2003年12月25日木曜日

「読書よもやま話」


 暮れも押し迫って、本年最後のメールマガジンを書く時期になっ
てしまいました。何を書くべきかテーマが定まらなくて迷ったり、
逆にこのタイミングであれもこれもと欲張ってしまったり・・・・。
週末近くになると「来週の原稿はまだですか?」なんて催促されそ
うで、結構プレッシャーを感じます。「市長週刊日記」のつもりで、
平成14年4月にスタートしたのですが、もう90号(号外は除く)
近くなってしまいました。下手な文章に付き合っていただいた方々
には、ただ感謝あるのみです。

 年末ですので、市政のことから多少離れますが、今年読んだ本の
話をさせて下さい。昼間は本を読む時間があまり無く、帰宅後もメ
ールに返事を書いたり、メルマガの原稿を作ったり・・・、寝なが
ら本を読む癖もあったのですが、最近はすぐ眠ってしまう有様で、
雑誌、新聞や小論文以外には、読書の機会はかなり減ってしまいま
した。それでも上京時、往復の新幹線の中や車の中で、何冊か努力
して読みました(以下、恥ずかしながら若干の読後感を入れさせて
いただくことを、お許しください)。

1.塩野七生著「ローマ人の物語」 先ごろ発売された第12巻は
  ようやく購入したばかり、まだ読んではいません。でもこの本
  は、12年前からの愛読書です。ローマの起源から書き起こし
  た大作で、1年に1巻づつ出版されています。第11巻までの
  感想とすれば、2000年以上の昔、共和制からなぜ帝政にな
  ったのか、なぜあんな大きな帝国が維持できたのか、そして公
  共事業とは何か、等々その真髄が見事に描かれている本だと思
  います。

2.ビョルン・ロンボルグ著「環境危機をあおってはいけない」 
  環境重視派の方々にとっては、目を剥くような題名の本ですが、
  こういう主張もあることを知っておきたい、と思って買ってみ
  ました。国連等の統計資料を駆使して、現在の地球環境は必ず
  しも悪くなっていないのではないか、という主張をしている本
  でした。京都議定書に懐疑的な彼の主張に、真偽はよく分かり
  ませんが、かなりの説得力があるように感じました。ただ地球
  温暖化の傾向についてだけは、彼の主張に納得できませんでし
  たが・・・・。

3.ジョージ・オーウェル著「動物農場」 この本は私達の高校時
  代、英語の原書講読の授業で読んだ本ですが、最近の世情の中
  で、何となくもう一度読みたくなって、今度は日本語の文庫本
  を買って読んでみました。昔、英語の授業で、先生がCOMRADES!
  (同志諸君!)という豚の呼びかけをやっておられたのを懐か
  しく思い出しました。社会主義独裁への皮肉がテーマの本です
  が、何となくユーモラスで、でも怖い本でした。独裁者のパタ
  ーン、そしてその仮面の下の実態が描かれた本です。

4.ジョージ・オーウェル著「1984年」 この題名(昭和59
  年)は、まったく無意味だそうです。これも社会主義を風刺し
  た本なのでしょうが、なんとも後味の悪いというか、こんな社
  会にだけはしたくない、と思わせる内容でした。「動物農場」
  を買うとき、この小説の方が有名だということで一緒に買って
  読んだのですが、途中何度も止めたくなりました。常時誰かが
  見張っている社会、そんな社会はあるはずもないのですが、場
  合によっては「国民総背番号制反対」運動の論拠になりそうな
  感じはありました。

5.新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳「武士道」 明治33年、新渡戸
  稲造(38歳)がアメリカ滞在中に、外国人に日本人のことを
  理解してもらうために英語で著した原作を、元東大総長が訳し
  た有名な本です。日本人の思考法・価値観、あるいは行動規範
  を欧米人に分かってもらうために「武士道」とは何か、という
  ことを解説された書と言われています。原本をルーズベルト大
  統領が読み、友人達に贈ったという逸話が残っているくらい、
  確かに素晴らしい本だと思います。若干今の時代では受け入れ
  られない部分もあるようには思いますが、現在の日本人が忘れ
  ているものを教えてくれる本と思います。その中の一文「武士
  道は、我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかっ
  た。(中略)主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために
  自己の良心を犠牲にするものに対しては、武士道は低き評価を
  与えた。かかる者は『佞臣(ねいしん)』すなわち腹黒き阿諛
  (あゆ)をもって気に入ることを求むる『奸徒(かんと)』と
  して、或いは『寵臣(ちょうしん)』すなわち卑屈なる追従に
  よりて主君の愛を盗む嬖臣(へいしん)として賤しめられた。
  誰かに聞かせたい文章です。

6.童門冬二著「上杉鷹山」 ケネディ大統領が鷹山を知っていた
  という話は有名ですが、江戸時代こういう殿様が存在したこと
  に感激しました。夜中に読んだのですが、この本は明け方近く
  までかかって、一気に読了しました。途中不覚にも、何度か涙
  がこぼれて仕方ありませんでした。

7.長 尚著「田中康夫 長野県知事の虚像」 過去、信大の長先
  生が、ご自分のホームページで知事批判、脱ダム宣言の不当性
  を主張しておられたことは承知していましたが、それをまとめ
  て一冊の本にされて出版したものです。新聞や県のホームペー
  ジに載った田中知事の言動・行動をきちんと整理され、私達に
  も理解しやすくまとめたものです。巻末に公共事業の入札問題
  についての提案をされていますが、大変参考になる部分です。

8.矢幡洋著「アイドル政治家症候群」 ある方が「これ面白いよ」
  と届けてくださいました。抱腹絶倒、よくもここまで分析して
  くれたものだ、と面白く読ませていただきました。

9.佐々木信夫著「市町村合併」 先生は現在中央大学の教授、先
  ごろ長野市・豊野町・大岡村・戸隠村・鬼無里村の任意合併協
  議会が主催した合併シンポジウムで、記念講演をしていただき
  ました。合併協議の中で、大変参考にさせていただいた本です。

 文庫本が多くてまとまった物が少なく、お恥ずかしい次第です。
今思い出したのですが、戸隠の村長さんから「戸隠の鬼」という本
をいただき、面白く読ませていただきました。村長さんにお聞きし
ますと、戸隠を題材にした本は山ほどあるそうです。また、年末に
お届けいただいた信大の吉田俊弥名誉教授の「長野県のダム問題を
考える」という投稿記事(建設オピニオン誌)も興味深く読ませて
いただきました。

 雪がちっとも降らなくて、スキー場は大変だと心配していました
が、どうやら本格的な冬が訪れました。年末年始は大勢のスキー客
を迎えたいものです。可能なら、私も二、三冊本をもって、温泉の
あるスキー場へ行って、こたつにあたりながら本を読んだり、少し
スキーをやって、酒を飲んで、風呂に入って、そして居眠りして・
・・・、そんなことが出来れば最高だなあなんて夢をみています。

 元気で良いお年を迎えられますよう、そして来年も又、メルマガ
をご愛読いただきますようお願いし、年末のご挨拶とさせていただ
きます。

2003年12月18日木曜日

元気なまちづくり市民会議が終了しました


 2年前の11月、私は市長に就任し、市民の皆さんと行政が協働
(コラボレーション)で、元気なまちづくりを進めていくために、
広報広聴の充実(広く市民の声を直接お聴きすること、行政情報は
積極的に公開し、説明・説得責任を果たすこと)に努めてきたつも
りです。

 市内26地区(28会場)全てで開催する「元気なまちづくり市民会議」
はその広報広聴活動の根幹をなす事業であり、昨年度に引き続き、
1.それぞれの地域において皆さんの集まりやすい日時の設定
 (土・日・平日の夜いずれもOK)。
2.誰でも自由に参加、発言できる懇談会としたい。
3.自由討議にウエ-トを移したい。
などの意向を区長会にお願いし、実施をしてまいりました。

 また、広報と広聴は表裏一体のものと考え、前段の市長あいさつ
として、15年度の重点課題(市町村合併の推進、行政改革の推進、
公共交通機関の再構築など)などについて、昨年度から使い始めた
プロジェクターを使用して説明・説得責任を果たすことに努めまし
た。さらに、あらかじめ地区の皆さんから出された意見・質問につ
いてのお答えは、私に同行した部長達が、それぞれ工夫して作った
スライドを使って説明をさせていただきました。道路や河川、都市
計画に関する質問に対するお答えは、地図を使った説明ができるた
め、分かりやすいということで、好評だったように思います。

 本年の特殊事情で、「元気なまちづくり市民会議」とは別に、市
町村合併に関する市民会議を11回先行して開催したこと、9月に
は市議会議員選挙があったこと、等で大変タイトなスケジュールの
中でしたが、7月26日の芋井地区を皮切りに、11月29日の第一
地区を最後に、今年度の開催予定を全て終了しました。

・28会場の参加者合計は、3,822人で、内1,185人(31
 %)が女性の方でした。
・臨時託児所を開設したのですが、利用者は6会場で19人という
 結果であり、PR不足を痛感しました。
・地区の提案議題・回答の要旨と昨年の提案事項の処理経過を、当
 日の資料として参加者全員に配布しました。
・自由討議の時間の確保に努めた結果、あらかじめ提出された議題
 の討議に要した時間は56分、自由討議に要した時間29分とな
 り、ほぼ2:1という結果でした。

 当初予測していたより建設的な自由討議ができたように思います
が、本当に自由闊達な議論を戦わす市民会議の実現には、もう少し
時間を要するかなと感じました。

 終了後、全ての会場で市民会議に関するご意見をアンケートさせ
ていただきました。その中で主なものを報告させていただきますと、

・自由討議は歓迎する。更なる充実を図り、議論が深まる会議を目
 指してほしい。
・自由討議の時間をもっと取ってほしい。
・役員など一部の者だけでなく、地域の誰もが出席でき、自由に発
 言できる会議となるよう工夫を要する。
・プロジェクターによる市政報告、説明は大変分かりやすかった。
・提案や回答の要旨、昨年の提案事項の処理経過、プロジェクター
 の説明資料等を印刷し、出席者全員に配布していただいたことを
 評価する。

 等々、肯定的なご意見をいただいた反面、

・若い世代の参加が少ない。
・開催について、地域へのPR不足。
・飛び入りで自由に発言できる雰囲気とは言い難い。
・提案、答弁が議会のやり取りのようで、懇談会の雰囲気には程遠
 い。
・担当部長の答弁が長すぎる。

 などの指摘も含め、数多くのご意見をいただきました。

 今後に向けて、アンケート結果を踏まえ、「現場主義に徹するこ
と」「広報・広聴活動の推進」「情報公開の充実」を行政運営の基
本姿勢として、更に市民会議の充実・拡充を図ってまいります。

 なお、地域単位の「元気なまちづくり市民会議」だけでなく、私
が現場に出かけて行って開催する「移動市長室」や、ボランティア、
女性、農業、商工団体、中山間地、外国人、子ども等々、職能別、
あるいはグループ別の市民会議も開催しております。

 それぞれの会場でいただいたご意見ご要望は、整理して担当者と
議論しながら、できるものから実現しようと心がけています。

2003年12月11日木曜日

イベント企画と資金集めについて(その2)


 先週号では、こういう不況時代ですから、継続を前提としたイベ
ントを企画する場合、主催者は組織力と工夫、そして、何よりも情
熱が必要だということをお伝えしました。

 今週は、もう一つの大きな課題である資金集めについて、私の考
えを書いてみたいと思います。

 イベントの活動資金を集めるということは、確かに誰でも簡単に
出来る仕事ではありません。そのため、資金集めをイベント企画会
社にお願いした場合には、委託料を支払うことになりますが、行政
が絡んだイベントの場合、リベートと見られるようなことに行政が
関与することはあってはならないことです。ましてや選挙の後援会
に絡む方の場合は、癒着と言われる危険性があると思います。

 そういう意味では、県議会の議論の中で、インフィオラータの資
金集めに関する知事の関わり方について「疑惑がある」という話に
より、そのイメージが随分ダウンしてしまって、関係企業に敬遠さ
れたのではないかと心配しています。

 新聞報道で知る限りであり、真偽のことは分かりませんが、知事
支援の政治団体の前代表が社長を務める東京都内のイベント企画会
社に、スポンサー契約の取りまとめなどの委託料として、約390
万円を支払っていたということですが、純粋な気持ちであの花びら
を並べてくれた子供達やボランティアの皆さんの気持ちを考えると、
どうも納得がいかないという気持ちになるのは私だけでしょうか。

 話は違いますが、長野オリンピック招致委員会の帳簿紛失問題に
ついて、我々は既に決着がついたものと思っていますが、知事が調
査するとおっしゃって、いまだに尾を引いているようであり、これ
もあの素晴らしいオリンピックのイメージを落とす話で、市民にと
って気になる話です。

 オリンピック(今の時代、インフィオラータもそうかも知れませ
ん)のような地域の中だけでは解決できない大型イベントの場合、
全国的あるいは世界的にお願いして歩き、あの手この手でお金を集
めたことによって大成功したことは事実です。純粋に宣伝効果を計
算し、スポンサーとなった企業もあるでしょうが、義理を立て、あ
るいは長野のために仕方ないと考えてスポンサーになってくださっ
た企業もあるはずです。

 個人的なことで恐縮ですが、私も市長就任前は長野商工会議所の
副会頭という立場で、色々な寄付金集めに携わってきました。オリ
ンピック前で、まだ景気が良かった時代ではありましたが、いくつ
ものプロジェクトを抱え、辛かったことを思い出します。ある時期、
友人の会社社長にアポイントを入れたら「今度は何の金集めかね?」
と言われたこともありました。

 オリンピック招致段階の資金集め、セントラルスクゥエアの表彰
式会場づくりのためのタイルによる資金集め、オリンピック文化プ
ログラム(全てではありません)実行のための資金集めのような一
時的な資金集めのほか、アスペン音楽祭のように10年間続けたも
のもありました。長野びんずるやえびす講煙火、あるいは町のお祭
りのように長い間の伝統に支えられた寄付集めもあります。数え上
げたら切りが無いのですが・・・・・概して一時的な資金集めより、
毎年お願いしていく方が大変だったように思います。

 もちろん私一人でやったのではありません。街の活性化を担う皆
さんが例えば「えびす講煙火」「ニコニコお祝い花火」「びんずる」
「ながの歳時記」等のビッグイベントをはじめ、地域のお祭り等で
も頭を下げて歩き、頑張っていただいています。これらの皆さんの
努力が無ければ、街は火が消えたように寂しいものになってしまう
と思います。

 そして自信をもって申し上げられることは、その間にリベート等
に類するものは一切無かったこと。資金使途は明確に報告され、疑
念が生じないこと。加えてお金を集める人は自分がまず出すのが当
たり前ということです(出さなければ他人は応じないでしょう)。
「税外税だ」と批判される方はいるでしょうが、それがあるから、
市民社会は運営されていくし、コミュニティが保たれていくのだと
思います。

 インフィオラータは残念ながら来年は休止です。でも市民の皆さ
んが素晴らしい経験をしたが故に、永久に止めです、とはなかなか
言えるものではないと思います。このプロジェクトをどうすべきか、
議論して可能性を検討したいものです。

 長野市とすれば引き続き応援していきたいとは考えていますが、
企業の動向や県の動向いかんでしょう。今回の休止発表はイベント
を企画する場合において、一回だけなのか、長期にやることを目指
すのか、後のことを考え、多くの人と良く話し合ってから実行に移
すべきだということを、学ばせてもらいました。

2003年12月4日木曜日

イベント企画と資金集めについて(その1)


 長野の新しい春の名物になることが期待されていた花の祭典、
「インフィオラータ・イン・NAGANO」について、長野商工会議所
が来年は一時的に休止すると発表したことが新聞に掲載されました。
2年間、素晴らしい企画のもとで、小学生を含む大勢のボランティ
アの皆さんが一生懸命に頑張り、“花の芸術”といってもよい、素晴
らしい花のじゅうたんを作っていただき、多くの観客を集め、長野
の名を高めていただいたイベントが一時的ではあるとしても、休止
されることは誠に残念です。しかしながら、不況の時代、資金集め
が難しいようであり、仕方がないものと感じています。

 いつの時代も同じことなのでしょうが、何かを作るとか、何かイ
ベントをやるとかという場合、どうしてもお金が必要であり、その
企画者・責任者にとってお金の工面は一番頭が痛い問題です。特に
現在のような不況の時代、行政が全てやることは無理ですし、個人
が出せるお金には限界があります。企業も最終的には利益をあげる
ことが目的ですから、費用対効果を考えてなかなか渋い。したがっ
て趣旨を理解してくださる企業は本当にありがたいわけですし、大
いに宣伝してあげるからよろしくと申し上げたいのですが、なかな
か企業が見つからないのが現実です。
   
 個人が自分の家を造る場合には、自分の責任でお金を用意するわ
けで、自分のお金だけでは足りない場合、親・兄弟・知人に頼み、
それでも足りなければ金融機関から借金してローンを組むのは当た
り前であり、当然のことながら自己責任で返済することになります。

 行政においても原理は同じです。例えば市民会館を造る場合、長
野市の場合には、いずれ造ろうということで先輩の皆さんが基金を
つくってくださっていますが、足りなければあらためて予算を組ん
で、市議会の了解を得なくてはなりません。国や県から補助金をい
ただける場合もあるでしょうが、市民会館の場合は無理でしょう。
足りない場合は借金(市債)することになりますが、返済をしなく
てはならないことは当然です。

 最近はまず無いと思いますが、例えば学校のプールを造るような
場合、昔は行政も貧乏な時代ですから、地元負担ということで、寄
付金を、生徒の保護者、卒業した同窓生、あるいは地元企業などに
お願いすることは普通に行われており、また地域の皆さんも自分達
の学校ということで、渋々であってもなんとか出してくださったわけ
です(最近は、PTAが行う家庭の不要品バザーについても、抗議
の電話がくる場合があるとのことで、お金集めは極めて難しく慎重
にならざるを得ないようです)。

 そこで、インフィオラータの件です。このイベントは田中知事さん
の発案で2年続けて行われました。長野市としては、長野商店会
連合会が中心となって行われている「善光寺花回廊」に併せて資金
的な応援(2千万円)を行っています。

 全国に発信できるイベントとして考えた場合、あの発想と企画力
は、普通の者では無理でしょう。知事の発想力と度胸が、今岡氏と
いう凄い発信力を持ったプロデューサーを連れてきた、そのことに
は敬意を表しますし、ボランティアが大勢参加し、新しい長野の風
物詩をつくったといえると思います。

 しかし、問題は2つあると思います。(1)2日間のイベントと
しては費用が多額すぎる、もっと節約できないか。(2)資金面を
クリアするためには、どうしても企業協賛が必要であり、それも地
域の企業だけではこの不況の時代には困難であり、ナショナルブラ
ンド企業の応援がどうしても必要なのですが、安定的なお願いは無
理だった、ということでしょう。

 時代は違いますが、例えば長野びんずるをつくった当時の過程に
比べると、突然出てきたお金がかかるイベントだけに、継続性を考
えた組織づくりが充分ではなかったと感じます。

 最近では、今年2月に行われた善光寺のライトアップ(善光寺ゆめ
常夜灯)があります。青年会議所(JC)と商店街の皆さんが熱心
に取り組んでくださいましたが、あのイベントは、石井さんという
素晴らしい照明デザイナーをJCの皆さんが熱心に口説いてくれた
おかげで破格の費用でやっていただき、費用対効果は極めて良かっ
た。夜の行事ですから小学生のボランティアには参加していただけ
ませんでしたが、商店街や若い人に支えられた素晴らしいイベント
でした。市民の皆さんの意見にもよりますが、次年度以降も継続す
る可能性が高いと思います。

2003年11月27日木曜日

市長就任以来、2年間が経過しました(その2)


 先週は、市長に就任してから変わったことや感じたことを書かせ
ていただきました。今週は、市長として取り組んできたこの2年間
を振り返るとともに、今後の2年間に向けて私が考えていることに
ついてお知らせしたいと思います。

 まず、この2年間の取り組みですが、1点目として取り組んだの
は、「もんぜんぷら座」です。私にすれば、「街の真ん中に大きな
空洞ビルを何年も残せない、街の求心力が無くなってしまう。」何
とかしたいという思いは商工会議所の副会頭時代からのテーマでし
た。議会や市民の皆さんの了解を得て、何とか当面の課題を解決し
ました。

 2点目は、情報公開、説明責任をきちんとやることです。情報公
開ということは当たり前で、改革でも何でもない。ただ何を公開す
るか、誰にでも分かりやすい形で出来るか、ただしゃべる、演説す
るだけなら誰にでも出来る。行政特有の言葉でぼやかしたりせず、
分かりやすく、誰にでも分かる言葉で、最終的には説得責任を果さ
ない限り、行政の責務は果たせないと私は考えました。就任4か月
後に考えたことは、

 (1)メールマガジンを毎週出し、私の考えていることを多くの
    人に伝えたい。
 (2)長野市の職員と理念の共有を図りたい。「首長が絶対では
    ない、組織を大事にしたい」ということを分かってもらう
    ため、職員と議論したい。
 (3)市民会議等で、自由討議の時間を取って欲しい。そして、
    ただ説明しても理解は難しい、分かりやすい道具を使おう、
    それはプレゼンテーションとしてプロジェクターを使うこ
    とだ。

 以上のことを考え、実践してまいりました。

 3点目は、現場主義に徹しよう、自分の目で見ないと信用できな
い。同時に職員を信用して自分の個人的見解で外部にモノを言わな
いようにしようということです。

 就任直後に私は行政については素人であることを実感しました。
就任するまで行政のことは大体分かっているつもりでしたが・・。
行政のことは何も知らなかったということです。以来、勉強しまし
た。素人考えを行政に入れるためには、行政を徹底的に知って役人
の世界に負けないように頑張る、ということが必要と思いました。
自慢にはなりませんが、昔の大学受験の時代も含めて、この2年間
ほど勉強したことはないと思います。職員とのコミュニケーション
も随分やっているつもりです。まだまだ足りないとは思いますが・・。

 私も自分に課していることがあります。それは、しゃべる前に役
所内で充分議論し、職員を説得してから外部に向けて発表する、と
いうことが原則である、ということです。

 4点目は、これまでの2年間を大きく分けるとするならば、1年
目はPLAN(計画)の年、2年目はDO(実行)の年と位置付けてきた
ことです。

 1年目は行政改革大綱や長野市の総合計画後期基本計画の見直し
等、議論しプランを策定することに終わったように思っています。
今年(2年目)は、その計画に従ってDO、すなわち“やる”年と位
置付け、行動しているつもりです。1年で終わるような簡単なもの
はありませんが、少しずつ手応えを感じています。

 5点目としては、長野の最大の資産、恵まれた自然を市政にどう
生かすかということを、常に市の施策の中に取り入れるということ
です。トレッキングをやろうということで、七二会地区をはじめ各
地を結構歩き回りました。大きな実績となるにはもう少し時間がか
かるかも知れませんが、各地で少しずつ芽が出てきたように思いま
す。

