
本木があって(長野の場合、箱清水にある木だそうですから多分気
象台の近くでしょうね)、その木のつぼみが5、6個開くと開花宣
言だそうです。長野市にも桜の木は多く、南の篠ノ井方面と大峰山
中腹の雲上殿の桜では開花期に随分差が出ますから、かなりの期間
楽しみが続くことになります。
その桜が咲き誇っている16日(土)、松代の山寺常山(やまで
らじょうざん)邸の整備が完了し、常山の子孫の方々をお招きして
記念式典を行いました。また一つ松代の魅力が増え「エコール・ド
・まつしろ2005」の良いスタートになったと感じています。山
寺常山については、佐久間象山、鎌原桐山(かんばらとうざん)と
ともに松代三山と称えられ、藩政に尽力し、寺社奉行・郡奉行を務
め、藩士教育にも力を発揮した人とのことですが、いずれ詳しく調
べてみたいと思っています。
話は変わって、4月17日(日)、「第7回長野オリンピック記
念長野マラソン」が開催されました。前日のホテル国際21での開
会式では、ルーマニアのリディア・シモン選手、エチオピアのデラ
ルツ・ツル選手など、国内外の有名招待選手が紹介され、盛んに拍
手を受けていました。一流選手と一緒に走るのは、一般ランナーに
とって嬉しいことなのでしょう。
日本オリンピック委員会の竹田会長、長野オリンピックムーブメ
ント推進協会の小林会長、スポンサーの(株)セブン-イレブン・
ジャパンの山口社長、ほかにも大勢の方々が出席してくださいまし
た。開会式セレモニーの中で、このマラソンの前身「信毎マラソン」
の時代から、力を入れて育ててくださった小掛照二日本陸上競技連
盟名誉副会長に、小坂健介大会長から感謝状が贈られました。小掛
さんは、昭和30年代だったと思いますが、日本のお家芸と言われ
た三段跳びで活躍された選手として、私達の記憶に残っている方で
す。また、昨年と同じく姉妹提携をしているアテネマラソン、次の
オリンピックを行う北京から代表団が視察に来ておられました。
17日朝8時35分、桜が満開の中、選手が長野運動公園をスタ
ートして、大会が始まりました。NHKが全国ネットで放送を開始。
私も仕事の合間を縫って国道406号のところで応援しました。ス
タートして30分ぐらいでしたので、みんな元気でしたが、天気が
良すぎて気温が上がると記録が出ないのではないか・・・それが唯
一の心配でした。出場登録選手は6300人だったのですが、実際
スタートを切った選手数は5388人だったそうです。
サブスリー(3時間以内のタイム)を目指す市民ランナーにとっ
て、今回力強い味方もありました。「3時間ペースセッター」とし
てドイツの名選手カトリン・ドーレ選手が、そして日本の早田俊幸
選手がいたことです。きっと良い目標になったことと思います。
男子の優勝はケニアのイサック・マチャリア選手、女子の優勝は
ロシアのアルビナ・イワノワ選手だったことは、報道でご存知だと
思います。イワノワ選手の終盤の走りは力強く、42.195キロ
メートル走ってきたとは、とても思えない迫力でした。私は表彰式
で、県内最上位女子選手ということで、福沢久美子選手に市長杯を
お渡ししました。
そして同日、「長野パラリンピック記念第1回長野車いすマラソ
ン」が行われました。長野オリンピック直後に行われた長野パラリ
ンピックも私たちの心に大きな感動を残してくれた大会でした。そ
してこの大会を契機に、障害者スポーツが盛んになってきました。
オリンピック記念があるならパラリンピック記念の車いすマラソン
もやりたいという意見は以前からお聞きしていたのですが、同時に
走る場合には道路規制の時間が延びること、車いすマラソンは選手
層が薄く参加人数が読めないこと、千曲川の堤防コースを走るので
危険ではないかといったさまざまな課題があり、なかなか実施にこ
ぎ着けず、大規模な車いすダンスをやったらどうかと考えたころも
ありました。
しかし、どうしても車いすマラソンをやりたいという声に押され、
警察も了解し、また安全対策も目途がついたということで、今回開
催することになったものです。出場登録者61人(内女性3人、県
内選手10人)、実際走った人は51人、スタートはビッグハット
西(日赤交差点)から南長野運動公園までのハーフマラソンとして
実現したものです。
こちらの開会式は、前日、長野駅のコンコースで行われました。
選手のホテルが駅前でしたので、大変便利な場所だったようです。
そして大会は無事終了し、男子優勝は久保恒造さん(北海道)、
女子優勝は川島由美さん(兵庫県)でした。
両マラソンのゴールになった南長野運動公園は、マラソン・タウ
ンということで、大変なにぎわいでした。篠ノ井商工会議所が中心
になってたくさんの出店があり、市民の皆さんで一杯でした。
ところで、皆さんご存知でしたか、6000人もの選手が走るマ
ラソンでは、スタートラインを通過するのが、先頭と最後尾では5
分以上差があることを。それでは記録が不平等ではないか、何か対
策があるのでは・・・・ということです。調べてみたら、ありまし
た。素晴らしいハイテク・システムでした。
RCチップという直径3.5センチメートル、重さ3グラムのプ
ラスチック製の小型発信機チップを各ランナーのランニングシュー
ズの靴ひもに装着しているのです。チップの中にはIDタグが埋め
込まれていて、衝撃には充分耐えられる構造で雨の影響も受けない、
完全アウトドア仕様だそうです。RCチップを装着したランナーが
カーペット状のアンテナの上を通過すると、アンテナから発射され
た電波がチップのナンバーを素早く読み取り、ネットタイム、グロ
スタイム、スプリットタイムを記録するのだそうです(順位の決定
はもちろんですが、大会終了後、事務局から個人ごとのラップタイ
ム記録が選手に送られてきて、出場者は大変参考になるとのことで
す)。
長野マラソンでは多くの方は黒いレンタルチップ(レース後に返
却)を付けて走ったそうですが、ベテランでいくつもの大会に出場
する方は、個人用のチップ(黄色のチップ)を持っているそうで、
これは世界中のRCチップ計測の大会で使用可能なのだそうです。
ちなみに、価格は3200円、年会費600円だそうです。なぜ個
人のチップを使うのかお聞きしたら、レース後にかがみ込んでチッ
プをはずすのがかなり苦しい、個人用だとそのまま帰れるのが嬉し
いとのことでした。
車いすマラソンでは、大きいサイズのRCチップを競技用車いす
の前輪フレームの中心に近い部分に装着するのだそうです。情報に
よりますと、計測システムとしてはRCチップだけでなく、トルソ
ータグ(ゼッケンに付ける)というものも公認されてきているそう
です。走ること自体が楽しみのマラソンの世界にもハイテクノロジ
ーが入ってきていることを実感しました。
マラソンが終了し、午後4時からホテル国際21で、フェアウェ
ルパーティーが開かれました。大勢のランナーが残ってくださり、
健闘を称え合い、写真を撮ったり、おしゃべりしたり・・・楽しい
パーティーでした。私は元気な走りを見せてくださった皆さんに感
謝し、「来年も開催します。また長野で会いましょう」と宣言しま
した。