2007年12月27日木曜日

今年の最終メルマガです


 12月になると、各メディアが今年の10大ニュースの記事を特
集することが恒例になっています。長野市も少し前までは「今年の
長野市10大ニュース」を市報に載せていましたが、最近は「長野
市この一年」と題して、一年間の市内での主な出来事を掲載するこ
ととしています。たくさんの出来事がある中で、行政としては軽重
を決めることは、難しいし、失礼になるといったことが理由です。

 確かに最近は時の流れが速いせいか、ニュースの数が一年の間に
凝縮しているような感じであまりにも多く、今振り返っても、春や
夏ごろのことなどよく考えないと思い出せないことがあるほどです。
でもやっぱり今年最後のメルマガとなると、いろいろあった今年の
出来事を振り返ってみるべきであろうと考え、思い付くままに、書
き出してみました。

 風林火山、戸隠イヤー、市制施行110周年、善光寺本堂再建
300年、長野新幹線開通10周年、長野市農業公社の設立、ナシ
ョナルトレーニングセンター(NTC)の指定、NTTコールセン
ター誘致、第四次長野市総合計画スタート、浅川ダムを含む浅川治
水計画の認可、城山分室に長野市公文書館開館、ふるさとNAGA
NO応援団発足、県議会議員選挙、市議会議員選挙・・・

 もうとっくに10項目を越していますよね。日記を開いてみれば、
まだまだありそうですが、長野市にとってはもちろん、市長・鷲澤
にとってもということかもしれませんが、いずれも大きな出来事で
した。
 この中では、公文書館のことはあまり皆さんにお知らせしていな
かったように思います。これも歴史的にみれば、大きな出来事です。
長野市誌編さんの過程で集められた多くの資料をもとに歴史的な記
録資料として保存・利用する全国で51番目の公文書館が開館した
ものです。

 また、葛巻町・小岩井農場・網走・札幌手稲の視察訪問、長野青
年会議所のアスパック誘致のための台湾訪問、長野オリンピック記
念長野マラソンとアテネクラシックマラソンとの姉妹提携10周年
を記念してのアテネ訪問・・・公務として行くだけでなく、自ら行
きたかった、勉強したかったこともありました。

 長野県市長会会長就任、そしてそれ故に来年から始まる長野県後
期高齢者医療広域連合の初代広域連合長に就任しました。これも結
構忙しい、そして責任が大きいことを痛感しています。

 昨シーズンは一昨年に比べて雪が少なくて、道路の除雪予算は節
約できましたが、個人的にはスキーを十分には楽しめなかった。夏
は暑くて、地球温暖化防止対策が地方自治体にとっても、大きなテ
ーマとなってきた。これも大きなニュースといってよいでしょう。

 サッカーのAC長野パルセイロが北信越リーグで優勝を逃したこ
と、野球の信濃グランセローズが3位で北信越BCリーグの1年目
の戦いを終えたこと、長野県縦断駅伝競走で長野は常勝を目指して
いたのに全佐久に負けたこと、長野高校があと一歩で甲子園に手が
届きそうだったことなど、あとちょっとで・・・という残念なこと
もありましたが、北信越BCリーグが開幕し、地方でもプロスポー
ツチームが成り立つ可能性を信濃グランセローズが示したこと、県
高校駅伝では長野東高校の女子チームが優勝し、都大路では堂々と
した走りで健闘したこと、長野日大の野球部が秋季北信越大会で優
勝したことなど・・・スポーツの話題にもあふれていました。

 今年は葬式に参列した回数も随分多かったように思います。私の
母の死は高齢ですから仕方ないとあきらめていますが、ずっと年齢
の若い方、特に私にとって同世代の仲間が多く亡くなったような気
がします。寂しい限りですし、私だけ元気で跳んで歩いていること
が何か申し訳ないような気分になりました。

 作詞家「阿久悠」さんの死もショックでした。お会いしたことは
ありませんが、彼の文章の素晴らしさ、そして歌詞の素晴らしさ・
・・昭和13年生まれで私より若干の先輩ですが、素晴らしい歌を
たくさん残してくれましたし、文章もいつも納得する素晴らしいも
のでした。「時代おくれ」は私のカラオケナンバーの筆頭でしたし、
阿久悠ナンバーはいくつも歌えます。
 先日新聞の広告欄で、阿久悠さんの「清らかな厭世(えんせい)」
という本が出版されたことを知り、購入し、一気に読了しました。
死の寸前まで書いておられたようで、素晴らしい文章家を失ってし
まったとの思いを新たにしました。

 国の動きは国際関係の複雑化、国会のねじれ現象などの故か、い
ろいろ問題があるように感じます。年末恒例になっている、京都の
清水寺の貫主が揮毫(きごう)される世相を表す漢字一文字、今年
は「偽」でした。大方納得したものですが、それをもじって日本経
済新聞には、今年の企業経営は「偽・誤・蝕」という側面が浮かぶ
が、音読みすると三国志の「魏・呉・蜀」のようであるがずいぶん
と意味合いが違うという内容の記事がありました。うまい言い回し
を発想するものだと感心しました。
 長野市のことで言えば、もちろん課題山積みではありますが、一
歩一歩確実に前進していると思っています。

 以上、思い付くままに書いてきましたが、まだまだありそうです。
また、書いてきたことを一つ一つ詳しく説明していれば、切りがな
い感じですので、この辺で終わりにさせていただきます。

 一年間、メルマガにお付き合いいただいたこと、感謝しています。
明日は市役所の仕事納め、その後の年末年始の休みが楽しみです。
皆さんも、英気を養って、新しい年を張り切って迎えていただきた
いと願っています。
 私も残る任期2年足らず、全力疾走で市政運営に取り組みます。

※次回のメールマガジンは、平成20年1月4日金曜日に配信予定
です。

2007年12月20日木曜日

戸隠スキー場がオープンしました


 12月15日(土)待ちに待った戸隠スキー場が、今シーズンの
オープンを迎えました。冬になって、周辺のスキー場がオープンし
てにぎわっているニュースを聞くと、長野市のスキー場も早くオー
プンしてほしいと待ちわびていたわけですが、ようやく待望の日が
やってきました。

 ただ残念なことに、この日はまだ積雪量が十分でなく、動いてい
たリフトは一基だけ、ゲレンデも正面バーンの一部だけでしたが、
初滑りを楽しもうという大勢のお客さんに来ていただき、リフトは
長蛇の列、大混雑で(こんなことは最近あまり無いことです)・・・
うれしいオープンになりました。

 ゲレンデで戸隠神社の宮司さんによる「安全祈願祭」が行われ、
シーズンの安全を祈願した後、長野市主催でスキー場開きを行いま
した。お客さまとしては長野市議会、環境省戸隠自然保護官事務所、
林野庁北信森林管理署戸隠森林事務所などの代表者が参列してくだ
さいました。

 その後、子どもたちの松明(たいまつ)行列、デモンストレータ
ーによる模範滑走、そして戸隠太鼓の演奏が行われました。抽選会
では、私がくじを引いたり、プレゼンターを務めました。たくさん
の方に景品をお渡ししましたが、最高賞の新型のカービングスキー
は東京からのお客さん、スノーボードは千葉からのお客さんと、遠
くから来ていただいたお客さんに当たりました。また来場してくだ
さればありがたいですね。

 戸隠スキー場は、昭和38年の開設以来、大勢のスキーヤー・ス
ノーボーダーにご利用いただき、地域の雇用創出と観光振興に大い
に寄与してきたものです。首都圏をはじめ関西方面からの来場者も
多く、戸隠村時代、そして長野市になってからも、観光戦略プラン
の中でも、重要な位置付けになっているところです。

 昨シーズンは近年まれにみる雪不足のため、県内のスキー場は営
業期間を短縮するなど、その影響は甚大で、戸隠でもオープン初日
から全面滑走とはなりませんでした。しかし人工降雪機をフル稼働
し、また地元の皆さんの応援によりゲレンデへの雪出し作業を行っ
たこともあって、シーズン中の利用者は、前年度を上回る素晴らし
い結果となりました。まさに地域の皆さんの努力の結果でした。

 しかしながら、昨今のスキー産業は、スキー人口が大きく減少す
る一方、施設の供給過剰もあって、一段と厳しさを増しています。
長野市の飯綱高原スキー場と聖山パノラマスキー場の二施設は、指
定管理者制度による管理運営になり、存続をかけて努力しています。
戸隠スキー場についても、持続的な運営を図るため、現在、庁内で
「観光施設等民間活力導入プロジェクト」を立ち上げ、スキー場を
中心に、牧場、キャンプ場といったグリーンシーズンを含めた総合
的な活性化策を研究しているところです。

 戸隠の魅力はスキーだけではなく、グリーンシーズンの素晴らし
さ、神秘的な雰囲気をかもし出す戸隠神社、全国的に有名な戸隠そ
ば、辛い戸隠大根・・・売り出したいモノはたくさんあるのです。
思い出しましたが、戸隠山の蟻(あり)の塔渡り、八方睨(にらみ)
なども、学生時代に登山として楽しんだ記憶がありますし、冬、ス
キー場の頂上から見る戸隠山の景色は息をのむほど素晴らしい。

 今シーズンは、戸隠スキー場開設45周年の節目の年で、戸隠イ
ヤーにも当たりますので、シーズンを通じ宣伝・PRを図り、また、
パンフレットにもある「楽しい、美味しい、美しい」の言葉どおり、
魔法の粉雪、美味(おい)しい食事、そして素晴らしい眺望と、三
拍子そろったスキー場を全面に押し出し、来場者の増加を図ってい
こうと考えています。

 オープンの日の翌日、前日滑れなかったことが残念で、日曜日な
のだからぜひ滑りに行きたいと思っていましたが、朝起きたらひど
い雪降り・・・これでは駄目だとあきらめていましたら、10時ご
ろ雪がやんで日が出てきました。
 急きょスキー仲間に電話、ぜひ行こうと伝えました。その人も少
し前に戸隠スキー場に電話してみたら、昼からもう一つのリフトを
動かす予定とのことなので、勇躍出発しました。
 当日でも、思い立ってすぐ行ける近さにスキー場があるのはあり
がたいですね。

 午後1時前は、昨日と同じリフト一本でしたので、混んでいまし
た。そこで何本か滑って、食事をして待っていましたら、高速クワ
ッドリフトが動き出しました。
 あわてて食事を終えて、滑りに行きました。うれしかった。でも
“メノウ”のコースはまだ滑ることができませんでした(ここ数日
の降雪で、18日から“メノウ”のコースも滑走可能となりました
)。何本か長いコースを楽しく滑って・・・この次に来るときはも
っと良いコンディションで滑れるだろうと期待を込めて、この日の
スキーを終了しました。

 皆さん、スキーは楽しいですよ。特に中高年の方々にお勧めです。
前にも書きましたが、カービングスキーによって、現在のスキーは
革命が起きているのです。すごく楽なのです。昔スキーをやった方
で、スキー場が混んでいてリフトで待たされることが多くてやめて
しまった方、大人になって仕事が忙しくてやめた方、スキーでけが
してそれ以後やめた方・・・いろいろな理由でやめた方がいるので
しょうが(私の場合は社会に出たころから、ゴルフが面白くなって
しまい、スキーからは知らず知らず遠のいていました)、レンタル
スキーでよいですから一度カービングスキーを使って、滑ってみま
しょう。私と同じように、はまりますよ。道具さえあれば、それほ
どお金が掛かる遊びではありません。ひとシーズン安く遊べるし、
健康にも良い、友人もできる・・・素晴らしいスポーツです。

 今週22日の土曜日には、飯綱高原スキー場と大岡の聖山パノラ
マスキー場もオープンを予定しています。それぞれのスキー場が工
夫を凝らし、各種イベントを企画していますので、皆さんぜひお出
掛けください。

2007年12月13日木曜日

中小企業の経営に携わった者として(2)


 前回は、中小企業の経営に携わった者の立場で不合理と思われる
ことについて書きましたが、今回は企業経営全般について、感じて
いることを書かせていただきます(番号は前回の続きです)。

(5)前にも書いたかもしれませんが、土地の減価償却を認めるべ
 きではないかということです。これは中小企業のことに限りませ
 んが、例えばバブルの時、高い土地を買ってしまった。それは経
 営者の見通しが悪かったのですから、仕方がないのですが、土地
 が極端に下がってしまった場合、企業が土地の評価を下げること
 が必要だと思います。しかし税法では土地の評価損を認めていま
 せんので、売って損を出すより仕方ないようです。
  でも必要な土地を売るわけにはいきませんし、買い戻すために
 は、新たな失費(登録免許税など)が発生することになり不合理
 です。不動産鑑定士の評価で、買った価格より下がっていたら、
 その下がった分は損として損金計上を認めるべきです。
  その代わり、上がっていたらその分に課税する必要はあるので
 しょうが(旧日本電信電話公社の発行した電話加入権の債券も償
 却を認めていたら、大きな問題にならずに済んだはずです)。
  いずれにしろ土地でもうけようというのは、問題があるとも思
 っているのですが・・・。

(6)次に、不良債権の問題。不良債権の問題が顕著化した時、国
 はこれを早期に解決するため「金融再生プログラム」を策定し、
 銀行を監督する金融庁から銀行に対し、不良債権の基準を厳格に
 して不良債権比率の改善を強く求めましたが、このことが結果と
 して、中小企業、特に名門といわれる小さな企業の破たんにつな
 がっています。バブル崩壊前は、銀行は、土地などの担保となる
 資産がしっかりとあれば、借り入れたお金をすぐ返せとは言わな
 かったのです。金利さえ払えば、元金まで返せとは言われなかっ
 たはずです。

  しかし、資産がデフレで減少する中で、期限までに元金を返せ
 ない場合は、不良債権と見なす、土地を売ってでも返さなくては
 ならない、いわゆる貸しはがしという現象が起きてしまったので
 す。

  銀行の立場からいえば無理もないことでしょう、不良債権処理
 により自己資本が減ると、例えば国際決済銀行として認められな
 くなるとか、さらに自己資本が無くなってしまうと信用を失い、
 銀行の倒産にもつながるわけで、現に幾つかの銀行は破たんしま
 した(一般の企業でも同じですが・・・)。

  企業は、結果として資金を銀行から借り入れしても、安心して
 経営に専念できない、返済期限までに何とかしなければならなく
 なり、手元の現金でやりくりするか、市場から株式やファンドと
 いう形で調達せざるを得なくなったのです。(これも安心して借
 りていられるわけではないのは当たり前です)。

  株式を発行して得た資金は、金利を払う必要はありませんし、
 返済の義務はないのですが(永久債といってよいでしょう)、配
 当を出す必要があります。配当は利益から税金を納めた残りから
 払うものですから、金利よりはるかにコストがかかりますし、経
 営に参加権のある株主の言い分や要求を聞かなくてはなりません
 から、金利分だけでは文句が出るわけで、無理をして配当を増や
 すこともありそうですし、赤字なら取締役の入れ替えも求められ
 ます。

  銀行からの借り入れで資金を得た場合には、銀行の意見を聞か
 なくてはなりませんが、銀行は企業の継続が大切ですから、一部
 の一般株主のようなむちゃは言いませんし(私はそれを信じてい
 ます、でもグローバル・スタンダードのルールの下では怪しくな
 っているようですが)、企業にとっては、はるかに資金コストは
 低くなるはずです。不良債権基準が厳格化されたことが、企業社
 会、地域社会を変えた一番大きな要因だったと思っています。

(7)ルールの問題とは違いますが、政府の経済政策について、企
 業の法人税の引き下げが議論されています(政府税制調査会の答
 申では当面見送るとされました)。理由はグローバル競争の中で、
 企業の競争力を強めるためだそうですが、ちょっと順序が違うの
 ではないか・・・と感じています。
  現在、大企業は好調で、利益が上がっている、法人税の減税の
 恩恵を受けるのでしょうが、中小企業は利益が上がっていない、
 つまり所得税の減税をしても、その恩恵をほとんど受けられない
 と言ってもよいのではないでしょうか。

  今、日本の喫緊の課題は財政の再建、すなわち国債の発行額、
 発行残高を減らすことではないか、そして次は格差是正(大企業
 と中小企業、大都市と地方、格差はいろいろあります)ではない
 かと思います。
  減税する余地があるなら、減税しないで財政再建を、あるいは
 格差是正を優先すべきと思うのですが、どうでしょうか。大企業
 の競争力は、現段階で十分強い、故に利益を上げているわけです
 から、順番としては、減税より財政再建、格差是正です。

(8)税金は国にとって、もちろん地方自治体にとっても、一番大
 切な財源ですから、納めることは当然ですし、国民として納税す
 ることは義務です。ただどこにどのような税金を求めるか、その
 ルールが難しい、極めて政治的な判断が絡んでくる問題です。そ
 して公平・公正でなければ誰も納得しないでしょう。
  各団体、業界は、自分たちが発展していくために、国に対して
 いろいろ働き掛けをしており、結果として、国はその内容も考慮
 し、公平・公正の視点を参酌して、現在の税制と補助制度ができ
 ており、国家が運営されているのです。

  中小企業はその折衝力、政治力が弱いと昔から感じています。
 ひところ中小企業大臣をつくるべきだという運動がありましたが、
 実現しませんでした。中小企業にとって不合理と思われる税制が
 長いこと存在してきたと感じています。そして、税制と補助金は
 密接な関係があります。社会全体としては、公平に税金を徴収し、
 政策的に必要とする分野に対して、補助金などを交付しているわ
 けです。中小企業は、商工会議所などへの団体補助は別として、
 個々の企業は直接補助金を受けていないことを自らの誇りとして
 きたのです。しかし、中小企業の現状を考えると、国はもっと個
 々の企業の実態を見て、政策を考えるべきではないでしょうか。
 また中小企業はもっと社会に対し、きちんと主張すべきことは主
 張すべきではないか・・・会社経営を離れて6年、中小企業の現
 状を第三者的に見れるようになって、私はそんな気分でいます。

 以上、二週にわたって、中小企業の経営に携わった者として不合
理と感じていた事柄について、思いつくままに書いてみました。既
に見直されているものもありますが、長い間、胸の中にあったもの
を吐露させていただいたということで、お許しください。

2007年12月6日木曜日

中小企業の経営に携わった者として(1)


 私が40年間中小企業の経営に携わり、その後市長になったこと
は、前にメルマガで書かせていただきました。市長就任以来約6年
たって、社長時代のことは忘れかけていることも多いのですが、当
時、企業社会に対する税制度など、このルールは不合理だと主張し
ていたことが幾つかありました。
 前からこのことをぜひメルマガで書きたいと思っていましたが、
いざ書く段階で改めて、現在のルールを調べてみたら、随分変わっ
ていました。6年前、私が社長時代不満に思っていたことは、だい
ぶ改善されてきているなと感じました。

 現在、大企業は好調なところが多いようですが、中小企業はまだ
まだ不況で苦しんでいます。これではいけないと感じたのでしょう
か、あるいは国も中小企業に対する見方を考えたのでしょうか、税
制度はかなり変更されていました。うれしいことです。でも少し遅
すぎたようには感じていますが・・・。

 日本経済の強さの要因は、いろいろあるでしょうが、私は、中小
企業がたくさん存在することによって、経済が支えられていること
にあると信じています。特に長野市のように、地域を引っ張ってい
く大企業(リーディングカンパニー)があまり存在していない地方
都市では、中小企業の存在こそが、地域の雇用や税収を確保し、地
域社会をけん引していく、まさに地域の核心であるといつも感じて
います。その中小企業が元気に永続性のある組織として成長・発展
をしていくためには、どうしたらよいか・・・難問ではありますが、
いずれにしても、中小企業にとって不合理と感じる政策が徐々に改
善してきており、この流れをさらに強めていきたいものです。
 今回は、私が社長時代、何に不満を感じ、そして、それが現在ど
う変わったのか、書いてみることにしました。

(1)同族会社の留保金課税。これは今年度から中小企業が適用対
 象から除かれたようです。そもそもこの税金は不合理であり、も
 っと早く改善するべきだったと感じています。ご存じない方もい
 らっしゃると思いますが、会社が利益を上げた場合、まず法人関
 係税を納め、残った利益から配当や役員賞与などを支払い、そし
 て将来のために、あるいは会社の成長のために社内に留保・積み
 立て(留保金)することは当たり前のことです。しかし、私が社
 長時代はその留保金に対して10~20%を課税するということ
 が行われてきました。税金が高かったのです。私は過去何十年間
 もこれを納めてきました。すべての企業に同じなら仕方ないです
 が、この税は非同族会社には適用されませんでした。大部分の中
 小企業は同族会社ですから、中小企業にとって極めて厳しい税制
 度でした。

(2)次は、事業用資産に対する相続税の重さです。事業用資産は、
 会社の将来を思って一生懸命に貯めた内部留保、古い取得原価の
 安い土地を所有しているが故の含み益などありますが、そういう
 ものも含めた自分の会社の株式評価が不合理なのです。少なくと
 も企業の内部留保は所得税を納めた残りですから、相続の際に、
 また課税されるのは、不合理です。

  結果として、一株当たりの評価額は、通常の上場会社の株式に
 比べて大変割高になる例が多いのです。今回これも手直しされる
 ようで、先ごろの新聞報道によると、政府が来年の通常国会に提
 出する予定の「中小企業事業円滑継続法案」では、中小企業の自
 社株の相続に限り、民法で定める遺留分の特例を認めた上で、贈
 与株式の評価額を贈与時に固定できる制度や、オーナー経営者の
 生前に自社株の継承で他の相続人と合意して、家庭裁判所の認可
 を受ければ、基礎財産から生前贈与された自社株を除外できるよ
 うになるとのことです。
  当時は、相続対策に相当神経を使わなくてはなりませんでした。
 しかも自己株式(家業)ですから売るわけにもいかない、また売
 れないと思うのです。結局、物納もできず年賦払いにしてもらっ
 て、相続税を何年もかけて納めていく・・・これも極めて酷な税
 金であると思っていました。私は父を早く亡くし、何の準備もな
 かったため、株式に関する相続税の納税に10年間、大変苦労し
 ました。

(3)寄付金税制。これも不合理と思える税制度です。企業の寄付
 金は、原則損金算入はできない利益金処分ということになってい
 ますが、一定額は会社の経費として認められています。その限度
 額は確か資本と所得の金額で決められているはずですが、私の社
 長時代、私の会社で年間10万円ぐらいだったと思います。
  ですから資本金が大きい大企業にはある程度の枠があるのです
 が、中小企業にとっては、極めて小額となるわけで、寄付を頼ま
 れた場合、基本的には税金を納めた残りの中から出すことになり
 ます。
  何千万円、何億円といった大きな寄付金は大企業でしかできそ
 うにもありません。地域社会での寄付金はそんなに大きくはあり
 ませんが、お祭りへの寄付、PTAへの寄付、どこかのお祝い事
 (ご祝儀も基本的には寄付と同じです)、今ならNPOへの寄付
 もあります。せいぜい数万円から多くて何十万円の単位でしょう
 が、これを会社の経費に認めないということは理解に苦しみまし
 た。
  商工会議所の副会頭時代、いろいろなイベントなどの事業資金
 のため、寄付金集めに奔走しましたが、大変苦労しました。世の
 中、というより地域企業は地域社会とのお付き合いが大切であり、
 それはまた企業のためでもあり、地域活性化にもなると思うので
 す。
  例えばNAOC(長野オリンピック冬季競技大会組織委員会)
 への寄付は、当時、大蔵省の特別許可があったから、制限なしだ
 ったことを思うと、地域で生きる中小企業の経営者にとっては不
 満があります。

(4)同族会社の行為計算の否認。これも不合理な制度と思われる
 ものです。すなわち同族会社が行う行為について、ものによって
 会社の経費とは認めないということでしょう。(3)と同じこと
 かもしれません。会社の役員の賞与を経費に認めないというのも、
 このたぐいのことかもしれません。最近は一定の金額は認められ
 るようになり、逐次金額も増えているようです。行為計算の否認
 というのは、企業が決算を組んで税務署に申告したとき、その申
 告に対し、認めないということです。