 そこで、今後の2年に向けて、現在考えていることを申し上げた
いと思います。

 夢のような2年間、自分なりに頑張ってきたつもりですが、あっ
と言う間に過ぎてしまい、任期の折り返し点に立ってみて、あらた
めて自分の理想に向けての努力をもっとスピードアップしないとい
けないと痛感しています。

 市民に最も近い行政が市政ですから、あらゆる分野に総合的に取
り組む必要があるわけで、やらなくてはならないテーマを書き出し
たら切りがありません。浅川治水対策、中心市街地・中山間地の活
性化、商工農林業の活性化、福祉の増進、長野駅東口区画整理事業
の推進・・・・等々、事業の大小を問わず課題は沢山あります。そ
れらは相手のある話で長野市だけではどうにもならない、または方
向性は決まっており、それぞれの担当者が頑張ってくれれば実現に
向けて動くはず、あるいは国が動かない限り市町村ではやりようが
ない問題もあります。

 そんな中で、私は後半のテーマを一応5つに絞って考えています。
 (1)健全財政の堅持と行政改革の推進
 (2)市町村合併と都市内分権の推進
 (3)都市のインフラ(基盤)としての公共交通機関の実現
 (4)教育問題(皐月高校・小学校の統廃合・信州大学との提携)
    の解決
 (5)ゴミ問題の解決

 「エコール・ド・まつしろ」や2005年に世界大会が開催され
るスペシャル・オリンピックスの成功も大切です。各地で開催して
きた「元気なまちづくり市民会議」で提案されたテーマ・要望も、
最大限実現に向けて検討しなくてはなりません。

 任期いっぱいで、どこまで目途をつけられるか、それは分かりま
せんが、精一杯頑張ります。

2003年11月20日木曜日

市長就任以来、2年間が経過しました(その1)


 1940年生まれの私が、幸いにも皆さんのご支持をいただいて、
市長に就任した日は2001年11月11日でした。60歳を過ぎ
て、通常ならそろそろ自分の人生の総決算を考えるべき年代に達し
ていながら、新しい人生に挑戦するチャンスをいただいたことは、
大変だなあと思いながらも望外の喜びでもありました。

 振り返ってみますと、1962年(私が22歳の時)に父が48
歳で亡くなって、何も分からないまま家業を継いでから約40年間、
会社経営に携わってきました。東京オリンピック前の時代から高度
経済成長時代、1973年の第一次石油ショックと低成長時代、円
高時代からバブル絶頂期へ、そしてバブル崩壊から平成の大不況、
長野冬季オリンピック開催・・・・、本当に山有り谷有りの時代を
経験してまいりました。

 その間、仕事や業界団体の活動以外で、青年会議所(JC)活動、
PTA活動、長野市教育委員、長野商工会議所・県経営者協会・長
野都市経営研究所等、様々な活動を通じて社会とのつながりを学ば
せていただきましたし、私なりにJC時代に学んだ「明るい豊かな
社会」づくりのために努力したつもりです。ある程度、時間の余裕
をつくり、お金を使いながら社会活動をやってこられたのは、会社
の部下や仲間、そして友人が支えてくれたからこそ出来たことであ
り、今でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 市長になって何が変わった?時々聞かれることですが、随分変わ
りました。

 第一は、時間の余裕が無くなったことです。以前は、講演会など
の案内が来ると、できるだけ時間をつくりフラッと出かけ、時には
居眠りなどをしながらも、数時間のんびり受講できたわけです。現
在はその時間は取れませんし、毎週開催しているロータリークラブ
の昼食会も年に数回出席できれば良いほうです。昼間時間が空いた
から、ちょっと友達の会社に寄ってだべってくる、本屋で立ち読み
しながら時間をつぶす、そんなこともなくなりました。休日がほと
んど無い、本を読む量が減った、忙しすぎる・・・・・私の性格に
もよるのでしょうが、計算外のことでした。

 第二は、市民の皆さんから負託されているという緊張感です。私
心を無くし、後ろ指をさされることは絶対にしないという決意は当
たり前ですが、市役所で一番高い給料をいただいているのだから、
一番働くのが当然と自分に言い聞かせてきました。それとは少しニ
ュアンスが違うのですが、私は給料をいただくという経験は初めて
でした(教育委員の時代は、確か月6万円ぐらいの手当をいただい
た記憶がありますが)。給料をいただくという事がこんなに有り難
く、同時に大きな責任を感じることとは思いませんでした。身の引
き締まる思いです。また、10年ぐらい先を見越して誤り無い判断
をすることの難しさ、ストレスを感じています。

 第三は、現場主義を標榜していますが、会社時代よりは現在の方
が実践しているように思います。
 今から考えると、会社時代は、東京を含む近県はもちろん、県内
の事業所へも私はほとんど顔を出しませんでした。しかし、市役所
に入ってからは、問題を感じた時はすぐ現場を見ようと心がけてい
ます。現場を見て初めて分かることがたくさんありますし、何より
も現場のスタッフや地域の方のお話しを聞くことは、机上では見え
ない背景や実情を実感できると思い、少しでも多くの現場に足を運
ぶように心がけています。でも、なかなか時間が取れなく、2年経
っても知らないことがたくさんあることは事実です。

 第四は、自分の意見を自由にそして気楽に言えないことです。以
前は公式・非公式を問わず、かなり乱暴な、あるいは思い切った意
見を人前で発言していたのですが、今はそれが許されなくなってし
まいました。簡単に性格は直りませんので、つい率直にモノを申す
こともあり、首長の発言としてはかなり不適当なこともあるようで
すが・・・・・。議会でも「市長発言の重みがわかったか!」なん
て与党の議員さんに言われ、頭を下げたこともありました。要望や
提案に対し「研究します。」と「検討します。」とは意味が違うと
いう話にはびっくりでした。

 次回は、この2年間で私が心がけてきた政策方針や、今後の目標
などについてご説明申し上げたいと思います。

2003年11月13日木曜日

全国史跡整備市町村協議会に参加して(その2)


 全国史跡整備市町村協議会北信越協議会の状況については、先々
週のメールマガジンでご報告いたしましたが、今週は、この協議会
の全国大会のことについて書かせていただきます。

 この全国大会は、10月8日(水)~10日(金)の間、北海道
の函館市で開催されました。

 私は、日程の都合により8日の総会にしか出席できなかったので
すが、この全国大会は来年長野市で開催されることが内定していま
す。そこで、どんな運営をするのか参考にし、「来年は長野市に是
非おいでください」という次期開催市の挨拶を行うとともに、史跡
の宝庫“松代”の「エコール・ド・まつしろ」の宣伝をするために
行かせていただきました。

 函館はとてもきれいな街です。坂があって、その坂を巧く生かし
た街づくりを感じました。函館は幕末の日米和親条約で、日本が開
港した二つの港町(下田と箱館)の一つで、港町特有の異国情緒が
残っているせいか、長野にはない、おしゃれな街という印象でした。
夜、みんなで函館山へロープウェイで登って世界三大夜景の一つを
楽しみ、帰りはホテルまで散歩しましたが、途中、昔の倉庫街を上
手に活用し、素晴らしい店作りになっている場所を通りました。街
づくりにいろいろなアイデアが生かされているのを見させていただ
きました。

 大会では、東北学院大学の榎森教授の記念講演が行われ、箱館
(函館)奉行所の歴史を教えていただきました。箱館奉行所は、戊
辰戦争最後の戦いとして有名な箱館戦争で、明治新政府軍と榎本武
揚や元新撰組副長の土方歳三などが属する旧幕府軍との戦いの舞台
となった五稜郭の一画にあります。講演では、実はこの奉行所は、
幕府が蝦夷地統治と貿易の管理、そして対ロシア政策のために設置
したものであるということを強調しておられました。

 記念公演は江差追分、第15回大会のチャンピオンご夫妻の熱演
でした。説明によると、毎年、江差追分をうたう大会があって、チ
ャンピオンになると大変な名誉のようです。びっくりしたのは、こ
の追分の源流は小諸馬子唄で、それが大名の参勤交代で越後に伝わ
り、その後、北前船で江差地方に伝わったのだそうです。そういえ
ば、調子は似ているように思いました。

 かなり前のことですが、地元民間放送局の番組審議委員をさせて
いただいた時、馬子唄の源流はモンゴルにある、というような番組
がありました。記憶は定かではありませんが、その時「確かに似て
いる」と感じた記憶があります。

 全国史跡整備市町村協議会の大切な役目は、全国の史跡整備
のために文化庁が予算獲得に頑張る、それを応援することであるよ
うに思います。確かに文化財というものは、誰しも保存しなくては
ならないと思ってはいても、どこも財政が厳しいから放っておけば
後回しになり、大切な文化財が失われることは目に見えています。
それを防ぐために、国(文化庁)は、土地買収については実に80
%の高率の補助金で地方を援助しており、整備したい史跡を持って
いる地方にとっては、涙が出るほどありがたい補助金です。三位一
体の改革で、補助金全廃が唱えられている中、総論賛成・各論反対
を絵に描いたような話で、我々の行動もつらいものがあります。

 来年は、長野で全国大会です。精一杯、おもてなしをしながら、
応援しなくてはと考えています。

2003年11月6日木曜日

「県出資等外郭団体見直し専門委員会」に出席して


 11月1日、長野県関係の外郭団体見直し専門委員会に出席しま
した。県市長会会長の佐久市長さんをはじめ、6市町村長が市町村
の代表として出席したものですが、この専門委員会の概要は、現在、
県が見直しを検討している54団体のうち、市町村から存続の要望
が多かった4団体について意見を求められたものです。

 市町村から存続の要望の多かった4団体とは、1.(社)県林業
コンサルタント協会、2.(財)県建設技術センター、3.(財)
県下水道公社、4.特別法法人県住宅供給公社でした。

 長野市として申し上げた意見の概略は、以下のとおりです(当日は
時間の制約があり、必ずしも充分申し上げられなかったこともあり
ますが、整理してみました)。

イ)全ての組織について言えることですが、組織維持のために補助
  金が出ている組織については、その組織の必要性について充分
  検討する必要があり、役割が終わった組織、あるいは必要性が
  薄れた組織については、当然やめるべきでしょう。

ロ)ただ、それぞれの組織は、過去その必要性に迫られてつくられ
  たものであり、その必要性については充分検討すべきです。特
  に、小さい市町村で直接的に担当する職員がいない、あるいは
  持てないという理由で委託などをしている外郭団体については、
  合理化は良いけれど、その機能は残すべきでしょう。そうでな
  ければ廃止することは、市町村への負担の押し付けになるでし
  ょう。
  具体的な選択肢として(1)県が直接やる(費用は高くつくし、
  サービスは低下するでしょうね)(2)民間委託する(積算や
  会計検査院対応まで行える民間会社が育っているかどうか疑問
  のようです)。

ハ)社団法人や財団法人は、本来、民間組織ですから運営補助をし
  ていないとすれば、県は最初の基本金を出しているだけの話で
  すから、存続かどうか県が決めることではないでしょう。やめ
  たかったら、県は自らの発注をやめればよい話で、市町村が発
  注するかどうかは、市町村が独自に決めればよいのです。それ
  こそ市町村の自主的判断です。当然、もっと安くきちんとやっ
  てくれる所があればそちらへ発注するでしょう。結果、仕事量
  が減って組織が存続できなくなったら、組織はリストラするな
  り、営業努力をもっとするなり・・・・・あるいは自ら解散す
  べきです。

ニ)外郭団体の中には、業務の類似した団体があります。リストラ
  を含め類似団体の統合も一考かと思います。例えば、同じ建設
  関連の組織を統合して技術集団として存続することも必要では
  ないでしょうか。

ホ)専門委員会の席上、委員の方のご意見で気になったことがあり
  ます。それは組織検討の問題と入札における落札価格問題を結
  びつける考え方です。しかし、それは入札制度の問題であって、
  外郭団体の存続の是非とは分けて議論をすべきです。
  入札については公平、自由競争ということが重要ですが、それ
  は発注者の問題であり、応札する人の問題です。設計を誰がや
  るか、市町村に全て行う能力があるか、という問題とは違うよ
  うに思います。

  更に申し上げれば、小さな市町村にとって、この入札問題は地
  域社会の産業問題であり、働く場の確保につながっていく重要
  問題です。県発注の工事を発注者である県が方針を決めてやる
  ことに、現段階で異論は申し上げませんが、市町村にとって地
  域産業が衰退していく中で、地元企業をどうすれば発展させら
  れるか、地域の雇用の場をどうすれば確保できるか、そのこと
  と公平性をどう担保するか・・・市町村の首長が一番苦しんで
  いる問題です。

ヘ)県下水道公社については、長野市としては千曲川流域下水道の
  上・下流処理区終末処理場でお世話になっていますが、これは
  既に維持管理が主体業務になっていますから、民間委託は充分
  可能でしょう。長野市も既に運転業務については一部民間委託
  を行っていますし、包括民間委託も視野に入れて検討していま
  す。また公社の業務の中に、従事者の資格試験業務や講習業務
  がありますが、これは民間委託で充分可能な業務と思います。

ト)県住宅供給公社については、民間でも充分出来るという意見が
  一般的です。確かに数量的には住宅が余っている時代ですし、
  国も自ら公営住宅をさらにつくる必要は無いとしているようで
  すから、県営住宅、市営住宅ともに量的な拡大はいらないと思
  います。ただ長野市としては、県住宅供給公社の融資によるリ
  バース・モーゲージ(注)を検討しています。高齢者が住宅を
  造る、あるいは改修する場合、民間金融機関はどうしても融資
  に二の足を踏むようで、資金力がある何らかの機関が関与すべ
  きところであり、この役割を担えるのは県の住宅供給公社しか
  ないと主張しました。高齢化率が高くなる今の時代、他市町村
  でも必要性は増すと思います。また、民間企業が大規模開発な
  ど元気が出ない時代、市街地の中で、果たしていただく役目は
  いくらでもありそうです。

 会議の終わりに自由討議があり、この中で(特)県農業会議とい
う組織について委員から質問が出ました。結果として、法で決めら
れた役割があるということで存続するようですが、農業関係につき
ましては複雑なシステムが今でもたくさんあるというのが実感です。

 私見ではありますが、県外郭団体等の見直しに関連して申し上げ
るならば、日本の人口は、3年後をピークに人口が減少する時代を
迎えると言われています。若い世代の労働力の減少や年金の負担が
増すことが予想されることからも、少なくとも65歳、できれば70
歳ぐらいまでは働くことのできる環境を整備すべきであると思いま
す。高齢者の持つ技術や経験を発揮する機会を確保することは、社
会にとって重要な資産であるとともに、人口減少時代における労働
力確保と社会システムを維持向上する上で、今後ますます重要とな
ってくるはずです。組織として必要性がありコストを抑えながらや
りがいのある組織であるなら、今後も残すべきではないでしょうか。

 以上、先日の会議について、長野市の主張したことについて整理
をしてみました。気になることは、この会議の後、午後の専門委員
会でいくつかの組織を廃止するという決定がなされたことです。私
達は組織の存廃はどうでも、機能は残してくださいと申し上げ、そ
れに対する答えがどうなったのか、はっきりしないことが心配です。

 委員の方々がわざわざ市町村長の意見を聞きたいとおっしゃった
こと、私達もそれに真摯にお応えしたつもりですが、それが結論に
どのように反映されたのか、新聞記事だけではよく分からないとい
うのが実感です。


(注)リバース・モーゲージ:高齢者が居住する住宅や土地などの不動
産を担保として、一括または年金の形で定期的に融資を受ける制度。
利用者の死亡、転居、相続などにより契約が終了した時に担保不動
産を処分することで、受けた融資を元利一括で返済する仕組み。

2003年10月30日木曜日

全国史跡整備市町村協議会に参加して(その1)


 少し前の話になってしまいますが、7月17日(木)・18日
(金)の2日間にわたり、石川県加賀市(山代温泉)で全国史跡整
備市町村協議会(全史協)北信越地区協議会総会が開催されました。

 私はこの協議会の会長ということで参加してきましたので、その
報告を書かせていただきます。

 全史協というのは、主として史跡・名勝または天然記念物を有す
る全国の市町村が結束して、その整備・保護に努めようということ
で、年一回全国と地区で総会を開き、文化財保護の重要性の確認、
市町村の職員(主として学芸員)の研修、その地域の文化財保護の
現状視察、併せて国に対し文化財保護のための予算増額を要望して
いく、そんな組織です。不況で国の予算が補助金を中心に減額され
る中、文化財の保存のための予算も厳しくなっているのが実情です。

 全史協の全国組織の会長は奈良市の市長さん、北信越の会長は平
成11年度から長野市長が務めています。長野市では柳原市長さん
の時代に全国の会長を務めたこともあるようです。

 さて総会では、地元加賀市の大幸(おおさか)市長さんの挨拶。
印象的だったのは、地元の文化財を三つ(九谷焼、蓮如を中心とす
る一向宗関連、そして北前船)に大別され、保存に力を入れたいと
いう話でした。

 記念講演では、文化庁記念物課主任文化財調査官・坂井秀弥氏
(新潟市出身)が、「文化財を慈しみ、わが町を育む」と題してお
話しされました。戦争直後、静岡市の登呂遺跡発掘が、敗戦で打ち
ひしがれた国民に自信を植え付けた、という話から、市町村職員の
中で文化財保護の専門官が4,400人になったこと、そしてまち
づくりという観点から文化財を眺める視点(文化的景観)の大切さ
を強調されました。私も勉強になりました。

 確かに現在のように税収が落ち込んでいる時、市町村単独での文
化財保護は、緊急性という点から言うと後回しになる可能性はあり
ます。でも、それでは文化財が失われていくことを防げないでしょ
うし、先人の遺産を将来の子どもたちに引き継ぐことが出来ないこ
とも事実です。国が市町村を励ます意味で保護予算を付けてくれま
すと、市町村もやらざるを得ない、ある意味で大義名分が出来るこ
とは事実でしょう。予算というのは、結局「優先順位」を決めるこ
とですから、難しい問題です。

 翌日は、市立の九谷焼窯跡展示館と県立の九谷焼美術館を見学し
ました。九谷焼の歴史、現在に繋がる窯元を育てた先人の歴史、技
法の進歩、芸術性、分からないながら色々と勉強させていただきま
した。九谷焼美術館は素晴らしい公園の中にあって、隣には市立図
書館があるという環境が羨ましかったです。お聞きしたところによ
ると、企業が撤退した敷地を市が買い取って整備したとのこと、理
想的な場所という感じがしました。

 帰途、高岡に立ち寄って、「イオン高岡ショッピングセンター」
を視察してきました。この店舗は長野県では佐久のインターのそば
にあるものと似ていますが、確かに広い売り場面積で、一つの街が
出来たようなものです。

 いろいろなお店が入っているだけでなく、レストラン、喫茶店、
話題の(注)シネマコンプレックス(8館)もあり、料理教室では
奥さん方が大勢習っておられました。買い物に来るというより、1
日を楽しみに来る、そんなお客さんが多いように感じました。

 平日の昼間からあれだけのお客さんがいるというのも、驚きでし
た。昔、アメリカの小売業を視察したとき、これと全く同じような
ショッピングセンターを見て、車社会であるが故に、場所を選ばず、
こんな場所で可能なのだろうと思ったことがありますが、今や日本
にも本格的に登場したということでしょう。ここに無い業種を一生
懸命考えたのですが、葬儀屋さんぐらいしか思いつきませんでした。

 長野にも計画があるそうですが、市長の立場は複雑です。消費者
の立場から言えば欲しい、でも既存の商店街とすればそんな大規模
なものが出てきたら困る、行政の立場から言えば、都市の魅力の一
つとして欲しい、でも既存の商店のことを考えると・・・・、税収
も増えるだろうけれど、既存の商店からは・・・・・、出店に関す
る許可権限が市長にある訳ではないのですが、悩みは深いのが実情
です。

(注)シネマコンプレックス:一つの映画館の内部を区切り、複数
  のスクリーンを設置して、複数の映画を上映するシステム

2003年10月23日木曜日

手話と英語・・・言葉を学ぶことは大変です


 9月14日(日)・15日(月)の2日間にわたり、第37回全国
ろうあ者体育大会が開催されました。この大会では、選手1880
人、役員920人、そして手話通訳の方700人が全国からお集ま
りいただきました。

 この大会に先立ち、ビッグハットで行われる開会式の挨拶を手話
でやってほしいという話がありました。私としては全く考えてもい
なかったことですので、はじめは無理だと思ったのですが、良い機
会なのでやってみようと奮起し、事前に協会の役員さんや市職員に
30分ぐらいずつ3回の特訓をしてもらいました。

 挨拶を終わって、お世辞でしょうが、皆さんに「良かったよ」と
おっしゃっていただいて、ホッとしています。

 約3分ぐらいを手話と言葉でやらせていただき、それ以外の部分
は手話を使わない挨拶をさせていただいたのですが、全文を手話で
やるとすれば大変です。短い文章を丸暗記しただけですから、何と
か対応できましたが・・・・。

 見事だったのは、小林県議会議長さんです。かなり長い挨拶でし
たが、全て言葉を発しながら手話でやっておられました。

 開会式の前日、全日本の役員さんが挨拶に見えられ、その時、手
話の辞書をお土産にいただきました。大変厚い本でパラパラとめく
ってみましたが、とても短時間で全てを覚えるのは無理と思いまし
たが、いろいろな表現があることだけは分かりました。

 開会式では、各県の協会旗が入場し、みなさん拍手する代わり
に、手をひらひらさせる姿(当然のことですが、とても静かです)
を拝見しました。ハンディキャップをもった方々が、頑張ってお
られる姿は、感動的でした。

 手話を多少勉強してみての感想ですが、話をすることは出来ても、
手話を見て聞き取るというか、理解することはかなり難しいのでは
ないか、というのが本音です。

 その後しばらくして、長野市の「ふれあいまつり」が県民文化会
館横の若里公園で開催され、私はふれあい共和国の大統領というこ
とで、「建国宣言」をさせていただきました。その時の宣言では手
話通訳をしていただきましたが、その鮮やかな手つきに私もつい調
子に乗って「来年は私も手話でやりたい」と喋ってしまいました。
皆さん拍手喝采でしたが、その分、来年は大変だなあというのが、
正直なところです。

 10月に入って、国際青年会議所(JCI)の国際アカデミーと
いうプロジェクトが、長野青年会議所の主管により長野市で開催さ
れました。世界中の若い人達、それも次年度にはそれぞれの国の青
年会議所の会頭あるいはそれに準じる役目を果たす人達が集まって、
勉強したり討論したりの訓練の場ということですが、そのウェルカ
ムパーティーとフェアウェルパーティーで、今度は英語のスピーチ
をさせていただきました。

 市長就任以来2年間、ワールドカップ等で外国人相手の挨拶の機
会は何度かあったのですが、どうも自信がなくて全て通訳付きの日
本語での挨拶でした。日本語の原稿を国際交流員に英訳してもらっ
て、それを読んだだけですが、何事も経験、そして度胸だというこ
とがよく分かりました。

 手話も英語もひとつの言語ですから、完璧に憶えることは記憶力
が弱くなっている私の年代では厳しいと思います。しかし努力する
ことで、皆さんとのコミュニケーションが良くなることも実感しま
した。頑張るべきでしょうね。

 ちなみに、手話のことを英語では「sign language 」というのだそ
うです。国際アカデミーの会員に教えてもらいました。

2003年10月16日木曜日

教師の適格性について(その2)


 公務員は、リストラがないから羨ましいとか、気楽だねという方
がいらっしゃいます。このことについて、公務員の処分等を定めた
地方公務員法や国家公務員法などでは、民間のリストラ等に当たる
「分限処分」というものがあります。

 この分限処分とは、(1)勤務実績が良くない場合(2)心身の
故障のため職務の遂行に支障がある場合や長期の休養を要する場合
(3)職務に必要な適格性を欠く場合(4)職制や定数の改廃、予
算の減少などで職場がなくなったり、職員数が過剰になった場合な
ど、公務能率を維持するために問題が生じた際、任命権者の権限で
降任、免職、休職、降給させることができるというものです。

 分限処分に似た処分としては、公務員の不祥事などの際によく目
にする「懲戒処分」があります。その中でも最も処分の重い懲戒免
職は、職務上の義務に違反したり、全体の奉仕者としてふさわしく
ない非行があった場合に、公務秩序を維持するとともに、個人とし
ての責任を問うために行われるもので、この場合、退職手当が支給
されません。

 しかし実際には、教師を含めた公務員に分限免職の処分が行われ
るケースは非常に珍しいようです。職務上の義務違反に対する制裁
として行われる懲戒免職に比べて、免職させる基準の設定が難しい
ためだと言われています。したがって、職員としての身分を持った
まま、長期間にわたって断続的に休職を繰り返している例も見られ
るとのことです。

 確かに、『問題先生』というのは、昔からみんなが困っていたこ
とです。私の経験談になって恐縮ですが、長野市・県のPTA会長
や長野市教育委員に就任していた当時(昭和50年代の話です)、
どうしようもない理不尽な事柄に何度も出会いました。「学力不
足」というような“明確”な理由ではなく、教職員組合も認めてい
る教壇に登れない先生とか・・・・。まあ具体的に申し上げること
は避けますが、問題のある先生がいたことは事実です。

 また、保護者の方から私に担任の先生の非を訴えられ、何とかし
て欲しいという電話は、かなりの数があったように記憶しています。
電話口できちんと名前を名乗られた方のお話については、学校側に
お伝えし善処をお願いしましたが・・・・・。

 時には、市の教育委員会に訴えたこともあります。ただ、長野市
の教育委員会には人事権がない(義務教育の先生は県職員です)の
で、市教委から県教委に対し、免職や休職にすべきと上申しても、
県教委の見解は、分限処分に関する具体的な基準がないため、裁判
になった場合勝てないという理由で、重い処分はできないという返
事がありました。

 理由はともかく、「駄目なモノは駄目」というシステムが機能し
ていないことには参りました。法的には分限免職という制度がある
のですが、現実にはこの制度の適用は難しいのでしょう。先生とい
うのは、大切な子供達を預けているのですから、人間的にも学問的
にも、素晴らしい人であって欲しいと願うのは、保護者の皆さんに
とって当たり前です(そのために、先生の給料は一般の行政職より
も高く設定されているのですから)。

 私は、ほとんど全ての先生は素晴らしい人格者であることを知っ
ています。ただ、残念なことにごく一部にどうしようもない先生が
いる、そのことが問題であり、その人のために教師全体が駄目だと
言われている現状を何とかしたい。指導力不足教員を認定する制度
あるいは長野県教育委員会の取り組みは、それがようやく動き始め
たということでしょう。

 先生も人間ですし、人数も多い。難しい教員採用試験に合格して
も、何年か経つうちに病気になる人もいますし、努力不足の人もい
ます(学力不足はその一つでしょう)。ストレスから教職に耐えら
れない人が出る可能性もあります。その時、退職していただくシス
テムがきちんと機能していない状況は、まことに嘆かわしいと言わ
ざるを得ないというのが私の長い間の思いでした。

 「指導力不足認定制度」や、長野県教育委員会の取り組みは、よ
うやく本来の機能が発揮されつつある兆候として喜びたいと思いま
す。

2003年10月9日木曜日

知事が住民票を移されたことについて


 田中知事が長野市から泰阜村へ住民票を移されました。その時の
記者会見の記録等を拝見し、県知事さんの発言・行動としては、い
かがなものかと感じましたので、私の意見を述べさせていただきた
いと思います。

 転出の理由について、長野市に市民税を払いたくない、合併しな
いで頑張っている泰阜村を応援したい、本拠地ではなくて自分の好
きな場所に住民税を払うのは自由だ、国会議員だって東京に本拠が
あるのに、地元に住民票をおいているし、学生が住民票を移さずに、
東京の学校へ通っている例はいくらもあるというような理屈を言っ
て、その行動を正当化しようとしておられます。

 しかしながら、知事が住民票を移され、泰阜村に住民税を納めた
いということについては、私としては、法治国家における自治体
の長として、法に基づき何らかの手続きをしないわけにはいかな
いと考えています。

 すなわち、今回の知事の行動に対しては、地方税法に基づき実態
を調べた上で、生活の本拠である市町村(おそらく長野市というこ
とになるでしょう)が住民税を課税することになるでしょう。

 私とすれば、何の関係もない泰阜村長さんと、知事の住民税課税
のことで協議するということは、まことに子供じみた話だと思って
います。ただ、行政として県知事ともあろうお方のこの種の行動は、
放置することは出来ないことですし、国の見解も同様のようです。
そして、笑い話みたいですが、両市村の協議が不調に終わった場合、
調停をする役目は県知事さんだそうです。そうなった場合、今まで
の判例等に照らし合わせ、公平な判断をどのように下すのでしょう
か。

 住民票を異動するということは、単に居住関係の公証を変えると
いうことだけではありません。例えば、選挙人名簿の管理は住民基
本台帳を基に行われます。そのため、生活の実態のほとんどない人
達が、その被選挙人の理念が好きだというだけで住民票を異動した
ら、現在の選挙制度というものはどうなってしまうのでしょうか。
そこに住む人々の実態に合わない選挙が行われる。もしかしたら、
そんなことも起こり得ます。その他にも、国民健康保険、介護保険、
国民年金、児童手当等々、様々な行政手続がこの住民基本台帳と連
動し行われているのです。生活の本拠をもってその住所とすること
が、最も常識的なのではないでしょうか。

 私も住民税を自分の払いたい市町村に納税したいということには、
一部共感を覚えます。ただし、それには条件があります。住民税は
応益負担的な要素がありますから、自分の住んでいる町に対し、受
けているサービスに見合った税金を払った上でなら、それ以上の分
を自分の好きなところへ支払うということはあっても良いと感じて
います。

 例えば、親が違う市町村に住んでいて、最後はその自治体に面倒を
みていただかなくてはならない、何とか感謝の気持ちを表したい。
例えば、自分は長野市に住んでいるが、長野市に払っている市民税
の一部を「仕送り」のつもりで親の住む市町村に払い、感謝の気持
ちを表したい、そんな方はきっといるだろうと思います。

 しかし、これはあくまでも個人の思いであり、現実には、国の法律
が変わらなくては不可能な話です。

 私の知人の、長野市生まれで現在は東京に住んで事業に成功してい
る友人は、故郷を思う気持ちが人一倍強く、ぜひ長野を応援する気
持ちで、住民票を長野市に移し、税の一部を故郷へ払い応援したい
と言っていたことがありました。しかし、私としては、気持ちは大
変ありがたいが、住民税は住んでいる自治体に払うのが、そこに住
む者の義務であると考え、お断りしたこともあります。

 なお、知事の記者会見等の記録を読ませていただきますと、長野市
の行政サービスについても色々言及しておられますが、正しい情報
が伝えられなかったと感じ、大変残念に思います。

 例えば、長野市が35人学級を県の要求どおり実施した場合、市の
負担は教育費の1%にも満たないにもかかわらず、実施しようとし
ないという発言がありました。しかし、これは教員の人件費(それ
も、本来ならば県が負担すべき人件費)のみを指しているものであ
り、土地や建物などの施設や備品などを整備するために、多額の経
費がかかるということを全く無視した発言でありましたし、以前、
私が勤めていた会社への皮肉と思われる発言にも、いささか疑問を
禁じ得ません。

 地域住民の模範となることが自治体の長に必要な最低限の条件では
ないでしょうか。

2003年10月2日木曜日

教師の適格性について(その1)


 『困った先生』は教室から退場を・・・・・。指導力不足教員を
認定する制度が全国で急速に広がっており、認定を受けて教壇を降
りた教員が昨年度、過去最多となったことが文部科学省の調査で分
かったという新聞記事が載っていました。

 この問題に取り組んだのは、東京都が97年と早かったようです
が、国としては98年9月に文相の諮問機関である中央教育審議会
が「適格性を欠く教員等への対応」を行うよう答申したことがきっ
かけで、それ以降、各都道府県の教育委員会は、いろいろな工夫を
しながら進めてきているようです。教職員の処遇に関することです
から、教職員組合(日教組、高教組)も大いに関心があるはずです
が、「指導力不足の認定制度」は容認しているとの話ですので、
当たり前とはいえ少し前までの状況とはかなり違ってきているよう
です。

 では、長野県の場合はどうなっているのかということですが、今
回発表された文部科学省の数字(指導力不足289人を認定)には
1人も入っていないようです。

 昨年7月、指導力不足教員検討委員会が設置され、10名の委員
が任命されて審議を開始し、本年3月、「指導力不足等教員への対
応について」という報告書を県教委に提出しました。東京都は97
年に始めているわけで、それに比べて長野県教委の対応の遅さは気
になりますが、報告書の内容を拝見した限り妥当なものと思います
ので、一日も早く報告書の中味を実現していただきたいと望むもの
です。

 制度の根幹を作るのは具体的にはなかなか難しいとは思います。
でも既に他県でもやっていることですから、“良いとこ取り”で早
くやることです。

 その内容を要約すれば
1.指導力不足教員という認定を、「誰が」「どういう基準で」行
  うか
2.認定された教員の再教育をどうするか
 の二点でしょう(指導力不足と認定された先生の職種転換問題も
 大切ですが、それは次の問題でしょう。)

 私達の社会では、もともと先生は尊敬すべき人として敬う伝統が
ありましたし、子どもの教育を負っていただいているという意識も
あって、直接的に先生を批判することは避けてきたように思います。
でも一部どうしようもない先生がいることは事実ですし、それを「か
ばう」あるいは「隠す」体質も常に指摘されているところで、その
ために教育界全体が批判される風潮もあるように思います。

 一般行政社会、いや、それ以外にもあらゆるところにそういう体
質はあると思います。しかし、ここ10年ぐらいで行政社会だけで
なく、政治の世界、企業社会、医療関係、福祉関係等々、あらゆる
世界で求められるのが、透明性・公開性・説明責任であり、社会が
変わりつつある大きな要因になっています。

 教育界だけを特別視する理由はないと私は思います。行政の社会
で言えば、最近全ての自治体が始めた行政評価であり、特に外部評
価です。教育の世界で言えば、学校の先生が真の教育をやっている
か、子供達の成長に貢献しているか、社会が問うているのだと私は
思います。学校での学校自己評価(外部評価も含めた)制度もスタ
ートしていますが、しかし、これは教育改革のほんの序の口であり、
第一歩です。これから本当の意味での変革が始まる、そんな予感が
します。

2003年9月25日木曜日

長野市とJOCが契約を締結


 8月28日(木)、東京・代々木の岸記念体育会館で、長野市は
日本オリンピック委員会(JOC)との間で「パートナー都市協定」
に調印させていただきました。この協定はJOCにとって、昨年大
阪市と締結したのが第1号で、長野市は2番目ということです。

 この協定によって長野市は、JOCがメダル倍増を目指して種
々の選手強化策を打ち出していることに協力し、主にオリンピック
施設を練習場として利用していただく等、いろいろ便宜を提供し、
協力することになります。

 長野市としても一流選手が長野で練習に打ち込む姿に接すること
により、市民の競技への関心を高め、特に、若い方々の競技力向上
に寄与することが期待できます。また、国際スポーツ大会の開催等
にJOCが便宜を図っていただくことも期待でき、オリンピックの
有形無形の資産を利用してスポーツを軸としたまちづくりをしよう
という私達の施策を支えていただける、大変喜ばしい協定であると
考えています。

 練習会場として想定している施設は、ボブスレー・リュージュ・
スケルトンのスパイラル、スピードスケートを中心としたスケート
種目のエムウェーブなどのほか、体操競技のホワイトリング、シン
クロナイズドスイミング等水泳種目のアクアウイングも従来の流れ
の中で考えられるそうです。

 以前から長野市は、トップ選手の強化拠点である「ナショナル
トレーニングセンター」(トレセン)を設置してほしいと国に対し
働きかけていたのですが、残念ながら国は総合的トレセンを、東京・
西が丘に設置することを決めたようです。しかし、冬季競技につい
ては東京に新しい施設を造ることは無理だと思いますので、将来的
には長野の施設も西が丘と連携して使われる。すなわち、トレセン
に指定されるのではないかと期待しているところです。

 オリンピックの資産はいろいろあります。素晴らしい競技施設、
イベント会場、高速道路、新幹線、幹線道路、ホテル等民間施設・
・・・。いわゆるハード面以外に、ソフト面では市民のホスピタリ
ティーの心やボランティア精神、そして世界に発信された「ナガノ」
(これらが無ければオリンピック後、長野で開催され、また今後も
開催されるであろう世界選手権やワールドカップ、世界会議等々は、
スムーズには運営できなかったでしょう)。

 スケルトンの越君、スピードスケートの新谷さん、冬季スポーツ
以外では、長野工業高校の甲子園出場やNTT信越硬式野球クラブ
の都市対抗出場、まだあまり知られていませんが、サッカーの長野
エルザの活躍、また、世界選手権等で活躍している立花・武田のシ
ンクロ日本ペアは、これまでもアクアウイングで合宿を続けており、
一緒に練習をしている長野シンクロクラブの子供たちも全国大会で
入賞を果たすなど、芽は出てきているように思います。長野から素
晴らしいアスリートがどんどん生まれて欲しいと思います。

 地域スポーツクラブが成長して市民スポーツの底辺を広げ、その
中から日本あるいは世界の舞台へ飛躍していく選手が生まれていく。
 今度の協定締結をきっかけに、理想的なスポーツ環境を育ててい
きたいと夢をみています。

2003年9月18日木曜日

北陸新幹線の工事現場を見学して


 9月10日(水)、長野市から上越市へ向かって北進していく新
幹線の工事現場を、日本鉄道建設公団(鉄建公団)の方のご案内で
見せていただきました。中野市や飯山市、そして県境のトンネル工
事が進捗している現状をつぶさに見て回りました。

 ただ、見せていただいた翌日の11日未明に、トンネル内の工事
現場で崩落事故が発生し、怪我人が出たとのことであり、十数時間
前にその現場にいた者としてびっくりでした。怪我をされた方の一
日も早い回復を心からお祈りいたします。

 以下、私が見たり、聞いたり、感じたことを書かせていただきま
す。

 視察では、まず長沼地区で新幹線車両基地全体を見渡し、説明を
受けました。最高時速300km前後の速度で走っている新幹線の
車両の整備関係は大変なのだろうなという想像はつきますが、車で
いえば車検と同じような大掛かりな整備は仙台でやり、ここでは日
常の整備をするのだそうです。レールと車輪が直接触れているわけ
ですから、摩耗は相当なものということは容易に推測できます。

 レールの修理は大変なので、車輪に鉄を付け足して真円にするの
だそうですが、いろいろな工夫があるものだと感心させられました。
北陸新幹線が延びた場合、次は、金沢市の先に車両基地を予定して
いるとのことでした。

 長野市として困っているのは、この車両基地をつくるに当たり、
鉄建公団、長野県、長野市、地元新幹線対策委員会が交わした建設
協議の確認書(協定書)の存在です。

 昨年、浅川ダムの中止が決まった時点で私は県知事に対して、こ
の協定の扱いをどうするのか、治水の技術的問題ではないので早急
に解決して欲しいと申し入れしているのですが、この一年間何の動
きもありません。長野市も協定参加者の一員ですから責任が無いと
はいえませんが、協定に反した治水対策を決定したのは県ですから、
県が対応策を提示していただかなくてはどうにもなりません。行政
の信頼を早く取り戻して欲しいものです。

 次の現場として、中野市の壁田、西笠原地区、岩井東、等の高架
橋工事現場を視察しました。第五千曲川橋梁工事現場では、ピア
(橋脚)のすぐそばまで行って、その大きさにびっくり。1本約1
億円かかるそうでして、なるほどと思わせるコンクリートの塊でし
た。ちなみに、トンネル以外の部分は“あかり”と言うのだそうで
す。

 車中では、飯山市内の駅の位置や都市計画の話を聞きながら、こ
の時期、完成までには随分時間がかかるのではないかと想像しつつ、
市内を抜けて今回事故のあった飯山トンネルの現場へ行き、地下に
もぐってトンネル工事を見せていただきました。

 飯山トンネルは、上倉工区と富倉工区の二つの現場で地下に下り
てみましたが、どちらも難工事のようです。北陸新幹線工事では、
長野オリンピック後、難工事が予想された飯山トンネルに最初に取
り掛かったのだそうですが、案の上大変な苦労をされているようで、
特に富倉工区の山の地質が、掘削後に膨れてトンネルの穴を小さく
してしまう性質があるそうです。

 トンネルを掘る場合、柔らかい地質の方がはるかに難工事とお聞
きしました。このため、富倉工区の場合、最初に少し大きいトンネ
ルをつくり、そこにH鋼を丸く曲げた土留めで支え、コンクリート
を吹き付ける。硬い地質であればこれで終わるのですが、ここでは、
さらにその内側にもう一度H鋼とコンクリートの吹き付けを行い、
二重に壁を作るのだそうで大変時間のかかる工事だそうです。

 トンネルの一番突端(今回事故が起きた場所)を、切羽(キリハ)
というのだそうですが、そこで働く人はみんなベテランで、8人ぐ
らいの方が働いておられました(意外に少ないと感じたのですが、
それだけ機械化されているということでしょう)。全員削岩機、ブ
ルドーザーなど、何でもこなせるようで、日本中の現場を経験して
いるベテランだそうです。そういえば、案内してくださった剣持局
長さんも、あの青函トンネルの導入坑を掘り上げたプロで、これら
日本の技術の粋を集めて工事が進んでいる、と実感しました。

 ただ今回の事故は、その難しい富倉工区ではなくて、比較的順調
に進んでいる上倉工区で起こったようです。新聞紙上の図をみると、
トンネルの途中で崩落が起きたわけではなく、土を掘っている先端、
つまり切羽の部分に山の圧力が加わって(柔らかい土だからでしょ
う)土がトンネル内に崩れたようです。

 トンネル構内は整理整頓され、清掃もきちんとしてありましたの
で、非常によく管理された中で細心の注意を払って仕事が進められ
ている印象でした。事故の起こる可能性は素人の私には全く感じら
れませんでしたし、そうでなければ、あそこまで素人の視察は許可
されなかったでしょう。

 以上、素人の見聞録ですが、新幹線が北陸につながるまでには、
今度の事故がなくても、まだまだ時間はかかるようです。長野・
富山間は認可(平成13年4月)の日から概ね12年強後に完成
の予定となっているようですが、完成が待たれます。

2003年9月11日木曜日

30人規模学級について


 県市長会は、県が来年度小学校の30人規模学級の拡大に伴う
教員人件費の負担を市町村にも求めてきたことに対し、来年度4年生
に限って受け入れる考えを示しました。

 8月30日の信毎の記事によると、知事は29日の記者会見で、
「県と市町村は対等だと言い、県方針に唯々諾々と従わないとおっ
しゃるなら、もっと自律的に(学校運営を)お考えになればいい。
問題の先送り以外の何ものでもない」と、痛烈な市長会批判をされ
たようです。私は県市長会の役員ではありませんが、このような
いわれ無き批判に対し、市長会の一員として強く抗議するものです。

 今回の県教育委員会の提案は、

1.本年度1年生から3年生までで実施した30人規模学級(従来
  の言い方としては35人学級です)を、来年度は4年生から6年
  生までに拡大する。

2.ただ県財政が厳しいので、市町村も財政力に応じて応分の負担
  金を納めてもらう。というものです。知事はさらに「多くの町
  村長は県と一緒にやろうと言っている」と町村会との違いも強
  調、一部譲歩にとどまる市長会側の対応を「残念に思う」と述
  べられたようです。

 この一方的な記者会見の記事を読んだ方は「市長会はけしからん」
と感じられるかもしれません。しかし全ての市長が「妥当な対応」
と認めたことに、一方的な批判を展開されるのは、あまりにも独断
的で聞く耳をもたない態度だと私は思います。

 この問題について、長野市の考えをお話しましょう。

1.義務教育に係る経費については、一部国が負担するものの、教
  員人件費は県負担、その他学校建築費や管理関係諸費は、市町
  村負担ということは、国が決めたことです(多分法律でしょう
  ね)。従って県が教員人件費を財政力に応じて、市町村に負担
  を転嫁することは、地方財政法違反なのだそうです。そこを逃
  げるために負担して欲しいと言わずに、「任意の協力金」と言
  っているわけですが、多くの人たちが望んでいる少人数教育を
  人質にとって、あたかも県の責任回避を正当化しようとしてい
  ると市町村長が考えても当然でしょう。

2.国の基本は40人学級であり、それ以上の手厚いことをする場
  合、自己責任でやりなさい、一切面倒は見ないとのことです。
  ですから今回の教員の確保及び人件費の負担については、県が
  責任を持ってやるべきことであることは自明です。

3.実は、この問題は教員給与の問題だけではないのです。教室が
  足りなくなるのです。この財政窮迫下、児童減少の中で、教室
  をつくらなければならない。本年の3年生までの対応は、何とか
  空き教室や特別教室の転用で間に合わせましたが、来年6年生
  まで一挙にやることは不可能です。やるとしても、場合によっ
  ては土地の手当てをしたり、建物を造るための一定の時間が必
  要です。もちろん、補助基準を超える教室分についての国の補
  助金はありません。県はこの事業費を補助して下さるのでしょ
  うか。

4.町村会が県知事に同調しているとおっしゃっていますが、それ
  は、この問題は町村にとってほとんど影響がないからでしょう。
  町村では、児童数が少ないが故に、既にほとんど30人規模学
  級は実現してしまっているか、クラス増加は僅かで済むはずで
  す。今回難しい局面に立っているのは、長野市や松本市など、
  規模の大きな市だと私は思います。