 以上、会社経営に携わっていた時に感じていたことを、書かせて
いただきました。基本的には、国の税制度は、まず税金をとること
を優先し、それが中小企業の自由な企業経営を制約しているのでは
ないか、当時はそんな思いがありました。
 長くなりましたので、今回はこの辺にして次回、もう少し違う視
点で書いてみたいと思います。

2007年11月29日木曜日

「雑談力」について


 個人的な話から入ることをお許しください。
 最近、女房から「あなた、最近面白くない!行政に関係ある話し
かしていないのでしょう。もっとロータリークラブ、JC、会議所
など、昔からのお友達と遊びなさいよ」と言われたことがあります。

 あまり気にも留めていなかったのですが・・・先日、海外出張を
する際、ヨーロッパまで片道12時間近くかかるものですから、飛
行機の中での暇つぶしに、小さな本を3冊ほど買い込み、持ってい
きました。
 その中の一つに、千葉大学の多湖輝名誉教授の“人の心をつかむ
「雑談力」 情報が集まる「雑談力」”というのがあり、面白い内
容でした。多湖教授といえば、昔「頭の体操」というベストセラー
があって読んだことを覚えていますが、今回本屋をブラついている
とき、目に留まったものです。

 読んでみて、「雑談」が必要だということが、よく分かりました。
雑談の中にこそ、いろいろなアイデアが生まれる、一見何の関係も
無いことを喋っているうちに、あることの解決策に出会う、気が付
くのだそうです。また、人の心をつかむ、あるいは情報が集まると
いう効用もあるようです。

 考えてみますと、市長の公務は、庁内外の会議、視察、イベント
に参加してのあいさつなどいろいろあり、毎日忙しい中、その合間
をぬって、副市長を含めた打ち合わせや事前レクチャーの時間が結
構多いのですが、「雑談」というのはあまり無いなあということに
気が付きました。

 会議や打ち合わせの時間というのは、はっきり目的があって、そ
の目的について話し合い、懇談し、最終的には方針を決断するわけ
ですが・・・その中に「雑談」というのはほとんどありません。必
要なことを市長に伝え、市長が意見を言い、長い短いはありますが
議論をして、市長が了解するか否か・・・話が終わると、みんなさ
っさと部屋を出ていきます。打ち合わせ時間が15分とか30分と
秘書課があらかじめ伝えてあるようですから、仕方がないと言えば
そのとおりです。

 私にとっての「雑談」について考えてみました。
 雑談の場として一つは秘書課の職員と行う暑気払いや忘年会、場
合によっては若手職員との飲み会もあります。スキーの仲間とスキ
ー場での歓談もその一つかもしれません。
 また、地域での会議や、市民・ボランティアの皆さんとの懇談。
あるいはまれですけれど農業委員さんとの懇親会、経済団体との会
合。
 ほかにもあるかもしれませんが・・・これらが本当に雑談といえ
るかどうか、疑問はあります。いずれにしろ市長という肩書きを外
してというわけにはいきませんから、雑談とはいえないのかもしれ
ません。

 大学や高校の同窓会・・・これは雑談の絶好のチャンスでしょう
が、年に一回ぐらいで、それも出席できない場合が多く残念です。
 市長就任前から所属していた組織の会合、例えばロータリークラ
ブ、JCシニア会、NUPRI・・・これらは、気楽に喋るという
意味ではありがたいし、目的のない雑談をしているということでは
ありますが・・・なかなか肩書きを外して喋るというのは、困難だ
と感じています。

 私が雑談をすることによって、私自身が変わるわけではないでし
ょうが、もしかするともう少しアイデアを出せるようになるかもし
れません。少なくとも女房に「あなた、面白くない」と言われるこ
とは、無くなるのではないか・・・そんな期待を持っています。

 皆さんの参考に約60項目もある「雑談力」の目次の中から、い
くつかのフレーズをご紹介しますと「考えが行きづまったらとにか
く雑談しよう」「雑談のよさは気軽さと直感にある」「雑談はでき
るだけ異業種、異世代の人とやるとよい」「脱線するから雑談は面
白い!」「否定的な見方より肯定的な見方をしよう」など・・・。
ご紹介したのは、本のわずかな部分ですが、およそ想像していただ
けるかと思います。

 飛行機に持ち込んだ残りの本も、結構面白く読ませていただきま
した。東京工業大学大学院の橋爪大三郎教授の「人間にとって法と
は何か」と、京都大学の中西輝政教授の「なぜ国家は衰亡するのか」
の2冊です。

 限られた時間、そして飛行機の中、あまり厚い本を読むのは無理
ですが、新書版ならポケットに収まり、便利です。しかも最近はな
かなか読み応えのある本がそろっていますので、もっぱら私の愛読
書になっています。

2007年11月22日木曜日

アテネクラシックマラソンに行ってきました


 11月4日、アテネクラシックマラソンが開催され、市長として
現地へ行ってきました。
 アテネクラシックマラソンは、アテネオリンピックの時と同じマ
ラトン市からアテネ市のパナティナイコ・スタジアムまでのコース
で開催されました。

 長野オリンピック記念長野マラソンとアテネクラシックマラソン
は、1998年に姉妹提携を結んでおり、本年10周年を迎えまし
た。過去の開催では、アテネからはセガス(ギリシャ陸連)の代表
が長野へ来られ、長野市からは助役や収入役を派遣していたのです
が、10周年という節目ですので、長野オリンピック記念長野マラ
ソンの名誉会長である長野市長が参加したものです。

 大会当日、朝6時にアテネのホテルを車で出発、40キロメート
ル先のスタート地点のマラトン市へ出掛けました。途中、既にいろ
いろなゼッケンを着けたランナーが走っていました。聞くとフルマ
ラソンに併せて、パワーウオークや10キロメートル、20キロメ
ートル走が行われているようでした。

 マラトン市のスタート地点に着くと、9時スタートを前に、マラ
ソンゲートの周辺には、三々五々選手が集まり始めていました。周
辺は広々した野原で、すぐ隣には芝を張ったサッカー場があるだけ
・・・比較的簡素な雰囲気でした。以前に来たことのある信濃毎日
新聞社の局長さんの話ですと、10年前はもっと閑散としていた、
長野マラソンとの提携、そしてアテネオリンピックのおかげで、随
分整備されたということでした。

 スタート1時間以上前から、大きなマイクの音が響き始めました。
司会者と言ってよいのでしょうか、言葉は理解できませんが、大会
の雰囲気を盛り上げるため、精一杯大きな声を張り上げていました。
聞くと、その声の主は、アテネオリンピック時の実行委員会委員長
で、今回ギリシャ陸連から依頼を受けたマチス・アシマ・コプロス
さんだということです。日本とのイメージの違いにビックリでした。
 そんな中で、特別ゲストとしてロザ・モタさんが紹介されていま
したし、長野からはるばる市長が来ていることも紹介されたようで
す。

 スタート時間になり、ロザ・モタさんとマラトン市長の2人がス
ターターを務められ、約6,000人のランナーが走り出していき
ました。日本からの男女2人の選手も含め、先頭集団では一流選手
が真剣に走っていました。市民ランナーは走ることが楽しいという
皆さんで、仮装行列に参加するような凝った衣装のランナー、夫婦
で小さな赤ちゃんを乳母車に乗せて走っていく姿もありました。

 選手がスタートした後、私たちもバスでアテネに向かいました。
途中まで選手と並行して走り、応援しながらレースを楽しみ、途中
からコースを外れて、アテネのゴール地点のパナティナイコ・スタ
ジアムへ先回りしました。

 パナティナイコ・スタジアムは、3年前のアテネオリンピックの
マラソンでも使われたところですが、あまり広くなく、現代の陸上
競技場では当たり前になっている400メートルトラックはできな
いようですが、すべて大理石造りの素晴らしい雰囲気の場所です。

 長野オリンピックの前年の暮れ、すなわち1997年の12月、
私は「聖火の翼」というNAOC(長野オリンピック冬季競技大会
組織委員会)のプロジェクトで、オリンポスでの聖火式に臨んだこ
とがありますが、その時このパナティナイコ・スタジアムも見学し
ました。素晴らしいスタジアムに感心したことを覚えていましたが、
アテネオリンピックを契機に、かなり客席を増設して収容人員を増
やしたのだそうです。古代オリンピックの雰囲気を残しながら近代
オリンピックでも使う、その試みに感心しました。

 アテネのオリンピックマラソンコースは、上り坂が多く、好記録
が出にくいのだそうですが、競技の結果は、日本女子の田中さんが
2位になって大いに賞賛を浴びました。男子の吉冨さんは、7位で
したが、1位から6位までケニアの選手、そして8位以下もケニア
の選手という中での大健闘でした。
 レース終盤で、選手の一人が電車と接触する事故がありちょっと
残念でしたが、大事に至らず無事帰国したとのことです。
 私は、姉妹マラソンの名誉会長として、最高位の地元ギリシャ選
手に対するプレゼンターを務めさせていただきました。雨の中でし
たが、大勢の観客が最後まで声援を送っていました。

 皆さんは、オリンピックのマラソンについての故事をご存じだろ
うと思います。
 昔、マラトンの戦い(ギリシャとペルシャの戦い)で、ギリシャ
が勝利し、その戦勝報告をアテネに伝えるため兵士の走った距離が
約40キロメートルだったとのこと。その後近代オリンピックにお
いてマラソンの距離が42.195キロメートルになったそうです。
もう少し簡単な数字の方がありがたいと思うのですが・・・歴史的
なものですから仕方ないのでしょう。
 それに、国際陸連の規定によると、スタート地点とゴール地点が
直線距離で42.195キロメートルの半分以下でなくてはならな
いのだそうです。この規定によって、長野マラソンは山ノ内町から
長野市へのコースをあきらめ、長野市内のコースに変更したのです
が・・・アテネの場合は難しいでしょうね。「マラトン」というマ
ラソン発祥の地からアテネまで走る、その距離が42.195キロ
メートルなのですから・・・まあコースが公認されるかどうかは、
ギリシャの人にとっては関係ないことかもしれませんね。

 マラソンの翌日、「一校一国運動」の交流を昭和小学校と続けて
いる学校を訪問しました。一校はコスティナ・ギトナ学園で、ここ
は私立の学校で幼稚園児から高校生までが通う大きな学校でした。
もう一校はマラトン第一小学校という公立の学校で、校門から校舎
まで子どもたちが大歓迎をしてくださいました。
 長野オリンピックから10年を経た現在も交流が続いている一校
一国運動は、北京オリンピックへもつながっており、お互いを理解
し、友好関係を深めてきていることを実感することができ、大変う
れしく思いました。

2007年11月15日木曜日

中山間地域活性化への方策


 11月11日、市長就任以来7年目に入りました。
 この6年間、随分長かったような気もしますが、一瞬の間であっ
たような気もしています。時間のたつのがこんなに早く感じるのは、
市長という役職に就いた忙しさからでしょうか、それとも「年を取
ると時間が早く過ぎる」と多くの先輩が話されていた、そんな共通
の思いを感じる年代に、私もなったからでしょうか・・・

 残された任期、第四次長野市総合計画に示した長野市の未来図に
向かって全力を尽くすことは当然ですが、中でも私は中山間地域の
活性化に特に力を入れたいと考えています。
 なぜなら、6年前市長選に立候補して「長野市は広い、ここも長
野市か」と感じ、以来都市部と中山間地域の格差是正(当時はこう
いう表現はしませんでした)の必要を強く感じ、いろいろな施策を
行ってきたつもりですが、限界集落といった言葉が言われるように
なってきており、事態は少しも良い方向に進んでいないことは、残
念ながら事実です。4町村との合併も、そんな時期に重なってしま
ったのかもしれません。

 中山間地域は、長野市域の70%を占めています。
(1)若者が都市部に転出し、地域の高齢化が進み、後継者が少な
くなってしまった。
(2)生活の手段としては、農業と林業が主であるが、いずれも稼
ぐための条件は厳しく、将来への夢をなかなか持ちにくい。
(3)長野市近郊の場合、都市部へ通勤することによって生計を支
えることが可能ではあるが、東京のように1時間ぐらいの通勤時間
は普通という地域に比べ、道路が狭い上に急坂、冬の積雪問題があ
る。公共交通機関も減退している。
(4)交通・道路問題だけでなく、都市のインフラが全般的に不足
している。農業集落排水事業などによって下水道整備は前進してい
ますが、買い物をする商店、医療や介護の施設、通信インフラ・・・
都市部の人には考えられないような不便さがあります。
(5)人口が減り、コミュニティが崩壊しつつある。長野市にも限
界集落が発生している。

 中山間地域活性化ということで、いろいろな施策を行うのはもう
遅いという方もいらっしゃいます。確かに日本中が困っている問題
ですから、簡単にいかないことは事実です。しかし、本当に人が住
まなくなったら・・・そこで生活の根拠を置けなくなったら・・・
山は荒れて災害が起こるでしょうし、河川の整備もできない、あの
日本の原風景ともいうべき美しい農山村が消えてしまったら、どん
な社会になるのでしょうか?

 難しいことは承知の上で、都市部に多少の負担を払ってもらって
も、何としても中山間地域の再興はしなくてはならない事業である
と、考えています。

 マクロ的な視点で考えなくてはならないのは、県・市町村レベル
の話ではなく国家的なプロジェクトとして取り組む必要があるとい
うことです。
(1)森林環境税が今話題になっていますが、これを全国レベルの
プロジェクトにしたいものです。県レベルでは十分な税収は望めな
い、ましてや市町村レベルではなく、東京、大阪、名古屋など、人
口集中地域を巻き込まなくては、効果は薄いと思います。大都市は
地方の恩恵を受けている。地方(特に中山間地域)はきれいな水、
きれいな空気を都市に売っているのだという発想が必要です。そし
て地域間格差を埋める絶好の税制だと思いますが、いかがでしょう
か。
(2)ひとつ素晴らしいニュースがありました。県知事から福田内
閣で総務大臣に就任された増田さんが「限界集落に交付金を渡す」
と発言されたことです。これは(1)の発想と同じ効果が望めると
いうことです。現在「中山間地域等直接支払制度」がありますが、
これを充実させることにつながると思います。市町村が単独で取り
組むだけでは効果が薄い。国の政策の中で大きな投資先の変革を起
こさないと・・・単なる発言に終わらないよう、願っています。
(3)地域に人が住む、生活できる、ということが基本でしょう。
ただ地域はすべて違います。それぞれの土地での必要性は、すべて
違いますし、時間の経過でも変わっていくと私は思います。要はそ
この生活に魅力があり、移り住みたいと人が感じる、そんな施策が
必要です。

 そこで、長野市ではどうするか、現段階、まだ私の構想段階です
が、
(1)本年度に創設した農業公社や住民自治協議会、農協、森林組
合、そして行政は全庁挙げて協働して課題に取り組む。
(2)公共交通は都市のインフラと位置付け、整備する。
(3)中山間地域の住民自治協議会などで、生活支援要員の採用を
考える(できれば地域に住める人が望ましいが、場合によっては地
域外から通う人もあり得るかもしれない)。人数、仕事の内容など、
詳細は今後検討する。各地域の農林産品などの生産高や人口増への
目標値を決め、行動する。
(4)素晴らしい自然を活用して中山間地域の活性化を図るための
「(仮)いいとき(飯・戸・鬼)エリア構想」(飯綱・戸隠・鬼無
里の頭文字)をつくり、中山間地域活性化のモデル事業として実施
する。

 あまり項目を多くしても実行できないでしょうから、この4項目
を確実に実行し、常に検証しながら、国の支援策も受け入れながら
新しい中山間地域活性化の長野市モデルを構築するという意欲を持
って、取り組んでいきたいと考えています。
 中山間地域の自然・景観は本当に素晴らしい。そこでの生活は、
忙しい都市部の生活とは根本的に違っている。どこかで価値観の逆
転が起こるのではないか・・・私はそんな希望を持っています。

 先日、長野オリンピック記念長野マラソンがアテネクラシックマ
ラソンと姉妹提携して10周年ということで、アテネを訪問しまし
た。そのときイギリスに立ち寄り、自治体国際化協会の方々と懇談
したのですが、イギリスの農村が豊かだということが話題になりま
した。私は、その原因を知りたい・学びたいと強く思いました。

2007年11月8日木曜日

県行政機構審議会で提示した「私案」について


 少し前の話で恐縮ですが、7月20日に開催された第3回「長野
県行政機構審議会」に出席しました。私は長野県市長会会長として
審議委員に任命されていましたので、その立場での出席でした。た
だ市長会会長としての審議委員ではありますが、必ずしも市長会の
了解を得ているものではないので、述べて良いものかどうか迷いま
したが、日ごろ考えていたことでありましたので、私見、あるいは
長野市長としての立場であることを明確にした上で、発言させてい
ただきました。

 すなわち、県の行政機構改革の目玉になると信じ、県の現地機関
と広域連合について、私の考えていることを述べさせていただいた
ものです。
 その後、県市長会でも同趣旨の発言をさせていただいていますの
で、今回はそのことを報告させていただきます。
 
 現在、国では、将来の道州制などを見据え、本年7月に発足した
第29次地方制度調査会において、地方自治の一層の推進を図る視
点から、小規模市町村に対する方策を含め、基礎自治体の在り方な
どについて議論されています。また、地方分権改革の進展、広域的
な調整を要する案件の増加など市町村を取り巻く環境に変化が生じ
ています。このような状況から、私は広域行政を担える新たな自治
組織を構築する必要があると考えていました。

 一方で、相当の広域行政を推進できる強い行財政基盤を有する基
礎自治体を整備するための市町村合併については、今後、県内で大
きく進展するのは、なかなか難しいのではないかと認識しています。

 そのために、まず、さまざまな県の現地機関の統合を提案しまし
た。これまで県の本庁組織の系列で設置されていた分野ごとの現地
機関を統合していったらどうかということです。長野地域でいえば
仮に「長野広域事務所」として、ここに「地方事務所」「福祉事務
所」「建設事務所」「教育事務所」などを統合したらと考えていま
す。
 次は、管轄区域の問題ですが、前述の「広域事務所」を県内の4
ブロック「北信」「東信」「中信」「南信」に再編するということ。
ブロック分けについては、さまざまな意見があると思いますが、人
口・面積など県内の地域バランス、また、県歌「信濃の国」でも
「4つの平」と歌われているように、歴史的な背景や県民意識など
を考え合わせてみると有力な考え方ではないかと思っています。
 ただし、管轄区域が現在と比べ広範囲となるため、現地機関の統
合と併せて、区域内の各地にその出張所を設置する必要があると考
えられ、そういう意味では、現在の現地機関の再編成という形にな
ろうかと思います。

 最後は、この広域事務所の再編に併せ、現在県内に10ある広域
連合をこれに統合するということ。つまり、現在市町村が構成する
広域連合に県も参画していただき、県と市町村が連携することで、
県の事務や現状ではなかなか進まない権限移譲の受け皿にするとと
もに現在、市町村が担当している相当な部分の事務を移管できるの
ではないかと考えます。市町村での事務は、極端にいえば、住民に
直結している窓口サービスや地域おこしなど、独自色の出せる分野
に特化していくことで、小規模自治体でも自立していける道が開か
れるのではないかと思います。
 なお、4ブロックに再編することが先か、まずは現状の枠組みの
中で、「広域事務所」と「広域連合」との一体化を図ることが先か
については議論のあるところだとも考えています(広域連合に県が
参加することは、法的に可能です)。

 また、この「広域連合」については、こうした多くの機能を担え
るはずと思っていますが、一方、合意形成の困難さや財源の問題な
ど、課題が多く現状に対する不満も感じています。その意味でも、
住民に近い立場で広域行政サービスを提供している県の現地機関と
統合することで、県のリーダーシップも期待できるし、よく言われ
る二重行政の弊害などを解消する一助ともなるのではないかと思い
ます。

 具体的な例で言えば、現在、消防組織法の改正に伴い県内消防本
部の広域化が計画されていますが、これの運営主体・組織として検
討される可能性があり、この議論のきっかけになるのではとも考え
ています。ほかにも福祉分野、ごみ処理、土地利用計画など、広域
で解決すべき課題への対応も、よりスムーズになるのではと思いま
す。

 県と市町村の役割分担や財源の問題、組織のリーダー、あるいは
議会等の在り方など、課題も多いのですが、現行の制度の中で実現
できると考えており、「長野モデル」として検討すべき価値がある
と考えています。

 地方自治の大きな変革期に当たり、これまで私は、これからの新
しい地方自治の姿をイメージするとき、「連邦都市」という言葉を
使って表現してきました。県の現地機関である広域事務所と広域連
合とが一体となった組織を仮に「広域自治体」と呼ぶとすると、域
内の各自治体は、この「広域自治体」との関係を強化し、各「広域
自治体」同士は緩やかに連携しながら地方自治を進めていくという
考え方です。

 いずれにしても、県、市町村、広域連合等、県内自治体全体にか
かわる大改革であり、また法律改正の必要性なども考えられ、短期
間に実現できるとは思っていませんが、県の行政機構の見直しに当
たって、新たな地方自治制度や地方分権改革の観点からも多角的に
検討していただきたいと考え、行政機構の在り方についての議論に
一石を投じるつもりで提案したものです。

 今後、前述の「長野県行政機構審議会」では、現地機関問題は来
年度検討するということですので、その時点で改めて提案しようと
考えています。もちろん市長会においても忌憚(きたん)のない意
見をお聞きしたいと考えていますし、また、機会があれば、町村会
の皆さんの意見もお聞きしたいと思っています。

 審議会でこの提案をしたとき、同席しておられた板倉副知事が
「長野市長の意見は、われわれには思いも寄らない意見」と表現さ
れたことが印象的でした。

2007年11月1日木曜日

市制施行110周年記念式典


 10月27日、長野市制施行110周年の記念式典が行われまし
た。
 明治30年に人口約3万人で市制が施行されてから110年、今
や人口38万人余りの地方中核都市に成長したわけですが、多くの
先輩市民の努力によって、この日を迎えることができたこと、本当
に感無量です。

 100周年という大きな節目では、長野市はオリンピック・パラ
リンピック冬季大会を開催することができました。以来、長野市は、
毎年一歩一歩前進し、存在感を増しています。

 100周年からの10年間の大きな出来事といえば、(1)中核
市への移行、(2)スペシャルオリンピックス(SO)の開催、そ
して(3)4町村との合併でしょうか。いずれをとっても、地方都
市とすれば、大変なことですが、長野市民にとってはオリンピック
の記憶・存在が大きいが故に、影が薄いと感じられるかもしれませ
ん。

 中核市になったことはいろいろなメリットがあります。例えば市
の保健所を設置しましたが、今では市民の健康に無くてはならない
もの、また身近な存在になったと思います。SO開催はオリンピッ
ク・パラリンピックの開催と合わせ、三つの大会を開催した世界で
唯一の都市として、世界に“NAGANO”を発信しました。また、
4町村との合併は、長野市の将来に向けて無限の可能性を与えてく
れたと思っています。

 以下は、私が式典で述べさせていただいた式辞です。少し長いで
すが、全文掲載させていただきます。

 式辞
 長野市制110周年記念式典を挙行いたしましたところ、ご多用
中にもかかわらず、御臨席を賜りました国会議員並びに長野県知事
をはじめとする御来賓の皆様、市民の皆様とともに、かくも盛大に
記念式典を執り行うことができ、心から厚く御礼申し上げます。

 長野市は季節ごとに美しい表情を見せる北信濃の山並みに囲まれ、
県の東部山梨県境に源を発する千曲川と日本アルプスに源を発する
犀川が合流する肥沃な地に善光寺の門前町として栄えてまいりまし
た。豊かな自然と歴史が織りなす伝統と文化に彩られ、多くの貴重
な文化財を持つ緑豊かなまちであります。