5.それでは、なぜ4年生だけ限定的に認めようとしているかとい
  うことですが、それは子供達のことを考えたからです。すなわ
  ち、現在の3年生は、今年の4月にクラス替えをしたばかりな
  のに、来年、4年生になったとき、また40人学級にクラス替
  えをしなくてはならない。これは可哀相だということです。同
  様の話ですが、もし県の言うとおり来年から6年生までを一挙
  にやるとすれば、現在の5年生は、来年4月に一年間のためだ
  けにクラス替えをしなくてはならない。卒業まであと1年とい
  う時期にクラス替えをすることは、子供達の仲間意識の醸成と
  いう点でよい結果にはならないし、将来、大人になったとき、
  同級生という素晴らしい人間関係が出来ないのではないか。も
  ちろん他にもいろいろ心配があるというのが、長野市教育委員
  会と私の議論でした。そこで、この段階で教育現場に混乱を起
  したくないという観点から、新4年生だけは子どもたちのため
  にも、長野市として受け入れざるを得ないのではないかという
  ことになったわけです。

6.現実問題として、正規の教員不足が深刻です。30人規模学級
  の導入に当たり、生徒支援加配、日本語指導や帰国子女加配、
  そして少人数学習指導加配などの先生を減らし、クラス担任に
  したということを聞いており、そのために現場は非常に苦慮し
  ているという話も伝わっています。さらに6年生まで実施する
  となれば、相当正規の教員が足りないはずですが、急に多くの
  採用は出来ないため、臨時の教師を採用することとなり、その
  資質が問われるのではないか、という心配もありました。最近
  の新聞報道ですが、教員不足時代という記事が載っていた記憶
  があります。優秀な人材が短期間に大勢確保できるとは思えま
  せん。

 以上、これが長野市及び長野市教育委員会の意見です。県市長会
の意見とは全く同じではないかもしれませんが、大きな違いはない
と思います。

 本年の4月からの実施についても、県教委と市町村教委が十分話
し合った結果ではなく、1月4日、県の仕事始めの記者会見で、知
事が4月から実施すると発言されて、県教委も大慌てした経緯があ
ります。もちろん市教委だって大慌て、そして一番大変だったのは、
現場の校長先生でしょう。教師が足りなくて、必死に教員免許状を
持った人を探し、員数合わせをせざるを得なかった、と聞いていま
す。人気取り政策ではなく、現場の意見を十分聞いて、長期的視点
に立った施策を実行してもらいたいものです。

 少人数学級は、以前からも全ての皆さんの要望でした。(ユタ州
レイトン市マウンテンビュー小学校を視察しましたが、一クラス25
人ぐらいだったようです)。

 戦後、私達の子どもの頃は一クラス55人だったように記憶して
います。その時代から社会が徐々に豊かになるに従い、先生が増え、
40人学級までになったわけですが、そのほかにも少人数学習集団
によるコース別学習やティーム・ティーチングなど、県教委も学校
現場と相談しながら、いろいろ工夫して先生の加配をして、必要な
部分を少人数教育でやってきました。全てではありませんが、少人
数学級は実現してきたのです。

 特に算数のコース別学習は実質的には個々の児童へのきめ細かな
指導により、大変効果があると聞いています。学習科目(体育・音
楽)によっては、一律30人規模学級より大勢でも効果が上がると
いう面も事実のようです。

 30人規模学級の実現が、支援加配、日本語指導や帰国子女等の
加配教員の減少につながらないことも、心からお願いしたいと思っ
ています。

2003年9月4日木曜日

長野市総合防災訓練の実施

 
 (本当に怖いのは、糸魚川-静岡構造線
            が動くことではないでしょうか)

 8月30日(土)、恒例の長野市総合防災訓練が行われました。
今年は、主会場を更北地区にお願いし、犀川南運動場を中心に、サ
ブ会場として三本柳小学校、青木島小学校、そして吉田地区(吉田
高等学校外)、若穂地区(綿内小学校外)でも、それぞれの地域の
皆さんに参加していただき、総合防災訓練を実施いたしました。

 私は、主会場に設置された対策本部長席で全体を見せていただき
ました。今回は、午前7時55分、震度6強の地震が発生し、倒壊
家屋が続出、市民のライフラインが破壊され、火災も発生している
という想定のもとに訓練が行われました。

 市民の皆さんの避難誘導、救急処置、消火器の使い方、煙体験等
から始まって、倒壊家屋の下敷きになった人の救出、事故車の処理、
消火のためのバケツリレー、炊き出し・・・・。市民のライフライ
ンの復旧という面では、電気、水道、ガス、通信等は、それぞれ事
業者の方が緊急自動車等を動かしたり、特殊工作機械を使ったりし
て復旧活動を行いました。道路に倒壊した建物等の除去には、建設
業協会の大きなタイヤドーザーが出動していました。

 私は、訓練の中で総務部長や消防局長と一緒に、長野県の防災ヘ
リコプターに乗せていただき、吉田高校、東部中学校、長野運動公
園、綿内小学校で市民の皆さんが真剣に訓練に励んでいる姿などを
上空から視察させていただきました。また、川の中洲に取り残され
た人をヘリコプターで救出する訓練も興味深く拝見しましたし、自
衛隊のヘリコプターも飛来し、重傷者の搬送訓練をしていただきま
した。

 午前11時頃、一連の訓練が終了しました。あっては困ることで
ありますが、いざ実際の地震に遭遇した時、今日のように整然と行
動できるかどうか心配しながら、終了の挨拶をさせていただきまし
た。

 昨年はこの防災訓練の翌日、若穂で山林火災が発生して3日間燃
え続けたことは、記憶に新しいところです。

 「災害は忘れた頃にやってくる」とは古くからの言い伝えですが、
行政の責任の重要な部分として、災害から市民の生命、財産を守る
ということがあり、行政は常に市民の皆さんに防災意識の啓発をし
ていくことも含め、きちんとした危機管理体制を整え、迅速な対応
をしていかなくてはなりません。

 そういう意味から申し上げると、過日、松代の住宅火災の折、消
防車が到着したのに、消火栓から水が出なかったということは本当
に申し訳ない事故だったと反省しています。水道管を敷設したのが、
大正時代だったとか、消火栓の放水試験をすると赤水が発生し、市
民、特に食堂経営等の方に迷惑がかかるという問題があるようです
が、それは理由になりません。消火栓が消火栓の役目を果さなかっ
た、危機管理ということを常に言っている立場として、本当に申し
訳ないことと思っています。

 地震発生を想定した防災訓練をやって、改めて痛切に感じること
が一つあります。それは、昔の善光寺地震の例でもわかるように、
長野市が災害に遭うとしたら一番怖いのは、やはり地震ではないで
しょうか。

 特に、糸魚川-静岡構造線(牛伏寺断層)が今後30年の間に14
%の確率で大地震を起こすであろうと言われております。

 この地震は、長野市にとって、いや長野県にとっての緊急に備え
るべき最大のリスクだと感じています。日本にある数多くの活断層
の中で、最大規模で発生確率も最高だと位置付けられているようで
すし、私も子どもの頃から、先生にその危険性を教わった記憶があ
ります。

 東海地震、東南海・南海地震や宮城県沖地震を含む日本海溝周辺
地震、そして首都直下型地震など、これらの地震に関しては中央防
災会議の専門調査会が作られ、政府を挙げて対応策の議論が継続、
あるいは開始しているようです。

 私の個人的な見解ですが、糸魚川-静岡構造線に関しても、政府
の中央防災会議で議題として取り上げていただき、予想される甚大
な被害に備える対応策を議論していくべきだと思います。地震調査
研究推進本部地震調査委員会では、マグニチュード7.5から8.5
という阪神淡路大震災の6倍から36倍くらいのエネルギーの大地
震が、信濃の国を高い確率で襲うと評価しているのですから、地元
の県としては、政府への要請として、そのくらいの体制で検討をは
じめてもらいたいし、県でも本腰を入れて取り組む姿勢が必要なの
ではないでしょうか。

 しかしながら現段階では、中央政府の中に、「長野県のために一
肌脱いでやろうではないか、東海地震よりフォッサマグナの方が危
険だよ」と言ってくれる人は残念ながらいないのではないでしょう
か。足元の大規模地震に備えるという県の姿勢も、本格的とは思え
ません。逃げるわけではありませんが、長野市単独ではどうにもな
らないテーマです。

 県の姿勢として、県出身の国会議員の先生や県会議員、市町村長
を糾合し、説得して国に働きかけることをぜひお願いしたいと思い
ます。

 今、県に求められているのは、国に対し抵抗勢力であることを誇
ることではなく、国と協力し合って真に必要なことを実現する、国
にその必要性を説き、説得することであろうと私は考えます。

 県の施策を応援しようとする国や市町村の体制、人脈があまりに
も少ない。今のままでは心配です。このままでは・・・・・・。

2003年8月28日木曜日

三十三献灯(さんじょさん 雨乞い祭り)に参加して


 8月9日(土)の夜、篠ノ井の塩崎の長谷観音へ、地元の区長さんの
お招きで訪問しました。このお寺に伝わる素晴らしいお祭りがあるので、
市長にぜひ見て欲しいとのことでしたので、夜、わずかな時間でしたが
訪問させていただきました。

 夜でしたので、周りの景色はわかりませんでしたが、長谷観音の建物は、
神仏混交のような感じを受け、古く歴史のありそうなたたずまいでした。
庫裏で、ご住職や区の役員さんのお話をお聞きするなどして過ごしまし
たが、この建物にしても歴史の趣があり、地域の皆さんが大切に守って
きたのだろうなあと感じました。

 午後9時から勇壮な夏祭りが始まるとのことでした(私は、残念ながら、
次の予定のため、8時半に退席させていただきました)。

 塩崎の地に三百年も続いている、この勇壮な夏祭りは、「さんじょさん」
と呼ばれているのだそうです。初めは純粋な雨乞いの祈願であったものが、
やがて例祭となり、長谷観音へ献灯する形となってきたものと言われてい
ます。

 名前の由来は、昔、この地に三十三軒の集落があったという言い伝えや、
観音様が三十三回化身して衆生を救ったという故事になぞらえたものとい
う話もあります。

 また、このお祭りは、「三十三燈籠」として、昭和44年9月10日に
長野市の選択無形民俗文化財に指定され、「無形民俗資料に選択し、記録
作成のうえ保存する」こととなっています。

 お祭りでは、腹掛け姿に向こう鉢巻の若い衆、子供衆およそ100人が
三十三灯籠を担ぎ、村中を走り抜け、長谷観音の石段を駆け上って、立て
られた灯籠を大きく揺さぶります。そして、提灯の燃え上がる数が多いほど
その年は豊作であるということです。

 特別な動きやストーリーがある訳でもないのに、延々と伝承されてきた
のは、このお祭りが地域の皆さんに愛されてきたことが一番の理由では
ないでしょうか。来年はぜひ最後まで見せていただきたい、と思いました。

 お話によりますと、長谷観音の裏山に塩崎城の城址があり、石垣も残っ
ているとのことです。景色も素晴らしく、善光寺平を一望にできる所である
というお話でした。先週のメルマガでお伝えした若穂の蓮台寺の裏山と向き
合っているような位置関係であり、ここも素晴らしいトレッキングコースに
なりそうです。

 善光寺平一周トレッキングコースをつくりたい、というのが私の構想です。
七二会、若槻、若穂、そして塩崎・・・・一周、繋がれば素晴らしいですね。

2003年8月21日木曜日

若穂綿内の「わたおこし会」


 7月5日(土)若穂の蓮台寺で、移動市長室を開催させていただ
きました。「わたおこし会」というのは、「綿内」の「まちおこし」
ということで、5年前から蓮台寺の境内をはじめ、綿内を「紫陽花
の里」にしようと取り組んでいるグループ(約30名)です。

 蓮台寺は、九品仏(くほんぶつ=9体の仏像)で有名ですが、こ
の内8体は一度焼失し江戸時代になって補足されたもので、残って
いる1体(木造阿弥陀如来坐像)が重要文化財になっています。集
落から少し登った傾斜地に位置する、地元の皆さんが大切にしてい
る真言宗のお寺です。

 当日は、住職の宮沢さんや「わたおこし会」の堀内会長さんから、
これまでの取り組み状況についてご説明を受け、グループの皆さん
にご苦労話などお聞きしました。

 紫陽花という花は、日当たりが良すぎると駄目、土が大切(岩盤
では難しい)、水が必要、ということで、この土地では植栽が難し
いのですが、皆さんはそれに挑戦。

 平成13年から三年間、コミュニティ助成事業(宝くじ)の補助
金をもらって植栽を続けてこられ、最終目標として4,000本の
紫陽花を植える予定だそうです。最初の年に植えた紫陽花はいくつ
も残らなかったので、次の年は土の入れ替えから取り組むという工
夫も重ねられたということです。

 水が足りなくて坂の下から持ち上げるのは、大変苦労とのことで
す。水利が悪い土地ですので、市がお手伝いできることがあるか研
究してみたいと考えております。また、境内には大きな枝垂れ桜の
老木が何本もあり、花見の時期には、皆さんでライトアップに取り
組んでいるとのことでした。

 お寺の庫裏で移動市長室(懇談会)を開催させていただきました。
皆さん、すごく気持ちの良い人たちで、自分達のまちは自分達でつ
くろう、もし市役所が手伝ってくれるならありがたい、そんな雰囲
気を感じました。困難もあるのでしょうが、何年か後、紫陽花で埋
め尽くされた若穂の名物寺が出現することを期待したいと思います。

 三年間の宝くじの補助金が終了してしまいましたが、今年から長
野市が始めた「ながのまちづくり活動支援事業補助金」に応募して
みたらどうでしょうか、とアドバイスさせていただきました。

 多方面にわたって懇談いたしましたが、地図で見るとお寺の裏山
が、結構急峻のようですが、綿内の地域の真中に張り出している感
じで、すでに整備されている遊歩道もありますので、昨年、七二会
で始めたトレッキングコースの若穂版にしたらどうでしょうか、と
提案いたしました。長野市を見下ろす景色も素晴らしいそうで、ぜ
ひ歩いてみたいものです。

2003年8月14日木曜日

長野の夏祭りに寄せて



 長野の夏祭りは、今年も盛大に行われました。昨年この時期のメ
ルマガで「長野びんずる」創設の頃の苦労話をさせていただきまし
たので、今回は現在の祭り(市民祭)の話をさせていただきます。

 篠ノ井で7月26日(土)に行われた「篠ノ井合戦まつり」は長
野びんずるの小型版として、篠ノ井駅前通りに火釜をいくつか据え
て、たくさんの連、そして大勢の市民が参加して、賑やかに演出さ
れていました。

 篠ノ井商工会議所の渡辺会頭のお話ですと、篠ノ井ではこの祭り
の日の人出が一番多いとのことでしたが、確かに皆さん色とりどり
の法被や浴衣姿で、見物したり踊ったり、また、お祭りにつきもの
の屋台店も出たりして、華やかな雰囲気でした。私も浴衣で参加さ
せていただき、支所連に加わって汗をかきながら踊ってまいりまし
た。

 若穂で7月27日(日)に行われた「若穂ふれあい踊り」は、人
口が少ないせいもあり、通行止めは僅かで、支所周辺の広場を使っ
ての開催でした。

 ユニークなのは、地域を挙げて取り組んでいる姿が良く分かるこ
とです。具体的に申しますと、川田小の女子ソフトボールチームが
、三年連続全国大会出場を決めたということで、チーム全員を舞台
に乗せて、地域住民みんなでお祝いする、選手も監督さんも共々決
意を述べるといった具合です。

 これは素晴らしい企画だと思いました。来年以降、「長野びんず
る」でも、この一年間に長野を代表して活躍した人とか、社会のた
めに頑張った人とか、そういう人に善光寺からセントラルスクゥエ
アまで行列の先頭を歩いてもらうのはどうでしょうか。

 さしずめ来年は、長野工業高校野球部の選手・監督さん、バスジ
ャックを解決した川中島バスの運転手さん、もしかすると野球でN
TT信越クラブが都市対抗で好成績をあげるとか、新谷志保美選手
がスピード・スケートのワールドカップで優勝する、スペシャルオ
リンピックスの前大会で優秀な選手が出現する・・・・・。そんな
場合は、大勢になるかも知れませんね。夢も含めてそういう素晴ら
しい人を長野市民に紹介しみんなで喜ぶ、そんな「長野びんずる」
を考えました。びんずる実行委員会の役員会でぜひ提案してみたい
テーマだと思います。

 「長野びんずる」は、8月2日(土)に行われました。善光寺で
の採火式は大勧進のお貫主さん、大本願のお上人さん、両ご住職の
先導で、一山住職の読経の中、善光寺の法燈から分火していただき
、長野JCの皆さんにより御輿に乗せられてセントラルスクゥエア
まで運ばれ、火釜に点火されて祭りが始まりました。

 連は201連、踊り手は約1万人、見物人20万人ということで
したが、私の目からは昨年より多くの人出があったように感じまし
たし、連の流れも昨年より少し良くなったかなと感じました。

 連がスムーズに流れない理由は、各連の踊り手が予定より増えて
連が長くなってしまう、進行速度が連によってまちまちである、道
路を横切る見物客が多くて連と交錯し動かなくなる等々、事務局も
ボランティアの皆さんといろいろ研究しているようですが、外野席
から言うほど簡単ではないようです。

 絶好のお祭り日和、正調びんずるを踊る民踊連等の方々、変形で
はありますが、素晴らしいリズム感で新しい感性を発揮して踊る若
い方々、多様な動きで飛んだり跳ねたりしているグループ、コンク
ールの審査員もさぞ審査に困ったことでしょう。でも長野の夏の風
物詩として、すっかり定着し、新しい息吹が生まれているように感
じました。

 今年で33回目を数え、昼の子供みこしも含め、いろいろな工夫
をしながら、成長していく祭りだなあと感じております。

2003年8月7日木曜日

「市町村合併に関する市民会議」で寄せられた意見について



 5月にスタートした「市町村合併に関する市民会議」は、7月21
日の若里市民文化ホールで一応の締めくくりになりました。最終回
は、少し工夫しようということで、長野青年会議所の若林理事長に
任意合併協議会委員の立場で、長野県青年国際交流機構の樋口会長
に合併建設計画策定委員会委員の立場で参加していただき、意見を
述べていただきました。

 全体的に申し上げますと、まず長野市民の合併に関する機運は低
調でした。広報ながのやホームページでお知らせし、また、各区長
さん、民生委員・児童委員さん方にお願いして出席依頼をしたので
すが、11回の開催でお集まりいただいた方が1,000名ぐらい
でした。

 理由は様々であろうと思います。まず、今回の合併は、人口でい
えば約2万人の増であり、合併協議を進めている1町3村のそれぞ
れの事務事業や各種制度についても、実質的には長野市に合わせて
いただくことが大部分で、長野市民の実生活にとってほとんど影響
がないことがあげられると思います。また、もう決まったような話
で、わざわざ聞かなくても良いと考えられた方もいたのでしょうか。

 長野市とすれば多くの方に出席していただきたいということで努
力をしてきたことですし、今後、法定合併協議会に移れるかどうか
の最終決定は、長野市としての方針をきちんとお示しし、議会に委
ねることになります。

 市民会議において寄せられた意見と、それに対してお答えした長
野市としての考え方について、その主なものを列挙してみますと

1.長野市の姿勢は消極的過ぎるのではないか、もっと周辺市町村
  に働きかけ、将来の政令指定都市を視野に入れるべきではない
  かというご意見をいただきました。このことについては、確か
  に一理あるご意見であり、将来計画としてはそう有るべきだと
  私もお答えしています。しかし、長野広域連合18市町村では、
  今回の合併は、それぞれの市町村で考えようということが合意
  されていましたし、一番大きな都市である長野市からの申し入
  れは圧力になるとも考え、消極的ともいわれる姿勢をとったも
  のです。ただ、今回の合併の期限が平成17年3月という意味
  は、国の財政的な援助を受けられる期限であって、合併そのも
  のの期限ではありません。更に大きな合併を目指すとすれば、
  それからでも充分可能です。

2.借金が多く、高齢化率が高い町村と合併することは、財政的に
  心配があるというご意見も多く聞かれました。確かに長野市も
  含め、どこの市町村も同じ悩みを抱えていることは事実です
  が、高齢化率で言えば合併した場合0.6%ぐらいは進行しま
  すが、30年後の推計では0.1%しか変わらないということ
  をお話ししました。借金についても、もちろん増えることは事
  実ですが、長野市の借金ははるかに多額であり、収入もあるわ
  けで、合併したから財政が苦しくなるということでは無いとお
  答えしました。

3.合併特例債等で行う新たな投資は、返済時に国が面倒をみると
  いっても、結局、それは我々の税金であり、無駄な投資をすべ
  きではないというご意見もありました。ごもっともなご意見で
  あり、不必要、あるいは無駄な投資をするつもりは全くありま
  せんし、そんなお金もありません。ただ箱物はいらないとは思
  いますが、道路については合併の効果、一体性の確保のために
  必要があるのではないでしょうか。いずれにしろ、今後、いか
  に効率的かつ素晴らしい新市建設計画を策定して合意するか、
  任意合併協議会に課せられた任務でしょう。

4.合併を契機に、行政もリストラクチャリング(再構築)が大切
  で、大きな行政府を作るべきでないというご意見には、全面的
  に賛意を表しました。具体的には、町村側の特別職(三役)、
  議員(定数・在任の特例措置がありますが)については、編入
  合併の場合、原則全て失職です。それだけに合併の申し入れと
  いうのは、受ける側は真摯に受け止める必要があると考えてい
  ます。一般職の場合は、全員長野市職員になりますので、一時
  的には職員数が増えることは避けられませんが、重複する管理
  部門のスリム化を図り、専門的な職種や市民サービスの部門に
  重点的に職員を配置しながら、採用を抑制したり、あるいは、
  職員が独立して市のサービスの民営化推進に貢献してくれる、
  そんな気概のある職員が現れることも期待しています。

5.域内分権(都市内分権)については、その重要性を指摘する方
  が多かったと思います。これは、国も今回の合併を推進する立
  場から、地方制度調査会が「合併する市町村に、何らかの住民
  自治組織を残す必要がある」と発表しており、長野市では合併
  する町村だけではなく、現行の長野市全域に住民自治組織を作
  り、行政を住民の皆さんの目線となるべく近い所で行いたいと
  考え、今、庁内組織でいろいろ検討をしています。大変大きな
  問題ですから、今日、明日実現とはいきませんが、合併町村の
  皆さんもかなり期待されているようですから、なるべく早く目
  途をつけたいと考えています。一番難しいのは、全体を大きな
  行政にしないことだと考えています。

 また、参加された方々にアンケート調査を実施したところ、合併
にあたり期待することとして、1.豊かな自然と生活環境に恵まれ
た魅力あるまちづくり、2.県都・地方中核都市としての更なる発
展、3.広域的な課題への適切な対応、4.行財政運営の効率化、
が主なものでした。反面、心配されることとしては、1.市民の負
担が増えるかもしれない、2.市民サービスが低下するかもしれな
い、3.市民の声が届きにくくなるかもしれない、といったものが
主なものでありました。市民の皆さんのこうした期待にお応えでき
るよう、また、心配が現実にならないように常に念頭におきなが
ら、合併作業を進めていきたいと考えています。

 以上、市民会議が一段落した段階での報告とさせていただきます。
今後、現在の調整作業を継続し、新市建設計画の目途をつけ(長野
市議会議員選挙もありますので、日程はかなり厳しいものがありま
すが)、年末までには法定合併協議会へ移行できるように最善を尽
くします。その間、情報は綿密に市民のみなさんにお伝えしていき
たいと考えています。

2003年7月31日木曜日

周辺町村との合併についての市民会議


 長野市は現在、豊野町及び大岡村・戸隠村・鬼無里村と任意合併
協議会を開催していることはご存じと思います。それと並行して、
5月末から7月にかけて、合併に関する市民の皆さんの意見をお聴
きするために、「市町村合併に関する市民会議」を市内11か所で
開催し、1か所平均100人前後の皆さんにご出席をいただきまし
た。

 会議では、最初に私からプロジェクターを使い市町村合併の概要
について説明をさせていただき、その後、出席者からの質問にお答
えし、約一時間半で終了させていただく形式で行いました。なお、
終了後、出席された皆さんにアンケートにお答えいただくことをお
願いしました。

 ご説明した内容は

1.近隣の町村と長野市は、通勤・通学・買物・通院・消防・救急
  等で、すでに広域圏を形成し、長野市と事実上一体となってい
  ます。さらに、周辺市町村から長野市へ多くの方が転入して来
  られたことによって、今の中核市としての機能を有する長野市
  が形成されてきています。その意味では地域のリーダー都市と
  して周辺住民の総合的な福祉を考えていくことが大切ではない
  でしょうか。

2.人口は現在の約36万人から約2万人しか増えないけれど、市
  域は現在の404平方キロから738平方キロに増えます。効
  率面からいえば厳しいかもしれないが、その中には素晴らしい
  自然と文化、そして歴史があり、“ながの”を上回るブランド
  力と考えられるものもあります。こういう地域が合併すること
  によって、長野の魅力が一段と高まるのではないでしょうか。
  都市部と山間部の共生を考えたいと思います。

3.財政の問題は、総体的に考えた場合、合併をしてもしなくても、
  現在の長野市にとっては大きな違いはありません。もちろん借
  金は多少増えますが、収入もあるわけで、長野市の財政力から
  いえばたいしたことはないと断言できます。国の三位一体の改
  革の中で、税源移譲をするということは、地方分権の本旨に照
  らして望ましい方向ではありますが、何の税源を移譲するのか
  がはっきりしません。今後の流れを見守る必要があるけれど、
  国の財政状況からいえば、厳しい話しが出てくることは間違い
  ありません。その時、小さな町村は多分問題になるでしょう。
  地方分権の受け皿たるべき市町村の行財政能力を上げておくこ
  とが、一番大切であり、合併はその手段である。地域みんなで
  力を合わせましょう、ということでしょうか。

4.新市の名前は「長野市」、事務所の位置も長野市役所の場所、
  合併の形式も昭和41年の大合併とは違い「編入合併」(対等
  に合併する場合は新設合併と言います)ということが、任意合
  併協議会の場で了承されています。

5.市民に対するサービス及び市民の負担については、約2,500
  項目の事務事業について、現在、調整を行っています。基本的な
  方針は、「一体性の確保・サービス水準の維持・財政の健全性の
  維持」ということで、原則として長野市の水準が高い場合には、
  長野市の制度に統一する。町村の水準が高い場合には、財政負担
  等を勘案して、調整するという方針です。全般的には長野市の水
  準が高いのですが、部分的には町村の方が住民に手厚くしている
  部分があり、それを全て長野市に適用すると、大変な負担になる
  ものもあるようです。

6.新市の建設計画は、任意合併協議会の下に、公募委員も含めて
  設置された建設計画策定委員会で現在策定中ですが、法定合併
  協議会に移行するまでには計画案を定める、ということで議論
  をお願いしています。要は、合併特例債を使ってどんな事業を
  やるか、国や県の補助金が厳しくなる中で、住民の皆さんがど
  んなまちづくりを望んでいるのか、慎重に考えています。公共
  事業はいらないと言う方もいらっしゃいますが、地域の皆さん
  の要望は結構多いようです。私は、もう箱物はほとんどいらな
  いと思いますが、道路は一体性確保の意味でも必要と思ってい
  ます。いずれにしろ、合併特例債があるから全て使うというの
  ではなくて、必要な公共事業は実施していくという考え方で進
  めたいと思います。

 以上のようなことを、皆さんにご理解いただけるように、プロジ
ェクターを使って説明をさせていただきました。

 来週は、この「合併に関する市民会議」を通じて寄せられたご意
見やアンケートの回答の内容などについてお伝えしたいと思います。

2003年7月24日木曜日

住基ネット離脱問題について(その2)


 先週は、住基ネット(注1)離脱問題における経緯と私の意見を
述べさせていただきました。

 今週は、住基ネットに関連して大きな影響力をもつ、委員会や審
議会のあり方について感じたことをお伝えするとともに、国が進め
るe-JAPAN構想(注2)について触れてみたいと思います。

 現在、住民参加の行政運営においてますます重要性を増している
委員会や審議会は、様々な見地から検討を行うことができる重要な
組織ですが、最近の県における委員の選ばれ方が恣意的すぎるとい
うことは私が前から主張してきたことであります。

 過去の委員会や審議会は、議会論議等でもう一度慎重に検討する
ことができたから良かったのでしょうが、現在の状況は当時と違い、
委員会や審議会が格段に力を持ってしまった(それは田中知事効果
でしょうが)時代になると、委員会や審議会のあり方をもう一度問
い直し、特に委員の選び方を根本的に変える必要があるように思い
ます。ただこれは難しい。

 私も長野市行政を運営するに当たって、委員会や審議会を数多く
設置し、行政を進める上でのご意見をいただいております。この委
員さんの選任権は市長にあるのですが、公正に選任することはかな
り難しい。知っている人を選ぶのは、公正とは言えません。まして
や賛成者ばかりということも許されないのです。

 私は、市長就任以来、1年8か月の間にいろいろな委員さんを任
命させていただきましたが、私から意見を言ったのは1名だけ(こ
の方をぜひ入れてほしいという意味)、その他は、全て担当課が選
んだ方をお願いしています。しかも、長野市にはいろいろ制約があ
って、一人の方がいろいろな委員に選任されることを認めない、あ
るいは女性の登用比率の努力目標もあって、委員を公平に選ぶとい
うのは簡単ではありません。

 ただ、これだけは言えます。その委員会や審議会が仮に紛糾した
場合、多数決で結論を出すことだけは、やってはいけないことだと
思います。なぜなら多数決で良いなら、委員を任命した段階で全て
おしまい、結論は出ているわけです。審議はセレモニーに過ぎない
と思うのです。

 もうひとつ、根本的な問題があります。日本はIT社会の進展に
伴い、e―JAPAN構想を打ち出し、世界に冠たるIT国家にし
ようということを目指しています。住基ネットはそのベースになる
ものでしょう。そして現在、コンピューターのない社会は想像でき
ないほどに私達の生活に浸透してきていると思います。行政だけが
時代遅れのことをやっているわけにはいかない、e―JAPAN構
想は時代の流れを見通した上で、それなりの方針・哲学をもってス
タートした事業であると私は感じています。

 いろいろ問題はあるでしょうが、私達の社会を素晴らしいものに
発展させてくれる道具の一つであるということを、私は信じていま
す。そのことに反対の方々がいらっしゃることは承知しています。
でも、その方々に申し上げます。それならまず国に対しおっしゃっ
ていただき、国の法律を変える努力をすべきであり、それが民主主
義の原点だということです。

(注1)
住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)=全国の市町村
と都道府県などを専用回線で結び、本人確認情報(氏名・生年月日・
性別・住所・住民票コードとこれらの変更情報)により、全国共通
の本人確認を可能とするシステム。


(注2)
e―JAPAN構想=国内における情報通信ネットワークの普及と
技術向上を図り、世界最先端のIT(情報通信技術)国家となるこ
とを目指す構想

2003年7月17日木曜日

住基ネット離脱問題について(その1)


 長野県の本人確認情報保護審議会(住基ネットにおける本人確認
情報の保護について調査審議する審議会)が、住基ネットからの離
脱を中間答申したという報道にびっくりしました。

 今回は、この住基ネット離脱の問題と答申に至るまでの疑問点に
ついて、2回に分けて配信したいと思います。

 住基ネット離脱問題は、当初、単なる審議会の意見であり、それ
を受けた県がどうするか、という問題であり、市町村の立場とすれ
ば、県がこのような答申をまともに受けるはずはないと考えていた
のですが、その後、状況が変わる可能性もあるようなので、あえて
私の意見を表明させていただきます。

 住基ネットは、国が定めた「住民基本台帳法」に基づき、市町村
が制度を整備しなくてはならない事務事業であり、県は国と市町村
との中間で、市町村のデータをまとめて国に渡す部分を担当する責
務があります。

 法律で定められている行為ですから、日本国民である以上、まし
てや地方自治体が勝手に止めるということはできないはずです。し
かもここ数年、県当局が、国の指導に基づき県内市町村の住基ネッ
ト整備について、指導してきており、市町村はその指導に従って、
莫大な費用(長野市の場合1億2,000万円)をかけてきたわけ
ですから、その責任はどうするのでしょうか?本当に離脱するとす
れば、あまりにも一貫性が無く、あきれてしまうばかりです。

 離脱答申の新聞記事を読んで、ひとつだけ私も気になった部分が
あります。それは住基ネットがインターネットにつながっている自治
体があるという点です。

 私もすぐ担当者を呼び、長野市の方式については、完全に離れて
いることを再確認してホッとしました。ただ、つないである自治体も
二重のファイアウォール(インターネットを通じた不正アクセスか
ら住基ネットを守る障壁)でガードしてあり、国、県がそれでよろ
しいということで認め、指導してきたとのことです。

 私には分かりませんが、インターネットには絶対に安全というこ
とはないそうで、ファイアウォールが破られる可能性があるという
ことが言われていることは承知しています。しかし、行政の担当者
にすれば、法律が決まって、県から指導されれば、その通りやるこ
とは当たり前でしょう。

 また、審議会の中間答申の元になった、各自治体の担当者を対象
としたアンケート調査についても確認しました。大変失礼ですが、
完全に誘導質問だなと思いました。

 まず結論ありきで作られたアンケートであり、私も担当者として
の答えを聞いて、当然と思いました。そんなアンケートを元に「離
脱せよ」という話しは全くナンセンスだと思います。

 アンケートにもいろいろありますが、公正な世論調査をするなら、
例えば世論調査協会等、第三者機関がきちんとしたかたちでやらな
くては、恣意的といわれても仕方ないでしょう。単なる意見を聞い
てみる程度の発想なら結構ですが、アンケートに答えた担当者も、
「このアンケートが元で「離脱」とは・・・」とびっくりしていました。

 長野県の一審議会とすれば、もし危険性があるということでした
ら「インターネットにつなぐことは危険があるので、切り離すよう
に指導すべきであり、国にもそのことを提言すべきである」と提言
するのが、本来の姿勢でしょう。県の指導で8月から住基ネットの
第二次稼動に向けて準備している市町村に対し、いたずらな混乱を
引き起こすことは避けるべきです。中間答申を受けた県の反応が気
になります。

 あえて申し上げるとすれば、住基ネットの情報のうち、住民票コ
ードと変更情報以外の4情報(住所、氏名、生年月日及び性別)に
ついては、手続きを行えば誰でも閲覧ができる情報であり、住基ネ
ットの安全性確保のために、莫大な金をかけるということには、矛
盾や疑問を感じます。

 もうひとつ、情報漏れというのは、ほとんどの場合それを扱う人
間の問題であると様々の事件報道を見ていて感じます。保護すべき
情報はもちろんありますし、それが外部に漏れないようにガードを
固めることは大切ですが、情報漏れを防ぐ重要な鍵は、人間教育だ
と私は思います。

 いずれにしろ、長野市として法律違反はできません。予定通り進
めます。

 来週は、審議会のあり方やe-JAPAN構想について、私の考
えをお伝えしたいと思います。


(注)
住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)=全国の市町村
と都道府県などを専用回線で結び、本人確認情報(氏名・生年月日・
性別・住所・住民票コードとこれらの変更情報)により、全国共通
の本人確認を可能とするシステム。

2003年7月10日木曜日

こども広場がスタート、盛況です。


 もんぜんぷら座の2階に、こども広場(じゃん・けん・ぽん)が
オープンし、連日、大勢のお母さんや子どもさん達で賑わっていま
す。

 オープンから1か月経った7月1日(火)、少し時間が空いたので
立ち寄ってみました。ちょうど、お母さん方が夕食の仕度で一番忙
しい時間帯でしたので、遊んでいるお子さんは少なかったようです
が、担当の方から、1か月間で約6千人が訪れたというお話しを聞
いて、需要があるのだな、ということを確信しました。

 昨年、市内の保育所を視察し、保育士さんの話を聞く機会があり
ました。保育所の2階などに「子育て支援センター」が設けられて
いて、その保育所に入園していないお子さんがお母さんと一緒に通
ってくるのですが、その理由は、教育とか子どもを遊ばせるという
ことだけでなく、お母さん同士のコミュニケーションが出来ること
が素晴らしいということでした。また、新聞などにも出ていたので
すが、「家に子どもと二人でいると、息が詰まる」という不安をも
ち、支援センターを利用されている方もいらっしゃるようです。

 その時からいろいろ考えていたのですが、もんぜんぷら座の取得
が決まった段階から、このこども広場のプロジェクトを立ち上げる
ことになり、運営も「こどもの城」を作りたいというNPOが手を
挙げてくださいましたので、公募審査を経て、長野市が運営委託を
したものです。

 大型店が撤退して空洞化した市街地ですから、何とか人の賑わい
をつくりたい、商売も多少はやりたい、空洞化した市街地の復活モ
デルにしたい、ということがベースにありましたので、その目玉の
施設になるのではないか・・・・、行政はそう考えて取り組みを始
めたものです。

 運営を受託したNPO法人「ながのこどもの城いきいきプロジェ
クト」のスタッフは、自然の素材を生かした遊具や絵本を用意した
り、子どもさんが自由に跳んで歩けるような配慮をしてくださって
いますので、評判は良いようです。

 子育て支援施設に関しましては、長野市南部にも欲しいという地
元の皆さんの要請もあり、篠ノ井ハローワークの跡地の建物を利用
して、基幹的子育て支援センターを作る予定で取り組んでいます。
ただ、現在9か所ある「子育て支援センター」に通ってこられるお
母さん方の中には、今日はどこのセンターが開いているか、調べて
渡り歩くというお話しも聞いていますので、運営には若干の工夫は
いると思います。

 ただし、このような施設を市内にたくさん作ることは、想定して
いません。常時オープンしている施設ということで、既存の幼稚園
や保育園と競合関係が出てきてしまうことは困ります(子育て支援
センターは無償ですから、私の言う民営化の競合関係ではないので
す)。中心市街地にある、子育てに関する一つのメニューとして利
用していただければ幸いです。

 もんぜんぷら座について付け加えさせていただくならば、3階の
市民公益活動センターの利用も始まっています。まだ宣伝が十分行
き届いていないようですが、NPOにお貸しするブースもあと3つ
残るだけですし、広場利用、あるいは国際交流コーナーの利用者の
輪が広がっているようです。

 4階以上の利用法も含めて、引き続き市民の皆さんの活用を期待
しています。それが元気なまち長野につながると信じています。

2003年7月3日木曜日

Eメール碁の楽しみ


 7月1日(火)、長野ホテル犀北館で、囲碁タイトル戦「第28期
碁聖戦五番勝負第一局」が行われました。碁聖・小林光一九段に対
し依田紀基名人が挑む、この対局は信濃毎日新聞創刊130周年の
記念行事として行われたもので、囲碁ファンにとっては、文字どお
り夢の対局といってもオーバーではない組み合わせでした。

 私は前夜祭にご招待いただき、ご挨拶をさせていただきました。
両対局者は北海道の出身とのことですが、大盤解説を担当される
小林覚九段はじめ、皆さん長野県には大変深いご縁のある方という
ことで、奇縁を感じました。歴史を誇る信濃毎日新聞さんの素晴ら
しい企画に感謝、感激でした。

 この大勝負とは関係ありませんが、今回は、私の趣味でもある囲
碁について書かせていただきます。 

 先日、「信州囲碁新報」という日本棋院県本部の機関紙を読んで
いましたら、「囲碁往還」という囲み記事の中で、「パソコン“ゴ”
に挑戦しよう」という記事がありました。内容は、最近囲碁の世界
で若手の台頭が著しいのは、コンピュータ時代のなせる現象という
ことで、「囲碁に強くなるために時代に即した、パソコン“ゴ”に
挑戦しよう」とありました。

 ある意味では、我々の年代の奮起を促した文章と拝読しました。
そんなことで、「パソコン碁について」の私の考え方を聞いていた
だきたいと思います。

 最近の囲碁の流行は、“ヒカルの碁”という漫画の影響もあるそ
うですが、子供たちの間でかなり盛んになっているようです。テレ
ビゲームに夢中になるより、“碁”の方が考えるし、相手との会話
やコミュニケーションがとれるなど、教育の一環としても良いので
はないかと言われています。

 また、高齢者を中心に囲碁は盛んなようで、老人憩いの家などで
は、そのためだけではありませんが、囲碁をやる方が多いので部屋
を増築して欲しい、といった陳情もありましたし、子供たちと高齢
者のコミュニケーションの手段としても、囲碁は大きな役割を果た
しているとお聞きしています。

 県内では大町市が「囲碁によるまちづくり」に取り組んでいるこ
とは有名です。各種の大会や囲碁教室が開催され、世界中から囲碁
をやる人が町にやってくるようです。観光施策の一環としても有効
と判断され、取り組んでおられるようです。

 私も囲碁は大好きです。でも忙しいものですから、碁を打つ時間
はほとんどとれないのが実情です。そこで、インターネットのEメ
ールを使った碁を、結構楽しんでやっています。

 囲碁の対戦ソフトを私も利用したことがありますが、コンピュー
タ相手では、本当の囲碁の醍醐味を味わえないという感じでした。
コンピュータ相手の囲碁ではなくて、人間相手の対戦の場として
(コンピュータを使うことには変わりはないのですが)インターネ
ット上に「囲碁道場」のような場が設定されています。

 多分最近は色々なシステムが開発されていると思いますが、私の
知っているものは、そのサイトを運営している方々が、誰でも参加
できるように工夫してあり、登録すると棋力等を勘案し相手を探し
てくれるもので、その組み合わせで囲碁を楽しむ。当然個人の棋力
に応じた力の差は出るわけで、通常の対局とほとんど変わりなく対
局できるわけですし、終われば「さようなら」ということで、まことに
嬉しいシステムでした。ただ私は、顔も知らない方と囲碁をやるの
はどうも気が進まないし、結局一局終わるまである程度、時間的に
拘束されるわけで、あまりやる気にはなりませんでした。

 長野オリンピックが終わったころ、友人から「囲碁をやりましょ
うよ」と誘われ、インターネット利用の碁盤をメールで送ってもら
いました。碁盤といっても、画面上に361個の┼、├、┤・・・・
を組み合わせた碁盤で、あまり美しいとは言えないものですが、使
ってみると、大変面白い。以後すっかりはまってしまいました。

 その盤上に一手▲を入れて送る。すると相手は一手△を打って返
してくる。次は自分が前に打った▲を●に変えて、次の▲を打って
返す。すると相手も前の△を○に変えて、次の△を打ってくる。こ
の繰り返しです(△、▲は自分の打った手を示す意味で、必要で
す)。一日一手の場合もありますし、休みの日にお互い家にいて、数
手進むこともあります。一局終わるのに、最短でも3ヶ月はかかり
ます。

 随分悠長な話とお感じになるでしょうが、このメール碁で一番有
り難いのは、時間の制約がないことです。例えば私などは、夜中に
メルマガを書きながらでも、相手から送ってきた盤面に一手加えて
送信すればよいだけですから、1分もあれば充分、良い息抜きにも
なっています。もう一つの素晴らしい点は、会話が出来ることです。
何の制約もないメールですし、相手も親しい人ですから、碁盤と一
緒に、いくらでも文章を書いて送ればよいのです。

 碁好きで議論好きな人は、延々と文章を書いて、その下に碁盤を
つけてくる。遠く離れた人と近況を報告し合うこともありますし、
楽しく、素晴らしい情報源です。加えて友達さえいれば、何人とで
も、お金が全然かからないで楽しく遊べるということでしょう。
高齢者が多い時代にはピッタリのシステムと考えています。

 欠点を申し上げますと、碁盤を作るのが意外に面倒なことと、返
信を忘れてしまうことがあることです。碁が難しい局面では、もう
少し考えてから・・・。すると、そのうちに忘れてしまうのです。
返事をよこさない人には、催促する意味でもう一度同じ盤を送るこ
とが必要でしょう。

 海外へ長期出張するときなど「明日から出かけるので、しばらく
お休み」なんてメールがついてきて、出張から帰ってくると、お土
産話がついた盤面が送られてきます。「なぜパソコンを持って行か
ないのですか?」なんて冗談を言ったこともありました。

 友達の中には、夜、自分のパソコンを開くとき「恋文がきている
かなと胸が躍る」なんて言う方もいます。なかなか楽しいですよ。

2003年6月26日木曜日

地方交付税について(2)


 先週は、地方交付税(以下「交付税」とします。)の仕組みにつ
いてお伝えさせていただきました。

 さて今週は、国における財政再建の推進の中で、この交付税がど
のように変わろうとしているのかをお伝えしたいと思います。

 現在、国ではこの交付税を減額しようという動きがあり、このこ
とは地方にとっては大変なことです。

 小泉首相のいわゆる三位一体の改革というのは、「国の補助金・
負担金を廃止・縮減」「地方交付税の減額」「地方への税源移譲」
の3つを同時にやろうということなのです。

 地方自治体にとって、補助金・負担金、そして交付税を減らされ
てもそれに見合う税源がもらえるなら別に困らないのですが、どう
もそうはならない。アドバルーン的発言とは思いますが、塩川財務
大臣が「補助金を廃止して、その70%を地方に税源移譲する」と
発言されましたが、では残りの30%はどうなるのですか?それを
減らされたら地方は立ち行かなくなる、と心配していた訳です。

 確かに国の財政事情を考えれば、多少の減額は仕方ないとは思い
ますが、市町村は、国や県と違い、住民の皆さんとダイレクトに接
している訳で、現在やっている事業を止めると国や県が言っても、
市町村は「はい、そうですか」とは言えない部分があるのです。