 明治30年(1897年)に人口3万人で市制を施行して以来、
市域を拡大しながら、人口38万人余を擁する県都として、また、
政治、経済、文化が集積され総合機能を備えた地方中核都市として、
発展してまいりました。市制100周年に当たる平成10年2月に
は、世紀の祭典であるオリンピック、3月にはパラリンピックの開
催都市として、大会史上最多の国と地域の参加のもと大成功を収め、
スポーツを通じての友好平和のメッセージとともに「NAGANO」
の名を世界に発信いたしました。そして本年、110周年の記念す
べき年を迎えたのであります。

 本年は、長野市の歴史の節目を記念して、いくつもの記念事業を
企画・実施いたしております。
 まず、「善光寺の森」造成事業として5月に浅川三ツ出の市有林
で、「善光寺の森」植樹祭を行いました。善光寺などの文化財の保
存修理に使う木材を地元から供給できるよう、市民の皆様との協働
によりサワラとヒノキ4,500本を植樹いたしました。

 9月には「環境調和のまちづくり推進市民大会」を若里市民文化
ホールで開催し、環境保全に取り組む意識の高揚を図りました。

 また、市内全地域の魅力再発見事業の一環として、本日は、記念
式典に合わせて、30地区から選考・推薦された地域資源「地域の
魅力・お宝」を映像で紹介し、併せて写真パネル展を開催しており
ます。

 さらに、来月20日には、長野市城山分室に長野市公文書館が開
館するなど、さまざまな事業を展開しながら、記念の年の盛り上げ
を図っております。

 ここで、長野オリンピック・パラリンピックが開催された100
周年から10年間の長野市の歩みを振り返ってみますと、平成11
年4月には県内唯一の中核市に移行し、併せて長野市保健所を開設
するなど、より多くの行政事務を市が直接行うこととなり、市民サ
ービスの一層の向上が図れることとなりました。

 平成12年には、中心市街地の核でありました二つの大型店が相
次いで閉店となるなど、地元経済とまちづくりに少なからぬ影響を
与えたわけでありますが、平成15年6月には、閉店した大型店を
再活用して、子ども広場などを備えた「もんぜんぷら座」がオープ
ンし、中心市街地のにぎわいを取り戻す新たな拠点として期待を集
めました。

 平成17年1月には、近隣の4町村である豊野町、戸隠村、鬼無
里村、大岡村と合併を行い、面積がこれまでの約2倍となる738
平方キロメートルとなり、人口38万人余の新長野市が誕生いたし
ました。

 2月には、スペシャルオリンピックス冬季世界大会が開催され、
長野オリンピック・パラリンピックと同様、世界的に大変高い評価
をいただくとともに、多くの友好の輪が花開きました。

 平成18年9月には、長野市の中心市街地最大の再開発事業とし
て長野市生涯学習センターを含めた複合施設トイーゴが完成オープ
ンし、「もんぜんぷら座」に続く中心市街地の新たな顔となりまし
た。

 本年4月には、平成28年度までの市政運営の骨格となる第四次
長野市総合計画を策定し、将来に向けた新たな歩みを始めたところ
であります。

 また、本年は、国宝善光寺本堂再建300年にも当たるため、い
くつもの記念行事が開催されたほか、NHK大河ドラマでは風林火
山が放映中で、ゆかりの地や市立博物館の特別企画展に県内外から
大勢の皆様が訪れるなど例年以上に活気のある年となり、市制
110周年に一層花を添えていただいたと思っております。

 さて、100周年から10年を経た今日、社会は、少子高齢化に
加えて、いよいよ人口減少の時代に入ってまいりました。一方で、
市町村合併による広域化や地方分権の推進など、これまでのさまざ
まな枠組みが大きく変化する中で、住民ニーズもこれまで以上に多
種多様化してきており、市民生活に密着した基礎自治体である市の
役割はますます大きくなっております。

 こうした時代の中で、将来への「まちづくり」について思いをは
せるとき、市としての行財政改革への取り組みはもちろんでありま
すが、地域の皆様による自主的・自立的なまちづくり、すなわち都
市内分権の推進が最も重要であると考えます。地域の課題を迅速、
かつ、効果的に解決していくためには、そこに住む地域の皆様お一
人お一人が主役となり、「自分たちの地域は自分たちでつくる」と
の気概を持って地域の「まちづくり」にお取り組みいただくことが
何より大切であります。現在、その核となる住民自治協議会の設立
を各地区で進めていただいておりまして、市においてもその支援体
制を強化しているところであり、市民の皆様と市のパートナーシッ
プによる「まちづくり」を一層築いてまいりたいと思います。

 市民の皆様と協働で策定いたしました「第四次長野市総合計画」
では、新たな長野市の将来像を「~善光寺平に結ばれる~人と地域
がきらめくまち“ながの”」といたしました。今後も、市民の皆様
とともに長野らしさを生かした希望溢れるまちづくりに向けて一層
取り組み、人が、地域がきらめく素晴らしいまちを次の時代にしっ
かりと引き継いでいく決意であります。

 ここに御来賓の皆様、市民の皆様の御健勝、御多幸と本市の限り
ない発展を祈念申し上げまして式辞といたします。

 以上が、式辞の全文です。
 この110周年を契機に、市民の皆さんとのパートナーシップに
より、さらに都市としての風格、存在感が増すようなまちづくりを
していきたいと考えています。

2007年10月25日木曜日

長野の秋!盛りだくさんのイベントシーズンです


 秋風が吹き始め、過ごしやすいシーズンがやってきました。今年
の夏は、異常な暑さで私もクールビズのありがたさを満喫したので
すが、9月末ぐらいから急激に気温が下がり始め、過ごしやすい日
が続いています。
 長野にとって、「春」と「秋」は昔から大変過ごしやすい、そし
て大勢のお客さまにもお出でいただける一番良い季節といわれてい
ますが、特に秋は格別で、小学校の運動会や地域の神社の秋祭りな
どが盛大に行われています。昔の農業社会の時代、最大の喜びであ
る収穫の季節であるということからも、秋は特別だったのかもしれ
ません。
 今回は、この秋行われた長野市の主なイベントについて報告しま
す。

10月6日 「長野市農業フェア」
 この祭りは、通算37回目を迎える農業祭ですが、平成16年か
らリニューアルして、地産地消推進も担って取り組んでいます。
 生産者、消費者および事業者などが連携し、市内で生産された新
鮮で安全・安心な農林産物の地域内流通の拡大と消費者の「食」と
「農」への信頼と理解を深めることを目的に開催している農林産物
の収穫祭です。会場はエムウェーブ前の広場で、農林産物などの販
売、地元食材を使った試食による「食」の提案、地産地消クイズな
どのステージベントが行われました。
 当日は、過去毎年のように雨に降られていたのがうそのような晴
天に恵まれ、盛況でした。

10月6日 「第1回善光寺表参道つれづれウオーク」
 国宝善光寺本堂再建300年記念事業の一つとして街中ウオーキ
ングが行われました。市では、昨年から「歩く」をテーマにいろい
ろな取り組みをしていますが、このウオーキングは野山を歩くのと
違い、普段は自動車やバスなどですっと通り過ぎる道を、ゆっくり
ゆっくり歩いて表参道の良さを味わっていただきたいという趣旨の
イベントです。
 集合場所の長野駅のコンコースには400人を超える人たちが集
まりました。もちろん長野市民が一番多かったようですが、関東や
上越方面からも参加いただいたようです。5キロメートルと10キ
ロメートルの2通りに分かれ、出発しました。
 ゲストは元女子バレーボールのオリンピック選手「益子直美」さ
ん、背が高い方で、びっくりしました(全日本代表選手ですから当
たり前ですよね)。
 中央通りの商店街のショーウインドーで「善光寺面影写真展」を
見たり、通り沿いのそば屋で特別サービスの「半ざるそば」を食べ
たり、ボランティアの方々が史跡解説や誘導をしてくださいました。

10月7日 「松代藩真田十万石まつり・行列」
 もうすっかり定着した、大きな、そして松代だけでなく、長野市
を代表するお祭りに成長したと実感しました。
 真田家の当主真田幸俊さんもご参加いただき、今年は特にNHK
大河ドラマ「風林火山」の放映があったが故か、大変な人出で、主
催者発表では10万人ということでした。
 城門前の広場で、真田鉄砲隊の演舞、三太刀七太刀の再現などな
かなかの演出があってその後城門から大名行列が出発し、松代のま
ちをゆっくり練り歩きました。私も、武田信玄役で馬に乗せていた
だきましたが、この日は暑くて鎧兜(よろいかぶと)が大変重く感
じられました。でも馬上から見るまちの景色は格別で、殿様気分に
浸らせていただきました。

10月12、13日 「産業フェアin善光寺平2007」
 長野法人会を中心に、長野市・千曲市・須坂市・高山村の3市1
村が協力し合って、北信地域の産業が一堂に会するもので、昨年か
ら始まり、今回で2回目になります。
 地域の産業振興と経済の活性化は、特に北信地域の自治体にとっ
ては、重要な課題になっており、地域間、企業間の情報交換や連携
を深める広域的視点に立った施策展開が必要になってきたとの認識
から、長野法人会に事務局を担当していただき、行政も協力して取
り組みを始めたものです。
 2回目になって、昨年よりは多くの企業、研究機関などに参加し
ていただき、また、大変高度な技術開発の成果が出てきていると感
じました。北信地域の特殊性かもしれませんが、完成品の出品とい
うより産業の基盤を支える部品メーカーの意欲的な姿勢が感じられ
ました。
 企業向けセミナーだけでなく、おにごっこロボットとか、わくわ
く工作ランドなど、お楽しみコーナー的な場も設定されていました。
帰り際に、アメリカで発明され、小泉元首相もビックリしたという
「セグウェイ」という電動二輪車に試乗させていただきました。

10月14日 「如是(にょぜ)姫まつり」
 次に紹介する善光寺表参道秋まつりと同日の開催でした。如是姫
様と縁の深い善光寺には、年間600万人余りの参詣客、観光客が
県内外から訪れていますが、如是姫様はその方々を県都長野市の玄
関口で、いつもやさしくお迎えになっており、長野市のシンボルで
す。
 如是姫まつり実行委員会の皆さんは、如是姫様の遺徳をしのんで
祭りを開催するとともに、地域活性化を図ろうとしています。「N
YOZE」という香水が発売されていることもご存じですか。

10月14日 「善光寺表参道秋まつり 2007」
・・・朝鮮通信使がやってくる・・・
 10月の中央通り歩行者天国などの中で、表参道秋まつりが盛大
に行われました。
 今回は、大変にぎやかで、あのオリンピックのときを思わせるよ
うな人出でにぎわいました。SBC(信越放送)がトイーゴに本社
を移してくださったことも大きいと思いますが、特に今年は、市制
施行110年、善光寺本堂再建300年に加え、「風林火山」放映
記念もあって、大変にぎやかな年のにぎやかな秋まつりになりまし
た。
 観光PRとして、上越市・佐渡市・甲府市など長野市外からも出
店があり、長野県トラック協会、信州プロレス、日本伝統文化研究
会などなど・・・市内外からの大勢の皆さんの協力がこの祭りを一
層盛り上げたと感じています。
 そして、その秋まつりに、在日本大韓民国民団長野県地方本部と
(社)長野国際親善クラブの主催で、朝鮮通信使のパレードがトイ
ーゴから善光寺本堂まで、歩行者天国でにぎわう中央通りを練り歩
きました。戦国時代から日本と交流があった韓国ですが、朝鮮国王
から江戸幕府の将軍に向けて使節が12回送られました、それが朝
鮮通信使です。その通信使も交流が始まって以来400周年の記念
ということでした。
 善光寺のご本尊は、約1400年の昔、朝鮮百済から伝わった一
光三尊阿弥陀如来様で、インドから朝鮮半島百済国へ渡り、仏教伝
来の折に百済から日本に伝えられた日本最古の仏像と言われており、
以来民衆の心のよりどころとして信仰を集めているわけですが、通
信使はその縁で善光寺を訪問されたのでしょうか。
 パレードのあと、本堂前で奉納の舞が披露され、金忠慶 駐新潟
大韓民国総領事からの親書を謹んでお受けしました。・・・夜は、
「韓国宮廷料理に出会う」と題されたパーティーが開かれ、日韓両
国の参加者が楽しまれたそうです。

 以上、10月前半のことだけですが、私の知っている範囲で報告
させていただきました。
 先日ある講演会でお聞きした話ですが「長野へ行けば、いつでも
何かやっている」ということが大切ということでした。大きなお祭
りは皆さんの努力で、かなり成長してきましたが・・・まだまだ毎
日というわけにはいきません。特にこれから迎える寒い季節のイベ
ントをどう育てていくかですかね。

2007年10月18日木曜日

長野市議会議員選挙が行われ、新しい構成でスタートしました


 長野市議会議員一般選挙は、定数39人に43人が立候補し、一
週間の選挙戦の末、9月23日に投票が行われました。当選した皆
様には、心からお祝いを申し上げるとともに、市民の負託に応えて
いただくことを大いにご期待申し上げます。

 今回の選挙は、定数39人(地方自治法では46人の範囲内)で
すが、平成17年1月1日の編入合併により、豊野町・戸隠村・鬼
無里村・大岡村では合併と同時に町村議会議員が失職され、それぞ
れの区域(旧町村)から、一人ずつ市議会議員が選ばれていました
ので、改選時には45人(欠員1人)の議員がいました。今回の選
挙では合併による定数特例が無くなり、全市一区として、定数の上
では実質7人減の選挙ということで、かなりの激戦となりました。
 ただ、定数減員が理由かどうかは別にして、今までの議員さん方
で、当選回数の多い方を中心に引退される方が相次ぎ、現職で出馬
された方は31人でした。従って、少なくとも8人以上の方が新し
く議員になられるということで、私たち市の行政側もかなり緊張感
を持って見守ったことは事実です。

 結果として、現職議員は全員、新人は8人が当選されました。
 選挙後、会派が組まれ、新友会17人、共産党6人、公明党5人、
政信会5人、市民ネット2人、無所属4人ということになりました。
 今回の特徴は、今まで過半数の議員を擁していた最大会派新友会
が過半数を割ったこと、政信会という新しい会派ができたこと、市
民ネットが社民党2人の会派になったこと、合併で増員となった4
人の議員で構成していた新風会が解散したこと、無所属議員が3人
から4人に増えたこと・・・でしょうか。

 会派は、選挙後、自分たちの政策をより実現しやすくするために
結成されるものですから、国の政党とは違うと思っています(もち
ろん、国の政党と直結している一部会派もあることは承知していま
すが)。地方自治は、国の政策によっても左右されますが、独自の
主義主張をすることより、市民に目線を向けて地方はどうすればよ
いのか、どうすべきかを考えるわけで、国・県レベルの政策とはお
のずから違いがあると私は感じています。

 地方自治における市議会と市長の関係は、どちらも市民の選挙で
選ばれるが故に、二元代表などと表現されています。一定の距離を
保ちながら、協力し合うことも必要であると言われており、私もそ
の通りであると常々思っています。
 時代、そして市民の目線もどんどん変わってきています。流行に
流されるということではなく、常に38万市民の幸せを願い、将来
の予測をきちんとする中で、それぞれの時点で最高の決断を下し、
市政を運営していくことが大切です。議員と行政、議員同士も切磋
琢磨(せっさたくま)し、議論していくこと、そして市行政へのチ
ェック機能と提案能力を大いに期待したいと思っています。

 10月9日、選挙後の市議会臨時会で、新しく当選された議員を
前にし、私は次のような決意を申し上げました。
 すなわち、私には絶対に譲れない5原則があります。
(1)入りを量りて、出ずるを為す。
(2)行政は市民とのパートナーシップで行う。
(3)簡単に、分かりやすく。
(4)民間活力の導入。
(5)無私・他利の精神。
施策の採否を決断するとき、すべてこの5原則に照らして、検討し
ています。
 そのほか、本年度取り組んでいる主な事業についても、お話しさ
せていただきました。

 これらのことは、元気なまちづくり市民会議などでも常々申し上
げていることであり、目新しいことではありませんが、新しい議員
もおられることから、改めて申し上げたことです。

 正副議長の選出については、本会議に先立って立候補の演説が行
われ、そして本会議での投票により決まりました。今回、議長には
岡田荘史議員、副議長には祢津栄喜議員が当選されました。
 委員会については、条例で定まっている4常任委員会(総務・福
祉環境・経済文教・建設企業)と議会運営委員会のほか、特別委員
会も新たに少子化対策、中山間地域活性化対策、産業振興対策、ま
ちづくり対策の4つが設置されました。いずれも長野市の直面する
事項について、議会の姿勢を示したということでしょう。常任委員
会と特別委員会の担当区分が若干難しいかなと感じていますが、議
員が幅広い活動をされることは、良いことだと思っています。

 その後、平成19年度補正予算と条例改正案を上程し、可決され
ました。また人事案として、議員の中から任命する監査委員2人に
ついても議会の同意を頂きました。

 いずれにしろ、市議会の動向については、臨時会では際立った動
きはありませんでしたが、いずれ今までとは少し違う動きになりそ
うです。議長選挙に立候補された議員の演説をお聞きしております
と、かなり思い切った議会改革を提案されている方がいらっしゃい
ました。執行部局としては、誠意をもって質問にお答えし、説明・
説得責任を果たしていく方針に変わりはありませんが、仮に一問一
答方式が採用されますと、当意即妙の対応をせざるを得なくなりま
すから、執行部局側の対応はかなり難しいものになりそうです。議
会での討論を深める意味では意義があるとは思いますが、分からな
いことは、後で返事をさせていただきますといった対応が出てくる
でしょうし、事前の質問事項を十分検討して、責任を持って、きち
んとお答えするという趣旨からは、逸脱することにもなりかねませ
ん。

 それより、私が疑問に感じているのは、質問に対する執行部局側
の答弁時間です。議員によっては、時間内にとても答えられないほ
どたくさんの質問をされる方がいらっしゃいます。私どもとすれば
質問があった以上、できるだけ丁寧にお答えしよう、できれば再質
問の時間も残そう・・・と努力しています。しかし、その調整はな
かなか大変です。質問時間を短くして、再質問をするかどうかは、
議員の判断でできるようにしたらどうでしょうか。

 いずれにしろ、この問題は12月議会が始まるまでに、議会各会
派で話し合い・調整が行われ、執行部局側に提案があると思います
ので、我々も十分に検討しなくてはならないと思っています。

2007年10月11日木曜日

長野新幹線開業後の光と影


 前回は、長野新幹線が営業開始するまでの紆余(うよ)曲折につ
いて、私の記憶の範囲で書かせていただきましたが、今回は新幹線
開業後に長野の社会がどう変わったのか、そして平成26年度末に
は、上越を通って富山・金沢まで営業区間が延びることは決定して
いますので、その時の長野への影響、長野市としてどうしたらよい
かなどについて、考えてみたいと思います。

 まず、あえて現在の長野新幹線開業後の影の部分を考えてみます
と、東京との時間距離が短縮された結果、新幹線通勤という言葉も
無縁ではなくなるなど、行動範囲は広がりましたが、
(1)長野市内での宿泊客が減って、日帰り客が主流になってしま
 った。長野の人にとっても、東京日帰りが多くなりましたが・・・
 都市の規模が違いすぎます。
(2)(1)の結果、ホテル・旅館経営が非常に苦しくなった。観
 光収入も現段階では、目立って増えたということにはならなかっ
 た。
(3)企業経営の中で効率化が進み、中央企業の出先機関の管理権
 限機能が大都市に移ってしまった。これにより支店から営業所に
 変わり職員数が減り、オフィス需要も減少しました。
(4)JRから切り離された並行在来線については、非常に困難な
 状況の中で経営を維持していかなくてはなりませんでした。しか
 も篠ノ井駅-長野駅間が中央東線、JR貨物が同時に乗り入れさ
 れていることから、JR以外では経営が難しいだろうということ
 で、JRに残ってしまった。第三セクターとして開業した「しな
 の鉄道」の経営は苦しく、ようやく単年度黒字化を達成しました
 が、運賃値上げ、行政の援助なくしては、成り立たない状況にあ
 ります。これに長野以北まで加わったら・・・乗客は少ないです
 し、除雪経費も大きい・・・いずれにしろ難しいものがあります。
(5)新幹線の直接的影響ではないかもしれませんが、ものづくり
 の中心的存在だった富士通・三菱電機などが、工場の縮小・撤退
 を進めました。これらにより、長野市の製造品出荷額等は、最盛
 期の半分程度まで落ち込み、当時は雇用が激減しました。

 これらが影の部分と言えるのでしょうが、それを上回って長野に
とっては「良かった」と言えるかどうか、評論家的な発言で申し訳
ないのですが、なかなか難しい問題です。

 もちろん、長野市だけでなく、日本全体が人口減の社会に移行し
つつある現在、長野市は頑張っているという評価があるかもしれま
せんが、過去のバブル時代(オリンピック準備期間も含めて)の記
憶がより鮮明な長野市民にとっては、なかなか閉塞(へいそく)感
から脱出できない状況と言えるかもしれません。

 オリンピックを契機にして、長野市は大きく変わりました。特に
ハード面の変革は大きく、新幹線、高速道、幹線道路といった交通
網の整備、オリンピック競技施設の建設、都市型ホテルの林立・・・
20年前の長野しか知らない人が今の長野市を訪問されたら、その
変ぼうぶりに多分びっくりされるでしょう。長野市は20世紀最後
の公共事業による都市整備のチャンスを得て、都市としての風格が
できてきたと感じています。

 ソフト面でも、世界大会やワールドカップなどのスポーツイベン
トは地方都市とは思えないほど行われ、学術会議、講演会、セミナ
ー、展示会、業界関係の大会、あるいは商店街のイベントなど連日、
市内をにぎわしてくれていますし、プロスポーツの出現、それらを
支えるボランティア活動も盛んになったと感じています。

 しかし景気はあまり良くならない・・・昔からの名門企業・商店
が倒産・廃業、あるいは経営者の交代などによる淘汰(とうた)が
続いており、それにより雇用形態が変化したことで苦労している人
も多いと思います。国の構造改革の結果でしょうが、かつては長野
市産業の大きな部分を担ってきた建設関連産業も、往時の力を取り
戻せないままでいるし、まちの小さなお店の存立基盤が揺らいでい
ます。市域の70%を占める中山間地域も、高齢化でコミュニティ
が崩壊しつつあるとか、農業・林業で食べていくのは苦しい・・・
そんな声も大きくなってきているように思います。

 すべてが新幹線の影響だとは言えませんが、高速交通網の整備、
グローバル社会の進展、人口減少時代の到来、少子・高齢社会の現
実化、加えて国の三位一体改革による財政の不如意、これらが社会
変革に大きな影響を与えたことは事実でしょう。そして今、長野の
地域社会は、その社会変革に対応すべく、苦心惨たんしているとい
うことだと思います。

 この閉塞感を脱却するには、新しい産業秩序・新しい社会運営シ
ステムが必要だと思います。
 例えば、安心・安全なまちづくりと言いますが、単に災害等に強
いまちという意味だけでなく、市民が安心して働ける、食べていけ
る社会の実現がもっとも重要ではないでしょうか。

 企業誘致、既存企業の強化・育成、起業家の育成、新たな産業の
集積が必要になるでしょう。農業・林業も、もうかる産業への革新
が必要です。
 商店街も付加価値の高い商売の工夫、そして人が集まる魅力を持
った店づくり・・・当たり前ですが、経営が成り立つことによって、
元気も出てくると思います。また、まち並みの美しさや、まちなか
観光でお客さんを呼べるようになったら、素晴らしいなあと夢見て
います。

 長野の特産、「りんご」を含めた果物にさらに付加価値を与え、
加工品への工業化も考えられますし、「そば」「おやき」などの伝
統食品を育てることも良いのではないでしょうか。

 長野の可能性として、広い意味での観光業の育成が一番早いので
はないでしょうか。善光寺や松代、飯綱、戸隠、鬼無里といった全
国レベルの歴史・文化に富んだ資源はたくさんありますし、何より
も素晴らしい自然があります。
 農村交流、修学旅行の誘致、森林セラピー、トレッキング、観光
資源としての牧場も交流の大きな武器になりそうです。スキー(ボ
ードも含めて)も忘れてはいけません。グリーンシーズンのキャン
プや山歩き、ゴルフ、乗馬も、お客さんを呼べますし、ひところは
カヌーも盛んでした。そういえば、若穂にあるグライダー滑空場に
加えてハンググライダーというのも面白いかもしれません。

 ちょっと、雑然と書き過ぎた気もしますが、いずれも長野の可能
性が無限にあるということを、示したかったのです。でも他地域の
まねをしても成功はしないかもしれません。
 長野へおいでいただいた方々に、楽しみながら、いかに長野でお
金を使っていただくか、そのシステムが重要になるでしょう。
 結論は、現段階で、我々は新幹線をフルに活用しきれていないと
いうことが言えるのではないかと考えています。

 平成27年3月には、北陸新幹線は金沢まで延伸します。そのと
き長野市が単なる通過駅にならないように、今から努力しなくては
なりません。どうすればよいか、簡単には言えないのでしょうが、
長野の存在感をもう一段大きくする必要を感じています。

 まだわずかですが、そのために手を打ち始めました。
 上越市、金沢市とは「集客プロモーションパートナー都市協定」
を結びました。共同で関東方面からのお客さんを呼ぼうということ
はもちろん、北陸との関係を密接にして、北陸からもお客さんを引
き寄せようという戦略です。さらに拡大していきたいと考えていま
す。
 また、長野県の北信地域を中心とした市町村、交通機関、関係団
体などで、従来の枠組みを超えた観光促進の試みとして、「信州北
回廊プロジェクト」が、平成17年10月に発足しています。北信
濃の恵まれた観光資源を最大限に生かして、新たな地域ブランド
「善光寺発・信州北回廊」の確立を目指しています。
 さらに、本市に縁(ゆかり)があり、首都圏で活躍されている各
界の方々をメンバーに、その高い見識や広い人脈を基に、ふるさと
「ながの」を応援していただけるような集まりができないか検討し
てきており、ぜひ近いうちに実現したいと準備を進めています。
 海のない県ですから、山や高原の素晴らしさ、歴史・文化の素晴
らしさを売り込んでいきたいと思っています。

 北陸新幹線は、いずれ大阪まで延びるはずです。そのときはどん
な社会が生まれているか、そのとき長野市は、どんな“まち”にな
っているか・・・心配もありますが、期待も大きいですね!!