 そうした中で、先週の18日、国の経済財政諮問会議が開催され、
首相の指示により、改革は、2006年度までの3年間で、地方へ
の補助金・負担金を約4兆円削減し、その約80%を税源移譲する
こと、また、交付税は、見直しにより総額抑制するとの原案がまと
められました。しかし、具体的な内容は先送りされ、これからの予
算編成での検討ということです。

 長野市の平成15年度の一般会計(当初予算)の中で、独自財源
(地方税)の占める率は43.2%ですが、小さな町村では5%前後
のところがあり(豊野町19.8%、大岡村4.9%、戸隠村8.7%、
鬼無里村5.0%)、不足分は交付税に頼っている割合が高くなる
訳です。その交付税を減らすというのですから大変です。

 小さな自治体にとって、税源移譲といっても税源そのものがない
のですから、やりようがないのです。

 私は、将来的に考えるならという前提ですが、小さな自治体の税
源として考えるとすれば「きれいな水」「きれいな空気」「癒し」
等を都会へ売ってやる、あるいはそういう山村の役目に対し、都会
人から負担金をもらう、といった発想しかないと考えています。

 山や川、そして湖や森林が無ければ都会は成り立たないことは自
明の理だと私は思っています。ただ現段階でそれを主張しても合意
は得られないし、きちんとした法的根拠を作るのが難しいでしょう。
とすれば、当面は都市と周辺町村が合併して共存を考えることが、
一番良い解決法であろうと考える訳です。

 以上、市町村合併をせざるを得ない一番の理由は、最近、国や県
が「財政再建のため、市町村へ今まで通りの財政支援は出来ません」
と言い出したことにあるということが、お分かりいただけたのでは
ないでしょうか。

2003年6月19日木曜日

地方交付税について(1)


(地方交付税の仕組み)
 皆さんも「地方交付税」(以下、「交付税」といいます。)とい
う言葉は耳にしたことがあるかと思いますが、市町村合併を進める
上で、この交付税という制度が大変重要になっています。そこで今
回は、この交付税の制度についてご説明したいと思います。

 地方財政(市町村)の根本は、国が定める標準的な市民サービス
を行うために、市民の皆さんからいただく地方独自の税金(個人・
法人の市民税、固定資産税等)だけでは足りない分を、国が交付税
で補ってくれる(最近は国もお金がないために、その分を市町村の
責任で借金しなさい、返済期に交付税で面倒をみるから、と言って
います)システムです。もちろん大企業があって、税金がたくさん
入るため、国から交付税が来ない自治体もあります。このような地
方自治体を、交付税不交付団体と呼びますが、長野県内では唯一
軽井沢町が該当しており、少し前には坂城町も不交付団体でした
(日本中では、都道府県を含めて現在約3300の自治体のうち、
105自治体が不交付団体だそうです。トヨタ自動車の本拠地の
豊田市などが有名です)。

 では、交付税はどういう基準で配られているかということを説明
しましょう。

 市町村を例にとって言えば、国は人口10万人の都市をモデル
(基準)として、それぞれの都市ごとの人口や面積等により必要な
補正を加え、その都市がどのくらいの行政経費がかかるかというこ
とを計算して(仮にA円とします)、そのA円まで保障します。
ですから、自治体の独自財源(仮にB円とします。主たるものは
地方税です)B円がA円より少ない場合(ほとんどの自治体はこの
場合にあたります)は、その不足分(A-B)を交付税として国が
地方自治体に配分するシステムです。

 市長に就任して、このシステムを知ったとき、ホッとしたことは
事実です。なぜなら借金がある(オリンピックをやるために施設等
で大きな借金があります)長野市でも、破産することはないという
ことです。国が保障してくれているのですから・・・・・。でもよ
く考えてみると、逆に長野市が頑張って収入を増やしたとしても、
その分は交付税が減額になる訳で、長野市としては努力する甲斐
がないのではないか、と思いました。地方自治体同士が、お互い切
磋琢磨して、住民の幸せを願って競争したり、特色を打ち出したり
・・・・そういう精神が希薄になる理由だと思いました。

 さて、交付税の大まかな仕組みは、以上述べたとおりですが、こ
の交付税は、地方自治体にとって一般財源として自由に使えるお金
です。でも細かい計算は財政の担当者でないと分からないというの
が正直なところです。

 自主財源の少ない自治体であっても、公共施設を整備して維持管
理したり、一定の行政サービスを提供できるのは、この制度による
ところが大きい訳ですが、ただ、人口一人当たりの交付税が、自治
体によって何十倍、何百倍も違うということを聞くと、いくらなんで
も少し不公平ではないかなあ、と感じる訳です。

 実は、国・県からもらうお金はこの交付税だけでなく、補助金・
負担金というのもあります。複雑で分かりにくいのですが、こちら
は使い方について細かく国が定めており、他の目的に使うことは認
められていません。見方によっては、地方自治体に対して国の省庁
が指図する力の源泉と言っても間違いではないでしょう。

 来週は、この交付税というものが、「三位一体の改革」や「市町
村合併」という大きな流れの中で、どのようにかかわってくるのかと
いうことについてご説明したいと思います。

2003年6月12日木曜日

長野の春、御開帳一連の行事を振り返って


 5月31日(土)、御開帳最後の行事となる結願大法要が行われ、
前立本尊の御厨子の扉が閉められました。翌6月1日(日)の前立
本尊御還座式で、御厨子は神輿に乗せられて、大勧進の北側にある
善光寺の御宝庫に納められました。7年後の御開帳時にまたお出ま
しいただくということになります。

 3月30日(日)、御開帳の象徴である回向柱が、松代の皆さん
を中心とした善光寺回向柱寄進建立会から奉納される御開帳大回向
柱受入式が行われ、実質的な御開帳がスタートいたしました。

 江戸時代、幕府の命によって松代藩が善光寺の再建に尽力した縁
で、以来、回向柱は恒例によって松代藩が、明治以降は松代商工会
議所が中心になって、浄財を集めて奉納するという伝統が守られて
います。

 今回は、真田家第14代当主真田幸俊氏(横浜市在住)が馬に乗
って先導され、大名行列が続き、古式豊かに回向柱の賑やかな行列
が市内を練り歩き、善光寺本堂前に奉納されました。

 4月6日(日)の御開帳開闢(かいびゃく)大法要までの間に大
勧進の小松玄澄大僧正が回向柱に立派な梵字(ぼんじ)を書かれ、
伝統の技法で回向柱の建立が行われました。そして、御宝庫から
前立本尊が本堂に御遷座(せんざ)されて、阿弥陀如来様の右手と
回向柱が善の綱で結ばれることにより準備が整ったわけです。

 以後、5月末日までの56日間にわたり御開帳が行われ、628
万人という空前の人出となりました。

 世界では、テロ、SARS、あるいは経済不況といった嫌なこと
の多い中で、善光寺さんの持つ全ての人を受け入れる包容力、平和
のイメージが、多くの方に受け入れられたのでしょう。沢山の参詣
者が長い行列をつくり、回向柱に触れて何事かを祈り、またご利益
を願っておられました。

 直接的な御開帳行事だけではありませんが、この2か月間にあっ
た主なイベントを列挙してみますと、もんぜんぷら座TOMATO
食品館・楽茶れんが館・パティオ大門のオープン、長野オリンピッ
ク記念長野マラソン、天台宗中日庭儀式、ながの花フェスタ(善光
寺花回廊とインフィオラータ・イン・NAGANO)、浄土宗中日
庭儀式、屋台巡行・・・・個々の事業を数え上げれば切りがありま
せんが、この時期長野はとても元気があり、有り難いことでした。

 遠くから来た友達(67歳ぐらい)が「7年後だと来れない可能
性もあるから・・・」と言ってくれた時、善光寺さんの縁だなあと
感じました。

 参詣客の財布の紐は固かった、賑わいは善光寺周辺のみで全体へ
の波及効果が薄かった、バスのお客が多くて市内のメリットが少な
かった、等々の意見は聞かれますが、それは今後への反省事項とし
て検討しなくてはいけません。しかし、まずは善光寺さんの偉大さ、
素晴らしさを改めて実感したのは私だけではないと思います。この
元気が続いてほしいと心から願わずにはいられません。そしてこの
大イベントを一過性のものにしないでどう街づくりに生かすか、普
段の街の魅力をどうつくるかがこれからの課題でしょう。

 来年は「エコール・ド・まつしろ」です。みんなの知恵と情熱を
結集しましょう。

2003年6月5日木曜日

もんぜんぷら座がグランドオープン


 6月1日(日)、待望久しかった「もんぜんぷら座」がグランド
オープンしました。
 4月4日から1階のTOMATO食品館が開店して、善光寺御開帳
の賑わいに一役買っていましたが、ようやく地下から3階までの全
施設の準備が整い、グランドオープンということになったわけです。

 ご存じのとおりこのビルは、賑わいの中心だったダイエー長野店
が撤退したところを、長野市が中心市街地活性化のために取得し、
整備を進めていたものです。
 全国的にも中心市街地の衰退が進む中で、長野でも大型店が相次
いで閉店や撤退をするなど、急激に中心市街地の空洞化が進行しま
した。しかし、この場所は、長野駅と善光寺、県庁と市役所を結ぶ
中間点であり、中心市街地の要となる重要な場所です。

 私はこの一帯を一日も早く再生することが、長野のまち全体の活
力になると考え、整備を進めてまいりました。
 おかげさまで、地域の皆様、商工会議所や商店会、そしてTMOや
ボランティアの方々のご理解、ご協力をいただき、グランドオープン
にこぎ着けることができました。

 行政としても「もんぜんぷら座」の整備・活用に向け、昨年から
精一杯スピーディーに対応してきたつもりですが、平成12年末の
ダイエー長野店の撤退から、2年余の歳月が過ぎてしまいました。
 この2年余の空白というものは、1階のTOMATO食品館にと
っては大変厳しい条件ではあると思います。でもそれを振り切って
頑張って欲しい。市としても、今後も中心市街地の活性化に向けて
積極的に取り組んでまいりたいと考えております。

 この「もんぜんぷら座」は、市民の皆さんの要望によって出来上
がった施設であり、概要は次のとおりとなっています。

 地下1階 ぷら座ホール、ぷら座BOXということで、演劇や音楽
       の練習などをやっていただけます。

 1階 TOMATO食品館のほか、障害者施設の自主生産品を販
    売するコーナー「のんびり屋 ララ」、そして公衆トイレを
    設けました。

 2階 愛称「じゃん・けん・ぽん」という子どもたちの遊び場と
    保護者の交流の場、ミニギャラリーや消費生活・環境関連
    展示コーナー、無料休憩コーナーがあります。

 3階 市民活動支援フロアということで、市民公益活動センタ
    ー、NPO共同オフィス、市民ギャラリー、国際交流コー
    ナー、シニアアクティブルーム、そしてもんぜんぷら座の
    事務局もあります。

 市民活動での利用、ギャラリーを見たり、趣味の集まりなどいろ
いろ活用していただけますし、国際交流コーナーもあって、長野に
住んでいる外国籍の方々(49カ国、3462人)の語らいの場、
そしてボランティアとの交流の場として積極的に利用していただき
たいと思います。
 この施設は、行政の広報・広聴の場にもなりそうです。グランド
オープンに合わせて6月1日には、国際交流市民会議が開催され、
さっそく私も出席し懇談をいたしました。

 いずれにしろ、この「もんぜんぷら座」は皆さんのご利用をいた
だきながら成長していく施設だと思っています。運営も利用者の皆
さんのご意見をお聴きするなかで進歩していくものと思いますので、
ぜひ気軽に使っていただきたいと願っていますし、中心市街地に人
通りが増え、賑わいが増すように願っています。

 加えて、ビルの4階以上が空いています。地元の皆さんからは、
「ぜひ全館利用を!」と言われています。整備にお金がかかります
が、新しく造るよりは安いわけですので、何とか利用できれば良い
なあと考えています。

 平成18年には、筋向いの旧長野そごうの場所に、信越放送(株)
を中心とする長野銀座A-1再開発ビルも完成する予定です。
 長野オリンピック後、中心市街地空洞化のモデルと陰口も言われ
た長野市ですが、今度は再生のモデルと言われたい、ひそかにそん
な思いを抱いています。

もんぜんぷら座の情報は、http://www.monzen-plaza.com/
に掲載されています。

2003年5月29日木曜日

北信越市長会(敦賀市)に参加して


 5月22、23日の2日間、北信越市長会で福井県の敦賀市に出
かけました。往路は、中央道、名神自動車道から米原を経由し敦賀
市へ、復路は北陸自動車道を上越経由で帰ってきました。車に乗っ
ての一周でしたが、往復で800kmの道のりとなり、正直言って
少し疲れました。

 この北信越市長会は、新潟、長野、富山、石川及び福井県の市長
61人が集まり、北信越の抱える課題等を研究するとともに、必要
に応じ国に要望活動を行っていくもので、春と秋の年2回、各県で
当番市を決めて順番で開催しているものです。

 この会議では、各県の市長会から提出されたテーマを分科会ごと
に審議いたします。私は建設・農林等を中心とした分科会に所属し
ており、環境や公共交通網、中心市街地の活性化など、14のテー
マについて研究を行い、翌日の全体会議においてその結果を報告し
ました。ここで検討された事項は、全国市長会に送付して国に要望
をしていくことになっています。

 そのほか、北信越市長会の決議事項として、地方分権と併せて税
源移譲をすべきこと、北陸新幹線の建設促進、WTO(世界貿易
機関)の農業交渉における日本提案実現などが採択されました。

 いずれも長野市にとって重要なテーマですので、一刻も早い実現
を期待したいものです。また、決議の内容には入っていませんが、
会議の合間の話としては、海に面し海外との交流の多い土地柄もあ
り、拉致問題とSARS(重症急性呼吸器症候群)が話題を独占
していました。

 敦賀は日本海沿岸の中でも代表的な港まちです。京都・大阪に近
い地の利に加え、若狭湾から続く入り組んだ海岸線は、嵐を避ける
意味で正に天然の良港と言えるでしょうし、歴史的にも江戸時代か
ら続く北前船の伝統が色濃く残っているまちでした。今でも北海道
で収穫された昆布は敦賀に運ばれて加工するのだそうです。トロロ
昆布の全国シェアは85%とのことで伝統産業の力を感じました。

 それから行政視察として、若狭湾原子力エネルギー研究センター
を見学しました。その施設の目玉は、陽子を加速器にかけることに
より、癌治療などの医療分野やバイオテクノロジーに応用すること
ができるということで、大変注目を浴びているということでした。
しかし、維持費が年間12億円かかるということで、原子力発電所
という施設を持っているからこそやっていけるのだろうと思いまし
た。

 また、敦賀市の中心には伝統的なたたずまいの気比神宮がありま
す。神社というのは日本中たくさんありますが、神宮と名がつくの
は、伊勢神宮とか明治神宮とか限られたお宮だけだそうで、敦賀の
大きな誇りということです。長野で言えば、「善光寺さん」という
感じで、敦賀市民は「けひさん」と呼び、親しんでいるそうです。

 敦賀市での会議に向かう途中、滋賀県長浜市の黒壁スクエアに立
ち寄り、有名な街づくりを視察しました。

 黒壁スクエアというのは、明治時代の建造物であり、風格ある黒
壁の銀行の建物が壊されることを惜しんで、市内の企業人や長浜市
が資金を出し合って株式会社をつくり、保存を進めたもので、現在
では黒壁ガラス館をはじめ、30館の様々なお店や工房などから
構成され、それがその周辺一帯の街づくりに発展したものです。

 県外から訪れるリピーターが、今でも大勢いらっしゃるという
ことで、松代のこれからのまちづくりに大いに参考になりました。

 黒壁スクエアの一角に曳山博物館があります。長野市でも5月
25日に盛大に屋台巡行が行われましたが、パンフレットで見る
「長浜曳山まつり」も大変見事なもののようです。

 13ある市内の曳山の内、4つの山組が毎年交代で引き回される
ようですが、一つひとつが重要文化財とのことで大変素晴らしいも
のです。博物館には本物が展示されていて、迫力あるスクリーン映
像や立体映像を見ることができますし、加えて修理工場もあって、
常に良好な状態で保存されているようです。

 さらに、曳山の舞台で子ども歌舞伎も演じられ、その練習風景も
素晴らしいようです。本当は一泊ぐらいして、酒でも飲みながら
この街の幹部や(株)黒壁の社長さんの話を聞いてみたい、そんな
気持ちになりました。

2003年5月22日木曜日

NAGANOスポーツフェスティバルが行われました


 5月18日(日)、晴天に恵まれた中で、長野運動公園・南長野
運動公園の2会場で、第30回NAGANOスポーツフェスティバル
が行われました。このイベントは、昭和49年に「長野市民健康ま
つり」として城山公園の市営球場で始まり、以来30年間継続して
いる事業です。その後、昭和51年に長野運動公園の陸上競技場が
完成してからこの地に移ったのですが、当時、全天候型トラックを
一般市民が走ることができるということは大変珍しかったので、み
んなその感触を楽しんだものでした。以来、市民の皆さんがスポー
ツを身近なものとして楽しみながら、健康増進に親しんで継続され
てきた行事です。

 当日、長野運動公園では、30年の歴史を刻むように市内のスポ
ーツ愛好者や各区のスポーツチーム、学生さん、生徒さん等が集ま
り、堂々の入場行進で始まり、ソフトバレーボールやキンボール、
学童軟式野球など、日頃の練習の成果を発揮する絶好の機会となり
ました。

 一方の南長野運動公園は、長野市南部のスポーツの拠点として、
平成2年度から整備が進められ、13年の歳月をかけて今年3月全
ての整備事業が完了しました。特に、早く整備された野球場では、
長野市民の胸の中に今でも熱い思いを残している長野冬季オリンピ
ック大会の開閉会式が行われたことは、誰もがご存じのことと思い
ます。今年の3月には、野球場東側に総合球技場(サッカー・ラグビ
ー場)、公園西側に相撲場が、それぞれ完成し、既に整備されてい
るプール、体育館、屋根付きゲートボール場等と合わせ、29.7ha
の敷地内にスポーツ施設や芝生広場など、様々な形態の施設を備え
た素晴らしい公園になりました。

 総合球技場の開会式終了後には、芝生内にサッカーのゴールが設
置され、「市長に挑戦」ということで、小学生3名のゴールキック
を、ゴールキーパーの私(市長)が防ぐ、通常でいえば始球式に当
たるアトラクションがあり、1球はゴールの左隅のポストに当たって
入るという見事なゴールを決められてしまいました。小学生に負け
るものかと思っていたのですが、残念ながらゴールを決められ、実
に上手なものだと感心しました。

 相撲場のオープンは、親子で参加されている方が多く、賑やかな
開場式でした。私はあいさつの後、小学生の取り組みの行司をやら
せていただきました。勝った子供さんが最初どちらから登場したの
か分からなくて勝った方に軍配を上げられず、困りました。案外難
しいものです。

 また、オープニングイベントの一環として、北信越サッカーリー
グの「長野エルザVS石川テイヘンズ」の公式試合が行われました。
結果は長野エルザが2-0で勝利を収めることができました。長野
エルザは、現在JFL昇格を目指して頑張っているということです
ので、ぜひこの地元のチームを応援していただきたいと思います。

 そのほかにも、総合球技場では、6月1日(日)にラグビーの招
待試合として、「早稲田大学VS法政大学」という、名実ともにト
ップクラスにある2校の試合が実現することになりました。私も両
校の熱戦を期待しています。

 南長野運動公園は、スポーツ施設だけでなく、緑と水が豊かで素
晴らしい公園になりました。そしてぜひ皆さんに知っていただきた
いことの一つは、長野市が誇る野外彫刻の作品がたくさん設置して
あることです。審査員の先生方がこの南長野運動公園を気に入って
くださったせいか、南長野運動公園に設置したいという意見が多い
ようです。昨年は3つ、今年も1つ設置しましたので、何年かたつ
と南長野運動公園は、別名「野外彫刻の森」ということになるかも
知れません。スポーツで汗を流した後、また、散策の折など、楽し
んでいただければと思います。

2003年5月15日木曜日

春の長野市緑花まつりについて


 5月3日と4日の両日、若里公園で「春の長野市緑花まつり」
が行われました。このまつりは、緑と市民のふれあいを深め、
一層の緑化意識の高揚を図るとともに、花と緑の潤いのある
街づくりを進めようということで、長野市緑花まつり実行委員会、
長野市及び(財)長野市都市緑化基金の共催で開催したものです。
昨年度(平成14年度)はセントラル・スクゥエアで実施しまし
たが、今年は善光寺御開帳で中央通りは催し物が沢山ありました
ので、若里公園での開催になったものです。

 実行委員会は、長野造園事業協同組合、長野森林組合、長野県
造園建設業協会北信支部、長野市環境緑化協力会、長野市緑と花
いっぱいの会、(財)長野市都市緑化基金、そして長野市で構成され
ていますが、そこに多くのボランティアの皆さんが参加していただ
き、また、農林中央金庫長野支店(花の種)、日本バイテク産業
(肥料)からもご協力をいただきました。

 当日は、裾花中学校のマーチングバンドの演奏で幕を開け、緑化
木の無料配布(2日間で約3000本)を行いました。今年は、
ハナミズキ、バラ、ブルーベリー、ウメ、ニシキギ及びサザンカを
配布しましたが、朝早くから並ばれた方々もおられまして、大変
人気が高いことが分かりました。今年はブルーベリーが一番人気
だったようです。それぞれのご家庭等で大きく育てていただくこと
を願っています。

 この催しは昭和58年秋に「市民緑化祭」としてスタートし、
4月29日が「みどりの日」となった平成元年からは、春にも開催
するようになりました。既に20年間、35回の実績を積み重ねた
歴史があり、恒例の行事として市民の皆さんに親しまれており、
これまでに約10万本に近い緑化木を配布していることになりま
す。

 当日は、植え方の講習や緑の管理教室、松の剪定講習会、家庭園
芸教室、ふしぎな押し花体験会、緑の相談所、緑の写真展、病害虫
防除相談所等が行われ、また、ビンゴゲームや長野森林組合の「木
と遊ぼうコーナー」というお楽しみコーナーなどもありました。天
気にも恵まれ、市民の皆さんにはこの緑花まつりを大いに楽しんで
いただけたと思います。

(財団法人)長野市都市緑化基金について
 この「まつり」を構成する団体の一つですが、ここで少し紹介さ
せてください。この法人は、市街地の緑を増やし潤いのある街づく
りを進めるため、長野市と民間企業・団体が出資して、昭和60年
に、長野市の外郭団体として設立されました。出資金を基金として
積み立て、その利子等を事業費として長野市の緑化を推進しよう、
というものです。具体的には、フラワーボックスの無料貸し出し、
生垣奨励援助、緑化推進団体助成、花鉢コンクールや緑の写真コン
テストの開催、そして、このまつりへの参加等の事業を行っていま
す。
 問題は、現在の低金利です。現在、都市緑化基金の金額は約4億
円(市内企業・団体の皆さんからご協力いただいた金額は、
9200万円余で全体の約23%です。また、皐月高校生やボーイ
スカウトからの寄附金も含まれています。)に達しているのです
が、当時は年利4~5%ぐらいの運用が出来ると考えていたもの
が、この低金利のため、あまり期待できない状況です。
 本来、金融機関等に預金してその果実により事業を行うのが趣旨
ですが、現在の低金利の中で果実だけで事業を行うことは非常に厳
しい状況であります。長野市土地開発公社に貸し付けて、土地開発
公社が外部から借り入れている資金の金利と同等の金利を受け取る
という苦肉の策をとってきたこともありましたが、現在は、債券運
用や足りない分を長野市からの補助金で補って事業費を捻出してい
るのが実情であります。現在の低金利は借金の多い長野市とすれば
有り難いことなのですが、反面、財団の事業運営にあたっては大変
厳しい状況にあるということでなんとも皮肉です。
 現在も、寄附等による基金の増額にご協力をいただいております
が、この基金の活用と緑花まつりなどにより、地域・家庭から緑化
意識の高揚と、一層の緑化推進が図られ、花と緑の潤いのある街づ
くりが進むことを期待しております。

2003年5月8日木曜日

みどりの移動市長室が始まりました


 「みどりの移動市長室」は、私(市長)が市内各地区へ出向き、
様々な団体の活動や地域の取り組みを視察し、市民の皆さんと直接
意見交換・懇談するものです。

 新年度になっての第1回として松代西条地区、そして第2回とし
て若槻地区を訪問しました。今回は、その時のことを書かせていた
だきます。

(松代・西条地区)
 2月に陳情に来られた松代公民館西条分館建設期成同盟会の皆
さんとの約束(一度、西条地区を見に来て欲しい)を果そうというこ
とで、4月24日、松代西条地区を視察し、松代公民館西条分館で
懇談会を開催しました。

 視察は、まず山寺常山(やまでらじょうざん)(注)邸の復元工事
の現場です。これは国の補助を受けて市が邸跡を買収し、長屋門や
庭園を復元しようというものです。神田川の水を引き入れての池、
そしてそこから下流のお屋敷へ、泉水路を通じて水を供給するシス
テムが残っている珍しい庭が魅力です。「歴史的みちすじ整備事業」
により整備された道の終りで、象山地下壕への入り口に位置すること
もあり、将来の観光拠点になると期待しています。

 神田川上流の「入りダム」も視察しました。下流の松代の都市部
を土石流等から守る大変重要な施設だと思いました。地域の皆さん
がダム周辺に桜を植樹されており、何年か後にはきっと素晴らしい
花見が出来ると思います。

 西条財産区の山林を視察しながら、宮野平(自然の森)まで登り、
宿泊施設も見させていただきました。電気が無く発電機を使っている
そうですが、西条財産区の皆さんの努力で、結構利用者が多いそう
です。あちこちにある行政が所管する青少年の家等、同種の施設が
ほとんど利用されていない現状を考えると、その運営努力には頭が
下がります。

 山を下って開善寺の経蔵を視察。この建物は県宝に指定されてい
て、数年前に県と市が半分づつ負担して、茅葺(かやぶき)の屋根
の修復をしたそうですが、次に整備しなくてはならないのは、経蔵
の中身、すなわち経本の整理です。天海(徳川家康に仕えた高僧)版
とのことですが、私にはその価値はわかりません。当然、学芸員の
調査になるものと思います。

 そしてこの日の視察の一番の目的、西条財産区事務所の視察です。
この建物は、現在も「埴科郡西条村役場」の表札が付いている由緒
ある木造建物で、当時の村長さんの部屋もあります。古い木造作り
で、バリアフリーとはいかないものの、しっかりしていてまだまだ
使えるものと判断させていただきました。現在は松代商工会議所の
倉庫に使っているそうですが、少し整備すれば立派な会議室になり
そうです。

 そのあとの懇談会では、西条地区の諸団体の方々に集まっていた
だき、いろいろなお話をお聴きしました。私からは、
1.西条財産区事務所については、多少の改修費は行政がお手伝い
するから、あの建物は残して分館の分室のようにして使用したらど
うか。
2.西条財産区の元気さは、10ある長野市の財産区の中で一番と
いう定評がある。山の手入れが行き届いているだけでなく、宮野平
の施設を維持されているのは、行政の運営している施設の利用率が
低迷している中で素晴らしいことであり、皆さんの熱意を感じます。
3.開善寺の件は、整備をどうするか研究したい。いずれにしても
貴重な財産であり、朽ち果てるのは困る。
 等々のお話をさせていただきました。

(注)
山寺常山(やまでらじょうざん)=江戸時代末期の松代藩士。松代藩
の町奉行・寺社奉行などを務めた。鎌原桐山(かんばらとうざん)、
佐久間象山と共に、松代三山と言われている。


(若槻地区の文化財を語る会)
 4月25日は若槻地区を訪問しました。若槻地区は、善光寺の北東
に位置する三登山の裾に、旧北国街道が南北に帯のように伸びて
この街道に沿って点在する集落と、これを挟んで東西に整然と軒を
連ねる新興住宅団地が発展している、そんなイメージの場所です。
長野市でも比較的早くから団地開発がされた場所で、コミュニティ
センターなども早くから整備され、理想的な住宅地の一つと思われ
る地域です。

 午前中、郷土史研究会若槻支部長の金子さんのご説明で、稲田の
エノキ(市指定天然記念物・昭和47年指定)、稲積一里塚(市指定
史跡・昭和42年指定)、そして令制東山道、を視察させていただ
きました。いずれも古代からの歴史を物語る文化財で、住宅地の中
ですが、地元の皆さんの熱心な提言があって、小公園の中で保存が
図られており、大変結構なことと認識しました(若槻地区の文化財
については、地元の皆さんが編集された若槻史の中で詳しく記述さ
れているようです)。

 その後、吉にある山千寺へ。「信玄駒つなぎの桜」「観音堂」を
見て、お堂の中で、「若槻地区の文化財を語る集い」ということで、
山千寺観音堂保存会、城跡保存顕彰会、郷土史研究会、そして区の
役員さん方約30名の皆さんと懇談をいたしました。国の重要文化
財の観音菩薩像を間近に拝顔したり、京都の清水寺を模した造りの
観音堂の保存修理が必要なこと、周辺はカタクリの花の群生地があ
り、昨年登らせていただいた若槻城跡や番所跡の遊歩道を延長する
ことにより、素晴らしいトレッキングコースが可能なこと等につい
て懇談いたしました。

 枝垂れ桜の古木も素晴らしいのですが、周りの杉林に遮られ十分
な日光が当たらないとか、素晴らしいお堂もかなり傷んでいて、修
復にはかなりの資金がいるなぁというのが実感でした。市民の皆さ
んはあまりご存知無いようですが、若槻には古い歴史がある。それ
を知る上で大変貴重な文化財がたくさん残っているということを知
り、周辺の里山と共に後世に残すことの大切さを認識した次第です。

2003年5月1日木曜日

閑話休題


 連休中なので、少し趣の違う話題を・・・・個人的な考えをお話
ししたいと思います。それは「自治体の長」と「会社の経営者」の
違いについてです。(会社の経営者と言っても中小企業の経営者と
いう意味です)

 私は約40年間、会社の経営に携わってきました。親から引き継
いだ家業の会社でして、決して大企業ではなく、株式の上場もして
いません。いや、できなかったと言う方が正しいのかも知れません
が、そんな会社の社長が突然「市長」という全然違う社会に足を
踏み入れてしまい、戸惑うことが多いのですが、その辺も踏まえて
市長と社長の違いを考えてみました。

(経営者は、もしかすれば倒産するかも知れないという観念、
そして経験を持っている)
 一番大きな違いかも知れませんが、会社はもしかすると倒産する
かも知れないという観念が常に頭の隅にあります。私自身、会社経
営については、山あり谷ありの本当に厳しい経験をしております
し、スタッフもそれほど多いわけではありませんから、孤独な判断
を常に求められるのが経営者であると思います。特に現在のような
大不況の時代では、どこの経営者も社員を路頭に迷わせてはならな
い、自己責任で全ての判断をしなくてはならない、といった気苦労
が常にあるわけです。

(市長は大勢のスタッフに囲まれている)
 そこへいくと市長はちょっと違います。大勢のスタッフに囲まれ
て仕事をしている。時に意見が違って議論になることはありますが、
孤独という感覚は全くありません。市の行政スタッフの体制は「最
終責任は全て市長、その代わり市長は絶対である」ということが実
に徹底しているのです。方針さえきちんと決めれば、どんな難問で
もスタッフがそれぞれ役割を分担して、実行に向けて努力してくれ
る。行政においては当たり前のことのようですが「市長は絶対では
ない、相反する意見をもっと出して欲しい、もっと議論しよう!」、
贅沢に聞こえるかも知れませんが、それが今の私の不満です。

(個人保証)
 前の話と関連がありますが、中小企業が借金をする際、銀行はほ
とんどの場合、個人保証を要求します。他の取引先も場合によって
は要求します。個人保証がある場合、倒産すると個人財産は全て没
収され、最終的に全ての借金を清算するまでは、いつまでも個人が
請求されるわけですから大変です。会社が倒産しないために必死に
なるのは当たり前でしょう。その反面で、近年において大手の銀行
や証券会社、そして住宅金融専門会社(住専)などが倒産しました
が、マスコミの報道で知る限り、倒産した会社の経営者が借金をす
る時に個人保証をしていなかったようですし、融資する時も個人
保証をとっていなかったのは事実でしょう。もし、個人保証をして
いたならば、バブル期におけるあのようなずさんな融資はできなか
ったと思います。

 長野市も大きな借金を背負っていますが、個人の支払い責任はあ
りません。このことは、私にとって疑問が残る点ではありますが、
これは、企業と自治体との大きな違いです。

(経営者にとって、税金問題は大問題)
 市長の立場から言えば、企業に税金を沢山払っていただきたいと
いうことは当然ですし、経営者も税金を払うことは、企業の社会貢
献のもっとも重要なことであるとの認識はあります。しかしながら
企業経営者にとって、一生懸命努力して利益を上げても、約半分を
税金として取られてしまうというのも、偽らざる実感です。その反
面で、赤字になっても前の黒字で税金を払った分を戻してもらうと
いうのは、実質的に難しいですし、寄付金等を損金算入できる寄付
は集めやすいけれど、通常の寄付金はなかなか集まらない。これも
税金の制度によるものが大きいと私は感じています。

 一つの提案ですが、企業の保有土地について時価会計を採用すべ
きということを提案したいと思います。バブルの時代に企業が高い
土地を買い、その後の政策によって土地価格が暴落したにもかかわ
らず(これは国の責任が大きいと私は思います)、税会計では高い
価格のままの評価になっているのです。これは、土地の場合には評
価を下げても税法では損金算入を認めないというもので、このこと
は、株式と土地の大きな違いであり、この税負担が企業にとっては
大きな負担になっています(土地の損金算入については、ようやく
国においても新たな動きがありそうなのですが・・・)。その一方
で、昔から所有している土地については、その価値が上がっていて
も比較的安い税金で済んでいるという矛盾が生じているのです。
 
(自由に発言し、アイデアを即座に実行できる立場)
 会社の社長にとって、唯一の、そして一番生き甲斐を感じるのは、
自由な発想を維持し、自由に行動できること、勝手と聞こえること
も自由に発言できることです。言い換えれば努力をすればするほど
報われる、それだけの喜びがあるということです。もちろんある程
度余裕が無いと出来ませんし、お客様は神様ですから、お客様の
おっしゃることは「ご無理、ごもっとも」という面があって、本当
の自由があるかということになると、異論があるところですが、
ただ、市長に比べてかなり行動の自由度は高いし、独断と偏見が
許される立場であり、それが企業発展の原動力になる場合が多い
のだと私は思っています。

 もう一つわがままを言わせていただくとするなら、市長職という
のは、昼夜・曜日を問わず、自由になる時間が極めてわずかになっ
たことも大きく変わった点です。

 以上長々と駄弁を弄しました。連休での漫談をお聞きいただき有
難うございました。

2003年4月24日木曜日

2つの助成制度について


 昨年から長野市は、雨水貯留施設の設置について助成制度を設け、
市民の皆さんにも治水対策の一部にお手伝いをいただいています。

 近年、都市化の進展とともに、降った雨がすぐに下流に流れ出る
ため、水害が起きやすくなっています。雨が降ったとき、洪水を起
こさないための一つの手段として、水を一時貯留することが大切で
す。都市化されていない場所、すなわち緑の多い山地や野原、ある
いは昔のように、水田がたくさんある地域では、水を一時的に貯留
し、流出を抑制してきましたが、建物が密集した市街地ではそれは
望めない。どうしても一時的にどこかへ貯めて、徐々に下流に流す
ことが必要となります。

 ご家庭の屋根に降った雨は、雨樋から側溝を伝わって川に流れ出
ます。途中、コンクリートなど浸透性のない構造物で造られている
都市部では、川まで流出する時間が短い。個々のご家庭の屋根の雨
量はたいしたことはないとお感じでしょうが、トータルすると大きな
水量となります。
 そこで、この雨水貯留施設を設置していただくと、川の負担がその
分軽減され、貯留タンクの雨水は、庭木の水やり、散水などの雑用水
として使えるほか、災害時の一時しのぎ的な(水洗トイレ、手洗い)
水利用もでき、一挙両得なのです。タンクの容量やデザイン、そして
価格もいろいろあるようですが、ぜひ検討して設置していただくよう
にお願いします。

 もう一つの助成制度として実施している「生ごみのコンポスト化」
(注)も、ごみ減量という環境問題に大きな力を発揮するものと期待
をしています。ごみの減量は持続可能な社会の建設という観点から、
また、処理コストからみても大変重要な問題です。特に現在、長野
市の家庭から出る可燃ごみの40%は生ごみなのです。生ごみを減
らすことがすなわちごみ減量の切り札なのです。大規模な生ごみ処
理施設を造ることも、もちろん研究していますが、一番の難問は、
「におい」の問題があって、迷惑施設として受け入れていただく場所
が見つからないということです。そこで、個々の家庭にお願いして
自家処理することによって、生ごみの全体量を減らそうということ
です。

 コンポスト・ぼかし容器では、においが気になる、置き場所がない
という方にも電動の生ごみ処理機ならば設置が可能です。
 最近はいろいろなメーカーが、いろいろなタイプの電動生ごみ処
理機を作って売り出しています。家の中に設置しても、においが全く
苦にならないタイプもあるようです。また、生ごみ処理機で処理した
ものは、畑や園芸などで有機肥料として利用できます。

 こちらも助成制度があり平成15年4月1日以降の購入者からは
補助金の上限が2万円から3万円に改正されましたので、ご協力を
いただきますようお願いします。

 この2つの助成制度は、市民と行政がパートナーシップでやって
いこう、という政策の典型的な形と考えています。一つひとつは小
さい量ですが「塵(ちり)も積もれば山となる」の例えどおり、防災
や環境問題に大きな役割を果たすものと感じています。


(注)コンポスト=都市ごみや汚泥などから作った堆(たい)肥

2003年4月17日木曜日

もんぜんぷら座と楽茶れんが館


 4月4日(金)、もんぜんぷら座の1階に「TOMATO食品館」
が正式オープンし、併せて、同じ日に大門町の旧長野市物産館が
「楽茶れんが館」としてオープンしました。善光寺の御開帳に
ぎりぎり間に合ったことで、滑り出しは極めて順調に推移している
ようです。

 この両館は、どちらも建物の所有は長野市ですが、行政で直接
何かをやるというのは、どうも好ましくない。旧長野市物産館は
やり方も悪かったのでしょうが、毎年1000万円以上の経費を
かけ運営していました。建物は中心市街地の賑わいのためにはどう
しても必要な地点なのですが、民間会社はこの不況下では、なかなか
積極的には進出しないということで、長野TMOに依頼し、商工
会議所や周辺商店街の皆さんの協力を得て、「楽茶れんが館」とし
て生まれ変わり、新しい出発にこぎつけたものです。

 TMOとは、平成10年に出来た法律(略称 中心市街地活性化法)
に基づいて、地方自治体が中心市街地の活性化に取り組む組織を
市が認定するものです。全国的には珍しいそうですが、長野市では
長野地区・篠ノ井地区・松代地区の3か所を中心市街地に指定し、
それぞれの地域が行政と一体となり活性化の計画を作り、その中の
計画を実現するため、昨年3月に長野商工会議所を長野地区のTMO
として認定したものです。ただこれは当面の処置でして、将来国の
有利な補助金を大きくお願いする場合には、行政も出資する必要が
あるようですし、その時は第3セクターに組み替える場合もあるの
でしょう。

 さて、「楽茶れんが館」ですが、あの建物は明治時代の末期、
馬車引き会社の建物として建てられたもので、当時流行の煉瓦造り
で、大変由緒あるものだそうです。もうお亡くなりになりましたが、
建築家としても有名だった北野幾造さんが、「あの建物は長野とし
て絶対に残さなくてはいけない」、とおっしゃっていたことを思い
出します。

 TMOのタウンマネージャーに、「運営費の補助はしないけれど、
お任せするからなんとか賑わいのある施設として、公的施設の利用
として批判されないような形でやって欲しい」とお願いしました。
当然のことながら儲けながらやることは必要です。そうでなくては
長続きしないでしょうし、古い建物ですから使い勝手はよくないか
も知れませんが、歴史のある建物として生かしてもらい、質の高い
観光の拠点として活用して欲しい。そして、経営が軌道にのり一定
の利益が出るようになったら、長野市に家賃を払ってくださいと伝
えてあります。

 もんぜんぷら座については、大型店の撤退、倒産で生じた中心街
の空洞を何とかしよう、ということで、昨年の6月市議会定例会で
議決を受けて買収が決まってから、改修計画と同時に利用方法の検
討をしてきました。今年の御開帳までには間に合わせたい、何とか
賑わいをつくろうということで、準備に全力をあげてきました。

 1階部分については、中心市街地の大型店の撤退や閉店で、生活
用品、なかでも食品を買う場所がない、特に近所のお年寄りが困っ
ているということでしたので、TMOに出店していただきたい
とお願いしました。地元商店街や経済界の協力を得て、株式会社
「まちづくり長野」(資本金5000万円)が設立され、4月に
「TOMATO食品館」が開店されました。

 正直言って、御開帳前には間に合わないと思っていましたが、タ
ウンマネージャーの服部さんの過去の経験や人脈が生かされ、何と
か4月1日のソフトオープンにこぎつけました。オープン以降、
間違いなく人の流れが出てきています。6月になると、地下から
3階まで食品館以外は公益的な利用(2階は子供のスペース、
3階は市民活動のスペース、地下は演劇の練習場など)を中心と
してオープンしますし、4階以上についても何とか利用したいと
考えて検討中です。

2003年4月10日木曜日

元気なシーズンが始まりました


 4月6日(日)から5月31日(土)まで、7年に一度の善光寺
御開帳が始まりました。
 長野市は、1300年余の歴史を刻む善光寺を中心に門前町とし
て発展してきた歴史があります。多くの善男善女をお迎えして、善
光寺御開帳が盛大に行われることは長野の活性化にとっても大いに
資することになると思います。

 御開帳に先立って、3月30日(日)には、恒例の御開帳回向(えこう)
柱が、古式豊かに松代町善光寺回向柱寄進建立会の皆さんの手に
よって奉納されました。
 真田十万石の14代当主真田幸俊氏が馬上豊かに先導され、松代
の皆さんの槍振り隊や大名行列、裃(かみしも)姿の町の役員方、
そして善男善女と牛に引かれた回向柱の賑やかな行列が、中央通り
を練り歩きました。
 末広町の交差点から善光寺までの中央通りの人並みは、観光客の
皆さんも相当に多かったように思いますが、市民の皆さんも大勢見
物に集まっていただき、この御開帳に思いを寄せておられる姿を感
じました。
 回向柱は、善光寺本堂前に建立され、御開帳期間中は、本堂の前
立本尊中央の阿弥陀如来の右手と「善の綱」で結ばれ、多くの方と
縁を結ばれるとお聞きしています。

 4月5日(土)に善光寺の御宝庫に安置されている前立本尊が善
光寺本堂に御遷座(ごせんざ)され、6日(日)には開闢(かいびゃく)
大法要が営まれ、御開帳が始まりました。
 長野新幹線が開業して初めての御開帳ですから、56日間で約
600万人以上の参詣客がお越しになるのではないかと期待してい
ます。

 この時期の長野は、周囲の山々の雪が消えて、春らしい陽気とな
る季節であります。今年は特に色々なイベントが行われ、大変賑わ
います。
 まず4月中旬は、桜の花が満開になってお花見のシーズンです。
城山公園は勿論ですが、篠ノ井の茶臼山、地附山公園、松代城跡、
そして長い目でみると千曲川の堤防等々、桜を楽しむ人で賑わいま
す。将来は桜の街になるかも知れません。

 前後しましたが、大門町の「楽茶れんが館」、そして、もんぜん
ぷら座の「TOMATO食品館」のオープンは、街に活気を生んで
くれると思いますし、そうなるように期待しています。

 4月20日(日)には第5回長野マラソンが開催されます。春の
信濃路を一流選手と全国から集まった市民ランナーが一緒に走ると
いう長野マラソン独特の形式が、沿道を沸かせてくれることでしょ
う。

 4月26日(土)からのゴールデンウィーク中には、善光寺花回
廊の様々な行事が行われ、商店街やボランティアの方々の努力で街
中が花で一杯になると思いますし、その中で昨年好評だった「イン
フィオラータ・in・NAGANO」も29日(火)・30日(水)
の2日間に開催されます。

 5月の最大のイベントはなんと言っても御開帳に合わせて25日
(日)に行われる屋台巡行でしょう。町々の屋台が、善光寺三門前、
表参道(中央通り)、権堂通りなどの中心街ほか各町内を練り歩き
ます。前回の御開帳時には、期間中最高の人出だったと記録されて
います。年番町はじめ加盟町の皆さんのご尽力で、今回もきっと素
晴らしい屋台が繰り出されると思います。

 御開帳のハイライトは、総勢800名ほどがまるで王朝絵巻を見
ているような華麗な行列が進み、回向柱の前で厳粛かつ華麗な
法要が行われる中日庭儀大法要です。
 御開帳のポスターや写真でよくお目にかかるあの絢爛豪華な行事
ですが、大勧進(天台宗)、大本願(浄土宗)が日にちを変え1回
ずつ行われるもので、それぞれ4月26日(土)、5月10日(土)
に開催されます。

 昔から善光寺御開帳は、景気が悪い時期に門前の商店が善光寺さ
んに御開帳の開催をお願いしたという歴史があります。今でも長野
商工会議所が、「御開帳の開催をお願いします」と善光寺さんに請
願し、それを受けて寺側は開催するという形態をとっています。