2007年10月4日木曜日

長野新幹線開業10周年、メモリアル長野駅長を務めました


 9月30日、長野新幹線開業10周年を記念して、メモリアル長
野駅長を務めさせていただきました。
 長野駅の駅長室で、駅長の制服に着替えさせていただいてから、
辞令を頂き、メモリアル長野駅長の任務に就きました。

 新幹線のホームに出て式典に出席。同席された来賓は、板倉長野
県副知事、轟長野市議会議長、岡田長野市議会副議長、仁科長野商
工会議所会頭、渡辺長野商店会連合会会長などの皆さんでした。
 長野高校ブラスバンドのファンファーレに続いて、JR東日本の
伊藤長野支社長、板倉副知事、そして私が、それぞれあいさつ。私
からは万感の思いを込めて、長野新幹線「あさま」の開業から10
年間、オリンピックの成功とその後、無事故で営業された使命感、
努力、そして長野への貢献に感謝をいたしました。

 そのあと、10歳の東井幹太君と北原涼子さんの二人に、私から
一日駅長の辞令と手袋、帽子、タスキを渡し、一日駅長を務めてい
ただくことをお願いしました。二人はその後、記念列車に乗車され
るお客様に記念品を配ってくださり、私はほかの来賓の皆さんと一
緒に、加茂神社の神楽保存会の皆さんの獅子舞を鑑賞しました。

 11時9分、「あさま」は、私たち3人の「出発進行」の号令、
そして栗田保育園の園児の皆さんの手旗に送られて、東京に向かっ
て静かに出発しました。
 この日は県内沿線の各駅で、首長が一日駅長を務めておられたよ
うです。

 こんな機会ですので、長野新幹線が開通するまでの歴史を私見を
交えて振り返ってみましょう。

 昭和39年10月1日、東京オリンピックの目前、東海道新幹線
が東京・大阪間を走ってから長野新幹線開業までの間、我々はうら
やましいなあ、でも東海道だからできたのであって、長野では無理
だろうなあ・・・。あのころは長野市に新幹線がやってくるとは、
とても考えられませんでした。
 それから33年後の平成9年10月1日、長野新幹線は営業を開
始しました。翌年2月の長野冬季オリンピックにぎりぎり間に合っ
たということでしょう。陸の孤島といわれて久しかった長野市から
東京まで約90分間で行くことができるようになって、本当にうれ
しかったですよね。ここに来るまで本当に長かった、今考えても、
当時、夢のように感じたのを覚えています。オリンピックの成功も、
新幹線がなかったら難しかったかもしれません。

 調べてみますと、北回り新幹線建設促進同盟会(昭和47年7月
になって北陸新幹線に名称変更)が結成されたのは、昭和42年
12月のことでした。以来、国の政策が変更されるたびに一喜一憂
しながら、そして反対運動に屈することなく、長野市民はその実現
に向け一生懸命努力してきました。しかし、そこには常に、国と地
方の負担割合など資金の問題が争点としてありました。

 東海道新幹線の完成後、山陽新幹線ができて、岡山、さらに博多
まで延伸しました。仙台までの東北新幹線、そして上越新幹線まで
は、政治力の故か、かなり早い時期に整備されました。
 北回り新幹線は、当初長野市、富山市を経て、大阪に至る路線と
して決められていましたが、なかなか路線決定に至らず、イライラ
したことを思い出します。

 昭和50年代に入り、建設促進活動を行ったとき、富山県の議員
さんが「長野経由の整備は時間がかかり過ぎるので、上越新幹線を
長岡分岐で整備する方が早い」と、長野の我々がいることを承知し
ながら、主張していたのにはびっくりでした。

 当時、中央高速道の建設に当たって、岡谷ジャンクション周辺な
ど各地区で反対運動などの支障が生じ建設に着手できず、開通のめ
どが立たなかったことが悪い風評となり、高速交通網が長野県を通
過することは、いたずらに時間ばかりかかるという見方が、国や他
県ではあったように記憶しています。

 もう一つは、ミニ新幹線問題がありました。フル規格新幹線は事
業費が掛かり過ぎることから、在来線の路盤のままで、狭軌(在来
線幅の線路)に加え、新幹線標準軌(新幹線走行の線路)を導入し、
車両は小型の新幹線車両を走行させるものです。現在は秋田新幹線
で実用化しています。この方式ですと、在来線を使うことによって、
軽井沢-小諸-上田とつながるため、ミニ新幹線賛成の声が上がっ
た地域もあり、長野県はもちろん長野市も、その対応に苦慮したこ
とがありました。

 長野駅についてもいろいろ問題がありました。当時の国鉄長野支
社長と長野県知事、長野市長、長野商工会議所会頭の間で、長野駅
は橋上駅とすることが協定されていました。これは、私も勘違いし
ていたのですが、駅が橋上ということで、線路は地上であるという
ことなのですが、ぎりぎりの段階で、線路を橋上にするべきとの意
見がかなりあったことは事実です。

 この問題は、現在の長野市の都市計画上で、かなり基本的な問題
を含んでいます。ただ私は、在来線も一緒に橋上にするなら、1階
に車が通れる道もできて、駅の東西の一体感は増すでしょうが、新
幹線だけ2階ではかえって大きな壁になると思いましたし、市内の
みすず橋の上を越えるのは無理でしょうし、改めて環境アセスメン
トを行うのではオリンピックに間に合わないと感じていました。ま
たある方は、浜松駅の例を参考にされたのでしょうか、在来線を含
めて、新幹線を東側へ大きく振って、土地価格の高い西口を広げた
らどうかとおっしゃっていたことも記憶しています。

 そして、軽井沢・長野間がフル規格で着工されたのは、平成3年
9月でしたから、その3カ月ほど前の6月、イギリス・バーミンガ
ムで長野オリンピック開催が決定したことが、大きく影響したのか
もしれません。

 その後も反対運動(土地買収にはどんな場合でも、トラブルはつ
きものではありますが、あの軽井沢における立木トラスト運動は本
当に憤りを覚えました)などもあって、本当にオリンピックに間に
合うのか・・・長野市民にとっては、かなりイライラした時期だっ
たように思います。

 平成9年10月1日、長野行き新幹線(この名称は北陸地方へ配
慮した名前でした。現在は長野新幹線ですが、北陸まで営業が延び
ると、多分北陸新幹線に戻るのでしょう)として営業を開始してか
ら長野オリンピックに大きな威力を発揮し、その後の10年間も、
長野に大きな影響を与え続けていると感じています。

 以上、新幹線10周年に当たって、長野新幹線の開業までの私の
記憶している範囲で、お話してきました(若干の勘違いはお許しく
ださい)。
 長くなりましたので今回はこれで終わりにさせていただき、次回、
長野新幹線開業後の光と影について、書いてみたいと思います。

2007年9月27日木曜日

PET/CT検査体験記


 皆さん、“PET”をご存じですか?
 先日、初めてPET/CT検査を体験しましたので、今回はその
報告をします。

 PETとはPositron Emission Tomogra
phy(ポジトロン エミッション トモグラフィー)の略で、微
量の放射性物質ポジトロン(陽電子)とブドウ糖から合成した18
F-FDG(フルオロデオキシグルコース)という放射性医薬品を
注射し、その体内分布を特殊なカメラ(PET/CT)で撮影する
新しい画像診断法ということです。JA長野厚生連は、昨年度末、
この最新の医療診断機器をがんの早期発見・早期診断を目的として
導入されました。

 従来のCTやMRは、がん細胞の形・大きさを調べるものですが、
PET検査は「がん」など体の中で活発に活動している細胞を画像
化して表すことができるため、8ミリメートル程度の「がん」でも
発見できる場合があると長野PET・画像診断センター発行のパン
フレットに書いてあります。

 ほかの検査、画像診断により病患を疑う、あるいは病理診断によ
り、転移・再発など、確定診断が得られない場合、威力を発揮する
とのことで、従来の検査よりがんの発見率は高いようです。
 肺がん・乳がん・大腸がん・脳腫瘍(のうしゅよう)などなど
・・・パンフレットには発見できそうな多くのがんの種類が書いて
あります。

 私の父は約45年前、48歳、脳腫瘍で亡くなりましたが、当時
原因が分かって東大病院で手術するまでに数年間、東京と長野の間
を往復し、結局助かりませんでした。脳腫瘍の字を見て、現在なら
多分助かっていた・・・医学の進歩がもう少し早かったら・・・正
直感じました。

 検査の前日は、普段どおり過ごし、翌朝は、水・お茶以外は口に
いれてはいけないと言われていましたので、守りました(検査前、
4~6時間に食事をすると、糖代謝が盛んになり、がん細胞との区
別がつきにくくなり、正確な診断ができないとのことです)。

 9時前に長野PET・画像診断センターへ到着、受付で自己負担
分の検診料金を支払い(パンフレットには、保険が適応される場合
は約3万円、保険適応以外の場合は約9万円とあります)、更衣室
で検査着に着替えてから、看護師から問診を受けました。

 インフォームド・コンセントというのでしょう、看護師から、丁
寧にこの検査の説明、放射性物質の説明などをしていただき、検査
を了解する書類に署名をしました。それから先に説明した薬剤(F
DG)を静脈注射しました。別に痛くもなく、普通の静脈注射でし
た。

 それから60分間、安静室で休みました。この時間、私は少し困
りました。部屋はきれいですし、いすも快適なのですが・・・私は
眠っているときは別として、何もしないでいるのは苦手なものです
から、読みかけの本を持っていったのですが、読書は禁止と言われ
てしまいました。要は検査薬剤が全身を巡るように、安静にするこ
とが必要で、本を読むと頭に血が上って、代謝が強く出てしまい、
がんとの区別がつかなくなる・・・そんなことであろうと思います。

 退屈な60分間が経過して、いよいよ撮影開始。寝台に乗り、C
TやMRでおなじみの円形ドームの筒に全身を滑り込ませ、約20
~30分間、撮影装置は頭の方へ前進したり、足の方へ後退したり
・・・いろいろ動いていました。不覚にも私は眠ってしまい、その
間に体を動かしてしまったのではないかと心配でした(前にCTか
MRを撮ったとき、動いてしまうと正確に分からないと医師に言わ
れたことが、気になっていました)。でも担当の方から、少しぐら
い動いても問題ありませんと言われ、安心しました。
 あっけなく撮影が終わり、寝台から解放され、更衣室で検査着を
着替えて、一休み。これで検査は終了です。

 その後あらためて、撮影した検査画像を見ながら、説明を受けま
した。全身を縦(頭の方から撮った映像)、横(体を横から撮った
映像)前(体を前から撮った映像)の三つに分けて撮影した映像、
そして、その映像をそれぞれ3ミリメートルの厚さに輪切りにした
状況が次から次へ映し出され、医師からいろいろ説明していただき
ました。
 PET/CTの画像は、PETの画像とCTの画像を簡単に融合
させて表示できるので、悪い部分があると、そこへFDGが異常集
積(色が変わる)しているので、分かるとのことです。
 幸いなことに私はどこにも異常集積がなく、すなわち、がんはな
いとのご宣託を頂いたものと思っています(「検査結果のご報告」
という文書を別に送付いただきました。良性の腫や、変性性変化
(要は加齢ということでしょうね)は認められるものの、異常では
なく、治療の必要はないとのことでした)。

 ただびっくりしたのは、医師から「腰と右肩が痛くないですか?」
と言われたことです。腰はもう何十年も痛いし、肩は50歳ころの
四十肩以来、痛むことは事実ですが、我慢できないことはないので、
時々指圧に通っているぐらいで過ぎてきているのですが、これは変
性性変化だそうで、そこを指摘されてしまいました。がんだけでは
なく、調子の悪いところまで発見されてしまうようで、すごい機械
が出来たものと感心しました。

 なお、PETには弱点もあるとのことでした。
 一つは、病巣が発見しにくい場所、すなわち検査薬FDGが集ま
りやすい場所があるのだそうです。ブドウ糖を大量に消費する脳や
心臓、FDGの体外への排出ルートになっている腎臓やぼうこう、
そのほか胃などで、FDGがたくさん集積するこれらの場所は、P
ET画像では色濃く映し出され、その周辺にがんがあったとしても
見つけ出すことが難しいのだそうです。
 二つには、がんの種類によっては発見しにくいものがあるとのこ
とです。
 FDGの集まり具合をがん発見の基準としているため、FDGが
集積しにくいがんを見つけるのは苦手だそうです。

 いずれにしろ、PET/CT検査は従来の画像診断に比べて、画
期的な検査法ではありますが、この検査で見つからないがんもあり、
またFDGの集積があっても必ずしも悪性腫瘍ではない場合もある
とのことで、要は万能ではないということでしょう。

 なお、長野PET・画像診断センターのセンター長の照井頌二先
生は、東北大学医学部出身の医学博士、国立がんセンター中央病院
放射線診断部核医学診断の権威で、厚生連がこのセンターをつくる
に当たって、がんセンターから来ていただいたとのことです。
 また、宮川副センター長も、千葉大学医学部出身で、同じく国立
がんセンターから、お出でになった医学博士です。
 照井先生いわく「PETは万能ではありませんが、いろいろなレ
ベルがあります。このセンターの機材は間違いなく世界標準です。
長野市をはじめ、近隣市町村、ならびに各JAの地域住民の健康を
支える重要な施設として貢献できるよう頑張りたい」と話していら
っしゃいました。

 私は、こういう新しい機材は、機材の性能も当然ですが、その映
像を読みとることができる担当者が重要であると思っています。

 話は変わりますが、私は8月に長野市民病院で毎年の例ですが、
人間ドックを受診しました。市民病院が100床の増床工事に取り
組んでいることは、皆さんご存じだろうと思いますが、新病棟は先
日完工し、現在は旧病棟の改修、リニューアルに取り組んでいます。
来年にはすべて完成して、長野市医療の重要拠点として活躍してく
れるはずです。

 市民病院の人間ドックは本年度から新病棟で装いも新たにスター
トしています。待合ホールや更衣室などが広くなり、また、すべて
の検査が健診センターと隣の内視鏡センターで完結され、昨年まで
のように外来者と顔を合わせることのないよう受診者のアメニティ
ーやプライバシーに配慮してあります。そして、1日10人の定員
を平成19年6月から20人に増やし多くの方に受診していただけ
るようにしました(スタッフの確保や需要の状況を考慮しながら、
将来30人枠としていきたいと考えています)。

 私は久しぶり、のんびりと人間ドックを受診し、最後に「オール
A」ですと診断され、大満足で市役所へ戻りました。
 以上、最後は市民病院の宣伝になってしまいましたが、十分に満
足いただける環境が出来上がったと私は思っています。一年に一回
は、ぜひ人間ドックで健康状態を確かめられたらいかがでしょうか。

2007年9月20日木曜日

長野市暴力追放市民集会


開催されました。
 暴力により、市民生活が脅かされることは断じて許されることで
はありません。この暴力追放市民集会は、暴力団による暴力をはじ
めあらゆる暴力を社会から追放するために、区長会を中心とした市
民の皆さんによる草の根運動が、多くの市民や企業の皆さんのご理
解を得て大きな市民運動となり、始められたものです(長野市暴力
追放市民協力会は長野市区長会、長野商工会議所など73団体で構
成され、会長は長野市長、副会長は長野市議会議長、長野商工会議
所会頭、長野市区長会長が就任しています)。

 歴史をたどると、集会は昭和62年に第1回が開催され、本年で
21回目を数えます。この間、暴力追放意識の高揚はもちろん、暴
力団事務所の撤去などに、大きな成果を収めています。

 しかしながら、平成4年3月に暴力団対策法が施行されてから、
既に15年余りが経過していますが、資金源を求めて活動している
暴力団は、いまだに根絶されず、「不当要求」や「ヤミ金融」、
「振り込め詐欺」、「民事介入暴力」などの方法で資金獲得に暗躍
しており、社会情勢の変化に対応して一層多様化・巧妙化し、市民
生活の中に侵入し、脅威を与えているのが実情です。

 また、長崎市では当時の現職市長が選挙期間中(故伊藤一長氏、
彼は全国市長会長にも立候補しており、有力候補と目されていまし
た)に、暴力団員によって銃撃され、亡くなるという信じられない
事件や、愛知県長久手町では拳銃による発砲立てこもり事件で警察
官が殉職するなど、暴力団関係者による凶悪な犯罪が発生し、住民
の不安が高まっている状況があります。

 毎日の生活を安心して送れる明るく住みよい長野市を築くために
は、我々行政の努力はもちろんですが、暴力団を「恐れない」、暴
力団に「金を出さない」、暴力団を「利用しない」の「三ない運動」
をみんなで再確認し、実行することが最も大切なことではないかと
思います。この「暴力団追放三ない運動」を当日配られたパンフレ
ットから抜粋し説明しますと

暴力団を恐れない・・・勇気をもって届け出
 私たち一人一人が暴力団は社会の敵であることをしっかり認識し、
その存在を認めず、恐れず、暴力団と対決姿勢をもつことが大切で
す。市民にとって暴力団は確かに怖い存在ですが、そうかといって
不必要に恐れる必要はありません。大切なのは、一人一人が暴力団
との強い対決意識を持つとともに、こうした意識を持った地域や職
域の仲間同士が、警察や暴力追放県民センター等と互いに連絡を取
り合い、みんなで一致団結して暴力団に立ち向かっていく勇気を持
つことです。泣き寝入りはやめましょう。
☆いんねんをつけられたり、被害を受けたらすぐ警察へ。
☆暴力団の犯罪を知ったときもすぐ警察へ。
☆組事務所の様子が普段と変わった状態であったらすぐ警察へ。

暴力団に金を出さない・・・利用者は暴力団の仲間
 暴力団利用者は、暴力団の不当な力を利用して、自己の目的・欲
望を早期に達成しようとするものであり、その限りにおいては、暴
力団と同視すべき反社会的存在であるということになります。
☆債権取り立てを頼まない。
☆手形割引や融資を頼まない。
☆店の用心棒を頼まない。
☆交通事故の示談を頼まない。
☆トラブルの仲介を頼まない。

暴力団を利用しない・・・資金源を絶つ
 俗にヤクザ業界は“一兆円産業”といわれていますが、これらの
収入の多くは、「みかじめ料」や「民事介入暴力」などによって得
たものです。そして、これらがすべて暴力団の活動資金になってい
るのです。
 一度出せば、必ずまた出さなくてはならなくなります。暴力団の
「脅し」や「甘い言葉」にのってお金を出さないようにしましょう。
☆用心棒料などを出さない。
☆債権取り立てや示談を頼んで手数料などを出さない。
☆覚せい剤に手を出したり、賭博やノミ行為の客とならない。
☆弱みをつくらない健全な生活を営む。
☆弱みに付け込まれても金を出さない。身動きできなくなる前に警
 察に相談する。
☆暴力団から品物等を買わない。
☆暴力団が関与する業者には仕事を出さない。

 それとともに、市民・警察・行政の三者の連携を一段と強化して
いくことにより、暴力団の住みにくい環境づくりが実現していくも
のと確信しています。

 当日の式典で、長野中央警察署の奥署長があいさつの中で話され
たことですが、長野市内の暴力団組織は、9組織で構成員140人
とのことでした。
 式典後、県警本部刑事部組織犯罪対策課の青木暴力団排除対策官
に「最近の暴力団情勢と各種業からの暴力団排除について」と題し
て講演していただき、大会宣言を長野市PTA連合会の松本副会長
が力強く読み上げ、満場の拍手で承認されました。

 その後、長野市民会館前で整列し、県警音楽隊を先頭に、市役所
-長野大通り-権堂-中央通り-トイーゴ広場まで街頭パレードを
行い、市民にアピールしました。

2007年9月13日木曜日

三国同盟成る!