 景気が悪い時期、こんな時こそみんなで元気を出したい、賑やか
さを取り戻したい、善光寺さんにあやかりたい。そんな切なる願い
を込めて、このシーズンを盛り上げていきたいものです。

2003年4月3日木曜日

若穂にグライダー練習場がオープンしました


 3月8日(土)に若穂多目的広場が完成し、開所式が挙行されました。

 屋島橋上流の若穂地区側の河川敷に造られたもので、主たる施設
は、関係者の皆さんの待望久しかったグライダー練習場です。滑走路
は総延長850m、幅員30mを備えた本格的なものです。これから
大いに活用される施設として期待しています。

 当初、社団法人長野県航空協会の皆さんから、ぜひグライダーの
滑走路を造って欲しいという陳情がありました。私はあらかじめ陳情の
内容について報告を受けていたのですが、長野市民の登録協会員は
60~70名ということで、比較的小規模なスポーツ団体の設備に
市費を投入することは、市民の合意が得られないのではないかと
考えていました。

 ただ、陳情に来られた皆さんが大変熱心であり、千曲川に沿って
安定した穏やかな北風が吹いているあの場所は、グライダーを飛ばす
には日本一といっても過言ではないほどの立地条件であり、こんなに
気流の良い場所に滑走路が完成すれば、会員がすぐ倍増するだけで
なく、グライダー仲間が日本中から集まってくるという話をお聞きしまし
た。

 その後、担当課との協議やいろいろな方々からの話ですと、長野市
周辺の気流がグライダーにはとても良いということは事実のよう
なのです。日本海から吹いてくる風が北アルプスにぶつかり、さらに
それが飯綱山等の北信五岳にぶつかることにより上昇気流となる
ことが、グライダーを飛ばすためには絶好の条件なのだそうです
(開所式の時、主任指導員の万場さんから聞いた話ですが、この風
を上手く利用すれば高度7000mまでは上昇できるとのことです)。

 私は、ここで飛びたくて日本中からグライダー仲間がやってくる、
あるいはグライダーを楽しみたいが故に、この地に根をおろしたい
という人もいるでしょうという話もお聞きしました。長野市の魅力
をどうすれば増すことが出来るか、いろいろあるとは思いますが、
独自性を出すということが、すごく大切であることは事実でしょう。
私はグライダーがいずれ長野の名物の一つになると信じて、担当者
と十分協議した上で、施設整備に踏み切りました。

 滑走路の近くの堤防脇には格納庫や研修施設もあって、グライダー
が何機も駐機しています。エンジンの付いたもの、二人乗り、
一人乗り・・・・、素人が見ても楽しくなります。多くの人が空に
魅せられるのが分かるような気がしますし、信大生の中にも結構
魅せられている人がいるようです。

 会員以外の方が行っても体験飛行で乗せていただけるということで、
私も誘われましたが「暖かくなったらよろしく」ということでその時は
遠慮させていただきました。しかし、確かに気持ちよさそうです。

 なお、この広場は、グライダー練習以外にも地区花火大会、凧揚げ
大会、防災訓練、防災ヘリの緊急離着陸場所等としても使われますが、
施設の管理運営は専門知識が必要なため、(社)長野県航空協会に
委託しました。

 ぜひ、長野の澄みきった大空に全国からグライダーの愛好家が
集まり、「飛びたいのなら長野に行こう」と言われるようにしたい
ものです。

2003年3月27日木曜日

平成14年度を振り返って


 市長就任以来、1年5か月が経ちました。今日は平成14年度を
終えるに当たって、今年度いろいろあった中から、その主なこと7
項目について、私がどんな意図でその仕事に取り組んだのかという
ことを、お話してみたいと思います。

(1)広報広聴制度の改革

   最初に取り組んだことは、広報広聴制度の改革です。特に重
  要視したことは、情報の公開、市民・地域の意見の聴取、透明
  性の確保、分かりやすい行政、そして説明責任であろうと考え
  ました。従来のみどりのはがき、広報ながの等の更なる充実は
  当然として、メールマガジンを創刊し、パソコン映像を使った
  地区市民会議や移動市長室、地域横断的市民会議などにおいて
  は、分かりやすさを目指して取り組んでまいりました。

(2)中心市街地の活性化

   もんぜんぷら座の開設に向けては、少し強引かなと思いなが
  らも一日も早くやりたい、と考え、ダイエー長野店が撤退した後
  のビル買収、そして自己破産したそごう跡地へSBCの進出を
  お願いし、長野銀座A-1地区再開発の目途をたてることがで
  きました。当然のことながら、もんぜんぷら座が起爆剤になって、
  中央通りを含む中心市街地の元気に繋がることを期待していま
  す。

(3)元気なまちを目指す各地の取り組みを支援

 (ア)エコール・ド・まつしろ2004への取り組み

 (イ)恵まれた長野の自然を生かし、人々の健康志向にもあやかり、
   加えて中山間地域の活性化に少しでも資するため、トレッキ
   ング構想を発表し、七二会地区の陣場平を歩きました。いず
   れ善光寺平一周トレッキングコースを造りたいと考えていま
   す。

 (ウ)中山間地の信更地区で、早稲田大学の研究とタイアップして
   中山間居住地域づくり支援分科会における研究をやってきま
   した。動機付けとしてはなかなか面白い研究が出来ているよ
   うに思います。

(4)公共交通機関の再生への試み

   長野県の人口一人当たりの自家用車保有率が全国2位という
  話は有名ですが、裏返せば、いかに公共交通機関が不十分であ
  るかということでしょう。高齢化が進行する長野市で、路線バス
  がない!というのは、車の運転が難しくなったお年寄りには切
  実な問題です。なんとかしなくては・・・・・。高齢者の生活
  の足を確保するということは、古い言葉ですが、シビルミニマ
  ム(注)といえるでしょう。

  (注)シビルミニマム=住民のための必要最小限の生活環境
     条件で、自治体が目標とする行政基準

   しかし、篠ノ井地区で塩崎線・共和線、若穂地区で綿内線
  の三路線で昨年8月から今年3月まで行った路線バスの試験
  運行は、残念ながら利用者が伸びず、結果として失敗に終わ
  ってしまいました。需要がない、PR不足、路線の組み方のミ
  ス・・・・。いずれにしろ今回の反省を生かし、新年度は何が
  何でも仕切り直しをしなくてはならない話です。

(5)市町村合併の動きが加速

   合併特例法の制定や国の指導・誘導もあって、全国的にみて
  市町村合併の動きは加速しています。日本全国を見渡すと、西
  日本では積極的に合併協議が進められているというように「西
  高東低」の傾向が見受けられますが、長野市周辺では豊野町、
  大岡村、戸隠村、鬼無里村、の4町村から、任意合併協議会設
  置の申し込みをいただき、現在協議・調整中です。長野市の姿
  勢としては、今回、国が進める合併は、それぞれの市町村の自
  主判断によるものとされていますので、周辺の中で一番大きな
  都市である長野市は、自らは動かず、それぞれの周辺自治体が
  自主的に判断していただくことが大切と考えました。まだどう
  なるか分かりませんが、昭和41年以来の大合併になるかも知
  れません。市民の皆さんには、任意合併協議会の審議内容をな
  るべく素早く、詳細にお知らせし、ご意見をお聴きする予定で
  す。

   市町村合併と並行して都市内分権というものを、今後進めて
  いきたいと思っています。このことについては、別の機会にご
  説明をしなくてはいけないと思っています。

(6)職員の意識改革への努力

   市長就任前、私は民間企業の経営者でありましたが、数千人
  という大きな組織を動かした経験はありませんでした。市長と
  なった今、長野市のような大きな行政組織は、一人で動かそう
  としてもそれは無理。上から力で引っ張ろうとしても、表面的
  には従っても本当の意味での一致協力体制は出来ない・・・。
  私は就任2か月後、それを悟って意識改革に取り組む決意をし
  ました。

   まず、予算査定や議会質問の答弁などの検討会(ヒアリング)
  に際しては、なるべく多くの職員と議論し、時間をかけました。
  市長の意見は絶対ではない、自分の経験からそれではうまくい
  かないという職員からの意見が、どんどん出てくることを期待
  しました。

   もう一つは、若手職員(40歳前後の係長クラス)との懇談
  会です。12人を一つのグループとして4回ずつ懇談会を開き、
  1年間で約100人と懇談し、最終日の夜には会費制で酒を飲
  むなど、私にとっても、とても有意義な勉強の場になりました。

(7)平成14年度はPLAN(計画)の年

   長野市には長期計画(第三次長野市総合計画)があります。
  これは市の憲法みたいなもので、市はその計画に従って事業を
  推進していくわけですが、オリンピック終了後、あまりにも大
  きく社会の流れが変わってしまったが故に、根本を変えない限
  り無理があると思いました。そこで総合計画の後期基本計画の
  見直しを始め、併せて、長野市行政改革大綱の策定、男女共同
  参画社会推進条例の制定など、21世紀前半の長野市の骨格に
  なると思われる政策の根本となるPLANを作ってきました。

   平成15年度はいよいよDO(実行)の年です。総論賛成各
  論反対は世の常です。具体的な改革に取り組めば反対の動きは
  必ず起きてくることが予想されます。その際には、きちんと説
  明責任を果たしながら「元気なまち」を実現するための施策・
  事業を総合的かつ計画的に推進してまいります。

 以上、今年度の主なことについて、その時私が何を考えて取り組
んできたか、書かせていただき、年度の締めくくりにさせていただ
きます。今年度、下手な文章に付き合っていただいた方々に心から
感謝しています。次年度も頑張って書く予定ですので、お付き合い
ください。

2003年3月20日木曜日

長野広域連合を知っていますか?(その2)


 先週は、広域連合の目的や活動内容についてご説明させていただ
きました。

 私は、市長就任直後に広域連合の存在を知って「連邦都市」とい
うことを唱えました。合併というのは、個々の市町村の歴史や文化、
あるいは住んでいる人の感情を否定する、即ち合併した新しいまち
の名前が一番問題になりがちであることを考えますと、なかなか難
しい問題であると思うのです。

 広域連合を強化し(例えば広域連合が、市町村に代わって徴税権
をもち、そして法的には可能だそうですが連合長や連合議会議員を
住民の直接選挙で選ぶ)、基礎的なことを広域連合で行うことがで
きれば、市町村合併をしなくても構成員の地方自治体の権限は自然
に小さくなるとともに、財政の合理化にもつながり、実質的に合併
と同様の効果を上げることが可能となり、国家全体としても良いの
ではないかと考えたのです。私はそんな都市像をイメージして連邦
都市を唱えたつもりです。

 このことは、昨年2月、姉妹都市のクリアウォーター市を訪問し
たときの経験で実感しました。即ち地方自治体のあり方は日本のよ
うに一律ではなく、それぞれの自治体の考え方で行われていて、権
限の縮小と言った議論ではなく、その自治体でできることをやる、
あとは上位行政機関などにお任せということなのです。ちなみにク
リアウォーター市には教育委員会はありませんし、人口11万人の
市ですが、コミッショナー(日本の市会議員にあたる職務のようで
すが)は市長を入れて5人でした。余談ですが選挙の時の投票率は
30%ぐらいという話もお聞きし、びっくりしました。権限がどの
ように配分されているのか分かりませんが、長野市に比べるとはる
かに合理的なシステムだなあと感じました。

 しかし昨年の5月の段階で、残念ながら総務省の考えはまず合併
ありきでして、広域連合を強化しようという発想はありませんでし
た。ただこのところ、総務省も少し変わってきたようで、合併市町
村に何らかの新自治組織を残す方向で、検討に入ったと聞いていま
す。

 視点をどこに置くかの違いはありますが、基本的には長野市が検
討を始めた「都市内分権あるいは近隣政府が必要」という、私達の
主張と同質の話と考えています。合併により基礎的自治体である市
町村を大きくして、従来の市町村を区とするか、あるいは広域連合
を強化して市町村を実質的な区と同じ存在にするか・・・。よく考
えてみれば、市民の皆さんにとって違いは無いと思うのです。

 さて、広域連合は構成市町村の合意さえ得られれば、かなり総合
的な施策ができることはご理解いただけたと思うのですが、似たよ
うな機構で「一部事務組合」という特別地方公共団体もあります。
複数の地方自治体が特定の目的を決めて仕事を共同で行うもので、
具体的に長野市は「長野地区農業共済事務組合(14市町村で構
成)」、「犀峡衛生施設組合(し尿の共同処理を行うための信州新
町や大岡村などとの組合」、「千曲衛生施設組合(更埴市や上山田
町などとの組合)」、「須高行政事務組合(須坂市や小布施町など
との組合)」に加盟しています。それぞれに管理者(首長)と議会
があって運営されています。

 また、事務を共同で行うという発想とは少し違いますが、「受託
事業」という形式もあります。具体的には、長野市消防局が周辺10
町村の消防事務を引き受けているもので、例えば信濃町には長野市
消防局信濃町分署が置かれていまして、長野市消防局が全体を管轄
しています。もちろん「受託」ですから、必要な経費はそれぞれの
町村から長野市がいただいております。常時消防という考えが出て
きた歴史はそれほど古くはなく、特に小さな町村ではもともと消防
職員がいなくて、消防団が全てを担当していた時代が長かったのだ
そうです。なぜなら、常時消防を維持するには、非常にお金がかか
るからです。

 以上、現在、合併がホットな話題として論議されていますが、広
域連合、一部事務組合、受託、といった実質的に市町村の権限を縮
小して、広域行政を行うシステムはいろいろ存在しているというこ
とです。少し考え方を変え、自由にやらせてもらえれば、地域のア
イデンティティーを守りながら、全体の行政コストを下げる方法論
はあると思うのです。そのことをぜひ知っていただき、その利点・
欠点をご理解いただきたい、それと私の唱えた、若干曖昧ではあり
ますが「連邦都市」(法的に現段階では無理のようです)との関連
もぜひ知っていただきたいと考えて、2回にわたり広域連合につい
てご説明させていただきました。

長野広域連合のホームページは
http://www.area18-nagano.or.jp/index.html
です。

2003年3月13日木曜日

長野広域連合を知っていますか?(その1)


 皆さんは、長野県内にある120の市町村が、10のグループ
(「広域市町村圏」といいます。)に分かれて、それぞれ「広域連
合」という組織を作っていることをご存知ですか?その中のひとつ
「長野広域連合」というのは、長野市、須坂市、更埴市、上山田町、
大岡村、坂城町、戸倉町、小布施町、高山村、信州新町、豊野町、
信濃町、牟礼村、三水村、戸隠村、鬼無里村、小川村および中条村
の計18市町村で構成されています。

 法律上は、長野市や豊野町のような市町村を「普通地方公共団体」
と呼びますが、広域連合は、「特別地方公共団体」と呼ばれ、市町
村がそれぞれ単独で行うよりも共同で行った方が効率的だと思われ
る事務や、市町村の垣根を越えてより広い地域全体の問題として捉
えるべきだと思われる事務で、構成する18の市町村が合意したも
のを扱っています。具体的な内容については、後ほど触れることに
します。

 一昨年の11月、私の市長就任直後に長野広域連合の市町村長会
議(正式には「正副広域連合長会議」と呼びます。)が行われまし
た。そこで、まず行われたのは、18市町村長による「長野広域連
合長」選挙でした。結果として誰も立候補者がいない中で投票が行
われ、私が長野広域連合長に当選しました。投票が始まったとき、
私はよく意味が分からなかったので、隣の首長さんに、「誰の名前
を書いておけばよいのですか?」とお聞きしたのですが、「自分
(長野市長)の名前を書くこと」と言われました(まあ一番大きな
自治体である長野市の市長が連合長になることが暗黙のうちに決ま
っているようで・・・)。

 広域連合には議会もあります。各市町村議会の議員さんの中から
一定のルールに基づいて選ばれた48人の議員さんが集まって、市
町村議会と同じように、議長さんを選んで、広域連合長の出す議案
を審議します。

 事業計画や予算が市町村議会で承認されて実施されるように、広
域連合も広域連合議会の承認を得ないと、実際の事務や予算の執行
ができないし、また、議会の委員会もあり、審議方法は長野市議会と
まったく同じ形式で行われています。

 また、長野広域連合には、正規職員のほか嘱託職員や臨時職員を
含めて約500人の職員がおり、ほとんどは独自に採用した職員で
すが、長野市をはじめとする市町村からの派遣職員も一緒になって
事務の執行に当たっています。

 ただ、広域連合というのは、独自の権限があるかというと、現在
の法律上の枠組みの中では難しい面があります。即ち徴税権がない
ため、事務執行に必要な財源を持っていないのです。独自の財源と
言えるのは、約10年前の「長野広域行政組合」時代に県と構成市
町村が拠出した10億円の長野地域ふるさと市町村圏基金と、今ま
での活動の中で少しずつ貯めた基金だけです。

 事務事業を行う場合、特に予算が伴う場合には、必要な収入は、
市町村に負担金として資金を拠出していただかなければならないた
め、それぞれの市町村の議会の承認を得ないと動けないのです(各
市町村の資金拠出は、必要となる負担金総額の20%部分を18市
町村で均等に負担し、80%部分を人口割としています。そのため、
財政規模が小さな市町村からは、均等割を減らしてほしいという要
望が常に出ています)。何かをやろうとしても、その都度18の市
町村すべてが合意しないと進まないため、フットワークよくテキパ
キとはいかないのが実態です。

 さて、それでは長野広域連合では何をやっているかということで
すが、基本的には広域連合で事務を行った方が効率的だと18市町
村が合意したことです。現在、具体的に行っている事務は、
1.特別養護老人ホーム(8施設)や養護老人ホーム(2施設)、
  デイサービスセンター(4施設)といった老人福祉施設の建設
  や経営。
2.介護保険の認定審査業務。
3.広域市町村圏振興整備事業(先ほどの長野地域ふるさと市町村
  圏基金10億円の利息を財源にした、18市町村の観光スポット
  のPR、写真展や広報情報誌エリア18の発行など)
が主なものです。

 これからやろうとしていることは、環境問題、特にゴミ処理問題
を小布施町を除く17市町村が共同で解決していこうということで
す。1~3のように構成市町村の合意を得やすい事業は問題が無い
のですが、ゴミ処理場のような俗に言う“迷惑施設”の場所の決定、
特に埋め立て地に代表される最終処分場をどこにするか、と言った
微妙なテーマ、あるいは全市町村が関係していない事業をやるとな
ると、利害の衝突がはじまって、共同していくには厳しい状況が予想
されます。独立した自治体の集団である広域連合の存在意義が問わ
れることにもなりかねません。

 次週は、市町村合併が日本全国で進められている中で、私が理想
とする広域連合のあり方や、連邦都市構想について書かせていただ
きます。


長野広域連合のホームページは
http://www.area18-nagano.or.jp/index.html
です。

2003年3月6日木曜日

「チャレンジする管理職」について


 昨年10月、長野市行政組織を活性化する委員会から行政改革大
綱の見直しの中間報告をいただきました。これまでも様々な摸索を
続けてきましたが、いよいよ行政改革を実行に移す時期が迫ってき
ましたので、今後どのような組織・スタッフ体制にしていくのかと
いうことについて、具体的な検討に入りました。

 私の目玉政策ですし、そのために職員との理念の共有を一生懸命
図ってきたわけですから、大変な仕事ですが、職員も張り切ってや
ってもらえるはずと考えていました。

 しかし、人事担当者と協議したのですが、なかなか名案が生まれ
ません。そこで、私の主導で行政改革推進局を設置し庁内から職員
を募集することとしました。

 この新たな組織での業務と目的については、

 1.民営化する分野の検討
   長野市が行っている事業の分析・整理と民間事業者の成長等
   をバランスよく考えながら、検討する必要があります。サー
   ビスの質を落とさない、競争条件がある、コストが下がる、
   という私の考える民営化三原則を満足する分野を、聖域を設
   けずに検討していく必要があります。

 2.受け皿・スケジュールを検討し、民営化を推進
   ここで大切なことは、受け皿になってもらえる信頼できる事
   業者が存在するか、どうかでしょう。市職員で、役人を辞め
   て独立したいという人もいるかも知れません。そのぐらいの
   気概を持った人が現れることを期待しています。公設民営方
   式にすれば、かなりの融通性もありますし、やりがいにも繋
   がると考えています。

 3.民営化後の経営体についての相談及び指導監督
   これは既存の社会福祉法人等の経営にも言えることですが、
   大切な分野をお任せするわけですから、しっかりとした経営
   をお願いしなくてはならない。本来民間経営なのだから原則
   自由ですし、行政は一切干渉しませんということが理想です
   が、当面はいろいろ相談をしていく必要はあるのでしょう。
   経営相談に乗るには、経験と経営の数字が分かる人が絶対に
   必要です。

 4.その他
   以上の事柄を解決し軌道に乗せていくためには、広い社会経
   験、人脈、交渉能力、そして民営化への信念、継続する意志
   力等を持つ人が必要になります。

 行政改革という難題に従事するスタッフをどのように選んでいく
のか、併せて、意欲ある職員の人事配置をどのように進めていくの
かということが課題となりました。そこで、全管理職に対し「チャ
レンジする管理職」の募集を行うこととしました。

 テーマは、民営化推進だけではなく、自分がやりたい専門分野を
挙げて、意欲を湧かせる分野への挑戦をお願いするものとし、昨年
末の仕事納めの日に庁内の部長職が集まる会議の中で方針を決めま
した。

 結果としては残念ながら、民営化推進担当への挑戦はありません
でしたが、それぞれの専門職については、いろいろなアイデアやや
る気が寄せられ、私にとっては良い勉強になりましたし、それぞれ
の職員のやる気も分かりましたので、将来の人事構想の参考にして
いきたいと考えています。

 民営化推進については、人事担当者といろいろ議論してみたので
すが、「長野市の組織をいじり、場合によっては自分達の身分がど
うなるかということに通じる可能性もある仕事に、自ら名乗りをあ
げることは無理ではないか」というのが結論です。現段階では仕方
ないということなのでしょう。

 結局、市議会議員の皆さんとも相談する中で、新年度から組織を
変更して、行政改革推進局を新たに設置し、トップは長野市の部長
級から任命しますが、この組織の中に、民間企業から人材を登用す
ることにしました。

 また、担当する仕事も前述の4項目に加えて、長野市の組織体制
の検討や平成14年度から本格化した「行政評価」の仕事も加えて
推進してもらうことになりました(外部評価を入れたいと考えてい
る一歩になるかも知れません)。大変な仕事量になるとは思います
が、大いに期待したいと思っています。

 ただ、新年度からというのはスピード感が無いので、4月から直
ぐに実務に取りかかれるよう準備していきたいと考えています。

 長野市にとって、今年は市町村合併の問題が大きくなる可能性が
出てきており、そのこととの関係もあって、都市内分権が大切なテ
ーマになりますが、今回取り上げた行政改革推進局の設置もそれに
劣らず大きな仕事に繋がっていきます。