 9月1日、恒例の川中島古戦場まつりが開催されました。
 この祭りは、更北商工会(現・長野市商工会更北支部)が中心に
なって、区長会など地域の方々が皆さんで盛り上げてきていただい
ており、400有余年前の昔、川中島の戦いで犠牲となった幾千の
霊の追悼を込めて毎年9月第一土曜日に開催されています。今年で
14回目になるとのこと、年々盛んになっていると感じています。
 
 今年は特にNHKの大河ドラマ「風林火山」の放送もあって、祭
りの主催者側も運営にいろいろ工夫し、例年より多い約5万人の人
出があったそうです。私としては、「甲斐の国」甲府市から宮島市
長、「越後の国」上越市から木浦市長をお迎えしてのイベントは格
別に盛り上がったと感じています。

 午後、オープンニングの後、赤の鎧(よろい)の武田隊、青の鎧
の上杉隊、そして黄色の鎧の村上隊による模擬合戦や太鼓演奏など
が行われて雰囲気が盛り上がったところで、米沢藩古式砲術発砲演
武、さらに吟剣詩舞大演舞会が、八幡原史跡公園の特設ステージで
繰り広げられました。
 また、隣接の八幡社境内の首塚の前では、私も出席して川中島の
戦い特別追悼慰霊祭が厳かに執行されました。

 その後、私も含めた3人の市長が、特設ステージの上で、武田徹
さんの軽妙な司会によって、それぞれのお国自慢や信玄公、謙信公
に関する話、風林火山にまつわるイベントの話などで盛り上がりま
した。

 私からは、400年の時を越えて、往時の戦いでの犠牲者追悼の
意味を込めたこの祭りに、甲斐の殿様(甲府の市長)と越後の殿様
(上越の市長)がそろってこの合戦場に登場されたことは、歴史的
に見ても非常に意義深いことではないか・・・とあいさつしました。
 このあと、甲府市、上越市に長野市を加えた3市で、観光分野に
おける3市協定(集客プロモーションパートナー都市協定)を締結
しました。戦国時代ならさしずめ「三国同盟」と言っても良いと思
います(この協定は既に上越市と長野市は締結していたのですが、
「川中島の戦い」を共通のテーマにぜひ3市でということで3市協
定になったものです)。

 3人の鼎談(ていだん)と協定調印を終えて、祭りの最後を飾る
花火のスイッチを一緒に押して、花火大会が始まりました。例年よ
り多い約3,500発の花火が、古戦場の夜空を彩りました。この
盛り上がりを一過性のものに終わらせることなく、引き続き3市が
力を合わせて盛り上げていきたいと思いました。

 甲府市の宮島市長からお聞きした甲府市の風林火山への取り組み
について、報告しますと、「甲斐の国・風林火山博」は、関連の展
示や各種イベントを通じ、ドラマの世界をより深く知り、体感して
いただくとともに、史実に基づき武田信玄や軍師「山本勘助」につ
いて探求しているとのこと。さらには、山梨県に点在する関連史跡
の紹介や厳選した地場産品などを展示販売する官民協働による博覧
会で、8月31日には、当初目標の20万人を大きく上回る30万
人目の来場者をお迎えすることができたとのことです。

 長野市の「体感!川中島の戦い2007」の展示館入場者数の当
初目標は22万人で、8月末に10万人目のお客さんをお迎えした
ばかりですから、30万人という数字を7カ月で達成されたという
のは、うらやましい限りです。でも、ドラマの中で川中島の登場は
まだ先ですから、これからだと思っていますし、八幡原史跡公園を
訪れていただいているお客さんは、数倍おられるようですから、そ
の方々を展示館まで誘導できれば大きな数字が達成できると思って
います。
 大勢のお客さんを迎えることができるよう、皆さん頑張りましょ
う。

 上越市の木浦市長にお聞きした取り組みは「第82回 謙信公祭」
に、ドラマで謙信役を演じて好評を博しているGackt(ガクト)
さんが、約500人の武者を率い、白馬にまたがり、「いざ出陣じ
ゃ!」と軍を鼓舞すると、沿道に詰め掛けた約8万人のファンが熱
狂したとのことです。Gacktさんの見事な騎乗ぶりは、大変印
象深かったようです。
 そして、今年だけでなくNHK大河ドラマが2年後、上杉家の重
臣直江兼続を取り上げることに決まったということで、さらに熱気
が続いていくことを期待すると話していました。
 確かに、Gacktさんの謙信役は、テレビでみても迫力、そし
て魅力いっぱいですよね。最初配役を聞いた時には、私なんか全く
知りませんでしたので、意外に感じたことを覚えていますが、いま
やすっかり主役になってしまった・・・そんな気がしています。

 この大河ドラマ「風林火山」を契機に、この3国同盟ともいえる
集客プロモーションパートナー都市協定が結ばれましたので、「川
中島の戦い」という「縁」を縦糸に、観光交流事業や首都圏を対象
とした共同誘客事業を展開していきたいと考えています。

2007年9月6日木曜日

長野市の財政指標が悪化?(2)


 前回は、長野市の平成18年度決算数値や、「経常収支比率」
「実質公債費比率」という指標から見た財政状況について書かせて
いただきました。今回は合併の影響と新たな財政指標について書か
せていただきます。

 市議会での議論の中で、財政状況の悪化は、平成17年1月1日
の4町村との合併が影響したのではないか、という話がありました。
 確かにこの合併により、経常的に支出すべき経費や公債費も増加
しましたが、その一方で財政規模も増えたことや、旧長野市の財政
規模に対して、合併した旧町村の規模が小さいことから、合併によ
る影響はそれほど大きくなく、このたびの「経常収支比率」と「実
質公債費比率」の上昇については、合併による影響ではないと思わ
れます。

 平成18年度決算を見てみますと、合併前の平成15年度は長野
市を含めた5市町村の普通会計の歳出総額1,397億円に対し、
平成18年度(5市町村での合併後の長野市です)は1,335億
円と大幅に減少しております。また、市債(借金)の残高も、合併
時に長野市は約231億円を引き継ぎましたが、平成15年度と平
成18年度の残高の比較では、約261億円減少しており、おおむ
ね順調に返済は進んでいると考えています。

 借金残高を減らすことができた主な要因は、事務事業の多くが長
野市の制度に統一されて経費の増加は見られるものの、スケールメ
リット(規模を大きくすることで得られる効果)を生かした効率的
な行政運営に努めたことや「選択と集中」により事業を厳選してき
たこと、さらには、財政の健全化に向けて、新たな借り入れなどを
一定程度抑制してきたことによるものと考えています。

 さらに国の合併支援策がありました。
 合併することによって、通常ならば掛からないさまざまな臨時的
経費が必要となります。また、合併したからといって、直ちにすべ
ての面において、スケールメリットが働くものではなく、時間も必
要です。国ではこれらの要因に対して地方交付税で支援しており、
平成17年度から平成19年度までの3年間で60億円ほどの支援
がありました。
 地方交付税の総額が大幅に減少する中で、これらの支援を受けら
れるということは、大変ありがたいことです。

 もちろん、合併のマイナス面もありました。長野県町村総合事務
組合脱退精算金(これは過去、既に支払った町村職員の退職金の累
積です)約11億円、豊野町土地開発公社の保有土地の地価値下が
り問題、鬼無里の廃棄物処理問題など、引き継ぎしたさまざまな課
題の中で苦慮した問題はありましたが、一応の解決を見ています。

 いずれにしろ、個々の市町村にとってプラス・マイナスはあるで
しょうが、日本全体でみれば、合併は市町村行政にとって最大の合
理化であり、隠れ負債などもオープンにすることで、健全化が図ら
れるものだと私は思います。
 したがって、私は、合併による財政悪化は極めて軽微であったと
結論付けています。

 北海道夕張市の破たんを背景に、国において、各自治体の財政状
態を的確に把握すべく、本年6月に「地方自治体の財政の健全化に
関する法律」が制定されました。
 この法律は、自治体の一般会計のみならず、特別会計、企業会計
のほか、関係する公社や一部事務組合など、連結ベースでの財政状
況を各種の指標により把握して、一般会計などを対象とした「実質
赤字比率」だけでなく、自治体の全会計を対象とした「連結実質赤
字比率」、一般会計などが負担する元利償還金やそれに準ずる経費
の比率である「実質公債費比率」、さらには、将来負担すべき実質
的な負債の比率である「将来負担比率」、これら4つの指標によっ
て、自治体の財政状態を表そうというものです。

 これらの比率の算出方法や警戒ライン、危険ラインなどの基準は、
まだ発表されておらず、今後、その詳細が示されるということです
が、このうち「将来負担比率」は、単に赤字額や借金の規模だけで
なく、将来の負担能力、返済能力をも加味した比率となる予定との
ことであり、自治体の財政状態がより的確に表され、これまでの私
の不満が解消される指標になることを期待したいと思います。

2007年8月30日木曜日

長野市の財政指数が悪化?(1)


 平成18年度長野市の決算数値を発表しました。
 市長としては、平成18年度当初予算編成の段階では、市の貯蓄
である基金を40億円も取り崩さなければならない状況であったの
に、決算段階では、9億円の取り崩しで済んだ、そして市債の残高
も順調に減少していましたので、良い方向に向かっていると自信を
持っていたのですが、国が決めたルールに沿って長野市の財政状況
を指数化してみますと、一部の指標が警戒ラインに入るという結果
となり、正直ショックを受けました。

 すなわち、自治体の財政状況を表す、「経常収支比率」「実質公
債費比率」の二つの指標が警戒ラインを超えてしまったことです。
 「経常収支比率」は、平成16年度に警戒ラインを超え、平成
18年度もさらに上昇することとなり、平成17年度には問題ない
範囲であった「実質公債費比率」も上昇し、どちらの指標も警戒ラ
インを超えてしまったのは、正直参りました。

 私は市長就任以来「入りを量りて出ずるを為す」をモットーにし
てきました。
 ただ、国の「三位一体の改革」により、国税から地方税へと税源
が移譲された一方で、国からの補助金や地方交付税が減ってきてい
るので、数値が徐々に悪化してきていることはやむを得ないとして
も、「警戒ラインを超える」というのは、どうも納得できませんで
したし、市民の皆さんにも分かりにくい話であり、何よりも経済界
出身の私(市長)にとっては、市民の皆さんが期待していたことに
対し、裏切ってしまったのではないか・・・本当に慙愧(ざんき)
に堪えない思いを感じています。

 そこで、市議会での議論や財政部局からの説明を聞いて、私自身
が学んだことを市民の皆さんにもご理解いただきたい、そんな思い
でこのメルマガを書いています。

 まず用語の説明をしますと、
 「経常収支比率」というのは、自治体の財政状況を表す指標の一
つで、自治体財政の硬直化の度合いを示す指標です。
 地方税や普通交付税、地方譲与税など、経常的に見込める収入に
対して、職員人件費や公債費(毎年度の借金返済額)、福祉や医療
などの扶助費のほか、市の施設の維持管理費や継続的に交付する補
助金など、毎年度経常的に支出される経費(言い換えれば義務的な
支出)がどの程度占めているかという割合です。

 この比率が高くなればなるほど、経常的に見込める収入の多くが、
経常的に支出される経費に充てられてしまい、結果的に、緊急的な
財政支出や新たな政策経費に充当する余地が少なくなってしまうこ
とは、お分かりいただけると思います。

 この「経常収支比率」は、一般的には70%~80%が適正ライ
ンといわれていますが、近年、厳しい自治体財政を背景に多額の財
源を必要とする公共事業が減少する一方で、社会の変化に伴う市民
ニーズの多種多様化によって、自治体の行政サービスは、ハードか
らソフトに転換が図られてきているため、この比率の上昇は全国的
な傾向のようです。

 長野市の比率は、全国の他の自治体と比べ、比較的低いようです
が、それでも合併した平成16年度には81.9%と適正ラインを
超え、平成17年度83.9%と上昇してきました。
 平成18年度は、84.5%とさらに上昇してしまう見通しです
が、少子高齢化の進行に伴って、福祉施策の経費が増加したことや、
退職者の数が多かったことによって人件費(退職金)が増加したこ
となどが大きな要因となっているようです。

 次に「実質公債費比率」は、経常収支比率と同様、自治体の財政
状況を示す指標の一つで、自治体の財政規模に対する借金返済の度
合いを示す指標として、平成17年度の決算から新たに用いられて
います。

 この比率は、より的確に自治体の財政状態を把握するため、単に、
一般会計の「公債費」として表れる表面的な借金返済額のみならず、
一般会計が「繰出金」として負担する、上下水道事業や病院事業な
ど企業会計の借金返済額のほか、市の関連団体の借金返済額に対す
る元利補給金などの「公債費に準ずる経費」を広く借金返済額とし
てとらえ、その借金返済額が自治体の財政規模に対してどの程度占
めているのかを表す比率として用いられています。

 この比率が高ければ高いほど、財政的な体力に比べて、毎年度の
借金返済額が大きいということになり、18%が警戒ライン、25
%が危険ラインとされ、25%を超えると新たな借金が一部制限さ
れます。
 平成17年度16.9%だった長野市の比率は、平成18年度か
ら比率の計算ルールにおいて、「公債費に準ずる経費」の範囲が拡
大され、結果として、警戒ラインの18%を超え、18.6%まで
上昇する見通しとなってしまいました。

 このルール変更は、常に18%を意識していた長野市にとって痛
かった、でも自治体の財政状況を正確に表すためには仕方ないと感
じてはいます。
 ただ私としては、この指標の扱い方について不満もあります。と
言うのも、長野市には、現在300億円を超える基金、いわゆる積
立金を持っています。
 これら積立金のうち、約100億円は、福祉や教育、環境など、
特定の政策目的を持ったものでありますが、残り約200億円は、
毎年度の財源調整のために使うことのできる積立金です。

 長野市の積立金の規模は、他の自治体と比べ、比較的多いようで
す。確かに長野市の場合、オリンピックの開催に伴って財政の体力
以上に借金が残っており、「実質公債費比率」などの各種指標にも
表れているのは事実ですが、一方でその返済の財源ともなる積立金
の規模など、長野市の返済能力が的確に反映されていないのではな
いかということが、私にとっては不満なのです。
 
 私が市長に就任した当時は、大きな借金と大きな貯蓄があるので、
金利差を考えれば貯蓄を崩して借金返済をすべきだ、と主張したこ
とがあります。ただ、財政のことを勉強するうちに、企業とは根本
的なところで違うということが分かってきました。
 すなわち、借金を勝手に返すことは認められないし、必要な資金
を勝手に借りることもできない、ということです。企業のように銀
行と話して、必要な資金だけ借り入れるということが自由にはでき
ないのです。

 それなら、金利が低い今の時代なら、金利差はそれほど考える必
要はなく、新規事業に取り組んだり、不測の事態に対処するために
は、流動性を大切にすることが良い、すなわち借金もあるけれど、
基金(貯蓄)もあるという状態が良い、と考えることにしました。

 今回、この「実質公債費比率」が警戒ラインを超えることとなり
ましたが、この結果が直ちに長野市の財政に大きな影響を及ぼすも
のではありません。
 でも、今後、毎年度の借金返済額が体力以上のものとならないよ
う、計画的に公債費負担の軽減を図っていくことは必要なことと考
えています。

 今年度から国の臨時特例措置により、過去に借り入れた高い金利
の市債の繰上償還がしやすくなりました。
 このことは、長野市もこれまで、過去に高い利率で借り入れた市
債の金利負担が重くのしかかり、一部前倒して返済しようと思って
も、国が認めるハードルが高く、自由にはなりませんのでしたので、
長野市にとっても朗報です。
 今年度からの3年間、自治体の財政状況に応じて、そのハードル
が緩和されるとのことですので、対象となる市債の償還を積極的に
進め、残高の縮減と将来の公債費の負担軽減を図っていきたいと考
えています。

 少々長くなりましたので、今回はここまでとさせていただき、次
回は合併による影響と将来負担比率などの新たな指標についてお話
ししたいと思います。

2007年8月23日木曜日

9月市議会定例会での閉会あいさつ


 本年は、市議会議員選挙の年です。
 定例市議会は、3月、6月、9月、12月の年4回開催されます
が、本年は9月16日告示、9月23日投票で、市議選が行われま
すので、9月市議会定例会を早めて8月2日から8月17日まで開
催しました。従って、この市議会は特別のことがない限り現在の議
員さんの任期中、最後の議会ということになります。
 そこで、今議会の閉会に当たって、私は現在の議員さんの4年間
の任期中にあった主なことを、概括的に述べ、特に今期限りで勇退
される議員さんへの餞(はなむけ)の言葉とさせていただきました。
 以下その概要を報告します。

「この4年間は、景気が回復傾向とはいえなかなか実感が伴わない
経済情勢、少子高齢化の進展、深刻化する環境問題、地方分権の推
進など、自治体を取り巻く環境が大きく変わる中、それに呼応する
ための変革が求められている大変重要な時期であったと思います。

 当選された直後の平成15年12月には、長野地域合併協議会が
設立されました。平成16年5月には合併協定の調印、そして平成
17年1月には1町3村編入合併による人口38万人、面積738
平方キロメートルの「新長野市」が誕生しました。

 平成16年4月には、松代城跡の復元整備が完成し、「エコール
・ド・まつしろ」がスタートしました。多くの皆さんの思いが結集
し、年間30万人ほどの観光客が86万人となり、「遊學城下町 
信州松代」の魅力を全国に発信できた画期的なプロジェクトとなり
ました。

 平成17年2月には、世界84の国と地域から2,575人の選
手団が参加した「2005年スペシャルオリンピックス(SO)冬
季世界大会・長野」が開催されました。アジアで初めて、またオリ
ンピック、パラリンピック開催地で初めての大会となり、SO冬季
世界大会史上最多の選手団と、総観客数20万人を超える皆さんを
温かく迎え入れ、「心のバリアフリー」への関心を高めた感動に包
まれた8日間でありました。

 同年3月には、次世代育成支援行動計画を策定しました。福祉行
政については、平成18年3月に「新あんしんいきいきプラン21」
の策定、4月には柳町保育園、柳町子育て支援センターを、10月
には真島保健センター、豊野西部児童センターを開所することがで
きました。

 行政への民間活力の導入については、平成18年4月に県内初の
PFI手法でオープンした温湯温泉「湯~ぱれあ」をはじめ、指定
管理者制度を295施設に導入、第二学校給食センター、上下水道
料金徴収・収納業務、犀川浄水場運転管理業務、秋葉・松ヶ丘両保
育園、二つの斎場などの民間委託あるいは民営化を実施することが
できました。

 都市内分権に関しては、平成18年3月に「都市内分権推進計画」
を策定し、その後、各地区に住民自治協議会の設立をお願いしてい
ます。現在9地区で住民自治協議会が設立され、そのほかの地域に
おいても住民自治協議会設立に向けた準備が鋭意進められています。

 中心市街地の再生については、旧長野センタービルが「もんぜん
ぷら座」として生まれ変わり、平成17年には「ぱてぃお大門・蔵
楽庭(くらにわ)」、平成18年には長野銀座A-1、D-1地区
市街地再開発事業が完成し、TOiGO(トイーゴ)、トイーゴパ
ーキング、長野市生涯学習センターが相次いでオープンしました。
 また、本年4月にスタートした「改定都市計画マスタープラン」
には、将来の都市像として「歩いて暮らせるコンパクトなまち」を
掲げました。

 地域産業経済の活性化については、平成17年4月に産学行連携
の拠点施設「長野市ものづくり支援センター」(通称 UFO 
Nagano)を信州大学工学部内に開設し、平成18年からは
「産業フェア IN 善光寺平」を開催しています。

 浅川治水対策については、県が、本年7月9日、国土交通省関東
地方整備局へ河川整備計画の認可を得るべく申請しました。重く切
迫した課題でしたが、大きな前進であり速やかに治水事業が実施さ
れますよう県と協力してまいります。
 また、浅川治水対策をめぐっては、長沼地区において北陸新幹線
の延伸に伴う設計協議や建設予定地の用地交渉が滞っておりました
が、設計協議については本年1月から地元対策委員会と協議が再開
され、用地交渉については本年3月に「地権者会」を発足していた
だきました。
 併せて、長野以北の並行在来線に関しましても、存続に向けた経
営の可能性について、JR東日本や新潟県などとの話し合いを重ね
ながら、広い視点に立って総合的に検討していかなければならない
課題ですが、平成18年5月に「長野以北並行在来線対策協議会」
が設立されたことから、県および沿線市町と協力し、知恵を出し合
う中で存続に向けて努力してまいります。

 教育に関する諸課題では、皐月高校は、長い間、新生市立高校へ
の移行について検討してきましたが、いよいよ来年4月「市立長野
高校」として開校します。中心市街地の3つの小学校は、通学区域
特例校制度を導入し将来の方向を見定めてきましたが、後町小学校
を平成24年度末で閉校することとしました。また、昭和小学校の
過大規模解消として平成18年4月に新共和小学校を開校して解消
を図ったほか、大規模校を中心に限定隣接学校選択制度を導入して
学校規模の適正化に向け取り組んでいます。

 近年、地域密着型のプロスポーツチーム「AC長野パルセイロ」
や「信濃グランセローズ」の活躍により「スポーツを支える喜び」
の輪が広がっていること、また、数多くの市内小・中学生チームが、
野球やソフトボールなどさまざまな競技で全国大会の出場を果たし
ていることなど、「スポーツを通じた元気」が溢れてきています。
 また、本年5月にエムウェーブとスパイラルが文部科学省からナ
ショナルトレーニングセンターの競技別強化拠点として認定をいた
だきました。

 環境対策については、長野広域連合が長野市内に建設するごみ焼
却施設建設候補地の選定におきまして、大変重要な事項として、慎
重に議論・ご検討を重ねていただきました。地球温暖化対策につき
ましても、喫緊の課題としてさまざまなご意見やご提案をいただき、
今後の温暖化対策に生かしてまいります。

 思い起こせば語り尽くせないほど、さまざまな出来事がございま
したが、「市民が主役」の元気なまちづくりを進めていくことがで
きるのは、市民の代表である議員の皆さんが、市の発展と市民福祉
の向上のためにご尽力されておられるからにほかなりません。
 また、地域に関する課題はもとより、広い視野を持ち、10年先、
20年先を的確に見定める中で、第四次総合計画、産業振興ビジョ
ン、改定都市計画マスタープランなど、市の根幹をなす計画の策定
にご協力いただきました。
 ここに改めて、長野市議会議員としてのご尽力と、今日まで市政
に寄せられました幾多のご協力とご支援に対しまして、心から敬意
を表し感謝を申し上げます。」

 以上が、9月定例会で述べた私の閉会あいさつの概要です。閉会
のあいさつで触れることができなかったこの4年間での出来事はま
だまだたくさんありますが、もう一つだけ挙げるとするならば、長
野駅周辺第二土地区画整理事業が多くの方のご努力とご理解により、
事業が着実に進展していることです。
 皆さんもこの4年という区切りで総括していただければと思いま
す。

 この後、勇退される議員さんへの感謝と今後のご健康を、そして
9月の選挙に出馬される方々へのご健闘をお祈りすると申し上げ、
閉会のあいさつとさせていただきました。

 さて、この9月に執行されます市議会議員選挙は、議会改革とし
て議会自らが率先して議員定数の削減に取り組んでいただき、条例
定数を39人へと削減されての初めての選挙です。現段階では少数
激戦という予想で、なかなか厳しい場面も想定されますが、まさに
民主主義の原点、正々堂々と戦い、勝ち抜いて、再び議場でお会い
できる日を楽しみにしたいと考えています。
 また、市民の皆さんには、ぜひ投票を・・・投票率を上げていた
だくことを心からお願いします。

2007年8月16日木曜日

Dual Mode Vehicle(デュアル・モード・ビークル)について


 今回の話題は少し前の話で恐縮ですが、5月に北海道へ行ってき
た報告をします。
 皆さん、DMV(デュアル・モード・ビークルの略)をご存じで
すか?少し前にテレビで放映されましたから、ご存じの方も多いと
思いますが、線路と道路の両方を走ることができる乗り物(黄色い
車体で、ボンネットがある形)です。
 JR北海道が開発した乗り物ということで、私はテレビで見て以
来、ぜひ一度乗ってみたいと考えていました。理由は
(1)線路と道路、両方を走るという発想は素晴らしいが、開発し
 たJR北海道の意図を知り、どんな利用方法があるのか、調べて
 みたい。
(2)すぐには無理でも、将来の可能性を考えてみたい。
(3)乗り心地は・・・そして経営的に成り立つ乗り物か。
(4)長野市にとって、並行在来線問題、あるいは長野電鉄の屋代
 線問題等に、何らかのヒントがないか?

 実際に試乗してみて、開発者の話を聞きたい・・・こんなことを
考えて出掛けました。
視察日程は
5月12日(土)羽田空港から女満別(めまんべつ)空港へ行き、
 その日は網走に一泊。
5月13日(日)釧網(せんもう)本線で試験的営業運行をしてい
 るDMVに、浜小清水(はまこしみず)~藻琴(もこと)(約
 11キロメートル)間で体験試乗。線路と道路の両方を経験し、
 札幌へ移動し、テイネスキー場を視察しました。
5月14日(月)札幌のJR北海道本社を訪問。技術開発部長、D
 MV推進センター所長ほか技術開発者にお会いし、話をお聞きし
 ました。午後の飛行機で東京経由、新幹線で長野に戻りました。

 網走での試乗体験は、現段階では、正直言ってあまり乗り心地が
良いとは思いませんでした。スピードは時速50キロメートルぐら
いで、まずまずなのですが、車両がマイクロバスの改造なので軽く、
また、車輪が鉄道車両に比べて小さいからでしょうか、レールの継
ぎ目のゴトン・ゴトンという響きが気になりました。それと、現段
階では乗車定員が、乗務員を含めて17人というのは、ちょっと小
さいと感じました(これについては30人弱ぐらいにはしたい、ま
た2両編成は可能ということでしたが)。今のままであれば営業的
に採算をとるのは厳しい、というのが感想でした。

 しかし、線路と道路の乗り換えはわずか10~15秒、鉄道と道
路のインフラ(交通等の基盤)をそのまま活用可能で、走行安定性
の向上、ゴムタイヤの寿命の延伸など・・・いろいろ工夫がなされ
ており、特に切り替え時間の短縮は大変な発明に思われました。

 JR北海道の本社で、技術開発部長の佐藤氏、DMV推進センタ
ー所長の横井氏等と懇談。DMVの可能性、将来性等について色々
お聞きしました。

 開発意図は、JR発足以降、さまざまな地方閑散線区の収支改善
施策を行ってきたが、出尽くしの感がある(ワンマン列車化、駅業
務の委託、地方交通線のバス転換等)とともに、車両の更新時期を
控え、地方閑散線区のために高額な鉄道車両を購入することが難し
くなってきた。
 このため、輸送量の少ない線区に見合った輸送力の車両を安価に
製造するため、バスをベースに、鉄道車両を開発することとし、道
路も走行可能な車両を目指して開発を進めてきたとのことでした。
また、ディーゼル車両での開発も、北海道全域でディーゼル車両が
運行されている実情に合わせたものとのことでした。

 北海道は全般に過疎地域が多く、鉄道輸送は採算的に合わない地
域が多いようです。1日の客数が500人以下、極端に言えば三桁
にならない路線もあるということで、会社とすれば、地元の意向か
らすぐには廃線にできないので、何とかコストを下げるために、開
発をしたものである、列車というよりバスとして考えてほしいとの
ことでした。

 ただ、技術的な話をお聞きしているうちに、課題だけではなく、
将来もしかすると大きく飛躍する可能性も感じました。
 例えば、道路面を走るときはゴムタイヤで走り、線路に入ると鉄
の車輪が下りてくるのですが、車両を動かす動輪は、ゴムタイヤの
方なのです。その重量配分が絶妙になっているようですからいろい
ろな状況への対応も可能のようですし、また維持費などはかなり減
額できそうです。

 価格も魅力です。電車の車両価格は1台約1億円ですが、DMV
は改造費込みで約2千万円とのことですから、有利です(しかし乗
車定員から考えると厳しいですが)。ですから将来的に大型バスぐ
らいの乗車定員になれば、十分実用になると思いました。

 観光用に使う手もありそうです。旅館へお客さんのグループをお
迎えに行って、道路を走り、駅まで行って線路上へ・・・そのまま
観光スポットへという使い方はどうでしょうか。でも現在は、バス
と電車の運転手がそれぞれ必要とのこと・・・これは、法の問題で
すから、いろいろな課題が解決していけば可能でしょうが・・・。

 長野の並行在来線や長野電鉄屋代線については、まだまだ相当の
乗車人員があって、朝夕のラッシュ時はとても無理ですが・・・昼
間だけ、観光用なら・・・でも普通の電車車両と混在することは、
信号機などの設備の安全性をきちんと確保するなど、難しいことも
あるようです。

 今すぐの可能性として私が考えたのは、復活したいとの声がある
軽井沢以遠の廃線になった碓氷峠なら使い方を工夫すれば・・・。
あるいは、信越線の北長野駅から長野電鉄の信濃吉田駅へつながる
というのもあるかなあと思ったりしています。

 皆さん、夢が膨らみませんか。私は北海道へ行って実際に見るこ
とができたこと、大変良かったと思っています。JR北海道の今後
の開発力に期待したい・・・。

 DMVは、これまでに無かった新しい交通機関としての可能性を
持っています。導入に当たって既存の鉄道、道路といったインフラ
を活用でき、その双方を行き来できることで、乗り換えを無くすと
いう利便性の向上が図られ、これまで鉄道やバスが想定していなか
った需要を取り込んでいくことが可能になると考えられます。これ
からもDMVの動向には注目していきたいと思います。

2007年8月9日木曜日

御祭礼と屋台巡行、そして夏祭り


 長野にはいろいろな祭りがあります。分類してみると(分類する
ことに意味があるかどうかは別ですが)
・びんずるやえびす講煙火大会等、大勢の人が参加する、いわゆる
 観光・市民祭。
・秋祭り等の神社・お寺の地域の伝統的な祭り。 
・地域の皆さんが、皆で楽しむ手づくりの祭り。
・健康祭り・スポーツ大会のような運動中心の祭り。
・豊作を祝ったり、農作物の直売を行う農業祭。

 別の要素からみると、古くからある伝統の祭り、現在の皆さんが
つくり出した新しい祭りという分け方もあるかもしれません。いず
れにしろ、長野にはたくさんの祭りがあります。合併した4町村に
も、素晴らしい地域の祭りがありますし、長野オリンピックを記念
した灯明まつりも年とともににぎやかになっています。

 夏祭りのシーズンを迎え、7月15日に御祭礼屋台巡行が行われ
ました。この祭りは、弥栄神社の祭りとして、大変歴史の古いもの
で、弥栄神社の齋藤宮司の「弥栄神社と御祭礼」に詳しく書かれて
いますので、詳細はそちらをお読みください。
 私の経験した屋台巡行は、昭和30年代、年番を担当する御祭礼
加盟町の力が衰えはじめ、毎年の屋台巡行が難しくなりはじめた時
期、例えば私の生まれた西之門町の区長さんの話によりますと、昭
和38年に「今年が最後、今後は屋台巡行はしない」と宣言して、
最後の巡行を行い、その後屋台は町倉に入ったままとのことですし、
西町の屋台は長野市立博物館に飾られていて、立派ではありますが、
多分巡行することは難しいでしょう。

 また、屋台会館を作ろうという議論は昭和40年代からあったよ
うに思いますが、いまだ実現していません。場所が無い、お金が掛
かりすぎるというのが大きな理由でしょうが・・・財政が大変な時
期は、どうしても後回しになってしまうのは、仕方がないことかも
しれません。
 私の知っている範囲ですが、過去いろいろな屋台の展示館を見て
きました。高山市、長浜市、小布施町・・・一番近い所では合併し
た鬼無里には素晴らしい会館があり、屋台4台、神楽2台が飾って
あります。
 屋台は組み立てたり、保管のために解体したりするのが大変で、
屋台会館で組み立てたまま保存できれば、毎年の負担はかなり減少
するということです。ただ毎年、ある程度補修をする必要があると
いう意見もお聞きしています。私の見た長浜市の曳山博物館には、
常時補修できる工房があったように、記憶しています。
 歴史の資産は一度無くなってしまうと、回復は困難です。何とか
残したい・・・歴史と伝統を残していくためには、大きな負担が必
要です。

 それでも、幾つかの町は頑張って、毎年は無理でも、例えば善光
寺御開帳の折等には、屋台巡行を行い、伝統の灯を守っていただい
ています。今年は、善光寺の本堂再建300年のお祝いということ
で、4年ぶりに権堂町、西後町、大門町、元善町の4つの屋台が巡
行しました。

 当日は、勢力の強い台風4号が九州から四国、紀伊半島と進んで、
西日本で雨の被害が出ている中、偶然ですが梅雨の間の晴れ間とい
うのでしょうか、何とか雨も降らず、久しぶりの屋台巡行は無事奉
納され、市民の皆さんの目を楽しませてくれました。

 私も、もんぜんぷら座前から善光寺まで、神の代理として選ばれ
た少年が乗る白馬と一緒に歩かせていただきました。これは「御先
乗り」と称し、純真な稚児に神が乗り移り、夏の疫病を祓(はら)
うという信仰だそうで、長野を彩る夏の風物詩でした(白馬は飯綱
高原乗馬倶楽部のスノーフレーク、私も時々お世話になる、大変お
となしい馬でした)。

 行列は、中央通りから権堂アーケードに入って、秋葉神社で休憩。
そして再び中央通りに戻って、大本願、大勧進に寄ってご挨拶をし
てから善光寺三門前(三門は今年一杯工事中です)へ。三門の前に
着席、大勧進のご貫主様、大本願のお上人様等々と一緒に、屋台奉
納を受けて答礼する立場で着席させていただきました。

 屋台奉納が始まり、午前中は権堂の暴れ獅子〔勢獅子(きおいじ
し)〕付きの屋台、次は西後町の屋台、午後は大門町、元善町の屋
台奉納が行われました。いずれも各町の意気と典雅さ、そして立派
な屋台を誇りとしている姿が感じられました。

 以上、今年は4つの屋台の巡行でしたが、久しぶりの屋台、良か
ったです。天気がもってくれたことが何よりですが、元善町の屋台
は、故笠原市議会議員と元善町の区長の決断で、伊勢町の屋台を譲
ってもらったものだそうで、近隣の町も共同で運行しているとのこ
とでした。また大門の屋台は現在修復中の屋台を引き出したとのこ
とですが、なかなか素晴らしい屋台でした。西後町の屋台は、信州
大学の学生たちがボランティアで屋台の組み立てを手伝ってくださ
ったそうで、新しい動きがいろいろ出てきているようです。

 日本三大祇園祭とまでいわれた長野の御祭礼が、毎年できなくな
った理由を考えてみますと、何といってもまず大変お金が掛かるた
め、町や商店街にそれを負担する力がなくなってきた、中心市街地
の町の人口が減り、人手が足りなくなってしまった、交通事情も車
の往来が激しくなって、屋台運行がしづらくなった(当時は歩行者
天国という発想はなかった)、というようなことだったと思います。
最近は行政も補助金を出したり、歩行者天国も比較的楽にできるよ
うになりましたし、ボランティアの手伝いもあるようですが・・・
それでも運行する町の負担は大きいとのことです。屋台の車輪は木
製で、重さに耐えることはかなり大変のようですし、その屋台の補
修をする職人さんも少なくなってきているそうです。
 何とか伝統を残したいと思っていますが・・・最近中心市街地に
マンションが林立してきて、人口が増える傾向にあるようです。そ
こに住む新しい住民の方々が、意気に感じて、屋台運行に取り組ん
でいただければ・・・なんて勝手に思っているのですが。

 御祭礼が毎年できないなら、何とかほかの形式で祭りをやろうと
いうことで、長野商工会議所や長野青年会議所が熱心に取り組んで
きました。
 昭和30年代の長野広告祭り、昭和40年代前半の城山公園の噴
水の周りでの「火と水と音楽と若者たち」、そして昭和46年から
始まった「長野びんずる」です。そしてびんずるは創設以来、今年
で37回目になります。私の個人的な感想ですが、長野びんずるの
前の「火と水と音楽と若者たち」なんてお祭り、もう一度復活して
も良いような感じがしています。

 そのほか、夏祭りはいろいろありますので、既に本年終了したも
のもありますが日程と祭りの名前だけ報告しておきます。
 7月15日 御祭礼、7月27日~8月7日 権堂町の七夕まつ
り、7月28日 篠ノ井合戦まつり 若穂ふれあい踊り 大豆島甚
句まつり、8月4日 長野びんずる、8月4・5日 戸隠ミセスウ
ェストン祭、8月5日 豊野ヨイショコまつり、8月10日 飯綱
火まつり、8月14日 大岡ひじり三千石祭り、8月14・15日
 善光寺お盆縁日、8月15日 鬼無里ふるさと夏まつり、9月
1日 川中島古戦場まつり

 今年はあちこちで盆踊りが復活しているようです。皆さん浴衣掛
けで、ぜひ参加しましょう。

2007年8月2日木曜日

広域行政に係る幾つかの報告


 長野県市長会長に就任したことは、既に第264号のメルマガで
報告させていただきました。
 ただ、この市長会長については、大変多くの当て職があり、正直
まだ整理がついていない状態ですが、責任を果たすために一生懸命
手探りで取り組んでいるというのが、実感です。

 まず、後期高齢者医療広域連合ですが、この広域連合の連合長に
就任したことについてはすでにご報告いたしましたが、後期高齢者
医療制度の財政運営は、国の方針により長野県内81市町村で構成
した広域連合で行うことになっており、平成20年4月にスタート
するための準備を進めています。年金に関する社会保険庁の実態を
見ていますので、慎重に、そして誤りがないように、県派遣の事務
局長を中心に、市町村から職員を派遣していただいて、来年へ向け
て一歩一歩進んでいます。現段階で行うべき準備は確実に進んでい
ますので、事務的にはご安心いただけると思っています。

 次に、市長会長の当て職の一つである長野県市町村振興協会の理
事長職ですが、先日、本年度の理事会が開催され、正式に私が理事
長に就任し、昨年度の事業報告・決算、本年度計画などが承認され、
スタートしました。
 理事会メンバーは、県の総務部長・市町村課長、市長会・町村会
の正副会長、市議会議長会・町村議会議長会の会長、それと市長会
・町村会の事務局長、都合10人で、監事は市町村の収入役2人
(本年の場合、塩尻市と長和町)が就任しておられます。

 この協会の主な仕事は、「県を通じて協会に配分されてくる宝く
じの収益金を、どのように使うか」を決めることといっても言い過
ぎではないと思います。そこで主な事業概要を報告させていただき
ます。

 一つには、市町村職員の研修費、市町村団体(市長会、町村会、
議長会、監査委員会など)への補助。あわせて廃棄物や県と市町村
のあり方検討会等、県全体で話し合いをする会合への助成、市町村
行政情報ネットワーク事業や自治会館管理運営費への助成、市町村
ハンドブック等印刷物の作成経費・・・これらは合計約9千万円
(平成19年度予算では約1億円)ほどの事業ですが、各団体にと
って、無くてはならない原資になっています。

 二つには(これが大きな事業ですが)宝くじの販売促進事業を行
って、その収益金をもって、基金を設置し、市町村に対する災害時
の融資、緊急を要する施設等の整備事業のため、基金の運用を行っ
ており、以下のような事業を実施しています。
(1)基金を長・短期の貸付金として、必要な市町村に貸し付けを
 行っています。この分野は、平成18年度末の段階で貸付残高
 135億円余り、現金約70億円余り、合計205億円の資金を
 保有して、運営しています。
  長野市もこの基金から約10億円を借りています。岡谷市も昨
 年の災害時、緊急資金を借り入れています。緊急災害時に備える
 など、一定の資金確保は今後も必要なことと感じています。
(2)コミュニティー助成事業への交付金は、基金収益などを利用
 して、地域における芸術・文化の振興に係る市町村等が行うコミ
 ュニティー活動に助成するものです。長野市でも、地域のおみこ
 し・子ども用神楽、太鼓に助成を受けています。
(3)市町村交付金(オータムジャンボ宝くじ)。これは目的を特
 には制限せず、市町村へ交付するもので、81市町村に均等割
 25%、人口割75%で、分配しています。平成18年度の場合、
 約4億円弱の金額を分配し、長野市は約5400万円余りの配分
 を受けています。
(4)基金交付金(サマージャンボ宝くじ)。この交付金は、緊急
 時のための必要な基金残額が確保されたことから、本年度から市
 町村に交付することにしています。本年度は、全体で6億円の分
 配となりましたので、長野市では8千万円余りの配分を受けてい
 ます。

 いずれにしろ、この宝くじの収益金である交付金は、税収不足に
悩む市町村にとって大変重要になってきていると思います。本年以
降、毎年確実にとは言えませんが、サマージャンボ分を追加配分す
ることにしましたので、市町村にとっては、地域の元気を出すため
に大いに活用していきたいものです。
 それには宝くじを大いに宣伝して、より多くの配分金をいただく
必要があることは当然です(この配分は県単位に、売り上げに比例
して分配されます)。県内の配分率については、前述のとおりであ
り、長野市とすれば均等割において若干不満がありますが・・・ま
あ仕方ないとしておきましょう。
 以上、市町村振興協会についての報告です。長野市とすればこの
資金の使い方も今後重要になるように思います。

 次は、北信農業共済組合と長野地区農業共済事務組合(以下「長
野地区」)の統合に関する話題です。長野市は、須坂市など周辺8
市町村とともに「長野地区」に入っています。北信組合は、中野市、
飯山市など6市町村で構成されています。
 この両組合を統合しようということで、北信地域農業共済組合等
再編整備協議会が動き始めました。市長就任以来の課題が一歩前進
したということです。

 農業共済組合という組織は、県内に5つあります。南信、中信、
東信、そして長野地区と北信です。そして長野地区だけが一部事務
組合(特別地方公共団体)、その他はすべて組合営(民営)です。
そして県内の5農業共済組合を指導・統轄する組織として、長野県
農業共済組合連合会があります。

 市長就任当時、いろいろ勉強する中で、なぜこうなっているのか
どうしても理解できませんでした。NOSAI(農済)というのは、
農家の皆さんを対象にした、農作物や園芸施設などの共済事業を行
っているいわゆる保険屋さんで、農家が自然災害を受けたとき、そ
の損害を補償するため国が法律で定めた保険制度です。農家が掛金
を払い(国も一部負担しています)、被害があったとき、組合が損
害を補償するシステムで、農家にとってはなくてはならない保険で
す。

 保険が主要業務である以上、母集団が大きくなくては・・・すな
わち加入農家数が多ければ多いほど、効率がよくなり、財政的に有
利になるということは、どなたにもご理解いただけると思います。
しかも運営費についても基本的に国から補助を受けており、細かく
規定されていますから、組合独自の運営範囲は限られるというのが
実態ですし、国からの補助も将来的にはかなり厳しいといわれてい
ます。

 私は、この組織を早く統一して、県内を一つにしたいと考えまし
たが、どうも一気には難しいということで、まず北信組合と長野地
区を統合しよう、そして組合営とするため、長野地区が解散して北
信組合の区域を拡大する、という手法を考えました。若干ご不満の
向きもあるかと思いますが、実質は何も変わらない、行政の合理化
であり、サービスはもっと良くなる可能性がありますので、ご理解
をお願いします。

 長野地区の一部事務組合が何で不都合かと言いますと、(1)農
家の建物・農機具共済については一部事務組合では扱えないので、
わざわざ任意共済推進協議会という組織をつくって行っていること。
(2)一番大切な仕事は、農家の皆さんと親しくなって、保険に加
入いただくことなのですが(もちろん損害に対する共済金の算定や
支払いもあります)、一部事務組合の職員は、構成市町村からの派
遣職員ですから、2~3年で転勤してしまう、そのためせっかく仕
事に慣れた職員が居なくなって新人になってしまい、農家の皆さん
との間に築いた信頼関係が途切れてしまうのです。組合営になれば
こうしたことも解消されます。
 このようなことから、一日も早い統合、それも組合営に移行する
必要があると考えました。

 以上、少しくどかったかもしれませんが、農業共済の統合の必要
性について、述べさせていただきました。実際の統合は平成21年
4月を目指していますので、ご理解いただきたくお願いします。

2007年7月26日木曜日

参議院議員選挙の投票日は7月29日です


 参議院議員選挙は、7月12日公示、7月29日が投票日で、候
補者、党首などのテレビ出演、街頭演説が盛んに行われています。
今回は参議院の与野党の勢力が、均衡しており、場合によっては、
与野党が逆転するかもしれないということで、注目を集めているよ
うです。

 ただ、初日の各党首の演説を聞いていて、年金問題が大きな焦点
となってしまっていると感じています。そしてニュアンスの違いは
あるけれど、皆さん同じことを言っていらっしゃる。何か、選挙の
焦点が矮小(わいしょう)化してしまっているのではないか・・・
私の正直な印象です。

 年金問題は、社会保険庁の年金記録不備が引き起こした問題で、
いずれにしろ消えた年金を調べて国民に正当な給付をすべきという
ことは当たり前で、それをどうやるか、いつまでにやるか、という
ことでしょう。
(1)社会保険庁の年金記録不備は、日本の官庁は常に正しいとい
 うのは神話に等しいということを、国民に示したこと(これは官
 僚システムを指揮してきた政府、そしてチェック機能を発揮でき
 なかった野党を含むすべての国会議員の責任)。
(2)だんだんと分かってきたことですが、官公労の労働組合(自
 治労)が自分たちの権利を極端に主張し、国民への奉仕者として
 の視点を忘れていたこと。
(3)もうひとつは年金改革の折、すべての国民に社会保険番号を
 付けようという主張があったとき「国民総背番号制」は絶対に反
 対と主張した当時の野党の勢力でしょう。

 いずれにしろこの問題の解決は、政権等を含め、政党ではできま
せん。国民監視のもと、官僚機構が贖罪(しょくざい)の気持ちで、
徹底的に、時間をかけて、公明正大に行う、しかもある程度税金を
つぎ込むことを覚悟する以外、誰もできないのではないか・・・。
 従って選挙では各党首が同じことを主張するばかりで、焦点・論
点にはならないだろうと思うのです。

 選挙への一般の関心はかなり高いといわれています。景気は回復
してきたといわれながら、相変わらず問題山積みのこの時期、国民
の国政に対する問題意識は、かなり高いといわれていますが、どん
な投票行動に結び付くのか・・・私は注目しています。

 先日東京駅で電車の待ち時間に、常識『日本の論点』という本が
目につきました。平成14年9月発行「日本の論点」編集部編とい
う文春新書です。あの厚い「日本の論点」の縮刷版なのでしょう。
 それを読んでみて、評論家の論点ですので、実務面とは違います
が「5年経っても、日本は変わってないなあ!」というのが、感想
です。一読して、その論点の中から、独断ですが、今回の選挙で議
論してみたいと感じた項目をアトランダムに列挙してみます(書い
てあったすべてではありません)。
 「資本主義は絶対の原理なのか」、「日本憲法は押しつけか」、
「自衛隊は軍隊なのか」、「自民党一党支配はいつまでつづくか」、
「日本の戦争責任はどこまでつづくか」、「大きな政府か小さな政
府か」、「教科書検定制度は必要か」、「日本社会の差別とは何か」
「言論の自由か人権侵害か」、「少子化は何が原因か」、「いじめ
はいつまでつづくか」、「管理教育か自由教育か」、「消費税中心
か所得税中心か」、「民意を反映する選挙制度とは」、「中央集権
か地方分権か」、「官僚支配のどこが問題か」、「公的年金は破綻
(たん)するか」、「日本的経営は時代後れか」、「安楽死は罪悪
か」、「脳死・臓器移植は日本に定着するか」、「世界の人口爆発
を防げるか」、「地球環境はどこまで守れるか」、「原発はやめて
も電力はまかなえるか」、「天皇はどんな役割を果たしているか」、
「日本の領土はどこまでか」、「核武装はどこが悪いか」、「対中
外交のスタンスはどうあるべきか」、「宗教は政治に介入している
か」、「学校行事に国旗・国歌は必要か」など
以上、大きな問題も小さな問題も含め、論点はいろいろあるものだ
と痛感させられます。

 私なりに、あの本に無かった論点をさらに付け加えてみますと、
 「日本の財政再建をどうするのか」
 「地方財政の破たんは防げるか」
 「大都市一極集中と限界集落をどうするのか」
 「人口減時代の日本経営の指針はどうあるべきか」
 「あらゆる格差をどうすべきなのか」
 「民主主義はどこへ行くのか」
 「政治と金の問題について」
などがあるように思います。そしていずれも公の場で十分なる議論
が必要なテーマであろうと思います。

 報告を一つ。
 7月24日に上越市の木浦市長が、16日に発生した新潟県中越
沖地震による風評被害に見舞われているとのことで、観光面での安
全性をPRするためにお越しになりました。上越市では一部地域で
の被害はあるようですが、海水浴場や観光施設はすべて営業を続け
ており安心してレジャーや観光を楽しむことができるとのことです。
皆さんには正しい情報をきちんと見極めて、風評には惑わされず、
本格的な夏を楽しんでほしいと思います。

2007年7月19日木曜日

嬉しい報告が二つ


 7月9日、嬉しい報告が相次いで入ってきました。

 夕刻、腰原長野県副知事から直接連絡が入りました。内容は、
「県議会で浅川治水関係の補正予算が可決されたので、本日早速、
国土交通省関東地方整備局へ、河川整備計画の認可を得るべく、申
請をしました」とのことでした。私からは、「長い間、本当にご苦
労様でした、感謝しています、知事さんにもよろしく」とお答えい
たしました。

 思えば前知事の脱ダム宣言から数えて6年間、非常なストレス・
圧迫を感じながら、主張を続けてきた我々にとって、「ああ!やっ
とここまできたか。でも考えてみれば、6年前の状態に戻っただけ
か!」ということでした。空白の6年間だったという思いは多くの
方々が感じておられることです。予定通り進んでいれば、平成18
年度末、すなわち今年の3月には、浅川の外水対策は終了し、長沼
地区などの皆さんは一安心だったはずですし、内水についても検討
が進んでいたであろうことは十分推察できることですが、訳の分か
らない、まるで思いつきのような理論に振り回されて時間を費やし
てしまったこと、本当にむなしい思いがあります。その一方で、私
はいろいろな意見が出ることによって、市民の皆さんに分かりやす
い議論ができたことに“意義があった”と思うことにしています。

 過去、記者会見などで、何度もこの問題について質問を受けてお
りますが、私が常に一貫してお答えしてきましたことは、
(1)基本高水流量は毎秒450トン、これが多いか少ないかは、
 純粋に技術論であり、素人の議論で安全が保障できるものではな
 い。権威ある技術屋さんの議論の範囲であり、我々は、市民の安
 全度を値切ることは許さないということ以外に申し上げることは
 ない。
(2)ダム地点が危険という話も、断層があるとか、ないとか、我
 々には分からない純粋に技術論であり、本当に危険なら我々もダ
 ム建設は反対ですが、権威ある専門家の方々が大丈夫と決め、国
 も認めた計画ですから、専門家ではない首長が口を挟む余地は無
 いと申し上げてきました。

 そして一般市民の意見(世論)についても、どんな場合でも賛成
者と反対者はいるわけで、100%の方が賛成ということはありえ
ない、最後は管理責任がある者がきちんと決めて責任をもつ、すな
わち国の一級河川ですから、国から管理委託を受けている県が、案
を決めて国に認可申請を行うのが、その責務であるということです。

 今回の申請までの手順については、県の姿勢は極めて慎重でした。
昨年9月、村井知事就任以来、今日まで10カ月、なぜそんなに慎
重なのですか・・と言いたくなるほど村井知事は慎重に河川法の手
続きをきちんと踏まれてきたと思います。
 私からみれば、反対の方は何を言っても意見を変える・・・とい
うより聞く耳を持たないのですから、もういいのではないかと何度
か思いました。しかし結果を見れば、村井知事の慎重な姿勢が、す
べてを決めたと言ってよいでしょう。私自身も完全に脱帽、感謝あ
るのみです。

 話は変わりますが、腰原副知事から連絡があった同じ日、NTT
東日本の長野支店長が、長野市役所へ来庁され、もんぜんぷら座の
5階から上を借りて、コール・センターを設置したいとの正式な申
し込みをいただきました。良い話は重なるものだなあと感じました。

 新年度に入ったころ、NTT東日本の支店長から、「こんな計画
があるけれど、もんぜんぷら座の上層階を借りられますかね?」と
の打診があったことは事実です。“もちろん”とお答えし、すぐ市
役所に戻って、何が何でも誘致したいので、担当部署(まちづくり
推進課)に検討を指示、それ以後NTTとまちづくり推進課が協議
を重ね、今回の正式申し入れになったものです。

 もんぜんぷら座の上層階については、もんぜんぷら座活用検討委
員会からせいぜい5階までの利用との報告をいただいたことがあり
ました。その理由は費用対効果を考えるとせいぜい5階までだとの
ことでした。確かに商売で考えると、上層階を利用するのは、極め
て難しい・・・ましてやダイエーという日本一の大型店が撤退した
場所ですから、慎重にならざるを得なかったのです。一方で地元の
皆さんからは、常に8階までの全フロアを利用してほしい、という
要望が出されていたことは事実でした。

 長野市にとって、中心市街地のにぎわいはまちづくりの中心課題
です。そして、6年前、閑散としたあの交差点を何としてもにぎや
かにしたいという思いで、私は市長選に立候補し、幸い、市長にな
らせていただきました。市としてもんぜんぷら座(当時の長野セン
タービル)を取得し、トイーゴ、トイーゴパーキングのプロジェク
トを支援・完成させて、一定のにぎわいが生まれ、もう一息のとこ
ろへ来ていたのですが、そこへ偶然このコールセンターの話が飛び
込んできたわけです。

 コールセンターの誘致は、中心市街地のにぎわい創出に、決定的
な効果があると私は感じています。数百人の雇用が発生するようで、
あの一角のにぎわいに効果があることは間違いないと思いますし、
周辺の商店街が元気づくことは、事実でしょう。
 そこで7月17日に市議会臨時会を招集し、もんぜんぷら座改修
のための補正予算を審議いただきました。この臨時会の議論の中で、
ある党から反対意見が出されましたが、大多数の議員の皆さまにご
理解をいただき可決となりました。年内には一部営業を開始したい
との意向があることから、大至急、工事を進めていきます。
 私としては、嬉しくて感謝あるのみです。あと検討することとす
れば、あのビルの外装をどうするべきか、市内の公共交通機関をど
うするか・・・真剣に考える時期に来たということでしょう。

 題名にはふさわしくないのですが、話題をもう一つ。
 連休の最終日16日(月)の午前10時過ぎに、新潟県中越沖を
震源とする地震が発生しました。新潟県柏崎市を中心に甚大な被害
が生じ、長野市でも震度5弱、お隣の飯綱町では6強が観測されま
した。被災された方に心からお見舞い申し上げるとともに、市とし
ても危機管理に万全を期していかなければならないと改めて感じま
した。

2007年7月12日木曜日

長野市農業公社を設立しました


 農業・農村を取り巻く情勢は、グローバル化、高齢化の進展など
に伴って、厳しさを増してきていることは、今や日本全体の問題で
あります。
 そんな情勢の中で、長野市は平成17年1月1日、周辺4町村と
の合併により、市域が1.8倍に広がり、そのうち中山間地域が7
割を占める状況になっていること、また農業の担い手不足や遊休農
地の増大などが深刻になるなど、いろいろな課題が増えてきている
ことは、皆さんご承知のとおりです。

 それらの課題に対処するため、農業公社をつくったらどうかとの
議論が沸き上がり、その必要性や役割、行政と農業協同組合(農協)
の役割分担、農業者と消費者や商工業者など異業種との連携などに
ついて、調査・検討を行ってきました。

 そして昨年12月に「長野市農業公社設立検討委員会」から設立
に向けての提言を頂き、以後、JAグリーン長野、JAながのの2
農協、長野市農業委員会および長野市が設立に向けて協議を重ねて
まいりました。

 5月24日、25日に両農協の総代会で、農業公社への参加が決
議され、同時に長野市農業委員会でもその必要性が合意されました。
5月30日、長野市、JAグリーン長野、JAながの、長野市水田
農業振興協議会の4者により、発起人会を立ち上げることができま
した。
 このことは、長野市が行政として、農協をはじめ農業関係者、そ
して商工関係者と一緒に、長野市農業の再生に全力を挙げる決意の
表明といっても良いと思います。

 そして7月3日、すべての準備が完了、「社団法人長野市農業公
社」設立総会が開かれ、大勢の来賓、立会人の参加の下、公社の基
本事項として定款の制定、役員の選任、事務局体制、2年分の事業
計画と収支予算等を審議決定していただきました。長野市農業公社
が、長野市農業・農村の活性化のため、その使命を十分果たせるよ
う、全力を挙げて頑張ります。皆さんのご協力をよろしくお願いし
ます。

 今回、決定した事項の主なことを報告します。
 初代の理事長は、私(市長)が務めさせていただくことになりま
した。自論として当て職の就任は避けるべきということを、常々申
し上げてきたことに反するわけですが、今回は初めてのことであり、
ルール作り、レールを敷くことが大切で、行政の姿勢を示すべきと
のことから、市長自ら取り組むことにしたものです。
 副理事長・理事・監事には、両農協の関係者、農業委員会の代表、
そして長野商工会議所、長野市商工会、長野卸売市場協同組合、長
野市職員が就任しました。

 現段階で予定している事業は、農作業の受委託や農業機械の貸し
付け、農地保有合理化、担い手の育成・・・など直接、農業再生へ
の活動のほか、都市と農村の交流促進、特産品の加工・開発、市民
菜園・農園の管理運営や農業情報の受発信に関することとしていま
すが、今後さらに仕事は増えていくであろうと思っています。

 また、責任を明確にするため、今回は社団法人の正会員を、長野
市、2農協、長野市水田農業振興協議会の4者とし、今後、正会員、
賛助会員として農業関係者、食品関係者、流通事業者、商工関係者、
観光事業者等の入会を、働き掛けていくことにしました。

 当面の事務局体制は、
・事務局長(常務理事)の長野市派遣職員をトップに、
・総務部長(総務、都市と農村の交流担当)に長野市派遣職員
・農作業支援部長(農作業受託、農作業斡旋(あっせん)担当)に
 JAグリーン長野派遣職員
・担い手育成部長(農地流動化、担い手育成担当)にJAながの派
 遣職員が当たるものとし、
職員体制は、長野市派遣職員4人、JAグリーン長野2人、JAな
がの2人、長野県農業開発公社1人の計9人の体制でスタート、業
務の進展に合わせて充実していくことになりました。

 長野市内の関係者が知恵を絞って、従来の政策を発展させながら、
その枠組みを越えて活動分野を広げていきたい、そして長野市農業
の再生に全力を挙げてまいります。力を貸してください。

 話は変わりますが、市民の皆さんと一緒に策定してまいりました
第四次総合計画が、3月市議会で議決され、4月からいよいよスタ
ートしましたが、計画を作ったからには、それを実行して着実に成
果を上げ、市民の皆さんに分かりやすい形で継続的にアピールして
いく必要があります(前段で述べた農業公社も、未来に向けた農業
の再生・振興への取り組みとして位置付けています)。

 そこで第四次総合計画(平成19年~28年度の10年計画)の
中で、今後5年間に集中的に取り組むことを決めている重点施策
10項目を積極的に推進していく体制を整えようということで、市
長を本部長とする「重点施策推進本部会議」を設置しました。

 この推進本部設置の目的は、重要施策に関する全庁的な「情報の
共有」と「意識付け」、また縦のラインだけでは解決するのに限界
がある各種の特定課題について、各部局の横の連携の中で、今まで
と違ったアプローチにより対策を講じ、成果につなげていくことを
目指しています。当然のことながら、施策重点化方針の決定や、予
算重点ヒアリングなども、位置付けていく予定であります。部局長
がそれぞれの立場だけでなく、市の役員という意識で、長野市をど
う経営していくのかを判断しながら、会議に参加し、実行していく
ことが重要であります。あわせて、部局横断的にマトリックス型の
プロジェクト組織(複数の目標を同時に実現するための組織形態で、
異なる組織構造をミックスし、指揮命令系統を多次元的にデザイン
した組織のこと)を編成し、課題解決に取り組んでまいります。

 ちなみに、重点施策10項目(基本施策)は次のとおりです。
(1)多様な観光交流の推進
(2)多彩な文化の創造と文化遺産の継承
(3)スポーツを軸としたまちづくりの推進
(4)コンパクトなまちづくりの推進
(5)中山間地域の活性化
(6)省資源・資源循環の促進
(7)魅力ある教育の推進
(8)産業の集積と工業の活性化
(9)子育ち・子育て環境の整備
(10)防災対策の推進

 項目だけではなかなかご理解が進まないとは思いますが、長野市
のホームページにすべて載せてありますので、ぜひご参照ください。
http://www.city.nagano.nagano.jp/upload/1/kikaku_dai4jisogokeikaku_03keikaku_1jutensesaku.pdf

 いずれにしろ、この重点施策の実現を最初の5年間でどこまで実
行できるか、真価を問われることになると思っています。

2007年7月5日木曜日

ASPAC2007・チユンリー大会に参加して



 6月1日~4日まで、台湾を訪問しました。
 この台湾訪問の目的は二つありました。
 一つは、長野青年会議所(以下長野JC)から「2009年の
ASPAC(アスパック)大会を、長野市に誘致したいので、地元
市長として出席して、誘致の応援をしてほしい」という依頼を受け
たことです。
 二つは、青年会議所の北陸信越地区長野ブロック協議会が中心に
なって、大勢のASPAC誘致応援団を組織し、松本空港(愛称・
信州まつもと空港)からチャーター機を飛ばしたい、すなわち青年
会議所として松本空港の応援をしたいので長野市長にもぜひ乗って
ほしいということでした。

 ASPACについて少し説明しますと、国際青年会議所(JCI)
は、活動地域をエリアA(アフリカ)、エリアB(アジア・太平洋)
エリアC(北米・ラテンアメリカ)、エリアD(ヨーロッパ)の4
つのエリアに分けています。国際青年会議所では毎年10月~11
月ころに世界会議を行うほか、エリアごとにそれぞれ開催地を変え
てエリア会議を行っています。日本が所属するエリアBで開催され
る会議はアジア太平洋地域会議“Asia Pacific Ar
ea Conference”といい、ASPAC(アスパック)
の略称で呼ばれています。

 このアスパックを長野JCとして長野市に誘致したいということ
が、今回の訪台の主目的でした。長野県の腰原副知事も出席してい
ただけるということで、万全の体制で臨んだわけです。

 大会を開催する直接的な目的としては、国際青年会議所の運動指
針の推進、会員相互の国際交流、セミナー等による自己啓発、将来
の事業の企画立案などを行うことですが、アジア太平洋地域から
1万人(海外参加者2,000人、国内参加者8,000人)が集
う機会を生かし、オリンピック施設の活用やさまざまな分野におけ
る国際交流の機会を地域に提供し、教育、文化や産業経済振興への
効果など、総合的な地域社会の発展に寄与しようということでした。

 長野はオリンピック・パラリンピック・スペシャルオリンピック
スの三大会の開催を通じて、ホスピタリティーの精神と国際化への
意識が芽生え、人種の違いや障害の有無に影響されず、お互いに自
立してかかわりを持っていくことを学びました。しかしながらこう
した運動は絶えず連続して新たな機会を地域内外に求め、推進して
いかなければ一過性のもの、あるいはマンネリズムに陥り、オリン
ピックでの資産も風化してしまう危険性を常に持ち合わせています。
その意味では若い人たちが情熱を沸かせ、熱中できるテーマができ
ることは、素晴らしい意義があると思います。

 現地での誘致活動は、開催期間中を通じて、さまざまな会議、あ
るいは交流を通して行われました。そして最終日の総会で、立候補
都市のプレゼンテーションが行われ、JC出身の腰原副知事(大町
JC)、私・市長(長野JC)も、現役のJCメンバーに混じって、
英語でスピーチをして、熱心に長野市への誘致を訴えました。

 最終的にはNAGANO(長野市)のみの立候補となり(これは
NAGANOが“ビッグネーム”として認知されている証しかもし
れません)、全会一致で長野市が選ばれました。オリンピック、パ
ラリンピック、スペシャルオリンピックスを開催した国際都市とし
て、長野市は常に注目されていることを、実感した瞬間でした。

 開催時期は2009年の6月、すなわち善光寺の御開帳直後で費
用総額は過去の大会実績から約3億5千万円を想定しているとのこ
とです。

 私が今回応援に駆け付けた理由は、一つには私自身が(腰原副知
事も含め)JC出身であり、若い諸君の熱意に感激したことは事実
ですが、もう一つ応援をしたかったことは、この国際会議の誘致を
通じて、長野市の国際化への流れをもう一段高めようという気持ち
を持ったことにあります。

 オリンピック・パラリンピック・スペシャルオリンピックスの三
大会を開催した唯一の都市として、スポーツの世界大会や学術会議
等が、盛んに行われている長野市ですが、どうしてもイベント中心
であり、地に足が付いた国際交流運動に必ずしもなっていないので
はないかとの思いがあるのです。
 もちろん、姉妹都市・友好都市としてクリアウォーター市や石家
庄市との交流がありますし、一校一国運動も長野が出発点となって、
北京オリンピックまでつながっていますし、インバウンド(外国人
の訪日旅行、日本滞在)のお客さんも少しずつではありますが増え
ています。また、長野市の企業の海外進出も始まっているように思
いますが、何かもう一つ市民レベルの国際的視野・交流を高める手
段が無いものか・・・長野国際親善クラブ、長野JC、そのほか国
際化に取り組んでいる諸団体・・・いろいろな方々と今後相談して
みたいと考えています。
 1996年以降、ASPACを開催した日本の都市は、金沢、仙
台、高松で、長野は4番目になります。

 もう一つ、私が今回の誘致を応援しようとした思いの最大のもの
は、日本JCが展開している「OMOIYARI(思いやり)」運
動です。現在世界各地が抱えている紛争を危惧(きぐ)して、許容
性豊かで利他の心にあふれる運動として、日本JCが推進している
とのことですが、今回の誘致活動でも大きな影響力がありました。
 長野にとっては、宗派に関係なくすべての人を受け入れる善光寺
の7年に一度の御開帳の年に展開することの意義は大変大きいと感
じています。マータイさんの「もったいない」運動が環境への切り
口とすれば、「OMOIYARI」は、人類平和の象徴の言葉であ
り、日本語としてこの二つを世界に発信できれば、素晴らしいメッ
セージになると思います。

 松本空港への応援メッセージとしての長野ブロック協議会の心意
気も、今回行こうと決心した理由の一つです。少し前、日本航空が
松本からの札幌便の廃止を提案し、村井知事を中心に何とかしてほ
しいということで、交渉が行われ、かろうじて存続が決定したわけ
ですが、安心しているわけにはいかない状況でしょう。
 今回は、長野ブロック協議会が結束して、松本空港からチャータ
ー便を飛ばそうということで、メンバーを募集し、成立させたもの
です。いろいろ課題はあるようですが、空港利用率を少しでも上げ
ていくことが、応援になるであろうと感じています。今回はチャイ
ナエアラインでボーイング737-800という機種でした。往復
とも、快適な空の旅ができました。

2007年6月28日木曜日

長野市中心市街地活性化基本計画が認定を受けました


 前回は「エムウェーブ」と「スパイラル」がナショナルトレーニ
ングセンターに指定をしていただいた話を書きましたが、今回は、
長野市中心市街地活性化基本計画が、新しい中心市街地活性化法に
基づく認定を受け、5月31日に新装成った首相官邸での認定書授
与式で、内閣総理大臣の認定書を頂いたことについて報告します。

 従来の中心市街地活性化法では、市町村が基本計画を作成するだ
けにとどまり、意欲的な取り組みを国が集中的に支援する仕組みと
なっていないこと、国の窓口も多くの府省庁にわたっているなど政
府が一丸となって取り組む体制となっていないことなど多くの課題
がありました。

 そうした中ではありますが、長野市では、従来の法律に基づき、
長野駅から善光寺を中心とする長野地区、篠ノ井地区、松代地区の
三カ所を中心市街地に指定し、基本計画を策定した上でさまざまな
取り組みを行ってきたところです。
 特に、長野地区における、もんぜんぷら座、トイーゴ、ぱてぃお
大門の取り組みなどは、まちの皆さんが大いに力を発揮した事業と
して、国からも高く評価していただいているようです。また、市と
してもバブル崩壊、長野オリンピックの後、二つの大型店が倒産・
撤退するなど空洞化が深刻となっていた中心市街地の活性化に、大
きく寄与した事業であったと自負しています。

 昨年度改正された法律では、内閣に中心市街地活性化本部を設置
し、政府が一丸となって中心市街地の活性化策を推進するとともに、
やる気のある市町村の基本計画を内閣総理大臣が認定し、さまざま
な支援策を重点的に講じるという形になりました。
 これを受け、長野市では、さらなる中心市街地の活性化を目指し、
昨年度から、市民の代表者の皆さんと、中心市街地活性化基本計画
策定委員会を設置し、議論を重ねてきました。そして長野地区に限
定した新たな基本計画を策定し、中心市街地の活性化計画として
49の事業を位置付け、国へ申請したものです。この認定について
は、全国的には富山市と青森市が第一陣として今年2月に認定され
ており、早い者勝ちみたいなところがありましたので、第二陣には
何としても認定を受けたいと考えていました。今回一緒に認定され
た市は11市ですから、全国で合計13市が認定を受けたことにな
ります。

 今回の基本計画の特徴としては、旧基本計画は主として「点」と
しての拠点整備を進めるものでありましたが、新基本計画では、
「点」として整備されてきた各拠点を、善光寺表参道を軸に「線」
として結び、さらに「線」から「面」へとまちをはぐくむことを目
的としたこと、今後の人口減少、超高齢社会を見据え、歩くまちへ
の意識を強くしたこと、区域も「中心」という意味を強調するため
に少し狭くなったこと・・・などでしょうか。

 そして最大の特徴としては、内閣総理大臣の認定制度がとられた
ことでしょう。総理大臣認定の冠が付いたことで、中心市街地の活
性化は国の大プロジェクトであることを公にし、今まで以上に国が
支援をする、と約束してくれたものと解釈しています。もちろん、
相応の市の覚悟も必要となりますが・・・。

 中心市街地活性化は、私が市長就任以来、最も進めたかった事業
として、市政運営の中心に据えてきたテーマです。中心市街地は都
市の顔であり、先人が艱難(かんなん)辛苦して築き上げてきた結
晶であり、都市の魅力がぎっしり詰まっている地域だと信じていま
す。この地域の活性化は、将来の長野市に必ず大きな役割を果たす
はずです。

 なお、都市にはいろいろな顔があります。地域ごとの特色といっ
てもよいと思います。
 特に長野市には、長野地区以外にも二カ所の中心市街地がありま
すし、副都心と想定されている地域もあります。また、静かな住宅
街、官庁街、商店街、文教地区、工業地区・・・スポーツ・レクリ
エーション地区、田園地帯(農村地帯)、森林地帯・・・数え上げ
れば切りがありません。市域の70%を占める中山間地域も、長野
市にとって重要な役割があると思っています。

 中心市街地だけが、長野市ではないという声があることも承知し
ています。それぞれの地域ごとにそれぞれ役割分担があるわけで、
それぞれの地域が、その役割に応じて光り輝くように、行政として
は誘導していきたいと考えています。

 今、市制110年の節目の事業として、「地域の魅力再発見事業」
を実施しています。
 これは、それぞれの特色ある自然環境や歴史・文化にはぐくまれ
た市内各地域のお宝や地区の魅力を地域の皆さん自身に再発見して
いただこうというものです。古いもの、新しいもの、どちらでも良
いのです。市として保存する価値があれば大いに結構ですが、一般
的な価値が無くても構わない、地域の皆さんがこれを将来の子ども
たちに残したい、このまちの存在意義だ・・・そんな魅力やお宝と
呼べるものを出していただきたいとお願いいたしまして、昨年度中
に市内30地区から選考・推薦いただきました。
 現在は、地区の皆さんにご協力いただきながら取材や撮影を進め
ており、110周年記念式典等において写真パネルや映像でご紹介
する予定です。各地域のさまざまな魅力や特色、地域資源を再認識
していただくとともに、ふるさとに対する愛着や理解を深めていた
だく機会になればと考えています。
 都市内分権の話し合いの中でも、きっと将来も地域の大切な宝と
して受け継いでいこう、地域資源として活用していこうと地域の皆
さんの思いが一致するものがあるはずです。今回の事業をきっかけ
に、今後も住民自治協議会や公民館活動等を通じて地域の魅力を磨
き、大いに輝かせていただくことで、コミュニティの絆(きずな)
がさらに深まり地域が活性化していくことに、期待をしています。

 もう一つ、うれしいニュースです。
 丹波島子ども会育成会の皆さんが、6月2日に皇太子ご夫妻もご
出席された第18回全国「みどりの愛護」のつどいにおいて、みど
りの愛護功労者国土交通大臣表彰を受けられたことです。育成会の
皆さんは10年以上にわたり資源回収を行い、その補助金を資金源
にして花壇作りなどを行うなど、花と緑の愛護に特に著しい功績が
認められ今回の受賞となったそうです。育成会の皆さんだけでなく、
地域の支援が結実したもので、ほんとうにうれしい出来事です。

2007年6月21日木曜日

ナショナルトレーニングセンターの認定を受けました


 5月末、長野市の「エムウェーブ」と「スパイラル」が、文部科
学省から、ナショナルトレーニングセンター(NTC)競技別強化
拠点として国からの認定を受けました。
 また、「長野市中心市街地活性化基本計画」が総理大臣の認定を
受けました。これについては次週報告させていただくとして、今週
はナショナルトレーニングセンターについて報告をさせていただき
ます。

 エムウェーブは言うまでもなく、長野オリンピック最大の資産で
あり、国内唯一のスピードスケート室内ダブルトラック・リンクで
す。設置者は長野市で、オリンピック終了後に、第三セクターの
「株式会社エムウェーブ」を設立し、指定管理者として管理・運営
を委託しています。スパイラルは国内、いや東洋唯一の国際的なそ
り競技施設で、長野市が、今日まで運営をしてきました。
 しかしオリンピックの招致段階から、施設はたくさんできるので、
一つぐらいは国の施設(すなわちNTC)にしてもらいたい、とい
う思いは関係者の胸に常にあったわけです。
 NTCになれば何が違うかですが、それは長野市の自由裁量の余
地は減るでしょうが、国の大きな予算の中で運営されるわけですか
ら、市が単独で行うよりはるかに大きなお金を掛けてもらえる、そ
れによる活性化は著しいものになるであろうということです。

 1964年の東京オリンピックの時、東京には国立競技場をはじ
めたくさんの施設ができましたが、すべて「国立」です。以来今日
まで、運営はすべて文部科学省の外郭団体が、国の予算で運営して
います。1972年の札幌オリンピックの競技施設は北海道と札幌
市の予算で運営されています。

 東京、札幌の両オリンピックは日本の国威発揚期のイベントで、
何が何でも成功させなければという国家プロジェクトであったが故
に、国が大きく関与したわけです。
 しかしながら、長野オリンピックの場合は、長野がIOC(国際
オリンピック委員会)に1998年冬季オリンピックの開催地とし
て立候補した際の閣議了解によって、施設整備費は国が二分の一、
県が四分の一、長野市が四分の一を負担すること、施設運営費につ
いては基本的に長野市営(すなわち長野市負担)と定められた経緯
があります。
 今は国威発揚の時期ではない、地方の責任でやりなさい、国は応
援はするよ、ということかと思います。

 第三セクターの(株)エムウェーブの経営は、社長以下懸命の努
力をしていますが、市からの補助金が無くてはまだまだ無理な話で
すし、スパイラルは市から離れたらそれこそ成り立たないことは明
らかです。特にスパイラルは、市の財政構造改革懇話会から、長野
オリンピック記念基金(長野オリンピック終了時の剰余金)からの
補助が無くなったら(二年後ぐらいの予定)、廃止も視野に検討す
べきであるとの意見を頂いており、かなり苦しい状況でした。

 そこへ、今回、文部科学省から両施設をNTCに認定するという
朗報を頂いたわけですから、大変ありがたいと思っています。文部
科学省、JOC(日本オリンピック委員会)、各競技連盟のご協力、
そして小坂前文部科学大臣のご理解に心から、感謝しております。
 ただ、まだ詳細が決まったわけではなく、文部科学省と長野市教
育委員会の話し合いが重要になりますが・・・持続的な運営に向け
て一つのハードルを越えたことは事実です。

 NTCとして、どんな高機能な設備を備えるのか、どのような選
手育成条件を満たしてオリンピック選手を輩出していくのか、どの
時期から氷を張るのか、地域の応援体制をどのように整備するのか、
市民・子どもたちのスケート会場としての機能は・・・などなど、
まさにこれからが、正念場です。スケートを選手も含めて職とする
人、企業も集まってほしいものと感じています。

 全国中学生スケート大会が今後10年間、毎年エムウェーブで開
催されることも決定しました。また、本年度の冬季国体の開催も決
定しています。スケートのメッカとして、オリンピックを開催した
都市として、立派なNTCにしていきたいと考えています。

 話は変わりますが、6月13日、本年度市県民税の納税通知書を
発送させていただきました。毎年のことですが、なぜ本年だけ、特
に私がメルマガで取り上げさせていただいたかですが、二点につい
て理解していただきたいと感じたからです。

(1)地方自治体をはじめ、前から望んでいたことですが、国から
 地方へ税源移譲が行われました。すなわち、国税である所得税が
 減り、その分が市県民税で増えました。権限委譲をするには税源
 移譲が伴わなくては意味がないと地方が主張してきたことを、国
 は認めたということで、真の地方分権への一歩であると感じてい
 ます。
  このことは、制度設計の上では、増税と減税が同じ金額になる
 ようになっていますので、市県民税が増額になった分は所得税が
 減額になっており、しかも所得税の減額は本年1月分から既に始
 まっています。個人ベースで考えると、増税ではないことをご理
 解願います。

(2)バブル崩壊で景気が悪かった時期、何とか景気を良くしよう
 ということで、国は一時的な減税を行いました。定率減税という
 ことで、ここ数年間皆さんの可処分所得は間違いなく増えていた
 はずです。国は景気は良くなったと判断し、その減税分を昨年
 (18年度)半分廃止し、本年(19年度)残りの半分を廃止し
 ました。暫定的な減税分の恩恵が無くなったということです。こ
 のこともご理解いただきたいことです。

 6月13日に納税通知書が発送されてから、市の窓口には市民の
皆さんから、問い合わせが増えることが予想されましたので、財政
部職員を中心に、臨時に経験のある職員等を動員して、市民の皆さ
んへの説明に努めています。
 事前に、市報でのお知らせ、市ホームページなどでもご理解いた
だく努力をしてまいりましたし、私もいろいろな会合に出席させて
いただいた折のあいさつでもPRさせていただいていましたが、ぜ
ひスムーズな納税をお願いします。

2007年6月14日木曜日

葛巻町と小岩井農場を視察しました


 4月25・26日、岩手県の葛巻(くずまき)町と小岩井農場を
視察してきました。葛巻町は、新エネルギーの町として、また小岩
井農場は、日本一の民間総合農場の経営をしているという評判でし
たので、以前から一度訪ねてみたいと思っていました。

 私が長野市の重要課題として今考えていることの一つは、市域の
70%を占めている中山間地域の活性化です。その地域の農林業
(畜産も含む)は基幹産業だけれど元気がない、二酸化炭素削減に
向けて、何とかならないか・・・これらが共存できる政策を模索し
たい、そんな観点で視察してきました。

 岩手県葛巻町は、長野からは新幹線を乗り継ぎ、盛岡を過ぎて沼
宮内(ぬまくない)という駅で降りて、車で約30分、人口8千人
余りの町です。
 「北緯40度 ミルクとワインとクリーンエネルギーの町」のキ
ャッチコピーのとおり、酪農(ミルク)と林業(ワイン)を産業と
して確立し、自然エネルギー導入にも積極的に取り組んでいます。
 この町がすごいのは、これらを開発公社など第三セクターで進め、
開発公社と町役場が一体となり、開発公社主導で第一次産業を商売
として成立させ、開発公社は利益を上げ、町の雇用に大きく貢献し、
利益を町へ寄付もしているということです。
(1)まず牧場。人口8千人の町で、飼育している乳牛が1万4千
 頭、人口よりはるかに多いのです。牧草を育て、乳業が成り立っ
 ていること、預かり牛の預かり料は一日当たり一頭500円(長
 野市の戸隠牧場では180円(市外から来る場合は250円))
 です。高くても預ける人がいるということは、それだけ預ける側
 にメリットがあるということでしょう。
(2)山ブドウを育て、自前のワイン工場をつくって、営業活動を
 して、大変なブランドに成長している。しかも何より雇用を生み、
 利益を上げて税金を払っていること。
(3)クリーンエネルギーということで、行政と民間とで果敢に挑
 戦。大型風力発電の設置に取り組み、さらに、牛ふん・生ごみの
 バイオガスや端材などの木質バイオマスによる発電施設の整備な
 ど、町内には10の新エネルギー施設を有し、現在、町全体が消
 費しているエネルギーに対して自給率は78%で100%を目指
 していること・・・すなわちクリーンエネルギーが産業として確
 立しつつあること。
(4)山の上の牧場の一部に、観光施設・宿泊施設を造って視察や
 観光に来るお客さんを泊めていること。私たちもそこのホテルに
 泊めていただきましたが、とても瀟洒(しょうしゃ)な宿泊施設
 でした。隣接して売店や食堂、そしてバンガローを高級にした戸
 建ての宿泊施設も整備されていました。町には年間50万人ぐら
 いの方が訪れるそうで、十分もうかっている施設と拝見しました。

 第一次産業である酪農・林業の基盤の上に、乳製品やくずまきワ
インの第二次産業、そして交流・宿泊拠点となるホテルやコテージ
などの第三次産業を結び付けて、開発公社など主要な第三セクター
は黒字で経営しています。
 でも一番すごいのは、町民・職員の意識改革かも知れません。葛
巻は何も無い、どうしようもないというあきらめの心境だった町民
を、徐々に奮い立たせ、葛巻町民であることを、誇りに思える町に
したことは、時間もかかったでしょうが、その辛抱強さ、ぶれない
信念、そしてアイデア・・・大変な努力だなあと感心しました。
 町長は、町の職員になって、町営牧場担当から開発公社に出向、
前町長の意向を受けて20年以上も開発公社の仕事に従事、専務と
して開発公社の運営を軌道にのせて、町長に転身した方でした。そ
して後任の現在の専務は、ワイン造りの修行に派遣され、ワイン造
りに没頭した後、さらに開発公社を発展させている、「公社経営」
の鬼みたいな人と思いました。そして町民が、その活動を支持して
いること、ここまでくるには、歴代町長の苦しみ、それを支援して
きた町民の心意気・・・それにしてもすさまじい活力です。
 国や県の応援もあるのでしょうが、素晴らしい自立した町、そし
て酪農と林業とエネルギー産業で、まちづくりを行っている見本を
見せていただきました。

 翌日、小岩井農場を視察させていただきました。ここは、明治
24年に開設された農場で、共同創始者である小野義真(おのぎし
ん・日本鉄道会社副社長)氏、岩崎彌之助(いわさきやのすけ・三
菱社社長)氏、井上勝(いのうえまさる・鉄道庁長官)氏の三名の
頭文字をとって「小岩井(こいわい)」と命名されたとのこと、当
時は貴族が各地で牧場を開設した例は多いのだそうですが、必ずし
も成功しなかった、その中で、小岩井農場は三菱社の岩崎久彌氏が
経営を引き継ぎ、以来100年以上営々と経営を引き継いで今日の
隆盛を築いてきているとのことです。

 葛巻町の牧場も、創業期には小岩井農場から二代続けて専務理事
を迎え、その牧場経営の神髄を学んだとのことでした。

 小岩井農場は岩手山の南麓(なんろく)にあり、面積3千ヘクタ
ール(約900万坪)の広い敷地で、その3分の2が山林、700
ヘクタールが耕作地で、中央部の40ヘクタールほどを「まきば園」
として一般客に開放し、残りの部分が施設用地になっているとのこ
とです。

 事業案内をみると、酪農事業、種鶏事業、たまご事業、山林事業、
環境緑化事業、農場商品販売事業、観光事業、技術研究・品質保証
・環境対応などで、農林畜産業を基軸に時代の要請に挑戦と書いて
ありました。

 一番感心したのは、山林事業です。1千平方メートルを毎年植林
し、翌年はその隣に植林していく、法正林(ほうせいりん)という
手法だそうですが、それを100年繰り返し、100年たったら最
初に植林した木を伐採し、また、そこへ植林する計画とのことでし
た。広大な土地があるからできることでしょうが、そのスケールの
大きさにすっかり魅せられてしまいました。

 それぞれの内容はとても語りつくせませんが、牧場経営から派生
していろいろな産業に手を伸ばしている、まさに21世紀型の産業
と感じました。例えば、酪農事業といっても、牛づくり、乳製品を
つくるだけでなく、バイオマスによる「自然エネルギー」すなわち
畜産バイオマス発電に取り組んで、メタン発酵発電施設を造るなど、
循環型社会に向けて挑戦していました。

 以上、駆け足で葛巻町と小岩井農場を訪問した報告ですが、後者
については、我々の想像を絶する規模と歴史をもった農場でしたの
で、参考にすることは難しそうですが、葛巻町の取り組みについて
は、長野の中山間地域経営の参考になる素晴らしい取り組みと思い
ました。

2007年6月7日木曜日

映画「不都合な真実」を見て


 4月21日、環境保全協会にいる友達から薦められて、久しぶり
に映画を見ました。環境問題、なかんずく地球温暖化阻止に向けて
二酸化炭素削減の重要性を強調した映画「不都合な真実」で、アメ
リカ合衆国のアル・ゴア元副大統領が、正面からこの問題に取り組
み、世界中に警告を発するという内容でした。
 そして真実を明らかにすることは、為政者にとって(もちろん一
般市民にとっても)不都合であるが故に、あえて「不都合な真実」
という題名で世に問うた映画で、私には、特に京都議定書から離脱
しているアメリカの政治家・世論に対し警鐘を鳴らしているドキュ
メンタリー映画と感じました。

 「人類唯一の故郷(ふるさと)、それが今、危機に瀕(ひん)し
ているのです。それは人道的な問題なのです。それを解決するのは
あなたです。」「世界貿易センターの記念碑が建てられる場所は、
やがて水底に沈む。世界の問題はテロだけではありません。」
 為政者が問題を先送りしているが、もうそれは許されないという
ことでしょうか。

 そしてパンフレットには「私にできる10の事」が書いてありま
した。
(1)省エネルギー型の電化製品や電球に交換しましょう。
(2)停車中は、エンジンを切り、エコ・ドライブしましょう。
(3)リサイクル製品を積極的に、利用しましょう。
(4)タイヤの空気圧をチェックしましょう。
   車の燃料基準を上げれば、無駄なエネルギー消費を防げます。
(5)こまめに蛇口をしめましょう。
   水道の送水に使用されるエネルギーを削減することが出来
   ます。
(6)過剰包装、レジ袋を断りましょう。
   買い物は、このリサイクル・エコ・バッグを使いましょう。
(7)エアコンの設定温度を変えて、冷暖房のエネルギー削減をし
   ましょう。
(8)たくさんの木を植えましょう。
   一本の木は、その生育中に1トン以上の二酸化炭素を吸収す
   ることが出来ます。
(9)環境危機について、もっと学びましょう。そして学んだ知識
   を行動に移しましょう。
   子供たちは、地球をこわさないで、と両親に言いましょう。
    に勧めましょう。

 「人類唯一の故郷うんぬん・・・」の文章と「私にできる10の
事」の内容の差に、若干の戸惑いを感じていますが、地球は危機状
態にある、しかし私たちにとっては、一つ一つの小さなことの積み
重ねが重要なんだ、ということを主張しているのだろうと感じてい
ます(ただ、ゴア元副大統領が警鐘を鳴らすのなら、もう少し大き
な・・・例えば戦争をやめようとか、環境重視の「持続可能な経済」
にシフトしようとか、化石燃料を減らすための具体的な大きな政策
を打ち出してほしかったという感じなのですが・・・・)。

 アメリカが、なぜ京都議定書から離脱したのか・・・アメリカ経
済に悪い影響があるということだそうですが、ゴア元副大統領はそ
れではいけないと言っているのでしょう。
 そのことは、日本にとって、あるいは長野市にとっても同じこと
が言えると思います。経済を犠牲にしても地球を救わなくてはなら
ない、この映画はそんなことを主張しているのだと思いました。第
79回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞と歌曲賞の2部
門を受賞したとのことです。

 行政として地球温暖化対策を考えると、省エネルギーを進めるこ
とや、化石燃料に替わる太陽光や風力、水力、バイオマスエネルギ
ーなどの新エネルギーを積極的に活用していくこと、この二つを両
輪とした施策を推進する必要があります。
 
 具体的には、以前に第219号のメルマガでも紹介しましたが、
長野市では民間のノウハウや資金を活用し、省エネルギー化を実現
しようとする「ESCO事業」を長野運動公園総合運動場で導入し
ています。年間800トン余りの二酸化炭素の削減を見込んでおり、
これは、約570人の長野市民が1年間に家庭(自家用車を除く)
で排出する量に相当します。
 ここでの導入効果を見極めながら、ほかの公共施設への導入を推
進していきたいと考えています。また、効果をPRすることで、民
間のビルや工場などへも普及してほしいと期待しています。

 新エネルギーの活用では、既存の砂防ダム放流管を利用した小水
力発電施設の事業化を進めています。モデル事業として、発電電力
を小・中学校へ供給するとともに、環境教育の場としても活用を考
えています。公共施設にも、施設ごとに、どういった新エネルギー
設備を導入することが可能なのか、具体的な調査・検討も始めます。

 全国で、NPO法人などが主体となり市民ファンドを活用した風
力発電や太陽光発電などの新エネルギー設備設置の活動も起きてお
り、地球環境保全の意識も高まってきているのではないでしょうか。

 ただ、環境問題で有名なレスター・ブラウン博士は、バイオ燃料、
特にバイオエタノールをガソリンの代替品として使うことは(ブラ
ジルをはじめ、日本でも首都圏で使われ始めています)、現に食料
価格の高騰を招いており、より大きな問題を引き起こしかねないと
警告していました。
 また、風力発電について長野県内でも、景観上あるいは渡り鳥な
どへの影響から反対の動きもあります。
 化石燃料を減らす取り組みもすべてがうまくいくとは限らないこ
とを示しているのでしょう(市長就任前のことですが、アメリカの
サンフランシスコからヨセミテ国立公園へ行く途中、見渡す限りの
大草原で、数え切れないほどの風力発電の風車が稼働していた景色
を思い出します)。

 最近、日本の安倍首相は、2050年までに二酸化炭素などの温
室効果ガスを現在の半分にしようと国際社会に提案していますが、
世界中が歩調を合わせ、自国の利害を抜きにして取り組む必要を感
じています。
 先ほども触れましたが、「世界市民の一人」という気持ちをもっ
て、いかに二酸化炭素の排出を減らすか、エネルギー消費量を減ら
すか、経済活動や生活習慣を徹底して変えることは、現実にはなか
なか難しいことかと思いますが、できることから協力していく「自
発的協力」の積み重ねが大切だろうと思います。

 長野市でもこの6月1日から4カ月間、夏の軽装いわゆるクール
ビズが始まりました。今年で3年目を迎えたクールビズですが、年
々浸透してきていると感じています。ささいなことかもしれません
が、ライフスタイルを変えていくきっかけとして定着させていきた
いと思っています。

 今後も、エネルギー消費の抑制や二酸化炭素の排出削減に向けた
施策を推進し、本市の消費エネルギーを2010年までに1990
年レベルに戻すという目標に少しでも近づけるよう取り組んで参り
ます。

2007年5月31日木曜日

農業集落排水事業が完了しました(2)


 前回は、篠ノ井山布施地区の農業集落排水事業の完成や、公共下
水道事業の経緯などを書かせていただきました。

 今回は、前回の話を整理して、下水道事業を総括的に記してみた
いと思います。
(1)公共下水道
 ア 単独公共下水道(単独というのは長野市という意味です)
 イ 千曲川流域関連公共下水道(上流・下流があり県と周辺市町
  村の共同事業です)
 ウ 特定環境保全公共下水道(飯綱・若穂・松代・戸隠・鬼無里
  の一部。農業集落排水事業と似た事業です)
(2)農業集落排水事業(市内21カ所。公共下水道に比べて規模
 が小さいため、コストはどうしても高くなります)
(3)合併処理浄化槽

 なぜ三本柱になっているかというと、国土交通省・農林水産省・
環境省にそれぞれ補助制度があり、その違いが原因で、長野市も担
当課がすべて違っています。しかし目的は全戸水洗化ですから、長
野市としては少しでも早く整備を進めるためすべての方策を導入し
ているわけです。

 今後について、市民の皆さんにお願いですが、公共下水道地区、
農業集落排水地区のいずれかに属し、すぐに接続できる状態であり
ながら、まだ接続されていない方々につきましては、一日も早く各
ご家庭の接続工事を実施していただき、施設が十分に生かされ、生
活環境がより改善されるようお願いします。

 また、三本柱の中で圧倒的に区域が広い公共下水道管敷設工事で
すが、市長就任以来、下水道の敷設が行われていない地域の皆さん
から、極めて強い要望が寄せられ、私も市民の公平感から、一日も
早く完成させたいと思った事業でしたので、特に力を入れて推進し
てきたつもりです。
 そこで、平成15年3月には下水道計画の見直しを行い、今後整
備完了までに従来20年間としていた下水道整備計画を、整備期間
を5年短縮し向こう15年間で完成するという目標を立てました
(平成15年度末の段階での人口普及率は68%を見込んでいまし
た。農業集落排水や合併浄化槽に力を入れてきたのも、全戸水洗化
を一日も早く実現したいとの思いからでした)。

 公共下水道の完成に向けては、市水道局が中心になって一生懸命
工事に取り組んでおり、現在の公共下水道事業人口普及率は、平成
18年度末で、78.3%、農業集落排水などを含めた全体の普及
率は約83.7%になりました。そして平成24年度までにほぼ完
成する予定です(“ほぼ”と申し上げているのは、どうしてもでき
ない場所が残る可能性があるからです。15年間という目標を実質
的にさらに短縮しようというものです)。

 ただ建設工事がほぼ終わっても、すべて終わりではありません。
次のような問題があります。
(1)工事が難しい場所は引き続き努力しなくてはなりません。
(2)市民の皆さんに下水道管を接続していただかなくてはなりま
 せん。
(3)古い管は昭和28年ごろから建設していますから、不断のメ
 ンテナンスが必要です。
(4)市民の皆さんにご負担いただく料金の統一問題(公共下水道
 ・農業集落排水・合併浄化槽)があります。
(5)下水道経営は上水道と合わせて、長野市水道局の経営です。
 健全経営をしていかなくてはなりません。技術的な改良も常に研
 究していかなくてはなりません。
  一番大切なことは、建設中に積み重なった約1,200億円の
 企業債の返済です。

 以上、こう考えてみると、全戸水洗化という事業は、なかなか終
わりのない、しかし行政にとっては、重要な事業であるということ
が、お分かりいただけたのではないかと思います。大切な文化的な
生活、水質の良化にとって重要なインフラ(生産や生活のための基
盤となるもの)です、全力を挙げて取り組みます。